2014年12月31日

年末の腰痛とガーディナーのカンタータ全集

年末年始の休みに入り、待望の朝寝坊を決め込むことにした。ところが、貧乏性というかなんというか、今度は寝過ぎたせいで持病の腰をおかしくしてしまった。寝坊をして、そろそろ起きようかと思ったところ、素直に身体が動かない。若い頃から寝過ぎると腰に来て、もう寝ていられなくなることがよくあって、ちょうどそんな感じである。あれ、とは思ったものの、この時はどうということもなく起き上がり、普通の生活活動に入った。なのに日中活動するうちに徐々に痛みが加わってきて、夕方には歩くのもやっとという悲惨な状態になってしまった。
腰をおかしくするときは、ヒョンなことがきっかけになる場合が多い。いわゆるギックリ腰なのだと思うけれど、グキッとやってしまうほどのことは滅多になく、顔を洗っていてとか、くしゃみをしたときとかの、ちょっとした違和感を契機とすることがほとんどである。それでもなにかしらの痛みの初動はあるものである。
しかし、今回ばかりは気が付いたらおかしくなっていたとしかいいようがなかった。朝起きるときも格別の違和感があったわけではない。単なる寝過ぎの腰痛だろうと思っていた。考えられるとすれば、普段は仰向けに寝ることが多いのだが、この時は前の晩疲れもあってか、右横を向き、しかもかなり丸くなって寝入ったような記憶がある。どうもこの姿勢がよくなかったらしい。もう一つ関係があるとすれば、そうして床に就く前に、数時間机に向かって椅子でイカのようになって居眠りをしていたことである。この姿勢は腰にいいわけがない。
腰痛の原因はこれでだいたい見当が付いた。しかし、それがわかったところで痛みがとれるわけではない。こんな症状が出たときには整骨院に数日通うしかないのだが、年末でそれも無理。さて困ってしまった。寝ているのがしんどいのが腰痛である。横になっても縦になってもダメなのである。どうやって正月を過ごしたものだろうか。
困り果てたときふと思い出したことがある。風邪で診察に訪れたとき、I女史に腰も少しおかしいと話をしたら、疲れてるようですねと足を引っ張ってくれたことがある。背骨を伸ばしてこれで随分楽になるはずですよとおっしゃる。そんなあ、とは思ったものの、これが意外や意外、などいったI女史に失礼極まりないけれども、これが本当によく効いたのを思い出したのである。もしも丸まって寝たのが原因なら、仰向けにまっすぐ寝て背骨を伸ばしていたら恢復するのではないか。
しかし、この仰向けに寝るまでが大変だった。そう簡単ではないものの、一旦横向きに寝てから仰向けに膝を立てて横になることはできるのである。そこから膝を伸ばすのが辛いことこの上ない。しかし、やっとのことで背骨をぺたりと布団に付けた状態で仰向けの姿勢になると、これが思いのほか楽なことに気が付いた。腕を頭の上に上げ、エイとばかりに爪先を伸ばす。身体がギシギシいうのがわかる。それまで身体が不自然に縮こまっていたのがよくわかる。これを何度か繰り返して暫く休んでいる。これを何回か繰り返すうちに、僅かずつだが痛みが取れていくように思えた。
昨晩はゆっくりと風呂に入り、同じようにのびを何回かして、横に向かないように慎重に眠りについた。よくは覚えていないが寝付きのよくない夢を随分見たように思う。しかし、腰そのものは今朝は随分と楽になったような気がした。昨日は車の運転をすると、運転の姿勢のままで身体が固まってしまい、腰を伸ばすのに難渋したが、今日は車から降りた後が楽だった。まだ本調子とはいえないものの、犬たちの散歩も何とか無事こなせた。犬たちには変に歩く速度が遅いのを不審に覆われたようだが、いい意味でリハビリの一環となったようだ。
こうしてなんとかたいした傷みもなく年を越せるところまではきたようだ。一時はどうなることかと思ったが、寝正月ならずにすんでホッとしている。一方、腰の痛みを押して、年賀状書きも終えることができた。今年も年内に書き終えられたのだから、ぼくとしてはまあ優秀な方である。文章はプリンタで印刷するけれども、宛名は手書きし、必ず何かしら一言手書きで添える。今年も何とかこの原則を貫くことができた。
片付けは全くの手つかず。とても年を越す準備万端とはいいがたいけれど、犬と留守番をして過ごす年末年始としては上出来な方である。しかも今年は長女が正月家に戻ってきてくれた。ありがたいことである。犬をまじえて夕食を取りひとやすみ。未明から冬型が強まって荒れた元旦になりそうだが、年の瀬は優雅な気分で迎えることができ何よりだ。

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年賀状を書きながら聴いていたのが、ガーディナーのカンタータ全集である。これまで単発的に何巻か揃えてはきていた。ヘンスラーから出ているリリングの全集は入手したので、全集はまあいいかと思っていた。しかし、何巻か聴きたい曲の入っている巻を註文しているのに一向に届く気配がない。そのうち在庫が結構あった1年前に出たばかりの全集がどうも先行きがあやしくなってきた。巻ごとにダウンロードはできるけれども、これで全巻揃えたらとんでもない額になる。しかも、芸術品といってよい装幀を知ってしまっているので、ダウンロードは全く味気ないし、全集もまさかこの凝った装幀のまま詰め込むわけはないので、味気ないセットなのだろうなと躊躇する気持ちが先に立つ。しかし、やはり今を逃したら入手できなくなるだろう。その時に後悔することを思うと、これは決断するしかない。
同じような悩みを若い頃味わったことがある。ディスク・ジャンジャンから出ていた朝比奈隆のブルックナーの全集である。LP10数枚組で当時35,000円だった。それを思えばまさに隔世の感がある。昔なら、カンタータの全曲を聴くことなど夢のような話だっただろう。ところが今や56枚組で25,000円程、1枚あたり450円程度で入手できるのである(リリングの全集は世俗カンタータも全部入っていて安価である)。教会暦に従って約1年で世界各地を飛び回って録音したこのガーディナーの全集がこの値段で入手できるというのは本当に申し訳ないくらいである。
年末ぎりぎり近くの昨日届いた箱を開けて感嘆した。ボックスセットであるから、正直言って装幀はあまり期待していなかったのだが、56枚のCDの袋一つずつに単発の巻のジャケットに用いられたあの世界中の人々の印象的な顔が印刷されているではないか(つくりそのものは簡素だが、袋と同大の紙を折り込んで蓋の役割を果たすようになっていて、その外側にこの写真とタイトルが印刷されている)。さらに各巻は基本2枚組だったから、写真も2枚ずつ同じものかと思いきや、見慣れた写真と並んで、新しい写真が各CDの袋を飾っているではないか。いやはや、簡素を旨とする中でさえ、でき得る限りの凝った装幀を貫徹させるその姿勢にはうならされてしまった。ボックスセットだからといって、一切の手抜きはないのである。演奏は推して知るべし、悪かろうはずがない。単発のCDは3巻6枚しか持っていないので、まだ云々できないけれども、いい意味でのテンションの高さは数枚だけ聴いた曲の聴き比べだけでも明らかだ。まさに宝の山のカンタータの中に一生の宝を得た思いである。
いよいよ年越しである。2015年がよき1年でありますように!
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2014年12月28日

2014年の振り返りと最近お気に入りのカンタータ

今年は仕事納めが例年より2日も早く、まだクリスマスだというのに2014年を振り返ってしまう気分になってしまった。2014年を迎えたとき、今年は2月以降忙しくなることがわかっていたので、ともかく何か形を残そうと1月を比較的計画的に使いはしたものの、案の定2月以降は大波に飲み込まれてしまったような感じで、気が付いたらもう年の瀬に打ち上げられていた、そんな感じの1年だった。
年を重ねるとともに時の経過が早くなるのを実感していたけれど、今年はそれだけでは説明できないような1年であった。けっして漫然と過ごしたつもりはないのに、なにか成果を残せたかというと、誇るべきものが何もない。空虚な時間を過ごした印象もなく、充実感はそこそこあるのに、気が付いたら1年が過ぎようとしている。言ってみれば、いつのまにか脱水機の中でぐるぐる回っていたような1年とでも言おうか。今、正月休みによって強制的に電源が切れ、パッと放り出されてしまった感がある。
最近の睡眠は合計で4時間半というのが日常化している。それも最初の1時間半は居眠り状態、暫くおいて、横になって3時間という細切れ状態である。前半が3時間になって合計6時間になることもあったけれども、眠った充実感はさほど増えない替わりに、これを続けるとやるべき仕事が果たせなくなってしまう。まとめて眠れるのは週末のうち家にいられるときだけで、時にはこれがひと月近く続いたこともあった。6時起床ではやはり23時に眠くなるのは生物にとって自然なことなのかも知れない。
10年前にはこの前半の居眠り睡眠を省略することが不可能ではなかった。時間を作り出そうとするなら睡眠を削るのがもっとも手っ取り早い手段だった。ところが最近はこの手が効かなくあがき続けているというのが正確な状況判断なのであろう。結局リセットする時間がないままずるずるとだらしない生活を続けてしまっているというのが現実である。客観的に考えてもこんな生活が身体に良いわけがない。そのうちに身体的に破綻を来すに違いないと危惧しつつも、根本的な解決を見出せないまま過ごしてしまったというのが、恥ずかしながら2014年の総括ということになろう。

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今年の最大の収穫はバッハのカンタータにめぐりあったことだろう。40年もクラシックを聴いていながら、バッハは敬して遠避けるという感じで、これまでマタイ受難曲やロ短調ミサを聴きかじったり、リヒターの平均律を聴き込んだりはしたものの、けっして積極的に聴こうとはしなかった。むしろ義務感から聴いたといった方がよいかも知れない。モーツァルトのコンチェルトは聴くくせに、ブランデンブルク協奏曲にはあまりなじめなかった。何か古めかしいもの、宗教がかったものという先入観を越えられなかったのである。だから、マーラー、リヒャルト・シュトラウスに傾倒したり、ブルックナーの音楽にのめりこんだりすることはあっても、またハイドンのオラトリオに心を奪われることはあっても、バッハを聴き込んでみようという思いを抱くことはついぞなかったものだった。ハイドンから後期ロマン派まで逍遙する中で行き着いたのはモーツァルトであって、もうあとは何もいらない、そんな気にさえなっていたものである。
それがどういうきっかけであったのか自分でもよくわからないけれど、バッハの音楽に向かい合ってみようと思うようになった。何がどうとうまく説明できないのだけれど、リヒテルの平均律に再会したこととともに、今思うと三浦綾子さんの小説との出会いが大きかったように思う。誤解のないように言っておくと、それはバッハの音楽の宗教性に引かれて、というわけではない。むしろ逆にその宗教性と思い込んでいたものに対するいわれのないアレルギーがすっかり解消した結果なのである。
バッハの音楽のバックボーンとなっているキリスト教に対する理解が深まった結果、その音楽のもっている普遍性を見出す道が開けたというべきなのかも知れない。これまでマタイ受難曲やロ短調ミサに感動することはあっても、それは冒頭の悲壮な大合唱に心打たれたからであって、ちょっとだけ感傷的な気分に浸れるからであったように思う。だから、自分自身が落ち込んでいるときにはそうした曲を受け入れることはできなかったし、ブランデンブルク協奏曲の明るい調べを聴くと、トランペットの華やかな響きがかえって鼻についてしまい、脳天気な音楽以上には響いてこなかったのだった。
しかし、バッハの音楽の神髄はむしろそうした特別な短調の曲にあるのではなく、なにげない長調の曲にこそ潜んでいることが見えてくるようになると、ぼくにとってバッハの世界は一変することになる。それまで音楽の全てがあると思ってきたモーツァルトの世界が、既にバッハの音楽の中にこんこんと湧き出しているのを発見したのである。そこには本当に汲めども尽きぬ世界が展開していた。モ-ツァルトのケッヘル番号400番台以降、いやあの清澄な550番台以降600番台に至る晩年の澄んだ音が、普遍的に存在していたのである。
いったいぼくはこれまで何を見ていたのだろうか。何も聴いてこなかったに等しいのではないか。頭をガツンと殴られたような衝撃を味わうとともに、早世したモーツァルトには期待できない程の広大な世界が残されていることを知って歓喜したのであった。それはぼくに残された人生をかけて聴いていったとしても聴ききれないかも知れない程の遙かな広がりをもっていた。
初めはなぜもっと早くにこの世界に気付かなかったのかと悔いもした。しかし、その後聴き込むうちに、そうではないと思えるようになってきた。この年になってからこの世界の存在を知って逆によかったのかも知れない。この年になったからこそ知り得た世界なのかも知れない。素直にそう喜ぶことができるようになったのである。
そう思えるようになったとき、バッハの世界の前にすっかり色あせてしまった感のあったモーツァルトの世界が不思議なことに再び輝き初めたではないか。あの大好きだったピアノコンチェルトの世界がぼくに再び甦ってきたのであった。
ところで、バッハの音楽を理解するのにキリスト教への信仰が必要かどうかということが話題になることがある。信仰なしに理解できるかという命題である。これについて川端純四郎さんは『J.S.バッハ─時代を超えたカントール─』においてマタイ受難曲を話題にする中で、信仰を前提にして聴くことはできず、信仰の有無にかかわらず同じ立場で聴いているのだといっていられる。なるほどと思うとともに、このことを突き詰めていくと、バッハの音楽の普遍性とともに、それは結局キリスト教そのもののもつ普遍性というその本質に行き着くのではないかと思えてくるのである。

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まだカンタータを聴き出して日も浅く、聴いた曲も限られている。対訳を見ているわけでもなく教会暦におけるその意味とは無関係に聴いている過ぎない。先達に導かれながらほとんど手当たり次第といってよいけれども、それはほとんど遅々とした歩みである。
その中でのお気に入りは、どれもこれも新鮮な驚きに満ちた曲ばかりなので選ぶのに困る程だが、すでにいくつか紹介した曲以外では、BWV66、BWV62、BWV117などといったところ。
BWV66はもともと世俗カンタータだった曲のパロディーとされる曲。そのせいか明るい曲調がかえって心にしみいる。以前のぼくならけっして好きになれなかった曲だと思うが、勇気を湧き起こしてくれる曲である。ことに冒頭の第1曲のしっとりとした躍動感は何物にも代えがたい。聖トマス教会のカント-ルだったハンス・ヨアヒム・ロッチュの演奏で聴いた。ヘルムート・リリングの演奏もよかったけれど、ロッチュの演奏のすばらしさは少年合唱を使っているところで、多分聖トマス教会の少年合唱団なのであろう、少年合唱が音楽にこの上ない透明感を与えてくれている。但し、これは春のカンタータでちょっと季節外れではある。なお、この曲はiTunes Storeで購入した。恥ずかしながらCDがこれほど全盛なのは日本だけの特徴なのだと知って今更のように驚いた。形が残らないことに不安はないわけではなかったけれど、すごいことができる時代になったものである。
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〔ハンス・ヨアヒム・ロッチュ:復活祭カンタータ集〕
BWV62はコラールを主題にしたいわゆるコラールカンタータである。音楽のつくりは厳格なのだが、弦のさざめきの上にけっして声高にならず控えめに重ねられていくコラールの響きが美しい。これはアドヴェント用のカンタータでまさに今の季節のもの。これはフィリップ・ヘレヴェッヘの演奏で聴いた。透明に澄んだ響きが美しい。最初にヘレヴェッヘの演奏で聴いたとき、どこかで聴いた曲だが、と思った。同じ曲を別の誰かの指揮で聞いたのだったかと思い探したけれど見つからない。似た曲想の曲があるのか、コラールが共通だからなのだか、未だに解決できずにいる。
BWV117はつい最近聴いたばかりの曲。第1曲の合唱と明るい曲想で颯爽と駆け抜けていく曲なのだけれど、どことなく悲しい。長調の曲だから明るいとは限らない。終曲では再びこれが繰り返される。リリングの演奏は終曲を第1曲よりも一層の快速で駆け抜け、曲を印象づけてくれる。アルトのアリアで、前のメロディーが終わらないうちに伴奏のオルガンが先行していくところはものすごく新鮮。いったいどこから響いてくるのかと耳を疑ってしまう程だった。なお、この曲はテキスト・カンタータで、使用目的のわからないカンタータの一つ。季節感がない分、普遍性に富む曲想と言えるのかも知れない。
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2014年12月14日

エスカレータの関西流の乗り方

エスカレータに乗る際に左右どちら側を空けて乗るか、などということが言われるようになったのは、ぼくが関西に来たよりもあとのことだったように思う。関西は左側を空け、関東は右側を空けるという原則があるらしい。これをよく考えて乗らないと、歩きたくないのに歩いて上らされる羽目になったり、逆に急ぐときに身動きが取れなくなったりする。ぼく自身のことをいうなら、どちら側に立つか身体が覚え込んでいるわけではなく、考えてからでないとエスカレータに乗れない。片側を空けて乗るのが習慣になっていないのである。
困ったことに同じ関西でも微妙に違う。それに最初に気付いたのは、山科駅の京都の市営地下鉄のエスカレータであった。ここはかなり深くて結構乗りでがあり、あまり駈け上がる人は見かけないのだが、乗っている人はみな左側に立っている。あれ、ここはいったいどこだったっけ、と思ってしまった。
それで他の場所でも注意して乗るようにしていると、どうも関西でも京都は関東流に右側を空けるらしい。大阪はやはり関西流に左側を空ける。もちろん奈良は左側である。なぜ同じ関西なのに京都だけは関東流なのだろう。京都駅だけなら新幹線を通じた関東の影響ということもあり得るかも知れない。でも山科駅までそれが波及するのかどうか。ぼくが乗ったとき偶々だったのかと思ってもみたが、これまで一度として左側が空いている例外にお目にかかったことはない。

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今から四半世紀前の東京はどうだったのだろうか。昔のことはよく覚えていないけれど、どちら側に立つか身体がなかなか覚えられないというのは、運動神経の鈍さもさることながら、やはりぼくが若かった頃にはそういう習慣がなかったということなのだろう。そしてもう一つ確実にいえるのは、今のようにあちこち、ことに鉄道の駅にはエスカレータがなかったということだ。
若い人にいうと笑われそうだけれど、ぼくらの世代がエスカレータがある場所といって真っ先に思い起こすのはデパートだろう。デパートならば、家族連れが会話を交わしながらゆったりと上って行くことはあっても、片側をすり抜けて駈け上がっていく光景はちょっと想像しにくい。だからそもそも片側を空けて乗るなどという発想そのものがなかったのかも知れない。
駅ではそんなことは言っていられない。一刻も早くと先へ先へ急ぐには、エスカレータに立ち止まってなどいられない。自然と片側を空ける習慣ができあがっていったものらしい。平日の空いたデパートのエスカレータでも左側を歩いている自分を思い起こすので、駅での習慣がデパートにも波及してきているということなのだろう。混雑する週末のデパートではどうなのだろう。ゆったりとエスカレータで運ばれていく心のゆとりがもはやなくなってきているのだろうか。

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なにも動いているものに乗るときに歩かなくても、という気がしないわけではない。もっとゆったりと身構える気持ちの余裕がほしいとは思う。デパートでならばまだ立ち止まって乗る自制はできる。しかし、混雑する通勤時間帯の駅でいつも立ち止まっていられる自信はぼくにはない(関空の動く歩道でも気が付くと歩いている)。
そのあたりの気持ちは多分だれしも共通のものだから、暗黙の了解のようなものができあがってきたのだろう。歩いて上ってくる人には道を空けてあげるし、逆に自分が空いているべき側を歩いて上るときには自然と反対側に寄って道を空けてくれる、気付かない人でも一言すみませんとこちらから声をかければ気持ちよく空けてくれるそうした阿吽の呼吸ができあがっているのである。それはそれで美しいと思う。

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しかし、そこはまた関西である。先日のこと、駅で左側を歩いて上ろうとした。すると、前方におばちゃん連れが左右に並んでいる。左側の方のご主人と思しき方が一段下の右側にいらっしゃる。上って行くぼくに気付いたご主人が、左前の奥さんに道を空けるよう声をかけてくださった。すみませんと言って通り抜けるのが常なのだが、この日に限ってそうはならなかった。あろうことか件のおばちゃん、ご主人を無視して、フンとばかりに(何かその他にも一言二言あったような気がするが、ぼくには関西弁が聞き取れなかった。多分聞き取らなくて幸いな言葉が発せられていたに違いない)わざと道を塞ぐのである。ぼくは二進も三進もいかなくなってしまった。
こうなればこちらも意地である。急ぎますのですみません、とぼくは強引に夫婦の間に割り込んで、エスカレータを駆け上ったのである。今にして思えば、ぼくは完全にこのおばちゃんの術中にはまってしまった感がある。完敗である。
ちょっと意地悪の一つや二つしてみたくなるおばちゃんの気持ちはぼくにもよくわかる。でも、ここまでできるというのは、やはり関西のおばちゃんは天晴れとしかいいようがない。対してぼくは、全く大人げがない。ぼくはホームに上がった後、隠れるように先頭車両まで歩いて乗らざるを得なかった。自戒を込めて書き記している次第なのだけれど、数日経ってみて思うのは、妙にさっぱりとした後味である。正直言って何か吹っ切れた思いがするのはどうしてだろうか。
タグ:日常
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2014年12月13日

『ひつじが丘』再読

遅かった季節の歩みが、ここへ来て一気に加速した。真冬並みの寒波が波状的にやって来ており、来週にかけて再び寒波の襲来が予想されている。春日若宮のおんまつりの頃は厳しい寒さに見舞われることが多いもので、今年も例外ではなさそうだ。
この間の12月16日は、良弁忌に合わせた秘仏開扉の日で、三月堂の執金剛神を拝観できる唯一の日である。今から30年近く前、おんまつりに合わせて奈良を訪れた折、秘仏開扉の日の二月堂で雪に見舞われたことがある。それまで見はるかせた景色が一瞬のうちに灰色にかき消され、気付くと白いものが舞い始めていた。ものの30分もなかったと思うが、視界が効くようになって明るくなってきたと思ったら、2㎝くらいは積もっていただろうか、そこには思いもかけぬ雪景色が展開していたのだった。小さな雪雲が一つ通過しただけなのだけれど、それでもこれだけの雪を降らせるのである。なんだか狐につままれたような思いを味わったものだった。

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以前にも紹介したことのある三浦綾子さんの『ひつじが丘』を再読した。以前にも紹介したことがあるが、深く感動した。それにしても人間どうしの心とは、どうしてこうもすれ違ってしまうものなのだろうか。わかっていながら相手も気持ちを素直に受け入れられない、読んでいて歯がゆいばかりだが、これが人間の性ともいうべきものなのだろう。それを三浦さんは心憎いまでに描ききる。
良一のもとを去る決心をした奈緒実は、父耕介の言葉を思い出しながら、もう一度自分が選んだ良一を愛しぬいてみようと思い直す。ゆるすこと、与えることにこそ愛の本当の意味があると気付いたとき、その人をめぐる人々の心の歯車はゆっくりと動き始めるのである。しかし、そこにはさまざまな紆余曲折が待ち受けている。いっぺんには噛み合わないのが人間どうしの心の歯車なのである。その機微はまことに計り知れない。
今年こそ桜を見に行きたいと思っていた奈緒実は、良一の遠出の提案を素直に受け入れる。その優しさは明日のためにズボンにアイロンをかけておこうという気持ちを呼び起こすけれども、それがかえってポケットから川井輝子の手紙を見つけ出す結果を導いてしまう。それをもゆるすほどには奈緒実の気持ちはまだ昇華し切れていないのである。
話はここから急速に回転を始める。誤解が誤解を生んで、最後は良一の死という予期せぬ結果を生んでしまうのであるが、良一はしかしこの小説の登場人物の中では最初に最も立派な信仰告白をして神のもとに旅立ったともいえる。そしてそれは竹山に京子との結婚を最終的に決断させることになる。竹山にも京子にも、そして奈緒実にも、輝子にもこの先さまざまな人生の困難が待ち受けていることであろう。しかし、良一の悔い改めの可能性を描くことによって、そこには大きな明るい希望の灯が点されているのである。
奈緒実の父耕介と母愛子にも、容易ならざる過去があった。しかし、愛子のゆるしによって耕介は救われ、牧師への道を歩むことになった。竹山と奈緒実が結ばれることを願って身を引こうと決意して牧師館を抜け出そうとした良一を懇々と諭す耕介は、愛子のゆるしによって今ある自分の過去を語り始める。再読であったにもかかわらず、このストーリー展開には頭をぶちのめされる思いであった。
良一の昇天からクライマックスのひつじが丘の場面への展開には読むたびにうならされる。時計の針をずっと先に進めてから主人公たちの回想でストーリーを展開させる手法は三浦さんの得意とするところだが、それがこれほど効果的に用いられているところを、ぼくはここを措いて他に知らない。迷える小羊たちの群れの物語の終結にふさわしく、深い感動を誘われる。

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今日は父の命日。母から寒くて墓参りはもう少し暖かくなってからにするとのメールをもらい、初めてそれに気付く始末で、父には申し訳ない限りであった。言い訳になるけれど、ここのところ日付よりも曜日で動いているのが最大の要因のように思う。曜日は順調の意識の中で動いていっているのに(というよりは、どんどん進んでいく曜日に付いていくのが精一杯、というのが正直なところ)、日付が連動していないのである。昨日も11日だと思い込んで日にちを間違えて書いてしまったことに気付いた記憶がある。
もっともそれなら、少なくとも昨日が12日であることを認識していた瞬間はあるわけだから、少し考えたら13日に気付きそうなものだし、この間も来年の7回忌の日取りのことなどを話していたというのに、今年のことを忘れているのだから、困りものである。父があちらで苦笑していそうだ。内容は覚えていないが、生前ついぞなかったほどに父といろいろ話をした夢をみたばかりだというのに……。
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2014年12月01日

近くて遠い土地

この年になるまで一度も足を踏み入れたことがない県が3つあった。徳島県、鹿児島県、宮崎県である。今年はこのうちの一つ、鹿児島県を訪れる機会があった。
鹿児島といえば、東京からだと鹿児島本線回りのはやぶさ、日豊本線回りの富士といういずれも西鹿児島行きの夜行寝台特急があった。あさかぜ、さくら、みずほなどの九州方面行きのブルー・トレインの中でも最も長距離を走る列車で、それらの終点西鹿児島には、ほとんど異境の響きさえあった。特に富士はほとんど24時間の旅である。時刻表を見ているだけでもワクワクしてきたものだった。

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初めて九州に行ったのは中学に入ってからの1970年代の初めで、その頃はまだ新幹線は岡山までではなかったかと思う。京都・大阪や、岡山始発の寝台特急もいろいろあって、月光とか明星とか、なつかしい名まえを思い出す。
でもその時出かけたのは北九州だけで、長崎、熊本、阿蘇、別府、臼杵、小倉などを回り、鹿児島・宮崎には行かずじまいだった。沖縄には、就職してから出張で出かけ、個人的には西表島にも行ったけれど、南九州を訪れる機会はなかなかやってこなかった。
その頃はほかにも空白地域があって、なかでも四国、北陸、それに北海道には縁がなかった。このうち北陸は、福井、新潟、石川と少しずつ空白が埋まり、数年前の高岡行きで一応全ての県に足跡を残すことになった。また、北海道には21世紀に入る直前に千歳に飛んでニセコアンヌプリにスキーに出かける機会があった。一方、四国は未だに徳島は通過したことすらないけれども、高知には15年程前に飛行機で出かけ、愛媛は昨年松山に列車で行き、空白を埋めることができた。お蔭で香川も一応通過することだけはできた。それに対し、南九州にはなかなか出かける機会がなく、一生縁がないかもと諦めかけていた。それが今年、偶然にも鹿児島だけだけれども訪れる機会をいただいたのだった。

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いつのまにやら新幹線が鹿児島までつながっていて、鹿児島中央と名を改めたかつての西鹿児島にトンネルを出てすぐ西から突き当たる形になって線路が終わる。東京から寝台列車でほぼ1日かけて行く距離だった鹿児島は、今では関西からだと新幹線で5時間かからないで到達できるのである。本当に隔世の感がある。でも九州新幹線はトンネルばかりで乗っていてあまり面白味はない。新幹線は西に行けば行く程面白くなくなる。
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〔新幹線の線路の西の果て(鹿児島中央駅)〕

鹿児島着は夜遅くで、翌日も午前中は川内に出かけたりしていたので、桜島を見たのはその日の夕方になってからだった。海の向こうにあっけらかんと聳える桜島が煙を吐いている。想像はしていたけれども、こんなに目の前に火山があるとは思ってもみなかった。見ているうちにも噴煙を上げるのである。あ、今噴火しました、と、こともなげに言われて、むしろ聞いているこちらの方が驚いてしまう。これでは何が起きても度胸が据わるだろう。少々のことが起きても驚くには値しないだろうし、正直言って人生観が変わりさえするだろうと、妙に納得したのだった。9月末の鹿児島は、彼岸花が咲いているというのに、まだ真夏に近い陽気で、一日結構汗をかいてしまった。
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〔海の向こうに聳える桜島〕

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〔噴煙を上げる桜島〕

それともう一つ驚いたことがある。鹿児島が整然とした都会だったことである。鹿児島から西鹿児島まで路面電車が走っているのが楽しかったが、その間、都会の町並みが途切れることがないのである。奈良では考えられないことである。鹿児島中央駅の上になぜか観覧車があるのは微笑ましかったが、日本の近代を牽引した人々を輩出した土地柄だけのことはあるなあ、という印象を受けた。

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昨年の愛媛県、今年の鹿児島県と立て続けに未踏の県を踏破(?)することができた。しょっちゅう通っているのに、県庁所在地に行ったことがなかった岐阜県岐阜市を訪れたのも今年初めてでだった。残る完全未踏の宮崎・徳島両県に足を踏み入れる日はさていつになるだろうか。また、通っただけで降りたことがない香川、福島のほか、県庁所在地を訪れたことがない県が僅かだがある。水戸(つくば)、富山(高岡)、和歌山(白浜)、広島(福山)、山口(下関)、佐賀(唐津)といったところで、意外なところが結構まだある(括弧内は訪れた場所)。行ったことがある県でも、県庁所在地しか知らない県もたくさんある。新潟、石川、岡山、愛媛、高知、長崎などである。
行ってみたい土地はたくさんあるけれど、それらも含めていったいいつになるのやら、はたまたそもそも訪問の機会があるものやら……。交通の便が良くなってどんどん近くなってきているのに、いつまでも遠い土地は結構多いものである。

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今年は例年になく秋が長かった。北海道のスキー場が雪が少なくて悲鳴を上げているというニュースを見た。でも身近なところでは、季節はほとんど例年と同じ歩みを見せている。庭のケヤキがほとんど葉を落とし今日日中で落葉掃除を終えたし、玄関先のもみじが12月の第一週に向けて紅葉した葉を落とし始めたのも例年並みだ。
しかしここへきてようやくまた季節が先に進みそうな気配がある。今降っている雨が上がると、師走の声とともに本格的な冬の到来となりそうだ。長期予報では暖冬気味ということだが、今年はどんな冬になるのだろうか。
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