2012年08月26日

浜離宮庭園を訪れる

1枚の古ぼけた記念写真がある。つや消しの落ち着いた色合いのキャビネサイズのモノクロ写真。曇り空と海を背景に、水筒を肩からかけた小学生が並んでいる。今から45年前の遠足の集合写真である。ところは浜離宮の海べりの柵の前。芝生に並んで撮影の順番を待った記憶が今でもある。2クラスしかなかったのだから、そんなに長時間待ったはずはないけれど、あるいは3年生も一緒だったのだろうか……。
遠足には写真屋さんが同行するのが常で、35㎜の一眼レフでスナップを撮ってくれる一方、最適の撮影場所を選んで、大判のカメラで、一世一代のといってもいいくらいの記念写真を撮ってくれる。スナップに写っていないことはあっても、集合写真には必ず写っているから、楽しみではあった。しかも撮影用の黒布(たいてい反対側が赤い)を被って見慣れぬ大判のカメラをのぞきながら、なにやらがちゃがちゃやっている様子が不思議で、遠足の楽しみの一つでもあった。でも、なかなかじっと待ってもいられなくて、いつもいざ本番という時には緊張がきれてしまって、思ったような顔ができなくてあとでがっかりするのである。
今ぼくは記憶で書いているから、浜離宮の写真でぼくがどんな顔をしていたか、実はわからないのだけれど、1枚の写真として、またその写真を撮ってもらった場面として、さらにはその遠足の1日として、いろんな大きさの額縁で切り取られた記憶が重なり合って、鮮明に甦ってくる。

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その浜離宮に45年ぶりに訪れた。近くに行ったことは何度もあったが、わざわざ中に足を踏み入れてみようということもなく、半世紀を過ごしてしまっていた。今では3方向を林立する高層ビルで囲まれている。それでも唖然とするほどの広さだ。あっけらかんとした庭である。海水を取り込んだ汐入の池を中心に、鴨場や馬場がしつらえられ、御殿や茶屋が点在する。
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〔八景山から見る汐入の池〕

甲府宰相綱重の別邸浜屋敷が、その子綱豊が綱吉の子として6代将軍家宣になるに及び、将軍家の浜御殿となったものという。浜松町から歩いて中の御門から入ったので、後から気付いたのだが、北西側には立派な石垣を伴った大手門があり、関東大震災までは門が残っていたという。城としての風情ももつのである。浜辺に造成したため、せいぜい掘った池の土を盛り上げるくらいしかできなかったのか、園内の起伏はそれほどでもない。でも富士見山とか樋の口山とかいったかわいらしい山が設けられていたり、将軍が鴨猟を楽しむための至れり尽くせりの人工的な鴨場が2つも作られていたりする。今は歩いて廻るだけの楽しみ方しかできないけれど、海水を引き込んだ池では釣りも楽しめたというし、当然御殿で宴会も行われた。いわば将軍家の総合的なレジャセンターのような趣もあったのだろう。
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〔横堀と樋の口山〕

しばし近くを通る高速道路の轟音も忘れ、蝉時雨や岸壁に打ち寄せる波音に心を浸す。残暑は厳しく、日射しも半端ではないけれど、吹き抜ける浜風に身を任せていると、周囲に立ちはだかる高層ビル群の存在もかき消されてくる。すぐ前で青い眼の子たちがはしゃぎまわっている。外国人の饗応に使うこともあったに違いない。ワイシャツをまくって木陰で横になるサラリーマンもいる。見回りの武士が一息入れることもあっただろう。鴨場に鉄砲が響く。驚いて飛び立つた鴨の羽ばたき。黒と白の立派なネコが梅林に佇んでいる。魚釣りに興じる女官たちの歓声……、芝生で鬼ごっごに興じる小学生だったぼく……お上がりに着いた船から今まさに上がってくる将軍の姿…………
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〔横堀水門から将軍お上がり場を望む〕


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大手門を出て、21世紀に晩夏の夕刻の現実に引き戻されても、吹き渡る風はそのままに爽やかで心地よかった。
タグ: 記憶
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2012年08月14日

再び夏を惜しむ

晩夏を彩る風物詩といえば、夕立であろう。梅雨明けを告げるのが雷鳴であるように、夏の衰えを象徴するのもまた幾分弱々しげな雷鳴である。刷毛で描いたような絹雲と地平線の入道雲が同居するようになると、夏の名残を惜しむような夕立が何日かあったあと、どんよりとした日々が続くようになる。今年はどうも10日は季節の推移が早いような気がする。まだお盆だというのに、もう晩夏の気配が色濃く漂っている。
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〔晩夏の絹雲〕

昨晩は21時過ぎには雨になるだろうという予報だったので、早めに犬の散歩に出た。明かりの点滅を感じ、街灯が切れかけてるのかなと思ったら、何やらゴロゴロ言い出すではないか。降る気配はまだないが、そのうち東の空が明滅しているのが見えた。30秒ほどして雷鳴が響き渡る。西の彼方からの遠雷だった。どうも西の空の稲妻が、東の空に反射していたらしい。
閃光と雷鳴の間隔がずいぶんあるので油断していたら、ポツポツと大粒の雨滴が落ち始めてきた。犬はむしろ喜び勇んで、リードを引く力も増してくる。これはちょっとやばいかなと思った途端、一瞬ザッと来た。走らなくちゃ! とういうわけで、散歩のつもりが、遠雷に追われての思ってもみなかった夜のランニングになった。喜んだのは犬の方。ぼくは息を切らす始末で、いつものコースをショートカットして、家に向かって一目散。ちょうど近づいてくる雷雲に向かって走る方向だったが、なんとか本降りになる前に家に,辿り着くことができた。結局夜半まで降って、30ミリ余りの雨になったようだ。

この雷雨も晩夏特有の熱雷とは少し性格が違うらしい。数日前に中国大陸に上陸して衰えた台風の湿気を伴った気圧の谷が前線を伴って南下して来ていて、それに伴う大きな雨雲が日本列島をすっぽり覆い始めている。なんということはない、前線に伴う雲が発達して降らせている雷雨なのである。最近の予報精度は本当にたいしたもので、降る直前に散歩(ランニング!)を終えられたのも天気予報のお蔭だ。
先週の何曜日だったかの夕方の雷雨も、これまでだったら、普通の局地性の熱雷で片付けていたかも知れないけれど、雲の動きを見ていると、明らかに、雷雲が北からの風に乗って近畿を横切っているのがわかった。雲そのものは小さくて、降り方は局地なのに、けっして奈良盆地の中で収まるような局所的な天気変化ではないのである。

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灰色の壁面に囲まれた尖塔が見え、続けてずっしり大きな三角形の山容が現れた。 赤岳石室から望む代赭色に光る赤岳のようでもあるし、硫黄岳から望んだ阿弥陀岳を従えた赤岳の偉容のようでもある。そういえば最初に見えた建物は清泉寮ではないか。聖アンデレ教会にはあんな尖塔はなかったはずだから、どこかヨーロッパの教会の景色が混じっているようなのだが、夢に現れた景色は、数年前まで夏と冬を過ごすのが恒例だった八ヶ岳の麓の晩夏の光景だった。
今年のように季節の移ろいの早い年の清里の今頃はどんななのだろう。ソフトクリームで有名になった場所だが、人の多いのはほんの一画だけで、静かな森を満喫できるのが清里の森だった。雨合羽の装備を調えて、雨の森を歩き回ったこともあったし、夜の散歩に出かけたこともある。雨の日は景色が見えない分より深く森を味わえたし、夜は月明かりがあればむしろ明る過ぎるくらいで、月がなくて意外によく見え、なにより耳で森を堪能でいるということを知った。
それにしても、訪れたのは盛夏が多いはずなのに、晩夏というと清里を思い出すのはなぜだろう。夏の想い出は過ぎ去りゆくものだからだろうか。
タグ:季節 記憶
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2012年08月09日

夏を惜しむ

立秋も過ぎ、日中はまだまだ猛暑が続くけれど、どこか季節の移ろい感じ始める頃である。広島、長崎の原爆忌、そして敗戦の日と続く戦争の傷跡が、夏の深まりを教えてくれる。長崎の原爆忌が都会の夏休みのほぼ折り返し点。敗戦の日は、それがもう後半に入ったことをダメ押しするような、そんな役割を果たす日である。小学生だったぼくは、次第に憂鬱を募らせてゆく。夏休みの初日から始まった公園でのラジオ体操会が20日で終わると、夏休みの残すところあと10日。そして甲子園の準決勝、決勝の興奮が冷めやると、憂鬱は頂点に達するのだった。

8月後半の秋風の立つ頃というのは、1年のうちでも一番変化を肌で感じる季節である。暑さからの解放は、寒さからのそれよりもなぜかホッとする。『風立ちぬ』や『晩夏』に描かれたこの季節の趣は、この年になると否応なく感懐を誘うのだが、子どもの頃この季節はまさに地獄だった。それを味わう精神的余裕がなかった。宿題に追われるというのもその理由ではあった。しかしそれはおまけのようなもので、また学校に通う普段の生活も戻るのが怖ろしかったのだ。2学期が始まってしまえば別になんということはないのである。しかし、それが始まるまでの不安から逃れることができなかった。
夏山に出かけるようになってからは梅雨明けが待ち遠しくなるようにはなったが、山を下りてくるともう夏はうんざりだった。山の爽やかな空気を経験した分だけなおさらだった。暑さそのものを拒否するようになった。どうして夏嫌いになったのであろう。元々夏が好きでないというのも一因ではあろう。子どもの頃から水が嫌いではあった。海は好きでなかったし、プールも好きでなかった。人前で裸になるのがいやだったし、ましてや着替えなどもってのほかだった。そんなだから泳ぐのも上達するはずがない。面かぶりのバタ足5mができるようになったのが2年生になってから。3年生でクロールより先に覚えたのが犬かきで、25m泳いだのは、その犬かきが最初だった。帽子の色や線で、泳力が一目でわかるようになっていて、自由形で25m泳げれば、赤帽に黒線二本(後には白帽)をかぶれたのである。まあ根性だけは人並みだったようで、4年の時これではダメだと思って、夏休みに水泳教室に通って一応のクロールを身につけ、その後秋にかけて平泳ぎも習いに行った。でも結局、今でもこの時身につけた以上のことはできないでいる。

晩夏の季節の推移は年による特徴も大きい。突如秋雨前線が出現してどんよりした日々が続き、それが明けると一気に爽やかな空気に包まれるという年もあれば、いつまでも夏の高気圧が南日本にがんばっていて残暑が厳しく、低気圧がはるか北方を通過して行く年もある。黄海で低気圧が発生しては日本付近を通過し、次第にそのコースが南下していて、いつの間にか周期変化に移っている年もある。かと思うと、北上する台風が夏の高気圧を復活させ、身動きが取れぬまま季節の変動を暫く止めてしまうようなことも起きる。
ゆく夏は惜しむべきものだ。それがこの年になってようやくわかってきた。はやく暑さが収まれば、とそれだけ考えて育ったのだけれど、これは悲しむべきことだ。よしあしは別として、衰えゆくものを惜しむ感情をどうも日本人は自然と身につけているような気がする。正の方向に変化する時には一刻も早い変化を熱望するのに対し、負の方向に変化する時にはそれが少しでもゆっくりと進むように願う。衰えるものをいとおしみ、いつくしむ。季節では、ゆく夏や秋を惜しむことはあっても、冬や春を惜しむことはない。冬には春を思い、春には新緑も季節を思い、新緑の季節には夏の到来を心待ちにする。晩夏や晩秋には郷愁を誘われるけれども、晩冬や晩春には心を動かされない。そうした滅びに向かう季節に、原爆忌や敗戦の日が散りばめられているのは、偶然とは思えないのである。

昨夜も空気が澄んでいた。涼しいくらいに風が心地よかった。左に向いたカシオペアの「W」が中天に輝き、北極星をはさんで北斗七星の柄杓が水を受けている。日中の暑さはまだまだ厳しいものの、暦とともに確かに秋風が立ったのを感じないではいられない。
タグ:記憶 季節
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2012年08月03日

猛暑に想う山、めぐる季節

夏らしい暑さが続いている。毎日強烈な日射しが降り注いでいる。猛暑といってよい。でも、今年の暑さには、じとっとしたベタベタ感が少ない。比較的カラリとした感じの心地よい暑さだ。しかも、朝晩はたいへんに過ごしやすいい。今日も犬と恒例の夜の散歩に出かけたが、吹いてくる風が本当に心地よかった。場所によっては適度にひんやり感をともなうところもある。多分明日あたりが満月なのだろう。月がまさに皓々と輝いている。夏の月はもっとも黄色っぽいイメージが強いのだが、今日の月は清澄そのもの。真冬の澄んだ空気を思わせる色だった。高気圧が南からではなく、列島の上にどっかりと腰を据えているためだろう。しかも周辺にある台風に向かって結構風が吹き出している。空気が淀まないのである。暑さを楽しむ余裕を与えてくれるのである。
こんな時の夏山はどんなのだろう。梅雨明け十日が一番天気が安定するというが、山につきものの雷も起きない安定した天気が続いていることだろう。考えてみると、この古拙に登ったことのある山は、ほとんど八ヶ岳ばかりだ。硫黄岳に始まり、赤岳・阿弥陀岳、そして横岳から赤岳からキレットを越えて権現岳・編笠山への縦走。南八ヶ岳をひとわたり歩いた後は、北八ヶ岳のひっそりとした池をめぐりながらの静かな山旅。麦草峠を拠点にして、天狗岳の双耳峰にも出かけたのだった。
高校時代の蓼科山登山も忘れられない。早朝に寮を出発し、クラス全員が力を合わせて山頂をめざす。赤岳の山頂を初めて踏む前のことだった。蓼科山から南八ヶ岳の峰々を望んだ時の感激は今でも忘れられない。北八ヶ岳の池を最初に訪れたのもこの時だった。まだ舗装もしていなかった大河原峠から双子山に登り、双子池、亀甲池とめぐって、天祥寺原を蓼科の円頂を望みながら大河原峠へ戻るコース。天祥寺原の景色を思い出すと、なぜかシューマンの4番のシンフォニーが鳴り響く。山と音楽がどうしてこんな風に結びつくのだろう。他にはこんな例をすぐには思い出せない。それほど、この連想は強烈なのだ。

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〔飛行機から望む富士〕
山が見たくなって、古い写真をいろいろ探してみた。すると、季節が違うが、初冬に伊丹より青森に向かう飛行機から撮影した写真が出てきた。すぐにわかるのは富士山だけで、手前の山々が南アルプスなのか、中央アルプスなのか、八ヶ岳はどこなのか、俄にはわからない。でもこの写真を撮った時の幸福なひとときを今でも思い起こすことができる。1万メートルの上空から望む山々の神々しさを表す適切な言葉をぼくは知らない。
初冬の丹沢にテントを担いで1泊の山旅に出かけたことがあった。先輩と後輩とぼくの3人のパーティーで、凍てつく山中で酒を酌み交わしながら、時を忘れて語り明かした幸せな時間は貴重だった。この山旅には思いも寄らないおまけが付いた。翌日丹沢湖までの永い単調な山道を辿っていたぼくは、突然記憶が途切れた。何度か回転して最後にゆっくり回って身体が止まった時、次第に意識が戻ってきたのに、自分がいったいどういう状況にあるのかすぐにはつかみかねていた。目が見えない。あたりには夕闇が迫っていた。ぼくは、単調な山道を踏み外し、左の沢に転落していたのである。辛うじて藪に引っ掛かって止まった状態で意識を取り戻したのだった。後から聞くと、同行の2人も、突然ぼくが視界から消えて唖然としたとのこと。まさに過ちは易きところになりて、そのものであって、全く不注意にもほどがある話なのだが、めがねを飛ばしてしまっただけで、ケガ一つしなかったのは今思えば本当に不幸中の幸いだった。
同じパーティーでこのあと南アの白根三山を縦走した。その後も穂高をめざす計画を練ったが、天候の加減もあってついぞ実現せぬまま、先輩も後輩もそしてぼくもそれぞれ別々の土地に職を得て人生を歩むことになった。そんなこんなで、ぼくはこの年までまだ北アルプスとは縁がないままだ。一度だけ、家族を連れて大雨の中を上高地まで車で出かけたことがある。当然のことながら、山は厚い雲の中だった。
北アとの最初の出会いはそれから10年後、青森行きの飛行機から望んだ雪を頂く神々しい姿だった。幾重にも連なる重量級の山々の中から一点明瞭に天に向かう槍の尖頭、そして雪に埋もれた深い谷間を埋める黒部湖の底知れぬ紺青が眼に焼き付いて離れない。
タグ:季節 音楽
posted by あきちゃん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする