2011年04月30日

信じて生きること

2年前の日記から
「2009年2月14日(土)
 (前略)
 ユルスナールの靴を再読し始める。何気なく読める、気取らない文章だが、これは本当に深い。初出時からすいぶんと手を入れているのだという。しかし、なんと自然で美しい飾らない文章だろう。練りに練った技巧を全然感じさせないのだが、実は完璧なまでに練られた文章なのだ。須賀自身の若き日の体験と、ユルスナールの生涯とその作品、そしてそれを訪ねる須賀の旅、それらがいったいとなって醸し出される全く得も言われぬ文体と世界。ハドリアヌスの廟の螺旋を昇り詰めていくくだりはまことに圧巻。ユルスナールの潜り抜けた精神の霊魂の闇と、ハドリアヌスの廟の廃墟の闇と、若き須賀が潜り抜けた霊魂の闇、それらが闇を潜り抜けた者だけが知る明るみに向かって描きあげられていく。信仰とはそういうことなのだろう。生きている間に闇を潜り抜けられたと実感できないまま死ぬ人もいる。須賀がいうブヌワさんの話。しかし、生存中がずっと闇であっても、それを未来を信じて潜り抜けていこうとして人には、死後に明るさが待っている。信じることによって、今を生きていくことができる。今を生きていくために、未来を信じる、それが信仰なのだと思う。日々、一つ一つに最善を尽くすこと、結局それが信じるということなのだ。
 須賀はユルスナールの靴で、自分に残された時間はいったいどれほどなのだろうか、と書いた。しかし、それでもなお、死が目前に迫るとき、私はまだ何も始めていないことに気付いたの、と言って喜んでいたという。何かをなしたと言って安心するのではなく、まだ何もなしていないこと、それをしかもそのままに受け取るのではなく、何も成していないということは、これからまだどんなことをでも成し得るのだと積極的にポジティブに認識すること、こんな素晴らしいことがこの世にあるだろうか? 死に臨んでそう言い切れるというのは、やはり信仰の力だろう。信じるからこそそう言い切れまた素直に喜べるのだろう。そんな人生をぼくも送りたい。」

今度の大震災で考えたことの結論は、結局自分に与えられた日々のつとめを果たしていくしかないということだった。当たり前の生活がいかに多くの歯車によって支えられていたかに思いをいたすべきだろう。そしてその歯車が欠けた時の脆さを歎く前に、自分自身も他の誰かにとっての歯車の一つであったことに気付くべきだろう。その人がまためぐりめぐって自分を支えてくれる歯車を支えているかも知れない。目に見える形ではなくても、ほかの誰かの役に立っていることを感じて生きるなら、生きることは希望になるだろう。自分が何もできないことの弁解に過ぎないのかも知れないが、2年前に考えたこと、「日々、一つ一つに最善を尽くすこと、結局それが信じるということなのだ」が間違っていないとするならば、ひとは信仰に生きるべきだということなるだろう。そして信仰とは、ひとがみな支え合って生きているということなのだ。それを見守ってくれているのが神なのかも知れない。
ラベル:読書 日常
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2011年04月23日

平城宮跡のサクラ

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今年の桜はどうしてこんなに見事だったんだろう? お水取りが終わってもまだ寒かったせいか、3月末とほころびが遅かった上に、その後の冷え込みもあって一段と長持ちもした。震災の鎮魂のように思われるのは考え過ぎだろうか……
桜、若い頃は大嫌いで、お花見の季節はいやでしかたなかったのだが、最近になって素直にきれいだと思えるようになった。そうえいば、去年も興福院の桜並木に思わず足を止めたこともあったっけ。桜の写真を撮ろうなんて、以前ならけっして思わなかっただろうが、今を残しておきたいという思いが日々強くなってきた。来年があるかどうか、明日があるかどうか、誰もわからないじゃない。でも、こうして写真を撮ろうと思うのは、明日がないと思うからではない。今の時間があまりに貴重だから……
ラベル:季節 奈良
posted by あきちゃん at 18:55| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2011年04月22日

中央線あずさからの八ヶ岳

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木曽路に入って残雪を目にした頃から、もう落ち着かない。松本盆地はまだかなり雪が残る。塩尻から左手に乗鞍、アルプスを遠望、右手に高ボッチから美ヶ原を眺め、松本であずさに乗り換えてUターン、再び塩尻から中央東線へ。高まる期待通りに、上諏訪へ下っていく時、前山の上に連なる雪を頂いた八ヶ岳の勇姿に感動。その後ずっとシャッターチャンスをねらったが、ケータイだし車中から窓越しでもあるし、なかなか思うようにはいかない。富士見からの下りに入り、小淵沢に近づいた辺りで撮ったものかと思う。阿弥陀岳が隠れて、ずいぶんおとなしい八ヶ岳だけれど、やっぱり感激の景色。その昔、高2の秋に夜行で飯森山に出かけた折の鮮烈な景色を思い出した。このあとも右の甲斐駒、北岳、鳳凰三山、そして最後は甲府盆地の向こう、御坂の上に聳える富士まで、ほんとうに応接に暇のない、心の躍るひととき。なにものにも勝る、最高の誕生日プレゼントだった。
ラベル: 鉄道
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2011年04月21日

ハイドンにはまる

セルのハイドンのボックスセットが届いてから、ずっとはまっている。ハイドンといえば、ワルターの奇蹟やシューリヒトのロンドンのロマンティックな名演や、前のめりの推進力のすばらしいヨッフムのロンドンセットがなつかしいが、初めて聴くセルのハイドンにはまいってしまった。LP時代から存在は知っていたが、もっと早くに聴くべきだった。清潔でかつあたたかい。奇蹟などワルターとは全く違う曲のように響く。セルの素晴らしさに圧倒されるとともに、ワルターの演奏が相当に個性的だったことに今更のように気付く。99番は最初にFMでエアチェックしたロジェストベンスキーが最高だったが(どこかでまた聴けないものか)、その後に聴いたクリップスもセルもどの演奏もみないい。これはやはり曲の魅力なのだろう。
ラベル:音楽 CD
posted by あきちゃん at 23:35| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

始めます

日記は長続きしたためしがない。数年前に正月から書き出したことがあったけれど、せっかく数週間書き続けたのに、データが消えてしまった。消沈して頓挫。その後再び書き出したことがあったが、結局続かない。でも読み返すと、ああ書いておいてよかったと思う。思考が保存できるから。
ラベル:日常
posted by あきちゃん at 23:15| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする