2013年04月28日

母の卒業

母がいよいよ車を手放した。免許の有効期限が切れるのはまだ先だけれど、維持費の高騰や保険料の払い込み時期、そしてなによりもまもなく80歳になろうとしている自分自身の運動能力や判断力の限界など、諸々の状況を総合的に考えた上での決断である。
傍目で見ていると、ぼくよりも格段に安全運転だし、注意力にもまだまだ問題はないと思っていた。しかし、父が亡くなって一人になってから、車を利用する機会自体が減ってしまったこともあるようだ。元々自分の行きたいところへ出かけるためというより、家族の移動手段としての車であったから、一人になって、いざいつでも好きなときにどこへでも行けるようになったとはいっても、なかなかそうもいかなかった。父の墓参りとか、何ヶ月かに一度仲の良い友達たちとの遠出に車を出すとかくらいで、あとは訪問客の雨の日の送迎程度。結局自分のために運転する機会はそう多くはなかったのである。
近くならば自転車で用は足りるし、一戸建てと違って駐車場から車を出す手間を考えたら、つい億劫にもなるのだろう。神経を時折緊張させることは、そこそこ健康維持にもつながるかも知れないけれど、やはり高齢者が一人で運転していると、何かあったときが怖い。維持費を考えたら、タクシーを存分に使っても相当にお釣りが来るのである。
そんなわけでの決断であり、母自身は意外にさばさばしていたけれど、それなりの感慨はやはりあるようである。30年もよく乗ったものだねぇ、とぼそっと車の中で漏らしていた。その上で指折り数えて、25年にしかならないよと、ちょっと不満そうでもあった。
そもそも免許を取ったのが50歳を超えてからのことである。ぼくが結婚して家を離れて運転手がいなくなり、病気がちの祖母と痴呆の始まっていた祖父を抱えて、そうせざるを得なかったのである。仮免まで行くのに1年近くかかったといい、近所とはいえ、すぐ母を頼りにする祖父の目を盗んで教習所に通うのにも、気苦労が多かったらしい。
祖父母を見送ってからは、今度は父の病院の送り迎えに使われ(祖父母と違って父は初めから母をあてにしていた)、結局母が自分の楽しみや用事で運転したことがいったいどれだけあったのだろうか。あの入れにくいマンションの立体駐車場にいつもピタリと計ったように車庫入れできるようになったのも、そんな日々がもたらした当然のたまものではあった。

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偶然廃車の手続きに行く日に居合わせたので、その前に母の運転で少しのドライブと買い物を楽しませてもらったあと、ディーラーまで同行した。まるでレンタカーを返しに行くかのように、何気なく車を降りる母だったが、まだ父名義の残っていたさまざまな書類に、言われるままに次々と署名、捺印していく際には、25年の歳月の思いに耽っているようなところは微塵も見せなかった。
いつかはこの日を迎えねばならないのである。無事故のうちにこの日を迎える割り切りが心のうちでできていたのだと思うが、もしかしたら辛い部分もあるのかも知れない。見ていてあまりにあっけなくて、こんな終わり方でいいのだろうかという気がしないでもなかったけれど、ここで感傷を持ち出して折角の母の気持ちを逆戻りさせても、と思って黙っていた。何だかどう受け答えしてよいのやらわからぬまま、ぼく自身がちょっとしんみりしてしまっていた。
ところが流石は母であった。80歳を過ぎたらレンタカーも借りられないらしいよ、母はしんみりと寂しそうなことを言っていたが、そんなことはありませんよ、必要ならいつでもお貸ししますよ、と言われ、ちょっぴり元気を取り戻していた。再来年は7回忌だものねぇ、車を借りて行かなくちゃね、と、母はもうすっかいりその気になっている。
25年の間には事故もいろいろあったようである。しかし、ともかくここまで無事運転して来れた母に、心からお疲れさま!、を言ってやりたい。一戸建てから今のマンションへ越すときもそうだったが、大事に当たっての決断のはやさは母特有のものがあり、今回の決断も、全く見事な引き際であった。あれこれと感傷に浸らず、現実を直視する母の姿勢には頭が下がるとともに、それを培ってきた戦争体験と結婚後の苦労が今さらのように思いやられるのである。
母の車(震災の年の春).JPG
〔母の車(震災の年の春)〕
ラベル:日常 記憶
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2013年04月21日

たえてタバコのなかりせば

こうもまあ寒暖の変化が激しいとなかなか身体が付いていけない。25℃を超える夏日があったかと思うと、翌日は15℃までしか上がらず、その翌朝の最低気温は2℃。今日は関東や東北の内陸では10㎝を超える積雪になって、サクラが雪化粧したところもあるという。何度も書いたことだが、どうも最近寒暖の変化が過激になってきているように思う。春や秋の過ごしやすい時期が短くなり、夏から冬へ、冬から夏への変化が容赦ない。遠慮がないというか、加減を知らないというか、白黒のはっきりした陽気の変化がごく普通だ。季節の変化に風情が感じにくくなってきているのだ。

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さて、無作法な人間が作法についてあれこれいうのはどうかと思うけれど、思い出したことを少し書いておく。ぼくの子どもの頃の感覚としては、やはり立ったまま食べたり、歩きながら食べたりするのは無作法の極みだったように思う。キャラメル一つなめるのにも、歩きながらということはなかったし、要するに口に物を入れて歩くことは、あくまでもお行儀が悪いこととされ、まして飲み物を片手に持って飲みながら歩くなどはもってのほかだった。立ち食いはまだOKの場面はあったが、それでも店の前というのが暗黙の了解だったと思う。立ち食い蕎麦とかでなくても、それをもって店から離れるということはあり得なかった。この感覚は年齢的なものなのだろうか、それとも世代的なものなのだろうか。
口に物を入れたまま歩くのがお行儀悪いとされる時代にも、タバコを喫みながら歩いている人は多かった。考えてみれば不思議なことである。なぜ食べ物ならいけなくて、タバコならばよいのであろう。これはぼくの小さいときからの疑問であった。なぜ子どもが食べながら歩いて怒られるのに、大人はタバコを吸いながら歩いて怒られないのか……。
これには一つの苦い、というか痛い経験がある。小学生の頃、両親と奥多摩へ出かけたときのこと、立川駅で青梅線に乗り替えるために陸橋を渡っていた。日曜日のはずだが結構な人通りである。と、突然手に鋭い痛みを覚えたのである。あまりのことに、暫くはそれが火傷であることに気付かなかったくらいだった。左前を歩いていた人が右手に持ったタバコの先がぼくの腕にあたったのである。幸いたいしたことはなかったけれども、その人は子どもに火傷を負わせたことにも気付かぬまま行ってしまった。
まさに刃物と一緒である。刃物なら銃刀法という取り締まり方はあるだろう。しかし、取り締まりようのない火の付いたタバコ(火の付かないタバコを指に挟んで持ち歩く人はいないだろうが)も、それに勝るとも劣らない凶器になるのである。家族に父と祖母というタバコ吸いがいたせいか、ぼくにとってのタバコの恐怖は、煙よりも火そのものとしてまず認識されたのである。
話を元に戻して、禁煙が喧伝されるようになった今でも、タバコを吸いながら歩いている人は結構多い。歩きタバコの禁止されている地域もあるが、そんなことは見て見ぬふりがまかり通っている。まして灰皿の置いてあるところなら、道路脇であろうが店の前であろうが、平気で紫煙をくゆらしている。
特にどうかと思うのは、店の前に設けられた喫煙コーナーである。大規模店舗だと店内を全面禁煙にするところが多いので、そのかわりに喫煙コーナーを設ける。その際に選ばれるのが入口脇ということであるらしい。飲食店でも中を禁煙にするかわりに入口に灰皿を設置しているところがある。こうしたところで入口に喫煙場所を設けたら、店に入る客はまず、店の品物よりも雰囲気よりも、最初に煙を潜り抜けなければならないことに気付かないのだろうか。ぼくは入口に喫煙コーナーを設けているような店は、一切信用しないことにしている。どうぞ来ないでくださいと客に行っているとしか思えないのである。
もう一つどうかと思うのは、タクシー乗り場の吸い殻入れ。列に並びながら吸うのがいかに迷惑なことであるか、喫煙者は気付かないのかも知れない。バス停で並びながら吸い殻入れもないところで平気で他人に煙を吹きかけている御仁もいまだにいるくらいだから、まして灰皿が置いてあれば吸うことが公に認められているとばかりに、煙突がいくつも上がる。
しかし、あれは列に並びながら吸う人だけを責められないという側面もありそうである。というのは、なぜタクシー乗り場に吸い殻入れが置いてあるか、どうもあれはタクシー運転手のためのものらしいとしか思えないのである。最近は禁煙タクシーが増えた。結果運転手が車内でタバコを吸えない。そこで客待ちで並んでいる間に車外で吸うことになる。そのための設備がタクシー乗り場の吸い殻入れのようなのである。穿ちすぎという見方もあるかも知れない。だが少なくとも、タクシー乗り場から吸い殻入れが撤去されない理由の一つは、そうしたところありそうである。もちろんどこのタクシーも全部そうだとは言わない。客への配慮の行き届いた乗り場もあるが、かつてタバコの臭いがいやでタクシーに乗ることを極力避けてきた人間としては、タクシー業界が禁煙化の努力を本気でしているのか、疑ってみたくもなるのである。

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タバコをくゆらす姿が絵になる人も昔は確かに多かった。かつての文人たちはみなそうである。太宰もそう、芥川もそう、詩人尾崎喜八が山で一服する姿などは、まさにそれ自体が詩である。演奏家もそうである。カザドシュも、アンダも、グルダも、ルービンシュタインも、タバコをくゆらしながらピアノを弾いている。タバコは文化の中に溶け込んでいた。三浦綾子さんの小説を読んでたった一つだけ違和感を感じるのは、タバコを吸う主人公、特に女性の存在である。正直言って、いかに美しく描かれた女性でも、タバコを口にした瞬間、幻滅を感じる。三浦さん自身が書いていたと思うが、タバコをを吸う動作は心を描く絵になるのである。細かな挙止が小説家の描写の腕前の見せ所だったわけである。三浦さん自身は喫煙習慣はないにもかかわらずそうだったのである。しかし、今や絵になる人はもういない。禁煙車や禁煙ルームを選ぶこともあってか、ああ美しいと感じさせる喫煙姿を見かけることはもはやなくなった。
禁煙空間が増えてきたことは、タバコを受け付けない人間にとっては本当にありがたいことだが、まだまだ徹底を欠いている感は否めない。けっして禁煙が当たり前にはなっていないのである。油断をしているとどこで燻されるかわからない。燻されても赦せるほどこちらも達観していないし、身体が受け付けないのだからどうしようもない。燻す方もけっして悪気があるわけではない(悪気があったらたまったものではないが)ので、もう少し寛容であってもいいのかと思わないわけではないけれども、やはり紫煙は赦すことができないのである。
ラベル:記憶 日常
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2013年04月15日

食事のマナーと乗物での飲食

ごはん茶碗や味噌汁のお椀を置いたまま食べていたら、日本人なら白い眼で見られることが多いだろう。しかし、韓国では逆にあの金属製のお椀を持ち上げて食べるのは無作法なのだという。もっとも日本でも器が大きくなって丼になるとまた話は別で、天丼や親子丼の器を持ち上げて食べることはあまりしないし、まして汁のあるラーメンやうどんは丼を持ち上げないのが普通だろう。最後まで汁を飲み干そうとするなら、丼を持ち上げざるを得ないけれど、飲み干すこと自体あまり行儀がよいこととは思われていないと思う。
テーブルに肘をついて食べたり飲んだりするのが厳禁なのはどこも同じだと思うが、ではナイフとフォークを使うときに手首をテーブルに付けるのはどうかとなると、ぼく自身は許容範囲かとは考えるけれども、これも気にする人はいることだろう。
要は同席している人に見えるような状態で物を口に運ぶときには、文化によって違いはあるものの、それなりのマナーが要求されるということなのだろう。そもそもものを口に運ぶこと自体がきわめてプライベートな行為である。相手との近しさによってどこまで許されるかの度合いに違いはあっても、相手に不快な気持ちを与えないという配慮が求められているのだと思う。

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昨日、始発電車に乗って発車を待っていた時のことである。ぼくは空いていればたいていドアを左にして端の座席に座るのを常としているのだが、向かい側のベンチシートの向かって右端、つまりぼくの斜向かいに座っていた夫婦が、2人してやおらリュックからパン取り出し、袋をあけてかじり付き始めたのである。電車に間に合うように慌てて出てきて食事をする暇がなかったのだろうか。それとも朝食は電車の中でと初めから決めていたのだろうか。ぼくよりも年配の初老の夫婦である。ぼくは思わず顔を背けてしまった。
ぼくならば、ベンチシートの電車での飲み食いは、とても恥ずかしくてできない。ペットボトルでさえ口にするのは躊躇われる。4人掛けのボックスシートなら、ずいぶん抵抗感はなくなるが、それでも近郊型の通勤電車だとなかなか食事をする気にはならない。急行列車にして初めて、駅弁を買い込んだり弁当を持ち込んだりして食事をするのに抵抗がなくなる。それがむしろ旅の風情ではないかとさえ思う。でも、ボックスに他人が一緒に乗っている場合、よく斜に2人で向かい合って座ることがあるけれども、そんな時にはそれなりに気を遣う。対面でなく、特急型の2人掛けの座席なら、ようやく全く抵抗なく食事を摂ることができる。これだと隣に他人が座っていても、気は遣うがさほどの抵抗は覚えない。
バスの場合はどうだろう。2人掛けのシートでも、通勤に使うようなバスならば、多少乗車時間が長くても、飲み食いは普通しないだろう。高速バスや団体旅行などのバスならば、食事にさほど抵抗はない。もっとも、空間の狭さからあまり食事には快適とはいえないので、積極的に飲み食いはしないと思うが。
とまれ、育った環境によるのだと割り切ってしまえばそれまでなのだろうが、こうした感覚は何によって体系付けられ、区別されているのだろうか。ベンチシートの場合でも、ハイキングとか山登りの格好をしている場合には、比較的抵抗感が薄らぐ場合がある。逆に、特急列車で他人と対面していない場合でも、近距離、例えば奈良と京都を結ぶ30分かそこらの近鉄特急だと、パンを食べたりすることはよくあるけれども、それなりに恥ずかしさを感じる。

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こうしてあれこれ考えてくると、どうも2つの要素がありそうである。一つは、他人の眼のあるなしである。全く知らない他人に見られている環境では、なかなか食事はしにくい。もう一つは日常性のあるなしである。普通に生活している日常的な行為の中では他人の眼が気になるのだが、特別の場合、例えば旅行であるとか、山登りであるとか、そういった非日常の行為の中では、他人の眼から切り離される場合があり得るのではないか。いわば旅の恥はかき捨て、の感覚なのであろう。結局は他人の眼を気にするかどうか、というところに落ち着くわけである。パンをかじっていた件の夫婦の場合も、この旅の感覚であったと思いたい。
できることなら他人がどう見るかではなく、自分がいかに行動するか、そこに行動の基準を設けたい。食事の場でないなら、やはり他人に見られるような環境での飲み食いは行儀が悪いという感覚が自然のようにぼくは思う。だから立ち喰いというのはどうにも苦手で、立食パーティーというのはあまり好きではない。もっとも、立食は非日常の行為と割り切って、下品との謗りをものともせず、元を取らなくてはとばかりに食べまくるのが常だから、件の夫婦のことをとやかくいえた義理ではないのも確かなのだが……。責めるべきは、日頃の自分の行いなのである。
ラベル: 鉄道 日常
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2013年04月13日

風の悪戯と取り留めない読書

去年の梅雨の中休みのある日、思わぬ景色の贈り物をもらった小径を、今年も通れることになった。去年最初にこの小径を通ったのもちょうど今頃のことだった。サクラの花びらの散り敷く道を小径の方に曲がっていったように記憶している。しかし、今年はもう完全に葉桜になっている。小径は芽吹き始めた木々に明るく囲まれ、高く仰ぐ青空が見事、ぶり返していた寒さもようやく落ち着いてきて、春らしい爽やかさに満ち溢れていた。
とはいえまだ結構風があり、時折木々がそよぐ。ふと足元を身体をくねらせてよぎるプリズム色の細い生き物がいる。トカゲ?、でもそれにしてはちょっと短いかな、と思っていたら、一瞬のうちに舞い上がって消えていってしまった。なんと細長い葉っぱだったのである。風にあおられて回転しながら通り過ぎていく乾燥した葉に、ちょうど差し込む光の悪戯だった。落ちてきた視力がもたらした錯覚というわけなのだが、風が葉っぱに生命を与えたとしか思えないような光景だった。
風は本当に不思議だ。帰途に別の場所でこんな光景に出くわした。5㎝と離れていない同じ枝の葉が、上の葉は大きく風にそよいでクルクルとひらめいているのに、下の葉は静寂を保っている。ビクともしていないどころか、風に耐えている気配もない。風自体を受けていないのである。こんなことが本当にあるのだろうかと、目の前の2枚の葉を見ながら思わず目をこすってしまったが、紛れもなく実景に違いない。風そのものが生きていることを実感させられる光景だった。

勤め先の窓辺でいつも一番遅れて花を咲かせる株が、今年はもう満開を過ぎつつある。少しだけ葉を出しつつ花を付けるので、咲きっぷりが至極しとやかなのだが、今年は花数も少なく、いよいよ最期だということを知ってでもいるかのように、ひどく控えめに見える。ぼくの記憶に間違えがなければ、この株がひと足もふた足も遅れて咲くようになったのは、10年前くらいからで、それまでは葉だけで花を付けなかったような気がする。それがある年から突然他に遅れて遠慮がちに花を咲かせるようになった。樹形も整わないひどく貧弱な株なのだが、それだけにかえって健気だ。
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〔一番最後に咲くサクラ〕
これらのサクラの移植はやはり困難であるらしい。もしかしたら何か力になってやれるかも知れないという淡い期待は脆くも潰えてしまった。力を振り絞ったこの株の最期の開花だけでも、しっかりとこの目に焼き付けておかなくてはならない。窓を開けると、花の上をわたってきたやわらかい風が流れ込む。今この時に必死に咲き誇るサクラたち。「過去の無限と未来の深淵」(5-23)、「人生の短さ、うしろと前に口を開けている時の深淵、あらゆる物質ももろさ」(12-7)といった、こないだ読んだばかりのマルクス・アウレーリウスの『自省録』の印象的な言葉が浮かび上がる(以下、『自省録』はいずれも岩波文庫の神谷美恵子訳による)。
でも、「すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。したがって君の意のままに主観を除去するがいい。すると岬をまわった船のごとく眼前にあられるのは、見よ、凪と、まったき静けさと、波もなき入江。」(12-22)ともある。あるがままの物事を受け入れ、今最善を尽くせばよいのである。「善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ。」(10-16)マルクスは思索の人間であると同時に行動する人間でもあった。行動あっての思索であった。そしてその思索は高貴であると同時に、きわめて人間くさい。
今日行きがけの電車で読んだ、利休が宮王三郎の墓前でおりきにめぐりあう場面、そしてその後の松永久秀との対面の場面からなる「秘蔵の釜」の章(三浦綾子『千利休のその妻たち』上巻)の秘められた情熱の葛藤、そこから紡ぎ出される静謐がじんわりと思い起こされる。現在形だけで話を進行させるのでなく、回想の中に時の流れを複雑に織り込んストーリーを展開させていく心憎いばかりの叙述に感銘を受けながら読んでいる。今朝の風の体験は、この静謐の延長上の出来事だった。『細川ガラシャ夫人』もすばらしかったが、『千利休とその妻たち』はさらに円熟味が加わって、まだ上巻の途中までしか読んでいないけれども、数多い三浦綾子さんの小説の中でも特筆すべき仕上がりになっているように思う。著者自身の愛着が最も強かったという『泥流地帯』『続泥流地帯』はまだこれからである。

ちいろばの心.jpg
もう1冊。榎本保郎・榎本恵『ちいろばの心』(マナブックス)。説教集のCDに収録されていた、ちいろば牧師こと榎本保郎牧師のミニ説教集が、なんと活字化されていたのである。しかも、凄絶な客死を遂げる直前まで続けられていた保郎氏の電話説教と、これを受けてご子息の榎本恵氏がさらにそのご子息(保郎氏の孫にあたる)に宛てて語りかける手紙を組み合わせる形で進行する、これはまことに感動的な本である。保郎氏の説教集として、「放蕩息子」としての恵氏の軌跡として、そして何よりも、「親から子へ 子から孫へ 手渡しの信仰」というサブタイトルが端的に示すように、手渡しの信仰の記録として、かけがえのない証しの書物であると思う。
ラベル:季節 日常 読書
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2013年04月06日

取り留めのない春の花の話

記録的に暖かだったという3月があっという間に過ぎ去っていった。サクラも今日の春の嵐でお終いになってしまうところが多いのではないか。ぼく自身がそうであったような、サクラの花びらの舞う始業式の風景は今は昔ということだろうか。
勤め先の窓の外のサクラは今年も見事に花を付けてくれていて、順番に楽しませてくれている。最後に咲く株がそろそろという様子である。先日、今年が見納めかもという話を書いた。早速何とかならないか、訊ねてみた。いつ頃からある株なのか、木の状態はどうかなど、一応検討はしてくれたようである。しかし、木の状態などを勘案すると、移植を試みても成功するとは限らず、限られた予算の中での難しい現実を理解してほしいという返事であった。残念なことである。彼らの運命を知ってしまっていることが何とも後ろめたいが、彼らがここに半世紀にわたって生きてきたことをぼくの記憶にしっかりと留めておくことで、何とか許してもらえるだろうか。
最期のサクラ.JPG
〔最期のサクラのひと株〕

サクラの運命を知ってしまったためか、ここまで風邪も引かずに冬を越せたというのに、週明けから単なる花粉症とは思えないほど鼻の調子が思わしくない。風邪声もひどく、喉がヒリヒリするし、節々も痛む。うがいで紛らわせていたが、うがい薬も切れかかってきたので、ひどくならないうちにと思い立って、木曜日にI女史のところに行ってきた。予診のときに、熱は?と聞かれて、ないですよと答えたものの、いざ計ってみると、37度3分。いやはやこれは……。急に具合が悪くなってきた。
今日もこうして無事でいられるから何とか切り抜けられそうではあるけれども、休日は心の張りが失われるのか、何となく病人の気分で身体が重い。どうもこのところはっきりとした症状の出ない風邪が多いような気がする。熱がカッと上がるとか、咳がひどくなるとか、頭痛がひどいとか、目立った症状が出ない、言わば陰に籠もる引き方をする場合が多くなってきた。今回はちょうど花粉症の季節とも重なっていて、花粉症の症状だか風邪だかわからなかったので、かえって気になって早めにI女史のもとに駆け込んだからよかったようなものの、気付くのが遅れてつい無理をしがちになりそうで怖い。
まあしかし、体調の悪化もまた一つの恵みではある。不摂生な日頃の生活を見つめ直すよい機会にはなるだろう。

最近感心したことを二つばかり。いずれも植物に関することである。通勤途上の川縁に一昨年植え付けられたばかりのソメイヨシノがある。冬枯れ状態でまだ棒のようなそれらが、ある日突然可憐な花を付けていたのである。これには目を見開かされる思いであった。一方で切り倒される運命にあるサクラを知っている身としては何とも複雑な思いであるが、ぼくがこの世から消えたあとも残るであろう彼らの(ソメイヨシノの寿命は60年程度という説がある)、健やかな成長を願わないではいられない。
もう一つは庭のケヤキの足下で、人知れず花を付けていたクリスマスローズの株を見付けたことである。勿論植えた記憶はない。いったいどうしてこんなところにと思うような場所である。どうもクリスマスローズらしいのが芽を出してるなあとは気付いていたのだが、まさかこんなに早く花を付けるまでに至るとは思ってもいなかった。風邪で飛び散ったのだろうか、あるいはまた犬がくわえて運んだのだろうか。大株の植わっているところからは家の角を回って10m近くは離れているだろう。何の面倒もみてやらないどころか、存在すら気付かれずにいる株が、ひっそりと、しかししっかりとした立派に花を咲かせていたことに心を打たれたことだった。
ケヤキの足下で花を付けたクリスマスローズのひと株.jpg
〔ケヤキの足下で花を付けたクリスマスローズのひと株〕
ラベル:日常 季節
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