2014年09月23日

夢のスパイラル─夢の記憶24

飛び石連休の秋分の日である。かつては年によって日にちの変わる休日は春分の日と秋分の日だけで、いろんな飛び石連休があった。すさまじいのは例えば5月1日が日曜日だったりすると、土曜日も学校はあったから、土・月・水・金・土と本当に飛び石が続いたりする。こんな時は連休明けの週は本当に辛かった。
ところが最近は、成人の日や敬老の日、そして体育の日まで年によって移動して連休になるようになったものだから、飛び石はなかなか遭遇しない。もしかしたら飛び石連休などという言葉も死語になりつつあるのかも知れず、かえって飛び石連休がなつかしい。ただ、珍しくなった分、たまに出くわすとどうもついていけなくて調子が狂いがちになる。
今回は週明けの月曜日に勤めに行ってすぐ火曜日が休み。一番悪いパターンである。今週末の日曜日は月末の自治会の掃除日にあたっているが、出かけていない予定なのでさてどうしようかと考えていたところだった。夏前に刈った草がもうぼうぼうに伸びていて、放ってもおけない。そこで、今ひとつテンションが上がらないのをいいことに、天気がよいのも幸い、一汗流すことにした。
遅い朝ご飯を食べたあと、お昼抜きのほとんど一日がかりで45リットルのポリ袋7つ分の草を刈ってきれいにすることができた。庭を走り回るAGを生け垣越しに眺めやりながらの数時間。時折大きな羽音を立ててクマバチがやって来るのを避けながらの作業。ちょうどイネ科の雑草の花の季節なので、アレルギーは覚悟の上だったが、ここのところずっと花粉症の薬を飲んでいるのが効いたのか、快適に草刈りができた。とはいっても明らかに体力は落ちていて、アップアップしながらだったし、腰も不穏。手も最後は手に力が入らなくなりがちだった。こんなことをいつまで続けられるのだろうか。
何も気張って今日やらなくても、いずれ市役所から草刈りに来てくれるのである。しかし、自治会の掃除のあとか先がそれがわからない。近所の手前もあるけれど、それよりも何よりも、家の裏がきれいになるのは気持ちがよい。遊歩道を通る人だって草ぼうぼうよりはきれいになっている方がいいに決まっている。少しでも気持ちよく歩いてもらえればうれしい。
作業を終えてすぐ、シャワーを浴びて汗を流し、今度は遅い昼食をいただき、そしてPPを散歩に連れていく。日中はまだ日射しが強かったが、さすがに夕方は風が心地よい。家々を飾る秋の草花を楽しみながらの快適な散歩を楽しめる

          §           §           §

ぼくの乗ったバスはちょうど立体交差の高架橋を渡っているところ。家々が遠くまで見渡せる。屋根には白いものが見える。そう、雪が積もっているのである。目分量だが、50㎝近くはありそうだ。でも道は快適だし、チェーンの音もしない。走っているのは明らかに夏道だ。それにバスなのになぜかボックス席のようになっていて、ぼくは進行方向右側のボックスの一つの窓側に、進行方向を背にして座っている。同じボックスには年配のおじさんがぼくと斜めに向かい合うように腰掛けている。通路側には、ちょうど夜行バスのように白いカーテンが掛かっている。
どうもぼくは足を伸ばして座っているらしい。ボックスの向かい側の席に足を投げ出しているようだ。自分の膝を見つめて膝の抜けたジーパンをはいてきてしまっていることに気付き、こんな格好でバスに乗っているなんてと、気恥ずかしくなる。しかし、まあいいか、たいした用事で出かけてきた訳でもないのだし、と思い直している。
いつのまにかおじさん(ぼくだって立派なおじさんなのだけれど、夢の中ではまだ20代のつもりでいた)が降りて、ぼくは進行方向を向いて1人で座っている。そして行き先を思い出そうとしている。このバスで駅まで行き、そこから新幹線に乗り換えて、下関まで行くんだっけ、と考えている。そこで誰かと落ち合って目的地に向かう手筈になっていたような気がする。そんなことを思い起こして、ああこんな用事なら別にこんな格好でも特に問題はないやと、納得しているのである。ところで、そうだ新幹線の切符はどうしたんだっけと、カバンの中を探す。駅でくれる袋に入れてしまっておいたはずだけれど、見つからない。
ぼくはどうも今韓国の伽耶(昌原:チャンウォン)にいるらしい。この辺は8月末の訪韓の記憶が核になっているとみえる。伽耶から、と言って精算すればいいや。ここではもうさっきの下関行きとは既に場面が矛盾している。下関から関釜フェリーで韓国に渡ればつながらなことはない。最終目的地はどうもここ伽耶だったような気もする。そうだとしたら随分先のことと場面がごっちゃになっていることになる。でも、どうもぼくは飛行機で韓国について、今の道をバスで南下しているような気がする……。
それはそうと、精算しようにも元の切符がなければどうしようもないではないか。まあ現金で払えばいいか、と夢から覚めて考えれば訳のわからぬ理屈を付けて納得している。両替はしてあるから大丈夫、小銭もあるし。確かに夢の中で、空港で両替をしたという記憶はあった。でもこの夢の中で両替したのか、単に先日訪韓したときに関空で両替したことを覚えでいたというだけなのか、その辺が定かではない。
まもなくバスは駅に近づくが、大渋滞に巻き込まれてしまった。あとどれくらいだろうと考えているうちに、お客の大半は降りてしまう。もうここまで来ていれば、バスを降りて歩いた方が早かったということがあとからわかる。みんな降りてしまったのも当然だ。もうバス停もない。行くところまで乗って行くしかない。仕方なく終点までバスで行く。
あとひと停留所だった。一番奥まったところまでバスは入っていく。狭いところにどんどん進んで行く。もう車道ではなく、きれいに絵模様が並んだ歩道を進んで行っているようだ。もうこれ以上は入っていけないという所まで連れてこられて気が付くと、ぼくは自転車に乗った状態から降りようとしている。乗っていたバスは影も形もない。ただ自転車があるばかり。
それを降りて改札に向かう。2000ウォンあれば充分足りるだろうと1000ウォン紙幣を2枚用意する。小銭を探そうともしたが、財布が破裂していて小銭が飛び出してしまい、お札で済ますことにする(これは実際に今使っている財布の現状を忠実に反映している)。改札と書いたけれども、なぜかそのかなり手前におばさんが立っていて、切符を受け取っている。ぼくもこのおばさんに伽耶からと言ってさっき用意した2枚の1000ウォン札と「3」と書かれた整理券(バスの整理券とそっくりなもの)を渡して、100ウォンの硬貨をお釣りにもらう。
うまく話が通じてよかったとホッとして、ありがとうと韓国語で言って、改札を出る。韓国語で言ったという記憶は鮮明なのだけれども、なぜか口から出た言葉は「ありがとう」であって、「カムサハムニダ」ではないのである。その辺が夢の夢たる所以か。
改札を出てまっすぐ歩くとなにやら行き先が不明瞭になって、狭い階段に紛れ込んでしまう。コンクリートで囲まれた扉を開けてなおも進もうとするが、人影もなく入って行けそうになくなる。これはいけないと思って引き返す。おばさんのいた改札を通って、自転車(?)を降りた辺りまで戻ると、訳がわからなくなるうちに、現実の世界に引き戻されて目が覚めたのであった。

理屈から言えばこの駅から新幹線に乗って下関に向かったはずなのである。ここで夢から覚めたのは間違いないのだけれど、夢の記憶としては新幹線に乗った覚えが確かにある。新幹線の最後尾の車両の前側のドアから乗ったことまで鮮明に覚えている。これはどう考えても、一番最初に書いたバスで高架橋を渡る場面の前に見た夢のはずである。新幹線で下関まで行って、何らかの方法で韓国に渡り、バスに乗ったのだろう。訪韓の交通手段については、その一方で、さっきも書いたように飛行機に乗ったという記憶も残っている。
そもそもあの改札はいったい何だったのか。バス(自転車)を降りて精算するのだから、構内から外へ出る方向だったはずである。しかし、降りた場所はどう見ても駅の外である。外から構内へという方向の風景だ。行き止まりだったところは中なのか外なのか。突き詰めて考えるとさっぱりわからない。
それはともかくとして、既に見た夢の記憶が夢の進行を規制しているのは確かのようだ。ある意味でいわば夢が循環しているのである。これが何重にも張り巡らされているというのが、夢の真実なのだろう。もしかすると、夢を見た順序の記憶さえも、そうした複雑な記憶の連鎖によって、かなり乱れたものになっている可能性があるのかも知れない。
さっき、「最終目的地はどうもここ伽耶だったような気もする。そうだとしたら随分先のことと場面がごっちゃになっていることになる。」と書いたけれど、これは多分その前に見た夢の記憶によるのだろう。最終目的地に今いるという感覚は正しいのだと思うが、何が原因で何が結果なのか、そう簡単には解きほぐせない。それは複雑に螺旋状に絡み合って互いに原因となり結果となっている。まさに夢のスパイラルとしかいいようがないものだ。
タグ:日常 季節
posted by あきちゃん at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2014年09月21日

奥駈道に抱かれた集落と蛇崩山

「蛇崩山」と書いて何と読むか、「だぐえさん」(または「じゃぐえさん」)と読むと教えてもらっても、なかなか一度では覚えられない。要は昔大崩壊をしたことがあるのだろうが、今はそんな痕跡も見せない。奥駈道からちょっと外れてしまっているばかりに、不遇をかこっているけれども、それだけに静かな味わいをもつ、優しい樹林に包まれた静かな山である。木の間からは時折、奥駈の名峰笠捨山の特徴的な台形の山容が望まれる。蛇崩山はこの山から南に派生する尾根上に位置するのである。反対側の奥には鉄塔のある南奥駈南端に近い玉置山や、そこから東に延びる宝冠の森への尾根道もよく見える。

          §           §           §

蛇崩山へ出発点の十津川村上葛川(かみくずかわ)は、山懐に抱かれた、と表現するのがぴったりの集落で、尾根に取り付いて振り返れば、まるで箱庭のようだ。尾根道に出るまでの約1時間は結構な急登で、汗をかかされる。植林帯で上部はほとんど眺望もない。ただひたすら登る。
ようやく傾斜が緩くなって尾根に出ると、暫くは稜線の北側を行き、そのうちに南側に乗っ越す。行く手に目指す蛇崩山の眺望が効くところがあり、今日のコースがよくわかる。道は尾根伝いからはやや外れて付いており、山腹をトラバースしながら小さなアップダウンを繰り返す。途中の小広い鞍部で昼食。昴の郷から届けられた弁当は豪華だった。弁当もこの山行の楽しみの一つである。
笠捨山から蛇崩山に延びている尾根の直下に廃小屋の跡があり(北に水場だったらしい谷が近い)、ここから熊谷の頭で尾根道に出るまでの急登がこのコースの二つめ(これで終わり)の難関となる。手前に笠捨山の眺望の効くところがあるが、尾根に出たあとは時折木の間に望める程度。しかし、紅葉の頃はさぞやと思わせる美しい自然林が続く気持ちの良い尾根道である。蛇崩山への最後の登りもさほど苦にはならずに、小広く優しい樹林に囲まれた山頂に辿り着いた。
優しい樹林帯の蛇崩山の頂き(木の間に笠捨山の台形が見える).jpg
〔優しい樹林帯の蛇崩山の頂(木の間に笠捨山の台形が見える)〕

眺望はあまり効かないけれど、ふっと時間を忘れて憩っていたくなるような頂である。南へ僅かに下ると、南側の眺望が効き、玉置山から宝冠の森への尾根道がよく望める。特別にこれといった特徴があるわけではない。しかし、縦走の途中で通過するだけの山に比べたら、それ一つをめざして登ってくるだけの充分な価値のある山であるのは間違いない。それは縦走路を外れているからこその楽しみでもあるだろう。どっしりと構えたその風貌は落ち着いていて、じわっと喜びが湧いてくる、そんな山頂だった。
熊谷の頭から蛇崩山にかけての尾根道を望む.jpg
〔熊谷の頭から蛇崩山にかけての尾根道を望む〕
笠捨山を間近に望む.jpg
〔笠捨山を間近に望む〕
玉置山から(右端の鉄塔)宝冠の森(左端の円頂)までを望む.jpg
〔玉置山から(右端の鉄塔)宝冠の森(左端の円頂)までを望む〈帰途の稜線から〉〕

帰途は往路を戻る。難関の熊谷の頭から廃小屋までも難なく下り終えられた。方向が反対になると、往路とは異なる景色が楽しめ、しかも往路よりは遙かに楽に感じられる。そうした余裕のもう一つのたまものは、道々に咲く山の花々とのめぐりあいである。以前もギンリョウソウが群をなして咲いているのにお目にかかって驚いたことがある。今回も道の真ん中に可憐な花を咲かせていたチャボホトトギス(帰途その周辺にたくさんの花があるのを見つけて驚いた)、道脇のイワタバコなどを教えてもらった。同じ道を戻る山行の楽しさを知ったのもまさにバス・ハイクのお蔭である。
道端のチャボホトトギス.jpg
〔道端のチャボホトトギス〕
道端のイワタバコの花.jpg
〔道端のイワタバコの花〕

上葛川に下り着いたのは16時半を回っていただろう。充実感の割には足腰にさほど負担を感じることなく山旅を終えることができた。上葛川の集落は、彼岸花が真っ盛りだった。場所柄かも知れないが、随分と早い。十津川の谷から入ってきたけれども、途中奥駈道をトンネルで越えているから、ここは下北山側にあたる。谷を下れば瀞峡に出るのである。逆に上葛川から谷を登り詰めれば笠捨山に至るわけで、奥駈道はこの谷の北から西にかけて笠捨山から地蔵岳、香精山と続くのである。上葛川はまさに奥駈道の山懐に抱かれた集落といってよいのである。
山に抱かれた上葛川の集落(彼岸花が真っ盛りだった).jpg
〔山に抱かれた上葛川の集落(彼岸花が真っ盛りだった)〕

          §           §           §

90年代の半ば、夏の白浜の帰りに新宮から本宮、十津川に抜け、国道425線を下北山村に辿って帰寧したことがある。今日は途中から上葛川・瀞峡方面に分かれてきてしまったけれども、あれはまさにこの道だった。国道だからと高を括ったのが失敗のもとで、下北山村で国道169号に出たときには、ずいぶんとへたばってしまっていた。実は行仙岳に登ったときに下北山村側からトンネル手前まで辿ったのも、その時には気付かなかったがまさにこの国道425線であった。不思議な縁である。その後の水害とその復旧工事でずいぶんと様子は変わっているようだが、あの時辿った道を東と西から二度にわたって辿ることになろうとは……。もう二十歳を越した息子がまだ小さかった頃のことである。
そんな感懐はともかくとして、帰途は一旦本宮寄りにある十津川温泉昴の郷に立ち寄って、かけ流しの温泉で汗を流す。ここは初めてだったが、奈良にこんな温泉があったのかと思うほど贅沢な湯であった。橿原神宮前に21時少し前に着いた。さて、今回登った山の名は……。漢字で蛇崩山とは書けるのに。
タグ: 季節 奈良
posted by あきちゃん at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2014年09月16日

夢に連れ去られる─夢の記憶23

何かを急いで連絡しておかなくてはいけない。それで室内の電話を探す。見つけたのは少し前まであった、受話器のところにプッシュボタンが付いた子機のような黒い電話。ケータイでもなく、昔の黒電話でもないのが不可思議なところ。
ボタンを押して電話をかけ始める。いるのは畳のへやのようだ。電話をかけようとしながら見上げると正面に室の入口が見える。家の雰囲気ではなく、旅館のようなイメージだが、いやに殺風景なつくりで、家具は何もない。いや、電話は何か箪か鏡台のようなの家具の影にあったような気もする。入口の方から見ると、右手が壁で、それにそってその家具があり、その向こう側にこの電話はあったはずである。
最後までボタンを押し終わるか終わらないかというところで、妙に人の気配を感じた。誰もいなかったはずの室である。悪寒を感じてふと見上げると入口のあたりに誰かいる。逆光なのだろうか、よく見えないが誰もいない。気のせいだったのだろうか。視線を右にやる。そこは入口からでは死角になって見えないところで、電話をかける前にぼくがいたあたりだ。確かに誰かいる! なぜ? 背筋に再び悪寒、いや恐怖感が走る!!

ああ、夢だった。誰がいたのかは結局わからずじまい。もっと複雑なシチュエーションがあったはずである。電話をかけるに至る経緯の記憶が全く吹き飛んでしまっている。ゾッとして目が覚める後味の悪い夢だったが、それでも目が覚めてよかった。覚めなければもっと怖ろしい目に遭っていたに違いない。
昨日は比較的早めに就寝したのだが、寝ようとして寝たのではなく、少し横になって本を読んでいるううちに、猛烈な睡魔に襲われて、明かりを消す余裕もなく眠りに落ちてしまったのである。眠りに就くとき、無理に眠ろうとしないと眠れないようなことは滅多にないけれど、それでも普通は今自分が眠りつつあるという自覚があることが多い。ところが昨日の晩はその過程がすっぽり抜け落ちていた。机に向かっていて気が付いたら居眠りということはよくある。でも、居眠りの時でさえ眠りに落ちる経過はもっと緩慢だ。意識はあるのである。ところが昨晩はそこに意識の断絶があった。眠りに連れ去られたという感じである。こんな経験は初めてだ。その挙句にこの夢である。なんたることか。
時計を見ると、まだそれほど時間は経っていなかった。眠りにというより、この夢に連れ去れたという方があたっているかも知れない。電気を消して再び横になる。今度はいつもようにゆっくりと眠りに落ちてゆくのがわかった。
タグ: 日常
posted by あきちゃん at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2014年09月15日

奥駈道と大台ヶ原の眺望を楽しむ

2ヵ月ぶりの山歩きである。そうはいっても8月末の韓国行きもほとんど山歩き同然であったから、それほど身体は鈍っていない。例年なら残暑に悩まされる頃だが、今年はもう秋の気配が濃い。1300mそこそこの標高で、距離もそれなりにあったし、縦走路なのでアップダウンはあり、やせ尾根もあって、汗こそ結構かいたものの、さほど暑さを感じることもなく、へたばらずに歩くことができた。総体に道は歩きやすく、何よりも天気に恵まれて、最高の山旅を満喫できた。今回の行き先は又剱山から笙の峰山へ縦走し、小処温泉へ降るルート。歩き出しが10時20分、小処温泉着が16時40分。

          §           §           §

又剱山のことは、以前上北山村主催の行事に家内が参加したことがあり、大峰奥駈道と大台ヶ原の展望台であることは知っていた。地図で見ると、確かにいい位置にある。しかし、地図を見ただけではなかなか高度感がわかない。展望というのは実際に登ってみないとわからないと改めて実感した。しかも今日の展望は全く特殊である。例外中の例外といってもよい。何と言っても歩き始める前に大峰奥駈道の大パノラマを堪能できるのだから……。
又剱山登山口は既に1000mの標高がある。林道がそんな高みにまで通じているのである。しかもそこに至る道筋に遮るもののない大展望台があって、労することなく到達できるのである。その上に好天である。胸に込み上げてくるものさえ覚える景色であった。
しかし、実を言うと展望はあまり期待していなかったのである。前日確認したところでは大台ヶ原だけ15時以降夜まで雨のピンポイント予報が出ていて、どうも寒気の影響による夕立があるらしい。雨は覚悟の上だった。案の定、往路の道すがら筋雲や羊雲が空を覆っている。展望のあるところに着くまで天気はもってくれるだろうかと内心心配していたのだった。それが登山口に近づくにつれて青空が広がり始め、10時過ぎにこんなに大パノラマに恵まれるとは、全くの予想外だった。
南から台形の山容が顕著な笠捨山、行仙岳、大日岳、鋭角のピークがとりわけ目立つ釈迦ヶ岳(以前小峠山から間近に見たのとは随分印象が違う)、孔雀岳、仏生ヶ岳、八経ヶ岳、弥山、傾いたユニークな山容の行者還岳、そして大普賢岳まで、それこそため息の出るほどの大展望。贅沢を承知であえて難点をいえば、あまりにあけっぴろげでメリハリが少ないこと。特に大普賢の各峰がひとまとめに見えてしまい(よく見れば小普賢や日本岳も識別できるのだが)、見慣れた大普賢岳とはだいぶん様子が違うので、よく注意しないとわからない。でも午前中の光はこれらの山々をこの方角から眺めるには申し分なく、あとで見た縦走路からのパノラマよりもむしろ山容は明瞭だった(ただ、残念ながらうまくパノラマになる写真を撮れなかったので、個別の山の写真を載せておく)。
釈迦ヶ岳(林道の展望台から).jpg
〔釈迦ヶ岳(林道の展望台から)〕

八経ヶ岳と弥山(林道の展望台から).jpg
〔八経ヶ岳と弥山(林道の展望台から)〕

行者還岳(林道の展望台から).jpg
〔行者還岳(林道の展望台から)〕

大普賢岳(林道の展望台から).jpg
〔大普賢岳(林道の展望台から)〕

          §           §           §

そもそも展望台を設けるくらいのこの林道、いったい何のために造ったのだろう。一応周遊できるような構造になっているところからみても、これは大台ヶ原ドライブウェイと同様、観光目的なのだろう。ただ、それならそれでもう少しやりようがありそうなものである。北からの道は数年前の豪雨で寸断されて入れないままだし、今日通った南からの道も、メンテナンスが行き届かず、あちこち穴だらけのありさまだ。マイクロバスが入れる程度の道幅しかなくすれ違いはほとんど困難であるから、一方通行を想定していたのだろうか。自然を守ることに重きを置くならいっそ廃道にすべしという見方もあり得るだろう。しかし、観光目的で開発したのなら、最低限のメンテナンスを行わないと、それこそ無駄な開発だったことを認めることになるだろう。無駄であることを認めるならくらいまら、潔く廃道にした方がまだマシだとも思う。今から新しく道路を通そうというのはまず無理だろうから、通してしまったものは生かすなら生かす(もちろん現状維持ということ)、止めるなら止める、はっきりさせるべきだと思うのである。
林道を通すと従来の山道は荒れてしまうことが多い。しかも林道は車が上がれるように大きく迂回して通すことが多いので、山道よりも距離が長くなるのが普通である。山道が串刺し状態でも残っていればいいけれども、荒れてしまうことも多い。それで林道を延々と歩かされるのはたまらない。勿論林道は観光目的ではないのが普通だろうから、あまりとやかくいうのは憚られるけれども、折角造ったのなら林業にも観光に有効に使ったらいいのではないかと思う。造るだけ造って荒れたままというのはなんともやりきれないものを感じるのである。この大展望を見ることができ、今日のコースを日帰りで堪能できるのは、この林道を有効に活用できればこそだが、バスツアーの山行だけがその恩恵を被っているのでは勿体ないなあと思う。なんとも複雑な思いである。

          §           §           §

話が横道に逸れてしまった。この大展望を満喫したら、もうあとは景色が見られようが見られまいが、たとえ雨が降ろうとも、何が起きたとしても山旅の成功は約束されたようなものだ。足取りも軽く、40分程で又剱山に到着。南奥駈方面は遮られるけれどもやはり大展望を満喫、振り返れば深い東ノ川をはさんで大台ヶ原の大蛇嵓の絶壁や中の滝、西の滝がよく見える。まったく贅沢なことこの上ない山頂である。
又剣山山頂(1377.2m).jpg
〔又剱山山頂(1377.2m)〕

大台ヶ原を間近に望む(又剣山から).jpg
〔大台ヶ原を間近に望む(又剱山から)〕

西の滝(左)と中の滝(又剣山から).jpg
〔西の滝(左)と中の滝(又剱山から)〕

丸塚山の北から大峰奥駈道を望む(山名入り).jpg
〔丸塚山の北から大峰奥駈道を望む〕
ここから北への縦走路は以前は踏み跡も明瞭でなかったらしいが、今は迷う心配もない。丸塚山の北でも大展望を楽しみ(上の写真を参照)、五兵衛平で昼食(ここは展望はあまりきかない)、さらにいくつかのピークを越えて、1320mの無名峰。このあたりは優しい木洩れ日に木々がきらめいている。左に折れる辺りで右に縦走路を外れて少し下ったところに大蛇嵓を間近に望める地点があり、しばし大台ヶ原の雄大な展望を楽しむ。又剱山からは最上部しか見えなかった西の滝も間近に望める。大蛇嵓にいる人が見えるというが、ぼくの眼ではちょっと厳しかった。
木洩れ日(1320m峰付近にて).jpg
〔木洩れ日(1320m峰付近にて)〕

大台ヶ原大蛇嵓(縦走路脇の展望スポットから).jpg
〔大台ヶ原大蛇嵓(縦走路脇の展望スポットから)〕
再び縦走路に戻って、笙の峰(行)山へと縦走路を辿る。大台方面の逆峠への沢道をわたって暫くで笙の峰山に着く。途中原生林が多く、大木のヒノキやヒメシャラの林など、これまであまりお目にかかったことのない風景を行く。振り返れば、又剱山からの縦走路のアップダウンが手に取るように見える。時折、南奥駈方面が望める地点もあり、カメラが離せない。
原生林をゆく(逆峠への道との合流点付近).jpg
〔原生林をゆく(逆峠への道との合流点付近)〕

南奥駈方面遠望(笙の峰山の手前から).jpg
〔南奥駈方面遠望(笙の峰山の手前から)〕

又剣山からの縦走路を振り返る(笙の峰山の手前から).jpg
〔又剱山からの縦走路を振り返る(笙の峰山の手前から)〕
笙の峰山は展望は得られなかったものの、しばし縦走路を展望に恵まれつつ辿ってきた充足感に浸ることができる。ここからは比較的緩やかだがひたすら下って未舗装の林道の終点に出ることになるが、きついのはむしろここからで、林道を縫うようにしながら旧道をジクザグにただひたすら下る。周囲はスギの植林で景色はあまり面白みはない。しかし、敢えて伐採せずに残しておいたというトチの大木に出くわしたりする。トチは森の生き物だけでなく人にも恵みをもたらす木なのである。導標の示す時間よりは随分短かったが、それでもいい加減下りに飽きてきた頃に、眼下に小処温泉の建物が見えてきた。最後はあっけなく温泉に到着した。
小処温泉も数年前の台風の豪雨で大きな被害を受け、昨年復旧したばかりであるという。シンプルだがこざっぱりとしてきれいな山の秘湯である。室内には豪快な湯滝もあり(浴槽の中に石の椅子があり、そこに座って胸まで温泉に浸かりながら滝を受けるようになっている。2セットある)。露天風呂もあり、ゆっくりと温泉に浸かって1日の、いや日頃の疲れを癒やす。温泉以外にもこぎれいな食堂設備があって、なかなか充実している。帰途特に支障もなく、19時50分に橿原神宮前着。無事帰途に就く。

          §           §           §

熊が出るから又剱山から丸塚山方面へは一人では行かないようにという話も聞いたことがある。確かに今回もクマの痕跡があると教えてもらったし、カモシカも多いのだという。休憩地点のすぐそばにマムシもいたらしい。手軽に楽しめる展望とは裏腹に、山はやはり深いのである。もう少し秋が深まれば紅葉がすばらしいことだろう。ただ、その頃ならば最後の下りが日没との競争になる覚悟が必要かも知れない。
タグ:奈良 季節
posted by あきちゃん at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2014年09月10日

カンタータの森と初めてのレオンハルト

バッハのカンタータの森に分け入り始めてからもう随分になる。CDはぼちぼち買ってはいるけれども、なかなかレパートリーは広がらない。じっくり聴く時間が取れないのが一番痛い。ましてや教会暦に従って順番になどというのはほど遠い。教会暦の方がどんどん先に行ってしまい、季節外れの曲を聴くことになってしまう。そこでまあ、こちらは腹を括ってマイペースで少しずつレパートリーに加えていけばいい、第一年巻300年を迎える9年後までに間に合えばいいかと思って諦めることにした。
最近聴いているCDの一つに、レオンハルトが晩年に全集とは別に録音した、BWV27・34・41を入れたノラさんご推薦の1枚がある。グスタフ・レオンハルトという人を聴くのはこれが初めてだった。古楽演奏の旗手だった人だが、このCDを聴く限り全く違和感は感じなかった。
レオンハルトのバッハ・カンタータ集BWV27・34・41(SK68265)のジャケット.jpg
〔レオンハルトのバッハ・カンタータ集BWV27・34・41(SK68265)のジャケット〕

今から30年以上前に、マルコム・ビルソンという人がモーツァルトのピアノ・コンチェルトを古楽器で演奏したレコード(!)が話題になり、試しに聴いてみたことがある。しかし、まるでおもちゃのピアノのようなボロンボロンという音に、とても最後まで聴いていられなかった。ピアノの音への違和感はピリオド奏法への違和感となって、古楽演奏なるものをぼくはこれまでほとんど受け付けてこなかった。
10年くらいに前になるだろうか、レコード時代に聴いたモーツァルトのK.275の小ミサ曲を聴きたくなって、他に適当なCDがないため仕方なくアルノンクールの指揮した1枚を買ったことがある。やはりダメだった。昔聴いたのはヘルベルト・ケーゲルが振ったもので、その後フィリップスのモーツァルト全集にも入った演奏である。合唱指揮者としてのケーゲルの職人技が光る優れた演奏で、その後に著名になる過激というか特異というか、そういう演奏する人と同一人だとはすぐには結び付かなかったくらいだ。それはともかく、アクセントだけで、クレッシェンド、デクレッシェンドのない演奏にはついて行けなかったのである。
そんなであるから、レオンハルトのバッハを聴くのにはちょっと不安もあった。しかし、幸いなるかなそれは杞憂に終わったのである。ノラさんも書いていられるように、一種突き抜けた演奏、まさに天上の音楽である。モーツァルトの500番台後半以降に顕著になるあの響きである。はたしてこれがレオンハルトのものなのか、バッハのものなのかはぼくにはよくわからないけれど、両者のブレンドというのがよいのかも知れない。ピリオド奏法もそれほど気にならない。あるいはそこはモーツァルトではなくてバッハであるからかも知れない。
調べているうちにわかったことだが、ぼくが古楽を嫌うようになった契機となっらビルソンの演奏のオケを振っていたのは、実にあのガーディナーなのだった。これには参ってしまった。ガーディナーという人のカンタータ以外の演奏を知らないので何ともコメントできないのだが、ぼく自身まだ若かったということなのだろうか。
ところでバッハのカンタータについては、無償で旧版全集の楽譜をPDFとしてダウンロードできるので、時間さえあれば(そこが一番問題なのだけれど)手軽に楽譜を見ながら聴くことができる。まだそれほど聴き込んだわけではないけれど、聴いていて思うのは、これだけのシンプルな楽譜からこんなにも壮麗が音楽が生まれるのだろうかという感嘆である。きちんと楽譜も読めない素人だから仕方ないのかも知れないが、バッハの楽譜を見ていても、耳から聴くあの音の世界が容易には再現できないのである。端的に言って、楽譜の見栄えと実際の曲の響きが結び付かない。
これがモーツァルトだと、例えば2台のピアノのためのピアノ・コンチェルトを楽譜と首っ引きになって聴いたことがあるが、楽譜から受けるイメージに近い曲が流れ出したものだった。ところがバッハだと楽譜を見ただけでは思いもよらないような音響空間が立ち上がるのである。順序は逆で、CDで聴き慣れている壮大な音楽が、こんなにシンプルな音たちによって組み立てられていると言うことが俄には信じられないのである。あるいは単旋律を主体とする音楽と複旋律の曲との違いなのかも知れないが、それにしてもこの違いはいったい何なのだろうか。
楽譜を見ながら聴くと、思わぬところにCDでは聴き取れなかった音や楽器があるのに気付いて驚くがことが多いものだが、それでも実際に聴く音と楽譜のイメージとはまだ結び付いている。ところが複旋律の音楽の場合は、楽譜だけ見ていたのではなかなか音全体をイメージすることが難しい。音符の音型だけでは見出すのが難しい旋律が隠れていたりもする。実際に聴いてみないとその楽譜で鳴る音楽の全体像がイメージしにくいのである。その分だけ楽譜を見たときに、実際に聴いていた音との齟齬が新鮮な驚きとなって感動をもたらす。音楽を聴いて感動し、楽譜を見て再度感動するのである。本来は楽譜を見ただけで旋律が浮かび上がってくるべきなのだろうが、そこは文字通り聴く耳をもたない素人の身には豚に真珠もいいところなのである。しかし、そうであるからこそ二重に感動できるのだから、むしろ感謝しなくてはならないだろう。そうなると、旋律を明瞭に対比させる演奏をしてくれないと辛い。音型だけ辿っていたのではわかりにくい和音の中に隠れている旋律の場合はなおさらである。くどくど書いたけれども、要するにバッハのカンタータを楽譜を見ながら聴いていると、楽譜と音楽のフィードバックのたびに新しい発見があって面白いのである。
1723-24年シーズンの第1年巻カンタータ誕生300年まであと9年。平均寿命から考えても生きている可能性が高いとは思うけれども、確実に定年は過ぎている。10年後だろうが20年後だろうが余程のことがない限り何をしているかが確言できた年齢はとっくに過ぎ去り、先が見えなくなる時間がだんだん近づいてきている。まあ、定年後の持て余す時間をバッハのカンタータを聴いて過ごすことができるなら、これほどの贅沢はないだろうけどね。
posted by あきちゃん at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする