2015年01月30日

最高に贅沢なラテが飲める空間

現代の建築にうならされることはそう多くない。奇抜であったり突飛であったりして目を奪われることはあっても、機能性や美しさに心を奪われることはまずない。たとえ建物として優れたものであったとしても、周囲との調和を欠く建物は、建築としての基本的な要件を満たしていないといってよい。建物は景観の一部を構成すべきものであると思う。
その点で言えば、昔の人は今よりももっと優れた感性をもっていた。景観に建物を合わせてはめ込むのではなく、景観を建物の側に引き寄せてしまおうと考えた。借景という考え方である。それは周囲が自然であるから成り立っていたということができるかも知れないけれど、周囲が建物であっても同じことであろう。建物どうしの調和を図る建物群としての考え方は大事だと思う。
とはいえ現実はそう簡単にいくわけがない。別の所有者がそれぞれの目的で建てる建物、それも同時ならばまだしも、時期を違えて建てるとなると、後から建つ建物は元からある建物に大きな制約を受けることになる。ましてや、時代が大きく違いしかもそれが文化財級のものであるなら、調和を図る以前に初めから敵対してしまいかねない。
さらに難しいのは、周囲との調和を図った上で、建物として最大限の機能性をもたせることだろう。単なる機能性の追求だけならば、周囲と隔絶した空間を作ればすむことである。しかし、それならその建物はどこにあってもよく、そこにある必然性はない。景観を取り込むことによって建物がそこに存在する意義が生まれ、かつ無限の広がりをもつようになるわけである。

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先日訪れた京都で、それをクリアした類い稀な建築に出会った。厳密にいうなら、その一部の空間に過ぎないけれども、これには大いに感動した。京都のへそともいわれる六角堂の西に接するスタバである。六角堂が見えるようになっているスタバがあると家内がいうので、それほど期待もせずに訪れたのだった。
そもそもぼくは六角堂が何かも知らない人間である。店自体は烏丸通りに面している。いったい六角堂はどこにあり、どうやってこの店からそれが見えるというのか、半信半疑で店に入って驚いた。正面のガラス越しに巨大なお堂が見えるではないか。まさに六角堂である。
まずは註文なのだけれども、それもそぞろに店内の様子を眺めてみる。六角堂に面したガラスに向き合う位置には一人がけの席がいくつかならんでいる。その手前には普通の二人用の向かい合って座れるテーブルが展開する。最初店員さんが入口に近い六角堂からは少し離れた席を確保してくれたが(註文前に席を確保してくれるのだけでもたいへんにありがたい。以前名古屋のスタバで経験したことがある。普通は註文すると席を確保しているかと尋ねられ、席の確保は客の責任という店も多いものである)、ちょうど運良く一人駆けのすぐ手前のテーブルが空き、家内とぼくはそこに代えてもらうことができた。
註文の品を受け取って、家内と向かい合ってすわると横手にその巨大なガラスが見える。店のスペースは2階までの吹き抜けのたいへん贅沢な空間になっていて、六角堂の全貌が望める。六角堂を借景にしてラテが飲めるスタバ、これには参ってしまった。
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〔スタバからガラス越しに見る六角堂〕

しかし、驚きはこれだけではなかった。六角堂の境内に出られようになっているではないか。しかも烏丸通りに面した店の入口まで戻らずに、座席の脇から店を抜けて吹き抜けの空間から六角堂に出られるのである。
ガラスのドアを押すと、そこは西国十八番札所六角堂頂法寺の境内だった。それこそドラえもんのどこでもドアから出たような不思議な感覚である。六角堂の正面までほんのわずか。表門もすぐそこである。振り返ればさっきまでいたスタバの入っているビルのガラスが見える。六角堂の境内は周囲をビルに囲まれてしまっているのだけれど、不思議に明るい。
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〔六角堂とウエスト18〕

多分このビル(西国十八番札所である六角堂に因んでウェスト18というのだそうである。まことに心憎い命名である)の建設の際には、六角堂への日照が奪われるなどの問題があったはずである。多分今のビルの前身のビルは確実にそうだったはずである。それをこのビルに建て替えるとき、心憎いばかりの共存が図られたのだろう。テナントにスタバが入る事が予め決まっていなければこんなことはできないだろうが、それにしてもこのビルを設計した人のセンスのよさには驚くべきものがある(後から知ったのだが、烏丸通り側からでもスタバ越しに六角堂が見えるのだそうである)。
さらにもう一つ工夫が施されていた。六角堂側に2基のエレベータが9階迄通じているのだけれど、そのうちに北側の1基はシースルーの展望エレベータになっていて、エレベータの中から六角堂が望めるのである。六角堂の表まで行ってからスタバに戻る際に貼り紙に気付いたのである。「エレベータから六角堂が見られます。但し展望台はありません。」これはもう上がらずにはおられまい。
もちろん、全面ガラス張りというわけではないから、途中遮るものもあるし、2基あるエレベータのうち展望エレベータが来るとは限らない。現にぼくは展望のない方に乗ってしまった。仕方なく9階まで行って展望エレベータで降りようと思ったのだが、乗ってきたエレベータがいつまでも9階に止まっていて、なかなか乗りたい方の展望エレベータが上がってこない。ようやく9階から降りる人がいて、ドアが閉まったのを見計らって下行きのボタンを押し、展望エレベータを呼ぶことができたという次第であった。後から考えれば、どこかの階でエレベータを止めればよかったのだが、一気に1階まで降りてしまったものだから、障害だらけでろくな写真が撮れなかった……。
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〔展望エレベータから六角堂を見下ろす〕

スタバに戻って暫くすると、六角堂側への出口に警備員さんがカギを掛けている。16時50分である。え、もう閉めてしまうの! 危ないところだった。ちょっと遅かったら締め出しを食らうところだった。もっともこれは理由のあることである。スタバを後にして烏丸通り側に出てから、家内と南に六角堂正面に回ったら、ギイッと扉が締まるところであった。六角堂は17時閉門だったのである。スタバからの通路をその10分前に閉めたというわけなのである。
六角堂の側から見ても、冷たいコンクリートの壁に囲まれているより、光を通すガラスに囲まれている方が開放感もあるだろう。でもやはり画期的なのは、六角堂を借景に取り込んでしまったスタバの方だろう。建物の真価は中に入ってみなければわからない。六角堂からスタバを見ただけならば、これほど心を揺さぶられただろうか。スタバから六角堂境内に出たからこそ得られた感動なのだと思う。
その点でやはり六角堂とウェスト18とでは、得をしているのは明らかにウェスト18の方である。六角堂との共存を図ることによって、建物内に類い稀な空間を獲得したわけである。それにしてもこんな粋な現代建築に出会えるのは、京都という土地柄ならではなのかも知れないな、とスタバの店すらない某N市のメイン駅周辺のありさまを思うにつけ感じたものだった。
ラベル: 建築 京都
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2015年01月18日

雪の天和山再訪とバッハのカンタータ

今年もバスハイクで天川村の天和山(1284.7m)に登った。寒中のこととて今回もあまり展望には恵まれなかったが、雪山の醍醐味を存分に味わえる充実した山歩きだった。
昨年は寒気を伴う低気圧が来る直前だったが、今回は低気圧が寒気を連れてきた直後になることが予想されていた。予報はよくなく、案の定未明に雨が降ったようだったが、既に星が光っている。時雨が来たとしても、山では雪だろう。静かな雪山が楽しめるに違いない。
天川村役場から程なく、和田の発電所前でバスを降りる。昨年はここから少し白かった。今年は雪がなくでむしろ拍子抜け気味のスタートである。数日前の雨も、この辺でも雪にはならなかったらしい。鉄塔を辿りながら川瀬峠に登る道は、小峠山の直登に比べればまだ楽だが、落葉を踏み踏み登る道は単調で、久しぶりの山歩きは結構こたえる。早く雪が出てこないかなあと思いながら一歩一歩足を運んでゆく。
昨年より少し上、第四鉄塔の上の、天和山から川瀬峠の稜線の眺めのよい場所でアイゼンを付ける。昨年の天和山が使い初めだった六本爪の簡易アイゼンである。昨年も見た雪をかぶった馬酔木が今年も出迎えてくれた。春に咲くばかりになった花をもう用意しているのである。葉は雪の白に映えて瑞々しく青い。
風が次第につのってゆく。ここから稜線までの林の中も結構吹いていたから覚悟はしていたが、稜線は想像以上の風だった。時折吹きつのる風で地吹雪状態になって、さらさらの雪が顔に当たって痛い。風のうなり声もすさまじい。慣れっこになってしまうと感じなくなってしまうけれど、尾根状の道が南側に入るとウソのように音がなくなる。
今年も川瀬峠で昼食。南側に風を避けて雪の上にシートを敷き、膝の上にお弁当を置いて食べ始める。山で食べるごはんはなぜこんなに、と思うほどうまい。おにぎり3種類におかずたちをそれこそ慈しむように味わう。焼鮭、結びこんにゃく、にんじんのきんぴら、卵焼き、ゴボウの肉巻き、ふきの佃煮。みなうまいが、きんぴらが絶品。箸を使うには手袋を外さねばならず、初めのうちはよいけれども、食べ終わる頃にはすっかりかじかんで指先の神経がなくなっている。寒くなってきたので脱いでいた1枚を引っかけるが、手がかじかんで言うことを聞かず、ジッパーがうまく上げられず悪戦苦闘。幼かった頃をふと思い出す。
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〔今日のお弁当〕

東へ山頂まで稜線を辿る。雪は20㎝程度。去年よりマシかと思ったけれど、去年は15㎝程度と書いてある。久しぶりの雪山で実際以上に深い印象だったのかも知れない。アイゼンを付けての歩行は一足ずつが何とも心地よい。歩きにくい凸凹の道も雪のヴェールをかぶると格段に歩きやすくなる。ことに下るときには少し滑り気味にするとたいへん快調だ。
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〔霧氷の木立〕
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〔木々の造形〕

霧氷の美しい尾根道を上り下りし、最後にほんのちょっと急登すれば天和山頂である。昨年気付かなかった山頂の表示板がある。あるいは新しいのだろうか。弥山や稲村ヶ岳が望める展望の山のはずだが、今年もどんより曇が垂れ込めていた。でも周辺が白かった昨年に比べれば少しだが見通せる。東に少し下った位置からは東側の展望が良く、弥山がそのどっしりとした基底部を見せてくれていた。これだけでも来た甲斐がある。前山のここでさえこうである。雪に隠された弥山の厳しさはいかばかりだろうか。
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〔天和山頂にて〕
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〔天和山頂東肩からの弥山・八経が岳方面の展望〕

帰途は稜線の途中から次第に景色が白くなり始め、雪粒が顔に当たり始めた。鉄塔に沿って下る頃にはかなりの雪になった。午後から雪になるといっていた予報通りである。寒波の波状攻撃に伴う前線の通過なのだろう。往きに白くなかった第四鉄塔より下までずっと道に雪が積っている。5㎝程度はこの一つの雪雲が降らせていったらしい。
結局発電所の直前までアイゼンを付けたまま歩いた。せっかくのアイゼンで土の上を歩くのはもったいなくて、雪のあるところを選び選びしながら降った。でもこのあたりは雪も僅かで、そういう所に足を降ろすと、アイゼンが雪と土をいっしょくたにして全部連れてきてしまい、足を上げるとそこは真っ黒、その一方で靴が途端にべらぼうに重くなる。どうということでもないことだが不思議な感覚である。
名残を惜しみつつ下り着いた発電所の前は、往きと違ってすっかり雪化粧していた。予定通り15時半前。早速今日の湯、天の川温泉へ向かう。見覚えがないと思ったら、昨年は同じ天川村でも、みずはの湯だったようである。さすがにそこまではぼけていなくてホッとする。雪見をしながらの露天風呂は、山頂の展望と並んでまさに最高の贅沢であった。
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〔天和山登山口─帰路に撮影─〕
天和山登山口の和田発電所の雪景色.jpg
〔和田発電所の雪景色─帰路に撮影─〕


          §           §           §

今日もカンタータの話を少しだけ書いておきたい。山とカンタータ、一見無関係の思われるけれど(普通はそうだろう)、ぼく自身にはつながってしまうのである。無心に一歩ずつ山道を歩いていると、突然音が鳴り始めるのである。ずっと同じ曲のこともあれば、いつの間にか別の曲に変わっていることもある。聴きたい曲が出てくるとは限らない。たいして好きでないと思っている曲が鳴り出すこともある。昨年の天和山の頃は、ちょうどバッハのカンタータを聴き始めたばかりで、140番のカンタータが登山の友になってくれたのだった。
今年は、昨年末にガーディナーのカンタータ巡礼の全集を入手したこともあって、新年から教会暦に従って少しずつだが聴き始めている。新年とか公現節(顕現節)とか、日曜日とは別に固定の祝日がめぐってくると忙しくなるけれども、日曜ごとのカンタータなら通勤の往復だけでも結構な回数聴くことができる。当該曲が2、3曲でそれだけ聴き続けるなら、その日から聴き始めて10回は聴くことができる。まあ、いつまで続けられるかはわからないけれど、途中で挫折してもいいから気長に聴いていこうと思っている。
こんなことができるのは、ガーディナーのカンタータ巡礼が教会暦ごとにまとめられているからである。なによりも一旦iPhoneに移さねばならないから、CDごとにまとまっているのがたいへんにありがたいのである。以前は教会暦順だったらしいが、リリングの全集は今ではBWV順になっていて、なかなかこうはいかない。教会暦順もBWV順もどちらも一長一短あって、探しやすいのはBWV順の方だが、BWV順の索引も付いているから特に不自由はない。
さて、今年は何が登山の友になってくれるかなと期待しつつ歩き始める。特に意識はしていなかったのだが、最近お気に入りの66番あたりが聞こえてくるかなと思っていたら、意外にも117番の方であった。第1曲である。先週の日曜11日は公現節後第一日曜日にあたり、該当するのはBWV154、BWV123、BWV32の3曲で、今週はこれらと、それからなぜかBWV10を聴いていた。これらが鳴り出すかと思っていたら、定期的に聴いていた曲ではなくて、年末年始に聴いた曲のうちの117番だったのである。順番に聴いていけばいずれ聴く機会は訪れ得るのだろうが、どういうきっかけだったか忘れたけれども117番を取り出してリリングを聴いてはまってしまったのだった。
それでも66番の冒頭合唱を何とか聴きたいと思っていた。なかなかそうはいかないものだが、不思議なことに、アイゼンを付け雪道を歩き始めた途端、中間の転調部分が聞こえてくるではないか。でも、なぜか冒頭が出てこない。登りながら無心を忘れてしまうと、どうでもよいところでつまずいたりしてしまって危ない。聞こえてくるのに任すしかないのである。
帰りの電車では、山で肝心な冒頭が鳴ってこなかった66番を、少年合唱が印象的なロッチュの演奏で繰り返し聴いた。最初に聴いたこのロッチュに比べると、ガーディナーは疾走し過ぎるように感じてしまう。それはそれでもちろん好きなのだが、ロッチュのひなびたかつ充実した響きが何とも心地よい。何を最初どの演奏を聴くかが、素人には結構大事というか、曲の印象を作るのに大きく作用してしまう場合が多いのである。
もう1曲、今週の曲である32番のソプラノがとても印象に残った。第1曲の短調のアリアと、第5曲のソプラノとバスのデュエットがことのほか美しい。ガーディナー版で歌っているマリア・シュターダーを彷彿とさせる声質のソプラノは、クラロン・マクファーデンという1961年生まれのアメリカのソプラノだそうである。清楚で純白のシュターダーに、ほんのちょっとだけ色を付けたようなそんな声に聞こえる。あまり多くのCDは録音していないようだが、DVDになっているカンタータ巡礼に先立つクリスマス・オラトリオでも活躍しているらしい。いずれ是非聴いてみたい。なお、第3曲のバスのアリアも絶品である。ソリストはピーター・ハーヴェイという人で、最近はピリオド楽器と声楽のアンサンブルも主催しているとのことである。
posted by あきちゃん at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年01月12日

無為に過ごした小寒の週末

インフルエンザが大流行しているらしい。ぼくの回りでも罹った人が何人もいるけれど、今のところ無事である。インフルエンザといって真っ先に思い出すのは、小学1年の時、予防接種後に発病し、40℃の熱に3日間見舞われたことである。40℃の熱は後にも先にもこの時だけだし、明瞭にインフルエンザとわかる発症もそれ以来ない。
数年前、車で通勤を電車・バスに切り替えた際、初めのうちこそ予防にマスクをかけて乗っていたこともあったけれど、結局うつるときはうつるのだからと、じきに止めてしまった。神経質になればなるほど病気にも狙われるような気がする。もちろん自分が具合の悪いときはマスクをするのがエチケットだろうが、そんな機会もほとんどない。ただ、夜行バスに乗るときだけはマスクをすることにしている。これは長時間狭い空間に閉じ込められるのがやはり気になるのと乾燥対策とのためである。
小学生の頃は、毎年秋になるとインフルエンザの予防接種の紙が回ってきて、保護者の承諾と問診票を集めた上で2回予防接種をしていた。当日熱でも出さない限り、ほとんどの生徒が受けていたと思う。中学でも同様だった思うが、あまり保健室に並んで接種を受けた記憶がない。高校時代は集団接種自体がなかったように思う。当時はどうだったか知らないが、今ではおとなも医者に予防接種を受けに行く時代である。そういえばうちの子たちも、大学受験の際には寒さが本格化する前にみな予防接種を受けに行っていた。ぼく自身は受験前とて特に予防接種を受けた記憶はない。そこまでの気遣いはとても思いつかなかったというのが正直なところだろうし、当時それほどおとなの予防接種が普及していなかったのかも知れない。実際3校受験したうちの1校は、インフルエンザかどうかは定かでないものの、38℃の 熱で朦朧とした状態で試験を受け、そのせいかどうかはわからないが見事に落ちた。もっともそのあとに控えていた本命の3校めの試験に向けて、特別の治療を受けた覚えもない。熱がどうのなどといっていられる状況でもなかったのだろうが、そうなると2校めの不合格も実力のうちということかも知れない。

正月休み明けの一週間は長かった。正月などもうずっと前だったような気がするのに、まだ一週間しか経っていないのが信じられない思いだ。どこがどうというわけではないのだけれど、具合がよくない。熱でもカッと出てしまえば逆にスッキリするのだろうが、変に陰に籠もってしまっている感じがする。最もめだつ症状としては頭痛。日頃から頭痛もちなので、頭痛薬は手放せず、今回もいつものつもりで服用したところが、常にないことだが気持ちが悪くなってしまい、一昨晩は早めに寝まざるを得なくなってしまった。薬で胃をやられたのかも知れない。まさに胃もたれの症状である。
もっとも食欲だけは不思議と落ちない。根が卑しいせいか、年を重ねて身体の機能が全体として落ちてきているなか、食欲だけはむしろ以前よりも増してきているように思う。元々間食なしでは生きられない質で、甘い物は欠かせないが、とにかく甘い物が食べたい。パンを食べるにしてもおかずパンよりはまず甘いパンだし、2つで済んでいたものが3つになりといった具合で、自分でも変にがっついているような印象が強い。今のところ体重は不変でむしろ落ち気味なのだが、いつかこの反動が来るのではないかと怖れつつも、一向にこの偏食を改めようという気もないのである。おいしいモノを少しずつというのが理想なのだが、おいしいモノをたくさんという誘惑に勝てない。年とともにそのへんの歯止めが効かなくなりつつあるのを実感する。これが高じると質はともかく量を、という益々卑しい方向へと走っていってしまいかねない。そうなる前に身体にガタが来るに違いないのだけれど、まだそれがないのをいいことに不摂生を続けているわけである。
話が横道に逸れてしまった。昨日は一昨晩よく眠ったせいか不快感だけは解消していたものの一日ダラダラと過ごし、締め切りが近づいた原稿用紙5枚程度の文章を書くのに結局1日かかってしまった……。

明けて成人の日の今日となったわけだが、よくわからない夢を見た。ひどく傾斜のある雛壇状の住宅地にいる。一段一段が狭い上に、段差が高い。でも、聞けばここに家を建てるのだという。今いる段と上の段とをつないで1軒の家を建てるらしい。思い出せないがどうも知人の家らしい。
そこにいたのはぼくだけではない。親戚や知人が大勢集まっている。まだ家を建てる前の、というより基礎だけ残った廃墟のような、遺跡のようなところである。なぜかみな正装している。これから結婚式でもあるようなそんな雰囲気である。
ぼく自身ちゃんとした恰好をしてこなくてこれはまずかったなと思っている。全く着替えた記憶はないのだが、一応背広にネクタイという出で立ちではある。でも白いネクタイをしてくればよかった、と結婚式の服装としては略式になっているのを悔やんでいる自分がいる。
そのうち写真を撮りますからと声がかかる。まさに結婚式の記念写真である。雛壇の段差を使って集合写真を撮るらしい。みんなでがやがや言いながらカメラに向かい始める、そんなところで目が覚めたのだった。
多分もっと長い前段があったはずであるが、全く記憶の彼方に去ってしまっている。いや、もしかしたら目が覚めたのもこれよりももっとあとだったかも知れない。そもそもいったいこの夢を見たのはいつだったのだろう。今日はゴミの収集日だったので、7時半に目覚ましを掛けて、ほとんど朦朧とした状態でゴミ出しをして、ぼくとともに目覚めた犬たちに朝ごはんをやったあと、再度3時間の眠りに落ちたのだった。しかし、ゴミ収集車の音は記憶に残っているし、あまり深い眠りではなかったらしいく、スッキリせぬ目覚めのあと、無為に過ごしてしまった悔いばかり残る1日となった。これほどの流行の中で、インフルエンザにも罹らずに週末を過ごせていることに感謝せねばならないのに……。
ラベル: 日常
posted by あきちゃん at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年01月06日

年末の初詣の一コマから

初詣を年末にすますようになってもうどのくらいになるだろうか。長女がまだ幼かった頃からの習慣だから、もう20年にはなるだろう。なによりも混雑を避けるためではあるけれど、1年に1度の参拝であるならばゆっくりと参拝したい。それならば何も新年でなくても年末でもよいではないか。それにこれからのことを願いに行くのではなく、これまでのことに対する感謝を捧げにゆくのが筋なのではないか。そんな思いから、年末の春日大社参りを続けてきた。
以前は、仕事納めの日の午後か、大晦日までの間に、家族全員で、というのが恒例だった。ところが、半ドンだった仕事納めが最近は通常勤務になり早引けの習慣が影を潜めてしまったせいか、最近はもっと早くにすませてしまうこともある。家族全員が揃うことも少なくなって、ともかく行けるときに、ということが多くなったためもある。
また、たいてい出かけるのは午後遅くになる。これは仕事納めの日に行っていた頃の習慣をそのまま引き継いでいる。別に半ドンというわけではないのだから、午前中に出かけてもよいようなものだが、いつも午後遅くというのがいかにもわが家らしいところではある。今年も仕事納めが早かったせいもあって、27日の土曜日に参拝した。帰省していた長女と3人、15時は回っていただろう。
まずは東大寺南大門前を直進し、新公会堂を左手に見ながら緩いカーブを登り詰め、右折してバス停のある駐車場に車を入れる。駐車料金としてだけみるなら1回1,000円は結構高く思えるけれど、帰りに祈祷所に寄ると、自動車用の鹿のステッカーのお守りをいただける。これを考えると1,000円もけっして高くない。駐車場から参道に抜け二の鳥居を潜って回廊の南に至り、左に南門を入って幣殿前で参拝する。正月の準備が既に整っている年もあるし、まだまだの年もある。遅い年は、新年の干支の彫り物が並んでいるときもある。特別参拝ということで中門前まで入ってお参りすることもあるが、最近は手前で済ませることが多くなった。なぜか聞こえてくるのは日本語よりも外国語の方が多い。なにも好きこのんで年末に参拝する日本人は少ないということかも知れない。
お参りを終え藤棚の脇を通って西側の回廊の外側を北に上がる。そして酒殿の北側を下って祈祷所脇から駐車場に戻る。ただそれだけのことである。途中鹿に出くわすことも多いが、ここまで来ると総じてあまり参拝客にも出会わぬことが多い。外国人はたいてい参道を戻って行く。一度だけだが酒殿と並ぶ竈殿の前で行われている年末の餅搗き出くわしたことがある。小さかった長女には臼と杵での餅搗きなど初めてのことだっただろう。蒸し上がって湯気の立った餅米が臼にあけられ、ひとしきりこねられた後、杵で搗かれて徐々に餅に姿を変えて行く。杵を手に取らずともずっと見ていて全く飽きない光景だった。是非今度もまたと思ったものだが、それ以来一度も餅搗きに出会ったことはない。
さて、今年も例によって鹿のお守りをいただき、あとは駐車場まで戻って帰るだけだか、と思うとそれまでしていたはずの手袋の片方がない。参拝のときには外していたはずで、そのあと両手の手袋を重ねてもっていた記憶がある。はめなおしたなら、お守りをいただくのに記名した際には外しているはずだから、もしかしたらそのときに落としたのだろうか。
来た道を祈祷所まで戻ってみた。長女が声を掛けてきてくれたがなかったらしい。それならいったいどこで外したのだろう。柏手を打った後ではめずにきたとも思えないし、逆にはめたのなら祈祷所までの途中ではずしたとも思えない。いったいどこで……。まあいいかと諦めかけていたぼくに、珍しくゆったりと構えた家内と長女が少し戻って探してみたらと勧めてくれる。別に安物だしと思っていたぼくも、それならばと思い直して、なくて元々と思いつつ回廊の辺りまで戻ってみようと踵を返すことにした。
程なく先に行った長女が、あったよと片方の手袋を差し出してくれた。 正月用のテントの準備をしていた方が、見つけてくださっていたのである。探してみるものである。どうしてそんなところに落としたのかはいまだによくわからないけれども、見つけてくださった方の心を無にせずにすんだこと、家内と長女の気持ちに報いることができたことが、なによりもうれしかった。
全てがこうなるように決まっていたような、そんな気さえする。何事も心のもちかた一つなのである。ないという現実を素直に受け入れ、自分を責めることもなく、また人から責められることもなく、来た道を戻るのはなんでもないことのはずなのに、それが本当に難しい。自分が頑なに自分を責めて戻ろうとせず回りの気持ちを無にすることもあれば、自分が戻る気持ちになっていても回りがそれを許さないこともある。
人間である以上、一人では生きられない。最も身近な存在が家族であるはずである。そうであるのに、身近であればあるほど難しいのもまた事実なのである。以前自分で書いた「なくした手袋」という記事を呼んでいてふと思い出した年末の一コマから、話があらぬ方向へ行ってしまったけれど、子どもたちが揃って正月を過ごせたことが何よりもうれしかった(息子は昨晩の家内の帰宅を待っていたかのように、今日戻って行ってしまった)。いつの間にか子どもたちを心の支えにしてしまっている自分がいるようだ。
最後になってしまったが、なにはともあれ、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ラベル:日常 季節 奈良
posted by あきちゃん at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年01月03日

雪の三が日と初夢もどき─夢の記憶25

大晦日の日中は穏やかだったが、夕方から天候が急変し、一転厳しい寒さの2015年元旦を迎えた。午後からは雪も舞い始め、いつの間にか奈良には珍しく数㎝の積雪となった。京都は16㎝にも達したという。
30日にスキーに出かけた末娘が2日からバイトに出るため、元日の夜半に帰宅した。中央西線の特急「しなの」には遅れもなかったようだが、新幹線は関ヶ原付近での徐行のため、結構遅れが出ていたようだ。近鉄は京都でそれほど降っているというのに正常通りの運転で驚いたが、それでも奈良に着くのは終バス後のこととて、駅まで迎えに行った。
早めに迎えの準備を始めて正解だった。というのは、車に結構な雪が積もっていたからで、フロントだけは雪をかき落としたが、屋根上の雪はそのままで出かけた。既に雪は止んで星もきらめいている。路面はなんとか乾いており、無事往復できてホッとした。京田辺あたりまでは警報が出ていたようで、もう少し北だったら車での迎えは無理だったかも知れない。
冬型が強まると、関東の空っ風と違ってどんよりと寒風が吹きすさんで時折雪が舞うのが奈良のならいだが、これほど積もるのは滅多にあることではない。冬型の雪はさすがにサラサラで、フロントガラスの雪は、手袋をした手をさして濡らすこともなく簡単に除くことができた。
2日の晩も夜中に帰る子どもたちを迎えに行くことになった。昨晩急にちょっとだけ帰省すると言ってきた息子が22時半過ぎ、京都でバイトの末娘が0時過ぎに着いた。夕方PPとAGを今年最初の散歩に連れていったとき、初めは黒っぽい雲はあるものの青空も見えていて、北西から南東方向に飛ぶ飛行機が黒い雲の下に見え隠れしていたが、後からのAGの散歩の途中で空が白くなってきて生駒山が見えなくなり、これは怪しいと思っていたら、まもなく白いものが舞い始めた。どうも一番雪がひどいときに家に向かっていたらしいが、帰宅するとまもなく雪も止んで、既に西の空には夕焼けが見えかけていた。散歩の途中で投函しようと思っていて、雪に追われて出し忘れた年賀状をポストに入れに行く頃には、もう普通の穏やかな夕方になっていた。
そうであるから、いざ息子を迎えに出ようとして、まさか道路がこんなに白くなっていようとは思ってもみなかった。周辺が銀世界になりかけている。道路はまだアスファルトが見える部分が多かったが、冷や冷やものだった。駅で息子の到着を待っている間も帰路の積雪の可能性を思うと気が気でなかったが、意外にも帰路の路面はむしろ黒い部分が増えていてホッとした。ちょうど降り始めに一気に積もりかけた雪が溶ける前に走り始めたようだった。末娘の迎えのときもまだ雪が舞っていたけれども、状況はさほど悪化しておらず、多少徐行するだけで普通に走れたのは幸いだった。後で調べてみると、この雪で、一旦減っていた京都の積雪は一転増加し22㎝にまで達していた。警報も発令されていたようだ。それでも近鉄はなにごともなく走っていたようで、これには舌を巻く。
例年になく厳しい寒さで迎えた三が日ではあるが、息子の思わぬ帰省でこうして3人の子どもたちが揃い、犬たちも大満足の正月となったのである。

          §           §           §

昨晩の夢が初夢ということになるが、至極まともな夢ばかりで面白くなかったという印象だけで、具体的な中身はすっかり忘れて目が覚めた。それに比べると、面白くないのは同じだけれども、むしろ元日の晩の夢の方がよく記憶に残っている。
コンサートホールであろうか、図書館であろうか、ガラス張りの近代的な建物の出口に向かっていた。直前まで数人の仲間と話していたようだったが、いつの間にか連れもなくなり、一人帰路を急いでいるらしい。もう誰にも顔を合わせずにいたいという思いで自動ドアを通って玄関ロビーを抜けようとしたとき、そこに先輩のSさんがいた。外は雨らしい。Sさんは傘の準備をしていたようである。
でも、なぜSさんなのだろう。そういえば、元日に届いた年賀状のなかにSさんからのもあった。それが記憶の片隅にあったのかも知れない。特に添え書きもないが律儀に元旦に賀状をくださるSさんのことを考える時間が、昼間しばしではあるがあったのである。とはいえいただいた年賀状を1枚1枚読みながら、年賀状をくださった方の近況に思いを馳せるその一コマに過ぎないと言えばそれまでで、格別Sさんのハガキに感興を催したわけでもなかったのだが、そのときのことが鮮明に甦ってきた。
ぼくがSさんの脇をすり抜けようとすると、Sさんがこの間はありがとうと声をかけてきた。一瞬戸惑ったが、夢の中でぼくは、手に入れにくい資料の所在を教えてあげたこと(これは実際の出来事ではない)をじきに思い出していた。感謝されてぼくは、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。というのは、所在を教えるだけではなく、入手したものをコピーしてあげればよかったのに、そう思ったのである。そう考えてぼくは恥ずかしい思いでいっぱいになっていた。そうであるのに、このままではSさんと道連れになって帰らなくてはいけなくなるととっさに思い、急に別の用事を思い出したふりをして、Sさんを置き去りにしたまま建物の中に戻ったのである。
ただそれだけの夢である。一人で帰途に就くというのは日常よく経験するシチュエーションである。ただ、なぜそこに登場するのがSさんだったのかがいまだもってわからない。Sさんは先輩の一人ではあっても、特別に親しいわけではない。羨望や嫉妬、ましてや特別な感情を抱くような相手では勿論ない。もしもそうであるならば、親しく話をしたいという願望を夢で実現させてしまうということはありそうなことではある。しかし、そうではなく普段特に気にかけているわけでもない人がどうして夢に登場するのだろうか。
そういえば、Sさんに合う直前まで一緒に歩いて玄関ロビーに向かっていたTさん(こちらは女性)も、社交辞令とはいわないまでも、普段特別の付き合いをしている相手ではない。逆にこうして夢に登場されてみると、普段無意識のうちにこれらの人々を意識している自分がいるということなのかもしれないけれど、SさんやTさんを意識するきっかけというのは皆目見当がつかない。自分の知らない自分の心があるとも思えないのである。
子どもたちが揃った翌日の今日、3人ともそれぞれの用事で出かけていった。家に残ったのは3匹の犬たちとぼくだけである。静かな正月である。どうせ見るならば、こういう平和な夢を見たいものである。
ラベル:天気 季節 日常
posted by あきちゃん at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする