2014年08月19日

夢という名の記憶のタペストリ─夢の記憶22

久しぶりに大学時代の研究室に行った。助手さんがいないと開かなかった研究室が助手さんがいないのに開いていて、どういうわけかここにいたはずのない別の大学のしかも畑違いの2人の先生が、偶々この研究室にやって来たという風情で調べ物をしている。1人はN大学のS先生、もう1人は夢の中ではちゃんと認識できていたのにもう全然思い出せない。そう、例によってまた夢の話である。
廊下の角から扉を開けて研究室の入ると左手に助手さんの机、右手に開けっ放しの入口をもう一つ入ると、真ん中に大机があり四周の壁際に窓部分を除いて本がびっしり詰まった室がある。ここには学生がいつもたむろしていたが、この日は誰もいなかった。このへやも廊下に面していて扉がついているのだが、いつもは閉め殺しになっていた。
ところがなぜかこの日はこのいつもは開かない入口から出入りする。このへやは学生時代と全く同じ雰囲気のままだった。しかし、そこから左へ抜けた本来なら助手さんがいたはずのへやは、ひどくだだっ広くなっていて、ここは会議室のように机が円形に並べられていて、先程の2人の先生はここで調べ物をしていたのである。ぼくも暫くここにいて、自分の指導教官に言われたことを少し調べておかねばと思っていた(実際、いくつか課題を思い出して、具体的に本を探して調べた記憶があるが、それがなんの本だったかはすっかり記憶が飛んでしまっている)。
さて、用事も済んだしそろそろ帰ろうか、でもこの2人の先生を置いて帰っていいのかなと考えながら、その前にちょっとと研究室を出て、この建物を入った正面にある階段を上がり、2階の北端にあるお手洗いへと向かう。この建物は中庭を四角く囲む構造になっている。南辺の中央にあるこの階段を上がって、南東の隅(研究室の入口はだからこの真下に位置することになる)を曲がって東辺を北上し、北東の角を曲がって北辺中央の北に出っ張った位置にある目的地へと向かう。実際の構造は少し違っていて、こんなところにお手洗いはなかったし、建物も真四角ではなくてもっと入り組んでいた。
やはり夢での話だけのことはあって、目的のお手洗いに入ると、いやに広い。しかも書くのを忘れていたが、置いて帰ってどうしようかと考えていたS先生が、どうも同じ所に向かう気配だった。しかし、ぼくがそこに到着したときには姿は見えなかった。で、お手洗いだが、なんだか普通のへやで、あるべきものがなく、別に用を足す訳でもない。すると、向こうから同僚のB君がやって来て声をかけてきた。なんでこんなところに思う。実際にはぼくとは研究室に出入りしていた時期はかぶらないので、一緒にここにいたことはないのだが、B君も同じ研究室の出身なのだからと納得している。
そのままB君とそこを出て歩いている。空港の長い通路のように思える。場所がすっかり変わってしまっている。飛行機から降りて空港ビルの中の長い通路を歩かされて出口に向かう、ちょうどあんな雰囲気なのだが、どちらかというとこれから搭乗という感じがした。左手に駐機場のスペースが広がる。でも間にあるはずのガラス窓はなくて、素通しになっている。回廊状のところを歩いているような感じだ。飛行機も見えない。美術館の中庭のようにも見える。
B君がぼくの前を行く。彼のまだ小さな娘さんが彼の右を並んで歩いている。盆休みに娘さんを連れてきたのが印象に残っているせいだろう。ところが、その間に彼より少しだけ背の低い男の子が一緒にいる。あれ、彼の子はもうこんなに大きかったのだと、本当はいるはずのない子の成長ぶりに感心している。
暫くそうして歩いていたように思う。夢はまだまだ続きがあったし、研究室に行く前段もあって、登場人物や場所が微妙にずれながら、円環状につながっていて、夢の中で妙に感心していた記憶がある。夢なのだということを承知で夢を見ていたそんな気がするのだ。起きる直前に見た夢で、比較的記憶が鮮明なまま目覚めた。
すぐさまメモを取れば良いのだが、身支度を調えるのを中断してまでという気も起きず、結局書きとめたの、本を読むのもそこそこに往きのバスの中。2人の先生のうちの1人がだれだかわからなくなったのもこの時間差のせいである。前後の脈絡は起きたその時点でもう記憶が薄らいでいたようだ。それでもこれだけ書けるだけのメモを取れたらまだ忘れなかった方ではある。現実と非現実とが適度に綯い交ぜになって、見ているときはごく自然に見ていたものの、考えてみると荒唐無稽の夢である。内容が微妙にスライドしていく。ちょうど記憶の連鎖を辿るような具合で、結局何が本筋だったのかわからなくなって、自分でもどこへ連れていかれるのかわからない不思議な(と後から振り返ると思うけれど、見ている当座はちゃんと理屈が通っていると思って見ている)夢であった。でも、現実の印象が要所要所に配置されているのは間違いない。それらが連想ゲームのように記憶の糸で縫い合わされて、不思議なタペストリができあがるのである。

昨夜バスを降りて家に向かうとき、虫の音にハッとさせられた。まだまだ気温が高いから音色は高いしリズムも速い。でも、先日のツクツクボウシといい、コオロギといい、季節は着実に動いているのだ。
ラベル: 記憶 日常 季節
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2014年08月17日

犬とツクツクボウシを聞く

予報はよくなくて、朝方などいつ降ってもおかしくないような黒雲が浮かぶ様子だったが、思いの外天気の回復は早く、午後には晴れ間も見え出した。立秋過ぎとはいえ雲間から照りつける日射しはまだ強烈だった。しかし、それもさすがに5時を回ると落ち着いてきて、気温はまだそこそこ高いけれど、斜めの光が心地よい。そこでPPを連れて散歩に出かける。
いつものコースである。考えることは同じで、たくさんの犬たちに出会う。連れているのがほとんどお父さんというのも休日ならではの風景だ。地面はまだそこそこの熱を保っていると思うのに、PPの足取りは軽い。ぼくがついて行けそうもないほどに、ぐいぐいとリードを引っ張る。
聞こえる、ツクツクボウシである。ふと立ち止まる。夏の終わりを知らせるセミである。ヒグラシのようなほの悲しさはない。あくまで健康的な鳴き方で、抑揚があるせいか、耳に心地よい。ああ、もうそんな季節なのだ……。
40-50年前の東京ではクマゼミなど聞いたことがなく、夏のセミといえばまずはアブラゼミとミンミンゼミだった。アブラゼミは単調な音色だが夏を代表するセミだ。騒々しさはなく比較的上品に鳴く。これに対しミンミンゼミはいかにも暑そうにけだるそうに鳴く。ミーンミンミンミンミンときて、最後にミーンと音程を下げ抑揚を付ける。これがいかにも暑さを助長する。あまり速いのもかなわないが、かといってあまりのんびり鳴かれると益々暑苦しくなる。もっと普通に鳴いてくれたらいいのにと愚痴の一つも言いたくなるのだが、まあ夏の風物詩として諦めも付いた。そういえば最近ミンミンゼミをほとんど聞かなくなった。代わりに登場したのがクマゼミで、これにはもうほとほと嫌気がさしてくる。呆れるばかりの音量である。しかも朝は早い。あと、この辺りの住宅地では結構ヒグラシを耳にするけれど、都心でヒグラシを聞くことはできなかった。山にいるものだと思っていた別格のセミだった。ニイニイゼミを知ったのも奈良に来てからである。これはセミというよりもむしろ虫のイメージが強い小さなセミだ。初夏から鳴き始める。
そうした中で、ツクツクボウシだけはアブラやミンミンを聞き飽きた頃に現れるから、昔から随分と株が高かった。この声を聞くと夏の終わりが近いことを知る。暑さももうひと我慢という気持ちになれる。夏を惜しむ気持ちを誘うセミである。
ツクツクボウシの鳴き方も千差万別で、上手なのもいれば、これはちょっとというのもいる。途中で引っかかって壊れたレコードのようになって先に進まなくなってしまうやつもいる。この子はどんなかな、うまく鳴けるかな、と興味をもって聞く気になる、なかなか愛嬌のあるセミなのである。
PPも立ち止まってぼくと一緒にツクツクボウシに耳を傾けている。どこだろうとふと見上げると、向こうに入道雲が湧き立っているのが望まれるではないか。モクモクと発達してはいるけれど、雷雨をもたらすほどの力はなさそうな、いかにも晩夏の地平線を埋めるに相応しい雲である。前にも書いたことがあると思うが、晩夏の地平線を埋める入道雲を見ると思い出すのは、堀辰雄の『風立ちぬ』の最初の、あのまさに絵のように美しい場面である。これは脳裏に焼き付いて離れないのである。

          §           §           §

もう一つ晩夏の入道雲で思い出すのは、小学校時代の夏の水泳教室だ。夏休みの初めから8月の盆前頃までだったのだろうか、平日の13時から15時まで、任意参加で小学校のプールで水泳教室があった。先生方が交替で毎日二人ずつ担当する。一週間に一度は水泳検定の日があり、これに合格すると、水泳帽に線が入ったり色が変わったりする。水泳帽で水泳の能力が区別できるようになっていたのである。赤帽から始まり、黒線が1本、2本と加わり、次は白帽、そして白帽も線が1本ずつ増えていく。確か途中で一度基準の見直しあったように記憶するが、子ども心にもこれはなかなか辛いものがあった。
それよりも深刻なのは、先生によってプログラムに違いがあることで、自由時間をタップリ取ってくれる先生もいれば、たっぷり泳がせる先生もいる。怖い先生もいれば優しい先生もいる。担当の先生が誰かは1学期の終業式に予定表が配られているから、ああ今日はできたら行きたくないとか、この日は絶対行かなくてはということになって一喜一憂の日々がく繰り返されるのだった。小学校は家から近かったから、着替え時間を見込んでも12時50分に出れば充分間に合う。昼ご飯を食べて、NHKの連続テレビ小説の再放送が始まって、だんだん出かけなければならない時間が迫ってくる。行きたくない日はもうそこで腹痛を感じたりしてずる休みの誘惑と闘うことになるのだった。
そんなことがあっても、2時間泳いだあとのあの爽快感はなんだったのだろうか。家を出渋っていたことなどもうすっかり忘れている。校庭の舗装の熱がサンダルを通して伝わってくるけれど、心地よい倦怠感がそれを気持ちよく受け止めるのである。そんなときザッと夕立に見舞われることがあった。雷鳴がとどろくこともある。でも30分もすれば行き過ぎる。その時さっきまでの暑さがウソのようになっている。ツクツクボウシがまた鳴き始めている。水泳教室も終わり近くだったのだろう。参加する生徒も夏休み当初に比べるとずっと少なくなって、気の合う友達だけで、夕立の上がった校庭で遊びに興じる。何とも幸せな日々であった。夕立まで穏やかで優しかった。

          §           §           §

もうこのまま今年の夏は過ぎて行くのだろうか。ちょっと感傷的な気分に浸りながら、PPと歩んだ晩夏の散歩であった。
ラベル:日常 季節 記憶
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2014年08月16日

明日を思い煩うことなく─Bが召されて1年

今日も早朝からクマゼミの大合唱である。朝方顔をのぞかせていた湿気を含む白っぽい青空は、いつのまにか灰色の雲に取って代わられてしまった。四国に大雨警報が発令というテロップが流れる。近畿北部も土砂降りだという。前線が長々と横たわっているにしては結構もってるなと思っていたが、どうも降るところでは降っているらしい。雨雲レーダーを見ると、北から徐々に雨雲が下がってくるのがよくわかる。
まだ16日だというのに夏の終わりが近いことを思わせる。普通の年なら甲子園の決勝の頃の陽気だ。去年の夏が特別暑かったせいか、今年はそれほどの暑さを感じぬまま晩夏の気配が濃くなってきてしまった。目の前に積まれたことを片付けるのに追われるうちに、いつのまにか夏がもうするりと逃げていってしまう、そんな感じがする。

今日8月16日はBの命日である。ジャックラッセルのBは、昨年の今日、9歳3ヶ月で召された。いったいこの1年はなんだったのかという思いは強いが、言われてみて初めて、ああもうそんなに時間が経ったのかと、この間の時の経過に思い当たる。
ぼくが寝床でゴソゴソと起きる準備にかかると、さあごはんだとばかりに、もうごはんが出てくるまで待てなくて、ワン!ワン!とそのへんで跳び跳ね始める姿が、いまだに見えるように思う。ぼくら家族が生きている限り、Bもこの世で一緒に生きているそんな気がするのである。
庭ではBの忘れ形見たちが今日もプール遊びに興じている。なんということはない、ばかでかいプラスチック製の青い盥である。これに足がつかる程度に水をはってやる。水がたまるまで待てなくて、水が噴出するノズルの先に噛みついたり、水を全身に浴びたりして、ちっともじっとしていくれない。だからずっとノズルを持っていなくてはならないのだが、こうして出たり入ったりするものだから、水がたまる頃にはもう泥水状態になってしまっている。それでもこの子たちには、人と一緒にいてこうして一緒に遊んでいるのが楽しいのである。
いつ降ってくるかわからないような天気になってしまったが、ジャッポーンと飛び込んではしばし温泉よろしくどっぷりとつかり、それに飽きるとピョーンと飛び出してブルブル身体をふるって水を飛ばし、次の瞬間にはもう庭を走り回っている。Bはそれほど水が好きではなかったので、中に入るようなことはなく、もっぱらプールの周りで子どもたちを注意して見てやっている、そんな風情のことが多かった。でも今にして思えばBは自分は置いておいて、子どもたちを遊ばせてやっていたのではないかと思えてくる。 
いつかこの子たちも召されるときが来る。この子たちだってあと10年生きられるかどうかはわからない。寿命からいったらその確率の方がむしろ低いだろう。余程のことがない限り、ぼくが彼女らを看取ることになる、これは定めとしかいいようがない。でもそんなことをくよくよ考えている暇があったら、明日を思い煩うことなく、少しでも今日のこの1日だけでも思い残すことなく楽しく過ごさせてやりたい。この毎日の積み重ねが1月になり1年になる。
まあぼくだって、10年後にどうなっているか知れたものではない。少なくとも定年退職して5年近くを経過しているはずだから、今の仕事に就いていないのは確実だ。もう死に仕度を始めないといけない、遺産(子どもたちの役にも立たないガラクタどものことである)の整理を子どもたちにやらせるわけにはいかない、というのが最近の家内の口癖である。死んだあとのことまで考えていられるか、というのがぼく自身は正直なところではあるが、生きているうちだってどうなるかわかったものではない。人生のゴールが見え始めてきたからといって、急に生き方を変えられるはずもないのである。

明日を思い煩うなは、けっして明日は明日の風が吹くではなく、明日を思い煩う前に今この時に最善を尽くせ、が含意のはずである。そう頭ではわかっているつもりでも、なんで人間(そういつの間にか自分を一般化してしまうのもまたずるいのだが)こう勝手なんだろうと、人ごとのように思い煩うのである。Bがそのへんで苦笑しているように思える。
1年経ったからといってなんなのか、という思いもある。しかし、こうして節目節目に振り返る機会がないならば、ただダラダラとゴールに向かうことになってしまうだろう。記念の日は祈念の日でもある。そうした特別の日が、1年365日のあちこちに、ぼくの生きている間これからもずっとばらまかれていき、それによって心身ともに新たにされつつ、最期を迎えるのだろう。特別の日だらけになってしまわない程度に、1年が長いのは幸いなことだ。
身体で実感できまた太陽や月の昇り沈みによって見て取れる1日の円環構造と違い、1年の繰り返しはなかなか実感できない。カレンダーやそれに基づいて行われる行事によってそう納得するしかないのである。その点において季節の変化は年の円環を実感するための数少ない貴重な材料となる。その意味でも、月並みなことだが、四季というめりはりがあって、こうして季節を惜しむことができる幸せをもっと噛みしめるべきなのだろう。
Bのことはほとんど書かずじまいになったが、こんなことを考えさせてくれるのもBらしいなと思う。
ラベル: 季節 日常
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2014年08月09日

台風北上と長崎原爆の日に思う

台風11号が北上中である。早くから直撃の恐れが予測されていたが、初めの予想よりはやや東寄りのコースを取って四国に向かっているように見える。これまでの経路や予想図の予報円を眺めていると、ちょうど鎌首をもたげたヘビが獲物を見定めているように見えてくる。日本に近づくと(特に秋の台風は偏西風に乗って)スピードを上げながら駆け抜ける場合が多いから、見定めた獲物に一気に向かっていくようなそんな印象さえ抱く。
昨日は日中辛うじて保った天気も夜に入ってザッと降り出し、今朝方などかなりの降りになっていた。家の中にいるとわかりにくいが、1時間20㎜程度の雨にはなっているらしい。今はまだ前線の雨だが時折雷鳴の聞こえ、台風本体の雨雲も控えている。甲子園の開会式も明日にではなく、前例のない2日順延と聞いた。夏台風特有のノロノロで、明日朝もまだ山陰地方にいそうな予報だ。夜には日本海中部にまで進む予想だけれど、日曜いっぱいまで影響が残りそうだ。
高知県など先日の12号の雨で1000㎜以上の雨が降っている地域もある。数年前に同じように遠くの台風がもたらした湿った空気で奈良県南部で大雨が降り、あちこちで地滑りが起きて堰止め湖ができ、大きな被害が出たときのことを思い出す(実はまだ完全には復旧していない)。今回は大きな被害はあまり報じられていないが心配だ。先日山に降った集中的な雷雨による土石流で中央線の南木曽で鉄橋が押し流されたことも記憶に生々しい(幸い6日復旧したという)。台風が無事通り過ぎてくれることを心から祈るばかりだ。
史上最強と騒がれた7月上旬の台風8号は、意外なほど影響が少なかった。7月という時期がもしかしたら幸いしていたのかも知れない。台風の本来のシーズンはむしろこれからである。9月を中心に、最近では10月に入っても気を抜けない。昔からいわれているように、台風が北上しやすい年というのがあるようで、今年は注意が必要だ。人間の力ではどうしようもないことなので、来るものは仕方がないとしかいいようがない。けれど、いかに被害を最小限に食い止めるか、人間の叡智を働かせる余地はまだ充分にあるはずだ。天災は受け入れるしかない、しかし人災はこれを断固拒否しなければならない。

          §           §           §

今日8月9日、長崎は6日の広島に続き69回めの原爆の日を迎えた。「「戦争をしない」という誓いは被爆国・日本の原点であり、被爆地・長崎の原点でもある」という田上市長の平和宣言の言葉を、戦争をする国をめざす首相はどんな思いで聞いたのだろうか。いや、聞いてくれたのならよい。聞く耳を持たずにあまりにも近視眼的で個人的な理想に向けて突っ走る人とその取り巻き、そしてマスコミの姿勢を見ていると、怒りを通り越して恥ずかしさをさえ覚えてしまう。
平和宣言に集団的自衛権の問題に言及しなかった広島、あえてそれを盛り込んだ長崎。長崎の英断は心から讃えたいが、かといって広島を責めるつもりもない。そんなことで苦渋の選択を迫られること自体が異常なのである。おかしな事をおかしいと言えない雰囲気がいつのまにかできあがっていることほど怖ろしいものはない。69年間一度も戦争をしなかったという厳然たる事実を重く受け止めたい。そしてその原点は、広島であり、長崎であり、憲法第9条である。
台風の接近で大テントの撤去という異例の事態となったものの、幸い晴れ間さえ見える中での平和祈念式典となったようだ。人知の及ぶところでないとはいえ、ひたすら感謝である。
ラベル:日常 天気
posted by あきちゃん at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2014年08月02日

しつこい夏風邪と青ねぎの親子丼

去年の晩夏以来、久しぶりの風邪である。まさか今年も真夏にこんな事を書くようになるとは思わなかった。日曜日あたりからなんだか喉が気になり始めていた。うがいで何とかなるだろうと、アズノールでうがいを続けたが一向に恢復せず、だんだん痛みが増してくる。水曜日には1時間ほどしゃべらねばならない機会もあって、用心のためもあり、火曜の夜にいつものI女史に診てもらいに行ってきた。水曜日は休診日なので、しゃべって悪化して診察にも行けないでは困ったことになるので、悪化しないよう抗生剤だけでももらっておければと思ったわけである。
水曜日のしゃべりは、途中で一度咳き込むことがあったものの無事乗り切って、さあこれならば5日分の薬を飲み終わる頃までには、抜けきるかなと高を括っていた。ところが、点だった喉の気になる部分がだんだん広がってくるような感じがして、しかも朝起きたとき喉の不快感が半端ではない。昼間活動しているうちに落ち着いてはくるものの、何となく顎下の痛みも始まって、どうも恢復に向かっているとは思えなくなってきた。日中も時折我慢できず咳き込むことが何度かあり、週末を控えて昨夕再度I女史のところに駆け込んだ。
顎はリンパ腺の腫れではなくて、扁桃腺の炎症であるとのこと。これはもしかしたらこれから熱が出るかも知れませんよと、不穏なことをおっしゃる。ともかく、抗生剤を強いものに代えて、週末は様子を見てみましょう、もしそれでもダメなら週明けにまた来てください、ということになった。投薬で悪化は防げるかも知れないけれど、最後は自分の力で治すしかない。無理をしているつもりはなくとも、身体にいろいろとガタが来ているということなのだろう。要はいつまでも身体は若くはないということらしい。
それにしてもおかしな風邪である。基本は喉の痛みだけである。時折咳き込むけれども、鼻水が出るわけでもなく、第一、声が全く風邪声にならない。大きな声が出しにくなっているのは間違いないが、全然風邪らしくない症状なのである。あまりこういう症状の風邪は経験した記憶がない。うつる風邪なのかどうかはわからないが、同じような症状を訴える人は他にも多いとのことだった。
これだけ喉がやられるなら他にもあちこち影響が出てよさそうなものなのに、こんなに喉だけに集中して症状が出るということがあるのだろうか。しかも喉が痛いとはいってもしゃべるのには支障がないわけだから、喉のやられもかなり局所的なものである。体調の崩し方が、年齢を重ねるとともに変わってきたというのは正直な印象だけれど、新しいパタンが一つ加わったとみるべきか、それとも単なる流行性のものとみるべきか。去年の夏風邪は悪化も早かったが恢復もあっさりだった。それに比べると今年の風邪は悪化が緩慢な分、治りもよくない。なんにせよもう一週間にもなろうとしているのだから、かなりしつこい風邪であるには違いない。

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関西に来るまでは、親子丼にはたまねぎというのが当たり前だと思っていた。だから、ねぎ(しかも関東風の白ねぎではなく、青ねぎである)を使った親子丼との邂逅はショックだった。子どもの時以来の価値観が打ち砕かれたといっても過言ではない、けっして大袈裟ではなく、真の意味でカルチャーショックだったのである。
それが、である。この青ねぎを使いタップリの鶏肉とトロトロの半熟のとき卵をかけ、最後に山椒の一振りをピリリと効かせた親子丼にはまってしまったのである。最初に出会ったのはもうかれこれ20年近く前になるだろうか。最初のショックから立ち直るともう病み付きになり、夏冬に必ずこれをいただくことになった。初めのうちはいろいろと他のメニューに浮気したりすることもあったが、結局のところ行き着くのはこの親子丼なのである。
ところは滋賀県の石山寺山門前、お店の名は「香月(こうげつ)」さんという。月の名所石山には、新月、水月など月に因んだ名のお店が多い中で、とりわけ風流かつ格調の高い名をもつが、ごく普通の飾らないお店である(ちなみに、新月はこの中でも別格の京懐石のお店)。
のれんを潜ると、中は石のたたきの土間になっている。テーブルが3つと、あとは座敷に小テーブルが2つだけだから、4組が限度で、10人も入ればほとんどいっぱいなってしまいそうなこじんまりとしたお店だが、この何気ない構えが実ははただごとではない。
店はご夫婦ともう1人の女性とで切り盛りしていられる。この2人のおばちゃんはお店と調理場を行き来するけれども、親爺さんはいつも調理場で黙々と仕事をしていられ、いつも少し距離を置いてお見かけするだけで、20年にもなるというのに実はまだ面と向かってお話ししたことはない。
お客の相手をするおばちゃんはどちらもいい味を出しているけれど、特に親爺さんの連れ合い方のおばちゃん(ご夫婦はもう金婚式を迎えられたという)は、気さくにお客に声をかけてくれてこちらを和ませてくれる。ぼくに言わせれば、香月の二枚看板は親子丼とこのおばちゃんである。厨房の親爺さんと客あしらいの2人のおばちゃんたち、本当に絵のような世界である。
名物でも何でもないけれど、親子丼以外のそれほど多くないメニューもいずれ劣らぬ絶品揃いである。そしておばちゃんのワサビ(というよりは、ふりかけといった方がおばちゃんの個性には合っているかも知れないが)が心地よく効いている。病み付きである。
この夏もまた親子丼とおばちゃんに元気をもらってきた。喉風邪程度で済んでいるのはそのお蔭かも知れない。
親子丼(フタを取る前).jpg
〔香月の親子丼(フタを取る前)。日ごとのお新香がまた格別〕

香月の親子丼.jpg
〔青ねぎを使った香月の親子丼。写真ではその味をお伝えできないのが本当にもどかしい〕

おいなりさん2.jpg
〔その他のメニューでは、おいなりさんもおいしい。通常は7個で1人前〕

【最後のおまけ、といっては失礼千万な話だが、せっかくなので石山寺の著名な風景を一つ】
石山寺多宝塔.jpg
〔今も優美な姿を見せる石山寺の多宝塔。ぼくらの世代には4円切手のデザインとして名高いが、この塔のプロポーションの美しさは実際に拝観してみないとなかなかわからない。数年前に檜皮葺の屋根の葺き替えが行われて、その美しさがさらに際立つようになった〕
【追記あり】
ラベル:日常 建築
posted by あきちゃん at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする