2012年06月25日

3つの夢―夢の記憶4

1両だけの編成の電車に乗っている。と言っても路面電車ではなく、地方のローカル線に最近よくある前後に運転台のある、趣向を凝らしたこじゃれた電車だ。神奈川県内の東海道線らしい(何故そう考えたのかは全くわからない)幹線から北へ、盲腸のように出ている支線の終点から、南へ向かって走っている。実際に電車に乗っている風景と、それを空中から見下ろしている、そう、ちょうどジオラマの風景とが一緒に見えている。自分が乗っている電車がそのジオラマの中を、実際の電車の走行に従って動いているのだ。それを見ている自分がいる。
そのジオラマをよく見ると、今乗っている幹線に向かう支線の東側に、今度は幹線から北へ分かれていくもう1本の支線が見える。一部を幹線と共有して、ちょうどUの字型になっているわけだ。そうこうするうちに、そのUの上の部分をつないで、ループにする計画があることが、どこからともなく告げられる。なるほど、山手線のようにするわけねと、納得している。ジオラマの景色は田園地帯の様相だが、山手線の内側か外側にもう一周環状線をつくる(ちょうど武蔵野線のような感じ)計画なのだなと、感心している。
電車いつのまにかUの下辺、つまり幹線部分に入って右(東)へ動いている。本当にかわいらしい1両編成の電車だ。電車はジオラマの線路に沿ってとことこと走っているのだが、それに合わせて、電車が通る時にジオラマの下から線路脇の景色が上がってくる仕掛けになっているらしい。円形の部品が回転していて、電車の通過時に円板の一部に作り出された花壇のような板絵が上がってくる。電車が通過すると同時にそれは回転して消えていく。線路の脇に何か仕掛けがしてあるらしい…………

お風呂に入りに行く。場面設定はもっと込み入っていたようだが、記憶が定かでない。家から(どうも5階建てくらいのアパートのようだ。それが何棟かある)階段を降りて、別棟の1階にあるお風呂に入りに行く。どうもどこかで見たようなお風呂だ。そう、この間行ったばかりの温泉の外湯にそっくりだ。受付があるわけではないが、子どもや大人がのんびりとたむろしているのはそっくりだ。
脱衣場に入って服を脱ぎ始める。あ、とその時、タオルを持ってこなかったことに気付く。ほとんど脱ぎ終わっている。しょうがないなあと思いつつ、脱いだもので身体を覆ってそこを飛び出して、家に帰る。ところがどうもの建物を間違えてしまい、折角階段を上がったのに、よその家の前に出てしまった。そこは一番上の階だったが、他の建物よりも1階低くなっている。慌ててそこを降りて、自分の家を探しにいく。多分行き着いたのだろうが、その記憶は全くない。今度はタオルを持って来たのだろうがそれも覚えていない。よその家に辿り着いてしまったのは、湯から上がって家に戻る時のような気もする。次の場面との前後関係がよくわからなくなっている。見た記憶が断片的に残っていて、脈絡があっているのかどうか自信がない。
次の場面は、再びお風呂の入り口。裸だったはずだが、そんな気は全然しない。何かを着ていたような気もする。お風呂のある建物の前で、子どもたちがたくさん遊んでいる。そこを通り抜けて建物に入り、脱衣場に着く。籠がたくさんあって(昔お風呂屋さんにあった、直径50㎝くらいの丸い籐の脱衣籠。まさかこんなところでお目に掛かるとは思っても見なかった。すっかり忘れていたアイテムだ。なつかしい!)、脱いだ物がたくさん、雑然と並んでいる。なのに、お風呂には誰も入っていない(脱衣場にいるはずなのにそれがわかるから不思議)。ははん、さっきの子どもたちだな、と納得している。別に子どもたちは裸だったわけではないのだが、子どもたちの服だと決めてかかっていて、それを全く不思議に思っていないから不思議だ。自分の脱いだ服も籠に入っているが、何故かひどい状態で脱ぎ捨ててある。ズボンなどまるで抜け殻のように、籠の外に出ている。こんな脱ぎ方をしたはずはないのに、貴重品も入っていただろうになあ、でも大丈夫そうだな、などと思っている自分がいる。そのあと湯に入ったかどうかは覚えていない…………

車に何人かの人を乗せて走っている。母と伯(叔)母たち、そして母の友人たちのようにも思う。乗用車かワゴンかよくわからない。場面によって5人以上登場していたようにも思うので、大きな車でないと乗り切れないかもしれない。でも夢って、そんなこともどうでもいいものらしい。あとで理屈が通らなくてもいいもののようだ。
坂道を登って行き、駐車場に入る。その前にもどこかお寺かなにかを拝観しに行ったような気がするがわからない。駐車場に車を駐めて、みんなで、坂を登って目的地に向かう。ぞろぞろと登って行く。
目的地が何だったかもわからなければ、行き着いたのかどうかもわからない。次にはもう降って車の所に着ている。まだ戻ってきていない人がいるので、乗って待っていようかということになる。この時は普通の乗用車だった。暫くするとザッと一雨来る。まだ戻っていない人たちは大丈夫かなあと心配しているが、すぐまた晴れ間が戻る。
少しして、やはり様子を見に行ってみようと思い、一人で坂を上り始める。すると、まだ上り始めたばかりの人がいるのに気付く(この年配の女性は、全然記憶にない人だ。誰だったのだろう。でも連れの一人であることが自明で夢は進んでいる)。今から大丈夫かなあと間に合うかなあと思いつつ、少し場所の案内をし、最後まで連れて行ってあげればよいものを、そこで分かれてまた車に戻ってくる。
何とか無事全員間に合ったのだろう。次に記憶のあるのはもう車でそこから下り始めている。駐車場から少し下ったところに、上からの道路が左右から合流するところがあり、そのYの字のところに、両方の道路に面してこの近くでも名高い土産物のお菓子屋があるという。そこへ直接行けばよいのに、なぜか一旦もっと下にまで降ったあと、再度登ってその分かれ道の右へ行く道に入り、店を左に見てその横に車を着ける。降りて、買いに行くが、目当てだった物が売り切れていてない。それならば、あるものでしかたないか、とあるものをいくつか詰めてもらう。なんだったのだろう。最初は肉饅か餃子の店だといっていた記憶もあるが、詰めてもらったのはパンのようでもあり、また和菓子のようでもある。
こうした行動をとる自分がいる一方、さっきの電車のジオラマのように上空からこれらの景色を眺めている自分がいるのである。店を坂の上側の高い位置から遠くに眺める景色が印象に残っている。道の合流点にあった2階建ての店を見ていた自分が妙に記憶にある…………

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3つの夢は、見た順序がこうだったかどうかは自信がないが、きっと夢としては連続したものだったのだと思う。理屈ではなく、つながっていたものが、理屈では解釈できないために、ぷつんと切れてしまっているのだろう。目覚める直前までこれらの夢を見ていたことを鮮明に記憶している。何時だろうと思って時計を手に取った途端、ちょうど目覚ましが鳴った。目が覚めてからも記憶に残っている夢は久し振りだったので、すぐさまメモを取っておいた。それから半日以上たってからこれを書いている。メモを取るという行為が記憶の固定に役立つのだろうか、記憶から抜け落ちている部分があまりない。それどころかメモにない情景も浮かんでくる。
一つひとつの場面には、考えてみると、昨日、あるいは最近経験したことを踏まえている部分が結構ある。空を飛んでいるとか、壁を通り抜けるとか、あり得ない夢を見ることは随分減った。でも脈絡が滅茶苦茶なのは相変わらずだ。夢の中で思考している自分がいるのは間違いないのだが、場面の転換はその思考を超えている。起きてから考えると、どうやったらつなげられるのだろうというような場面転換ばかりなのだけれど、夢の中では与えられた場面、展開を素直に受け容れている。変だとか、何故とかと思う前に、それを自明として思考している自分がいる。あまり分析しても栓ないことなのだろう。夢はまさに「神のなさること」なのかも、と思う。

夢を克明に書き止めている人がいた。三浦綾子さんである。今は品切れ状態のようだが『夢幾夜』というのが角川文庫から出ている。夢の文学と言えば、漱石の『夢十夜』が名高いけれど、三浦さんのは夢をそのまま書き綴ったものという。これはなかなかすごい。突拍子もない夢が、これでもかというくらい並んでいる。圧巻である。三浦さん自身が書いているが、無意識が8割なのだという。夢の中にこそ、人間の全貌が見えるのだろう。そこにはストーリテラーとしての三浦さんの、源泉を見る思いがする。

ラベル: 記憶
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2012年06月23日

梅雨の晴れ間に思う

一昨晩は、一旦上がっていた雨が夜半過ぎから再び本降りになり、昨日の明け方にかけてずいぶん降った。音を立てて降る雨を夢見心地に聞いていたような気がする。しかし、幸い朝方には既に止んで、西の水平線近くがほのかに一筋水色に見えていた。そして昼頃までには落ち着いて、青空が広くのぞくようになった。意外だったのは、空気がひんやりとしていたこと。蒸し暑さが全然感じられない一日だった。そして今日土曜日も爽やかな好天に恵まれた。朝など半袖では少し涼しいくらいで、さすがに昼間は暑さも感じたが、梅雨の最中とは思えない文字通りの好日だった。

今週は火曜日に時ならぬ台風の来襲があり、関西直撃かと一時はひやりとしたが、幸いなことにいくぶん南にそれて大事には至らなかった。それにしてもこんな時期に北東方向にほとんど一直線に駆け抜けていく台風には驚かされた。上陸時に970ヘクトパスカルを割っていたものの、比較的小振りだったのは幸いだった。
一昨晩の雨は、続いて発生した台風崩れの低気圧によるもので、多分に台風の雨を思わせる降り方だったのも肯ける。雨雲の通過予想が本当によく当たった。一昔前には考えられないほどの予報精度だ。
悔やまれるのは、予報精度が上がって、まとまった降雨の予想がついても、それに見合うだけの災害対策が取られていないことだ。シミュレーションなど降雨予想に比べれば訳ないことと思うのだが…… 崖崩れや地滑りならば、地盤の状況にもよるだろうから、降水量だけでは判断が難しいだろう。でもどの範囲にどの程度の量の雨がどのくらいの時間降るならば(例えば時間雨量30㎜の雨が3時間降り続いたらなど)、地形や水の流れを加味してその雨が川や水路の水位を最大どの程度上げるか、くらいの予測はできないのだろうか。今回も和歌山市で1m以上の浸水に見舞われたところがあるというが、河川の決壊によるものではないのだという。農業用水とか水路の増水が原因なのだろうか。何とも不可解な話ではある。

台風に話題を戻すと、最近は気象庁のアメダスのデータがほとんどリアルタイムで閲覧できる。NHKラジオ第2放送の気象通報で、天気図用に3、4時間前のデータが流れていた頃(今でもあるのだろうが)とは本当に隔世の感がある。各県の10箇所程度以上の地点の風の方向や気圧をチェックすれば、台風の中心がどこを通っているか、結構な精度で知ることができる。風が東から北よりに、そして北西へと左回りに回転していくなら台風はその地点の東側を通過しているわけだし、右回りに回転していくなら西側を通過しているわけである。気象通報では地点が限られているし、6時間ごとのデータしかなかったけれど、1時間おきのデータがかなりの密度で見られるので、これは結構面白い。
今回も紀伊半島南端に上陸してその東岸を北東進して伊勢湾に出て三河湾方面に進む様子がよくわかった。台風が来る時は天気図を書くのにより気合いが入ったものだが、止まった状態の台風を記録するだけのものだった。せいぜいがんばっても、気象通報の間隔に制約されて、6時間ごと(しかも0時の分の放送はないから18時の次は翌朝6時)の記録しか作れなかった。それが今では感覚的にはそれこそ動画をみるように台風の動きを追うことができるのだから、ネットによる情報発信の力というのはすごいものだと感心する(経路図を動画で流しているサイトもある)。
竜巻の被害も記憶に新しいが、あのくらい局所的だと予報も難しいのかも知れないけれど、見方を変えれば、今までわからなかったものが、実態を捉えられつつあるということなのかも知れない。地震の予報にしてもそうである。まだ完璧ではなくても、予報が可能になりつつあることを素直に認めて喜び、さらなる進歩を応援すべきだと思う。ある程度予算と時間をかけさえすれば、解決できるのだから、見通しを立てやすい。

ややこしいのは、すぐ成果が上がるとは限らない分野や、そもそも成果をあげることが目的ではない分野であるだろう。ことに文化は最近やり玉にあがることが多い。予算をけちるのは、その文化を滅ぼすもとである。文化は人の心を自発的に育む。心の強制は文化を育むどころか衰退させる。そこのところをはき違えている政治屋(敢えて「家」とは呼ばない)が多過ぎる。その点ヨーロッパとは文化の成熟度が違うとしかいいようがない。すぐ何かが成果として見えてこないものを、無駄として切り捨ててしまう風潮は恐ろしい。無駄はもっと別のところにころがっているだろうに……
ラベル:天気 季節
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2012年06月19日

風呂好きのたわごと

風呂好きである。けっして毎日入るわけではないが、入る時はゆっくり湯船に浸かって心ゆくまで温まりたい。夏など、シャワーだけでいいではないかともいわれる。ただ身体を洗うのが目的であるならそれでもいいかも知れない。しかし、単に汗を洗い落とせばよいというものではない。湯に浸かることは、身体だけでなく、心の洗濯にもなるのだ。だから、風呂に入る回数と風呂好き度はけっして比例しないのである。
家の風呂でも勿論いいいのだけれど、家の狭い風呂に入っていると、変に疲れが出てうっかり居眠りしてしまい、湯を飲み込んで慌てて目を覚ますなどという事態も最近しばしば起きる。その点、銭湯の大きな風呂に入っていると、そこまで気の抜けることもなく、本当に気持ちよく湯に浸かることができる。
出張でホテルに泊まる時も、大浴場のあるところを選ぶ。サウナのあるところならなおよい。出張で九州に出かけた昨日も、どうせならということで、大浴場ではないが温泉の外湯に入りに行ける宿泊地を選んだ。200円の入湯料に加えて、一式揃えると結構な出費にはなったが、ゆっくり湯に入れる喜びに勝るものはない。
チェック・インの後、まずは早速食事に出かける。生まれて初めて註文したちゃんぽんに舌鼓を打ったあと(浅い皿に山盛りにした太めの麺と野菜タップリの具が美味だった)、早速、御前湯という源泉の湯に出かけた。まあ、普通の銭湯である。温泉地ではあるが、来ているのはほとんどが地元の人たちだ。中には日曜日の部活帰りの小学生の一団もいる。孫を連れたお祖父さんもいる。何だか40年以上前にタイムスリップした気分がする。髪を洗い終わって目を明けてふと見ると、さっきまで空いていた隣の洗い場で祖父が身体を流している。おじいちゃん! 思わず声をかけてしまうところだった。40年の時、1000㎞の距離っていったいなんなのだろう…… 湯に浸かる。このまま湯と一体になってしまってもいい、そんな思いも抱く。ゆっくり湯に浸かれる幸せは本当になにものにも代え難い。
心まで温めて外に出ると、既に日は沈み、夕闇が迫っていた。ほのかに硫黄の匂いがかおる。飛び立ったばかりの飛行機の3つの明かりが、轟音を残して空を覆う雲の彼方へと消えていった。
万葉びとをも癒した温泉の看板.jpg
〔万葉びとをも癒した温泉の看板〕

          §          §          §

テルマエロマエという映画が大ヒットしている。映画などほとんど縁のないぼくが見ているくらいだから、それも当然という気もする。筋が見え見えで意外性はないにもかかわらず、ついつい引き込まれて見てしまった。決め手は多分風呂なのだろう。風呂のもたらす気持ちのゆとりが、大らかな気持ちで映画を見させてくれるのである。
あと、あの映画の本筋ではないが、ハドリアヌス帝の描き方が面白かった。ユルスナールや須賀敦子に見せたらどんな顔をしただろうか。今のイタリア人がローマ人のように風呂好きなのかどうかは知らないけれど、やはりこの映画は日本人でなければわからない感覚なのかも知れない。海外でも上映されることになったというから、どんな反応が出るか、ちょっと楽しみでもある。
ラベル:記憶
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2012年06月09日

季節外れ二題

マリア・シュターダーの『IN DULCI JUBILO』と題するCDが届いた。シュターダーのアルバムを調べていて、2008年に発売されていたことに気付いたものだが、ジャケットの写真も載っておらず、中味も紹介されていない。あとになってから、別のサイトで収録曲名まできちんと紹介されている見付けたけれど、シュターダーの名があってさえ、ほんとうにマリア・シュターダーだろうか、と註文を躊躇したくらいだ。名まえがなければ、まず通り過ぎたに違いない。
マリア・シュターダー IN DULCI JUBILO.jpg
〔マリア・シュターダー IN DULCI JUBILO〕

ほとんど期待せずに求めたが、一聴して耳を疑ってしまった。シュターダーの歌声は、ミサやカンタータ、あるいは歌劇の中で聴けるものがほとんどで、独唱の形で聴けるのは少ない。それだけでも貴重だが、一曲一曲を慈しみながらそれこそ愛おしむように明晰に語り聴かせてくれるシュターダーの歌声に、自然と頭が下がってくる。肩肘張らずに親しみやすいが、小曲だからと言ってけっして流さない。ひたすら真面目である。それでいて暖かく聴き手を包み込んでくれる。シュターダーがこんなCDを残してくれていたのだ。
IN DULCI JUBILOとは、もろびと声あげ、と訳されている讃美歌のこと。このアルバム、実は讃美歌を中心とするヨーロッパ各地のクリスマス・ソング18曲を集めたものなのである。最後は、日本人にもお馴染みの「きよしこの夜」で締め括られるクリスマスソングの数々。ほんとうに宝石のようなアルバムだ。1961年の録音とのことだが音はとても鮮明で美しい。きっとLPレコードの時代にも出ていたに違いないのだが、気付かなかった。ハ短調ミサとはまた違った意味で、シュターダーの絶唱というに相応しい名盤である。
なお、多分LPではクリスマスソングだけだったのだろうが、このCDでは、最後にK.165のエクスルターテ・ユビラーテと、K.339のヴェスペレハ長調のラウダーテ・ドミヌムが収められている。言わずと知れたこれらの曲の決定版ともいえるシュターダー名唱である。
(追記)『IN DULCI JUBILO』の解説により、シュターダーが1999年に他界していたことがわかった。『Stader in Memorial』はそのの発売年がよくわからないけれど、追悼盤ということだったのだろう。

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季節外れついでにもう一つ書いておく。奈良というところはどうもあまり宣伝がうまくないところで、お寺とシカに代表され、うまいものナシなどと、さんざんの言われようなのだが、一昨年の平城遷都1300年祭あたりから、少しずつであるがは改善の方向が見えてきたかな、という気がしないでもない。
今年の冬、駅で見付けて感心したポスターがある。これが何枚も並んでいるのを見た時は、思わず、年甲斐もなく、カワイイ! と思ってしまった。鼻の頭に雪を付けたシカの表情がなんともあどけない。もう一つ、ああこれはと思ったのは「いっしょなら、あったかいね」というキャッチ。近鉄電車の車体を飾っていたのも見たことがあるが、これは万葉集に載っている光明皇后の歌を下敷きにしているのだという。歌の良し悪しはわからないものの、あなたと一緒に見られたならば、どんなにかうれしかったでしょうに、という素直な気持ちをストレートにうたっている。なかなか凝っているのである。
奈良シカポスター.jpg

このシカ・ポスターにはいろんな季節のヴァージョンがあるらしい。ぼく的にはこの冬ヴァージョンが最高と思っているが、シカを前面に出すことで、逆に奈良らしさを強調できていて、なかなかやるではないかと思った次第。もっとも、その後が続かないのが惜しいというか、奈良らしいというか。現地に現地のポスターを貼っても仕方ないのかも知れないけれど、伊勢・志摩のポスターばかりに席巻されているというのは何とももったいない話だ。
ラベル:音楽 奈良 CD
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2012年06月06日

『金大中獄中書簡』を読む

千代田区の生活空間を二つに分ける九段坂の北には、これとほぼ並行する2本の急な坂がある。1本めは中坂、2本目がモチノキ坂で、いずれもその急さ加減は半端ではない。そのモチノキ坂を右手に見送って少し北に行ったところに、ぼくの通っていた中学はあった。ちょうど崖にへばりつくように建っていて、校舎の東端にあったプールは西の校門側からいうと、地下2階に相当する高さだったように思う。しかし、そのプールもまた崖の上にあった。
そんな校舎を日蔭にして、校庭の南東側の崖下に高層ホテルが建設されたのである。ちょうどぼくが中学に進学する直前のことだった。そんな目の上のたんこぶのようなホテルを舞台にして、まさか世界を揺るがす大事件が起きようなどと、誰が予想できただろうか。
1973年8月、中2の夏休み中の出来事である。このホテルに泊まっていた韓国の元大統領候補金大中氏が行方不明になる。のちに、時の朴正煕大統領の命を受けたKCIAの仕業だと判明する、いわゆる金大中氏拉致事件である。日本では前の年、つまりぼくが中学に入った年に、子ども心には永久に続くのではないかと思われていた佐藤栄作内閣が倒れ(7年かそこらだが、物心ついてから政権交代を知らなかったのだから無理もない。今の日本では考えられない、ウソのような話だ)、日本列島改造を打ち出した田中角栄が総理になって飛ぶ鳥も落とす勢いだった。しかし、お隣の韓国では未だに朴正煕が大統領の座に居続け、いったい何が起きたら彼が政権の座から降りる日が来るのか皆目見当が付かないようなありさまだった。
この事件、軍事クーデタで政権を取った朴正煕と、民主化の期待を一心に担う金大中という構図であり、金大中氏に同情が集まったが、それだけだった。その後、朴正煕が暗殺されてあっけなく長期政権が終結した後、一旦民主化に傾きかけた流れが全斗煥の軍事クーデタによって頓挫し、金大中氏も光州事件の首謀者とされて死刑判決を受けることになる。国際的な非難の中で、なんとか死刑執行は回避されたが、金大中氏は5年半を監獄で過ごし、4年にわたって軟禁状態に置かれた。一旦アメリカに渡った後、曲折を経て政治活動を再開するが、民主化をともに戦った金泳三がまず大統領に就任し、金大中氏は一旦政界から退いたのだが、不死鳥のようにカムバックし、1998年から2002年まで大統領を務めた。いわゆる太陽政策を進めて南北融和に努めたことは記憶に新しい。
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そんな一通りの知識しかなかったぼくは、金大中氏について、その政策には共感しながらも、理想に走った政治家としてのイメージしかもっていなかった。しかし、『金大中獄中書簡』(岩波書店刊)は、そんなイメージを打ち砕いてあまりあるものだった。この本は、金大中氏が獄中から家族に宛てた29通の手紙を収めるが、特にその最初の5通は死刑執行と向き合う極限状況で家族に宛てて綴られたもので、まさに遺言といってもよい。
第1信 死のおとずれとイエスの復活への確信 妻宛
第2信 父の罪責感 次男宛
第3信 敵に対する赦し 三男宛
第4信 妻の道 長男の妻宛
第5信 世のすべてがイエスを否定しても 妻宛
それはまさに静謐としかいいようのない確信と優しさに満ちあふれている。家族の苦しみを思い、感謝し、神のみ心に全てを委ねる。世の全ての人がイエスを否定してもイエスを愛する。全ての神学者がイエスは神の御子ではないといっても彼を信じる、全ての科学者がイエスの復活を論破しても信念に変わりはないと明言する。金大中氏は弟子たちのめざましい活動にその根拠を求めるが、まさに弟子たち、特にパウロを回心させ死を賭して伝道に向かわせたものを、金大中氏は自らの心に点し続けているのである。息子に社会学と哲学のエッセンスを語る透徹した目にも驚かされる。そこには死刑執行への恐怖は微塵も感じられない。極限状況にあってなお、いやあればこその神への深い信頼と、家族への深い愛に、ほんとうに心を打たれる。韓国の独裁を終わらせ民主主義の門を開き、日本と韓国の幾重にも閉じられた門を開いた金大中氏の行動の源泉には、こうした彼のクリスチャンとしての確固たる信念があった。こんな政治家が実在したのである。いや、それ以前にこんな生き方をした人がいたことにまず、大きな感銘を覚える。
ぼくには信仰の素地がない。でも、「クリスチャンとなった幸福は何といっても人(敵)を憎むことなく愛することができることです。」という金大中氏の信仰告白を読む時、人をそのような心持ちに導くものに、畏敬の念を抱かずにはいられない。
ぼくは全部で29通の手紙からなるこの本をまだ読み終えたわけではない。第5信まで(Ⅰ章)読んだところで、Ⅰ章を繰り返し読んでいて、先へ進めないでいるのだ。まだまだ読み取るべきことを充分読めていないような気がして、どうしても振り出しに戻ってしまう。ここまで、分量にすれば、わずか18頁分に過ぎない。しかし、それはまさに万巻の書に値する。
信仰とならぶ本書のキーワードは家族である。金大中氏の篤い信仰と家族を思いやる心、それを支えたのは他ならぬ奥さんの李姫鎬さんであり、3人の子どもたちであった(しかもそのうち上の2人は先妻の子である)。それは支えたというより、金大中氏自身が述懐しているように、育んだといっても過言ではない。家族の存在が人間にとってとは何であるかを、信仰に根ざした人間の生き方とともに、深く考えさせずにはおかない。
          §          §          §
ぼくの母校の中学は、数年前父の母校である近隣の高校と一体化して中高一貫校になり、その使命を終えた。校庭にあった母校のシンボルのシイの木、もしかしたら金大中氏拉致事件をも見ていたかも知れないあの木は今どうなっているのだろう。
現代史に残る事件がぼくの生活空間をかすめていたことに改めて驚くが、それ以上に金大中という稀に見る信仰の人生のそばをぼくのそれが通り抜けていたことに深い感銘を覚える。こんなことをいうのは恐れ多いことかも知れないけれど、金大中氏の生き方が、イエス・キリストの姿と二重写しになって見えるのは、ぼくの錯覚だろうか。
ラベル:読書 記憶 東京
posted by あきちゃん at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする