2013年01月19日

『日曜日の白い雲』を読む(下)

『日曜日の白い雲』を読む(上)よりつづく)
千博の三沢への二ヵ月間の研修がもたらした別離。千博には百合が自分の心を受け入れてくれた喜びをかみしめる時間だったが、百合にとっては極楽トンボの千博を疑う自分を厭い、別れを考える時間となった。何の連絡もよこさない千博が腹立たしく半ば呆れてもいた百合ではあったが、百合の心も揺れ動いていた。
そんな百合の気持ちを押すことになる事態が起きる。百合の妊娠である。そのことがわかった日、百合は即座に手術を受ける。千博と相談して決めようという選択肢は百合には思い浮かばなかった。そして思う。身体を傷めても、ヴァイオリンだけは痛めたくない。自分が何を守ろうとしたか、生まれてきたかも知れない一つの命の犠牲によって、百合は自分にとって音楽がいかにかけがえのないものであったか、自分の本当の気持ちを知るのである。自分は音楽に生きるほかはない。恢復した百合が和枝の計らいで移った和枝の店ミレイユには、ほこりがかかったピアノがあった。ピアノに触れることによって、百合は失っていた自分自身を徐々に取り戻していく。
百合のこうした心の動きを知らずに三沢から戻った千博は、百合のもとにりんご箱を抱えて勇んで帰還しようとする。このむつりんごをめぐる千博と百合のやり取りは何ともやるせない。千博は百合に受け取ってもらえないりんごを一旦持ち帰り、アラジンでアルバイトのサアコの機嫌をとろうとして叩き付けられる。再びりんごを持って百合のアパートにやって来た千博は、日中あらためてお出でくださいという走り書きを郵便受けから渡され、道路にぶちまけるなり好きなようにしろよ、といってりんごを置いて帰る。
百合も百合ではある。そのりんごを屋内に取り込むのである。自分に出来るせいいっぱいの譲歩だと百合はいうけれど、やはり百合は千博が愛しい。一晩百合を悩ませた甘酸っぱいりんごの匂いは、千博そのものであったといってもよい。その半分は隣家の勝田家への詫びに利用され、百合がヴァイオリンの練習を始める際の隣家との縁をとりもつことになるのだが、あとの半分は書かれてはいないが結局百合が食べたのだろう(千博が百合と一緒に食べようとして持ってきた2個のりんごは、あとでいただくわといってその場では手を付けていない)。千博への思いは断ち切れていないのである。
さて、百合の身体に起きた事実を知った千博は百合に詫び、そして求婚する。真剣そのものなのだけれども、百合さんに顔向けできないようなことを1回だけだけどしちまった、とあっけらかんと詫びる千博の台詞は、百合の固い決意を知っている読者には道化師めいて聞こえる。結婚して今度こそ自分の子供を産んでくれと懇願する千博は、結婚によって自分が百合の傷を癒しうると信じていたのだった。真摯に自分に尽くすそんな千博に姿に、百合は千博との結婚を真剣に考えたこともなかった音楽家としての自分のエゴを感じる。そして千博を傷つけずに結婚を諦めさせる方法はないものかと悩みつつ、千博がいじらしくてその気持ちにほだされそうになる。百合の気持ちもまだ揺れているのである。
そんな百合の気持ちを再び押したのは、千博に送ってもらって岩見沢に帰省した正月に読んだ父の従軍中の日記だった。輓曳競馬の帰途に登った郊外の丘で、放心した父がちぎれ雲の向こうに見つめていたもの、それが何であったかを百合は今、はっきりと知ったのだった。父を理解したとき、百合は千博をも、また琢二をも、そして三杉や松沼をも理解する。自分の進むべき道を確信をもって歩み始めることができるようになったのである。
岩見沢に百合を送った千博は、百合の母も医師であったことを知る。そしてある日、百合のアパートを訪ねた千博は、偶然百合の弾くモーツァルトの40番の第3楽章を耳にする。誰かが来たことに気付いた百合は、千博の来訪を直感する。
40番の3楽章は巨大な音楽である。古典的なシンフォニーの3楽章だから当然舞曲メヌエットである。しかし、このメヌエットはこんなメヌエットがあるのかというような壮麗な音楽である。それをぼくは「フルトヴェングラーと巨匠たち」という映画の最初に登場するブルーノ・ワルターの演奏で知った。度肝を抜かれたといってもよい。ゆったりと鳴らすメヌエットの力は疾風怒濤の4楽章に勝るとも劣らない。千博にはむごいくらいの鋭さをもった音楽だったに違いなく、千博はようやく百合にとって音楽が何であったかを理解したのだった。
プレスト・アッサイのごとき吹雪の日、千博はアパートに百合を訪ねて求婚取り下げを宣言し、粉雪の舞う道に駆けだしてゆく。40番の4楽章がイメージされているのだろう。百合は、リストのピアノ協奏曲第1番を弾いて、いじらしい千博の姿にほだされそうになる自分を励ます。
求婚を取り下げても自分の気持ちに正直な千博は次第に酒に溺れ始める。千博の上司の三杉は、そんな千博を救えるのは百合しかいないことを知っている。三杉ははじめ百合と千博の関係恢復に一縷の望みをかけていた。しかし、百合にとって音楽が何であるかを容易に理解できた三杉は、それが空しい願望だったことに気付く。三杉は百合に千博を託す一方、千歳からの転属によって千博に新天地を開かせる。
百合は泥酔した千博を送り届ける。百合さん、ヴァイオリンうまいんだね、まるよん(F104J)で追っかけてもつかまらんよ……。くったくのない明るさで百合に心を開いてきた千博に対し、自分は何をしてきたか、百合は酔いつぶれた千博の髪をまさぐりながら思う。自分はこの青年を一度でも愛したことがあっただろうか。千博は百合に空や雲の美しさについて語ってくれたが、百合は千博に音楽について語ったことすらない。百合が与えた痛手にもがきながら辛うじて危険戦闘機を乗りこなしている千博の顔を見ていると、百合の胸には突き上げてくるものがあった。
百合は靴下やセーターやジーパンが投げ出された居間や、汚れ物でいっぱいのダイニングキッチンを徹夜で片付け始める。トイレの果てまで掃除し終えた頃、明け方を迎えていた。百合は観念して椅子に座って眼を閉じる。朝までウトウトした百合に聞こえていたのは、持ち前の悪態をつきながら百合を励ます琢二の声だった。洗濯機の音に眼を覚ました千博は、お酒やめてくださる?、という百合の願いを素直に聞き入れるのだった。
同期生から札響のエキストラとして出てみないかと声をかけられた百合は、和枝に頼んでミレイユから松沼のいるアラジンのアルバイトに代えてもらう。松沼はあまりあてにもせず百合を引き取る。百合は静内でのマチネで、ドヴォルザークの新世界とモーツァルトの後宮よりの逃走(序曲)、それにスターウォーズを弾く。ヴァイオリン弾きはやっぱりヴァイオリンを弾いていなくては、百合は大きな手応えを感じる。
自分が千歳を去った方がよいと感じ始めていた百合は、千博の転属によって逆に千博を見送ることになった。千歳を離れる千博は、百合にヴァイオリンを聴かせてほしいと頼む。千博は青空での演奏を望むが、百合は千博をアパートに迎え入れる。百合の前に初めて制服姿で現れた千博に、百合はバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番のラルゴとアレグロ・アッサイ、そしてベートーヴェンのロマンスを心を込めて弾く。千博は顔を紅潮させて聴き入り、そしてロマンスというタイトルを聞いてその語尾を呑んだあと、ありがとう、百合さん。忘れんよ、という言葉を残して百合のもとを旅立っていく。百合の喉からしゃっくりのような嗚咽がもれる……。感動的な場面である。「雲のゆくえ」と題されたこの最終章は、千博、百合、そして琢二をはじめ、この小説を彩ってきた主人公たちの生き方のゆくえが描かれる。それは新しい旅立ちであった。だから、別れで物語は締め括られるけれども、けっしてじめじめとはしない。厳粛な祝福に満ち溢れた旅立ちであった。
父が雲の向こうに見つめていたものは、ルソン島で参戦した日々であり、端的にいえばそこで果てた(しいていえば果てさせた)一人ひとりのいのちとその尊さだったのであろう
(以上が下巻)。
原田康子『日曜日の白い雲(下)』(角川文庫)のカヴァー.JPG
〔『日曜日の白い雲(下)』〈角川文庫〉〕

          §          §          §

千博とかかわることで百合は生きる明確な意志を取り戻すことができた。千博が戦闘機のパイロットでなかったら、百合が音楽を取り戻せていたかどうかはわからない。しかし、父の過去を知ることによって千博の背後にちらつく国家の影を明確に意識したことが、百合を立ち直らせたのである。父が百合を救ったともいえるわけである。もっとも、千博がもし国家を背後にもつ存在でなかったならば、百合は音楽を取り戻すとともにロマンスを成就させていたかも知れない。国家が百合と千博の仲を引き裂いたともいえるわけである。国家という得体の知れない存在が、父の、そして百合の生き方に深く関わっているのであって、原田さんはそれをけっして肯定的に描いているわけではない。別に深読みする必要もないし、原田さんもそこまで読まれるのは本意ではないかも知れないけれど、敢えて自衛隊のパイロットを主人公にした作品を手掛けようとした原田さんの意志はくみ取っておく必要があると思う。
『日曜日の白い雲』の大きな特徴の一つに、音楽が果たしている重要な役割が挙げられる。それはヴァイオリン奏者が主人公であるから当然といえば元も子もないが、小説で音楽がタイトルを含めて登場する例は意外に多くない。フランソワーズ・サガン『ブラームスはお好き』の第3交響曲第3楽章などは例外中の例外である。絵はそのものが時間を超えて存在するから、まだ言葉での表現がしやすいけれど、音楽は楽譜はあっても基本的に再現芸術であって、時間とともに消え去っていく。それを言葉で表現するのは容易なことではない。その曲を知っている人でなければわからない小道具になりがちだからなのである。ところが原田さんの作品にはクラシックやジャズが重要な役割を果たすものが多い。その中でも『日曜日の白い雲』はまさに白眉である。
本書は実に印象的な場面に満ち溢れている。既に触れたが、上巻末尾の百合と千博が結ばれる前後の彼らの心の機微を描き尽くす場面(そのクライマックスが、百合の日曜日の白い雲の回顧と、千博の幼いまでの百合への思慕の吐露である)、下巻末尾の百合が千博に餞と別れのヴァイオリンを聴かせる場面は圧巻である。異色なのは下巻に登場する百合の父の日記を読む場面だが、この厳粛な章を置くことにより、本書の深みは比類にない深さにまで到達したのだった。父の戦争体験は、原田さんのイメージする男性を構成する重要な構成要素になっているのである。
ぼくが本書を手に取るのが遅れたのは、自衛隊のパイロットを主人公の一人とするという特異な設定にあった。なぜ、原田さんがそのような小説を書いたか、その疑問は必ずしも解けていない。しかし、国家を背景に持つ極限状況を設定しようとするならば、当寺ソ連機に対するスクランブル発進を繰り返していた航空自衛隊を背景に描くのが最も相応しかったのだろう。
その辺を突き詰めていくと、原田さんが本書で最も書きたかったことは何かも自ずと見えてくるように思う。百合の父本荘外喜雄が軍医として参戦したルソン島での活動の手記である。これには出典があり、ノンフィクションである。あえてそれを翻案してまでこの小説に盛り込んだ原田さんの意図は重く受け止めるべきであろう。それは『挽歌』の桂木さん以来、原田さんが終生こだわり続けた主題だった。『日曜日の白い雲』は、原田さんの一連のラヴ・ロマンスの系譜を引きながらも、敢えて難しい環境の主人公を設定した挑んだ原田さんの意欲的な作品と評価してよいと思う。しかもそれが新聞連載という困難な環境の中で成し遂げられたことに驚嘆しないではいられない。
タグ:読書
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2013年01月14日

寒中の東京の雪

東京は意外とよく雪が降る。多いのは春先で、桜の開花する頃に積もることさえある。南岸を通過する低気圧のいたずらで、春の近いことを告げる雪のことが多い。ただ、雪になるか雨になるかはなかなかデリケートで、大島以北のあまり陸地に近いところを通るようだと、暖気を呼び込んでしまって雨になる。かといって陸地から離れ過ぎ、八丈島よりも南を通るようだと、今度は雨雲が陸地にかからず、降らずに終わってしまう。
時には低気圧が台風並みに発達することもあり、台湾付近で発生するので、今ではあまり聞かないけれども、台湾坊主という異名もあった。石垣島と台北の天気変化に注目し、風向きが石垣島が南東方向、台北が北西方向に変わり、気圧が台北の方が低くなるようだと低気圧の発生も間近、東京の雪の心配(期待?)をしたものである。
ただ、冬の高気圧が一方的に強いうちは、南岸低気圧は発達せずかつ陸地から離れて通過する、俗にお辞儀をしてしまうことが多い。寒のうちに東京で大雪が降ることは稀なのはそのためで、東京の雪は立春以降の風物詩となっている。

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ところが、寒気の強い時期に暖気の流れ込みも強いと、今回のようなことも起きる。今回はフィリピンの東を北上した熱帯低気圧も絡んでいて、かなり珍しい激しい事例だったようだ。それもあってか、昨日までの都心の予報は雨。まさか10㎝近くも積もるとは思わず、低気圧の発達は予想できても、雪は正直いって高を括っていた。

昨日の高層雲と今日の雪景色.jpg
〔昨日の高層雲と今日の雪景色〕

今思えば、昨日の夕方の高層雲は、風雲急を告げるような趣だった。昨日の日中比較的穏やかで、夜中でも10℃近くあった気温が、今朝の降り出しの頃からぐんぐん下がり、8時には5℃、正午には0℃になっている。朝は雨で比較的視界もよかったので油断していたら、10時頃であろうか、西から空が霞んで白っぽくなってきたと思ったら、急に雲が下がってきて視界が悪くなり、大きな白いモノが舞い始めた。霙交じりになって徐々に雪になるのではなく、雨が慌ただしく一気に雪になった、そんな印象の初雪である。
13時半には道路でも積雪は10㎝を軽く超えていて、轍を辿っての雪道には往生させられた。挙句、京浜東北線が運転見合わせで、大回りして地下鉄を乗り継いで東京駅に辿り着く。休日だからよかったようなものの、平日だったらこの程度の混乱ではすまなかったことだろう。東北新幹線の一時運転見合わせの影響で、新幹線改札口はごったがえしていたが、なんとか約1時間後の指定がとれる。小田原までの速度を落としての運転、小田原に臨時停車して車両の雪落としなどの影響で名古屋で7分程度の遅れ。その後、先行する列車にくっつき過ぎて、米原で赤信号で一旦停車、東山トンネルを抜けたところでも再び停まるなどという珍しいことも経験したが、10分程度の遅れて京都着。無事帰途につくことができた。

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気の毒だったのは成人式に晴れ着で出かけた新成人たち。晴れ着にブーツなどという出で立ちもニュースになっていた。確か1月15日は晴れの特異日だったはず。成人の日が1月15日に固定していたらなあ(10月10日の体育の日も!)という話も出た。
こういう年は要注意である。関西でも積雪をみるかも知れない。休日の思わぬプレゼントに、早速雪だるまづくりや雪合戦に興じていた東京の子どもたちの歓声が、ふと思い起こされる。庭駆け回る犬たちが目に見えるようだ。
タグ:天気 日常 東京
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2013年01月12日

『日曜日の白い雲』を読む(上)

原田康子さんの『日曜日の白い雲』(上)(下)(角川文庫)を読んだ。離婚して故郷に戻った落魄のヴァイオリニストと千歳の自衛隊のパイロットとの恋の物語という触れ込みの一方、白い雲というほんわかとしたイメージや、なぜ日曜日なのという疑問など、タイトルとのミスマッチがあって、なかなか購入後も食指が動かなかった本である。しかし、これは全くの誤解であった。

原田康子『日曜日の白い雲(上)』(角川文庫)のカヴァー.JPG
〔『日曜日の白い雲(上)』〈角川文庫〉〕

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主人公の本荘百合は30歳。岩見沢の医師夫婦の一人娘で、最近まで東京の一流オケの第一ヴァイオリンをつとめていて。父の反対を押し切って医師の館林昌也と結婚し、父に建ててもらった保土ヶ谷の家で暮らしていた。しかし、夫の行状に耐えかね精神的に追い詰められた百合は、オケを退団し結婚生活を解消する。二年前に父は他界し、この年2月の父の三回忌もすっぽかしてしまった。どん底を突き抜けた空虚感が手足のすみずみにまでゆきわたるのを感じ、百合は保土ヶ谷の家を友人に託し、母敬子と百合のまたいとこで兄のようにして育った琢二が待つ岩見沢に戻ろうとする。
小中千博は25歳。F104Jという戦闘機に乗る自衛隊千歳基地のパイロット。岡崎に育った千博は、浜松で見たブルー・インパルスの飛行をきっかけに飛行機への恋わずらいが始まり、最高のマシーンに乗りたい一心で、周囲の反対を押し切って自衛隊の航空学生になった。純情で物怖じせず、からっとした明るい性格の現代青年である。
本来交差するはずもないこの二人の人生がひょんなことで交わる。交わったとしても、そこで進路を変えることのできるはずもない二人だった。一点で交差したあと、二人の人生はそれぞれの方向に向かって延びてゆく。それは当然のなりゆきだった。しかし、ほんの一瞬の交差ではあったが、それによって百合と千博は互いに真実の愛を知る。やがては百合も千博もそれぞれの人生に相応しい伴侶を得ることだろう。そんな美しくもせつない清冽なロマンスである。

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物語は、岩見沢の母のもとにまっすぐ戻るのを躊躇った百合が、六月初旬の郭公の鳴く支笏湖畔のホテルで、湖底を埋めて横たわる裸の女達のところに向かっている自分を夢に見る場面から始まる。持参の睡眠薬の数を数えずにはいられない百合にとって、それは死への願望の現われだった。
百合は何不自由なく育ったお嬢様という、いわば『挽歌』以来の原田さんの小説にお決まりの主人公ではある。そこに反撥を感じる向きもあるだろう。『聖母の鏡』の本吉顕子にしてもそうだが、原田さんの作品の主人公には、必ずしも俄には共感を得られない行動が多々ある。本荘百合の生き方はその最たるものだと思うが、原田さんの描く百合の心の動きを一緒に辿っていくと、それが全く不自然に思われないから不思議だ。原田さんの分身ともいえる(もちろん原田さんがそういう生き方をしたわけではないけれども)女性を徹底して主人公に据えて書き続けたところに、原田さんの小説の真髄はある。小説の主人公たちも、原田さんが年齢を重ねるに伴って、年齢と人生の深みを増してゆく。いわば成長してゆくのである。そこにこそこれほどまでに心のひだに分け入った細やかな描写に満ちた作品群が生み出された秘密があると思う。
さて、百合は支笏湖畔から千歳行きの切符を買って乗ったバスが札幌行きだったことを知ったにもかかわらず、千歳で降りてしまう。そしてホステス募集の貼り紙につられてふと立ち寄ったスナックアラジンで、千博と邂逅する。働きたいという突然の百合の申し出をやんわりと断ろうとしていたマスター松沼の気持ちをよそに、千博は松沼の妻でミレイユのママの和枝を呼び出して、百合をアラジンで採用するよう頼み込む。
和枝の思惑とも合致して晴れてアラジンに採用された百合は、一旦母の待つ岩見沢に戻るが、早々に荷物を千歳のアパートに送り出す。父の墓前に向かおうとした百合は、自分はまだ父の前には出られないことを悟る。百合がヴァイオリンを始めたのは父の希望もあってのことだった。父の反対を押し切っての結婚が、オケの退団、そして音楽を捨てての帰郷をもたらしたのであって、父に顔向けできないのは当然のことだった
心の傷から立ち直れずにいる百合に向けられる千博の直情径行ともいえる純情でひたむきな愛。百合は自分の気持ちをつかみきれぬまま千博に魅かれていく。年齢差もあり、またヴァイオリンへの思いを断ち切れない(百合は必ずしもそのことを自覚はしていない)こともあって、百合は必死に自分の気持ちに抵抗する。
札幌の伯母への挨拶という口実で自分を納得させて、初めて千博とのドライヴを約束した日曜日の朝、千博かと思ったドアの向こうに母敬子の姿を認めた百合は愕然とする。その後ネクタイを締めておめかしをして迎えにやってきた千博を、百合は仕方なく帰さざるを得なかった。母は駐留軍そして自衛隊の町千歳でホステスを続けることを必死で思いとどまらせようとする。軍医として応召し、医者であることに絶望して帰った父にとって、娘がそれこそ百合の花であったという母の言葉に、だからこそお父さんの目がちらついて岩見沢には住めないのよ、と百合の目からは父の死以来の涙がは堰を切ったように溢れ出すのだった、
それから二週間後、夏を迎えて再び千博からドライヴに誘われた百合は、ウトナイ湖に出かける。千歳の南、苫小牧の東郊の勇払原野にある、日本でも有数の渡り鳥の中継地となっている淡水湖である。千博も今度はスポーツシャツにジーパンの軽装だった。千博は百合に自分の生い立ちや、周囲の反対を押し切って自衛隊のパイロットになったいきさつを語る。百合は千博の話に頷きながら、自分の夢を求めてメキシコへ旅立っていったかつての画学生佐野のことを思い出している。普通の女の子ではない百合にヴァイオリンを捨てろとはいえないよと、夜道の別れ際に接吻をして抱き合っただけで、佐野は軽く手を挙げて足早に去っていった。百合は佐野の苦しげな目の光をはっきりと思い出すのである。帰り際、夏らしい晴天だったのに、千博の予測のようにウトナイ湖にシー・フォグが出始める。苫小牧方面からのこの霧は、ほどなく千歳をも覆い始めるだろう。シー・フォグは二人のロマンスの行く手を暗示する。
千歳に戻ってアラジンに出た百合を待っていたのは、琢二だった。母敬子に言われてそれとなく百合の様子を見に来た琢二の奔放な振る舞い(そこには百合への琢二の純粋な気持ちが隠されている)をきっかけに、この夜百合は酔いも手伝って千博を呼び出し、地獄の百合として極楽トンボの千博に散々絡んだあげく、父に買ってもらった大切なヴァイオリンを投げ捨てようとする。それは百合の気持ちの裏返しの行動なのである。百合にとってそのヴァイオリンがどのようなものかを悟った千博は、ヴァイオリンをトラ御前百合の手から救い、丁寧にケースに収め直す。そんな千博がいじらしくなったのか、百合は自制しきれなくなった千博の気持ちを受け入れてしまう。
翌朝百合は、愛してもいない(と百合は思い込んでいる)青年に身を任せたと感じて自己嫌悪に思い悩み、千博を追い出すように帰してしまう。その一方で、邪険に千博を帰したことを悔やんでもいて、再び訪ねてきた千博に野原のような所を連れて行ってとせがむ。そして昔父に連れられていった日曜日の輓曳競馬の帰途に登った郊外の丘で、ちぎれ雲を振り仰いで放心する父の姿を思い起こす。タイトルの日曜日の白い雲がここで初めて登場するのである。百合は、父を思うことで身体の隅々までを洗い清めようとしたのだった。そんな百合のそばには、牧柵をつかんで百合さあん!と叫び続け、百合を離すまいと必死な千博がいた。しかし、百合が投げ捨てようとしたヴァイオリンを救ったのは千博だった。そのヴァイオリンは百合を立ち直らせ、そして千博を百合のもとから巣立たさせる役割を果たすのである。千博の一途な気持ちが、結果的に自己犠牲の上に百合を救うのである。それは千博の愛のひとつの形でもあった。自己の愛のゆくえを千博はまだ知らない(以上が上巻)。

          §          §          §

百合と千博の周囲にいるいわば脇役たちの存在が実にいい。アラジンのマスター松沼とその妻でミレイユのママ和枝、千博の先輩の三杉、百合の母敬子、百合の実家の医院を盛り立てるまたいとこの琢二、アラジンのアルバイトのサアコ、百合のオケ時代の同僚間野彰子、大学時代の同期生で百合を札響に誘う平井高志(下巻で登場)。彼らの眼が常に百合と千博を温かく見守っている。
松沼、三杉、琢二の3人の男たちの描き方は絶妙である。百合を暖かく迎え入れてくれるであろう琢二だけでなく、妻のある松沼も三杉も、百合に惚れ込んでいるのである。神谷忠孝氏の解説(下巻)が指摘しているように、『日曜日の白い雲』を百合と千博のラヴ・ロマンスとしてだけ読んでしまうと、作品の本質を見失うことになるであろう。千博も含めて、彼らはみな百合の憧れる父本荘外喜雄の分身といっても差し支えない。そしてそれは原田さん自身の父への思いに根差しているとみて間違いないであろう。それはそれが原田さんの小説の多くに通奏低音として流れていることに容易に気付かれよう。
一方、百合を含めた三人の女性たち(百合、敬子、和枝)も、実は原田さん自身の分身のように思えてくる。中でも和枝の気っ風の良さには、どこか後年の原田さんのインタヴューから窺える原田さんご自身を思わせるものがある。きちんと調べたわけではないが、『日曜日の白い雲』は原田さんの作品の中では比較的主要な登場人物が多いように思う。その意味で、多彩な登場人物が原田康子ワールドを満喫させてくれる作品であるともいえるだろう。((下)につづく)
タグ:読書
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2013年01月06日

犬に引かれた散歩のことなど

寒い正月だったが、天気には恵まれた。犬たちも庭でのんびりと過ごすことができ、久し振りに明るいうちの散歩にも連れ出せた。具合をおかしくしてから今日でちょうど三週間になる腰の案配は未だに思わしくないが、犬たちに引かれた散歩がよいリハビリになる。交替で散歩に連れ出すと、中には走りたくて走りたくて仕方のない子もいて、もう少し早く歩けませんかねぇ、という風情で振り返ってはぼくを見上げて急かすのだけれど、もう少しゆっくり行こうね、となだめるのが精一杯。これではどちらが散歩に連れ出されているのやら、わかったものではない。
それにしても我が家の犬たちの野菜好きには呆れた。犬たちの走り回る庭をふと見ると、冬枯れの芝生の上に白いものが散乱している。そばにはオレンジ色の細長いものも……。やられた! それは勝手口のケースに入れてあったはずのカブとニンジンの無残な姿だった。無類の食いしん坊が1匹いるのは先刻ご承知なのだが、まさか重石もしてあるフタを開けて引っ張り出すとは。以前、植えたばかりのトマトの苗をひとくちで喰いちぎられた経験があるが、犬たちの食い意地の徹底ぶりは、さすが我が家の犬と言うべきか、まことに見上げたものである。ダイコンも入っていたはずだが……。丸々1本跡形もなくなっていた。
ジャック・ラッセルは元々キツネ狩り用の猟犬として開発された犬というから、このくらいのしつこさは必須なのだろうが、太めのネコほどしかない彼女らが、自分の胴体くらいもあったはずのダイコンを囓っている姿を想像するとおかしくなる。神様もおかしな動物をお作りになったものだなあ、と感心するやら呆れるやら。どうみてもビーグルやらコーギーやらダックスやらスピッツやら、いろんな祖先の血を受けているのが明らかで、数代前は雑種だったとしか思えないような犬種なのだけれど、これほど好奇心と忍耐強さに溢れ、しかも丈夫な種類が生み出されるというのは驚きだ(うちのは、好奇心以前の問題として、食い意地が張っているようだけど)。
あと、犬たちの意外な好みは、花。ようやくきれいに咲き誇った花をパクリとやるのである。おいしくて食い付くのか、単に目立つからなのかそのあたりは一度犬たちに聞いてみたいところだ。被害は散歩に出ようとして玄関先でふっと頸を伸ばしてパクリというのが最も多く、全く油断も隙もありはしない。まあ、安物のパンジーなど一つや二つ囓られてもよしとしようか。そういえば、クリスマスローズは囓ったのを見たことがない。犬にも好き好きがあるのだろうか。
犬のいる家の前を通れなくて遠回りをしたり、道路の反対側の犬に気付いてさっと陰に隠れれたりするような子どもだったぼくが、まさか4匹もの犬に囲まれて暮らすようになるとはねぇ。全く人生何がどうなるかわからない。
帰省していた息子も旅立って、また寂しくなった。犬たちもその気配を察していたようで、今も妙に温和しい。4日には出勤したけれど、いよいよ明日からまたいつもの生活が始まる。穏やかな正月休みを過ごさせていただいたことに心から感謝したい。
タグ:日常
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2013年01月02日

年賀状・初日の出・すきやき

2013年を迎えた。大晦日も行く年来る年で除夜の鐘を聞くでもなく、入浴後普通に就寝して起床しただけなので、別段他の日と違った迎え方をしたわけではない。それでも暦が改まってみると、やはりまた一つ年を重ねたという感慨は否めない。誕生日は満年齢が普通だから、新しい年を迎えたからどうのこうのと感じることはほとんどなかったものだが、年を重ねてくるに従って、誕生を1歳と数え、年の改まるごとに年齢を重ねる数え年の方が、理にかなっているように思えるようになってきた。それでいうと54歳ということになる。40日あまりの間は満年齢と2歳の開きが生じることになって、ちょっと違和感がなきしもあらずではあるけれど、誕生日を祝うこともなくなって久しいこともあり、正月気分で年を重ねたことを祝うのもよいかも知れない。
今年もなんとか大晦日の就寝までに年賀状を書き終えることができた。最後の数十枚は、元旦の年賀状を受け取るのと前後しての投函となったが、お雑煮を食べた後におもむろに年賀状書きに取りかかっていた数年前に比べれば、昨年ほどではないにせよ、ずいぶん進歩したものである。以前は年賀状なのだから年があけてから書けばよいと開き直ってもいたのだけれど、毎年のことだが最終的にいただく年賀状の半数以上を元日の朝に受け取ることを考えると、早々に投函くださった方々に本当に申し訳なく、結果がこのようなギリギリの仕儀となっているわけである。なんとか元日に全ての年賀状をお届けできるように、というのが今年の年頭の抱負である。
これは年賀状に限ったことではない。一事が万事なのであって、ほんのちょっと前もっていう気持ちがあればもっとスムーズに事が運んだのに、という場面があまりにも多い。卑近な喩えというか、具体的な話でいうならば、車の運転のカーヴへの入り方が感覚的にはピタリである。30年運転してきていても、初めてのカーヴだとなかなかハンドルを切るタイミングがつかめない。左カーヴだと早く切り過ぎて小回りになりがちだし、右カーヴだとカーヴに入ってから慌ててカーヴに合わせて切り増す羽目になる。教習所でカーヴの奥を見ながらハンドルを切るように教わったものだが、いつになってもそのカーヴにぴったりあったタイミングでカーヴを回れたと納得できることがない。この右カーヴの回り方がぼくの人生の全て、といったら大袈裟かも知れないけれど、先を見据えてほんのちょっとだけ早めに、これが出来れば何事もスムーズに運ぶはずなのである。

          §          §          §

江陵の日本海の水平線.jpg
〔韓国江陵の水平線〕
ぼく自身は初日の出を見に出かけたことはないけれど、日本では初日の出が話題になることが多い。お隣の韓国でも初日の出を見に東海岸に出かける人が多いという。ことに首都ソウルの真東に位置するカンヌン(江陵)の海岸は岬や岩礁など障害物が少なく、韓国随一の水平線が見られるところとして著名とのこと。ソウルなど西海岸や南海岸は地形の変化が複雑で、これほど長い水平線は見られないのである。このため年末年始には初日の出を見に行く車で江陵に向かう高速道路は大渋滞が発生すると聞いた。ホテルの宿泊費もそれを見越して何倍にも跳ね上がるが、それでも予約でいっぱいになるのだという。
この高速道路の沿線には2018年の冬季オリンピックの開催地ピョンチャン(平昌)もあり、先だっての訪韓の折も、その看板もあちこちで見かけた。ピョンチャンが漢字で平昌と書くことは調べてみて初めてわかったが、ピョンチャンは音感がとてもかわいい。高速を走りながら、日本で「ピョンチャン」といえば、かわいらしいうさぎのイメージを思い浮かべる(言葉の連想でいうなら「ウサピョン」)という話をしたら、韓国人にも思いがけないことだったようで、なるほどと感心していた。
もっとも、「ピョンチャン」と「平昌」とではずいぶん印象が違う。初めから「平昌」という漢字表記を知っていたら、「へいしょう」でなく「ピョンチャン」と読んだとしてもこれほどうさぎのイメージは思い浮かばなかったかもしれない。最近はハングル表記に統一され漢字を見かけることが少なくなってきていて、いろいろもどかしさを感じることも多いのだけれど、「ウサピョン」のイメージは漢字を媒介としなかったからこそのものなのであろう。逆に言えば、漢字の与えるイメージというのは、表意文字であるから当然ではあるのだろうが、それほどに強いのである。
例えば韓国の方に名刺をもらっても、漢字を併記している方はむしろ稀である。その結果、なかなか名まえと人物が結びつかないということになる。ハングル表記と音だけでは、人をイメージしにくいのである。西洋人の名まえでも同じことかもしれないが、恐らく長さの違いがものをいうのだろう。漢字を媒介にしないと人物像をイメージしにくいというのは、日本人に共通した特性なのだろうか。それともぼくの個人的な癖、あるいは単に物覚えの悪さに起因するものなのだろうか……。
ピョンチャン五輪の看板.jpg
〔高速沿いで見かけたピョンチャン・オリンピックの看板〕
そんな話題に花を咲かせながら、数日前に降った雪が残る高原地帯を過ぎ、海岸沿いに聳える太白山脈を超えると、眼下に日本海(韓国では東海)が飛び込んでくる。振り返ると、巨人の腕のような巨大な風車群が目に止まる。1000mの高度差を一気に駆け降ると、海岸の町江陵である。ソウルよりは寒くないといわれたが、それでも12月半ばでも川は結氷していたし、日本海には白波が立っていた。冬型が強まると、この海岸から程なく筋状の雪雲が湧き始めるはずだから、果たして2013年の初日の出は拝めただろうか?
2018年の冬のオリンピックはまだ5年も先である。それを見据えて高速鉄道の建設も動いているという。ピョンチャン・オリンピックが平和に開催されることを祈るばかりである。

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我が家の元日の夜は、珍しくすきやきだった。お節料理など全く作らないし、出来合いを買ってくることもほとんどない。せいぜい蒲鉾程度がいいところである。朝こそお雑煮にするものの、ぼくは大根・牛蒡・人参の千切りにカシワと小松菜、それに鳴門を一切れとゆずを散らしたすまし汁という関東風のお雑煮で育ったが、家内自身は東京の人間ではあるものの先祖が関西の出であるためか、白味噌仕立てにこだわっている。餅も関西風の丸餅である。元日のすきやきは珍しいが、へたなお節よりもよほど気が利いているような気がする。
元日のすきやきというと、実はぼくには懐かしい味なのである。かつて母の二番目の姉夫婦が東京の目白にいて、元日というと妹夫婦の家族とともに年始の挨拶に訪ねるのが恒例になっていた。母が戦後東京に出て以来結婚するまでお世話になった家で、この家の2人の姪と1人の甥の3人の子どもたちは、母を姉同様にしながら育った(上の姪と母とは12歳しか違わない)。ここに我が家の3人(ぼくは一人っ子)と、ぼくより少し年下のいとこにあたる兄妹のいる妹夫婦の4人家族が集まって新年を祝うのである。母が弟妹のように過ごした目白のいとこ達(母には甥姪にあたる)は、ぼくより上が15歳、下でも8つほど上だったが、一人っ子のぼくにとっては、兄弟姉妹に囲まれて過ごす貴重な時間なのだった。のちには目白の2人の従姉妹たちもそれぞれに彼氏を得て結婚したから、正月は益々賑やかになっていった。
この正月の集まりは、ぼくが物心ついたときにはもう始まっていて、千葉に新居を構えた上の従姉妹夫婦が、目白の伯母夫婦(つまり両親)を呼んで同居するまで続いた。その元日の夕食が、目白の伯父が手づからこしらえてくれるすきやきと決まっていたのである。
それは、気心の知れた親戚一同が集まって語らう幸せなひとときであった。母にとってもほとんど一年で唯一のゆっくり羽を伸ばせる機会だったに違いない。ぼくにとってもまた、この集まりはすきやきを口にできる限られた機会であった。しかもぼくの家の祖父母が固いご飯を嫌ってお粥のように柔らかいご飯ばかり食べていたので、この元日のすきやきとともにいただくごく普通に炊いたごはんは、ほとんど一年で一度口にできるまともな白飯であった。ごはんがこれほどおいしいものとはぼくは知らなかったのである。のりたまとかお茶漬け海苔とか、何か味付けがなければごはんを食べられなかったような子にとって、ごはんがごはんだけでおいしいというのは、カルチャーショックにも等しいできごとだった。ごはんのお代わりなどということは家ではついぞないことだった。それはけっして大勢のいとこたちに囲まれてはしゃぎすぎた結果なのではない。

これももう30年も前の話である。そのすきやきの味を思い出したのだった。伯父が亡くなったとき、ちょうど末娘の誕生と病気がちだった息子の面倒が重なって告別式にも顔を出せなかった。昨秋の17回忌には何とか都合を付けて顔を出し、墓前に年来の不義理をお詫びしたところだった。昨日は帰省した息子と家内と3人だけのすきやきだったが、格別の思いを噛みしめることとなった。
タグ: 日常
posted by あきちゃん at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする