2012年04月27日

個性あるサクラたち

仕事場の窓の前にサクラの木が何本かあり、この季節はいわば花見をしながら仕事ができる。以前はサクラがあまり好きでなかったこともあって、特に気に止めることもなかったが、ここ数年毎年開花を楽しみに待つようになってきた。
葉の出る前に淡いピンクの花を付けるソメイヨシノが多い中に、ぼくの目の前の一本だけはどうも種類が違うらしい。花の色はソメイヨシノ風だが、わずかに葉が芽吹いてから、他のサクラよりも遅れて咲き始める。しかも伸び始めた葉にすぐ花が隠れてしまうし、どうも咲いている期間そのものが短いらしい。今年も、長く厳しかった冬を潜り抜けて今週になって咲き始めて一昨日満開になったと思ったら、昨日の雨で今日はもうほとんど葉桜になってしまった。
記憶を辿ると、このサクラはかつては花が付かなかった。周囲のソメイヨシノが毎年清楚に花を競い合う中で、いつもあとから葉を出すだけだった。それがある年突然花を付けたのである。それから毎年、いつもタイミングをずらせて花を咲かせるようになった。遠慮がちにあとからそっと咲き出し、いつのまにか葉桜になって他のサクラに紛れてしまう。咲き遅れるのが自己主張と言えば言えるのだが、このサクラの場合はどうも精一杯がんばっても他のサクラよりも遅れてしまう、そんな雰囲気を漂わせている。葉桜のタイミングでやっと追い着くそんな風情なのである。なんともまあ謙遜なサクラであることよ。それはいじらしくさえある。それからぼくは、毎年このサクラが無事咲いて葉桜になるのをみて、ホッとするようになった。他のサクラとちょっと違うけれど、それがこの子の個性なのである。それに気付かなかったぼくはそれまでほんとうに迂闊だった。
何本かあるソメイヨシノたちも、毎年よくよくみていると、どうも咲き始める順番が決まっていることもわかってきた。日当たりの差によるのか土の違いによるのかはわからないが、一斉に咲くわけではないのが面白い。もしかしたら、同じようにみえても、微妙に種類が異なるということがあるのか知れない。普段は同じにように見えても、開花の時期になって一本一本がそれぞれ見事に個性を発揮しているのである。違っていることが美しく、それが新たな調和を生み出している。ひともサクラと同じなのだろう。
そんな毎年の楽しみももうカウントダウンに入ってしまった。ぼくに個性について気付かせてくれたかけがえのないサクラたち、とりわけ目の前のひと株がまた来年も無事花を咲かせてくれることを祈りたい。
ラベル:季節
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2012年04月19日

ねずみのたわごとの一年

ねずみのたわごとを綴り始めてから、今日でちょうど1年を迎える。ブログのなんたるか、左も右もわからぬまま、とにもかくにも日々の思いを書き残しておければ、という思いが先行しての出発だった。そんな気持ちになった背景に、東日本大震災が大きく影を落としているのは紛れもない事実だ。
さて、今回が63本目の投稿、6日に1本くらいの割合になる。気持ちの乗った時に書ければそれでよく、無理に書くのは止めようと思ってここまでやってきたが、思いの他いろいろと書きたいことが涌いてきて、現実逃避の手段になっている気味もなきにしもあらずではあるが、自分自身でもやや予想外のことだった。
日々のさまざまな思いをこうして1年も書き続けてくると、自ずと書く内容が固まってきたような気がする。大別すると、趣味と思い出と日常雑事ということになろうか。趣味は、読書、音楽、そして山と旅行、思い出は子どもの頃の記憶を辿るのが中心。日常雑事は季節の移ろいを示す花々や天気などいろいろの事象がメインで、夢もまた大事なアイテムとなってきた。
書きたいことを書くといっても、いくつか自分自身に一定の約束事を課してきた。一つは仕事に直接関わることや家族のことは極力避けてきたことである。自分の世界に閉じこもりたいのだと言われればそれまでだが、備忘録の世界はそれだけで自己完結させたいという思いが強かった。仕事と家庭がごっちゃになっている人間としては、せめてそこから一歩引いたものにしたかった。
コメントをいただいたのもうれしかった。全く予期せぬことで、ちょっと恥ずかしくはあったが、自分の感覚をわかってくださる方がいらして、けっして独りよがりの感覚ではなかったことがわかるのはホットする。けっして人に見せるために書いているわけではないけれど、どこかでそれをご覧になっている神のような方がいられるというのは本当にありがたいことだ。また、これも本や音楽との出会いと同じで、めぐりあいの世界ではあるのだが、共有できる感性をお持ちの方のブログを拝見するのは、自分自身の発見にもつながり、ブログを始めてみて初めてわかったブログの効用だった。
これからも初心を忘れることなく、書ける時、書きたい時に、肩肘張らず自然体で日々の思いを綴り出していけたらと思う。
春を告げるカタクリの花.jpg
〔春を告げるカタクリの花〈武田薬品工業株式会社京都薬用植物園にて〉。これから連休頃にかけて、奥多摩の山々でも、カタクリが可憐な花をつけていることだろう〕
ラベル:日常 季節
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2012年04月16日

さくらの花の散る下の駅

さくらの花の散る下に 小さな屋根の駅がある 白い花びらは散りかかり…… そんな一節で始まる詩が、教科書の最初に載っていた。阪本越郎の「花ふぶき」という詩である。
持ち上がりで小学校3年生になったぼくらのクラスは、担任がその春赴任してきたベテランの女性教師に代わったばかりだった。3年になると、掃除の分担区域が広がり、その一つに校庭の一部の掃除があった。ぼくの属していた班(座席の列で決めたのだったか)が、最初にその担当に当たり、まだ授業時間中だったが、新しい掃除区域の掃除をしてみましょうということになった。

校庭には桜の木が何本もあって、満開を過ぎた桜の花びらがまさに散りかかっていた。ゴミなどそれほど落ちているわけはないから、掃除の対象は自ずと吹き寄せられた花びらになる。校庭の南西隅にジャングル・ジムがあり、ちょうどそこにも桜の木があって、花吹雪を舞わせていた。ぼくらは新しい担任にいいところを見せようと思ったのだろうか。せっせと花びらを集めて掃除に精を出したのだった。少し風のある日で、集める端からピンクの花びらがあとからあとから舞ってくる。それはもうイタチごっこと言ってもよかった。無駄とは思いつつも、ほめられたい一心で、散りかかる花びらを集めて回る。授業時間中だったから、校庭にいるのは掃除をしているぼくらの班の数人だけ。それはもう風との競争だった。そのうち別の班の子がもう教室に入るようにと呼びに来た。試しに掃除をしてみようということだったはずで、ぼくらは少し深入りし過ぎたのだった。
休み時間に再び校庭に出たぼくらは、さっき掃除したジャングル・ジムの回りがまた花びらで埋まっているのを見た。ぼくらの掃除はいったいなんだったんだろう。そう、ちょっと残念に思う一方で、再び散り敷いた桜の花びらに、ああきれいだなという今まで感じたことのない思いを抱いたのだった。
帽子に桜の花びらを付けたまま、小さな屋根の駅から町に向かう子がいる。先ほどの詩にはそんな情景が詠われていた。今にして思えば、自然のなすことの美しさ、人為の無意味さを悟った、そんな経験でもあった。

さくらの花の散る下に 小さな屋根の駅がある 白い花びらは散りかかり…… さくらの季節を迎えると、小3の春に暗唱させられたこの詩が、自然と記憶に蘇ってくるのである。
ひっそりとした山の駅にこそ桜はよく似合う、久しぶりに訪れた但馬の駅は、どこも満開の桜に彩られ、長く厳しかった冬を越えた喜びに満ち溢れていた。見はるかせば、ところどころに山桜の淡いピンク色をポッと点したような穏やかな山容が優しかった。但馬のある駅にて.JPG
〔但馬のある駅にて〕
ラベル: 季節 記憶 鉄道
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2012年04月11日

季節の足取り

ようやくサクラが満開を迎えた。昨年その美しさが心に染みるしみた同じサクラの木の様子を見に行った。長く厳しかった冬がやっと過ぎ去り、待ちに待った花の季節なのに、今年はどうもパッとしない。真っ青な空をバックにした去年に比べると、下り坂の寝ぼけた空模様のせいかも知れないが、今年の花はどうも冴えない。なにかしらどことなく萎縮した感じが否めないのである。でも、パッとしないように見えるのは、あるいは見ている側の心持ちによる部分も大きいのかも知れない。あの厳寒をくぐり抜けて、よくぞ今年もまた花を咲かせてくれた、そんな感慨がわいてくる。艱難を乗り越えた命の精一杯の証しはやはりかけがえのない気品をもっていた。
それなのに、やっと咲き揃ったばかりだというのに、今日は一日また荒れるという。花散らしの嵐になるとしたら、本当にむごいことだ。一日でも、二日でもいい。青空に映えさせてやりたいと思う。季節を進める穏やかな恵みの雨になること祈る。

今年の平城宮跡のサクラ.JPG
〔今年の平城宮跡のサクラ〕

昨日の朝、娘を駅まで送っていった帰り、家の近くで三頭のシカを見た。珍しいことではないのだというが、家の近所までシカが出向いて来たのを見たのは、ぼく自身は初めての経験だった。この子たちはどうやって群れのもとに帰って行くのだろうと心配になる。どこを通って行くにせよ、どこかで一度はバス通りを横断しなくてはならないはずだ。バスの前を横切るシカを見ることがあるが、彼らはどんな気持ちで道路を渡っていくのだろうか。
バス停に向かう歩道には、カタツムリが一匹立ち止まっていた。この子はいったいどうやって冬を過ごしてきたのだろう。気温が上がればかなり乾燥するであろうに、こんな所をうろついていてどうするつもりなの?、と思わず声をかけてやりたくなる、そんな姿だった。
二度あることは三度ある、次は何だろうと思いながら一日を過ごしたが、期待すると空振りに終わる。三つめの出会いは残念ながらなかった。出会いはやはり無心の気持ちから生まれる。
ラベル:季節 日常 奈良
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2012年04月07日

ある文章との再会

新聞の夕刊の連載で読んだコラムが、いつの頃からか頭から離れなくてなっていた。それはガンで逝く患者がより幸福な死を迎えられるよう、心のケアに取り組んできたある医師の手記だった。一週に一度、実際に診療に当たった患者の事例を語る短いコラムだったが、それぞれの生きざまを死という切り口から見事に描ききっていた。その淡々とした凝縮しかつ抑制した筆致には、諦観といってもよい筆者の心持ちが窺われ、かえって一人一人の患者の死を厳粛に伝えていてずしりと重たかった。毎回心に滲みる話ばかりだった。この澄んだ清明さはいったいどこから来るのだろう、と妙に気になってはいた。予感はあたってしまった。末期ガン患者のケアに心を砕いてきた筆者が、こともあろうにこの手記の連載の過程でガンに罹ったのである。一人の弱い患者の立場に立ってみて、初めてわかることがある。筆者はそれを神から与えられた使命と受け止めて、治療に生かしていく。その姿は壮絶でさえあった。
どの回も読み流すのは憚られるような印象的な文章だったが、その中でも特にぼくの心に引っ掛かって離れなくなった一編があった。そこにはさまざまな死を見つめてきた筆者の原点ともいえる死が語れていた。筆者の幼い娘さんの事故死である。筆者に医師としての根本的なあり方を変え、患者への奉仕に取り組ませる契機になった出来事であった。自らがガンになったことを筆者が冷静に受け止め、それを神から与えられた使命と考えた背景には、娘さんの死という厳粛な事実があった。しかも淡々と語られてはいるが、筆者自身にも、そう納得できるまでには何年間にも及ぶ葛藤があったのである。この手記を読んでぼくは、まさに金槌で頭を打たれたような衝撃を受けたのだった。

気になる記事は切り抜くことが多いものだが、あまりに重い内容であったからか、このコラムは即座には切り抜いて保存しようという気持ちが生まれなかった。しかし、なぜかわからないが、時が経つにつれて、もう一度読みたい、もう一度心に受け止めたいという気持ちが次第に強くなってきたのだった。そこで、いつ頃の新聞だったかもはっきりしないまま、図書館に保存されていた新聞の原本を片っ端からめくり、まずこの連載コラムの掲載時期を見つけ、掲載曜日に従ってそれを毎週辿りながら、遂に求める記事を見つけたのである。そして早速コピーを取ってもらい持ち帰った。ホっとして、なくさないようにしようと強く思いすぎたのがいけなかったのかも知れない。どこかにしまいなくしてしまったのである。いくら探しても探しても出て来ない。自分のだらしなさに呆れるばかりだった。再度図書館に赴く気も起きなかった。新聞そのものは既に廃棄されているだろうし、縮刷版の存在を確認できなかった。要するに諦めてしまったのである。
これだけの連載であるから、きっと一書にまとめて出版されることもあるに違いないと思って、書店のそれらしきコーナーで気が付くと注意してはいた。しかし、著者名も定かでないまま見つけようとしていたのである。今から思えば雲をつかむような話だった。

それからまた何年か過ぎ、この間、ふとこのコラムの筆者の名まえが、これまたどうしてかわからないが、突然甦ったのである。最初に読んだ時は筆者名の記憶が全くなかったから、図書館で見つけた時に刻みつけた記憶が遙か彼方からわいてきたのだろう。
そうなると、最近は本当に便利なものである。ネットでさまざまに検索した結果、それに違いない書物が刊行されていることがわかった。中古でしか手に入らないが、早速注文した。まもなく届いたその本を、期待と不安と確信を抱きつつ開封してみた。心から離れなくなっていたその記事が活字になっていた。朝日新聞大阪本社版に1999年4月6日から2000年3月28日までの連載というから、恐らく2000年に初春の記事だったのであろう。実に12年ぶりの再会だった。
その書の名は、『幸福な最期 ホスピス医のカルテから』(講談社、2000年12月刊)。著者は河野博臣(かわの・ひろおみ)氏。医師で、ガンの総合医療研究者(サイコオンコロジスト)、河野胃腸外科医院院長。第2部として、河野氏自身の闘病記録が収められているが、調べてみると、連載中に自ら胃がんを体験した河野氏は、2003年に既に逝去していた。新聞連載コラムのタイトルは「追憶のカルテ」。自身の詳細なカルテを残して旅立たれたのだった。

河野博臣『幸福な最期―ホスピス医のカルテから』(講談社)のカヴァー.JPG
〔河野博臣『幸福な最期―ホスピス医のカルテから』(講談社)のカヴァー〕

探し当てたコラムには、「神のなさることはいつも時にかなって美しい。」という聖句が2度にわたって引用されていた。三浦綾子氏の小説にしばしば形を変えて登場するこの聖句がなぜか身近に感じられたのは、河野氏のコラムで読んだ遙かな記憶があったからに違いない。そして河野氏の名を思い出したのもけっして偶然ではなく、何か必然的なめぐり合わせ、摂理のようなものを感じずにはおられない。ただただ感謝するしかない。
河野氏の著書、そして生き方に触れたことは、死、そして家族の問題だけではなく、信仰についても深く考えさせられるかけがえのない経験となった。「神のなさることはいつも時にかなって美しい。」という言葉の意味を、今まさにいろんな意味でかみしめている。
ラベル:読書 日常 記憶
posted by あきちゃん at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする