2018年05月24日

大峰の隠れた名峰七面山を訪れる(上)

天辻峠を越え、阪本から猿谷ダム沿いに走り、大塔の郵便局のところから東へ入る。唐笠山の起点殿野の集落の入口だ。この奥がどこに通じているのか考えてみたことはなかったが、名まえだけは聞いたことがある高野辻を越え、七面山への入口、篠原方面へ向かう。以前篠原へは大塔夢の湯のある宇井からの道が本来だったが、最近はむしろこちらがメインだという。
高野辻から下り着いた篠原は、山の南斜面に立地する比較的大きな集落である。ここからさらに奥へ、マイクロバスがやっという道をひたすら清流に沿って遡る。一体どこへ向かっているんだろうかと、自分の座標を見失いそうになる、そんな静謐な澄んだ世界が眼前に展開していく。
車の入れる最奥から七面山登山口まで、退屈な長い長い林道歩きが続くのを覚悟はしていたのだけれど、そこは時間が止まってしまっているかのような想像を越えた世界、退屈とは縁も所縁もない異次元空間だった。ヒトのやることなど、所詮無益に過ぎない……

          §           §           §

バスを降りて最初にしたこと、それは靴紐を締め直すことではなくて、山靴を脱いで素足になることだった。目の前には今まで遡って来た渓流。元はここを車が渡っていたはずなのだが、そこは今や川幅いっぱいに水が流れる渓流の中で、堰状のところを徒渉するのである。
初めはビニール袋を履いて渡ろうとした。しかし、流れの中程の地点までは行けたが、そこから先は深くて無理。潔く裸足になるしかなかった。しかし、堰のコンクリートを張った部分は、ヌルヌルして滑るし、玉石のある川底は痛いのなんのって! それに尋常でない冷たさ。しかも山靴を入れたビニール袋を右手に持っての歩行はバランスも悪く、重心を崩して何度も倒れそうになる。水に浸かりそうになりながら、辛うじて濡れずに渡り終えた時は、冷や汗タラタラだった。
暫くはこの川沿いに行くが、一旦右岸に渡ってすぐ左岸に戻る箇所があって、その戻る箇所がまた完全に水に浸かった状態。なんとか靴底の側面にとどまる深さだったので、ビチャビチャやる感じで渡りきった。ここは思いの外に足元が安定していて助かった。
ここから道は枝谷の奥へと左岸を大きく回り込んだ後、本谷の高みに沿って谷奥へ向かう。ところが枝谷に沿って回り込み始めたあたりに1箇所完全に道が崩落してしまっているところがあり、元々の道路擁壁の上を迂回しなくてはならない。コンクリートの路盤がブラブラしている部分もあって、なかなか凄まじい状態だ。でもよく考えてみれば不思議な話で、山側の擁壁は完全に残っているのだから、ちょうど道の足元から下だけが崩落したことになる。いや全く一難去ってまた一難とはこのことかという林道である。帰りが思いやられる。

          §           §           §

枝谷はこの先で二股に分かれ、両方を順に渡る。水は流れているが、ここはどうということなく渡れる幅だ。東側の谷はすぐ上が見事な滝になっている。西側も滝状をなすが、上の堰堤が間近に見えるので、景色としてはよくない。
こうして舟ノ川に南から合流する支流を渡るための迂回をやっと終えると、暫くは舟ノ川の本谷の左岸の上部を平行に進み。そのうち道は今度はジグザグに高さを稼ぐようになる。
道、と書いたが、元は立派な林道、しかもしっかりしたコンクリート舗装の道だったはずなのに、もう二、三十年は手が入っていないのだろう、荒れに荒れていて、崩落した石の堆積が半端ではないところも多いし、倒れてきた木の下を潜るところもある。苔むしたところ、枯れ葉の積もったところも多くて、林道歩きの割には足に優しい。が、思いの外に時間がかかる。なんだかこう自然に帰りつつあると言おうか、自然の脅威が襲いつつあると言おうかこ、多人数と歩いているからいいようなものの、それこそ何かに吸い込まれてしまいそうな感じが漂う。
ただ、荒れに荒れてとはいっても、裏寂れというのではなくて、圧倒的に自然の生気がみなぎっているのである。あちこちに崩落した岩石が無造作に散らばっているジグザグ道の曲がり角に、ふとどう見ても自然の技とは思えない石の堆積がある。大きな岩の上に拳大くらいの石がたくさん積んである。林道歩きに飽きた登山者の休憩時の仕業だろうか。
堰堤で補強された同じ谷筋を何度も横切るつづら折れが終わって、再び暫く舟ノ川の谷筋に沿って水平に歩く。視界がひらけて谷筋の最奥が望める地点がある。奥駈の稜線にゆったりと突き上げる舟ノ川の姿は雄大そのもの。その左端をしっかりと支えるなだらかな三角は、奥駈の明星ヶ岳だろう。ということは、あの後ろには、弥山と大峰の最高峰八経ヶ岳が鎮座しているばずだ。
林道歩きにそろそろ飽きかけてきた頃、ようやく七面山登山口に着く。ここまで1時間50分ほど。距離にしたら4㎞弱しかないのだが、障害物競争のようなもので、それらを一つひとつ多人数で越えるのにはやはりそれなりの時間を費やす。
到着の直前、思わぬプレゼントがあった。道端に咲くヤマシャクヤク、そしてウスギヨウラクである。ヤマシャクヤクはたった一輪だけお椀のような量感のある白い花びら(付け根だけ刷毛で描いたようにちょっとだけ紫のアクセントがある)に、黄色い雄蘂と先端が紫の雌蕊をもつ。一輪だけのヤマシャクヤク.JPG
〔一輪だけのヤマシャクヤク〕
ウスギヨウラクもひと枝だけだが、4つほどの細長い釣鐘のような、先端が淡い紫色の花が、柔らかに開きかけていた。知らなければ気付かずに通り過ぎてしまっただろう花たちに会えたのは、同行者があればこそである。もちろん、それらの名まえにしてからが、山ノ花に詳しい同行の先人の導きによるのだ。
風にそよぐウスギヨウラクの花.JPG
〔風にそよぐウスギヨウラクの花〕

          §           §           §

さて、ここからがいよいよ山道で、1,075m余りから、1,330mの尾根までの直登である。45分ほどで、250m余りをかせぐ。この日の行程では一番きつい登りだった。周りは相当の年数を経たヒノキの植林帯。林道を通した頃の仕事ではないかという。ところどころに想像を絶する太さの朽ちかけた切株がある。多分元は樹齢千年規模のヒノキの森だったのだろう。台湾の阿里山を思い出す。
登り着いた尾根は、奥駈道から七面山に派生した尾根の先にあたり、植林帯から気持ちのよいブナの優しい自然林へと、一気に雰囲気が変わる。
ここから先1,397m峰に登った後は、岩や木の根の出た痩せ尾根歩きが続く。木の根の間に大きな穴があったりして気を抜けないが、アケボノツツジがところどころに満開の花をつけ、シャクナゲも真っ赤な蕾と少しピンク味を帯びた花を見せてくれている。そして木の間がくれに北にはいよいよ大きくなってきた奥駈道、南にはこれから行く槍ノ尾の頭が丸い姿が顔を出している。道としては結構しんどく油断できないが、見る者を飽きさせない景色が続き、カメラの準備に手が離せない。
七面山に向けての長い登りが始まる直前でお昼。いくらか見通しのきく気持ちの良い場所だが、日陰を探して腰を下ろそうとしたら、マムシらしき蛇がとぐろを巻いているのに出くわしてしまった。丁重に挨拶を交わして(?)その場から離れ、別の場所に移動する。実物を見るのは生まれて初めて。赤い舌をチョロチョロやっているのが見えたが、動き出す気配はなく、帰路にのぞいてみた時も、また同じ場所にじっと陣取っていた。

          §           §           §

さて、お腹が一杯になってからの登りは辛いが、そんなことを言ってはおられない。というのは、時折左手に谷底まで続く崩落の細い筋の刻まれた明星ヶ岳に続く奥駈道が、さらに雄大に望まれるのである。景色が遮られているところでも、シャクナゲの赤い花が密やかに咲いていたりする。ますます撮影ポイントには事欠かないのだ。
1,ほころび始めたシャクナゲ(つぼみは真紅に近い。西峰への最後の登り始め付近).jpg
〔ほころび始めたシャクナゲ(つぼみは真紅に近い。西峰への最後の登り始め付近)〕
それと、はるばる奥駈道の深山までやってきたことを実感させてくれる音に出会った。ツツドリのポポ、ポポ、というつぶやきである。キツツキの類はしょっちゅうではないにしても、結構耳にすることがある。しかし、ツツドリはこれまでテープでしか聞いたことがなかった。
なんと形容したらよいのだろうか。地の底、と言おうか、この自分を取り囲んでいる空間の中から湧き上がってくる、いやそれとも違う。上がって来るのではなく、空間から浸み出して来ると言った方が相応しいかもしれない。ただ、それもけしてジワーッというのではなく、コロンと飛び出して来る感じである。しかもこう、腹の底に軽やかに響き渡るのである。今自分がどこにいるのかも忘れて聴き入ってしまった。
ふと我に帰ると、足元は相変わらず不安定で、傾斜も増して来る。このイメージは、鉄山の山頂の直前のあの感じによく似ている。岩角と木の根、それにシャクナゲ、このセットは、大峰の代表的なアイテムと言っていいだろう。((下)につづく)2,シャクナゲの花(開くと濃いピンク色に。七面山西峰への最後の登り道で).jpg
〔シャクナゲの花(開くと濃いピンク色に。七面山西峰への最後の登り道で)〕
ラベル: 季節 奈良
posted by あきちゃん at 21:52| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年05月19日

バッハの現存最古のカンタータBWV150を聴く

今年は5月13日だった昇天節後日曜日(復活節後第6日曜日)のカンタータは、BWV44とBWV183の2曲。ガーディナーのカンタータ巡礼では、21枚目のCDに収められている(SDG-144)。このCDにはもう1曲BWV150という用途不詳(Bach Cantatas Websiteでは悔い改めの礼拝用に分類している)のカンタータが収録されている。暗い音調の曲であまり取っつきがよくないため、これまであまり聴き込んだことはなかったのだけれど、特別有名な曲という訣でもないのにカンタータ巡礼においてガーディナーはなぜかこの曲の2回演奏していて、両方ともカンタータ巡礼のCDに収められているという特異な曲である。
そのあたりの事情はぼくには全く不明とせざるを得ないが、調べてみるといろいろ複雑な曲であるらしい。
別テイクのBWV150を収めるSDG131(左)とSDG144(右).jpg
〔別テイクのBWV150を収めるSDG131(左)とSDG144(右)〕

          §           §           §

BWV150について調べることになったそもそもの始まりは、この日のカンタータを自分用に整理した2018年の教会暦に沿ったカンタータリスト調べていて、大きなミスに気付いたことにある。ぼくは次のように書いたのだが、お恥ずかしいことだが、これは大間違いだった。

・2018/5/13 昇天節後日曜(復活節後第六日曜)
  BWV44(ガーディナー21、鈴木20、リヒター10、クイケン9)
  BWV183(ガーディナー21。ガーディナー15の2000年4月末ドイツにて録音のものとは別の、2000年6月4日のイギリスでの録音。短期間に2度の録音を行ったことになる〉、鈴木39)

これだとBWV183を二度演奏していることになっているが、ガーディナー15(SDG-131)を見てもBWV183は収められていない。そうこうするうちに、下記のBWV183についてのこととして書いている説明は、正しくはBWV150に関するものだったことがわかった。
何故こんな間違いをしでかしてしまったのか。これまで毎年掲載してきたカンタータリストを順に遡ってみると、2017年はこれと全く同文で、同じ誤りを犯していた。
ところが、2016年のリストはつぎのようになっていた。

・2015/5/17 昇天節後日曜(復活節後第六日曜)
  BWV44
  BWV183(以上、DISK21。BWV150を併録〈DISK15の2000年4月末ドイツにて録音のものとは別の、2000年6月4日のイギリスでの録音。短期間に2度の録音を行ったことになる〉)

つまり、誤りの理由は簡単で、ガーディナーのカンタータ巡礼だけでなく、他の演奏(この場合は鈴木雅明・BCJ)を加えて2017年版を作成する際に、「BWV150を併録」という部分をすっかり落としてしまったのである。まずは、長年誤りに気付かずにいたことをお詫びしておきたい。正しくは次のようにあるべきである。

・2018/5/13 昇天節後日曜(復活節後第六日曜)
  BWV44(ガーディナー21、鈴木20、リヒター10、クイケン9)
  BWV183(ガーディナー21〈ガーディナー21にはBWV150を併録。ガーディナー15の2000年4月末ドイツにて録音のものとは別の、2000年6月4日のイギリスでの録音。短期間に2度の録音を行ったことになる〉、鈴木39)

あるいは、ガーディナー15の方には併録情報を省いているし、末尾の用途未詳のリストには加えているのであるから、ガーディナー21にも敢えて書く必要はなかったのかも知れない。

          §           §           §

というわけで、ミスに気付くことになってしまったが、その過程で、この曲がかなり古風な作風で、バッハの現存するものでは最も古い時期に作曲されたカンタータであることがわかった。BWV150の概要については、葛の葉さんのホームページ「バッハの教会カンタータを聞く」の説明がたいへんわかりやすい。
葛の葉さんによると、BWV150を演奏するにあたっては、ピッチの設定がかなりややこしいのだという。コープマンと鈴木雅明・BCJに比べると、レオンハルトはピッチを低く設定しているのだという。現代に一般的なピッチに比べると、前者は半音高く、後者は半音低く、前者と後者とでは約全音の開きがあることになる。
葛の葉さんはガーディナーの演奏については触れていられないが、もしかしてそうしたピッチの違いが2度演奏を行ったことと関係するのかと思って、ガーディナー15と21の演奏を聴き比べてみたが、全く高さは同じで、鈴木雅明・BCJと一緒だった。ちなみにリリングも全く同じ音程だった。2つのテイクを収録した理由は、結局振り出しに戻ってしまったけれど、お蔭でこの曲を何度も聴く機会が与えられたのは幸いだった。
全体に暗い曲調だが、唯一第5曲のアルト・テノール・バスの三重唱のアリアだけは、優しく明るい長調の曲で癒やされる。その気分は第6曲にも受け継がれるが、次第に暗さを帯びていき、第7曲のシャコンヌの形式によるという合唱に入る。真偽の程はわからないけれど、このBWV150最終曲のシャコンヌに感激したことが、第4番のシンフォニーの最終楽章をプラームスがあのような古風な形式で作曲した契機になっているというエピソ-ドもあるのだという。詳細やこのエピソードの問題については、ほーほさんの「ブラームスの交響曲第4番第四楽章 ~パッサカリア、シャコンヌとの関連~」に詳しい。
ラベル:CD 音楽 バッハ
posted by あきちゃん at 21:06| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

伊賀の静かな山へ─油日岳周遊─

連休の1日、伊賀盆地東端にある油日岳を訪れた。全く初めの山域だが、先だって島ヶ原のやぶっちゃの湯に出かけた時、この方面が案外近いことを再認識し、以前山の会で登り損ねたこの山に出かけてみようと思い立った次第。幸い、山と渓谷社の『三重県の山』で行程の概要はつかめる。それによればアップダウンのあるスリリングなコースと紹介されていて、全工程で3時間25分と比較的コンパクトでもあって、家内と2人でのんびりと山行を楽しむにはちょうどよさそうだ。

          §           §           §

朝7時20分に出発。このくらいならばさほど無理せずに出かけられる時間である。木津川大橋を渡り、163号線をひたすら東へ。伊賀盆地への下りに入ると、正面に目指す油日岳のギザギザが大きく見えた。東には霊山のどっしりとした姿。その間にやや低いけれども特徴のある先鋒が見える。あれは錫杖ヶ岳だろうか。
不思議なもので、盆地に下り切って平地を走り始めると、さっきあれほどの大きさで目に飛び込んできた山々が、実際にはさっきよりも随分近づいているはずなのに、かえって遠ざかって小さく見える。途中、コンビニで昼食を補充し、コーヒーを飲んだあと、一路油日岳の麓の余野公園をめざす。
上柘植ICからの道を、ICとは反対方向に左に曲がって関西線を渡り、さらに草津線を渡ってその線路沿いに北上するとまもなく、余野公園の入口である。右折して、車もまだまばらな駐車場からさらに公園北側の園路を東に走り、公園南側から来る道に出て左折。あとは木陰で、時折コントラストのきつい対向の難しそうな一本道を、所々にある穴に注意しながらひたすら走ると、やがて8:40に奥余野の駐車場に着く。
ここまで家から80分余り。一台だけ先行車がいたが、ガラガラでやや拍子抜けの感がある。清潔なお手洗いがあり、身支度を調える。森林整備の案内板には標高336.3mとあるが、地図では325mほどである。

          §           §           §

9時過ぎ、お手洗い脇から東海自然歩道の広い道を登り始める。瀬音の響く道はまもなく細くなって山道らしくなる。歩きやすい道だが、傾斜はそこそこあり、幅の狭い部分もあって結構汗をかかされる。案内板によれば、坎霞渓というのらしい。谷音が次第に弱まってなおも谷筋を登り詰めると、やがて明るいゾロ峠に飛び出す。ここまで30分余り。しばし休憩を取る。標高559mで、ここまでで、谷筋230m余りも登ったことになる。
1ゾロゾロ峠への道(明るいところが峠).jpg
〔1ゾロゾロ峠への道(明るいところが峠)〕

2ゾロゾロ峠.jpg
〔2ゾロゾロ峠〕

ゾロ峠とはどういう意味なのだろうか。案内板にはぞろぞろ峠と書いてあるものもあった。ぞろ目のゾロか、はたまた何かがゾロゾロ出て来るのか、他にあまり聞いたことのない地名だ。
ぞろ峠からは左へ少し大回りに尾根に取り付く感じで10分余り登り詰めると、南側が展望の良い尾根に飛び出す。錫杖ヶ岳かと思われる尖った特徴のある山塊が手近に望め、完璧な快晴に映えるスカイラインが美しい。この付近から結構風が出始めて、木立の中ではあるのだけれど涼しく感じるほどで、再び上に一枚着ていくことにする。
3倉部山への気持ちのよい尾根道.jpg
〔3倉部山への気持ちのよい尾根道〕

4錫杖ヶ岳(左奥の三角形)と経ヶ峰(中央最奥).jpg
〔4錫杖ヶ岳(左奥の三角形)と経ヶ峰(中央最奥)〕

          §           §           §

痩せた部分もあるけれど、楽しい尾根歩きが続き、少しだけ高度を稼ぐと、もう倉部山。南北の細長い690mほどの気持ちのよいピーク。
5倉部山の山頂.jpg
〔5倉部山の山頂〕
このあたりヤマツツジの赤い花が見事で見とれながら行くと、足下に白い花が落ちているではないか。近くにはそれらしい木はないけれどなあ、さて、と付近を見上げてみると、新緑に埋もれてしまって目立たなかったのだけれど、ひっそりと白い花を付けている木がある。この花はどこかで見た記憶がある、そう、丸い5枚の葉が特徴のこの木はシロヤシオに違いない。大峰で教えてもらった花である。まさかこんなところでお目にかかるとは思わなかった。1本見つけてしまうと、ヤマツツジほどではないけれども、結構あちこちに咲いているのがわかった。木立を抜ける風にそよいでなかなか焦点が定まらず、いい写真を撮るのは難しかったが、こうして気の向くまま目の向くまま、思ったところで思っただけの時間を取れるのは、個人の山行ならではのことだ。とはいえ、個人で歩いているだけでは、珍しい草木もそれと知らずに通り過ぎてしまうことも多く、それぞれに利点はあるものなのである。
6シロヤシオの見事な花(倉部山と・不鳥越峠の間).jpg
〔6シロヤシオの見事な花(倉部山と・不鳥越峠の間)〕

7シヲヤシオとヤマツツジと.jpg
〔7シロヤシオとヤマツツジと〕

8シロヤシオの花.jpg
〔8シロヤシオの花〕

9ヤマツツジの花.jpg
〔9ヤマツツジの花〕

10満開のシロヤシオ.jpg
〔10満開のシロヤシオ〕
細長いピークの木立でヤマツツジとシロヤシオの花を満喫したあと、次のピークの三国岳の間の鞍部に下りきる少し手前に、今日これから回る山々を一部にできる地点があった。正面には頭をちょうど兜のようにスパッと切った感じのユーモラスな印象の三国山を望み、その右手には那須ヶ原山への凸凹の稜線、左手にはこれから踏んでいく予定の忍者岳、加茂岳、油日岳のこれまた凸凹の山稜が見渡せる。
11鳥不越峠の手前より錫杖ヶ岳を望む.jpg
〔11鳥不越峠の手前より錫杖ヶ岳を望む〕

12鳥不越峠の手前より三国岳を望む.jpg
〔12鳥不越峠の手前より三国岳を望む〕

          §           §           §

下りきった鞍部が鳥不越峠。左前に油日岳が大きく、その左に甲賀方面の展望が素晴らしい。
13不鳥越峠より甲賀方面を望む.jpg
〔13不鳥越峠より甲賀方面を望む〕
ここから三国岳へは、岩をまじえた結構な傾斜の登りとなる。途中、左斜面の下方にシャクナゲらしい濃いピンクの大輪の花を見つけたほか、登って行く岩のそこここに、イワカガミの咲いているのにお目にかかった。最初、たまたま足下に、先日堀坂山で見たのよりはやや色の薄い花を3つほど見かけたのだったが、そのつもりで足下を見ていると、それこそあちらにこちらにも群生といってもよいくらいに特徴的な葉があることがわかった。そしてところどころに可憐な花を咲かせているのである。快晴の好展望に恵まれ、思いがけなくシロヤシオに出会い、そしてイワカガミの群生を目にし、もうこれだけでもここまで出かけてきたかいはあったと思う。
イワカガミに囲まれて漸く登り着いたところが三国岳で、北側の鈴鹿方面の展望が開けている。693mほどのピークである。案内板は690m)。ここで那須ヶ原山から続くいわば鈴鹿の主脈に出会うことになる。ここからは鈴鹿山脈の西のはずれに向かって歩むことになる。那須ヶ原山へは片道1時間半ほどという。機会があったら是非今度また縦走してみたい。
14三国岳付近のイワカガミ.jpg
〔14三国岳付近のイワカガミ〕

          §           §           §

三国岳は東西に細長いピークだが、最高点は西端にあって、今登ってきた南側もこれから向かう油日岳への周回コースの西側も、いずれもスパッと急傾斜に落ちている。中でも西側は急で、初めは相変わらずイワカガミがあちこちにかたまって生えているザラザラの滑りやすい急斜面をあちこちつかまりながら降りてゆくことになる。
ここの降りについて、案内書にはこのコース中の最難関との説明があって、確かに歩きにくくはあるけれど、地図で見る限りそれほど鞍部まで高度差がある訣でもなさそうだし(地図ではせいぜい20m)、そこまでたいへんかなあと思いながら下り始めたが、傾斜も増す上に大きな岩もあってこれはやはりなかなかな降りだと認識を改める。最後はそれこそ穴の底に降りるような感じで岩の積み重なりを急降下し、望油峠に降り立った。
15望油峠への下り(下から見上げる).jpg
〔15望油峠への下り(下から見上げる)〕
望油峠、さてどう読むのか。俄にはこれといった相応しい読みが思い浮かばない。そもそもなぜ油なのか。ひょっとして油日岳のこと? しかしここからは次なるピークの忍者岳が邪魔をしていて油日岳は望めない。いまだに謎である。
望油峠急降下の途中で、今朝余野公園から駐車場までの道で追い越し、駐車場で追いつかれ、恐らくまっすぐ三馬谷方面へ向かったと思われる男の人とすれ違った。油日岳を廻って来られたのかどうかは定かではないけれど、結構なペースに違いない。

          §           §           §

望油峠から再び穴から這い出すように急傾斜の滑りやすい道を30mほど一気に上がる。道は次第に左にカーヴするようになり、右手に油日岳への尾根筋の道を分けると、すぐに忍者岳のあまり見晴らしのよくないピークに到着する。標高は案内板によると728m(地理院地図だと720m余り)。今日の最高地点である。命名は最近のものといい、甲賀の忍者に関わるのだとは思うが、謂われはよくわからない。
16忍者岳の山頂.jpg
〔16忍者岳の山頂〕
ここで今日お2人目の登山者と出会う。忍者岳は行き止まりでここの真っ直ぐ下らないようにだけは気を付けなくてはと思っていたその尾根を登ってくる方がいられたのである。もっとも駐車場の所を真っ直ぐ林道を辿り、そのまま正面の尾根を上がればここに到着するはずである。それでも頂部は比較的平らだけれど、その周りはストンと落ちているのでかなりたいへんだったはずだ。こちらがこれから油日岳へ行くところだと言ったら、道を間違えたみたいだと言っていられたけれど、そんなに息が上がっている風ではなかったので、もしかしたら一応のトレールはあるのかも知れない。
さて、件の方を忍者岳の残したまま、一足先に油日岳を目指して少しバックして、再び鞍部めがけて25mあまりを一気に下り、そしてまた20m余りを一気に登る。キレット状の場所だ。こにもまたイワカガミの群生が見られた。登り切ったところからの尾根道は痩せた箇所もあって、結構緊張させられる。来し方や鈴鹿方面の展望の良い地点も多く、凸凹はあるがそれほど苦にはならずに歩ける。
17鈴鹿主脈方面を望む(忍者岳の北より).jpg
〔17鈴鹿主脈方面を望む(忍者岳の北より)〕

18来し方を振り返る(忍者岳北のピークより三国岳方面).jpg
〔18来し方を振り返る(忍者岳北のピークより三国岳方面)〕

19痩せ尾根の通過(忍者岳・加茂岳間).jpg
〔19痩せ尾根の通過(忍者岳・加茂岳間)〕
その細長いピークの真ん中辺り、パットしない高まりに加茂岳の導標があった。その西の700mほどのピークからは再び30m位下って鞍部に降りる。ここから地図にはない油日神社へ導く導標がある。この辺りだったかと思うけれど、小学生らしい男の子と女の子を連れたお父さんとすれ違う。子どもの声が聞こえてあれっと思い、まさかと思っていたら、本当に子どもたちが現れて驚いた。これから先結構たいへんだろうになあと思う。

          §           §           §

細長く続く鞍部から最後の登りを上がるとそこはもう油日岳(693m)だった。12時半くらいの到着。神社の脇でお昼にする。30分ほど休憩する。見晴らしはあまり良くないけれど比較的明るい山頂である。神社の手前に三馬渓方面への導標を確認する。神社の左側には「岳大明神という大きな標注があり、「油日荒魂神/相殿罔象女神」とあった。油日荒魂神は油日神社の祭神で、油の火の神、ミズハノメの神は灌漑用水や井戸の神とのことである。
20油日岳の山頂.jpg
〔20油日岳の山頂〕

21油日岳山頂の岳大明神.jpg
〔21油日岳山頂の岳大明神〕
山頂から北西側へ一段降りたところに小屋があって、参籠のための施設、兼避難小屋とのことだが、その前が比較的開けていて見晴らしが良さそうなので、また戻って来なくてはならないけれども折角なので少し降りてみる。これが大正解だった。
甲賀方面が一望のもとで、それだけではなく、左は上野の盆地から、右は東近江方面が一望のもと。遠方には見覚えのある三角錐が遠望されるではないか。三上山である。ということは、その遙か向こうに霞んでいる高い山々は、比良山系に違いない。不思議な角度で展望が利くものと感心する。ちょうど琵琶湖の東岸の湖岸線に平行に視界が展開しているのである。
22日岳から琵琶湖方面を望む.jpg
〔22油日岳から琵琶湖方面を望む〕

23三上山と遠く比良山系を望む.jpg
〔23三上山と遠く比良山系を望む〕

24油日岳からのパノラマ(伊賀盆地から琵琶湖方面).jpg
〔24油日岳からのパノラマ(伊賀盆地から琵琶湖方面)〕
残念、鈴鹿の山々は無理かと思って諦めようとしたら、さらに少し降ればもしかしてと期待を抱かせる雰囲気だったので、頑張って下ってみると……、これまた大正解だった。鎌ヶ岳、御在所岳、そしてぬっと大きな図体の山は、地図で見ると雨乞岳だろうか、木々が邪魔をして、これらの山々を一度に見るのは難しいけれど、少しずつ位置をずらせばそれぞれを展望することができる。ほんのちょっとのことで、随分と見え方が違ってくるものだ。これも時間に余裕があればこそのことである。
25油日岳直下から鈴鹿方面を望む.jpg
〔25油日岳直下から鈴鹿方面を望む〕

          §           §           §

名残惜しいが再び山頂の神社前に戻り、三馬渓方面の案内に従って、尾根を西に下る。じきに尾根通しに下る道から左へ谷に降りる道が分岐し、今日はこちらを選ぶ。道は谷筋に向かって一気に下る急傾斜な道で、まもなく瀬音が聞こえてくるようになり、降り立ったところには、谷筋に沿って遡ると、忍者岳・加茂岳に至るとの導標がある。
ここからは沢に沿って下るようになり、左から合わさる谷筋と一緒になったあとは、何度か沢を渡り返す。水量の多い季節だとちょっと難渋するかも知れない。一箇所だけハシゴのかかるところがあるが、どうということなく通過できる。沢から離れて高巻きする箇所もあり、そういうところは滝があって、何段にも連続する滝が美しいが、一度に全体を眺めるのは難しい。三馬谷滝はこれらの総体をいうのだろう。
26三馬谷滝.jpg
滝を過ぎると、渓谷歩きも先が見えてきて、まもなく休憩所があり、舗装道に飛び出す。今朝車を駐めた駐車場のさらにドン付きにあたり、駐車場にあったのと同じ保全林整備の際の大きな看板があり、下ってきた道が三馬谷渓谷入口、左から合わさる道が三国岳、不鳥越峠方面への導標がある。ここから舗装道をのんびり15分も下って今日の山行を終えた。
山では3組5人、ほかに駐車場の手前でバーベキューをやっている家族連れがひと組いただけ。下ってくると、連休中の余野公園の駐車場はさすがに満杯で、結構賑わっていたが、山旅としては至って静かな1日だった。
〔26三馬谷滝〕

          §           §           §

折角だからということで少し走って、甲賀市の油日神社に立ち寄る。本当は余野公園から見る油日岳が素晴らしいのだが(案内書の載っている写真は多分そうだろう)、結構な人出のなかわざわざ降りる気もせずに走り出した。幸い油日神社への途中、絶好とまではいかないものの、結構きれいに油日岳が望める地点があった。
27油日神社へ向かう道からの油日岳遠望.jpg
〔27油日神社へ向かう道からの油日岳遠望〕
さて、行き着いた油日神社がまた静かで、参拝客が数組いるだけ。至ってのんびりとした神社だったが、回廊を伴う白木の素朴な楼門(1566年)と拝殿(桃山時代)・本殿(1493年)の建物は壮観で(いずれも重要文化財)、見応えがあった。普通に南を向いた建物で、南東方向にある油日岳とはいったいどういう関係になるのかよくわからない。神社から油日岳が望めるという訣でもない。神社の参道の南の道路から東に望めたのは、あれはむしろ那須ヶ原山ではないだろうか。
28油日神社楼門と回廊(内側から).jpg
〔28油日神社楼門と回廊(内側から)〕
帰途はやぶっちゃの湯で汗を流してくるつもりで、着替えの用意までしていたのだけれど、まだ15時を少しまわったところで、今から帰れば日の長い今なら明るいうちにワンコたちの散歩にも行けるということで、今日は温泉は割愛。南山城村の道の駅で、先日美味を堪能した抹茶とサクラのソフロクリームをいただくだけにして、比較的コンパクトでありながら、変化に富んで楽しかった行程を振り返りつつ、一路163をワンコたちの待つわが家へと向かったのだった。
【追記】
ラベル: 季節
posted by あきちゃん at 21:53| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年05月03日

BWV146の男声デュエットからコラールの海へ

連休の谷間の平日、3年ぶりに出勤した。2年続けて台湾で連休を過ごしたけれど、連休前半は家でのんびりし、帰省(といっても大阪からだが)した娘と家内と3人で、163号線を車で40分ほどのところの伊賀市島ヶ原にある温泉に10年ぶりくらいに出かけたりもした。途中去年開店したばかりという南山城村の道の駅で、思わぬ楽しい時間を過ごせたのも大収穫だった。山の帰りに立ち寄る温泉も最高だが、温泉だけを目的にふらりと出かけるのも悪くない。

          §           §           §

教会暦順に聴くバッハのカンタータは、今年も至って大らかな聴き方を続けていて、復活節以後の揃いも揃った名曲のラインナップにはとてもついて行けておらず、今年は聴き逃してしまう曲も多くなってしまいそう。そんな中で、私的には思わぬ発見があった。もちろんぼくが単に知らなかっただけのことなのだが、こんな偶然もあるものなのだ。
今年は4月22日だった復活節後第三日曜のカンタータは、BWV12、BWV103、BWV146の3曲で、この中ではBWV146は録音も少なく、ほとんど全集でないと聴けない曲の一つである。それで、季節の進みに置いて行かれることなく何とか間に合って、例によってガーディナーのカンタータ巡礼のCDでこの3曲を聴く機会に恵まれたときにも、3つめの最後の曲ということもあって、特に意識して聴こうとした訣ではなかった。
1曲目のシンフォニアがチェンバロ協奏曲第1番ニ短調BWV1052の第1楽章のパロディーで、その巨大な力に圧倒されてしまう。そのため、そのあともその重さをずっと引きずってしまいがちで、そのまま何気なく聴いてしまいそうだった。
ところが、7曲めに埋もれていた曲に、ハッと目を覚まさせられてしまったのである。あのなつかしいテノールとバスの男声のデュエットである。初めて聴いたとき、どこか切なくなつかしいメロディーが一聴して耳に焼き付いて離れなくなってしまったあの曲だった。調べてみたら、もう3年半も前のこと。去年、一昨年は聴いたのかどうか、よく思い出せないけれど、脳裏に刻まれて残っていたのである。

          §           §           §

で、今日の話はこのデュエット自体が主題ではない。でも、この曲を聴かなかったらなかった話ではある。この曲の次の第8曲、BWV146の終曲はコラールで、原典に歌詞は伝わっておらず、「Freu dich sehr, o meine Seele」《大いに喜べ、おお、わが魂よ》という歌詞・表題のコラールと推定されている。メロディーは非常にわかりやすく親しみやすいもので、デュエットのあとを締め括ってBWV146を終える曲として、その優しさが印象的である。それで今年このメロディーは今回デュエットとセットで記憶に留められることになった。
それだけならば、どうということなくすんだのであるが、それから暫くしてふと聴いていた別のカンタータで、全く同じメロディーが耳に飛び込んできたのである。それは顕現節後第一日曜のカンタータBWV154の第3曲である。今年ふと気が向いて、いいなと思ったカンタータの曲を、新春からプレイリストに入れ始めていた。それをたまたま聴くともなく聴いていたら、印象深いメロディーが登場してびっくり、ということになった訣なのである。本当に偶然のこととはいえ、衝撃的な体験だった。
そこで、早速、葛の葉さんの「バッハの教会カンタータを聞く」(http://www.kantate.info/)や、ノラさんの「♪バッハ・カンタータ日記 ~カンタータのある生活~」(http://nora-p.at.webry.info/)、大村恵美子・大村健二『バッハ コラールハンドブック』(春秋社、2011年)などを参照させてていただいて調べてみると、BWV154第3曲は、「Jesu, meiner Seelen Wonne」《イエスよ、わが魂の喜び》という歌詞・表題のコラールで、実はBWV146第8曲のコラールも、このBWV154第3曲のコラールも、たまたま同じメロディーで歌われているけれども、このメロディーは本来別のコラールのメロディーとして知られているものであって、いずれもいわば替え歌の一つだったことがわかった。

          §           §           §

それでは元歌は何かというと、「Werde munter, mein Gemüte」《目覚めて確かなれ、わが心よ》というコラールで、BWV55のカンタータの第5曲のコラールと、そしてこれは全く意外だったのだが、BWV244、すなわちかのマタイ受難曲に含まれる第40曲のコラールとして歌われていたのである。
BWV55のコラールの方は、実際に聴いてみて、ああそうかこんなところで歌われていたのか、で済むのだが、マタイの方は全く予想外だった。当然終曲という訣ではなく、途中に挿入されるのだが、第2部の第40曲として登場する。それはペテロの否認のところで、「憐れみ給え、わが神よ」の、抜粋版にも必ず入っているあのアルトの著名な深沈としたアリアの直後に歌われていたのである。
そのためか、今回改めて聴いてみて、確かにその気で聴けばBWV146の第8曲と同じメロディーに違いはないのだけれど、長調で歌われているにもかかわらず、直前のアリアの雰囲気を重く引きずっているように思えてならなかった。もっとも、それは単に連続して演奏されるからだけではないようにも思う。単独で1曲だけ取り出して聴いても、BWV146の方は明るく優しい締めくくりになっているのに、マタイの方は悔いと不安を引きずったまま終わるのである。何か絶対的なものがあるようにも感じられた。

          §           §           §

今回の話はさらにもう一つのおまけが付く。BWV146の第8曲(終曲)やBWV154の第3曲のコラールと同様に、このメロディーを使っているこれらと同類の替え歌として、もう一つ意外や意外なものがあったのである。それは、これまた著名なあのカンタータの、しかもそれを著名ならしめている、だれでも知っているといってもよいあの3連符のメロディーとともに登場するのである。BWV147「主よ、人の望みの喜びよ」の、第6曲と第10曲のコラールである。
「主よ、人の望みの喜びよ」のコラールのメロディーは、最初に現れる3連符のモティーフがあまりにも印象的なために、ぼく自身がそうなのだけれども、あとから登場する肝心のコラールのメロディーよりもむしろはっきりと心に刻まれてしまい、コラールの印象を薄れさせてしまう。そのため、BWV147にBWV146のコラールと同じメロディーがあると言われても俄には信じられなかったし、実際に聴いたあとでもすぐに納得という訣ではなかったのである。理由はいくつかあって、この3連符のいたずらと、もう一つは一拍めが2倍に延ばされて、拍子が3拍子になっているところにあるのだろう。

          §           §           §

こうしてBWV146のコラールを媒介にして、マタイとBWV147とで共通のコラールがあることをぼくは今回初めて知った。まさに素人の浅はかさではあろうけれど、同じメロディーがほんのちょっとの工夫で全く異なる印象の曲になる、まさにバッハの作曲の妙というか、魔法の粋というか、それに触れられた気がして大きな感激を味わったのだった。
今回ぼくが体験したようなことは、きっと物の本には詳しく紹介してあることに違いない。しかし、それを偶然の要素が強いにせよ、また参考書のお世話になったにせよ、自分で調べて納得したその感激はまた一入のものがある。そしてそのきっかけを与えてくれたBWV146のテノールとバスのデュエットは、ぼくの脳裏の引き出しの中で、益々燦然とその輝きを増したのだった。
posted by あきちゃん at 01:28| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年04月28日

春の伊勢三山堀坂山・観音岳

伊勢三山と呼ばれる山の一つ、松阪の堀坂山から観音岳を周回するコースを訪れた。白猪山に一昨年の正月局ヶ岳に昨年初夏と登ってきて、伊勢三山としては締めということになる。いつもの山の会としては最も東といってよいフィールドである。
2時間半ほどバスに揺られて行き着いた松阪森林公園から歩き始める。車道を少し登ると、左へ上がる舗装道があり、これを辿る。植林帯を行く結構な傾斜の道を約30分、道が二手に分かれるところから、その間の尾根に取り付く。堀坂山への入口との明示があり、道はわかりやすい。
ここから、堀坂山から東に伸びる尾根に向けて300m余り、一気に高度をかせぐ。木の根の出た急傾斜の道で、硬い林道歩きで結構へたばっていた身にはこたえる。この季節にまさかと思っていたほどの汗をかかされる。もらっていた地図をよく見ると、大汗坂と書いてある。そういう名だとすれば言い得て妙だ。
ここは雲母坂という名があるらしい。実際に歩いてみて納得した。というのも、へたばりつつ下ばかり見て登っていると、時折キラリと光るものが目に飛び込んでくる。アルミ箔かビニールの破片が捨てられているのだろうか、とややげんなりしていると、大きな透明に光る塊もあるではないか。そう、キラキラ光るのは、雲母だったのだ。塊は石英。風化した花崗岩の成分が散らばっているのである。よく見れば、足下の岩も大半が花崗岩だ。まさに雲母坂である。

          §           §           §

さて、登り着いたピークは510mほどの標高で、ここからは明るい尾根道を上り下りしながら少しずつ高度をかせぐようになる。岩も交え、痩せ尾根もありと、変化に富んだ面白い尾根歩きが楽しめる。今回の山歩きのハイライトのひとつといっていいだろう。
「雲母谷の高」という山名板がかかる2つ目のピークを越し、なおも徐々に細い稜線を登りつめて行く。この東西方向の尾根の最後は、90度方向を違えたこれまた細い南北の尾根に取り付く感じになっていて、取り付き部を斜めに右(北)に駈け上がる形で尾根に上がり、左(南)に戻るように進む。地図にスイッチバックと書いてある意味が実際に歩いてみてやっとわかった。
この南北方向の尾根はわずかで、まもなく正面の丸いピークを右に旋回して巻き、再び東西方向の尾根に乗る。 振り返ると、巻いたピークは見晴らしの良さそうな岩の重なりで、多分あれが堀坂山の雌岳と言われるピークだったのだろう。ほんのわずかなことだから、行かなかったのはちょっと残念な気がする。
ここから堀坂山の頂まではまだあと少し。細い尾根をしばらく平らに歩いたあと、いよいよ最後の100m余りの登りにとりかかる。ここまで、森林公園駐車場に結構な台数駐まっていたのに、下ってくる人に2、3人会っただけだったが、山頂直下でお弁当を広げているグループに出会った。それなりに登っている人はいたのだ。さあもうほんのわずかで山頂だ。

          §           §           §

待望の堀坂山の山頂は、ほぼ360度の展望が得られる。ことに、東側の松阪から伊勢方面の開けた眺めがことに素晴らしい。ただ、真ん中に石碑(正面に「奉書写大乗妙典」と刻んであってとあって、転読札のお化けみたいなものだが、実際に写経が行われているのだろうか。側面には、「一切衆生抜苦与楽身心堅固二世」云々と刻んであった)や堀坂大権現が鎮座しているので、ぐるっと回らなくてはならない。日差しがかなり強く、勿体なくはあるけれど、眺望をやや犠牲にして日影を選んで昼食をとる。
堀坂山から局ヶ岳と白猪山方面を望む.jpg
〔堀坂山から局ヶ岳(中央最奥)と白猪山方面(その手前)を望む〕
さて、山頂からは西に下るのだが、堀坂大権現があるためなんだか方角がわからなくなる。抉れたような道を少し行くと、観音さんがあるという。左へ巻き道もあったが、見えていることもあり、折角なので、少しだけよじ登って拝みに行く。
一見真新しそうなブロンズの仏像で、背後に銘文があって、「延宝八天」とある。なんと、17世紀、1680年である。350年近くも前のものだった。よく見ると台座にかけてびっしりと銘文がある。じっくり読んだら面白そうだが、時間もないので、写真で我慢する。意外と言ったら失礼だが、見かけ以上に深い信仰の山なのである。
写真によって読むと、「延宝八庚申天/六月朔日/奉納鋳造発坂山大権現御本地大日如来/国分寺/伊勢寺村/庄屋/家坂太良兵衛/念仏講中」などと読め、念仏講の構成員の名前がずらっと書いてあるようだ。「堀坂」が「発坂」と表記してあるのが面白い。「ほっさか」、という読みがここから確認できる訣である。

          §           §           §

いよいよ下りである。先ほど分かれた巻道と案外先で合流した後、初めは結構急な下りが続く。時折右手の木の間からさっき極めた堀坂山の優しい頂きが望まれる。少し傾斜が緩んだあたりに、山頂近くの大日さんによく似たブロンズの仏像が鎮座していた。休憩せずに通り過ぎたから詳細はわからないが、もしかしたら銘文があったのかも知れない。
約280m余りを下り切って堀坂峠の車道に飛び出す直前に鳥居があった。堀坂大権現の入口ということだろうか。だとすれば、昔からこちらが正面だったのだろうか。堀坂峠を越えたところには与原という開けた集落があるし、さらにその奥には、峠にも看板が出ていたが、飯福田寺という役行者が開いたとされる行場、伊勢山上がある。堀坂山に大権現が鎮座するのは、あるいはそんなつながりもあるのかも知れない。
さて、堀坂峠からは再び登り返しとなる。観音岳まで180m余りだが、ひとたび下りに慣れた身体にはかなりこたえる。言ってみれば、別々の山を二つ登るようなものなので、尾根に出るまでの標高差はわずか100m余りに過ぎないけれど、堀坂山への登り以上にしんどかった。
救いは、徐々に高度を上げるにつれ、堀坂山が顔をのぞかせてくれるようになったこと。先程の下りの時はまだその足下という感じだったが、そこはもう別の山に登っているという趣きであることもあって、左右に両手を広げた山塊として望めるので、立派なこと限りない。登ってきた山をこうして眺めながら歩める山行はそう多くはないだろう。周回コースならではの贅沢である。
堀坂山を望む(観音岳の稜線から).jpg
〔堀坂山を望む(観音岳の稜線から)〕

          §           §           §

観音岳の尾根筋に出てからも、細かなアップダウンが続き、7回程だというが、この小さなピークも数に入れてくれてだろうか、などと思いながらも、右手に相変わらず堀坂山の山並みを望みながら行く道は、疲れに比して足取りも軽い。最後はあっけなく観音岳の頂に飛び出した。東から南にかけての眺望に優れ、今日の起点でありこれから下ってゆく終点でもある森林公園がすぐ足下に望まれる。
観音岳から伊勢平野を望む.jpg
〔観音岳から伊勢平野を望む〕
しばし展望を満喫したあと、少し稜線を東に辿った地点で、もう今日は諦めていた花に邂逅した。淡い黄色のヒカゲツツジである。実は、この季節の堀坂山の売りの一つが、このヒカゲツツジだったのだが、ここまで全くお目にかかれずに歩いてきたのだった。それがもう稜線は終わりという地点に来て、思いがけず巡り会えて感激した。
観音岳山頂近くで邂逅したヒカゲツツジ.jpg
〔観音岳山頂近くで邂逅したヒカゲツツジ〕
よく見ると、地面に散り敷く方が多いくらい。もう花の季節を過ぎようとしているのだった。サクラばかりかツツジも追随して季節の進みが速いのだ。ここではもう一つ思いがけない花に出会えた。ヒカゲツツジの根本にひっそりと咲いたイワカガミである。前に一度だけお目にかかったことがあるだけの花だ。まさか、ヒカゲツツジとセットで咲いているなんて!
ヒカゲツツジの下のイワカガミ.jpg
〔ヒカゲツツジの下のイワカガミ〕
ヒカゲツツジに出会った地点は、ちょうど山頂を構成するピークの東端で、花たちの少し先には、デコっとした屋根付きの石碑風のものがあったものの、パッと見る限り文字は認められなかった。観音岳は、山名からして信仰の山なのに、およそそういう雰囲気からは程遠い感じがする。堀坂山も仏像の鎮座するまさに信仰の山ではあるのだが、参道にあたる堀坂峠からの道も、仏像を除けばさほど信仰の趣はなくて、森林公園からの東尾根は、至って明るく開放的な山道だった。

          §           §           §

さて、今日最後の下りである。観音岳は松坂森林公園な裏山のような位置にあり、さまざまなルートが設定されている。山頂に来るまでにも、いろんな名の付いたコースが分岐しているのに出会った。森林公園を起点として、観音岳だけで周遊コースを組むのも可能だろう。今日はここから尾根伝いに下ることもできるが、今回はヒカゲツツジのところからわずかに戻り、北に急な斜面を一気に下り、谷筋を辿るコースをとる。
最初の標高差100程は、かなりの確率で傾斜を一気に下る。登るのは手強そうなところだ。
傾斜が緩んで尾根筋に出ると、左側が谷筋になり、次第にこの谷沿いに下るようになる。そして小滝を眺めながらこの谷を渡って反対側の尾根を下ると、大滝から流れ落ちて来る流れと、小滝からの流れの合流点に至る。ここまで来ればあとは流れの左岸の高みを行き、最後にもう一度流れを右岸に渡れば、今日の起点のすぐ上の舗装道路に飛び出す。森林公園はもう指呼の間だ。
時計は4時を少し回ったところ。休憩を含め約6時間、距離にして9㎞余り、標高差は625mの充実した山旅となった。帰路は、姫石の湯で汗を流す。去年展望には恵まれなかったが見事な芍薬の花の応接を受けた学能堂山と、円頂が印象的な大洞山(こちらは未踏)の夕景が印象的だった。
【追記】
ラベル: 季節
posted by あきちゃん at 11:57| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする