2013年03月30日

ニ長調コンチェルトの取り持つ縁

モーツァルトのK.450変ロ長調とK.453ト長調に挟まれたK.451のニ長調のピアノコンチェルトは、ぼくの心のうちではどうも不遇な地位にあった。前後の曲が余りにも個性的で傑出した曲であることもある。そしてK.451ニ長調自身の行進曲風のテーマで始まる曲想が20番台の傑作コンチェルト中ではちょっと異質の地位を占めるK.503を連想させたり、一般に凡庸な曲と言われるK.537「戴冠式」に集大成するニ長調という調性であったりするのも大きな要因だったようである。これはK.503がシンフォニーではジュピターに相当するようなピアノコンチェルトの王者と呼ぶに相応しい曲であり、一方K.537は演奏者を選びはするが繊細な魅力に溢れる女王のような曲であることを知らなかったがための偏見でもあったわけだが、曲自体の魅力を教えてくれたのは、ゼルキン最晩年のアバドとの演奏だった。
ゼルキンのピアノ・コンチェルト集については、何度も書いたことがあるようにゆったりしたテンポがとてもつらくて、リリースされた頃にはなかなか親しめない部分もあった。要はぼくもまだ若かったのである。最初はリリースのたびにLPを求めていたが、最後までは多分ついて行けなかったのではないかと思う。それが数年前ボックスセットのCDで出たのを機会に、そこがまた不思議な感覚なのではあるけれども、なつかしさから居ても立っても居られなくなって入手したのである。当時ぎこちないテンポと感じていたものが、今聴き直すと円熟したまろやかな足取りに聞こえるから不思議である。確かに22番の変ホ長調のコンチェルトなどかなりの遅さではあるが、それとて必然的なテンポに思えてきて愛おしさでいっぱいになる。
そうした中で、16番ニ長調K.451と出会ったのである。テンポは速くはない。しかし、それがかえって曲想にマッチして、壮麗とも言える演奏を聴かせてくれる。ぼくが若い頃考えていたような老ゼルキンの最後の仕事というようなイメージなどとんでもない。ゼルキンのモーツァルトの最後の録音だったとは到底思えない立派な演奏なのである。この雰囲気のままK.537「戴冠式」録音してくれていたら、どんなに素晴らしい演奏になったことであろう。戴冠式の一般的な評価もずいぶん変わったのではないかと思われる、そんな悔しい思いさえ抱かせる出来映えなのである。

今日はゼルキンを書くのが眼目なのではない。こうして始まった16番ニ長調K.451への思い入れが、ある素晴らしいCDにめぐり合わせてくれた、そのことを書きたいのである。16番ニ長調K.451は、ぼくの当初の思い込みのように、確かに人気のない曲であり、録音も前後のコンチェルトに比べると多くない。しかし、そうであるからこそなおさら、全集での録音は別として、この曲の録音には演奏者の思い入れを感じさせる素敵な演奏が多いのである。嬉しいことに、どうもゼルキン自身がこの曲には一方ならぬ思い入れをもっていたらしく、晩年のアバドとの演奏以外にも2種類の演奏を残してくれている。一つはシュナイダーとのモノラルのセッション録音、もう一つは、なんとミトロプーロスとのライヴなのである(ARPCD0324)。後者は音質はけっしてよくないけれども、カップリングがK.503であり、しかも同日のライヴである。こんなコンサートがあったのか、そしてよくぞその録音が残され、さらにCDとして陽の目をみたものと、ただただ感謝するしかない記録である。ゲザ・アンダもまたライヴ録音を残してくれている(BBCL4247-2)(残念ながらリヒテルにはこの曲の録音はないようだが、リヒテルは日本でのライブで超弩級の5番ニ長調K.175を残してくれている)。けっして人気の高くない16番ニ長調K.451の演奏を、自分の好きなピアニストが残してくれているというのは感激以外のなにものでもない。
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〔ゼルキン=ミトロプーロスのピアノ・コンチェルト集(ARPCD0324)のCDジャケット〕

前置きが長くなったが、16番ニ長調K.451が私に引き合わせてくれたのは、ピアノとヴァイオリンのための協奏曲ニ長調K.315fである。120小節のみで未完に終わったこの曲を、フィリップ・ウィルビーという人が補完し、それを録音した演奏がリリースされたのである(WPCS-11845)。ピアノとヴァイオリンという、ありそうでない組み合わせの二重協奏曲である。現代人の補完になる演奏でもあり、言ってみれば珍品であって、聴いてみたい気はするもののそれだけではあえてCDを買うほどでもないというのが偽らざるところであった。ところがカップリングが16番ニ長調K.451だったのである。指揮はノリントン。ぼくはピリオド演奏は聴かないし興味もないのだが、16番ニ長調K.451を余白に入れてくれたその見識に感激して購入する気になったのである。
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〔ホープ=ナウアーのモーツァルト集(WPCS-11845)のCDジャケット〕

曲がいいのは勿論なのだが、このナウアーというピアニストが弾くK.451は、敢えてこの曲を取り上げただけあって、やはり素晴らしかった。颯爽とした歯切れのよい演奏に一聴惚れ込んでしまった。肝心のピアノとヴァイオリンのための協奏曲ニ長調K.315fも、佳曲の名演である。モーツァルト自身が完成させてくれていたら、どんなにか名曲になっていたことだろう。ヴァイオリンのダニエル・ホープの演奏に不満があるという評も目にしたことがあるけれども、ピアノの前に出しゃばらず、節度をもってかつ自己主張もしている演奏にはとても好感がもてた。
このCDの最大のもうけもの、といったら不謹慎であるけれども、それはヴァイオリン・ソナタト長調K.379(K.373a)である。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタには名曲が多く、ハスキル=グリュミオーの宝石のような演奏があるが、K.379は録音されていない。どんな曲かと恐る恐る耳を傾けたところ、どこで誰の演奏で聴いたのかは全く思い出せないが、耳に馴染みの深い曲であった。ことに第2楽章の変奏曲は、なつかしい世界がいっぱいに広がる。第一変奏で既に涙腺が反応し始め、第三変奏の切々としたヴァイオリンの調べには思わず感極まってしまった。続く短調の第四変奏もまさにモーツァルトというべき音楽である。至福のCDである。

追記
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2013年03月24日

帰りのバスでのできごと

突然やって来た春は本物だった。今年の春の訪れは例年になくダイナミックだ。三寒四温などという生やさしいものではない。一寒一温といってもよいようなスピードで、しかも変化の度合いが大きい。1日に10℃以上も上がったり下がったりされてはなかなか身体がついていけない。しかも新手も含めた三波攻撃付きである。めまぐるしく高気圧と低気圧が入れ替わり、短い周期で寒気が戻ってきていたのが、先週から今週前半にかけては暫く落ち着いて高気圧に覆われ、その間に春が一気に芽吹いた、そんな感じである。木曜日はまた真冬に逆戻りしたけれど、もう日射しは完全に春である。いやはや過激な春の訪れである。
先週目を疑ったサクラは順調にほころび始めている。去年より3週間近く早い。時間差で咲く勤め先のサクラのうち、毎年トップを切る株はもう五分咲きと言った風情。わが家のクリスマス・ローズも満開(春を告げる花なのに、なぜクリスマス・ローズなのだろう)。昨年が遅過ぎたというのもあるのだけれど、昨年よりに比べるとこれもやはり3週間ほど早い。職場の先輩からいただいた株を地面に下ろしたのが、毎年律儀にしかも豪勢に花を付けてくれる。鉢植えの方の花芽を折った前科のある犬も、地べたのクリスマスローズの大株には一目置いてくれている。最初の株はもう何年になるだろうか。

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〔満開のクリスマス・ローズの古株〕

          §          §          §

先日の帰りのバスでのこと。よく乗り合わせる初老の盲人の方がいる。声の大きな元気な方だが、なぜそんなことがわかるかというと、バスを降りるとき、必ず運転手さんありがとう!、と言って降りて行かれるのである。ちょっと心配してくれる人がいようものなら、さらに、親切にしてくれた皆さんありがとう!、のもう一声が付く。これまでぼく自身は特に傍に乗り合わせたことはなく、本を読んでいるのが普通だから、遠目にああまたいつも方がいる、という程度のことで、盲人だからといって特別視することもなく、ごく普通にしていた。いや、正直に告白しよう。大声での挨拶がやや鼻についてもいた。一種の僻みがそこにはあるようにも感じていたのである。
先日もぼくはいつものように本を読んでいた。その方は同じバス停でぼくの後から乗って来られた。ぼくよりずっと前の方の席に、ここあいてますか? と確認して、かけられた。この方の下車するバス停はぼくよりだいぶん手前である。バスが止まり、立ち上がって出口に向かってぼくの方に歩いて来られる。ぼくはちょうどその出口のすぐうしろに前向きに座っていた。その方はまっすぐ出口に向かって歩いてこられたが、向かって右(ぼくの左前)の出口に曲がらずに、ぼくの右側の通路をまっすぐ歩いて来ようとしているように思われた。咄嗟にぼくは、ああこっちですよと手を取ろうとしていた。ああ、ああ、大丈夫ですよ。ちょっと曲がるタイミングが遅れただけなのである。別にぼくが手を出さなくてもどうということなく降りられたであろう。しかし、その方は降りがけに例の調子でさらに言ったのである。ありがとさん! 寒いから風邪など引かんようにね!
ガーンと頭を殴られたような気がした。ぼくは本を読みながら、いわばおざなりに余計な手を出しただけなのである。それなのに、咄嗟にこれだけの感謝の気持ちを表現してくださるこの方の気持ちにぼくは打たれたのである。目頭が熱くなった。もう本など読んでいられなかった。そして、恥ずかしかった、これまでいかに偏見に満ちた見方しかしてこなかったか、それをいやというほど思い知らされたのである。
以前、バスで席を譲った話を書いたことがある。やはりそれは自己満足なのではなかったか。どこかに誇る気持ちがあったのではないか。ぼくは今までとんでもない思い違いをしていたようである。

          §          §          §

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〔毎年最初に咲くサクラ―3/20の様子―〕

これも以前書いた、時間差で咲いていく勤め先のサクラたち。実は、この場でぼくらの目を楽しませてくれるのは今年が最後なのである。精一杯、思う存分に咲かせてやりたい。当のサクラたちの知らない彼らの運命を知っているというのは、何と怖ろしいことか。
いや、そうではない。彼らの運命を変えてやる努力は、まだぼくにもできるはずなのである。それに気付くと少しだけ勇気が湧いてきた。
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2013年03月17日

夢見る居眠り―夢の記憶7

年のせいか、疲れのせいか、最近睡魔に耐えることができなくなってきた。いつでもどこでも寝られるのは夜なら重宝なのだが、昼間は困りものだ。話をしながら半分眠っているのがわかることもあるし、本を読みながら居眠りしてしまうこともよくある。今日はそれに夢のおまけまで付く始末だった。

          §          §          §

職場のようである。別室で何やら仕事をしていたらしい。ひと仕事終えて、休憩してお菓子を食べようとしていた。へやにはいろいろとお菓子が常備されているが、すべてKさんの管理下にある。まあ、いつもその目を盗んで遠来のお菓子をつまんだりするのだけれど、今日も個包装のフィナンシェのような洋菓子、それもチョコレートかココア味のを見付けて今まさに封を切った。そこへ突然ドアが開いて、そのKさんが入って来た。思わず袋から出したお菓子を袋に戻して机上に置き、そのへんの書類の下に隠す。
素知らぬ顔でKさんが言う。なんだこちらでしたか、下に今お客様が見えていたのですが、帰られました。ぼくの居場所は数カ所に限られているのだから、電話でも何でもして探してくれたらいいのにと内心思いつつ、居場所を知らせずにへやから離れていたことを思い出し、言うのは止しにした。
へやに戻って事情を聞くと、約束していたというSさんという方が来られて待っていたという。はて、Sさんねえ、と首をひねることしばし。思い出せない。そんな約束は覚えがないけれど、どんな人でしたか、と訊ねると、年配の女性だという。ますますもってわからない。予定が書き込んであるボードにも何も書いてない。
しかし、ボードを見つめているうちに、最近までそこに書いてあった「Sさん」という文字が浮かび上がってきたのだった。二週間以上も前になるだろうか。予定表にある「Sさん」という文字に気付いて、はて何だったか……。ちょうどバイトに来ている学生さんとよく似た苗字だったこともあって、何かの間違いだろうとよく考えもせずに消してしまったことが忽然と甦ってきた。ああ、あのSさんだ! ひと月ほど前、突然の電話でいろいろと質問を受け、一度直接話を聞きに来たいとのことで、だいぶん先の日取りをおさえたのだった。それがボードのSさんの名だったのである。それをすっかり忘れて消してしまい、挙げ句の果てに消したことすら忘れてしまっていたわけだ。
それは申し訳ないことをした……、と思い、まだ間に合うかもと追いかけようとすると、いいえもうお帰りになってから随分たちますよ、という、つれないKさんの追い打ちをかけるような言葉。後の祭りであった。
どうしようもなくて自席に戻ろうとすると、椅子の回りにお菓子が山程散らばっているではないか。何事かと思っていると、昨日までの2日間体調を崩して休んでいた隣の席の同僚のY君が申し訳なさそうにしている。もうよくなったのか、よかったよかったと思いながらちょっと顔をしかめてみせる。すみません。でもY君の声、何だか変だ。まだ本当ではないのかも知れない。もういいの? ええ。
それはそうと、机の向こうの窓際に旅行用のバッグが口を開けていて、大量の個包装のお菓子が見える。散らかっているのはそこから飛び出したものらしい。すまなそうにしているY君を横目に見ながら、さて片付けようかと思っているところで目が覚めた。

          §          §          §

お菓子に始まりお菓子に終わる、なんともまあ意地汚い夢ではある。物忘れのひどさを夢の中でも実践しているだらしなさにも呆れるばかりなのだが、ひどくリアルな夢で目覚めても記憶が鮮明に残っている。今こうして書いていても始まりがもう少し複雑だったかなと気になるくらいで、ほぼ全ての場面を書くことができた。
それにしても到底夢とは思えない現実のような夢。最初にいた上のへやは確かに現実には存在しない。しかし、Y君のいたへやは現実の職場のへやそのもの。それに、Sさんの名前を本当に消したような気がするのだ……。
タグ: 日常
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2013年03月09日

突然の春の到来と反転した夕陽

一昨日、昨日と2日続きで20℃を超え、急速に春めいてきた。気が付いたら梅もほころび始めている。先週まで毎朝のようにフロントガラスの霜の凍り付きに悩まされていたのが嘘のようだ。
暖かさとともに飛散するものも急激に増え始めている。スギ花粉だけでなく、黄砂の季節も始まっているようだし、今年はPM2.5という新手の、かつ有害な物質の飛来も報じられている。昨日は南高北低の気圧配置になって、特に午後から南よりの風が強まり、どれの影響なのかはわからないけれど、晴れているのに生駒山が霞む状態だった。
10年以上前のことだが初春の西安にひと月滞在したことがある。昨日の空はあの時の西安の様子を彷彿とさせた。曇っているわけでもない、湿度が高いわけでもない、乾燥しているのにどんよりと空気が澱んで見通しがきかない毎日が続く。たまに太陽が顔を出すことがあっても、すぐにかき消されてしまう。当時はこれがこの季節の中国の天候の特徴かと思っていたが、今にして思えばなんのことはない、あれも大気汚染の影響だったのではないだろうか。今に始まったわけではないのである。
花粉はアレルギー反応を引き起こすだけで有害物質というわけではない。黄砂も気管などに悪影響を及ぼすことはあるだろうが、それ自体に有害性があるわけではないだろう。それに引き替えPM2.5は粒の細かさがもたらす悪影響が大きいだけでなく、大気汚染物質としての有害性もあわせもっているらしい。最もたちが悪いのである。
ぼくらがの世代が育った高度成長期の日本では、川崎や四日市の大気汚染が悪名高かった。京浜東北線に乗って横浜に向かうとき、東京で晴れていた空が多摩川を渡ると澱み始め、川崎を通過して、鶴見、横浜に至ると、青い空が戻ってきたのを目で見て実感したものである。川崎を通過する間、息を潜めていたのをよく覚えている。しかし、実際川崎の空気はどの程度そこに滞留していたのだろうか。煙突からもくもくとあがる煤煙が日光を遮っていたのは確かだろうが、多摩川や鶴見川が大気汚染を遮ってくれていたわけはないから、ぼくも確実に汚れた空気を吸って育ったのである。今、その格段に大規模なものが、東アジア全体に及ぼうとしていると考えたらよい。今年になって急にPM2.5が話題になったのは、世に警鐘を鳴らさねばならない差し迫った状況になってきたことの裏返しでもあるのだろう。
大気汚染粒子や黄砂がどのように東アジア世界を飛散していくかをシミュレートして見せてくれる画期的なサイトがある。九州大学応用力学研究所のSPRINTARS (Spectral Radiation-Transport Model for Aerosol Species) で、これはものすごい研究成果であると思う。どこまでの精度の予報であるのか、またどの程度の確度があるのかは俄かにはわからないが、システムとしてこのような予報が一般に広くわかりやすい形で提供されるというのは驚異的なことである。予報であるから別にそれで一喜一憂する必要はないのであって、これを冷静に受け止めたうえで、日々の行動の指針に役立てていけばそれでよいのではないかと思う。抜群のわかりやすさであり、ついつい自分のいるところに飛散してくるということを度外視して見入ってしまう。

今日はまたぐんぐん気温が上がり、奈良の最高気温は23.1℃。夏日になる直前だったようで、ぼくもそのうちの一人だったが、そこまで気温が上がるのを考えずに着込んだままのちぐはぐな格好をしている人を多く見かけた。
以前にも少し書いたかも知れないが、最近とみに季節の推移が極端になる傾向が強い。徐々に暖かくなるとか、日増しに寒さがつのっていくといった、いわば優しい変化ではなく、一気に暑くなったり冷え込んだりという不安定で過激な変動が増えてきているように思う。季節の推移でいうならば、冬から夏へ、夏から冬へと一気に季節が進み、春や秋の過ごしやすく美しい季節が短くなってきている印象を受けるのである。

ついこの間のことである。少し過ごしやすくなったかなと思っていた日の夕方、明日の天気を確かめるためにパソコンの画面を見ていたら、突然オレンジ色の点が眼に飛び込んできた。一瞬自分の網膜がおかしくなったのかとギョッとした。しかし、明らかにモニターの中であり、液晶がおかしくなったのかとも思ったが、画像には全く異常はない。モニターをよく見てみると……。
オレンジ色に燦然と輝くのその点は、なんと雲間からのぞいたばかりの夕陽なのだった。でもぼくの机はほぼ西を向いている。そこに夕陽が映るわけはないではないか……。そう思いながら振り返ってみて驚いた。ぼくの後ろにあるガラス戸棚のガラスに、いつか書いたことのある個性あるサクラたちをはじめとするぼくの左側の窓外の景色が映っており、そこに今まさに沈もうとしている夕陽が映っていたのである。
その窓からまさか夕陽が望めるなどとは思ったこともなかったのだが、二重の映り込みを経てパソコンのモニターには確かに夕陽が見えている。木々の枝がかなり複雑に入り組んでいる中に、全く邪魔されずにやや楕円形につぶれた夕陽が完全な形で輝いている。なんという偶然の重なりであろう。夕陽の沈む位置、時刻、雲の有無、木々の枝の伸び方、ガラス戸棚とモニターの位置関係、ぼくの座る位置や目線……、どれか一つが欠けただけでも、また条件が変わっても、この夕陽は見られなかった。そう思うと、不思議な感動を覚えないではいられなかった。結局、今こうしてあることが常にそうした偶然の重なりなのであるが、そうした偶然が重なったこと自体が見えない糸によって結びつけられた必然であったようにも思えてくる。かけがえのない今なのである。そうこうするうちに、モニターの中の夕陽は、ほどなく木々に隠されて形を変え、視界から消えていった。
モニターの中に反転した夕陽を見る.JPG
〔モニターの中の反転した夕陽〕

まもなく東日本大震災から2年を迎える。今ある自分がいかに多くに人々に支えられて存在しているかを思い知らされたのだったが、自分自身の今日が、良きにつけ悪しきにつけいつどこでだれのどういう歯車となっていくかわからない。鏡に映った自分がさらに反転して誰かの人生を形作る要素になっていくとしたら、それはそれで怖ろしいことだ。そうであればこそ、与えられた今に対して謙遜な自分でありたいと願わないではいられない。
追記
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2013年03月02日

『果て遠き丘』と三浦文学の旅

三浦綾子さんの小説は、一貫して人間の本質を描く点は共通しているが、家族に重きがあるものと、個人の生き様に重きがあるものとに大別できる。そして前者には現代の限られた時間幅を設定するものと、年代記風に歴史的時間幅を設定するものとがある。したがって、現代家族の物語、家族の歴史の物語、個人の伝記が作品の主なカテゴリーとなるだろう。個人の伝記には、三浦さんが感銘を受けたキリスト者を中心とする伝記と、三浦さん自身の自叙伝があり、これは分けて考えるのがよいと思う。具体的な作品に即していうと、次のようなことになろうか。まだ完全に読破したわけではないので、あくまで一案である。

現代家族の物語は、代表作『氷点』『続氷点』に連なる一群である。『ひつじが丘』『積木の箱』『裁きの家』『自我の構図』『帰り来ぬ風』『残像』『石の森』『広き迷路』『果て遠き丘』『青い棘』『水なき雲』『雪のアルバム』『あのポプラの上が空』などがこれにあたる。『病めるときも』『死の彼方までも』『毒麦の季』などの短編集にもこの系譜の作品が多い。ここでは一括りにしてしまったが、『帰り来ぬ風』と『雪のアルバム』は女性が自立する道を描く作品で、前者は日記体、後者は信仰告白という形態を取る。一人称で描く『石の森』も同様の傾向があり、ひとくちに家族を描くといっても、その主題や叙述方法、切り口には、かなり多様な試みがなされている。

家族の歴史の物語は、『天北原野』を嚆矢とし、『泥流地帯』『続底流地帯』『海嶺』『嵐吹く時も』と連なり、最後は晩年の傑作『銃口』に至る重厚な一群である。家族の歴史に現実の時間の流れが加味されることによって、叙述は格段に深みと重みを増し、家族の生きざまとともに、日本近世末期から近代の歩みを批判的に抉り出すことに成功している。その結果、三浦さんの作品の中でも特に長大な作品が多いという特徴がある。

キリスト者を中心とする伝記は、もちろん家族の物語としての要素ももつけれど、主眼はその中で生きた個人にある。『塩狩峠』に連なる一群であり、『細川ガラシャ夫人』『岩に立つ』『千利休とその妻たち』『愛の鬼才』『ちいろば先生物語』『夕あり朝あり』『われ弱ければ―矢嶋楫子伝』『母』に至る。このうち『細川ガラシャ夫人』『千利休とその妻たち』『母』の3編はこのカテゴリーとしてはやや異質かも知れない。前二者は歴史に取材した個人を描くが、前項に分類した家族の歴史の物語としての意味合いももっており、信仰に生きた女性を描く点では共通している。三浦さんがその生き方そのものに感動して描いたのが小林多喜二の母セキを語り手とする『母』である。信仰を超越したところでまさに信仰的に生きた女性の姿を描く傑作である。なお、小説ではないけれど、三浦さんを信仰に導いた前川正の遺文集でもあえる『生命に刻まれし愛のかたみ』も、前川正の生き方を描く感動的な一編としてここに分類してしかるべきものだろう。

三浦さんの自叙伝は、『道ありき』に連なる一群である。これから『この土の器をも』『光あるうちに』までの3部作をはじめ、『石ころの歌』『草の歌』『命ある限り』に至る。三浦さんの逝去で自叙伝としての完結をみることはなかったけれど、『生かされてある日々』をはじめ、日記の体裁をとる晩年の何冊かの随筆集は、過去を振り返るのではない、いわばリアルタイムの自叙伝としての趣をもった作品といえる。

ここでは長編小説を主に分類してみたが、三浦さんの作品を小説、随筆という括りで分類してしまうことが意味のあることなのかと疑問に思うときがある。それほどに三浦さんの随筆集や対談集は多彩で充実した内容をもっている。また、聖書とキリストの生涯を描いた『旧約聖書入門』『新約聖書入門』『イエス・キリストの生涯』『聖書に見る人間の罪』も忘れることのできない作品である。
三浦さんの小説は、人間がいかに弱いものか、いかに罪深いものかを抉り出す。しかし、それで終わりではない。それでもなお希望をもって生きることを強く訴えかける。ありのままの自分を受け入れ自分の気持ちのもち方を変えることによって、全く新しい世界が見えてくる。けっしてキリスト教信仰をもつべきだと声高に叫んだりはしない。しかし、そうした希望の灯火を点してくれるのが神への信仰であるという確信が三浦さんの作品群には充溢しており、それが読者にとって大きな救い、福音であることは間違いない。三浦さんの描いた一人ひとりの人間の生き方は、読者に生きる力を与えてくれる。これほど積極的に人間の生き方を示し続けた作家は稀有であり、そうした三浦さんの生き方そのものが読者に大きな希望となる。一人の人間として、これほどすばらしい生き方はない。まさに神に選ばれし人、という感懐をいだく。
そしてそれは作家としての三浦綾子誕生までの三浦さんの歩みを知るとき、さらに深い感動に変わるのである。教師としての数年、敗戦による虚無と長い結核の療養、その間の前川正との再開とキリスト教との出会い、前川正の死、三浦光世氏との出会い、そして『氷点』の入選。作家としてスタートしたあとも、けっして平坦な人生ではなかった。その後の旺盛な文筆活動はさまざまな病気の狭間を縫うようになされていく。不整脈、帯状疱疹、直腸癌、そして難病パーキンソン病と、次々と病を得るのである。そうした合間を縫って残された厖大な作品の全てが渾身の力を込めた書かれた力作揃いである。その多くが天の配剤と言おうか、ご主人三浦光世氏の口述筆記という共同作業によって生み出されたのである。何人分もの人生の重みを一人で背負いながら、これだけの充実した仕事を残しつつ人生を生き抜かれたというのは、本当に驚嘆に値することである。三浦さんの個人の仕事を超えた何か特別の導きを感じないではいられないのである。

          §          §          §

『氷点』『続氷点』がもつ重みは今後も変わることはないだろうが、最近読んだ『果て遠き丘』のクライマックスには、そうした三浦さんの本質が凝縮されていて圧倒された。力一杯ぐいぐい引っ張って感動的に終わるという終わり方ではないのだけれど、この予想外の幕の引き方は、『続氷点』の燃える流氷とはまた違った意味で深い余韻を残した。

『果て遠き丘』(集英社文庫)のカヴァー.JPG
〔『果て遠き丘』(集英社文庫)のカヴァー〕

『果て遠き丘』は、旭川を舞台とした家族の物語である。道北に手広く顧客を持つ建材会社の社長橋宮容一・保子夫妻は、容一の浮気が原因で離婚し、二人の娘のうち姉恵理子を保子が、妹香也子を容一が引き取った。恵理子が13歳、香也子が10歳だった10年前のことである。容一は浮気相手の扶代を家に入れ、実子の香也子、扶代の連れ子の章子(香也子より2歳年上)の4人で高砂台の500坪の豪邸に暮らす。保子は実家に戻って茶道教授の母藤戸ツネ、娘恵理子と3人暮らし。恵理子・香也子の父方の従兄弟(容一の姉の子)で車のセールスをしている小山田整は、両家に出入りできる愛すべき人物である。
恵理子が新芽のけぶるポプラの木にもたれて残雪を頂く純白の大雪山を眺めている時、対岸でギターを抱える青年の視線を受ける。知らず知らず胸をときめかせた恵理子が思いきって会釈すると、青年が軽く手を挙げた。この恵理子と木工デザイナー西島広之の出会いの場面で物語は始まる。一方橋宮家では、章子が英語塾を経営する金井政夫を両親に紹介し、結婚を前提とした付き合いが始まる。香也子にはそれが面白くない。熾烈な嫉妬心に燃える香也子は、小山田整が姉恵理子のことを、理知的でやさしくてきれい、とほめた言葉が癇に障る。そして、偶々新聞で知った桜咲く旭山でツネが催す野点の会で、小さいときに別れたきりの姉恵理子をみてやろうと両親を誘って旭山に赴く。ここで藤戸家の面々と橋宮家の面々が鉢合わせしてしまう。香也子が仕組んだこのちょっとした悪戯から、物語はゆっくりと展開を始める。
恵理子は西島との川を挟んだ愛を育み、章子は金井政夫と婚約する。潔癖症の保子を疎ましく思って扶代との浮気に走った容一は、離婚は保子の母ツネが強引に娘を実家に連れ戻したのだといって自分の責任は認めようともせず、扶代と結婚しても秘書との浮気に励む日々。煮え切らない男なのである。そして旭山での邂逅を機に、容一は保子と縒りを戻そうとし始める。まんざらでもない保子はツネの目を盗んで逢瀬を重ねていく。
純真無垢な姉恵理子に対し、妹香也子は嫉妬の固まりで、他人を傷付けることに喜びを見出している。その矛先は章子と金井に向けられる。二人の仲を裂こうとする香也子の所行はまことに陰湿である。結果的に香也子の画策で婚約者金井に絶望した章子は家出して行方知れずになってしまう。ようやく小山田整に見出されて旭川に戻った章子を空港で待っていたのは、香也子と金井だった。香也子は章子から金井を奪って意気揚々なのである。
さらに香也子は、恵理子と西島の間に亀裂を入れることも考える。西島の親友鈴村の妹で西島を慕って旭川に訪ねてきた貴子と西島がホテルで会うところを恵理子に見せようとする。しかし、二人の間に隙間風を入れようとした香也子の目論見は見事に外れ、貴子は西島を恵理子に託す決意を固めて旭川を去る。恵理子は貴子から西島を奪ったのではないかという罪の意識に苛まれるが、そうした恵理子を救ったのは西島その人だった。純粋無垢に見える恵理子にさえ罪の意識はつきまとうのである。
さて、クライマックスが近づき、香也子は容一と保子の逢瀬の場に義理の母扶代を出向かせる。そしてその場に「私、死ぬ!」という狂言電話をかけ3人を振り回す。しかも気まずい雰囲気をほぐすためと言って憚らないのである。しかし、この香也子の悪戯が、結局は容一、保子、扶代のいわば本性をさらけ出させる働きをするのだから皮肉である。保子と扶代の間を行ったり来たりする容一の姿は、哀れを通り越して滑稽でさえある。
章子から金井を奪っていい気になっている香也子は、ある日金井から呼び出され、新築の豪邸に案内される。金井が香也子との新婚生活のために建ててくれた家と思い込む香也子は、ここで金井から「君はこのベットに寝る資格はない。」と、強烈なしっぺ返しを食わされることになる。それは金井が金融業を営む別の女に建ててもらった家だったのである。金井がかつて章子と婚約したのも、実は橋宮家の財産が目当てだったのであり、章子と破談になって香也子に乗り換えを図って容一に疎まれたあと、別の金蔓をみつけて香也子を捨てる、そんな卑劣漢だったことが明かされていく。
家に戻った香也子は、今度は本気で「私、死ぬ!」を連発する。しかし、もう誰も信じてはくれない。まさにオオカミが出た!なのである。自室に籠城しても、もう誰も心配などしてくれない。読者の失笑を買う香也子。三浦さんの筆は鮮やかの一言である。しかし、ここまでならまだどの小説にもあり得る筋かも知れない。ここからは三浦さんの筆はますます冴えに冴える。香也子の言葉を信じてくれた人がいたのである。教会の牧師である。誰にも相手にされなくなった香也子は、恵理子と西島の結婚式に向かう途中、思いついて教会に電話をかける。そこにはわずかであっても誰かに聞いてほしい、信じてほしいと言う香也子の叫びがあったはずである。旭橋の下で今すぐ薬を飲んで死ぬという香也子の言葉を、その牧師は真に受けた。そして救急車の手配をしてくれるのである。藁にもすがる思いだった香也子は、すがれる相手がいたことを感謝するでもなく、逆に真剣に自分を心配してくれる人がいたことを滑稽にさえ思う。さらにホテルから火が出ているという電話を119番し、ホテルに駆けつける消防車のサイレンを聞く。笑い出さずにはいられない香也子はさらに、旭橋の下に人が倒れている、といって再度119番するという念の入れよう。最後に金井政夫の声を聞きたくなって電話する。そして金井の声を聞くだけ聞いてボックスを出る。旭橋に近づいてくる救急車の音を聞いた香也子はげらげらと笑い出さずはおられない。人格が壊れかかっているとしかいいようがない香也子の行動だが、ここで香也子は笑いながら涙をこぼすのである。この涙はなんだろうか。三浦さんは、ひとこと、「自分が本当に、旭橋の下に倒れているような気がしたからであった。」と記してこの小説を閉じるのである。三浦さんが執拗に描いてきた、なにもそこまで描かなくても、と思わずにはいられなかった(それはあまりにも悪辣で読むのが苦痛にさえ思われるほどだった)香也子の悪行の数々。それらを全て流し去っての甦生を、このことは暗示しているのではないか。古い香也子が死んで新しい香也子が生まれるかも知れないという一条の光を垣間見させてくれる言葉だと思うのである。
このクライマックスは、三浦さんの小説の中でも殊の外印象深いものがある。結末に向けての大きな盛り上がりにひとしおの諧謔味が加わって、まことにひねりの効いた結末となっている。そして最後の最後に閃光のようにきらめく一筋の光明によって、まさに大団円を迎えることになる。
香也子以外の人物たちのその後はどうか。ふとそんなことも考えてみたくなる余韻をこの物語はもっている。蛇足かも知れないが思うままに記してみると……。
恵理子と西島広之、章子と小山田整はそれぞれの人生を二人で精一杯生きていくことであろう。鈴村貴子も心配はなさそうである。この物語の中で独特の地位を占めている藤戸ツネも、孫夫婦に慕われる優しい祖母として人生を全うするだろう。ツネ自身が夫で苦労し、娘保子の夫容一の問題でもそれが災いした感があり、けっして完璧な人物ではない。しかしそれを背負って前向きに生きる生きざまは清々しくもあり、その歯に衣着せぬ、しかし心のこもった言葉の数々は、この物語の中でもまことに際立っている。それに引き替え、容一を間に挟んで保子と扶代はどのような決断を下すのだろうか。容一は結末まで読んでもまだ光が見えて来ない。扶代は章子の結婚を契機に自立の道を見出しそうな気配があり、保子も容一との縒りを戻すよりは、恵理子やツネに導かれて自立の道を模索するように思える。金井が新しい女に捨てられるのは時間の問題であろう。結局、橋宮容一と金井政夫というこの救いがたい二人の男たちだけが、まだ当分は彷徨い続けることになりそうである。
もっとも三浦さんはこの二人をさえ全く突き放して描いているというわけでもない。彼らも弱い人間の一人としていずれは救われる、そんな暖かい眼を感じるのである。程度の差こそあれ、何らかの罪を背負って生きているのが人間であるという視点は貫徹している。どんなに罪深い者でさえ救われるという視点を、この物語の主人公香也子甦生の予兆を描く中に充分に見出すことができるのではないだろうか。
タグ:読書
posted by あきちゃん at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする