2014年01月21日

雪の稜線とバッハのカンタータ

雪のある時期の山を最初に歩いたのはいつ頃だったのだろうか? 東京から普通に日帰りで行かれる奥多摩や奥武蔵の山々に雪があるのはたいてい立春過ぎのことで、それは冬型が緩んで南岸を低気圧が通り、関東の平野部に大雪がもたらされるようなときである。一度4月初めに父と訪れた川乗山の谷筋でかなりの残雪に見舞われたことがあったが、これは偶然の出来事だった。
雪のあるのを予想して出かけたのは、奥武蔵の伊豆ヶ岳だったように思う。山頂付近では50㎝近い雪があったが、それなりにラッセルされていて、さほど苦労して歩いた覚えはない。雪のある山歩きの楽しさを満喫できるのを知ったこれが最初である。このときはバーナー持参で、山頂で湯を沸かして食事をしたように記憶する。関東の雪は春の訪れの前触れでもあり、積もった翌日は好天に恵まれる。だから、奥多摩や奥武蔵の雪山歩きは、明るい日差しとともに歩けることが多いのである。

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先日バスツアーで出かけた大峰の展望台、天和山は、ぼくにとっては久々の雪のある時期の山だった。市内は冷え込んで入るものの、雪はない。夜には寒気を伴う低気圧がやってきて雪になるけれど、昼間はもちそうだとの予報だった。
盆地はほぼ快晴で、朝日が昇るのを橿原線の車中から眺める幸運に恵まれたが、バスに乗って天川村に入るトンネルを抜けると雪が所々に残り、景色からして一変する。そして案の定、山は万事早めであって、登りはじめこそ日差しが少しあったものの、稜線に達する頃には完全な曇り空に変わる。大峰の展望が売り物の稜線なのだが、残念ながら展望には恵まれずじまいとなった。
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〔雪の舞う稜線〕

稜線に達するまでの2時間ほどの直登は結構きつかった。鉄塔5本分の登りである。次第に雪の道に変わる。雪粒が見えるようなサラサラの雪である。3本目の鉄塔からは、積雪が増え、久しぶりの冬山歩きということで今回新調した6本爪の軽アイゼンが早速活躍する。
ようやく稜線に出る。川瀬峠で、南の雪の斜面に風を避けての昼食をとってから、稜線を天和山へと辿る。弁当はおいしかったが、ゆっくり味わっている余裕はない。腹ぺこな上に、やはり真冬の山であるため、手袋を外して箸を使っていると、途端に手がかじかんでくる。次回は手袋と敷物にもう一工夫必要なことを痛感する。
指先の冷たさを除けば、残念ながら展望には恵まれなかったものの、冬枯れの木立をゆく静かな稜線は気持ちよかった。稜線の雪は15㎝ほどもあっただろうか。雪化粧した静かな稜線歩きをじっくりと味わうことができ、きつい登りも十二分に報われる。最後はあっけなく天和山の頂に到着。山名の表示すらない、静かな山頂だった。
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〔何もない山頂〕

意外に面白かったのが帰途の稜線歩き。往路はわずかとはいえ基本は山頂に向けた登りであるから、踏み跡を一歩ずつ辿ってゆく。しかし、復路は雪で平らになった緩やかな下りの道を、雪がなければそれなりに苦労したであろうでこぼこを気にせずに滑るように降りてくることができた。
帰途、川瀬峠に近づく頃には雪が舞い始めた。そんな中、雲が切れて日差しが差し込み景色が一変する瞬間があった。景色の代わりの粋なプレゼントである。
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〔稜線にて─一瞬の日差し〕

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山を歩くとき、一切の雑事を忘れる。自分が次に踏む場所を定めつつ一歩一歩足を置いてゆく。そして身体全体で空間を味わう。まさに命の洗濯である。
そんなとき、ふとした言葉や音楽がわいてくることがある。この日、川瀬峠を経て天和山に向かう山道でぼくの脳裏にずっと鳴っていたのは、バッハの音楽だった。最近カール・リヒターの演奏で聴いたばかりの、140番カンタータである。特徴のある付点付きのリズムで始まる最初の曲が、何度も何度も稜線への登りで甦ってくるのである。
壮大な合唱が鳴っていたとき目にしたのは、雪道の脇に緑の葉をたたえたアシビの木だった。しかもよく見ると、この冬の世界のなかに、もうあの可憐な花が用意されている。まだ雪をかぶることもあるであろうに、いつでも咲ける準備をして確実に訪れる春をじっと待っているのである。それは言葉では言い尽くせない贈り物だった。
不思議なことに、稜線に出てからは、第1曲に代わって第4曲の壮麗なコラールが、そして帰途の稜線からの下り道では、終曲が鳴り出すではないか。もちろん自分自身の気分の反映なのだろうが、予想外の道連れを得た山行きであった。
バッハのカンタータは、マニフィカトとカップリングされた結婚カンタータを聴いたくらいで、これまであまり馴染みがなかった。アルヒーフ・レーベルから出ていたこのカール・リヒターのLPは、マリア・シュターダーの名盤の一つであり、ぼくの愛聴版の一つではあった。しかし、シュターダーを聴けるのは、ほかにわずかな曲しかしかなかったこともあり、それ以上にはカンタータに食指が動かなかった。
140番を聴くきっかけは、シュターダーを聴きたいと思ったことに尽きる。リヒター盤の140番のソプラノを歌っているのはマティスであるから、これは少し説明が必要だろう。『IN DULCI JUBILO』と題するCDについて以前紹介したことがあるが、これが予想外の大当たりで、結婚カンタータとマニフィカトを収めたかつての名盤を是非また聴いてみたくなったのである。そこで見つけたのがリヒターのカンタータ有名曲集で(453 094-2)、マニフィカトが収められていない代わりに、シュターダーの絶唱として名高いもう一つのカンタータ51番も収録されており、この2曲をお目当てに買った2枚組のCDであった。
全部で6曲をからなるこのCDは1枚めの最後が51番、2枚めの最後が202番で、もっぱらこの2曲を取り出して聴いてきた。今にして思えば何とももったいないことであった訳だけれど、そのほかはいわばおまけに過ぎなかった。140番は1枚めの最初、つまりこのCDの冒頭を飾る曲だったのである。
ちなみに、マニフィカトの方は、「BACH:SACRED MASTERPIECES」と題する10枚組のCD(463 701-2)のクリスマス・オラトリオの余白に収められていて、渇を癒やすことができた。実はこの10枚組を求める前に、リヒターのマタイ、ヨハネ、それにロ短調ミサ(これもシュターダーの名盤の一つ)をまとめて収録したやはり10枚組のCD「Richiter dirigiert Bach」(480 3532)を入手していて、マタイとヨハネの都合5枚は全くダブルのだが(ロ短調ミサが東京ライヴで、ダブらないのがミソ)、主にマニフィカトを目当てに入手したのであった。

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〔左から、BACH Famous Cantatas(453 094-2)、Richiter dirigiert Bach(480 3532)、BACH:SACRED MASTERPIECES(463 701-2)〕
なお、最初に求めた「Richiter dirigiert Bach」がクリスマス・オラトリオとマニフィカトの代わりに収録しているのは、CD3枚に及ぶカンタータ集である。最初はなぜ、と思ったものだが、今にして思えばこれはこれでかけがえのない宝物となった。ダブリが半分で済んだことでよしとしよう(もう一つややこしさを倍加しているのは、シュターダーの歌う62年版を収めた「Richiter dirigiert Bach」のリーフレットにおけるロ短調ミサの歌手表示が、62年の録音であることを明記しながら、あろうことか東京ライヴのそれ─「BACH:SACRED MASTERPIECES」が収めるブッケル以下の歌手陣─になっていることである)。
ともあれ、最初の出会いから30年、今ようやくにして扉を開くことができたバッハのカンタータの世界は、ぼくの今後の一生の宝となってくれそうな予感がする。
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2014年01月12日

教室の出来事と鉄棒する犬─夢の記憶16

冬らしい毎日が続いている。 数日前、北米の寒波が報じられていて、おもしろい写真を見せていただいた。凍ったシャボン玉の写真である。多分ストロの先からプワっと膨らんだ瞬間に凍り付いたのであろう、不透明の白いいびつな玉になって落ちて転がっているのである。水を撒くと抛物線状に凍るという寒さらしいから、こんな現象も起きるのだろう。でも、それほどの寒さなら、ストロに吸い込む時点で凍り付いてしまいかねないし、それ以前にシャボン玉液自体が固まってしまわないのだろうか。自分では経験したことのない寒さだから、とまあ、考え出したらいろいろときりがない。ちなみにぼくが知っているのはせいぜい氷点下15℃までである。蔵王のスキー場と、数年前の韓国の江華島での経験である。スキーをしているときは寒いとは思わなかったが、江華島は本当に寒かった、というより冷たく、切れるような体感だった。空気が凍り付いているのを感じるのである。あれはしかも12月のことだった。
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〔芽吹き始めた水仙。一昨年の秋に植えて去年花を咲かせたのをそのままにしておいた植木鉢に、まだほんの顔を出しただけだが、水仙が芽吹いていた。これから大寒を迎えるわけだが、春の準備はもう今から着実に進んでいる〕


2014年は例年より遅い月曜日の仕事始めだったが、その分初っ端からびっちり1週間働いたせいか、正月などもうずいぶん昔のことだったような気がする。相変わらずいろんな夢を見る。2日の晩のいわゆる初夢を記録できたらよかったのだけれど、残念ながら記録するにたるほどの記憶が残っていなかった。ほとんど毎日夢を見ているけれども、幸いなことに夢見心地の悪い夢はほとんど見ない。しかし、夢を見たということだけは覚えているのだが、夢そのものの記憶は粗方飛んでしまうのである。
そんな中で、一昨晩の夢は久しぶりに鮮明な記憶とともに目覚めたのだった。就寝したのが2時半を回った頃で、5時50分に目覚ましをかけていたから、せいぜい3時間の睡眠である。夜中に一度眠気を催して居眠りをしているからそれでもまだ何とか保つわけだが、居眠り後お風呂に入っていると、髪が乾くまで少し机に向かったりすることもあって、どうしてもこんな時間になってしまうのである。、若い頃は髪がバリバリだったので、乾かないうちに寝てしまうと翌日髪の毛が突っ立って悲惨なことになった。最近は髪が減ってしかも細くなったこともあり、昔ほどではなくなったが、それでもやはりしめったまま寝るとまとまりが悪くて苦労する。
          
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さて、肝心の夢の話である。教室に大勢の生徒が座っている。机はみな左を向いている。つまり左手が教室の正面の黒板の側というわけで、ぼくの視線はそれを横から見る位置に置かれている。向こう側には校庭に面した窓があったような気がする。でも確かにその中にぼく自身もいる。その上で、その風景を傍観者の立場で別次元から眺めている自分も存在しているのである。全部で何人くらいいたのだろう。はっきり覚えているのは、6、7人1列に並んでいたことだけだが、その一方で普通の教室だったような印象、つまり40人くらいの生徒が何列かに並んでいたような記憶もある。そしてその多くが女の子だったように思う。
その生徒たちが、1人ずつ自分自身の願い事を話しているらしい。祈りといってもよいかも知れない。誰かが発言すると他の子たちはそれに耳を傾け納得して聞いている。そしてその祈りをみんなで後押しするのである。具体的に何をするというわけではないけれど、一つ一つの願い事が、そうやって生徒たちの心に、水が乾いた大地を潤すようにしみわたってゆく。
そんな中に、自分の願い事を言えずにいる一人の女の子がいる。どうもぼくと思しき人物の後ろに座っている。この子も何か願い事を持っているに違いない。でも特に発言したいというふうではないし、耳にはイヤホンがはさまっていて、音楽を聴くのに熱中しているらしい。願い事をいうのは自分に関係ないことと諦めてしまい、自分の世界に閉じこもっているようにぼくには思えた。
それで、ぼくはその子に君も何か願い事があるんだろ? 言おうよ、ね! と問いかける。直接そう言ったのではない。傍観者としてのぼくが心の中でそう必死に叫んでいたのである。初めその子は素知らぬ顔をしていたのだったが、ね、言ってみようよ、という再三のぼくの問いかけに、その子もようやく心を動かしたらしい。でも遠慮しているようで、なかなか行動に出られないでいる。ほら、がんばって! すると、突然その子がふっと手を挙げて、わたしね、としゃべり始めた。みんなが彼女の声に耳を傾ける。
話し終わって彼女は、再び恥ずかしそうに、自分が悪いことでもしたかのように、自分のイヤホンの世界に戻っていってしまう。でも、それを聞いた教室のみんなは、彼女の勇気を讃え、彼女の願い事を応援しようということになる。彼女は全く期待なしに発言したのだったが、他の子たちの願い事と同じようにみんなに受け入れられ、実現が約束されたのだった。
その瞬間、傍観者としてこの場面を見ていたぼくの眼から、涙が止めどもなく流れ落ち始めたのである。ほら、君もみんなと同じなんだよ、勇気を持って自分の気持ちを伝えられたら、それは必ず実現するんだよ。彼女の祈りが通じたのだった。彼女の願い事が具体的にどんなことだったのか、それは何も思い出せないのだけれど、目覚めた後も、まだ夢の中にいるような感動に浸った状態がしばらく続いていた。

この夢の前に見た夢がまたおかしな夢だった。家の3匹のジャックラッセルたちが、思い思いに走り回って遊んでいる。そばに鉄棒があって、子どもがそれにつかまって遊び始めた。前回りや逆上がりなど、おきまりの遊びばかりだが、軽やかに回転している。
すると、犬たちも興味をもったのか鉄棒に向かい始めた。ジャックは胴体が長くて足はごく短い犬なので、普通に考えたら、鉄棒につかまるなど考えるのもおかしいようなことなのだが、そのジャックが長い胴体を振り上げて逆上がりに挑戦し始めたではないか。
AC、AG、PPの3匹のうち、お茶目だけれど運動はあまり得意でないACは、やはり飛び上がれなくて回転できず失敗してしまう。一番運動神経がよくて敏捷なAGは、彼女ならもしかしたらと思ったけれど、やはり飛びつくだけで回転できるまでには至らなかった。
最後のPPは体重が重くて運動神経もけっしてよくなく体当たり的なところのある犬なので、全く期待しないでいたら、これがまた器用にも鮮やかな回転を見せ、上手に逆上がりをこなしてしまった。へえー、と驚いて、いまさらのように3匹の個性の違いと可能性に舌を巻いた、ただそれだけの夢である。
全くの夢とは、本当に何が起きるかわからない。先ほどの教室の夢は、この犬の逆上がりの次に見た夢っだったのである。
タグ:日常 季節
posted by あきちゃん at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2014年01月03日

年賀状を書く楽しみ

あけましておめでとうございます。2014年を迎えた。今年も寒い冬を迎えており、雪の多い地方のご労苦が思いやられるが、太平洋側では比較的穏やかに正月三が日が過ぎようとしている。
帰省していた長女が戻り、家内もスキーに出かけ、犬たちとのんびり過ごす週末を迎えつつある。こうしてパソコンに向かっている傍らで、ACとPPの2匹はほとんど枕を並べて熟睡状態。昨日、今日と続けて昼間1匹ずつ交替で散歩に連れて行ってやったあと、ずっと庭に出してやっていたものだから、思う存分駆けずり回り、大満足で余韻に浸っている体である。もちろん孤高のAGも2階でもう眠り支度に入っていることだろう。年末にPPと流血の惨事になりかけたので(幸いたいしたことはなかったが、血の足跡のスタンプが裏のタタキに無数に付いていたのを発見したときにはさすがに驚いた)、PPといえどもAGと一緒に出しておくのは少しやめにしておいた方がよさそうなのである。
昨日は雲が多くて少し肌寒かったけれど、今日は朝から快晴で最高気温も10℃を超え、厚いコートを羽織って散歩に出るとほとんど寒さを感じないどころか、力の強いPPにぐいぐい引っ張られるのを抑えていると、少し汗ばむくらいの陽気だった。低気圧が近づいて下り坂だという予報が出ていたが、昼間はほぼ晴天が続いた。夜のうちに雲が広がる程度で、明日はまた回復に向かうという。

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今年も昨年のうちに年賀状をほぼ出し終えることができた。地方版を買うつもりだったが奈良版が売り切れてしまい、仕方なく全国版の寄付金付きを買った。ところがこれが意外とあたりだった。薄い桜色(といっても模様は梅であろう)に染め抜かれた馬が描かれた品のよい絵柄で、いつも全国版は敬遠するのだが、今年は納得の上で買うことができた。昨年のうちに10枚余りを残して書き終えたのだったが、例年こちらから出さなくても頂戴する場合が結構あるので、大晦日に50枚ほど追加購入してこれに備えた。
高の原のイオンモールに郵便局が出張して来ていたのを見つけて買ったのだが、ないはずの奈良版が残っていて、図らずもこれを30枚買うことができた。地方版があるのを見つけたので、てっきり京都版だと思って聞いたら、京都版は別のところに扱っていると教えてくれて、ないはずの奈良版だとやっと気付いたのである。奈良版が大仏さんの絵柄だというのは知っていて、それで人気があってなくなったのかと思っていたのだが、いざ入手してみると、確かに悪くはないのだけれど、そんなに品薄になるほどの柄かなあと思わざるを得なかった。でもまあ、ないと思っていたものを入手できたのだから、素直に喜ぶことにした。
ところで、年賀状は本文は印刷することにしている。ここ2年ほどは、1年間に撮った写真を10枚ずつ小さくモザイクにして載せてみたが、今年はいい写真がないこともあり、思い切って写真はやめにして文章だけにしてみた。全国版の絵柄が気に入ったことも、この決断、などというほど大袈裟なものでもないのだけれど、これを後押しした。
ただ、毎年のことだが、少しだけスペースを空けておいて、ほんの一言ずつだけ手書きで書き添えるようにしている。「みなさまのご多幸を心よりお祈り申し上げます」とか、「益々のご活躍をお祈りしております」といった月並みのことでもいいのである。ほんの一言でも手書きで書き添え、相手の顔を思い浮かべる。そこにこそ年賀状を書く醍醐味、というのが変であるならば、意義があるのではないかと思うのである。その際、前の年にいただいた年賀状を見ながら、その返事のつもりで書くとなおよい。
宛名は、最近は差し込み印刷でプリントして送られてくる年賀状も多いけれど(名まえを間違えて入力しているのに気付いていない年賀状がいかに多いことか)、ぼくはいまだに手書きで書くようにしている。一言の書き添えと宛名書き、たいていは裏面から表面へと続けての作業になるけれども、2度相手の顔を思い浮かべるのである。時間にすれば1分かそこら、ほんのわずかのことではある。でも、せめてこれくらいのことだけはしたいと思って続けてきた。
若い頃は、もう少し手の込んだことをやっていた。かつて一世を風靡したプリントゴッコを駆使し、いろんな図案を印刷するのが恒例だった。しかし、それだけの時間的余裕もなくなって、子どもが小さいうちは、写真の年賀状にしたり、あるいは写真のシールにして貼ってみたりしたこともあった。しかし、最近はプリンタの性能がよくなったこともあり、だいたい今の形に定着してきた。
こうした習慣がいつまで続けられるかはわからない。家内はいただいたものの返事しか書かなくなって久しいし、上の娘もほとんど書かない、息子に至っては全く出さないし、下の娘は部活のメンバーに義務で出しているといった案配で、我が家でもぼく以外は年賀状の習慣はほぼ壊滅しているといってよい。
世間でも年賀状離れは確実に進んでいるように思う。家内のように、年賀状だけの付き合いなどやめてしまえという意見もあるだろう。しかし、普段ご無沙汰しているからせめて年賀状だけでも、という思いもあるのである。また、メールの年賀状というのもよく聞くし、実際にもらうこともある。しかし、メールであれ年賀状を送る習慣をもっているのは、一定以上の世代のようである。年賀状を出す習慣がなければ、メールで出すこともしないのである。
4月からの消費税増税ではがきが値上げになると、年賀状を書く習慣の世代でも年賀状離れが進むことになりはしないか。初めて消費税が導入されたとき、40円はがきが41円になってずいぶん戸惑ったものだが、また似たようなことになりはしないか、年賀状という習慣に愛着を持つ世代としては、一抹の危惧を覚える。

年賀状を書く以上に楽しいのは、当たり前のことではあるけれども、やはり年賀状を受け取ることである。子どもの写真の年賀状を受け取って何が楽しいだろうかとか、年頭所感などを書いても所詮自己満足に過ぎないのではないかとか、いろんな意見も聞く。しかし、どんなものであれ、やはり受け取ればうれしい。自分のことを気にかけてくれている人がいることを、(パソコンが覚えているに過ぎないなどと悪口は言わずに)素直に感謝すべきなのである。
子どもの頃、元日の年賀状の配達をお年玉以上に心待ちにしていたものだったが、もうこんな気持ちを抱くことは、子どもたちの間では、いやいや大人の世界でさえも時代遅れなことになってしまったのだろうか。
タグ:日常 季節
posted by あきちゃん at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする