2012年09月29日

金木犀の開花を前に北上する台風

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〔北上する台風。2012年9月29日12時の天気図〕
沖縄・奄美を通過した台風17号が本州を縦断する気配である。今年は台風の北上傾向が強いので心配していたが、台風来襲の特異日である25・26日頃に北上してきそうな台風もなくホッとしていた矢先である。怖ろしいのは真っ直ぐに本州をめざして北上してくる台風である。特に大型の台風は、貿易風や偏西風の影響と無関係に、たとえ上空の風が弱い場合でも、自力で北上する力をもっているということを読んだことがある。狩野川台風などはその典型で伊勢湾台風などがその典型であろう。
これに対し、日本に来襲する普通の台風は、フィリピンの東からマリアナにかけての太平洋で発生したあと西北西に進み、沖縄近海で偏西風の影響を受け始めて速度を緩めて徐々に転向し、以後北東に向かって速度を増しつつ日本列島を横切るというのが、一般的な経路である。日本付近で偏西風の影響を受けて東よりの移動成分が多くなるほど威力は減る傾向にある。進路の右手にあたる危険半円にあたる側も、台風の速度による風の倍加を受ける度合いが減るのだろう。さらにもっと偏西風が強ければ台風は北上どころか東に流され、上陸することもなくなるわけである。そのへんは台風の大きさ(強さではない)と偏西風の強さの駆け引きということになるのだろう。強くても小粒ならば偏西風の影響を受けやすくなる。中学生だった時分だと思うが、八丈島で945ヘクトパスカルの気圧を記録し猛烈な風も吹かせた台風が、東京には普通の晩秋の雨しか降らせなかったことがあった。10月初めのことであったと思う。

さて、今回の台風17号は、規模は中型程度だが、沖縄近海を通過し奄美大島の南を抜けている現在も強い勢力を保っている。移動方向は北東で、今後が心配である。南海上にそれるには少しく規模が大きい。また仮にそれるにしても北側に強い雨雲を伴っているようだから、雨の注意は必要である。これまでの動きを見ていると、沖縄付近でかなり東よりの動きが見えて来ている。気象庁のアメダスで1時間ごとのデータを見られるようになったので、台風がどこを通過しているかが素人眼にも見当がつくようになった。台風の進行方向右側では風は右回りに変化し、進方向左側では左回りに変化する。それと眼に入ったことをしめす一時的な風の弱まりが目安になる。

〔アメダスによる沖縄付近の1時間ごとの気象変化〕
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渡嘉敷島や慶良間島では9時から11時にかけて風向きが東から時計回りに南東、南西、西北西に変わっている。いずれも10時頃20~30mだった風が数mに落ち、眼に入った状態を示している。慶良間島のすぐ西を通ったのだろう。もう少し西にある久米島では、同じ頃東北東から逆に左回りに北西へと変わり、台風が東側を通過したことを示す。少し北の粟国島では10時まで東風が続き、11時から12時にかけて北北西に回っている。気圧は久米島と那覇しかわからないが、久米島の最低気圧は9時の959.7ヘクトパスカル、那覇は11時で947.7ヘクトパスカルだから、那覇は2時間も後に中心が一番近づいたことになる。とすると、慶良間島の西から渡嘉敷島のすぐ北へ抜け、かなり東寄りに進んだものとみられる。
その後、名護では12時から13時にかけて風向きが南南東から西南西に変わっており、気圧も12時が948.6ヘクトパスカル、13時が949.5ヘクトパスカルだから、台風はこの間に名護のすぐ北を通ったようである。この頃の台風の中心気圧は935ヘクトパスカルとされていて、930代まで下がった可能性もあろう。沖縄本島最北端の奧では14時から15時に東南東から西北西に急転していて、どちら回転かがわからないので決めてはないが、恐らくごく近くを通っていると見て間違いない、つまり、本当沖縄本島最北端をかすめるように抜けたのである。但し、奧の気圧はデータがないのでわからない。奧からみて西北西に位置する伊是名島では13時まで東寄りだったのが、14時に北北東、15時に北北西に回転しているので、台風が島の南側を通ったことがよくわかる。地図に経路と時刻を書き込んでみると、だいたい下の図のような感じになるだろう。
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〔台風17号の沖縄付近の推定通過経路と時刻〕

沖縄は台風通過時、30~40mの風が吹き荒れ、雨も1時間あたり30㎜程度の雨が長時間連続して降った。 こちらはこれからである。明日は関西は昼間の来襲になりそうである。台風というと夜中に1時間おきに流れるラジオの臨時ニュースに耳を傾けながら過ごした子どもの頃の台風を思い出す。10年ほど前には午後に最接近して電車の架線をなぎ倒していった台風もあった。水不足の関東には恵みの雨になるかも知れないが、それ以上の被害をもたらすことなく、自然の猛威が早くに過ぎ去ってくれることを切に祈るばかり。もう金木犀の花芽がだいぶん膨らんでいるはずである。
タグ:天気 季節
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2012年09月17日

『病める丘』を読む

町から10㎞ほど離れた丘の斜面の9,000坪に及ぶ広大な敷地。角ヶ丘(つのがおか)と呼ばれるその丘のS字カーヴを登った上の家に住む父安西英輔と、娘敦子、そしてボルゾイ種の犬イワン。この丘の売却を父が娘に告げるところから、父、そして娘がそこから出て行くまでを、少ない登場人物の心の交流と葛藤を丹念に描きながら、わたし(敦子)の筆で書き進めていく。S字カーヴの2つのカーヴの間には、桂の老木が太い根を張り、車はここまでしか登れない。この木の重厚かつ諦観に満ちたイメージが、安西家を、そしてこの本全体のイメージを支配している。この世から忘れ去られたような隔絶した世界、角ヶ丘の末期の物語である。
事の発端は、父英輔と今は園部夫人となった千鶴の恋にあった。2人の関係は千鶴が園部亮三と結婚して園部夫人となってからも、現在まで15年連綿と続いていた。20歳で敦子を、続いて弟の一郎を産んだ母は、3年前、敦子の許嫁だった友田順次と出奔し英輔と離婚、今は岡山の実家に戻っていた。英輔の事業はこれを契機に傾き始める。英輔を助けるため、千鶴は夫園部亮三への角ヶ丘売却の仲立ちをする。物語は、園部亮三が英輔の娘敦子と次第に深い関係を結んでいく過程を軸にまずは展開する。
園部亮三が敦子に近づいたのはなぜか。夫人への復讐の意図をいうのは容易い。しかし、英輔との関係を承知で千鶴と結婚した亮三に、そうした意識があったとは考えられない。角ヶ丘という場が、没落を目の前にしたいわばその妖気が、亮三を否応なく敦子へと向かわせてしまったとしか思えないのである。角ヶ丘の持ち主が変わる日までと期限を限ったのは敦子の方であった。亮三もまた角ヶ丘の物語の犠牲者なのである。

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〔原田康子『病める丘』(新潮文庫)〕
うろ覚えだが、粗々のストーリーを追いかけてみる。敦子は園部亮三との逢瀬の外泊を重ねながら、早朝に帰宅して父の朝食の準備をする奇妙な生活を続ける。父の札幌行きは、敦子に平穏な5日間を与える。止める亮三を振り切って父を駅に出迎えようとした敦子は、父の後ろに園部夫人の姿を認めてしまう。園部家を訪ねた敦子は、父と園部夫人との15年の歳月を知る。敦子は園部亮三との別れを決意し、一方英輔への思いを断ち切れない千鶴は安西家に通い、今度は敦子と園部夫人との奇妙な生活が始まる。しかし、敦子は父と園部夫人を近づけるのを口実に、一旦は諦めた園部亮三の元へ走る。千鶴は英輔に会いたいばかりに敦子が夫とのよりを戻すのを黙認する。敦子と千鶴はいわば共謀して英輔を騙し続けるのである。敦子と園部亮三の仲を知っているのは、敦子と園部夫妻の3人だけで、父英輔だけがそれを知らない。そして誰もそれを漏らす心配はない。しかし、万一英輔が一切を知ったらどうなるか、自殺か出奔しかないと園部亮三に指摘された敦子は、父の死という自らの予感に形を与えられ、その恐怖に取り付かれていく。
父と夫人が庭に出ている時、突如園部亮三が測量のために角ヶ丘を訪れる。狼狽した敦子は庭に飛び出す。スローモーションビデオを見るような4人の微妙な動きと心理。敦子が園部亮三の方へ動こうとした瞬間、夫人があげた、銃口を向けられた野鳥の悲鳴のような叫び。夫人から敦子へ、敦子から亮三へと順に視線を移した英輔は、一切をさとる。
その後敦子は必死で父の死を食い止めようとする。しかし、もう何をもってしても流れを止めることはできなかった。園部夫人は日本海に面した城下町に旅立つ。その準備の場面は敦子と夫人の心の交流を描き凄惨なまでに美しい。『挽歌』の怜子と桂木夫人の関係を思い起こさせる。一方、角ヶ丘では家具調度の運び出しが終わり、父と二人にだけになった晩、父の出奔を怖れて居間で眠られぬ一夜を過ごす敦子の一挙手一投足はまことに痛々しい。何度も父の寝室の前に赴いては居間に戻る。しかし貧血を起こしかけてとうとう父に気付かれてしまう。「風邪を引いたら鴨打ちに行けなくなるぞ」という父の優しい言葉に涙した敦子は、父に送られて居間で寝んでしまう。前の日の入念な猟銃の手入れは、出奔の準備だった。英輔は一晩まんじりともせず出奔の機会を伺っていたのである。目覚めた敦子は父の出奔を知る。全てが片付いたら鴨撃ちに行こうと言っていた父の言葉が耳に残る。その父の幻影を追い求める敦子は、園部亮三とともに、シラルトル湖を訪れる。イワンは敦子のいない間を選んで犬屋へ手放され、後始末に訪れた弟一郎も去る。そして、最後に残された敦子は、崖下のアパートで2ヵ月余りを過ごしたあと、園部亮三と最後の逢瀬の翌朝、目的のない旅へと発つ。こうして角ヶ丘に関わる人々は全てこの丘から姿を消すのである。春が来れば、丘は整地され、このような物語があったこと自体、園部亮三の心の中を除いては、全て忘れ去られるであろう。

作者のベストセラーとなった出世作『挽歌』の延長線上に捉えられることの多い作品だけれど、『挽歌』にはまだウィットや救いがあった。兵藤怜子の未来を描くだけの余裕があった。しかし、『病める丘』にはそれがない。暗い情熱がうずまいている。ただ、それはけしってやり場のない逼塞したものではない。それはそれとして受け入れる、諦らめにも似た気持ちが、鮮烈に流れているのである。途中レコードを聞く場面が何カ所か出てくる。モーツァルトの20番のニ短調ピアノコンチェルト、そしてバッハのチェロソナタ。まさにこれらの曲が、この作品の根底には蕩々と流れているのである。
この作品の深みを生み出しているのは、主人公と父の葛藤であろう。『挽歌』の兵藤怜子の父も谷岡夫人と恋に陥るけれども、それは怜子の生き方とは交錯しないところにあった。ところが、『病める丘』の安西敦子の父と恋人園部千鶴は、敦子の恋人となる園部亮三の夫であった。つまり、『挽歌』の桂木夫人と谷岡夫人が、『病める丘』では園部夫人として一体化しているわけで、その結果、52歳の父と25歳の娘の生き様がまともに交錯することになるのである。そして、娘への愛によって、逆に父の孤独はますます深まってゆく。語り手が私(但し、『挽歌』では、わたし)という娘であることは共通しているし、登場人物にも対応が認められる。しかし、『病める丘』は、けっして『挽歌』の第2ヴァージョンでも延長線上の物語でもない。主人公も心理描写も『挽歌』は微に入り細に入っていて面白く読ませるけれど、『病める丘』のそれは、饒舌に陥らず端的に心の動きを描写する。完成度は『病める丘』の方が格段に高いと思う。行き場のない暗さではないためか、ぐいぐいこちらを引き込んでいく力が文章に満ち溢れている。「どうでもよい」というのが『挽歌』以来の一つのモチーフなのだが、「どうでもよい」ようなことに拘るのが、かえって主人公たちの面目躍如たるところであろう。「どうでもよくない」からこそ、かえって濃密で完成度の高い心理物語が出来上がるのである。

          §          §          §

原田康子という作家の名は以前から知っていた。三浦綾子さんの本の中で、伊藤整に原田康子さんを紹介される話があり、『挽歌』の書き出しが素敵だと書いてあるのを読み、今では現役の文庫ではこれしかなくなっている『挽歌』(新潮文庫)を買い求めたのだった。実は、『挽歌』に大いに感激し、あろうことか3度目の読み直しに入っていたところで、古本で入手した『病める丘』をちょっとのぞいてみたのである。ところが、これが止められなくなってしまったのだった。『挽歌』はまことにいとおしい作品である。ぼく自身の言語感覚にこれほどピシャリと一致する作品は珍しい。これでさえ、原田康子の発見はぼくには画期的だった。しかし、『病める丘』を読み終えてみると、『挽歌』はまさに一編のファンタジーであったことが見えてくる。もちろんどちらが作品として上出来かというようなことは軽々に判断できないけれども、深みという点では『病める丘』が格段上の作品であるのは認めなくてはならない。
原田康子という作家の特徴は、理性的かつ清潔な筆致であり、饒舌でいてかつ端的な心理描写であろう。かなりきわどい世界を描いている部分もあるのだけれど、丁寧に書くべき所はくどいくらいとことん書き、読者の想像で膨らませるべきところは、少ない言葉で無限の広がりをもたせる流れの良い文章に圧倒される。そこには生来の知性と厖大な読書の裏付けがあるのだろう。知性が勝ち過ぎて説明的になったりせず(その典型的な例と思うのは、辻邦生氏の『夏の砦』。これもぼくの大好きな作品で、『病める丘』のイメージと重なる部分が大きい。福永武彦氏の作品はこの傾向がさらに顕著)、情緒が勝ち過ぎて感情的になったりもせず(現代の作品の多くはこの傾向が強い)、ほどよい調和が音楽のように美しく心地よい(原田さんの業績を概観するのに便利な本がある。(財)北海道文学館編『原田康子―「挽歌」から「海霧」まで』北海道新聞社、2010年刊)。
『挽歌』や『病める丘』にぼく自身がひかれるもう一つに要因に、主人公の父達とぼくがほぼ同年齢で、かつ同世代の娘をもっているということもありそうだ。今これらを読もうと思い立ったのも奇しき縁といえるが、村上春樹や伊坂幸太郎(娘に勧められて読んだが、ぼくはどうも彼らの作品が苦手だ)を読み耽っている娘がこれを読んだら、いったいどんな思いを抱くのだろうか。
現在、新潮文庫版の『病める丘』は品切れで入手できない。これは大きな損失だ。早めの改版・復刊を望みたい。但し、同書の奥野健男氏の解説はいただけない。『挽歌』の周辺を解説してくれているのはありがたく、サスペンスとしての色調の濃い本書の種明かしをしないのはよいとして、園部亮三や敦子の心理がわからない、不自然だ、といって切り捨てるだけでは解説にならない。この小説を理解できていないということを暴露しているようなものだ。登場人物の心を読み込めとまではいわない。しかし、理解できない心理であるとしても、作者の描いた世界を前提として、読者に紹介するのが解説の役割だと思うのだが。
なにはともあれ、三浦綾子さんに続き、原田康子さん、全然傾向は違うがこの2人の北海道の風土に根ざした作家にはまってしまった。原田さんは1928年の生まれ。三浦さんよりは少し若く、ぼくの父より2歳年上だがほぼ同世代で、父と同じ2009年に81歳の生涯を閉じている。次作を準備する中での逝去であったという。ご冥福を祈る。
最後に印象に残った言葉を一つ。「悲しみには耐えることができても、よろこびには脆い依怙地な人間の通弊」敦子が初めて園部亮三と結ばれた時の描写であるが、人間の本質を突いた言葉だと思う。それでいいのだと思う。
タグ:読書
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2012年09月16日

季節のうつろいを感じられること

長かった夏もようやく終わりが見えてきた。9月に入ってからも夕立のある日が続き、ここ数日も連日のように雷雨に見舞われ、晩夏特有の天候が尾を引いていた。しかし、ここへ来てようやく終息のシナリオが見えてきた。しかも台風がらみのダイナミックな結末である。湿った空気をもたらす夏の太平洋高気圧と、大陸育ちの乾いた空気を運んできた秋の高気圧、その間を割って北上する猛烈な台風、まさに役者が揃った感じである。もっとも台風が韓国に向かうなどというのは、太平洋高気圧がまだ健在な証拠で、まだ暑さのぶり返しは油断できないし、仮に秋めいてきたとしても、今度は日本への台風直撃の心配がある。これから2、3週間ほどが日本への大型台風来襲の危険がピークに達する時期だ、まだまだ気は抜けない。
沖縄は15号に続き、今回の16号も最大級の警戒と聞く。14号に比べると小粒だから、逆に局地的には勢力以上の風雨をもたらす心配がある。被害の出ないことを切に祈るばかりだ。そして、台風が向かう先の韓国南部沿岸地域も、あまり台風の直撃は聞いたことがない。無事を祈りたい。台風は普通太平洋高気圧の縁を廻るように弧を描いて動くものだが、勢力の強い台風は自力で動くためか、えてして直線的に北上する。今回の台風もかなり西ではあるが、狩野川台風(1958年)を思わせるような北上の仕方だ。あるいは、太平洋高気圧の形と台風の発達とに因果関係があるのかも知れない。

連日のような雷雨だが、じとっと蒸し暑い日の午後の夕立というのが本来の晩夏の雷雨のスタイルだが、ここのところの雷雨が違うのは、結構風があって雲が流れているのに雷雨があることである。むしろ風に乗って雷がやって来るというイメージである。だから、雷雨の前後ともに結構空気は澱んでおらず、遠望が効く。いつもの見慣れた風景ではあるが、若草山とその手前にはっきりと見通せる大仏殿と二月堂の三角屋根を撮った。右端には興福寺の五重塔の顔をのぞかせている。
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〔晩夏の若草山を望む〕
夏の間眼を愉しませてくれた若草山の緑は、これから秋が深まるにつれて徐々に冬枯れしていく。年が明けると1月半ば頃には山焼きがあり、冬枯れの茶色の上半分が焦げ茶色に染まる。それが一斉に芽吹いて薄緑に変わり、次第に濃さを増していくのである。若草山の色の変化は、まさに奈良の季節を象徴する景色といってよい。
カシオペアは、左向きのWはそのままだが、随分高くなったような気がする。その分、北斗七星の柄杓は町明かりに消されて見ることができなくなってしまった。調べてみると、もうすぐ冬の北天を飾るぎょしゃ座の五角形が顔を出し始めろようだ。星座の動きはまさに剋一刻と季節の動きを刻んでいる。
いずれにしても、こうして季節のうつろいを肌で感じながら日々を過ごせるのは、ほんとうに幸せなことと思う。
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2012年09月14日

片付け下手の言い訳と感謝

つくづく片付けが下手だと思う。片付けほどストレスのたまることはない。きれいに片付いていた方が気持ちのいいのはわかっている。しかし、きれいな状態を維持するのは並大抵のことではない。書物にしても書類にしても、必要なものを取り出して使ったあと、元の通りに戻すように心がければ、散らかるはずはないのである。なのにこの元通りにするという単純な作業が苦手で、出したら出しっぱなし、せいぜい脇に寄せておく程度のことしかできない。
言い訳に過ぎないと言われればそれまでだけれど、片付けるとどこに片付けたかわからなくなる。必要なものは眼の届くところに置いておいた方がなくさなくてすむ。新しいものほど上に積まれるわけだから、記憶の程度でだいたいどのあたりに埋もれているかがわかるわけである。もうこれ以上積めないとなったとき、初めて片付け始めればよいのである。片付けるというのは、結局記憶を消し去り、リセットすることにほかならない。リセットは極力避けるに越したことはない。
時に記憶と実際のありかが齟齬を来すことがある。そういう場合はたいていしまいなくしであることが多い。それに気付いてしまったら、可能性のある場所を探せばよいのだが、そういう時はしまったことそれ自体を忘れていることが多いから、山の中を必死で探し始める。これが間違いの元なのである。山を探し始めると、上下が逆転したり、入れ子になったりし始める。表裏も逆転したりする。規則正しく(!)積まれていたのが滅茶苦茶な順番になってしまうのである。そうした中で探していてものが出てくることがある。それはそれでありがたいことだが、探す作業が中断してしまうと、そこでまた順序の崩れが助長されてしまう。折角見つけたものも、結局はまた山の中に埋もれていくことになる。
こういう時は、何でこんなものがというようなものが後生大事に取ってあるような気がしてきて、癇癪を起こしながらポイポイと捨て始める。片付けにはなるのだが、見境なく捨て始めるから、本当に大事なものを捨ててしまうことがよくある。しかも、それに気付かないでいる。そしてそれを再び山の中に求め始めるから、それが見つかるはずもなく、益々山の秩序は乱されていく。
我ながら全く恥ずかしい限りであるが、人生これの繰り返しであったような気がする。勤め先でも自宅でもこれをやっているから、悲惨である。時には両者が交錯することもある。そしてもう一つ、同じ状態になっているのが、通勤の使っているやや大型のカバンである。使わないものが後生大事に入っている。重たい思いをして毎日通わなくてもと思いながら、片付けをして一番後悔することが多いのは、このカバンの中味かも知れない(もっとも机上のような眼に見える部分だけでなく、きっと一事が万事こうなのだ)。

          §          §          §

昨日も、今日必要な書類一式が見つからず、残業に入ってから3時間山を崩しまくり、ゴミを一袋出したものの、結局見つからず、傷心の思いで帰宅した。これはもう祈るしかないという気持ちになって眠りに就いた。すると、眠りの落ちる直前(こんな時もあっけなく眠ってしまうのだから情けない)、もしかしたらそれは夢であったのかも知れないけれど、ふと、もしかしたら、あそこに片付けたのではないか、とひらめいたのである……
今朝出勤して、真っ先にそこを探してみた。昨日も探したはずの場所である。昨日見つからなかった書類の束が眼に入った。ぼくは自分の眼を疑うと同時に、祈りが通じたことを知り、感謝でいっぱいになるとともに、自分の所行が恥ずかしくなった。要は自分がだらしない上に物忘れが激しくなったばかりの出来事で、他愛のない話と言えばそれまでである。でも、そこには人知を超えたものを見ないわけにはいかなかった。敢えて書き止めるようなことではないかも知れない。だからといって明日から片付け上手になれるとは到底思えないけれど、自身への戒めの気持ちを込めて、記しておく。
タグ:日常
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2012年09月09日

三たび夏を惜しむ

「夏を惜しむ」を書いてからひと月になる。今年ほど夏自身が立ち去りがたい風情なのも珍しいと思う。この間、雷ももう力なく鳴っているというようなことを書いたが、この一週間ほどはほとんど毎日夕立に見舞われており、どこかでかなりの強雨が降っている。中でも先週の月曜日(3日)はひどかった。15時半頃から雷鳴が轟き初め、20時過ぎまで2回大雷雨が来襲し、合わせて100ミリ近い雨が降ったようだ。この時の雷雲は京都方面からやって来たので、奈良盆地も中南部ではあまり降らなかった。木曜日(6日)は逆に雷雲は奈良盆地を南から北上してきた。奈良県南部ははかなり降ったようで、天川あたりの時間雨量は50㎜を超えている。金曜日(7日)はまた雷雲は京都から南下してきて、県境をかすめるようにして南東に移動して三重県方面に弱まりながら抜けて行ったので、幸い遠雷を聞くだけでほとんど降らなかった。昨日8日は、夕方空が明るいのにザッと夕立が来て、一瞬だが東の空に虹が出た。そして今日9日は生駒山方面から雷雲が湧き北へ移動していった。19時頃から西方でさかんに稲妻が光っていたが、雨は道路を濡らす程度で終わってしまった。
こんな具合に毎日どこかで雷雲が湧き、その時々に違った動きをしている。だから雷雨もかなり局地的で、数㎞の違いで降ったり降らなかったりする。それにしてもすごいのは、そうした雷雲の動きが雨雲レーダーで本当によく捉えられていることである。動画で見ると、雷雲が成長し、衰弱しながら移動しているのがよくわかる。けっして同じところにとどまっているわけではないのである。これは本当に今昔の感がある。数㎞から大きくてもせいぜい数十㎞規模の雷雲が動くのだから、ちょっとの違いで降り方に大きな差があるのも肯ける。最近1時間雨量100㎜などというとんでもない雨が結構しょっちゅう観測されている。温暖化に伴う気象現象の激烈化がよく言われているけれど、これは本当なのだろうかと、精度の高くなった観測データを見ているとふと思う。観測地点が増えて観測精度が上がれば、今まで把握できなかった局地的な豪雨を捉え得る確率も上がるのではないか。今までは単にデータとして漏れていただけなのではないかという疑いである。確かに激しい雨の降り方に出会う機会が増えているように思うので、一概に否定もできないという実感はあるのだが、実際のところはどうなのだろうか?
今年の残暑が例年にもまして厳しいのは間違いないだろう。でも、さっさと涼しくなってくれたらいいのにと単純には思えないのはどうしてなのだろう。厳しい残暑の中にも、秋の気配が行きつ戻りつしながら徐々に濃さを増してゆく。そんな季節の足取りが、なぜかはわからないが、ひどく愛おしく感じられるのである。味覚の上ではもう秋である。桃の季節が終わって、梨やブドウが食卓に上る。今年は暑さのせいかことのほか甘い。もうまもなく二十世紀が出始めるだろう。毎年カレンダーを見ているように咲き始める金木犀の季節ももうすぐそこだ。
秋の夜空はほかの季節に比べると目立つ星座が少なく、冬の立役者オリオンやおおいぬの登場までは少し寂しいともいわれる。でも、昨晩犬に引かれて夜道を行きながら晴れ渡った夜空を見上げると、カシオペアの左向きのWの下から右上に連なる思いがけなく明るい星々を見付けた。結構低い位置なのにかなり明るい。調べてみると、ペルセウス座からアンドロメダ座にかけての星々だった。天頂を別にすれば、街灯に邪魔されずに星を見られるのがこの方角なのである。
今日は先ほどの雷雨の名残か、まだ薄雲がとれず星は仰げなかったが、空気はもう秋である。乾き始めた地面をしっかり踏みしめて歩く犬の変わらぬ足取りに感心しながら、昼も夜もこうして季節のうつろいを味わえるのは、いろんな意味で本当に幸せなことだと思ったことだった。

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〔晩夏の大阪城公園〕
タグ:季節 日常 天気
posted by あきちゃん at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする