2014年06月22日

合歓のひとひらから

朝方までにはあがるといっていた雨がお昼前まで残り、午後もザッと夕立風のがやってくるなど、ジメジメとした珍しく梅雨らしい一日だった。ただ気温は高くないので、じっとしている分にはさほど不快感はない。
昨日歩いていてふっと遠方を見上げると、なんとなく明るい違和感がある。日射しこそなかったがやや湿り気を帯びた緑が、うっすらと滲んだように別の色に縁取られている。いつかU字溝の水滴に心を洗われた小径である。団地と団地の間の切り通し状になった道の南側に生えている大きな合歓の木が花を付けているのだ。ここに合歓があることは、前から気になっていて、一昨年ここを通ったある日、雨上がりの道路に散り敷く綿毛のような花に感銘を受けたことがある。昨年もまたその光景が見られるのではないか期待していたのだが、どういうわけか合歓の絨毯は見かけずじまいに終わり、どれが合歓の木なのかもわからなくなってしまった。枯れてしまったのだろうかと諦めていた今年、しかも往きには気付かなかったのだけれど、復路に偶然目に飛び込んできたのである。
まだ咲き始めなのか、路面には花はほとんど落ちていない。でもちょっと救われた気分になって(前を見上げたのはふっと憂鬱な気分に溜息をついた拍子であった)、そのまま歩を進めると、足下にほんのわずかだが、散り敷いたばかりのようなふわふわの綿毛の合歓の花があるではないか。立ち止まるのも変なので数歩歩くうち、意を決して踵を返している自分に気付いた。合歓の綿毛に呼ばれているような感じで、思わずその合歓の花を手に取っていた。人通りは全くないわけではないけれど、そんなこと構ってもいられない。一旦手に取った合歓の花をそっと路面に下ろしてシャッターを切った。
路上の合歓の花.jpg
〔路上の合歓のひとひら〕
この光景はもう二度と見られないかも知れない。心に焼き付けておけばそれでよいようなものだけれど、撮っておけばよかったという光景があまりにも多いのである。若い頃ならまたいつかという気持ちでいられたのに、今見ている光景はもうこれが見納めかも知れない、そんな強迫観念に捉えられることが増えてきたような気がする。諦めが悪いといえばそれまでだが、シャッターチャンスは考えていても得られるわけではない。あ、いいな、と思った瞬間が命なのである。
たったそれだけのことである。いい年をして、という気がしないわけでもない。でも結局は気の持ちようである。こんなちっぽけな花に大きな勇気をもらって、感謝の気持ちでいっぱいになって家路に就いたのだった。昨夜の雨に打たれてあの合歓のひとひらはどうなっただろうか。もしかしたら、さらに多くの仲間が舞い降りてきて一緒に道路を彩っているかも知れない。
タグ: 日常 季節
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2014年06月21日

空梅雨雑感

梅雨に入ってからも好天続きで、今日でもう中旬も終わりなのに、今月の雨量は20㎜程度でしかない。この間も降る降るといっていながら、東シナ海で復活した台風も結局ほしけてしまい、結局数㎜の雨にしかならなかった。予報では午前中はまともに降ることになっていたが、朝は曇っていこそすれ空も明るめだったから、なんと傘を持たずに家を出てしまった。バスに乗ってから、あっと気付いて舌打ちしてしまった。同じように傘を忘れて出かけ、駅を降りたらそこそこの降りになっていて、コンビニに飛び込んで折りたたみを買う羽目になったのはついこの間のこと。一瞬その二の舞かと悪夢が(大袈裟かな)過ぎったのだったが、1日傘なしで済ませられたので、結果的には儲けものだった。もっともこの日だってその折りりたたみ傘がすぐ見つかればどうということなくそれを持って出かけられたはずなのである。ところが、買ったばかりのものがもう見つからない。カバンの中にたたんで入れた記憶はあるのだが見当たらず、かといってどこかに出した覚えもない。もうお手上げである。それで、長い傘を持っていくのもいやだなあ、という消極的な思いがあるものだから、傘なしで飛び出してしまうことになるわけである。自業自得といえばそれまでである。
昨日はまた一転一日じゅう快晴に近い天気で、ほとんど30℃まで上がった。週末はまた下り坂というけれども、週明けの予報はまた傘マークなし。余程晴れ癖がついてしまっているようだ。冷夏予報だった夏はどうなるのだろうか。
昨日は久しぶりに自転車だった。バスで出かけたらどうみても大幅遅刻になりそうだったので、急遽自転車に飛び乗った。うっかりすると朝だと電車・バス乗り継ぎの半分の時間で着いてしまう。何と言っても標高120mからの下りだから、典型的な往きはよいよい……、なのである。もっとも、帰りは道が混むことはないけれども、バスの間隔が開くので、やはりかかる時間は電車・バスと自転車とでどっこいどっこいというところだろう。ただ、消耗は激しいので、家に着いてからの休息時間が多くなりがちなので、どっちもどっちというところか。
いやそれにしても、昨日の帰りのしんどかったこと。夜になると結構涼しくなっているのに、バテバテになって家路に就くこととあいなった。去年の夏から秋にかけては故あって自転車通勤が続いたので、そんなに昔のことではないのだけれど、体力の衰えを感じずにはいられない。
今週一週間は早かった。しかしその割に何もせずに過ごしてしまった気がする。この記事だって本当は水曜日に書き始めたのである。ところが途中で眠ってしまって完成せず、昨日続きを書いてまた未完成で終わり、そして今日である。今日を昨日にし、昨日を先日にし、という具合に直していかなくてはならず、もしかするとあちこち齟齬が生じているかも知れない。いやはや全く情けない話である。
夢もほとんど毎日見ている気がするが、印象深い夢もあったのに、記憶が残っていない。一つだけ妙に現実的な夢があった。今やろうとしている仕事の予行演習のような夢である。夢の中で何をどのように進めていくべきか思考しているのである。現実には正直言ってそこまでまじめに考えているわけではないのに、いやにリアルな実感を伴う真剣な夢だった。現実の延長そのものであった。かと思うと、これはまた突拍子もない夢だと夢の中で笑ってしまったような夢もあったのに、これはきれいさっぱり記憶が飛んでしまった。
さあ明日はまた下り坂の予報である。西の方の前線の持ち上がり方は梅雨らしい感じにhなってきている。夕方には雨だというけれども、個人的には明日はむしろ期待外れに終わってほしいところなのだが……。ちなみに、折りたたみ傘はまだ出てこない。
もうまもなく今年も折り返し点に達する。もういい加減お年玉くじの当選番号を確認しないと、気がついたら景品交換期限を過ぎてしまっていた去年の二の舞になってしまう。
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2014年06月08日

客人を送り届ける夢─夢の記憶20

2つ続けて夢を見たように記憶している。夢の中ではそれらがちゃんとした脈絡をもっているのだが、夢の中でさえ記憶を辿り直してようやくつながりを確認できるような状態だから(そうした作業をした記憶は明確にある。でも、これって夢の中でのことなのだろうか。それとも夢見る自分とは独立した自分が夢を分析しているのだろうか。考え始めると、実はよくわからない)、目覚めるともう接点が朧になっていて、夢どうしのつながりを思い出そうにも思い出せない。全く独立した夢の記憶でしかなくなってしまっている。

昨日の夢は、父に会いに行った夢だ。晩年の父の風情だが、普通に元気にしている。夢の中のぼくは、どういう経緯がわからないけれども、毎朝父の顔を見に行くのを日課にしているのだという。今日も父に会って世間話をしてからどこかに出かけるらしい。父は家にいるわけでもないし、かといって病院にいるというわけでもなさそうだ。母はいたかどうか記憶が定かでない。
父のことを夢に見るのは久しぶりで、先日母ともう来年は七回忌だね、などという話をしたのが心の片隅に残っていたのかも知れない。もうそんなになるのかという思いと、まだそれしか経っていないのかという思いとが交錯して、さっさと逝ってしまった父に、今更ながら文句の一つも言いたくなったのかも知れない。
さて、そうして父の元気な姿を見てから仕事に出かけたのだろうか。何人か大事なお客さんを迎えての会議だという。そこがもう曖昧なのだが、ともかくそれが無事終わり、今度は客人を送り届けることになる。そのうちの1人を、ぼくとあと何人かで一緒に車で送っていくことになった。
よくわからないが、この時点でなぜか、明日は父の所に行けないなと考えている。まあ、毎日行っているんだから1日くらいしかたないな、仕事でもあるし、などと納得している自分がいる。なぜ明日父のところに行けないか、その理由は夢の中では明確だったのだが、今はもう思い出せない。帰りが遅くなるからか、泊まりになるからなのか、いずれにしても全然つじつまが合わない。
送っていく相手がどこの誰だったかもわからないけれど、それほど年の違う人ではなかったように思う。車も大きな車ではなくて、むしろ軽自動車のような気がする。そんな車で見送りでいいのかなあと思いながら、ぼくが運転したのだったかどうかも定かでないが、ともかくその人の家に着く。まだ明るかったような印象がある。間口が2、3メートルしかない狭い建て売りの家である。大きな並木の蔭になっていて薄暗い。通りから左に折れた道の角の家で、その道の北側に面して南向きの入口がある。入口が面した道路には歩道はない。家の西側は川が流れているようだ。瀟洒な屋根付きの格子戸のはまった門があり、それをガラガラと明けると玄関があり、それがまた不釣り合いなことドアノブの付いた、まるでアパートのような扉がはまっている。
ぼくらはそこで暫く待たされる。送り届けに来たのだから、本人さえ家に入れば別にもう帰ってもいいような気がするが、なぜかそこで待つことになっている。道路に面した家だから、車が通ってもよさそうなものだがそんな気配は全然ない。前に書いたように、木陰に入っている感じが色濃く、だんだん薄暗くなってきたような気もする。どこの町という手懸かりもないが、なんとなく京都の北白川のようなイメージがある。
そもそもいったいなぜここで待っているのだろうかという疑問が再び頭をもたげ始めた頃、中から声がかかり、ぼくらは中に通される。そうか、準備に時間がかかっていたんだな、突然送ってきたものなあ、と待たされたことに妙に納得している自分がいる。そして、夕方の忙しい時刻に突然やってきて、急な片付けをさせてしまい奥さんに悪いことをさせてしまったなあなどとも考えている。そう、今「ぼくら」と書いたが、誰と行動を共にしているのかわからないけれども、常に1人ではないという感覚がある。
狭い階段を上がって2階のへやに通される。入口とは反対側、つまり敷地の奥側に階段があって、通りに面した玄関の真上の窓(この窓が前面ガラスでとても明るい)を正面に見るような方向で、奥側から部屋に入ってきた印象がある。そこには間口の狭さから想像も付かなかったような空間が広がっていて驚く。不思議なことに床には木が格子状に組まれていて、そう、10㎝角の柱材を30㎝間隔で組んだような状況で、床全体が掘りごたつになったような感じだ。別に歩くには不便はないが、木組みの下が数十㎝の深さに掘り込まれているから、これでは暖房の効率が悪かろうに、などと余計な心配をしたことをよく覚えている。そこに座った記憶は全くないけれども、送ってきてまたここでごちそうになっていては申し訳ないし、いつになったら帰れることやら全くきりがないなあと心配を始めたところで、目が覚めた。

記憶に残っているのは、大枠の印象だけで、送っていった客人の姿さえ実在感に乏しい。夢を肉付けする具体的なことがすっかり消滅してしまっているので、なんだかひどく具体性に乏しい夢になってしまったが、見ていた当座はすごく現実感のあるリアルな夢だった。
しょっちゅう夢を見ている中では、これでもまだ記憶に焼き付いている方ではある。今日は目覚めてからの記憶の飛びはさほどではないような気がするが、目覚めた瞬間には明瞭に残っている(と思い込んでいるだけなのか?)夢の世界が、現実の世界で行動を始めた途端にいとも簡単に記憶からはがれ落ちてしまうのはなぜなのだろうか。忘れるなら忘れてしまえばそれですむことなのだが、夢の中で記憶に焼き付けようとする作業を随分しているので、いっそう徒労感を覚えるのである。
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2014年06月05日

通行止区間を走りかけた夢─夢の記憶19

家内と一緒にぼくの勤め先に向けて車を走らせている。ところがどういうわけだろうか、片側の1車線の道路が突然舗装のはがれた砂利道に変じている。かなりの凸凹道だが、変だなあとは思いつつそのまま走り続けている。助手席の家内も別段不思議には思っていない様子。こんな道では結構揺れそうな気もするのに、至極なめらかに車は進んでいる。前方は山際にかかり、高いところに橋が見える。日が暮れかかっているような気がする。
そもそも家内を連れて勤め先に出かけたところで、家内を置いて仕事をしているわけにもいかない。家まで送り届けなくてはなあ、と思案している。何のために今こうして運転しているんだろうとちょっと不安になる。
その時、あっと気が付いたのである。この道は通行止になっていたんだった。舗装がはがされているのもそのためではないか。なんでそんなことに思い至らなかったんだろう。なぜ、そう気付いたかと言えば、その少し前、勤務先の方から今いるあたりに向かって、この道を逆に辿ろうとして、工事中だとかで通れなかったことを突然思い出したのである。左手に用水路がある舗装道路を、こっちの方に向かっていたときのことだ。雨が降っていたような気がする。
なぜ通行止だとわかったのかはよくわからない。通行止の表示があったのか、通行止ですと制止されたのか、全く記憶がない。そこから引き返したのかさえ覚えていない。でもそんなことがさっきあったということだけは夢の中で鮮明に覚えていた。
なんでこんなことに今まで気付かなかったんだろう。しかたないな、引き返すか。道は山にかかりはじめていたから、そう簡単にUターンできたはずはないのに、気がつくといつの間にか逆方向に走り出している。切り返した記憶などない。でも砂利道を逆の方に向かって走り始めている。
でも自分が今どこに向かおうとしていたのか、それはわからない。そんなことを考えさえしていなかったのかも知れない。勤め先へ出かける話はどこへ消えてしまったんだろう。
こんなことがあったらいつもなら途端に機嫌の悪くなる家内も、別段変わった風もない。明るく隣にすわっているのだ。でもぼくは、得も言われぬ閉塞感に打ちのめされたまま、寝覚めのよくない朝を迎えたのである。

          §           §           §

昨日はよほど疲れていたのかも知れない。夜半前に東京から新幹線で戻ったのだが、机に向かうまもなく記憶のないまま寝入ってしまった。明け方に一度目を覚まし、二度寝してしまって次に目覚める直前の夢である。
全く夢は油断ならない。今思い出したのだが、未舗装の道路をガタガタとしかし滑らかに走行していたとき、道路の右側を走っていたような気がする。未舗装でセンターラインがなかったのか、それとも右側通行だったのか、その辺もよくわからない。
いまだに袋小路に入っていく感覚だけが妙に生々しく残っているが、まあ、危険を回避できたことを感謝すべきなのだろう。
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2014年06月02日

川端純四郎さんの著作に学ぶ

今日はとうとう34℃を記録した。先週以来好天続きで、日中はかなりの暑さ。それでもせいぜい30℃になるかならないかで、さすがにまだこの季節だから、と高を括っていたのだけれど、甘かったようである。次の低気圧が近づきつつあるので、週中には梅雨空になるだろうが(梅雨入りのタイミングかも知れない。これを逃すと宣言のタイミングを逸するなんていうことにもなりかねない)、あともう1日は猛暑になりそうだ。
今年は春以来、好天が長続きする傾向が強い。一応周期変化ではあり、通過する低気圧も結構な雨をもたらしてはいるのに、高気圧が居座り続けるのである。普通の移動性高気圧ならさっさと通り過ぎて行くのに、いつまでもしぶとく日本付近に勢力を残す。それも春秋によく見られた帯状高気圧というような生易しいものではなくて、天気図上ではむしろれっきとした太平洋高気圧の風情を漂わせている。エル・ニーニョの発生が報じられ、冷夏の可能性が心配されているというのに、いったいどうなっているのだろうか。
やたらに毛虫が多いのもこの好天・高温続きの影響が大きいのかも知れない。5月の連休明けからこの方、街路樹の下で毛虫の歩みに出くわさない日はないくらいだ。もっとも先週末に家の裏の遊歩道の草刈りをしたときには、こちらもできるだけ刈った草に目を凝らすことのないようにしたためか、半日の作業の間、幸いなことに一匹の毛虫にも出くわさずにすんだ。先日の朝方毛虫が枝の先に光っていた街路樹の真下も無事だった。もっとも、お蔭で一週間身体の節々が痛んでたいへんだった。

          §           §           §

川端純四郎さんの『3・11後を生きるキリスト教─ブルトマン、マルクス、バッハから学んだこと』(2013年1月、新教出版社刊)を読んだ。前回紹介したバッハに関する著作を探すなかで見つけた本で、これは読まなければならないという何かを感じ、註文したものだ。B6版100頁にも満たない小さな本だが、まさに万巻の書に匹敵する著作である。
川端純四郎著『3・11後を生きるキリスト教』.jpg
〔川端純四郎著『3・11後を生きるキリスト教』(新教出版社刊)のカヴァー〕
川端さんの語り口はいつもながらの穏やかなものである。しかしそこで語られる中味は、キリスト教信仰そのものに関わる命題である。いや、むしろキリスト教という枠組みを超えて、人間の本質とその信仰の本質に迫るものといった方がいいかも知れない。人間は、他者とともに生きる(共同存在性)、そして生物として死ぬことを自覚して生きる(死の自覚性)という2つの定めと、それに対する反逆の宿命を負っている。これらはいずれも歴史的・社会的条件によって生まれてきたもので、過去の記録を私たちが理解できるのはこの共通性があるからである。
しかし、それが言葉で表現されたとき、神と人との実存的な出会いが客観的な事実として一人歩きしてしまう危険性が生まれる。大事なのはそれを事実として認めることではなく、聖書に証言された神との出会いを私のこととして体験し、その都度の現実の中で、神の怒りと愛、神の裁きと赦しを、私自身に対する裁きと赦しとして受け入れて生きていくことだという。そしてそれをやるかやらないかが、キリスト教信仰者と非信仰者の違いということになるのだろう。
一見突き放した見方のようにも思えるけれども、実はこれほど愛にあふれた見方はないと思う。ここまで自己の信仰を相対化して見つめ直すことができれば、これはキリスト教以外の宗教にも充分あてはめて考えることができる。その先に見えてくるのは、宗教を越えた和解であるだろう。
川端さんはバッハの音楽にも、その方向性を見出している。ルター派のバッハが残した、本来カトリックの音楽である「ロ短調ミサ曲」。信仰を越えた相互信頼、尊敬のなかで生まれたこのバッハ最後の作品が問いかけるものを、川端さんは私たちにも的確に手渡してくれている。バッハ晩年の精神的な深まりは、前回紹介した『J.S.バッハ─時代を超えたカントール─』にも詳しい。
キリスト教に対して漠然と抱かれる疑問に対しても、川端さんは正面から向き合って真摯に答えてくれる。神の語りかけの証言集としての聖書の理解、弟子たちにとっての生前のイエスとの関係の復活にイエス自身の復活の意味を読み取る理解、そしてイエスとの関係において私が罪の力から解放されることにイエスがキリストであることの意味を見出す考え方など、ここまで明晰に説明していただけると、ぼく自身はそれらを客観的事実と信じた人がいたという事実が大事だとは思うけれども、目からウロコの思いを味合った。
最も衝撃的だったのは、聖書記者の前理解がもたらした、川端さんが現代のキリスト教にとって宿痾だと評する2つの問題である。それは「創造の秩序」と「救済史」である。すなわち自分が自明だと思っていることを神の定めとしてすり替えてしまう危険性、そして自身の行動を神意として自己正当化してしまう危険性である。前者については、男女の区別や異性愛、そして国の存在、後者についてはイスラエルのカナン定住や十字軍、北米のピューリタンによる先住民虐殺、ひいては日本人にとって身近なアイヌや沖縄問題などを例に、聖書記者の前理解をいかに無防備に受け入れてしまってきたかが語られる。求められているのは、前理解を既に含んで記述されている聖書の記述からその内実を読み取り、その内実に照らして聖書の前理解を批判するという手続きである。困難な作業ではあるけれども、これは歴史における史料批判と同じ手続きにほかならない。川端さんはこの手続きに現代の重要な課題である諸宗教間の対話のカギがあるとみるのである。
ここまでの記述にも、ぼくなどほとんど打ちのめされるばかりの衝撃を味わったのだったが、本書にとってこれはあくまで思索、いや行動の前提に過ぎない。本書冒頭で川端さんは、原発に反対する理由を明確に述べている。核心は、たかだか40年しかもたないもののために、10万年先の未来に至るまでの子孫にツケを負わせることの無責任さというところにある。全てがアメリカの核政策の傘の下での出来事であり、そしてそれを支えているのがほかならぬアメリカの保守的キリスト教であるというやるせない事実も明かされる。
最終章で、川端さんの筆は、熱を帯びて震える。戦争による死、地震や津波による死、不正な迫害による死、無実の罪による死、貧困や飢えによる死……、そうした「受け入れてはならない死」を死んではならないと訴える。そして、他者と共に生きる人間的将来に向かって、できる限りの努力をしなければならないという凄絶な覚悟が述べられる。「受け入れてはならない死」を克服するためのあやゆる努力の最後に「定めとしての死」が姿を見せる。「その時、私たちは「私にできることはここまでです」と告白して、謙虚に死を受け入れるほかはありません。」
川端さんはこう書いたとき、まさに「定めとしての死」の姿を見ていられたのである。川端さんにはもう行動する時間は残されていなかった。しかし、川端さんに逡巡はなかったように思う。川端さんの眼はその先の未来に向けられていた。「その道の最後に「定めとしての死」が待っているとしても、その死もまた人間の将来の可能性として、彼方へと開かれているのです。」
仙台在住だった川端さんにとって、3・11の衝撃は言葉に言い尽くせぬものがあっただろう。本書は、3・11と真摯に向き合った結果得られた、川端純四郎さんが人間として生きた証といってよい。結果的に本書は川端さんの遺言になってしまったが、本書を与えられたことに、心から感謝をささげたいと思う。川端さん(もはやそう気易く呼んだら申し訳ないし、呼べるような立場でもないので、川端先生とお呼びしたい気持ちでいっぱいなのだが)のような良識を持った知識人が、東京ではなく、地方都市仙台にいられたことを、ぼくは誇りに思う。
posted by あきちゃん at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする