2011年09月24日

『故郷の風景』を読む

町の学校に通う中学2年生の「わたし」は、西の集落の、町から遠い方の端にある家で、両親と妹と四人で住む。海岸にも近く、田圃や畑が間近に広がる。そんなちょっと前まであたりまえだった、日本の故郷の風景を背景としてゆったりと流れる時間。自然を恐れ、慈しむ日々。その中に散りばめられた季節のさまざまな行事。ぼく自身はこういう風景の中に住んだ経験はないのに、それがどこにでもあったと感じ、なつかしさを覚えるのはどうしてだろう。ぼくが年を重ねたからか、それともこういう風景の中に生きてきた祖先の血がそうさせるのか。

佐藤正英著『故郷の風景 もの神・たま神と三つの時空』(ちくまプリマー新書145。筑摩書房、2010年9月刊)をタイトルに釣られて買ったのは、刊行間もない去年のことだったと思う。最近ようやく読む機会を得て、何とも不思議な読書経験を味わった。なぜもっと早くに読まなかったのか……

軒下の巣にかわるがわる餌を運ぶ二羽の親燕、夕方から出てきた風になる裏の雑木林、海のかなたを一瞬青白く照らす音のない稲光、沖合から伝わってくる地を這うような海鳴りの重く沈んだ響き、軒先に吊した干し柿を照らす朝の日射し、底冷えのする参道や露天の屋根を打つ突然の霰……、どの頁をめくっても、そんなどこにでもある(あった)何気ない日本の風景が散りばめられている。
1頁を割いてささぶねの作り方を図解した頁がある。これならぼくでもよく知っている。誰に教わったのかもわからないが、こんなに簡単に船ができるんだと驚き、感激したことだけはよく覚えている。今の子たちにはこの気持ち、わかるだろうか。
時折、「わたし」にとっての大きな出来事が挟み込まれる。でもそれも日常を彩るごく自然な時間の一コマに過ぎない。鎮守の森や池、きらめく大川の川面、街道の町並みや火の見櫓、そして波止場に停泊する汽船や岬の灯台の向こうにかすむ水平線を見た阿弥陀ヶ峰への全校遠足、まだ暗いうちに起き出して地蔵堂の祖父(母方の祖父をこう呼ぶ)に連れられて外海に漕ぎ出した和船に乗る経験。帰り際にすんでのところで雷雨に見舞われそうになった、みい小母さんに連れられて行った岬の妙見菩薩へのお参り。

「わたし」の故郷の風景2.jpg
〔「わたし」の故郷の風景―本書の挿絵から〕

春に都会から転校してきた鈴見さん。家族で往き来し、阿弥陀寺の縁日や海水浴に出かけたりもする。茄子や胡瓜のトゲにのことをちょっと得意げに鈴見さんに注意する「わたし」。この本の終わりで、彼女がまた都会へ戻ることが告げられる。「わたし」が感じた鈴見さんのよい匂いが、「わたし」の鈴見さんへの気持ちを暗示するけれど、何事も起きない。この本の中では鈴見さんも一つの風景にすぎないのだ。「わたし」の淡い恋心さえも。そして、「流れのおっちゃん」の突然の死や、「わたし」の父の口を通して語られる「流れのおっちゃん」の過去でさえも。
著者は、記憶なので適宜美化され感傷に彩られていると謙遜するけれど、著者の筆致はけっして感傷におぼれて崩れたりすることがない。そこが小説として読むには平板で面白くないという印象も与えかねないのだろうが、厳しく抑制された清潔な筆致であればこそ、故郷の風景を価値観に邪魔されることなく描き切ることができたのではないか。

中高生向けに書かれた本にしては文章が硬いとか(「…である。」「…のである」が多い)著者がこだわる「もの神」と「たま神」(著者が真に伝えたかったのは実はこのことなのだが)がなかなか理解しにくいとかいうことはあるだろう。また、故郷を流れる三つの時間の説明も、ぼくの頭にはなかなか理解できない。けれども、そんなことは抜きにして、春の章、夏の章、秋の章、冬の章と季節の足取りに託して語られる、淡々とした叙事詩のような文章を素直に読み、日本の原風景を感じ取ればそれでよいのだと思う。何度も読み返すうちに、著者の真意を理解できる日もきっと来るに違いないという気にさせる何かをこの本はもっている。「私」とは何かを考える手がかりが得られそうな予感がこの本にはある。

町の理髪店の二階に下宿している先生に連れられて出かけた町のお花見の話の中で、さりげなく語られるエピソードがある。江戸時代、お花見の日に町を襲った津波の犠牲者のたまをまつる塚がある。跡形もなくなった町にただ一つ残った枝垂れ桜。この町のお花見がひときわ賑やかで、人々が桜の花を大切にしているのは、お花見の日が犠牲者のたまをまつる日でもあるからだと先生が語る。津波の記憶は、故郷の原風景とともに日本人の脳裏に刻まれていたはずなのだ。
タグ:読書
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2011年09月23日

台風15号の置き土産

台風15号が列島を縦断した日、春日山に雲がかかる珍しい光景が見えた。山頂に向かって芝地が斜めにのびる若草山(三笠山)、その右後ろに一段高く聳える春日山(花山)、その右下にお椀を伏せたような御蓋山(春日山)。これらは名前の区別も曖昧なくらいで、遠望すると普通には一重にしか見えない。特に日中ののっぺりとした光だとなかなか区別が難しい。見分けるには、夕方か、むしろ天気のあまり良くない日の方がよい。とはいっても、本当に天気が悪いと今度は山全体が煙ってしまって遠望どころではなくなってしまう。なかな好望には恵まれないのだ。
ところが先日はちょうど御蓋山の山頂くらいより上が雲に隠れ、御蓋山と春日山の前後関係と上下関係をよく見分けることができた。一方、若草山は山頂が軽く隠れる程度で、春日山本体、つまり花山あたりは完全に雲の中だった。台風が浜松付近に上陸したあとで、奈良は雨があがって風だけが残る状態で、埃が吹き払われたのだろう。空気が比較的澄んでいたため、山頂は雲に覆われているのに、例の大仏殿と二月堂の三角屋根が手に取るように見えるという、滅多にない光景にお目にかかることができたわけである。

雲に隠れる若草山.jpg

奈良盆地の西に聳える生駒山の場合は、山頂が雲に隠れている景色をよく見る。地図で調べてみると、それが640mあまりある生駒山と、340m程度の若草山の違いのようだ。御蓋山も300m弱なので、先日はちょうど300m位の高さまで雲が降りてきていたということになる。500m位の高さのある花山の先端だけ隠れるという景色もあまり見たことがないから、生駒山との150mの違いが、雨を降らさずに雲を頂くかどうかの境目ということになる。
不断東の春日山と西の生駒山を何気なく眺めているけれど、あまり高さの違いは意識したことがない。近くにある春日山に比べて遠くにある生駒山が高いからなのだろう。台風の置き土産に、うまくできたものだとひとしきり感心した次第。
その生駒山も、奈良から見るのと、大阪から見るのとでは全然違う。0mから立ち上がっていく大阪側と、盆地の60mあまりから立ち上がる奈良側の違い、この60mの差はやはり大きいのではないだろうか。東生駒あたりから眺める生駒山も巨大ですばらしいが、生駒トンネルを抜けて石切から枚岡・瓢箪山あたりのカーブを経て大阪へ駆け下っていく雄大な景色(その逆の生駒山の眺めも)は絶景だ。奥羽本線で板谷峠を越えて福島に降る赤岩から庭坂にかけてのカーヴを思い出してしまう(その頃は新幹線などまだ通っていなかった)。
タグ:季節 天気 奈良
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2011年09月17日

手紙のまとめ書き

もともとけっして筆まめではなかったところへもってきて、年とともに無精が加わって、最近ちょっと悲惨なことになりつつある。書かないわけにはいかなくなった手紙をまとめて書かざるを得ない羽目に陥ることが多い。今日も3通の封書と5枚の葉書を認めることになった。切羽詰まらないと動かないのは本当に困った性分。何事もたまってほしくないものはいくらでもたまるし、たまってほしいものは全くたまらないのが世のならいらしい。

メールで済ませてしまうことも多くなったけれど、やっぱり手紙には手紙ならではのよさがある。ポストに投函する時の祈るような気持ちは、送信ボタンのクリックでは味わえないし、自分が受け取る立場になった時のことをを考えると、書いた人の顔の見える直筆の手紙を受け取るに勝る喜びはない。何でもメールでやりとりしてしまう今の子たちには、速達が届くのを今か今かと待ち侘びる期待と不安は理解してもらえないのだろうか。そうした微妙な間合いが人生の機微を生み出すと思うのだけれど……

文は人なり、そして、文字は人なりなのだとつくづく思う。上手、下手に関係なく、真心の伝わってくる文字、文章というのはあるものだ。ひと手間かけて書き、ひと手間かけて読む、そうした心のゆとりをもち続けたい。時間をかけて醸成しないと生み出され得ないものというのは確かにあるはずだ。効率ばかり追うのでなく、無駄と思える部分にこそ大切なものが潜んでいるのではないだろうか。敢えて言えば、文化とはそういうものなのだと思う。

もちろんまとめ書きは避けるに越したことはないけれど、相手の顔を思い浮かべながら、自分の文字・文章を綴る手間を惜しまないように、これからも心がけていきたい。
タグ:日常
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2011年09月15日

中央線の山旅と父―夢の記憶2

長い夢だったことは覚えている。起きてすぐ書き止めていたならもう少し覚えていたかも知れない。でも、悠長な時間を平日の朝に求めるのはどだい無理な話だ。まあ今晩覚えていたらそれだけメモっておけばいいや、と割り切って一日を過ごす。
昼間は夢のことなど全く忘れていたけど、昨日の夢のこと結構記憶に残っている。書いてみようか。何がきっかけだったのかよくわからないが、ふと思い立って山登りに出かけるべく中央線に乗る。ということは当然起点は東京。じゃあ行ってくるからと、母に声をかけた覚えはある。山登りに行くことになる前段があったはずだが記憶がない。単独行で山に行ったことは数えるほどしかない。中央線で行ったとしたら、高校の文化祭の代休を使っていった飯森山(八ヶ岳の展望台。霜柱を踏んで登った山頂からの八ヶ岳の凛とした美しさに我を忘れた)、夜行で行った美ヶ原、そして途中で登るのを断念した茅ヶ岳(日本百名山の深田久弥最期の地)くらいだから、そのどれかが記憶に引っ掛かっているのだろうか。
電車の中、なぜかぼくの右隣に父が座っている。ベンチシートの通勤電車のはずだったのに、ボックス型の急行の座席になっていて、進行方向を背にしている。四半世紀も前のある夏の日、父を助手席に乗せて中央道を走り、甲府まで出かけたことがあったが、あの時とよく似ているなと思い始めている。不断億劫がることの多い父だったが、この時はじゃあ行くかとあっさり誘いに乗ってくれた。朝だったはずなのに、いつの間にか外は夕闇。今から行ったってライトもなしでは登れるはずがないと思い始めている。それなら、どこかまで行ってUターン(電車なのに)してくればいいなと思う。それならば松本まで行って来ようか。茅野あたりでもいいかな、と思ったような気がする。そうなら、最初に目指したのは八ヶ岳だったのか。松本まで行って戻ってくるというのは、今年の2月名古屋から中央西線で松本まで行って、特急を乗り継いで甲府に出かけたのが記憶にあるからかも知れない。もう夜になっていることなどすっかり忘れている。
松本に着いたのかどうかはわからない。次の場面で、両親と、山形の母の実家の伯母夫婦と、全部で5人、あずさで新宿に向かおうとしている。特急券を買って乗り込む。ところがその特急券が、紙ではない。立体的な、そう、あれはなんだろう? チョコボ-ルのような、ガムのような長方形の容器になっている。素材はプラスチック。発車時刻が迫っている。まあとにかく乗り込めばいい。座席はそれから探せばいい。乗ってからでも遅くない。ところが、乗り込んで切符を見てみても、座席の号車も番号もどこにも書いてない。容器をカチッと開けるとそこに書いてあるかも、と思って開けてみても、やっぱりわからない。そうこうするうちに場面が少し飛んで、所定の席のそばを通ると、その変な切符が音を出すことががわかる。なんだ、そんな仕組みだったのか。妙に納得している自分がいる一方、じゃあどうやってその正しい席まで行くんだ? 列車の端から端まで歩けというのだろうか。などとぶつくさ言っている。でもいつの間にか、5人ともちゃんと指定された席に座っている……その先もまだ夢は続いていたらしい。東京に着いてからのこともあったようだが、もうこれ以上は全く思い出せない。
6時半の目覚ましで起きる直前まで見ていた夢のような気がするけれど。目覚ましが鳴らなければ、もう少し続きを見ていられたのに。こういう後悔をすることって結構よくある。父が亡くなって1年と10ヶ月が経つ。時折こうして夢の中で顔を見せてくれる。何を話すというわけでもないけれど、物静かにそばにいてくれる。今回の夢の登場人物も、父を除いては、みな今生きている人ばかり。海外出張中に一人息子に何も声をかけずに一人でさっさと逝ってしまった父(母でさえ間に合わなかった)。夢の中の父は、いつも何も言わず、いつも照れ臭そうにしている。
タグ: 鉄道
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2011年09月08日

再びハイドンにはまる

バーンスタインが60年代にニューヨーク・フィルを振ったハイドン交響曲集が届き、セルが残さなかったパリ交響曲集や、100番から103番など、ロンドンセットの終わりの方から、少しずつ聴いている。バーンスタインというと、たっぷりと思いを込めた(粘着質といいたいところだが、粘ってもてベタついた感じが全然しないから不思議だ)演奏を想像しがちだが、爽やかでで楽しく、ワクワクする演奏だ。もちろんニューヨーク・フィルとうこともあり、今ではあまり聴かれなくなった重量感のある骨太の演奏で、たっぷり鳴らしているのは確かなのだけれど、けっしてうるさくない。セルとは別の意味で端正なのである。いいとは聞いていたが、紛れもない一級品だ。バーンスタインには失礼だがこれまでとは思わなかった。

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〔バーンスタインのハイドン交響曲集のCDジャケット〕

100番「軍隊」。これにはワルターのヴィーン・フィルを振った歴史的名盤や、晩年のコロンビア交響楽団とのステレオ録音のこれまた超名盤がある。しかし、バーンスタインの演奏はそれに匹敵する名演だと思う。この曲は、けっして軍楽隊の音楽ではなく、軍隊というニックネームのお蔭でずいぶん損をしている。実際は、101番「時計」と並ぶハイドンの交響曲の最高峰といってよい(103番と104番は、さらに高みに昇った曲だとは思うが、完成度という点では時計・軍隊には及ばないと思う)。バーンスタインの演奏は、そうした曲本来の持ち味をとてもよく表現していると思う。ああ、いい曲だな、と素直に思える演奏だ。打楽器が盛大に鳴るのはご愛嬌というところ。
82番「くま」。パリ交響曲のトップを飾る名曲で、かのマタチッチも特異としたという曲。巨漢のマタチッチが「くま」を指揮するところなど、想像するだけで愉快だ。ぼくはこの曲を岩城宏之指揮のN響で聴いた。ハイドンらしいユーモアたっぷりの曲で、バーンスタインにもうってつけ。文句なく楽しめた。ただ、曲と演奏のすばらしさを伝えるのには、ぼくの言葉はあまりに貧相で自分でももどかしい。
ハイドンの演奏は難しいのだという。通り一遍の演奏はできても、そこを超えるのがたいへんだ。同じように曲が素晴らしくても、だれが演奏しても曲の素晴らしさが前面に出てくるモーツァルトと違い、ハイドンの場合演奏家を選ぶ。演奏家によっては、曲が表に出て来ず、至極平凡な曲で終わってしまうのである。バーンスタインのように曲にのめり込むタイプの感情移入の激しい指揮は、ハイドンには不向きのように思えるのだが、バーンスタインの演奏は、彼の体臭をほとんど感じさせない、何よりもハイドンを前面に浮かび上がらせた清潔な演奏になっているから不思議だ。ただ、98番だけは、今まで聴いたことのない遅さに驚いたところで、その意味をいまだに考えあぐねている。
とまれ、またハイドンにはまり始めた。
タグ:音楽 CD
posted by あきちゃん at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする