2014年04月29日

釈迦ヶ岳を望む山旅

3月初め、上北山村の小峠山(1099m)に登った。例によってまたバスハイクである。少し前の和佐又山(1344m)や観音峰(1347m)がアイゼン必携の冬山だったのに、今回は標高が少し低いのと、やや南に位置するのと、そしてやはり着実な季節の進行とによって、意外にも全く雪のない山歩きとなった。
その代わりといっては山に失礼だが、これほどきついとは思わなかった。初春というのにたっぷり汗をかかされた。バスを降りて歩き始めるとすぐ、もう尾根の直登である。気持ちのよいくらいの傾斜である。たかだか2週間前にアイゼンを付けて50㎝からある雪中登山をしたのが信じられないくらいだ。そしてこの急登が、ある地点からそれまでの傾斜が全くウソのように平らになるのである。なんともはっきりした山である。
その後何回か急登を繰り返し山頂に着く。山頂の眺望はあまりよくないので、眺望のある一つ先のピークまで足を伸ばす。この日はお天気が下り坂で、帰りには降られることを覚悟しての山旅だった。初めから完全な高曇りで、次第に雲の厚みも増してゆくようだった、せめてこの眺望の得られるピークに着くまではガスらないでほしいと祈るばかりに足を運んだ。

池原ダムと幾重にも連なる山並み.jpg
〔池原ダムと幾重にも連なる山並み〕
途中、足下の池原ダムを望める地点がある。ダムの濃い青緑色も印象的だったが、それよりも心を魅かれたのは、その向こうにどこまでも幾重にも重ねって連なる山並みである。それらがみな少しずつ色と濃さが違うのである。山水画を立体的にしたようなそんな世界に思わず見とれてしまう。

大日岳(左)と釈迦ヶ岳(右).jpg
〔小峠山の一つ先の展望ピークからの大日岳(左)と釈迦ヶ岳(右)〕
だんだん空も暗くなりつつあったので、眺望は諦めていた。雨にあたらず登れただけでもよしとしようと思っていた。しかし、幸運にも雲は待ってくれていた。崩れそうで崩れないでいてくれた。展望ピークからは、釈迦ヶ岳の神々しいばかりの姿を望むことができた。少し湿気を含んでいるからだろうか、思いのほか向こうの山々が近い。既に仏生ヶ岳には雲がかかり始めていたが、釈迦の端正なピークから左へ大日岳、そしてさらに笠捨山へと連なっていく奥駈道が望めた。稜線や谷筋はまだ白いから、相当量の雪があることだろう。まだ真冬の姿の奥駈道を晩秋の風情のままのこちらから眺めるのは、何とも不思議な感覚である。この景色を見られたら、ほかに何を望むことがあろう。
標高という点では大峰の最高峰は八経ヶ岳(1915m)である。弥山(1895m)も釈迦ヶ岳(1800m)よりは高い。どっしりとした風格のある弥山や、その後ろに控える八経ヶ岳の鋭峰もすばらしいものではあるが、今回見た釈迦ヶ岳の端麗ともいうべき姿は忘れがたい。観音峰からの大日山を従えた稲村ヶ岳のような男性的な姿に比べるなら、むしろ女性的ともいえる美しさである。大日岳のピークまで、稜線の姿に全く無駄というものがない。足下のふんばりも優雅そのものである。それだけ大峰の山々は個性派揃いということなのかも知れない。
展望ピークをあとに、来た道を戻る。最後に待っている急坂が思いやられはするけれど、あの景色を見られたのなら、あとはもういつ降ってきても構わない。身も心も軽くなって、そんな気分で帰途についたのだった。
タグ:奈良
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2014年04月27日

気が付けば青虫と道連れに

日中など汗ばむほどの陽気が続いている。つい二ヵ月ほど前にはアイゼンを付けて山歩きをしていたのが嘘のようだ。いつの間にか花の季節も過ぎ、遅咲きの八重の山桜も葉桜になっている。玄関先のパンジーはまだ大輪の花を咲かせているけれども、水仙ははやくも伸びきった葉の色が変わりかけ、球根に栄養を蓄える準備に入りつつある。もみじの木の下では、今年はめずらしくさつきが美しい紅の花を付け、鉢植えのパンジーの黄色と競い合う風情。季節の足取りはたゆむことを知らない。
締め切りに追われっぱなしの3月、4月であった。一つこなしても次がまだある。いったいいくつ締め切りを過ぎた仕事を抱えていたのだろうか。今も月曜までに仕上げねばならない原稿があるというのに……。27年目の結婚記念日もいつの間にかやり過ごしてしまっていた。家内も覚えているのかいないのか、全く口にも出さない。ちょうど人生の半分を家内と過ごしたことになる。
今年の平城宮跡のサクラ.jpg
〔今年の平城宮跡のサクラ。3年前と比べていただくと、道路側の枝が切り落とされているのがよくわかるだろう〕


          §           §           §

街路樹の下を歩いて目的地に着きくつろいでいると、なんだか首の周りがむずむずする。先週もそういえばこうだった。その時は手で首筋を拭って特に気にもせずにいたのだが、今日同じように襟をさっと拭うと、指先にふっとあたるものがある。それは小さなちいさな青虫だった。太さは1㎜もない、体長もほんの数㎜の生き物が、指先にしがみついている。今日は結構風もあった。多分枝から細い糸でぶら下がっていた青虫が、風にあおられて、下を行くぼくにぶつかって、そのまま運ばれてきたのだろう。もう少し大きいのなら見てわかるけれど、これでは多分近眼と老眼の進行した身では気付きようもない。青虫にとっても災難だった。
目の前の青虫に気付かないのは、眼のせいもあるのだけれど、あるいはイヤホンで音楽を聴きながら歩いているのも理由の一つかも知れない。ここのところはLISMOに入っている曲を順番に聴いている。カンタータの森を通り越し、その少し前に入れたべートーヴェンの森を抜けるところである。べートーヴェンのソナタは、ヴィルヘルム・ケンプの演奏を若い方から入れたから、聴くときは逆に後期のソナタから28・30・31・32→25・26・27・29→20・21・22・23・24というように、8枚分のCDを最後の1・2・4まで遡っていくことになる。
バッハの平均律の旧約聖書に対して、新約聖書にも比せられる曲たちだが、完成された粒だちのバッハに比べると、作曲が比較的長期にわたっていることもあって、どれもベートーヴェンらしい曲ではあるのだが、作品の規模も内容的な深さも初期のソナタと後期のそれとでは大きな違いがある。それは作曲家としてのベートーヴェンの歩みそのものでもあるわけである。だから、旧約・新約という比較はどうもよくわからない、というのが、これまで何度か通しで聴いてみた素人なりの感想である。
素人の戯言をさらに誤解を恐れずにいうなら、平均律はまさに神そのものといってよい音楽だと思う。平均律第1巻と第2巻を旧約と新約に充てるのならよくわかる。しかし、バッハとベートーヴェンとでは、ある意味で曲の次元が違うと思う。もちろんベートーヴェンのソナタが天才の作であり、人類に至宝であるのは間違いない。しかし、ソナタ全体を眺めるならば、そこには人間としてのベートーヴェンの進歩の過程が刻み込まれている。ベートーヴェンという個人、しいていえばその体臭を強く感じる音楽になっていると思う(ベートーヴェンのすごさは、そうして徹底的に個人的な音楽であるにかかわらず、それがかえって彼以後の音楽にはない普遍性を生み出しているところにあるのだろう)。一方バッハは、ある意味職人技に徹した天から降ってきた感じの曲たちであり、もうそれ以外にないという姿で初めから屹立している。普遍的でありながら、それでいて人間的な暖かいヒューマンな血が流れているのが、バッハの音楽の底知れぬ魅力になっている。
言葉の綾と言ってしまえばそれまでなのだが、この旧約・新約にせよ、三位一体にせよ、キリスト教における本来の言葉の意味を離れて、あまりに安易に表面的なイメージだけで使われ過ぎているのではないかという懸念を抱く。それはキリスト教側にとっても好ましいものではないであろうし、イメージを当てはめられる方にとっても、けっして幸せなことではないのではなかろうか。

          §           §           §

まもなく大型連休を迎える。次から次へと締め切り仕事が浮かび上がってくるので、気を休める間もないけれど、たとえ青虫が降って来るとしても(ヤマビルにはまだ少し早いだろう)、せめて一日なりとも、自然の中へ命の洗濯に出かけたいものである。
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2014年04月13日

カンタータの森へ

音楽はもっぱらケータイのLISMOに入れて、通勤時間に聴くことが多いのだが、最近PCとLISMOの接続がうまくいかなくなって困っている。マイクロSDがいっぱいなって久しいから、新しいCDを買ったり、手許のCDの曲が聴きたくなったりすると、あまり聴かない曲を泣く泣く削除して新しい曲を転送することで、何とか切り抜けてきていた。ところがこの更新ができなくなってしまったのである。
幸い、ここのところバッハに凝り続けて新しいCDを買っていないので、さほどの不自由は感じないのだけれど、ふと聴きたくなった曲があっても、家のCDコンポで聴くしかない。いきおい週末にしか聴く機会はないことになる。
かつてはモーツァルトが大半を占めていた頃もあった。ゼルキンをはじめ、カーゾン、グルダ、アンダ、ピリス、ペライアなどなど、いろんなピアニストの複数の演奏でピアノ・コンチェルトを楽しむことが多かった。たまに、オペラやシンフォニーが入ることもあるし、マーラーやブルックナー、リヒャルト・シュトラウスなどが聴きたくなって入れ替えることもあったが、それらはだいたい2、3回も聴けば飽きてしまい、また新しい曲と交替することになる。長尺ものは聴かなくなったら場所ふさぎ以上のものではない。
曲の構成が変わり始めたのは、リヒテルの平均律を入れてからであっただろう。本当に20年以上の時を隔てて聴いたリヒテルの演奏に心を打たれ、そしてマタイやヨハネ、さらにはロ短調ミサを聴き返したくなって、カール・リヒターの演奏をセット(480 3532)で求めたのだった。そこに入っていたのが復活祭用のカンタータ集の3枚のCDだった。
ところが最初それらの価値に気付かず、カンタータ集の代わりにクリスマス・オラトリオや東京ライヴのロ短調、そしてシュターダーの絶唱マニフィカトが収録された別の10枚組セット(463 701-2)を求めて、最初のセットはリヒター最初のロ短調ミサ(ソプラノはシュターダー)を除けば無駄だったな、などと今にして思えばとんでもない思い違いをしていたのだった。全く宝の持ち腐れになる寸前であったのだ。
カンタータ集3枚の真の価値に気付いたのは、随分と遠回りすることにはなったが、シュターダーの導きであった。マニフィカトとの再会で感動し、なつかしいシュターダーの歌う結婚カンタータを聴きたくなって、リヒターの2枚組カンタータ集(453 094-2)を求めたのだった。3枚の復活祭カンタータ集を聴いてみようと思い立ったのはそれからのことである。
今LISMOには、12、23、67、104、92、126、140、56、147、4、51、202の順でカンタータが入れてあり、そのうしろにはクリスマス・オラトリオとマニフィカトが続く。これらを繰り返し繰り返し聴いている。リヒターとアファナシエフの平均律第1巻・第2巻、ケンプのゴルドベルクや小曲集、それにリヒターのマタイ、ヨハネ、ロ短調ミサ、これだけあればもうこのまま無人島へ行ってもよいとさえ思える。3枚組のカンタータ集の中で、6、158、108、87を入れ損ねたのが痛恨の極みではあるのだが、取り敢えずは週末に聴くことで満足するしかない。実はゼルキンのモーツァルトだけは健在で、あとケンプのベートーヴェンのソナタ全曲が入っているが、最近はほとんど聴かない。さらには、ウクレレ讃美歌や、シェルヘンのフーガの技法(Bの想い出につながる!)、そしてシュターダーのIN DULCI JUBILOなど、何があっても消せない一群があり、心の糧となっている。
ぼくはまだカンタータの森の入口に立っているに過ぎない。しかし、この年になってカンタータの森の存在を知ることができたのはほんとうにありがたいことだと思う。ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。そして、素人のぼくがカンタータの森に分けって行くのに、心強く優しい導き手があることに心から感謝したい。
Noraさんのホームページ「♪バッハ・カンタータ日記 ~カンタータのある生活~」と、葛の葉さんのホームページ「バッハのカンタータを聴く」である。そして、バッハの平均律を中心とするアナリーゼ講座を紹介くださる中村洋子さんのブログ「音楽の大福帳」にはいつも貴重な勉強をさせていただいている。この場を借りてみなさまに感謝の言葉を捧げたい。
バッハのカンタータと平均律だけあれば、モーツァルトでさえあとはもういらない、そんな気分になってしまっているから不思議だ。今ならバッハの全集を求めれば25,000円程度で入手できるのだから、若い頃だったらすぐにでもカンタータ全曲を揃えて片っ端から聞き始めていただろう。でも、今ぼくはそんな気持ちにはなれない。あるいはなくなりそうだとなったら求めるだけは求めてしまうかも知れないけれど、年巻に合わせてでもよいし、いやこれから人生を終えるまでの時間をかけて、じっくりとカンタータを聴いていくことができたら、本気でそう祈っている自分がいる。願わくは、それまで生を永らえんことを!
posted by あきちゃん at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2014年04月12日

爪を切る夢のことなど─夢の記憶18

4月も、はや中旬、今年は花を愛でる余裕も与えぬまま、あたふたと春が過ぎ去ろうとしている。平城宮跡で土筆取りをしているらしい人を見かけても、実際に自転車を駐めて自分で土筆を手にとることもできず、満開のサクラの下を通っても、ああきれいだなと思うまもなく通り過ぎてしまっている。心に余裕のないままただいたずらに月日だけが重ねられてゆく、そんな4月上旬であった。今年は花粉はそれほどでもないだろうと高を括っていたら、ここ1、2週間はきついことこの上もなく、1日1回で効くはずの薬を、朝晩飲んでいることも影響しているのかも知れない。

          §           §           §

なにか大きな箱のようなものに手を入れようとしている。透明なアクリル製で、ちょうど20㎝角のサイコロのような形をしていて、手前があいている。中空に浮かんだその箱に、誰かの別の手がぼくより先に差し出されると、仕掛けはよくわからないが、パチン、パチンと爪が切られていく。そうかこれは爪切りなんだ、自動爪切り器というわけか、と合点がゆく。数秒で片手の爪が切り終わると、ローラーのようなものが回転していて、そこに切った爪先を差し出すと、断面を研いでくれる。なんだか見ている方がムズムズするような回転だ。歯医者の研磨機のようだ。爪切りに付いているヤスリが自動的に動いてくれるような感じで、爪そのものはきれいになってゆく。
この要領でやればいいんだと納得して、それなら今度はぼくが、と自分の左手を差し入れる。ぼくの丸い爪を思った以上にうまく切ってくれる。一度に5本分切ってくれるのか、爪先を横に回転させて小指から順番に1本ずつ切っていったのか、また同じ1本ずつでもハサミの要領で丸く切っているのか、爪切りの要領なのかはよくわからない。でもさっきパチンという音を聞いた記憶があるわけだから、爪切り方式に違いない。右手の爪も続けて切ったのかは全く記憶がない。ただそれだけの夢である。前後の脈絡が全く思い出せない。

          §           §           §

夜、爪を切ってはいけない、と母によく言われたものだが、風呂上がりが一番切りやすいのは事実で、なかなかそんなことも構ってばかりはいられない。もっとも、最近爪を切る機会で多いのは、朝靴下をはくときである。忙しい時間であるのは確かなのだが、自分の指先をじっくり見る機会などこの時をほかにおいてない。だから足指の爪切りはたいてい朝になる。気になるともう切らずにはいられない。
手指の爪はどうか。足指に比べると切る頻度も高く、これも朝が多いような気がする。左手の小指から始めて親指まで、次に爪切りを左手に持ち替えて、右手の小指から親指までという案配に順番に切ってゆく。最近の爪切りは切った爪が飛ばないようなカヴァーが付いているけれども、一応下にティッシュペーパーを敷いておく。終わったらここに切った爪を全部あけ、切った爪が飛び散らないように内側に丸めて捨てる。
ぼくは切った爪にそれほど汚いという印象はもたないのだけれど、家内は爪カヴァーに爪がたまるのを極端に嫌がり、家の爪切りはことごとくカヴァーが取り外されて捨てられている。別にカヴァーにずっと爪を貯めておくわけでもなし、切った爪が飛び散る方がよほど汚いと思うのだが(昔テレビで自分の切った爪を何十年分も空き瓶に貯めている人が出たことがあった。こんなのを見たら家内は卒倒ものだろう)、下の紙にたまると思い込んでいるらしい。
確かに昔の爪切りはカヴァーなどないものが多かった。最近は付いているのがあたりまえだろうし、カヴァーなしで爪を飛ばさずに切るのはぼくにはほとんど至難の業なので、カヴァーのない爪切りなど爪切りの用をなさない(とぼくは思う)から、ぼくは専用の爪切りを用意することになる。しかし、爪切りを忘れていたのに気付くのはたいてい出かけて家を出てから目的地に着くまでの間でのことが多く、特に海外に出かけるときにむこうでは買うのも大変だろうし、かといって切らずにいたら帰ると時には鬼の爪になっているかと思うと、途中のコンビニとか空港とかで調達せざるを得ないことになる。
そんなわけで、ぼくの家の引き出しには爪切りがいつも2、3本入っているのである。まだまだ増えそうな気配だ。爪切りなんてそう減るものでもなく、切れなくなるものでもない。実家にはぼくが小学生時代に使った覚えのある爪切りがいまだに健在でいるくらいだから、もったない話ではある。今では年代別、性別の爪切りなるものが売られている。お父さんの爪切り、小学生の女の子の爪切りといった類いである。ぼくの感覚では、爪切りは一家に一つあればという共用の道具だったが、今ではもうこんな感覚は通じないのだろうか(家内には昔からそうだといわそうだが)。
多分そんな感覚のなせるわざだったのだと思うけれども、就職して家族よりひと足先に辞令交付に赴いたとき、爪が伸びているのに気付き、室のバイトさんに爪切り持ってませんかと聞いてちょっと顰蹙を買ったことがある。当時は顰蹙を買ったことすらわからなかったのだが、確かに他人に貸し借りまでして使うものではないだろう。その時も近所で急遽小型の爪切りを調達して済ませたのだったが、この爪切りもずいぶん長い間ぼくの引き出しに鎮座していた(過去形!)のだった。
タグ:日常 記憶
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2014年04月02日

30年ぶりに田舎を訪れる

ほぼ30年ぶりに母の生まれ故郷、山形を訪れた。その変貌ぶりは全く隔世の感があった。最後に訪れた時にはまだ福島乗り換えだった。新幹線が乗り入れるようになってからは初めてというのだから恐れ入る。山形新幹線の開通が、板谷峠の赤岩・板谷・峠・大沢4駅のスイッチバックの終焉でもあったのだ。
母が7人姉妹であることもあり、母方のいとこは自分を含めると実に15人を数える。1945年から1962年まで、足かけ18年の間に 16人がひしめいている。しかし、世代には結構偏りがあるし、住まいも山形と東京近辺に分かれていたので、全員が一堂に会する機会はまずなかった。いとこたちに孫が続出するようになる一方、母の姉妹も上から3人が他界し、元気な下の四姉妹もみな連れ合いを亡くしという具合で、時の重みが否応なく被さるようになってきた。40年ほど前に、いとこの中でも年嵩の世代がいとこ会と称して集まったことがあったが、集まったのが男ばかりで女性たちの不満もあって、是非もう一度今度はみんなで集まろうといいつつ、いつもまにやら40年を経過してしまった。これではいけないということで、山形在住の母の実家近辺のいとこたちを中心に一念発起して第2回いとこ会を企画してくれて、このたびの山形訪問となったのであった。
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〔さくらんぼ東根駅にて〕


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〔さくらんぼ東根駅に到着するつばさ号〕

田舎が田舎でなくなったというと語弊があるかもしれないけれど、まさにその通りなのである。どこまでも続く一面の田んぼだったところに、今は郊外の住宅地の趣を呈した町並みが続く。かつては急行と鈍行列車を乗り継いで8時間かけて来ていたところに、乗り換えなしで3時間で到達できるのである。
それでもおかしかったのは、わがいとこたち、山形行きの新幹線の自由席に乗るのに、1時間も前に行って並ぶのである。これってどこかでやってきたことでは……。そうなのである、昔々の夏休みの上野駅で、急行ざおうの自由席に並んでボックス席を確保して出かけた、あの45年前の帰省そのものなのである。ただ違うのは、入線から発車までの時間がひどくスピーディーになったことだろう。30、40分前に入線というのがごく普通だったのに、今の新幹線たるや、折り返し運転でさえ20分も止まらない。乗車準備が整ったとの放送が入るまで待たされ、やっと乗車して荷物をあみだな(実態との乖離も甚だしい言葉だが、今も生きている不思議な言葉)に乗せ終わるかどうかという頃にはもう動き出しているのである。
年を重ねても人としての習性は変わらないのだなと実感した次第。母の実家に戻ってお茶をいただきながら、母や伯母を交えながらいとこたちとだべっていると、いったい今はいつなのかと錯覚を覚えてしまう。当時大学生だった年長のいとこが、もう定年を迎えて久しいのにもかかわらず、昔と全く変わらない内容の会話がはずんでいるのである。掛け合いの間合いも昔のまま、45年前もこうしてここでしゃべっていたような気がする。いったい時の経過とはなんなのだろう。年を重ねているはずなのに、みんな同じように年を重ねているので、互いの関係は全く変わっていない。だからしゃべっている本人たちの意識では、年を取ったことさえ忘れている。人生という劇の中の劇中劇の主人公になった自分を、劇の外から眺めているような、そんな不思議な感覚を味わったことであった。
昔も今も-なつかしの懐かしの峠の力餅.jpg
〔昔も今も-なつかしの峠の力餅。往きの車内販売で見つけて買わずにはいられなかった〕
タグ:記憶 鉄道
posted by あきちゃん at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする