2017年12月07日

バッハのCDをいただく─マリアの浄めの祝日のカンタータBWV82の聴き比べ(その3)

畏友TさんからCDをいただいた。その場でゆっくり中味を確かめる余裕がなかったこともあって気付かなかったのだが、以前聴き比べもやったことのある(その1その2)お気に入りの一曲BWV82を含むCDだった。シギスヴァルト・クイケン指揮、ラプティットバンドのBWV82・49・58の3曲を収めたバッハのカンタータ集(しかも、ブックレットには、そこにチェロ奏者として参加していた鈴木秀美さんのサイン入り!)である。
同業者にクラシック愛好家が結構いるらしいというのは聞いていたけれど、Tさんがそうだと知ったのはまだほんの数年前のことだ。30年来の付き合いだというのに、本当に迂闊なことだ。きっかけはどうもぼくが年賀状に最近バッハとモーツァルトしか聴かなくなったということをチラッと書いたのを目に止めてくださって、ある集まりのあとで問いかけてくださったのに始まるらしい。
その前にモーツァルトのピアノ・コンチェルトを讃える話を書いたことも覚えてくださっていて、今春お会いしたときにもK.175のニ長調コンチェルトのCDをいただいていたのである。スホーンデルヴォルトというなかなか名まえを覚えられない、また覚えても舌を噛みそうになる人の弾くもので、これがまあ想像を絶する面白さ! 才気煥発と言おうか、やりたい放題と言おうか、グルダの演奏のさらに遙か上を行く楽しい演奏だった。こういう方向は賛否両論あるに違いないけれども、ぼく自身は素直に、ああいいな、と思えたのである。そしてそんな演奏を教えてくださったTさんとのご縁を思ったのだった。

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そして、今回のバッハである。古楽器演奏の旗手シギスヴァルト・クイケンの名まえは昔から知っていたけれども、その演奏に触れたことはほとんどなかった。唯一レオンハルトと競演したバッハのヴァイオリン・ソナタを聴いたことがある程度でしかなかった。ただ、CDのジャケットなどに見るその容貌はたいへん個性的で、一種魁偉とさえいえるこの人はいったいどういう演奏をするのだろうかと、興味は湧いていたのだった。
そうはいっても敢えてCDを選んで、というところまではゆかずにいたところへ、思いがけず今回のTさんからのご厚意に与ることになった訣である。
早速一聴させていただき、その美しさに魅了されてしまった。録音は1993年であるから随分前ではあるが、その響きの豊かなことといったらない。そして何よりもその演奏は奇を衒ったところの全くない、素直でストレートな演奏で、かつ型にはまった教科書的な演奏というのとも違う、生き生きとしたバッハという印象を受けた。容貌だけで何か特別な演奏する人かも知れない、という期待、というか心配は、いい意味で見事に裏切られたのである。
そんな訣で、以前の例に倣って、聴き比べの簡単なメモを書いてみたので、ここに書き止めておくこととする。

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10、クイケン(B:メルテンス) 7:44,1:25,9:36,0:52,3:46
オーボエは録音のせいか結構目立つが、しっとりと溶け込んでうるさくない。バスとの対話が美しい。率直な悲しみといおうか、速くはないが、適度なテンポ感があって、ものすごく自然に流れる演奏。
レチタティーヴォは感情的にならず、かといって淡々とし過ぎず、ゆったりとしっとりと歌う。やはり流れの美しい演奏だ。
アリアもやはり流れの良いテンポ感の演奏。粘らないがあっさりではなく、バランスの良い推進力が素晴らしい。率直だがでしゃばらないバスは本当にうまい。
レチタティーヴォでもバスの独壇場。かなり目立つのだが、全くうるさくない。分離がいいのだが、調和している。
アリアは、テンポ感のいい舞曲。しかし、走り出しそうで走らず、確かめるように刻んでいく演奏。
全体に各楽器がよく聞こえ、かつ調和している。またその中で印象的なのが弦の雄弁な美しさ!比較的古い演奏だが、録音の良さも光る。
【流麗】
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2017年11月30日

恩師を夢に見る─夢の記憶47

恩師を案内して大学の中を歩いている。80代半ばになられた恩師の足取りはやや覚束ないところはあるが、かつて勤められた構内をしっかりとご覧になりながら、その変化に目を見張っていられる。建物どうしが、以前はなかった空中廊下で結ばれていて、そこを辿りつつ、恩師の研究室のあった建物に向かおうとしている。
ここはそう、生協のあったところですね、恩師は記憶を手繰り寄せながら、的確なコメントをされた。周囲に慈しむような視線を投げかけながら、歩みを進められる。ガランとした空間の脇を空中廊下が通っているところがある。ああ、ここは生協の店舗があったところですね、今は使われていません。ぼくがなぜか、そんな取り繕うようなことを言う。恩師は、ニッコリと微笑んでいられる。
研究室棟が近づいてくる。何十年かぶりにここを訪れる感懐やいかばかりであろうと、恩師の目元を見やってしまった。実際には退官してまだ30年は経っていないのだし、その後もいらっしゃる機会は多かったはずだ。感慨に浸っているのはむしろぼくの方だったのかも知れない。
我に帰って周囲を見ると、そこは野外で、人工の池に沿って歩いている。斜め後ろからの明るい陽光に恵まれた気持ちの良いプロムナードだ。正面にあるホールに向かっているらしい。ここが恩師のお祝いの会場のようだ。
当の恩師は、池に沿った縁の一段高くなったところを、もちろんぴょんぴょんというわけにはいかないけれど、子どものように生き生きとした表情で、一歩一歩確かめながら歩んでいられる。そんなところを歩いたら危ないなどという感じが全くなかったから不思議だ。

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神保町の本屋に母と出かけ、別の用事のある母と別れ、1人で家路に就こうとしていた。今日は、ゆっくり歩いて帰ってもいいな。ふと時計を見ると、13時20分だ。歩いたら14時には間に合わない。恩師のお祝いのパーティーは14時からだ。
多分それでバスで帰ったのだろう、気付くともう家にいて、同じパーティーに参加するために来たのであろう先輩たちと談笑していた。その中のお二人とは10月末にお会いしたばかり。それもそのお一人の、台風の来襲した東京出行われた還暦記念のパーティーだった。もうお一人は、既に還暦を過ぎているはずだが、少なくともぼくは参加した覚えがないので、還暦記念があったかどうかもわからない。
さて、そのうちに、もう14 時を回っていることに誰かが気付き、慌て始めた。ぼくもパーティー開始は14時だと思っていたはずなのだから、一緒に慌ててよかったはずなのに、1人泰然自若としていて、ちょっと待っててくださいね、と先輩たちに声を掛けて、2階に上がった。そして、自室にかけてある黒のダブルの略礼服の内ポケットを探って、パーティーの案内状を取り出した。ああ、やっぱり! よかった! パーティーは16時からと書いてあったのだ。思った通りだったことに安堵する。でも、夢の中では、そうなることはわかっていたような気がする。
パーティーが始まっていた。立食のようだ。先程の先輩たちだけでなく、懐かしい後輩たちも大勢来ていた。大学に残って恩師のポストを受け継いでいるすぐ下の後輩と、久し振りに話すことができた。後輩といってもぼくなどよりは余程できる人で、後輩などと呼ぶのも恐れ多いのだけれど、変に気を遣ってくれたりもするのだ。彼はぼくよりずっと背が高かったはずだが、今はなぜかぼくが彼をやや見下ろす感じになっている。話しているうちに、彼が以前会ったときよりもふっくらしていて若く見えることに気付いた。どうしてだろうと考えながら、見慣れていた顔と重ね合わせて見たりして、印象を確かめていた。

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2つの夢の関係はよくわからない。どちらが先に見た夢だったかも正直言ってはっきりしない。同時併行だったような気がしないでもない。実際には微妙にスライドしていきながら、1つのつながった夢だったのかも知れない。
恩師にしても先輩にしても、また後輩にしても、多分夢に見るのは初めてのことだっただろう。それが何故今回急に、と考えるならば、思い当たる節がないわけではない。
毎年行っている集まりに、ここのところずっと行けなくて申し訳ありません、というハガキを恩師から頂戴していたのである。ここ2、3年は欠席されていたので気にはなっていたのだけれど、まさかそんな勿体ないお言葉付きでお便りをいただくとは思ってもいなかったものだから、余程気になっていたのかも知れない。先輩や後輩たちは、恩師に引きずられて、と言っては申し訣ないけれども、登場することになったのだろうか。
ただ、登場人物は現実と何ら違和感がないのに、夢の舞台は設定こそ現実を逸脱していないものの、実は全然実在しない架空の空間ばかりだ。実際の空間に近かったのは、神保町から家まで歩いて帰ろうとした、俎橋の高速道路越しに九段坂を眺める景色くらいだろうが、これも今考えてみるとかなりデフォルメされていたように思う。また、大学の中にしても、わが家にしても、みな実在した空間とは様子が違っていた。パーティー会場に至っては、いったいどこを想定した夢なのか見当も付かない。夢の空間はいったいどういう構造になっているのだろうか?
ともあれ、恩師を夢に見るなどという予想外の事態の発生の故にだろうか、今日の夢は妙にリアルにいつまでも記憶に止まっていたのが印象的だった。
ラベル:東京 記憶
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2017年11月21日

初冬寒波の到来

昨日20日の奈良の最高気温は9.0℃。最低気温は4.0℃。最低気温こそ11月下旬の値で少し早い程度だが、最高気温9.0℃というのは、1月初旬の平年値に相当する。北日本は軒並み雪だった。気のせいかも知れないけれど、雪を降らせた空気の冷たさは体感が違う。例年なら、まだ小春日和に浮かれたりしている頃なのに、11月20日でこの寒さはちょっと記憶にない。
11月下旬の青森で大雪に出会ったことがある。11月末でこの天候かと驚いたものだが、今回の寒さはまさにそれに匹敵する。しかも10日は早い。ここ数年このくらいの冷えこみを一度も経験せぬまま年を越すことも稀ではなくなってきているので、今年の季節の進み行きの近年にないハイペースさ加減は、その異常さが際立つ。
そして今日21日は最高気温こそ11.6℃まで上がったが、夜に入って冷えこみがきつく、10時でもう4℃を割っている。この分だと明日の朝は、少なくとも2℃くらいまでは下がるだろう。
わが家の玄関先のモミジもほぼ真っ赤に色づいた。こないだの日曜日には、庭のケヤキ(じつはエゴノキ)の落ち葉の掃き寄せに精を出した。詰めつめしても、ゴミ袋で優に3袋はあった。まだ黄色く色づいた葉が相当残っているから、あともう一回は繰り返すことになるだろう。昔だったら、庭で落ち葉焚きをして、焼き芋に舌鼓を打ったところだろう。一方、モミジの方の落葉掃きは、例年だと12月初旬の恒例行事だ。あと2週間、散らずにもつのだろうか?
もみじの赤、ケヤキの黄、プリペットの緑.jpg
〔もみじの赤、ケヤキの黄、プリペットの緑の三拍子〕
ラベル:天気 日常 奈良 季節
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2017年11月18日

快晴の大台ヶ原コブシ嶺を訪れる

大台ヶ原というと、バスで気軽に登れる上に、遊歩道も整備されていて、山歩きの対象としてはやや軽くみられる傾向がないではない。しかし、日出ヶ岳、正木ヶ原、尾鷲辻、牛石ヶ原、大蛇嵓、シオカラ谷という東大台の周遊コースを外れると、そのスケールの大きさには圧倒されるばかりだ。地形、植生、そして海に近いという地理的条件もあってか、大峰以上の明るさがあって、しかもそれと矛盾するようだが奥深さが加わるのである。
そもそもどうしてこのような山域にドライブウェイーを通そうなどということを考え出したのか。ドライヴウェイーなければ、延々と続く台高山脈最奥の近づきがたい山上の楽園、文字通り限られた人だけの知る秘境として残った地域だっただろう。ドライブウェイーができたお蔭で、この特異な山域に気軽に入れるようになり、いわばその恩恵を被っているわけであるから、一概にその存在を否定することもできないけれど、複雑な感懐にとらわれてしまう。

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今回は尾鷲辻から南へ、尾鷲道をコブシ嶺(1,411m)まで往復した。駐車場からして既に1,570mの標高で、目的地の方が低いという、言ってみれば山登りならぬ山下り、まことに贅沢な登山である。尾鷲辻までは整備された(実はこれがかえって歩きづらくてきついのだが)道である。ここからは色づいた自然林の中の明るい道を行く。以前、地池高を訪ねたときに踏んだ堂倉山に向かう道を北にやり過ごし、白サコを経て、道は次第に明るい稜線を行くようになる。ゆっくり西へ回り込むように辿るうちに、北に牛石ヶ原から大蛇嵓に向かう文字通り牛の背のような巨大な山塊が、その西端の大蛇蔵の異様な落ち込みと荒々しい崩壊を伴って見え始めるようになる。圧巻である。牛石ヶ原を望む.jpg
〔牛石ヶ原を望む〕

道が再び南に向かうようになると、今度は大蛇嵓から左に大峰の山々が展開し始めるようになる。地倉山の手前の地点(ここでお昼)、地倉山、そして折り返し点のコブシ嶺と大展望の得られる地点が続く。ことにコブシ嶺では南から東への視界も開け、270度にわたる大展望が待ち受けていた、やや雲が増えてはきたものの、想像以上の大パノラマに息を飲む。以前、又剱山から大台を望む大展望に圧倒されたけれど、ちょうどあの裏返しである。深い東ノ谷を挟んで又剱山から右に笙ノ峰に至る稜線が続き、反対に左に辿れば、坂本ダムを挟んで特異な岩峰を連ねる荒谷山が聳えている。
それらの向こう側に屏風のように連なっているのが大峰奥駈道で、北(右手)の大普賢岳から左(左)の笠捨山までその全貌を一望できるまたとないロケーションだった。大普賢岳が比較的穏やかな山容を見せるのは意外だったが、どこから見てもそれとわかる傾いた行者還岳、稜線から鋭峰を突き出しているのは鉄山、どっしりとした威厳のある風格の弥山、その左手に小振りながら美しい三角錐を見せる大峰の最高峰八経ヶ岳、少し間を置いて、これまたどこからみても指呼できる美しき三角錐の名峰釈迦ヶ岳、そして大日岳から南奥駈道の山々。一年半前、太古の辻から持経宿までの稜線を辿ったことをなつかしく思い出す。こうして、日出ヶ岳から見るのとはまた違った眺望を、逆光となるものの一つずつ山名を辿るのも容易な明瞭さで満喫することができたのだった。
地倉山へ向かう稜線から見た釈迦ヶ岳から弥山までの大峰奥駈道の遠望.jpg
〔地倉山へ向かう稜線から見た釈迦ヶ岳から弥山までの大峰奥駈道の遠望〕

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〔地倉山の南の稜線から見た奥駈道(パノラマ写真)〕

コブシ嶺から見えた大峰の山々.jpg
〔コブシ嶺から見えた大峰の山々(パノラマ写真)〕

コブシ嶺から尾鷲道方面南から東を望む(尾鷲の海も見える).jpg
〔コブシ嶺から尾鷲道方面南から東を望む(尾鷲の海も見える。パノラマ写真)〕


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雨の稲村ヶ岳を訪れて、たとえ雨で展望がなくてもと書いたけれども、展望に恵まれた山旅がまた格別であるのは認めないわけにはいかない。そしてもう一つ、コブシ嶺という山名から考えさせられたどうでもいいような話を書きとめておく。コブシ嶺のコブシは、花の辛夷ではなくて、マムシなのだという。マムシはマブシにも通じることから、さらにコブシへと転じたのだという。
そこで考えたのは、関西で鰻丼のことを「ひつまぶし」と呼ぶ理由である。お櫃にまぶす(載せる)からそういう、つまりマブシ→マムシという流れである。ウナギのことをマムシと呼ぶ訣ではけっしてないけれども、マブシといえばウナギの代名詞ともなっているのである。
マムシからコブシへの転訛は、マブシ=マムシという前提があって初めて起き得ることだろうが、マムシ→マブシはともかくとして、マブシ→コブシはやや無理がなくもない。転訛というよりも、意識的に良いイメージへの転換を図っているのかも知れない。毒蛇から可憐な初春の花へと文字通り化けてしまっているのである。
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〔色づく自然林〕
ラベル:季節 奈良 言葉
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2017年11月12日

雨の稲村ヶ岳

稲村ヶ岳に登った。今回で三度めである。明け方まで雨が残るだろうが、日中は回復するということで、決行した山行きだったが、結局一日ショボショボの天気が続き、上下とも防寒着兼用のカッパを着たままとなった。
最初に登った大峰の山が、夏の終わりの稲村ヶ岳だった。暑く長い行程だったが、2000mに満たない山でも充分夏に登れることを知った貴重な山行だった。バスツアーによる団体登山でもあり、その点でも最初はあまり乗り気ではなかったのだが、それがまさにはまってしまい、今に至っている。母公堂から法力峠を経て、稲村小屋、稲村ヶ岳という、最もオーソドックスなコースである。
二度目は蓮華辻へと谷筋を登り詰めるコースで、初冬だった。蓮華辻で雪に降り込められ、稲村小屋の前で震えて食事を取った記憶がある。冬の大峰の片鱗を味わえた貴重な山旅だった。
そして三度目の今回、当初の予定地が台風で林道が寸断されてしまったため、急遽予定を変更しての登山だった。ピンチヒッターであり、天気も初めから期待していなかった。言ってみれば、登れればよいのだった。

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天気は、最初に書いたように、思っていた以上に悪かった。帰路の法力峠で初めてお日様を見た。それまでは山影さえ望めなかったので、帰路途中からようやく見え始めた左手の尾根筋が妙に新鮮だった。稲村の山頂は当然視界ゼロ。山名板がなければどこの山かわからないかも知れない。
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〔稲村ヶ岳山頂(展望台)〕

しかし、山行としておもしろくなかったかといえば、答えはノーである。勿論景色は良いに越した方はないけれど、それが必須ではないことを、今回ほど実感した山行はなかっただろう。
天候の回復が遅れてというか回復期にあるせいか、結構風があり、法力峠や稲村小屋など風の通るところでは寒いくらいだったが、そのため山全体が躍動した感じが強かった。それに数日前の台風の影響がまだ色濃く、谷筋が増水が著しくて、ゴウゴウと水が流れ降っているのに出会した箇所が何ヵ所もあった。激しい水音が聞こえ、一体何の音だろうと思うと、そういう谷筋の水音だったりするのだ。そしてそうした箇所では、水が固い岩盤の上を流れているのがよくわかる。僅かばかりの土と木の葉に覆われているけれども、実は山全体が硬い岩からできあがっているらしいのが明瞭に想像されるのである。
今回ハッとしたのは、稲村小屋に出る直前あたりから森の様子がガラリと変わることである。笹が目立つようになり、自然林の美しさと相俟って、うまく表現できないけれど、あの大峰の奥駈道に独特の、突き抜けたような明るさを感じる光景が展開し始めるのである。稲村ヶ岳にもそれがあったのだ。これまでの来訪ではまだよくわからなかったのだが、あちこち周辺の山を訪れてみてからならではの感懐といえるかも知れない。その上、天候が良くない分、そのあっけらかんとした風景に、凄みが生じているのだった。今まで知らなかった大峰のもう一つの面を知らされたという思いが強いのである。
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〔稲村小屋手前の大峰らしい景色〕

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〔山頂直下の回り込み地点〕

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夏に、初冬に、そして今回の秋にと、季節、天候それぞれに、同じ山でも見せる顔は違っている。当たり前のことだが、それは何度も訪れてみないとわかるものではない。ただ、季節は選べても天候を選ぶのはなかなか困難である。どの山行にも一期一会としかいいようのない部分があるのであり、今回の稲村ヶ岳はまさにその感懐を深く抱いたかけがえのないものだった。
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〔雨に煙る紅葉の山〕

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〔散り敷く落葉〕
ラベル: 奈良 季節
posted by あきちゃん at 00:33| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする