2012年05月23日

お風呂屋さんの値段の記憶から

母と話していて、区からもらう敬老入浴券が年々渋くなっているという話題になった。内風呂(これももう死語かも知れないが)があるから、そうしょっちゅうお風呂屋さんに行くわけではないし、150円だかの割引料金で入れるのだから、母も別に不満があるわけではない。それでは普通に行ったらいくらで入れるの、という話になって、都内の銭湯の入浴料が450円にもなっていることを知った。全く隔世の感である。この値段では、いろんな種類の温泉に入れるのを売りにしているスーパー銭湯の類とそれほど変わらないではないか。おいそれと家族5人で、なんていうわけにもいくまい。
しかし、もっと驚いたのは実はそれから先であった。ぼくが驚いたのは、記憶の中に残っている最も安い風呂代が15倍にも跳ね上がっていたからなのだが、昔は28円で入れたし、洗髪料5円なんていうのがあったねぇ、とぼくが言うと、母はキョトンとして、そうだったかしら、180円だったのは覚えているけれど、と言う。28円というのは、ぼくが物心ついた時分の銭湯の料金である。28円に値上げした頃からを覚えていて(その前は23円)、次に35円になったことも記憶にある。ところが母の記憶には、それからずっと後の180円が焼き付いているのである。ぼくには180円の記憶は全くない。

それじゃあ入浴料の変遷を調べてみよう、などと思い立っても、昔ならなかなか容易なことではなかった。図書館に出かけて、ひと手間のふた手間もかけてやっとだったのだけれど、そこは今の世の中、ネットを活用することによって、適当な語句で検索すれば、たちどころに関連する資料が呼び出せ、プリントアウトできる。勿論それが信用のおける資料かどうかは検証の余地があるが、東京都浴場組合の「都内入浴料金の推移」なんていう表が見つかれば、もう心配は要らない。
それによれば、大人180円というのは、1979年(昭和54)12月から翌年5月にかけての半年間の入浴料だった。そうだったのだ。ちょうどこの頃我が家では庭の物置を改造して内風呂を造ったのだった(ぼくが銭湯で育ったことは以前少し書いたことがある)。どうやら母の記憶はその最後に銭湯に通っていた頃の値段で止まっていたらしいのである。

昨日のことは忘れていても、子どもの頃のことはよく覚えている、なんていうのはごく普通で、母も当然昔のことをよく覚えているだろうと思い込んでいた。しかし、どの時点のことを覚えているかは、人それぞれに受けた印象の深さによって変わってくる。いわば動機付けがあるかどうかに関わるのだろう。
記憶を共有しているはずの家族の中でのこんなどうでもいい数字の記憶でさえこうである。何が記憶にとどめられるかは人それぞれだろうし、同じ事柄でもとどめ方はさまざまだろう。記憶はともすればいろいろと美化され尾鰭が付けられて、昔は良かったになっていきがちである。祖母などその典型だったわけだが、無条件に思い出にすれば全て美しいで済ますわけにはいかない。また、同じ事柄が美しくない記憶として焼き付いていることだってあり得る。自分の過去を感情移入せずに批判的に眺められるよう常に心がけることが必要であろうし、それとともに、思い出が人それぞれであることも忘れてはならないだろう。自分にとって心地よい思い出が、他の人にとっては耐え難い心に傷ということだってあり得るのだ。

お風呂屋さんの値段の記憶からそこまで思いをめぐらすのは少しく飛躍があろうけれど、人間の記憶というものが、正しく読み込まれて保存されたものであっても、良し悪しは別として、いかに個人の領域に属すものかを改めて思い知らされたことであった。
ラベル:記憶
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2012年05月19日

風邪と過ごした一週間

治りにくい風邪だった。少し前にひいたばかりだというのに。先週木曜日の午後、少し寒いなあと思ったのが、今思えば最初の兆候だった。金曜日の昼間から徐々に喉が痛くなり始め、土曜日も予定があったので、薬だけでもと思い夕方医者に行った。抗生物質をもらい、様子をみることになった。熱が出ても不思議はない身体のだるさ。悪性の風邪でもなく、疲れによって免疫力が下がっているのが原因だろうとのことだった。
金曜日は早々に床に就き、土曜日の朝は意外とましだった。少し動くのがしんどくはあったが、日曜日にはもうこれなら大丈夫だろうという感じで、夜には犬と散歩にも出かけ、風呂にも入り、早めに就寝した。ゆっくり眠れば快調な週明けを迎えられるだろうことを期待して。
ところが、月曜日、一向によくなっていない。確かに喉の痛みは取れた。しかし、呼吸が落ち着かない。30代によく経験した、風邪のあとの長引くの喘息の時のような、悪い予感がする。まだヒーヒーするわけでも痰が絡むわけでもないけれど、深い呼吸ができない。そのうち良くなるだろうと思って一日過ごしたが夕方に向けて呼吸の違和感は募るばかり。翌朝で薬も切れるので、再度診察してもらいに行った。
なかなか治らない質ですねえ、と先生にも少し飽きられながら、それほどひどくはありませんが呼吸が少し重いとのことで、薬を変えてみましょうと、去痰剤を処方してもらって帰宅した。この先生は、薬に漢方を併用し、またお灸を据えてくれる。これがまた効いた気になるのである。お灸そのものの効果に加えて、ほんの一瞬だけれど、じっと暖かくなるまで待つこの平静な気持ちでいられる時間も貴重なのだ。
さて、火曜日。今度は痰が絡むようになった。薬によって隠れていた痰が上がってきたのだろう。それまで出なかった咳が出始める。気管が落ち着かない。時折頭痛もする。しかし、快方に向かい始めているほのかな感じがし始める。
こうして一進一退を繰り返しながら、変だなと思ってからはや一週間。半袖でもよいくらいの夏日になった木曜日、まだ時折咳込みはするものの、ようやく体調が落ち着いてきたのを実感できた。まだ無理はしない方がいいとは思いつつ、帰宅後せがまれて犬の散歩に出る。
日曜日には庭で走り回っていたとはいえ、久し振りの散歩に犬のリードを引く力がいつになく強い。遠雷が聞こえる。稲光であろう、彼方の空が一瞬明らむ。普段は雷を嫌がる犬だが、昨日ばかりは素知らぬふりをしてずんずん歩く。しかし、もうすぐ家というとき、予想もしなかったさっきとは反対の方向から雷鳴がとどろいた。今度の雷には身に迫る危険を感じたのだろうか、一瞬リードに犬の緊張が伝わる。犬の予感は見事に的中した。家に帰ってまもなく、大粒の雨が落ちてきたのだった。考えてみれば間一髪だった。雨に降られることなど全く考えもせずに出た散歩が無事終えられたこと、そして何よりも風邪が快方に向かい、こうして犬の散歩に出られるようになったことに、犬共々感謝したい。
ラベル:日常
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2012年05月14日

祖父の言葉を思い出す

祖父は19世紀の末近くの1899年(明治32)11月に、東北の農家の次男坊として生まれた。兄と2人の弟とともに育ったが、まもなく母親と死に別れ、父が後妻を迎えたためか、20歳になる前に家を出たらしい。台湾へ出かけた話を聞いたことがあるが、関東大震災で焼ける東京を、祖母と川越から遠望したといい、その後東京に出て警官になったという。まもなく、皇居の濠に飛び込んだ人を助けて表彰されたという。いずれも祖父から直接聞いた話ではなく、そうした話はたいてい祖母経由で、ずいぶんと尾鰭がついたり、何よりも話の主体が祖母自身に書き換えられて、祖母の自慢話に変貌したりしていることが多かった。
祖母は祖父のいとこにあたり、どうも親戚中でお転婆娘で評判の芳しくなかった(?)祖母を押しつけられたらしい。祖父ならばあのお転婆娘でも娶ってくれるだろう、それほど心の広い人ではあったらしい。もっとも、祖母に言わせると祖父は結構遊んだ人でもあったらしく、祖母と結婚するにあたり、きっぱりと生活を変えたのだともいう。親戚の見立ては正しく、その後祖父は、この口では全くかかなわない天下様の祖母の尻に下に敷かれているように見せかけながら、実際には逆にうまく操縦して、長い間に渉って円満な家庭を築いたのだった。
ぼく自身子どもながらにも、祖父だからこそ、あの祖母も離婚もせずにやって来られたのだと思ったものだ。ぼくがどれだけ祖母と衝突したことか。孫のぼくでさえ我慢ならないことがしょっちゅうだったのだが、祖父が祖母と口論しているのは聞いたことがない。あの祖母でさえ包み込んでしまう、それほどに祖父は心の広い人だった。祖母にはよくバカが付く程だと悪口雑言を浴びせられてはいたけれど、一々目くじらを立てることもなく、周囲のあらゆる人に慕われる、温厚な性格の持ち主だった。かといって真面目一点張りというのではなく、口数はけして多くはないものの、結構ウィットに富んだ言葉もあった。買い物が好きで、勤め帰りに頼みしない買い物をしてきて、よく祖母に怒られていた。それでもそれをニコニコと受け止め、また飽きずに同じ物ばかり買ってくるのである。バナナ、ウインナーetc. そんな祖父ではあったが、不思議な威厳も持ち合わせていた。その根源はどうもトレードマークの八の字の口ひげにあったようで、何でも警官時代に優しい顔を少しでも厳つく見せるための苦心の末だったという。ぼくには当たり前の口髭だったが、母は父とお見合いをしたとき、初めて見る祖父の口髭に笑いを押し殺すのに苦心したという。孫を甘やかすと言ってよく祖父は祖母に文句を言われていたけれども、ぼくにとってただ甘やかすだけではない結構怖い存在でもあった。一言一言に重みがあった。

その祖父がよく口にしていたのが、人は生かされているのだという考え方だった。そこに付随するのは当然、生かされてあることへの感謝の気持ちだった。朝目覚めたらまず、今日もまた自分が生かされていたことに感謝しなくてはいけない、それが祖父の口癖で、顔を洗ってパリッとした後、薬缶で湯を沸かしてお茶を入れ、ゆっくりと生きている喜びを味わう、それが祖父の日課だった。そうした喜びに比べれば、祖母が何を言おうと祖父にとっては、小さなことだったのである。ただ祖父は祖母の言うことをけして無視はしないし聞き流しもしない。一方、祖母は祖父に聞いてもらうことで、自分の気持ちを抑えることができたのだと思う。
祖父がどのような信仰をもっていたのかは知らない。晩年は緑内障でほとんど失明に近い状態だったしボケも入ったが、それまでは実によく本を読んでいた。週刊誌も精通していて、中でも週刊新潮は欠かさず読んでいて、時にはスキャンダル記事を聞かせてくれたりもしたものだ。田舎の実家は日蓮宗の寺の檀家だったから、特にキリスト教信仰も持っていたとも思えないし、祖父の口からイエス・キリストの名を聞いたこともない。しかし、祖父の生活態度は、今思うと驚くほどキリスト教的だった。生かされているという自覚にもう一つ付け加えるならば、祖父は驚くほど人に与え続けた人だった。三浦綾子さんは『続氷点』の中で、一生を終えて残るのは集めたものではなく、与えたものだということを夏枝の父から聞いた言葉として陽子に手紙に書かせている。人間の一生の価値は、何を得たかではなく、何を与えたかで決まるということなのだろう。祖父はまさにその通りの人だった。同じ三浦さんの『生かされてある日々』を読んでいて、ふと祖父の生き様を思い出したのだった。祖父の人生は、敬虔な信仰生活の実践そのものであったように思うのである。
『氷点』を皮切りに三浦さんの本に出会い、この年齢で人生や信仰について顧みる機会が与えられたのは、偶然ではなかったように思う。さらに、最近読んだ三浦さんの小説『ちいろば先生物語』(朝日文庫版を古本で求めたが、嬉しいことに最近どこかの文庫で復刊しているのを見かけた。今年は三浦綾子さん生誕90年の年にあたるのだという)で、ちいろば牧師こと、榎本保郎牧師の想像を遙かに絶する壮絶な生き方を知ったが、榎本牧師が1977年に凄絶な死を遂げたのは52歳、まさに今のぼくの年齢だった。何か導きの糸を感じてしまう。
理屈ではなく、生きること、信じること、それ自体が目的でなくてはならないのだろう。それをぼくは祖父を通じて見ていたわけである。そのことが今やっとわかった気がする。もしかしたら、祖父は三浦綾子さんの小説、ことに『氷点』を読んでいたのではないか。我が家は朝日新聞ではなかったので、連載中に読むことはなかったと思うが、勤務先の新聞ということもある、単行本で出てからということもある。祖父が茶目っ気タップリに、頷いている様子が目に見えるようだ。

祖父が逝ってから、もう19年にもなる。そうだった、今月は祖父の命日が廻ってくるのだ。一緒に暮らしていた27年余りの間に見たこと聞いたこと、どんどん忘却の彼方へと飛んでいくことどもを、今のうちに少しでも捉え直して記憶を甦らせていきたいと思うのだが…… 祖父は晩年ボケが入ってぼくのことが誰だかわからなくなったときでも、面倒を見てあげると必ずありがとうを言ってくれたものだ。他人だと思い込んでいる相手に対し、素直に感謝の言葉を口にするというのはなかなかできることではない。正気を失ってもなお感謝の心を失わなかった祖父。祖父のことを書こうと思い立ったのも、偶然ではなかったのだ。
ラベル:記憶 読書 東京
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2012年05月09日

忘れ物ふたたび

またやってしまった! 忘れ物!! 事もあろうに今度はバスの網棚の上。連休に東京から戻る時、満員の夜行バスの一番前、運転席のすぐ後ろの座席に揺られて戻ってきたが、預けた荷物はちゃんと受け取ったものの、頭の上に置いた紙袋を置き忘れたことに家に向かう路線バスを待っていて、初めてハタと気付いたのだった。あまりのことに、ジタバタする気も起きなかった。

夜行バスは結構好きで、年を喰ってくると人間が図々しくなってきたせいか、我ながら恥ずかしくなるくらいよく眠れる。狭いところに窮屈な姿勢でいなくてはならないのは辛くはあるが、一人掛けの3列シートならリクライニングも文句はなく、交通費が節約できる上に、寝ている間に着くのだから、こんなに結構なことはない。列車の寝台のようなワクワク感はないものの、その分かえって腹を据えて眠れるのである。
忘れたことに気付き、さて何が入っていたのだっけと思い出してみるのだが、これがなかなか事だった。なかなか思い出せないのである。おみやげのお煎餅の包みがいくつか、そしてなぜか2㎏入りの洗剤が一箱(関西ではあまり見かけなくなってしまった限定品をたまたま見付けたので買ってきた物好きの品)。ここまでは最初から紙袋に入れてあったものなので、さほど労することもなく思い出せたからよかったのだが、その先に進めない。あと何か入れたような気がするのだが…… バスに乗る直前に、預ける荷物に入れてしまうと困るものを何か取り出して紙袋に入れたような…… 
沈思黙考することしばし、今度こそ青くなってしまった。財布はポケットに入っているからよい。けして金目の物ではないのだけれど、この世に二つとないものが紙袋とともに行ってしまっていた。それはブックカヴァーの付いた文庫本だった。先日求めた、生誕90年を記念して改版されたばかりの角川文庫、三浦綾子『草のうた』である。読み始めたばかりだったが、これがほんとうに面白い。今の子どもたちにはわからないかも知れないが、ぼくなどの世代には三浦さんが育った昭和初期との接点がまだまだあった。三浦さんはぼくの親の世代よりは10年ほど年長で、ちょうど親が生まれた頃の世相をよく伝えてくれている。親の世代の子ども時代よりは、まだ戦争が本格化していなかっただけまだマシな時代だった。そうした時代をよくあらわしているだけでなく、三浦綾子という偉大な作家のキリスト教信仰のさらに元にある根っ子ようなものを、生き生きと表現した稀有の自伝だと思う。
それはともかく、今問題なのは文庫本そのものではなかった。それを包んでいるブックカヴァーが、もしなくなってしまったら悔やんでも悔やみきれない品物だったのである。それは、写真データを送るとそのままプリントしてくれ、文字も入れられるというものなのだが、その会社がこのサービスをやめてしまったので、もう二度と手に入れることのできないのである。その写真は昨年2月に甲府を訪れた時の車中から撮った冬の八ヶ岳のお気に入りの風景写真だった。まあ、それはともかく、夜行バスだから行き先はわかっている。今晩の折り返しまで新しいお客は乗せないだろう。出てくることを確信させるものがあった。なにせ、他に入っているのはお煎餅と洗剤なのだから……
バスの本社に問い合わせたら、住まいからはかなり遠い終点に近い営業所に問い合わせるようにという。恐る恐る電話をすると、バスに連絡を入れてくれ、折り返し見つかったとの返事が来た。見つかるという確信があったとはいえ、ヘナヘナと身体の力が抜ける思いだった。自分の力だけではどうにもならないことが、多くの人々の手を借りることによって実現することができる。信じて祈り続けることのそれは結果でもあった。一方で、自分のちょっとした不注意が、いかに多くの人々に面倒をかけたかにも気付かされる。感謝と恐懼との入り交じった感覚である。忘れ物発見を教えてくださった営業所の方は、少し近い営業所にまで届ける段取りまで整えてくださって、夕方仕事を終えてからでも充分受け取りに行くことができた。昨晩のことである。

『草のうた』の前に読んでいたのが、古本で求めた同じ三浦さんの『生かされてある日々』(新潮文庫)。日記体で書かれたさりげなく飾らない文章だが、これがまた限りなく奧が深い。満身創痍といってもよい状況(彼女にはこのあとさらに過酷な難病が待ち受けていたのである)で、これだけ前向きに人生を生き続け、常に人々に何かを与え続けたことに、感銘を覚える。再び忘れ物をしながら比較的平静でいられたのも、最近の読書経験がものをいっているような気がしてならない。考えてみれば、必死に忘れ物の探索に努めたのも、このブックカヴァーが入っていればこそではあって、そこにふと不思議な巡り合わせを感じなくもない。しかし、二度と手に入れられないと慌てたものをなくさずに済んだことよりも、自分の不注意で忘れた物がこうして戻ってきたという事実そのものに素直に感謝しなくてはいけない。そこに多くの方々の力が介在していることを考えると、もう二度とこんな迷惑をかけないようにしなくてはと思う。年のせいにするのではなく、潔く自分のだらしなさを責めなくては……。
ラベル:日常 読書
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2012年05月01日

マリア・シュターダーの絶唱

マリア・シュターダーを最初に聴いたのは、フリッチャイの指揮するモーツァルトのハ短調大ミサ曲だった。清楚で折り目正しく、威厳があるが可憐で暖かい、花に喩えるなら純白のユリのような歌声だと思った。曲が曲であるだけに、歌手や合唱の印象はどちらかというと薄かったのだが、シュターダーの歌唱だけは、歌手にほとんど興味がなかった高校生のぼくにも、深い安らぎを与えたのだった。
シュターダーは、リヒター指揮するバッハのカンタータ集にもなくてはならない存在だった。マニフィカトニ長調(反対面は、なんと結婚カンタータBWV.202! なんと贅沢なレコードだろう)針を落とした時の感激が今も忘れられない。ハ短調ミサの激烈な表現だけでなく、バッハの華やかで祝典的な雰囲気にもシュターダーの歌声はピッタリだった。彼女の歌声でリヒターのロ短調ミサを聴けるというのもまたなんと幸せなことであろう(それを知らずに、バッハを聴かねばという脅迫観念だけから大枚6千円をはたいて求めた3枚組のレコードを、癇癪の挙げ句に壊してしまったぼくの罪深きことよ)
シュターダーの歌声はけっして聴き手に媚びない。ソプラノ特有の女声の美しさで魅惑するというのとは明らかに違う。かといって中性的というのからはさらに遠い。女性的というよりはむしろ母性的という方がいいかも知れない。そこには甘えを許す要素は一切ないにもかかわらず、聴き手を優しく包み込んでくれる何かがある。まさに彼女の名マリアが彼女を端的に示しているといえるかも知れない。
リヒテルの平均律を聴き、ケンプのゴルドベルク変奏曲を聴き、リヒターのバッハに戻ってきたぼくは、シュターダーのハ短調ミサを始めて聴いた日の感動を思い出したのだった。

シュターダーのわずか1回だった来日時に公演を聴き、詩に残してくれた人がいた。山の詩人として名高い尾崎喜八である。音楽にも明るい彼が、1966年に刊行した『田舎のモーツァルト』に収められた「モーツァルトの午後」である。(『冬の雅歌(尾崎喜八詩文集10)』創文社、1975年刊より引用)
  気だてのいい若い綺麗なおばさんのような
  マリア・シュターデルがモーツァルトを歌っている。
  「すみれ」、「夕暮の気分」、「別れの歌」などを、
  日本の音楽堂でのリサイタルだというのに、
  まるでスイスの自宅でのもてなしのように
  くつろいで、まごころをこめて歌っている。
  これが本当に歌というものだ。
  (以下略)      
来日は1960年のことというから、1911年生まれで69年には現役を退いたというシュターダーにとって、現役の晩年といってもよかったはずである。しかし、尾崎喜八は、この詩の中で「こんなに家庭的で、幸福で、貞潔な モーツァルトというものに出合ったことがない。」と感嘆する。年齢を重ねたシュターダーの、高潔でかつ心のこもった歌声が聞こえてきそうだ。こんなすてきなマチネを生で聴けた尾崎喜八がほんとうに羨ましい。シュターダーはK.596、523、529をどのように歌ったのだろうか…… でも、日本の音楽堂にそれらの歌声が響き渡る瞬間があったのである。そしてその感興を詩の形で残してくれた尾崎喜八という人にこのマチネを聴く機会が与えられたとことに、何にもまして感謝したい。
アンコールででもあろうか、「モーツァルトの午後」によれば、この公演でシュターダーは最後に「ハレルヤ」を歌ったという。K.165のエクスルターテ・ユビラーテのアレルヤであろう。何という僥倖であろうか、フリッチャイの指揮のステレオ録音で今、K.165全曲を聴くことができる。1962年の録音というから、尾崎喜八が聴いたマチネよりも後のことである。シュターダーは50歳を超えていた。K.339のヴェスペレハ長調のラウダーテ・ドミヌムとともに、まさしくシュターダーの絶唱と言うに相応しい。

昨年2011年は生誕100年だったはずだが、特にこれという企画も聞かなかった。元気ならば101歳を迎える今年、ちょうど半世紀前の天使の、いやマリアの歌声を文字通り傾聴できるのは本当に奇蹟としかいいようがない。

シュターダーのアルバムのジャケット.jpg
〔左・中、モーツァルト大ミサ曲ハ短調K.427とモーツァルト・アリア集。いずれもモーツァルト生誕200年記念として、WAVEが復刻して販売したもの。右は、10数年前に、Deutsche Grammophon からSIGNATUREシリーズとして2枚組で発売されたMaria Stader ―In Memoriam  Portrait einer Sängerin。エクスルターテ・ユビラーテとラウダーテ・ドミヌムは、カラヤンのモーツァルトレクイエムとの組み合わせで入手できる。このほか、フリッチャイとの魔笛(パミーナ)、フィガロ(伯爵夫人)、ドン・ジョバンニ(ドンナ・エルヴィラ)、後宮(コンスタンツェ)、ハイドンの四季(ハンネ)なども時折見かける。どれもすてきな歌唱を聴かせてくれるが、個人的にはハンネとコンスタンツェが好きだ。リヒターーのバッハ・ロ短調ミサは健在のはず 〕
posted by あきちゃん at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする