2014年03月16日

春眠から覚めて思うこと

お水取りも終わり、奈良にもようやく春が訪れようとしている。例によってお水取りの期間中はまだ何度か寒の戻りがあって雪の舞う日もあったけれど、長くは続かず春が着実にその歩みを進めているのを感じる。時雨が過ぎて日射しが戻ると、そのやわらかさに思わずホッとする。空気の冷たさとは裏腹に、日射しの暖かさが春がもうすぐそこまで来ているのを何よりもよく示してくれている。
いつの間にか、家の鉢植えの水仙が花を付けていた。もっと葉を伸ばすのだとばかり思っていたら、意外とこじんまりと咲いている。花は二度目のはずだが、去年のことはよく覚えていない。今だから言うけれど、春が過ぎて葉が萎れたあと放っておいたら、犬たちにひっくり返されてしまい、一度は諦めかけていた水仙である。球根は無事だったのでなんとか元に戻し、ともかく乾燥だけはさせずに過ごしこのシーズンを待った。そうであればこそ、芽を出したときの感慨はひとしおだったのである。
春を呼ぶ水仙の花.jpg
〔春を呼ぶ水仙の花〕

諦めていたのが復活する自然の営みがあるかと思えば、大丈夫だろうと思っていたのにダメになってしまう人間の営みがある。近所のスーパーが今月で店終いしてしまうことになった。数年前からそんな噂は流れていのだが、持ちこたえてきていたのに、2、3年前からは週一で定休日を設けるようになり、大丈夫かなと心配はしていた。それが突然閉店を宣言したのである。迂闊にもぼくは最近までそれを知らず、少し前に通勤のバスの中で聞こえてきた会話で初めて知ったのである(月末閉店だとばかり思っていたら、22日だそうな。もうほとんど、売り尽くし状態に入っていて、品薄だと家内がこぼしていた)。
1000所帯ほどの住宅地に立地するたった1軒のお店である。店といえば、あとはクリーニング屋と美容院があるだけである。いったいこれからどうしたらよいのか。まだ足のある世代はよい。しかし、高齢の方たちはどうすればよいのか。確かに、たった1軒の店であるから殿様商売といえばそうではあった。お客をつなぎ止められなかった店自体に責任の主体はあるのだろう。採算の合わない店がつぶれてゆくのは、いってみれば自由経済の必然ではある。しかし、こうした店は、単にものを売るだけではなく、公共性も備えた場所にもなっている。閉店する店にそれをいうのは酷な話だとは思うけれど、それをやはり意識して商売は行うべきものだろうと思う。なんとかがんばってほしかった。もっとも、私たち住民の側にも、ある意味それを守れなかったという側面はあるのだろう。住民自身にも責任の一班があると言えなくはないのだと思う。今元気な世代もいつまでも若いわけではない。買い物は地元でというスローガンをよく見かけるけれど、まさか自分自身がこんな思いをするとは思っていなかった。
まあ、お互い去る者は追わず、立つ鳥跡を濁さずといきたいところではあるが、この地に住んで10年以上付き合ってきた店であるから、なんとも釈然としないものを感じるのである。もっとも、今の家を探しに来て初めて立ち寄った時、垢抜けない店だなあというのがその店の第一印象だったことを鮮明に思い出す。その時は、他であまり見かけないジャムを買って帰ったのであった。跡地はいったいどうなるのだろうか。

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前回、市川和広さんの『浦上物語』のことを書いた。再読したあとで書いたのである。普通小説を再読することは滅多にない。印象に残ったところを拾い読みすることはある。でも、一から読み直す気にさせる小説にはなかなか出会わない。だいぶん前に「もう一度読みたくなる小説」というのを書いたことがあるのは、その滅多にないことが起きたからなのである。
それが『浦上物語』では久しぶりに起きた。しかもである。今ぼくはこれを再読どころか、四読めに入ってしまった。なぜだろう。『本格小説』を何度も読んでいるのは、ひとえにそれが面白いからである。そして愛着というか、なつかしさというか、ずっとそばに置いておきたい気持ちを抱くからである。小説の世界を丸ごと愛してしまったといったらよいのかも知れない。もっともそれは間歇的なものであるから、思い出したように再読する。
それに対して『浦上物語』の場合は読了直後に初めに帰りたくなるのだ。『浦上物語』の世界は、小説ではあるけれども、それはいわば人の心に分け入った登場人物たちの生きた記録、ノンフィクションである。感動的というような言葉が生半可に思われるくらい、ぼくの乏しい表現力ではこの小説の価値を伝えきれないもどかしさを今一番感じている。できるだけ多くの人に、この小説に直接向き合ってほしいと思う。こういう生き方をした人がいたということを知ってほしいと思う。
『浦上物語』の世界に愛着を感じるといったら顰蹙を買うだろうが、読者の心をグイとつかんで離さないものをもっている。あまりにも純粋な魂たちが、静かに語りかけてくるのである。神のなさることは時にかなってすべて美しいとして、自分の過酷な運命をも受け入れている魂たちの記録である。市川さんが、その魂たちに替わってそれをあるがままに伝えてくれたのである。市川さんはそれをせずにはいられなかった、読み返すうちにぼくはそう思えるようになってきた。魂たちと市川さんとの美しい合作である。
なぜ何度も読みたいと思うのか。四読めに入って気付いたのは、第八章の世界がそのまま第一章につながっていくことである。循環しているのである。それを結ぶのが、本書のキーワードの一つ「欠片」である。あまり耳慣れない言葉だけれども、芳江の妹里見を象徴する言葉である。それはばらばらになった里美の身体をいう言葉であるとともに、はらはらと天に舞い上がる灰になった里美の魂をいうことばでもある。結末が冒頭の芳江の夢を解くカギなのである。なぜ里美が死を選ばなければならなかったか、それを伝えるために芳江は生き、市川さんはこの小説を書いた。読者はそれぞれにこの課題に向き合っていかねばならない。
もう一つ改めて気付いたのは、本書の中央に位置する第四章と第五章の圧倒的な記述である。声高に語るわけではない。淡々とした記述である。しかし原爆の実態をこれほど伝えた記録が他にあるだろうか。逆説的だが、写真以上に写実的な魂の記録である。林京子さんが『空缶』で切り取って見せてくれた世界が迫ってくるのを感じる。
なお、最近知ったのだが、市川さんは『浦上物語』の改訂新版を今年出版されている。小説の改訂は異例である。どの部分を改訂していられるのだろうか。初版には確かに誤植や脱字と思われる部分も散見される。また、記憶を重層させるこの小説の特徴的な叙述手法がかえって時間の流れを淀ませてしまっている部分もある(特に第七章など。でもぼくはこれでよいのだと思う。時間の流れをほぐしてゆくのは読書の醍醐味でもある)。しかし、そうしたところがこの小説の瑕瑾にならずに、ぼくにはみな愛おしく感じられる。改訂新版も機会を得て是非読んで見たいとは思うけれど、まだ初版の世界から抜け出るのは難しそうだ。でも『浦上物語』であれば、著者が改訂を思い立たれる気持ちもなるほどとは思う。あるいは英語版を出されるにあたって、日本語版に手を入れられたというこのなのだろうか。

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このブログに日記風の文章を書きとめるきっかけにもなった、東日本大震災から3年が経った。3月11日14時46分、勤務中のぼくも黙祷した。犠牲者を悼む気持ちは大事だと思う。しかし、なぜ一斉なのだろうか。電車を止めて黙祷に参加したところもある。疑念が消えなかったぼくは、東日本大震災の犠牲者とともに、阪神淡路大震災の犠牲者に対しても、広島・長崎をはじめ、戦争の犠牲者に対しても祈った。そして平和を祈った。祈りは一人ひとりの気持ちである。強制で祈りは生まれないし、祈りは政治になじまない。この3年はいったいなんだったのだろうか?
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2014年03月08日

市川和広さんの『浦上物語』を読む

40年前の夏に訪れた長崎の、透明なよどみのない日射しを思い出す。大浦天主堂やオランダ坂を訪ねたあと、浦上に回って平和公園や浦上天主堂をめぐった。よく訳もわからぬまま如己堂にも行った。平和公園では祈念式典の準備が行われていたように思う。ぼくの記憶に間違いがなければ、あれは中2の夏である。8月8日に金大中氏が東京から拉致されあの夏である。ということは、ぼくの記憶の中にある長崎は、拉致当日かその前の日ということになる。ぼくの通う中学のすぐ裏のホテルであの事件は起きた。夏休み中のことだから、至近距離に居合わせることはなかったはずだけれども、東京を離れていたぼくは、どこか遠くの国の出来事のようにこの事件を見ていたに違いない。
透明な日射しが記憶に残る長崎の1日の中で、浦上天主堂は特別な位置を占めている。観光地化した大浦天主堂と違い、観光客を拒むかのような浦上天主堂の姿は、どこか別世界のような趣さえあった。近寄りがたいというか犯しがたいというか、凜としたたたずまいと威厳をもってぼくに迫ってきた。それはまだ、あの地に原爆が落とされてから30年も経っていない夏だったのだ。その夏から今に至るまでの時の経過の方がさらに長いとは、ちょっと俄には信じられない思いである。

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市川和広さんの『浦上物語』(2004年、叢文社刊)はその浦上に生き、原爆にその人生を翻弄された女性を主人公にした小説である。原爆を題材にした小説には、原民喜や井伏鱒二など、多くの著名な作家の名作がある。長崎に限っていえば、林京子さんの作品たちはことに忘れがたい。しかし、『浦上物語』はそれらとはひと味もふた味も違う。けっして戦争や原爆の悲劇を声高に叫んだりはしない。直接の記述はむしろごくわずかである。植村(杵築)芳江という主人公を中心とするひとの生き方を淡々と描くことによって、戦争や原爆の恐ろしさをあぶり出してゆく。彼女のひたむきな生き方が、人類の犯した罪の大きさを、そのまま浮き彫りにしてゆくのである(一カ所だけやむにやまれぬという趣で、著者の思いを書いている箇所がある。ここについては、別の機会に触れたことがある。全体が抑制された筆致であるからこそなおさら、そこに込められた著者の切実な思いが迫ってくるのを感じる)。
物語は原爆忌の朝の芳江の夢から始まる。被爆の後遺症で淡い恋心を傷つけられ、自ら命を絶った妹里見の幻影を追い求めるその夢は凄絶である。背後からの眩しい光を感じた直後にようやく見つけ出した里見がいるはずの林檎箱は、芳江の予感のとおりその後に流れ込んできた途方もない熱によって焼き尽くされ舞い上がってゆく……。
原爆忌の1日は例年と同じように進んでいく。浦上天主堂での早朝のミサ、原爆奉賛会、平和公園での記念式典、要望書の提出、そして一旦帰宅して休息したあと、夜の万灯流しと再び浦上天主堂での平和祈願祭と平和行進。時折妹の影を追いかけながら、芳江は記憶の中に沈み込んでゆく。
忙しない1日を追え、この日再開した幼なじみの鶴子、芳江、静代、節子の4人は、節子の面倒をみてくれているホームの職員に車で送ってもらい、家路に就こうとしている。朝のミサの時、鶴子が「あとでよかもんばみせてやるけん」と思わせぶりな予告をしていたものが、今車の中で3人に配られる。
それは、彼女たちの純心中学時代の写真だった。そこには若かった彼女たちのほかにもう1人丈の短いスカートをはいて少し笑った小学生の里見が写っていた。里見の笑顔が再び見られるとは思ってもいなかった芳江の眼から、いつの間にか涙があふれ始めていた。
死ぬ勇気をもって死んでいった人たちがいる一方、死にきれずに生きる勇気を選んだ人たちがいた。死んでいった人たちの無念の死を語ることが、生きることを選んだ者の勤めであると信じて、芳江は生きてきたのだった。すべては神の御心である。ちょっとだけ贅沢をしようと、帰宅を待つ夫邦明にメロンを買って帰る芳江であった。そして、芳江の記憶は大きくふくらみ、物語は始まる。
この何気ない物語の序奏は、あまりに切ない。淡々としているのにぐいぐい読者を引き込む不思議な力をもつ文章である。実はこの部分は物語の結末としっかりと結びつき、円環を構成している。芳江の記憶を最後まで辿って(そういう構成には必ずしもなっていないけれど)物語が終わると、それは再び冒頭に回帰していくのである。ぼく自身、物語のなんともやるせない結末を読み、どこにぶつけたらよいのかわからぬ怒りを感じつつ、しかしその一方でこうなるしかないであろうという諦念を含みつつ、深い感動に浸ったのであったが、そのまま冒頭にかえると、淡々とした記述の中に込められた著者の思いが、より大きな真実となって迫ってくるのを感じたのである。読みが浅かったといえばそれまでなのだけれど、第一章は読み込めば読み込むほど深みの増してゆく文章である。
人と違うということがどうして差別の対象になるのか。被爆者であること、親がいないこと、特定の職業に就いていること、信仰をもっていること、それらが平等という名のもとに差別の要因となる。ことに被爆者が受けてきた言われなき差別について、ぼくは本書を通じて初めて知った部分が多かった。手厚い被爆者保護が逆に差別を生むよりもまえに、そうした保護すら受けぬまま言われなき差別を受けてきたことは意外に知られていない。著者の言いたかったことの一つがそこにあるのは確かであろう。
本書で感じる著者のもう一つの大きな思いは、浦上という土地に対する愛である。著者がこの物語を浦上物語と名付けたまさにその理由である。浦上は隠れキリシタンの里でもあった。信仰ゆえにいわれのない差別、いや弾圧を受けてきた歴史をもつ土地である。そこに被爆という差別が加わるのである。なぜ浦上が、という思いがそこにはある。最初『浦上物語』というタイトルだけ読んだとき、この小説が何を書いたものかストレートには伝わってこず違和感を覚えたものだが、著者への土地への温かいまなざしを思うと、それは「浦上物語」意外ではあり得ないのである。そしてそれを彩るのが、長崎弁の美しさであり、逞しさである。
もう一つの大きなモチーフはやはりキリスト教信仰であろう。それを象徴する存在が、養育園の牛小屋に住んだ「外国の姉しゃま」である。「わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」(ルカ1・38)という生き方は、芳江の生き方ともなっていった。そしてもうひとり大事な存在は、芳江の下宿先の息子健一である。知恵遅れであった健一は、さらに被爆によって寝たきりの生活を余儀なくされる。健一の穏やかな澄んだ眼を再び開かせたのは、里美の暖かな心であった。詳しくは触れないが、外国の姉しゃまと健一の2人は本書のいわば大事な脇役的存在といってよいだろう。もう一人、里美とともに静代の姉の葉子のことも忘れてはならない。入学式後の自己紹介の時、親のいない芳江にぽかんとするクラスメートの中で、ただ一人拍手してくれた葉子の存在がなければ、芳江のその後はずいぶん違うものになっていたかも知れない。葉子は原爆の犠牲になって今はないけれども、養育院に芳江を導いたのは葉子であったし、葉子の妹が静代なのである。養育園から祖父のもとに移った葉子に付いて、芳江が鋳掛け屋を訪れるエピソードはとても切ないものではあるが、芳江が家の鍋を葉子にプレゼントする結末を得て、本書の中ではある意味心を和ませる話になっている。
こうして書き出せば切りがないが、これ以上は本書を読もうとする読者の妨げとなろう。ともかく『浦上物語』がぼくの近年の読書経験の中でも特筆すべき存在となったことだけは間違いない。知る人ぞ知るで終わらせてはならないかけがえのない本である。イギリスやアメリカでも翻訳が出版されたというのは本当の喜ばしいことで、これを機にぼくのような日本の読者が増えることを心から祈りたい。

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最後にこの本との不思議な出会いについても触れておかなくてはならない。直接のきっかけは、李姫鎬(イ・ヒホ)さんの最初の自伝『金大中夫人回想記 勇気ある女』(1994年、毎日新聞社刊)の購入である。新本での入手が困難だったため、amazonの古本の検索し、数冊候補がある中から選び出して注文したのだが、その本の出品者が、たまたま市川さんだったのである。出張中のため発送が遅れますという断り書きがあるのを承知で注文した。ようやく届いたその本とともに、ご自身の著書の紹介が記されていたのである。丁寧な梱包で届けられたその本は、なんと李姫鎬さんのサイン本であった。特に理由があって市川さんの出品していたものを選んだ記憶はないのだけれど、これはもうとても偶然とは思えず、何かの導きに違いない。李姫鎬さんが、市川さんの本との出会いをぼくに届けてくれたのである。
顧みると、そもそもぼくが李姫鎬さんの本を知ったのは、『金大中獄中書簡』を読んで感銘を受けたのが機縁だったし、その『金大中獄中書簡』にめぐりあったのは『氷点』から始まって三浦綾子さんの小説や随筆を読み漁ったのがきっかけだった。最初に書いたように、金大中氏が拉致されたホテルはぼくが通っていた中学のすぐ裏にあり、それは中2の夏休みの出来事だった。そしてぼくが一度だけ長崎に行き浦上天主堂を訪れたのはその夏の8月初めのこと、金大中氏が拉致された8日かその直前だったのだろう。透明な日射しが印象的に残る暑い夏の日、もう40年も前のことである。
金大中氏の自伝の第1巻『死刑囚から大統領へ─民主化への道』(岩波書店刊)を読みながらいろいろな意味で深い感銘を受けているところに、市川さんの『浦上物語』が届き、第2巻『歴史を信じて─平和統一への道』との間に挟まれた読書になったことも、まさに奇縁としか言いようがない。
タグ:読書
posted by あきちゃん at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする