2015年03月30日

『菜穂子』断章2─いざ、生きめやも

春が来た。いつも見させていただいているジャックラッセルが主役のブログにそんな文字が躍っていて、暖かい日射しを浴びてうれしそうなワンコの姿が、いつにもましてもこちらを和ませてくれる。当地でも最近まで暗灰色だったサクラの枝先がいつのまか濃い赤色に替わり始めていて、その中に早くもほころび始めた花が、実は文字通りのサクラ色なのだけれど、ひときわ鮮やかに白く浮き出て見える。これならコートを引っかける必要もなかったくらいだ。この間ウメ満開になり、クリスマス・ローズ、スイセンと次々に庭が賑やかになってきたなあと思っていたばかりなのに、もうサクラの季節を迎えようとしている。今年は冬場に比較的雨が多かったせいか、春の足取りが早いような気がする。たたみかけるような春の到来だ。
きれいなお花だなあ、でもおいしそう……(食べないでね!).jpg
〔きれいなお花だなあ、でもおいしそう……(食べないでね!)。あと、わたし、カピパラではありません。イヌなんです。〕

さて、前回、前々回と夢やキーのことで思わず筆が走りすぎて、それらを枕にしてと思っていた『菜穗子』の続きを載せることができなくなってしまったので、今日はこの辺で切り上げることにし、10日ぶりになってしまったけれど、続きを。

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(承前)そうした菜穂子の心を押してくれたのは都築明の姿だった。
冒頭の銀座の雑踏での絵のような擦れ違い。何年かぶりで菜穂子を認めた明は、過去を振り返ることによって過去と訣別し、今を生きる道を模索し始める。O村での静養の日々を送る中で、もう何度目かに楡の木の下のベンチに腰かけたまま、最後の夏の日々を思い浮かべながら、永久にこっちを振り向いてくれそうもない菜穂子のことをもう一遍考えかけた明は、もう此処へは再び来まいと決心したのだった。
信州への旅に出た明は突然高原療養所に菜穂子を訪ねる。明はわざと昔のままのすげないいらいらした応対で接する菜穂子の気持ちを充分に理解している。明は菜穂子に素っ気なくされればされるほど、自分の痕(きず)を相手の心にぎゅうぎゅう押し付けなくては気がすまなくなるのを感じているのである。一方、明のそういう性癖は、菜穂子も充分理解しているところだったが、少年の日と何ら変わらぬ明の姿に、菜穂子は動揺するのである。明が帰り支度する間際から、菜穂子は自分自身を佯っているという感情を自覚し始める。それは大きな後悔となって彼女を苦しめる。そして「彼女よりももっと痛めつけられている身体でもって、傷ついた翼でもっともっと翔けようとしている鳥のように、自分の生を最後まで生きようとしている」都築明の姿に心を打たれた菜穂子は、ひとまず落ち着くところに落ち着いているような日々に、再び生への不安を持ち込むことになる。生のぎりぎりの所まで行って自分の限界を突き止めて来ようとしている明の真摯さに心を動かされるのである。
菜穂子はそして大雪の日、生の懐かしい臭いの前触れに身ぶるいをさえ感じながら、片側だけ真っ白になった列車で上京を試みてしまう。生の不安に取り巻かれることを承知の上で、現実の自分へ戻ろうとするのである。高原療養所での生活が、結婚生活と同様に生への不安からの逃避であったこと、生の不安に対峙するためには結局自己を佯らずに生きるしかないことに気付き始めている。こうして『菜穗子』はクライマックスを迎える。

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何か非常な決心をして上京したつもりでいた菜穂子は、新宿駅から電話で呼び寄せた圭介と銀座のジャーマン・ベーカリで対面するうちに、吹雪の中を療養所から抜け出して来た小さな冒険をどう説明したらのよいのか次第にわからなくなり始める。何か非常な決心をしているつもりでいたのに夫と差し向かいになっているとそれが揺らぎ始める。そして菜穂子は、「どうでも好い」と言う気持ちを抱き始める。しかし、それはけっして投げやりな気持ちから出ているのではない。むしろ、菜穂子の心の内に生まれ始めた余裕と理解すべきだろう。菜穂子には自分の行動に関する圭介の追求を楽しんでいるような風があり、そのなかで、思い切って自分自身を何物かにすっかり投げ出す決心をしていたことを再認識し始めるのである。
菜穂子はきっとこの先もなお生への不安に苛まれながら生きていかなければならないのだろうが、ここで芽生えがほのめかされる心のゆとりがあるならば、生き抜いていけるに違いない。生きる意志をそこに読み取るべきだろう。「どうでも好い」は、なるようになれということではなくて、ひとは生かされているのだという自覚なのである。あれこれ不安に苛まれているのは人間の傲慢さに過ぎないのであって、あるがままの自分を受け入れていくしかないのである(ちなみに全くの余談であるが、「どうでもいい」は、原田康子さんの『挽歌』におけるキーワードでもある。このことはいつかまた書いてみたいと思っている)。
「どうでも好い」という気持ちは、半病人のようになって牡丹屋に辿り着いた明が、恢復の過程で感じ取った気持ちでもあった。物語では、菜穂子の上京を描く前に、高原療養所に菜穂子を訪ねた後の一週間ばかりの陰鬱な旅から半病人のようになってO村に戻ってくる、いやそれは辿り着くというしかないものであるが、明の悲痛なまでの姿を丹念に描き尽くしている。初めにも少し触れたように、ここで明はほとんど記憶にも残っていないくらい昔になくなった母の面影を見出すのである。このまま死んでいったらさぞ気持ちいいだろうなと思う反面、明は「しかしおまえはもっと生きなければならんぞ」と独言し、「それがおれの運命なだとしたらしようがない」と思い始めるのである。そして、「おれの一生はあの冷たい炎のようなものだ。──おれの過ぎて来た跡には、一すじ何かが残っているだろう。それも他の風が来ると跡方もなく消されてしまうようなものかも知れない。だが、その跡には又きっとおれに似たものがおれのに似た跡を残して行くにちがいない。或運命がそうやって一つのものから他のものへと絶えず受け継がれるのだ。……」一種諦念に近いものだけれど、明もまたしっかりと生きてゆくに違いない。
圭介は取り敢えずはまた母子差し向かいの面倒のない生活に帰ってゆくだろう。しかし、菜穂子の生と死の絨毯を知った彼は、菜穂子の心のふれあいに戦慄のようなものを感じ始めていた。圭介もまた以前の圭介ではないのである。そして菜穂子に、自分の心に近づいてきかかっているという思いを抱かせるまでになっている(第二十四章)。ただ、菜穂子のそうした変化を、圭介はまだ充分には理解できないでいる。それで菜穂子が思わずあげあしを取ってしまいたくなるような無造作な言葉を発して、菜穂子を怒らせてしまう。「そんな事をしちゃ、人になんと思われてもしようがない。」
圭介は、菜穂子が夫の執拗な追求をある意味で楽しみつつ、自分に近づきつつある夫の心をもっと引きつけようとしているのに気付いていない。圭介にはそんなつもりは毛頭ないのだけれど、この言葉から菜穗子は、漸く今心のふれあいを実感し始めているというのに、圭介が菜穂子の心から離れていこうとしている感じを抱いてしまう。そして菜穂子の憤懣の導火線を発火させる役割を担ってしまうことになるのである。
しかし、それは単なる怒りの爆発ではなかった。菜穂子自身の変化がそこに救いをもたらしている。自分自身にも思いがけなく飛び出した言葉に、菜穂子は自分の本当の気持ちを見出して、気持ちまで明るくなったような思いを抱くのである。そこには孤独そうな都築明の姿もあったけれど、圭介と菜穂子が互いを認め合い始めているのを知ることができるだろう。

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若い頃読んで尻切れトンボの印象を持った最後の場面、今回読んだ感じをいうと、確かに大団円という終結ではないけれど、けっして中途半端な幕切れではない。得も言われぬ余韻、それも確かな希望をつかんで静かにふっと閉じて行く、終わりではなく始まりの印象を強くもった。大見得を切ってリタルダンドをかけていかにも終わりというのではなく、高まって行く緊張感がふくよかに柔らかく包み込まれたままの感じで程よく風に乗ってふっと運ばれて行く、なかなかうまい表現が思いつかないのだけれど、ほんのりと明かりが点る感じとでも言おうか、ともかくものすごく絵画的な終末である。
ガラス窓の外側に複数の残像が重なりあいながら明確な像を結ばぬまま走馬灯のように流れて行く、ホテルの広間に明かりが点ったことによって一瞬にして見にくくなって、替わりに内側に初めて鮮明な像が結ぶようになる。菜穂子の心に希望が点る瞬間である。明日高原の療養所に帰っても、新しい人生の道が待っている、そう確信できそうな予感を菜穂子は実感するのである。
外は雪が降り積もった銀世界、内はその分逆に顔が火照るほどの暖かさ。ぼく自身雪の日の東京でよく経験したそのままの光景が描かれる。ぼくにとってそれは原風景といってもよいくらい印象的な景色なのである。ホテルの玄関には化け物じみて見える棕櫚の木が雪をかぶっていた。偶然かも知れないけれど、27歳まで過ごした都心の家の玄関脇には1本の棕櫚の木が聳えていたのだった。大雪の朝、棕櫚の箒のような葉っぱからドサッと雪の塊が落下してくるのが今そこに見えるようだ……(全くの余談だが、眉の上を切って4針縫ってもらった外科の先生のそばにもジャーマン・ベーカリというケーキ屋があった)。
銀座の雑踏でのすれ違いの場面(それはスライド写真のように印象的な場面である)、そのほんの一瞬の邂逅が『菜穂子』の物語を生んだのだった。三人三様に日常に帰って行くのだけれど、そこには明確な生きる意志を読み取ることができる。ぼくは菜穂子の結末を菜穂子・明・圭介、三人三様ではあるけれども肯定的に読みたいと思う。
中でもぼくにとって特に印象的なのは都築明の場合である。不安に苛まれていても仕方ない。先程も触れた20章の「しかし。お前はもっと生きねばならんぞ」という明の言葉、それは都築明の言葉であると同時に作者堀辰雄自身の言葉でもあったと思う。生きられたかどうかは問題ではない。生きねばならない、そこには「いざ生きめやも」という『風立ちぬ』以来の課題がそこには生きている。それは病身を押して「ロマン」を書こうとした作者堀辰雄自身の強烈な意志でもあった。もしもそこに否定的な要素が紛れ込んでいるようにみえるとするなら、それは生きようとしてなお生きられなかった堀辰雄自身の姿が投影されているからなのではないだろうか。菜穂子の結末はけっして厭世的なものとしてネガティブに読み取るべきものではないと思うのである。
希望の灯が点りつつあることをふと予感させる終わり方、それは、『風立ちぬ』の終章「死のかげの谷」や『美しい村』の終章「暗い道」にも見られるところで、堀辰雄の小説の特徴の一つといってもよいかも知れない。(続く)
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2015年03月27日

キーとともにあること

電車を降りて階段を上がり改札口に向かおうとしたとき、後ろから若い女性に呼び止められた。あのぅこれ、と言って手渡されたのは、鈴の付いたキーホルダだった。一瞬なんだかよくわからなかったのだが、あ……。それは紛う方なき家のカギだった。
ありがとうございます! すみません、助かりました! そう言って頭を下げて受け取るのが精一杯だったけれど、もう何と言って感謝したらよいか、言葉もないくらいだった。ほんとにありがたいことである。もしも、その方が気付いてぼくを追いかけて声を掛けてくださらなかったら、そう思うとすんでのところを救ってくださったこの方に、まずは心から感謝したい。それとともに、不思議な導きを感じてしまうのである。
ぼくの持ち歩くカギは、今はもう車に乗らなくなったので家の玄関のカギ一つだけ。それでもう随分長いことキーホルダーにも付けずに持ち歩いていた。置き場はズボンのポケットか机の上と決めている。朝着替えたらポケットに入れ、帰宅したら机上に置く。これで案外大丈夫なものである。というのは、道連れがいるからである。それは、36年使って引退したSEIKO QUARTZ TYPEⅡに代わって持ち歩くようになった懐中時計である。
ところが、それでもというべきか、それではあたりまえというべきか、何度なくしそうになるのである。特にカギの方である(一緒に行方不明になったことはないのがまだ救いというべきか)。重い荷物を持って帰宅したときなど、ポケットからキーを探り出して玄関を開け、すぐにポケットに返せばよいものを、それができずに手に持ったまま家に入り、荷物を降ろすときにひょいとその辺に置いてしまうことが多いのである。
その置いた位置にあり続けてくれるならばまだよいわけである。ところが、慌てて不安定な斜めの所や机の端っこに置いたりすると、そこから滑り落ちてあらぬところに隠れてしまうのだ。それを何度か経験するうちに、自分の置きそうなところから順に探していけばたいていはすぐに見つかることがわかってきたが、それでもゴミ箱に紛れ込んだり、床の荷物の間に落ち込んだりと、今から思えばかなり危ない橋も渡ってきたようだ。
それを見かねてか、3週間ぶりにスキーから帰ってきた娘が、戸隠神社のお守りの付いたキーホルダーをおみやげに買ってきてくれたのである。去年はごく普通の健康お守りをもらった。今年は交通安全お守りをかねたキーホルダーである。それを昨日から早速使わせてもらっていた。それで昨日の今日、早速この出来事という訣なのであった。
まあ広くいえばご利益ということなるのかも知れない。そうしたみんなの心に救われている、そんな思いを強くしたものだった。とても偶然とは思えないめぐりあわせである。娘がスキーに行く、おみやげにキーホルダーを買う、それを帰宅後のすぐにぼくに渡す、ぼくがそれをすぐに使う、ぼくの後ろを歩いていた方が落ちたことに気付く、その方がキーを拾う、そして勇気を出してぼくに声をかける、このどれ一つが欠けても、キーはなくなっていただろう……。これって、本当にすごいことだと思う。
結局何がいけなかったのか。階段を上りながら、バスの時間を気にしていたものだから、ポケットから時計を取り出して記憶がある。一瞬時刻を確認するだけだから、ほんの数秒である。すぐにポケットに戻すわけだが、もし落としたとすれば、このポケットから時計を取り出した瞬間に違いない。でも、鈴付きのキーホルダーにぶら下げているなら、落ちれば音に気付きそうなものである……。ところが、いつものことで耳にはイヤホンがはまっていて、この時はバッハのカンタータBWV1(マリアのお告げの祝日〈3月25日!〉と棕櫚の日曜日のためのカンタータ)が流れていたのだった。希望に満ちあふれた名曲中の名曲である。これもけっして偶然とは思えない。
今日のこと、ぼくのだらしなさが最大の原因なのは間違いないことではあるけれど(時計を取り出すとき、キーを落とすかもということがほんの一瞬頭を過ぎったのを記憶しているのである。それなのに確かめてみようという思いに至らなかったのが今にして思えば情けない)、それを大事に至ることなく、こんな形で気付かせてくださったことに改めて感謝するとともに、それを今後の糧にしていかなければと、なくさずに済んだ、いや手許に戻ってきたキーを見つめながら、今身に滲みて感じているところである。キーホルダーを拾って手渡してださった女性に、改めて感謝を捧げたい。
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2015年03月25日

現実のようで非現実的な夢─夢の記憶27

妙に生々しい感じの夢だった。家と実家をごちゃまぜにしたようなリビングをカウンター越しに見ている。そろそろ寝ようとしてキッチンの流しで口をゆすいでいたらしい。対面式のキッチンで、しかも家のキッチンとは違いカウンターの上に棚がないから、リビングがよく見渡せる。
そろそろ電気を消して寝に行こうと思っていると、なんだか目の前を人が過ぎったような気がしてふと見上げると、右手からリビングに見知らぬ若い男の人が入って来ていた。ごく普通に何気なく、まるで自分の家であるかのように振る舞っている。放って置いたらそのままくつろいでしまっていそうである。
あれ、もしかしてあなた、家を間違えていませんか? そう、そっと聞いてみた。すると、特に返事は返ってこなかったが、一瞬頬を赤らめたその人は、恥ずかしそうに出て行こうとする。やはり、勘違いして入ってきてしまったんだ。でもここは人の家なのだし、ホテルじゃあるまいし部屋を間違えるなんてありっこないじゃあないか。そんな疑問も脳裏を掠めたけれど、向こうも全然悪気がなさそうだし、それにもういつの間にか出て行ってしまったようで、影も形もなくなっている。
玄関からで出たような気配もないしなあ、でもまあいいか、とさして疑うこともなく寝ようとすると、玄関脇のトイレから(この辺りの構造は実家にそっくりだ)さっきの若い男の人が出てきた。そしてすうっと、玄関を開けたような気配もないままに外へ出て行く。と言っても別に幽霊とか何か、そんな霊気を感じる訣でもない。
暫くして外でなにやら大きな声がする。何事かと思ってのぞいてみると、さっきの男の人が数人と話している。なにかをやっているらしい。体操でもなく踊りでもなく、何かを作っているとかいうのでもない。身体を動かして何か作業をしている。今回の夢で、唯一記憶が曖昧なのはこの場面である。具体的に何をしていたのかが全然思い出せないのだ。
そのうちに玄関脇のブロック塀に登り始め、その塀の上でそれを続けている。もうちょっとで完成するなと思って、玄関を出たところから左に斜めに振り返る形で見上げているのだが、こちらも眠いし、なにもまあ最後まで見ていなくてもいいだろう、もう寝ようと思い、玄関から入って内側からカギをかけた。用心にチェーンもかけたけれど、追いかけてくるわけでもなく、別段何も起こらない。外の世界とは完全に遮断されてしまっている。。
さあ寝ようと思い、寝る前に用を足すべくトイレに入ると、あろうことか便器が半分に割れている。割れているというよりは、なにかこう植木鉢をひっくり返したようなぐじゃぐじゃな感じの割れ口を上に見せている。ちょうど、果物を二つに割ったような感じといってもよい。なかはきれいでもないし汚くもない。臭いもない。言われなければ誰も便器だとは思わないだろう。でもいったい誰がこんないたずらを、と思って先に寝たはずの母に聞こうかとも思ったが、寝ているのを起こすのもどうかと思っているうちに、ああそうか、もしかしたらさっきの人が犯人? と思い始めている。
でもなぜかそれ以上突き詰めて考えようとはせず、普通にレヴァーを動かして水を流そうとする。すると、灰色の水が流れる。絵の具のようなペンキのような不透明な灰色の液体が渦を巻いて排水されていく。音が聞こえたように思った。
そのとき、インタホンが鳴る。出ようとするが、もしかしてさっきの連中が入ってきたりしたらいやだし、と思い直し用心して開けるのを止めて寝に行こうとする。それでも何度か鳴るので、やはり気になってチェーンをかけたままのぞいてみようとしたのだが、その時に限って開け方がわからないのをいいことにやめてしまい、本当に寝ることにする。
そして、夢の中で眠りに就くのだった。ごく普通に何ごともなかったかのように……。
いつも書くことだが、起きた当座は記憶が鮮明な夢も、起きてから時間が経つにつれて加速度的に記憶が濁っていくのが普通である。そして一度途切れた記憶は二度と甦らない。ところがこの夢はほとんど褪せていくことがなかった。現実のすぐ横にいるようでいてかつ現実離れした夢だった。こうした違いはどこから生まれるのだろうか。
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2015年03月22日

まことにお恥ずかしい怪我の話

そそっかしさにかけては人後に落ちない自信があるけれど、幸いなことに生まれてこの方55年、めだった怪我や病気もせずに過ごして来られている。大病で入院した経験がないのはまだしも、このおっちょこちょいさでいながら骨折したことがないのは不思議で、どうもこれは祖母譲りと言えそうなのだが、骨が丈夫なのが原因らしい。要は骨太なのであって、いつぞや人間ドックで試しに骨密度を測定してみたら、測るのが無駄なくらい問題なく良好との結果が出て、それ以来骨密度測定のオプションを付けるのは止めてしまった。
怪我で覚えているのは、昨年もちょっと触れたが、小3の3月のこと、東京でよく経験する春先の大雪が降り、クラス総出で雪遊びに興じたことがあった。慣れぬスコップなどを持ち出して雪を集めて雪だるまや滑り台などを作るうち、友達の振り上げたスコップの先が右目の瞼の上に当たり、ちょうど眉毛の間の当たりを斜めに4鉢縫う羽目に陥ったのである。よくもまあ目に当たらなかったと咄嗟の運動神経を誉めるべきか、それともそんな危険なところにボウッと立っている頓馬さを責めるべきか、今思うと必ずしも一概には決めがたいようにも思うけれど、当時は家族からも友達からもこぞって後者の理解で鈍さを揶揄されたものだった。特に担任の先生には翌日しこたま絞られた(もっともこれは怪我をしたぼくだけではないけれど)。
それともう一度目の上を縫ったことを覚えているのは、中2だったか、これはもう弁解の余地のない程のトロさであって、土曜日の昼だったと記憶するが、授業が終わってあとは掃除をして帰るという段になって、何かを拾おうとしたのかよく覚えていないのだが、前にかがんだ拍子に、目の前にあったガスストーブの角に額をぶつけて、この時は2針だったと思うが、やはり縫う程の怪我をしたのだった。しかもちょうど角にあたったので、幅に比べて傷が深く、針数は少なかったが結構な重傷だった。これもやはり春先のことだ。
怪我と言えば、これはもう勤めるようになってからのことだが、昼休みに自転車で食事に出た際、奈良ファミリーの前の秋篠川沿いの交差点の信号で止まるとき、ファミリーの側から来るとやや下りになっていて、しかもそこにカラーのタイル舗装が施してあって滑りやすくなっているのだが、ちょうど雨も降っていて傘を差してそこにさしかかって急ブレーキをかけたら転倒しそうになり、思わず手を突いてしまったその時、落ちていた石ころで手のひらを切ったことがある。すぐにはどうということもなかったのが、あとから血がにじみ出しているのに気付き、石が刺さって結構な傷であることがわかり、この時は消毒の必要もあって随分外科通いをしたものだった。これもまあ、不注意といえば不注意、全くもってどんくさい怪我としか言いようがない。
他にも幼稚園児だった頃に家の前でバイクにぶつかったとか、勤め先のスロープを走って降りようとして曲がりきれず転倒して腰を打ったとか、あるいはカミソリで顔を剃っていて、アッと思ったときにはもう顔を切ってしまっていて、血が止まらなくなったとか、その手のことには事欠かないのだけれど、ともかくこうして大過なくやってこれているのであるから、いずれもそうたいしたことではなかったのは間違いのないところだろうし、上に書いた怪我にしても、評価(?)は分かれるだろうが、まあ怪我としてはどうということのない部類に属するものではあるだろう。
怪我ではないが、意外ときつい伏兵が、冬のあかぎれである。特に土いじりをするとてきめんで、指の表側ばかりでなく、甲の方さえひび割れてくる。関節の外側のあたりがパクンと口を開けたり、なんでこんな風に割れるんだろうと思うようなところが開くのである。一つひとつ水絆創膏で治療を試みたこともあったが、結局無駄だった。これは本当に痛い。そういえばこの冬思ったよりあかぎれに悩まされていないような気がするのは、寒いのは寒いのだが、結構周期的に雨が降っているので、それほどひどく乾燥していないからなのかも知れない。

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その代わりといってはなんだが、先日こっぴどい怪我をしてしまった。怪我をしたことをすっかり忘れていたのだが、数日前、左手の小指の側面の皮が剥けていて、あれ?と思ったのである。まさかこんなところに水虫でもあるまいしと思い、暫く患部を眺めていたものの原因がよくわからず、本気で考え込んでしまった。これはどう見ても……。さらに思い悩んでいるうちに、ようやく今見ている場所が数日前どうだったかを思い出してきて、なるほどそうだったのかと納得したのだった。数日前、ここはやや茶色く堅くなっていたのである。そしてその前は……、水ぶくれになっていたところだった。
そう、怪我と言うのは語弊があるけれど、左手の小指を火傷してしまったのである。治るのに忘れる程時間がかかったということなのだった。今となっては思い出話というか、笑い話でもあるのだが、これがまた至極お恥ずかしいお粗末な話ではある。話せば長いことながら……
レギュラーコーヒーを淹れるのに、普通はプラスチックのごく一般的なドリッパを使うのだが、少し前にそれを受けるコーヒーポットが割れてしまい、このドリッパを直接受けられる容器がなくなってしまった。一人分なら直接カップに受ければよいのだが、家族の分をまとめて淹れようとするとそういうわけにはいかないので、かつてコーヒーメーカー付属だったポットを使ってみることにした。ところがこれが広口なものだから、ドリッパだとすっぽりはまってしまって乗せることができない。そこで登場したのが、以前山に出かけるときに買った折りたたみ式の簡易ドリッパ、ちょうど知恵の輪のお化けのような形をしているやつである。使わないときは平たくたためるようになっていて、これを開いて使うわけでだが、これだと何とか広口のポットにも乗せることができる。そんなわけでここのところ数人前のコーヒーを淹れるときにはこの折りたたみドリッパが活躍していた。
もうひとつまたややこしい話になるが、普段使っていたドリッパはハリオ製で(本来は割れたポットとセットになっていたもの)フィルターは円錐形のを使うようになっている。ところが、この円錐形のハリオ用フィルターはそうそんじょそこらでは売ってはいないので、おいおいごく一般的なカリタ製ないしそれと同類の下が平らなフィルターを使うことになる。三角のものをはめるようになっているドリッパでこれを使うのだから、相当に無理はあるのだが、特に問題なく何とかなってきていた。これがよくなかったのである。ドリッパは元々ハリオなので、これでおいしく淹れようとするなら、三角のハリオ用のフィルターを買わなければならない。そう思いつつなかなか買えずにいたのをようやく入手し、久方ぶりにお揃いの道具で淹れることができるようになった矢先に、ポットを割ってしまったのである。それで仕方なく、さっき書いたような状況を打破するために、折りたたみドリッパにカリタのフィルタをはめてコーヒーを淹れる日々が続くことになる。折りたたみ式のドリッパは金属の棒状のものでできてるので、お湯を注いでいくと、微妙にフィルターがゆがんだり、金属の支えの隙間から膨らんできたりと言った具合で、よく見ていないと溢れたりひっくり返ったりしかねない。それでも何事もなくずっと淹れることができてきたのである。そのうち、カリタのフィルターがなくなって、折りたたみ式ドリッパでハリオのフィルターを使って淹れるようになったのだが、、これも別段支障なくいっていたのだった。

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ところがである。先日いつもの調子で、というものの、この日はすこしばかり急ぎすぎた嫌いはあるのだが、一人分だけ淹れようとして一気にお湯を注いだところ、なんだかおかしい。なにがおかしいのかよくわからないが、フィルターが変に膨らみ始めるではないか。お湯を均等に注がないと、カリタ式のフィルターを使ったときでも、冷やっとすることはあったのだが、それでもお湯を注ぐのを一時的に止めれば、それで溢れることもなく無事済んでいた。しかし、この日はどこかが違っていた。膨らみ始めたものだから、注ぐのを止めた後、膨らみ始めたところを手で抑えてみたのだが、全然言うことを聞かない。そのうちあれよあれよというまもなく、フィルターが開いてしまい、コーヒーの粉がこぼれて流れ始めてしまった。この間数秒に過ぎなかったとは思う。でも一瞬何か起きた理解すらできず、ボウッとしていた時間があったのかも知れない。コーヒーがこぼれ始めているのに気付いた瞬間、左手の小指に激痛が走ったのである。フィルターを抑えていた指である。アッと手を離したものだから、あとは流れ出るに任せるだけとなったのだった。
異変に気付いた家内が飛んできて、当然のことながらぼくの指などお構いなく、怒鳴り散らしつつ汚れたキッチンの掃除を始めたのだったが、こちらはそんなこと構ってはいられない。指を冷やさなくてはならない。たかが指先に少し熱湯がかかった程度である。しかし、以前この冷却を怠ったばかりに痛い目に遭ったことがあったのをが脳裏を過ぎる。とにかくとことん冷やすことである。それで流水に適宜あてた後は、冷凍庫から保冷剤を取り出して、これを指に巻いてさらに冷やした。時折指先の感覚がなくなってくる。しかし、油断して保冷剤を話すと、指先がポッポと火照ってくるのを感じる。こうやって30分もいただろうか。保冷剤もいくつか常温に戻ってふにゃふにゃにするまで使い尽くし、さすがにもういいだろうと、冷やすのを止めようとすると、今度は保冷剤を離して少し経つと指先がヒリヒリと痛み始めるのである。だいたいこの辺りというのはわかるのだが、どこを火傷しているのか、火傷の中心がどこかもよくわからない。小指の先全体を冷やし続けるたのである。これを何度か繰り返し、最後はもう精根尽きて、多少のヒリヒリを我慢するうちに、痛みが抜けていくようになったので、ここで漸く、明日起きてどうなっているか恐れを抱きつつ、諦めて寝ることにしたのだった。
全くもってお粗末な話である。考えればわかりそうなことだと家内にも罵倒されたけれど、確かにそうである。でも、どうしてこの時の限ってフィルターの合わせ目が破裂したのだろう。そんなに一気にお湯を注いだ記憶もないのだが、いろんな条件が重なり合ってそういうことになったに違いない。
ただ、指の方が冷却が功を奏したのか、火傷した部分が白く浮く状態になるだけですみ、、2、3日後には体液がしみ出てきたのか水ぶくれ状態になったけれど、破裂することもなく、徐々に引いていって、忘れているうちに固まりかけて来ていた。ちょっと茶色くなって回りより堅くなってきて、最後はどうなるのだろうか。一枚皮がはがれて終わるのかと思いきや、どうも自然と回りと同化していく気配である。かれこれひと月になろうとしているかと思うが、ともかく時間が解決してくれているようである。水ぶくれになった部分は面積にしてせいぜい1平方センチもいいところ。冷やしたのはその何倍もの範囲だったが、もっと根元に近い側面だと思っていたのに、水ぶくれは結構指先の指の腹に近いところだった。感覚なんていい加減なものなのだ。それにしてもわずかこれだけの火傷にしてもこうなのである。けっして大袈裟ではない。もう少し火傷の範囲が広かったらと思うとゾッとする。身体の20パーセントを火傷すると生命が危ないというのを聞いたことがあるけれども、まさにその通りなのを肌で実感したのだった。
これを書いていて思い出したことがある。冷やすのを怠って痛い目に遭ったときのことである。どうして火傷を負ったか、思い出すだけでバカさ加減に呆れるのだが、誕生日の時だと思う。デコレーションケーキをまさに切り分けようとしているときである。よくケーキを切るときナイフに湯をかけたり、火にあぶったりして暖めておいたりするだろう。この時も母が念入りに暖めていたのである。それを忘れて、刃を入れようとした母の手許のナイフを、もっとこっち向きに切ってよと言いながら、よりによってナイフを上から3、4本の指でつかんで動かそうとしたのであった。あとはどうなったか、ご想像にお任せするけれど、全く三つ子の魂なんとやら、というか、死んでも治らない何とか、としか言いようがないのである。という訣で、まことにお恥ずかしい話はであるけれど、ぼく自身の備忘ということで、書き記させてただいた次第。
タグ:日常 記憶
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2015年03月19日

『菜穂子』断章1─楡の家との訣別

『楡の家』の不思議な魅力に取り憑かれて何度も読み返すうち、『菜穂子』を再読したいという気持ちに駆られるようになった。『風立ちぬ』や『美しい村』に比べると、『菜穂子』にはどうしても今ひとつ馴染めないものを感じていたのだが、『楡の家』にこれほどのめりこむのであるから、かつて『菜穂子』に違和感を感じてしまったのは、ぼく自身の読み方が浅かったからなのではないか、そうした疑念を禁ずることができなくなってきたのである。
再読してみて、余分な枝葉を切り落としてすっくと立つような美しさとともに、叙述を貫く芯のようなものに圧倒される思いがした。時代を超えて共通する、いなむしろ今こそ生かされるべき人間そのものを見つめる透徹した眼がそこにはある。
『楡の家』は三村夫人と娘の菜穂子との心の葛藤を描く心理だった。それも多分に三村夫人が自身の心の内に葛藤を作り上げてしまっている感が強い。感情よりも理性が優先する菜穂子にとって、悲劇の根源はそこにあった。
『楡の家』が三村夫人対菜穂子という1対1の関係だったのに比べると、『菜穂子』の方がはるかに複雑である。複数の元をもつ連立方程式といってよいだろう。菜穂子の幼友達で『楡の家』では脇役だった都築明、そして菜穂子の夫の黒川圭介が、菜穂子という接点をもちながら活躍し始めることによって、物語は立体的な様相を帯びる。『楡の家』同様に登場人物の心の襞に分け入る心理劇の様相を呈するのだけれども、物語はもっと淡々と、しかもほどよいテンポで進んで行く。複数の主題をもつフーガの様相で開始された物語は、主題どうしが次第に接点を持ち始め、複雑に輻輳し始める。

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都築明と黒川圭介、この2人の描き方が対照的で面白い。物語の筋からいえば都築明が準主役で、黒川圭介の存在感はそれほど高くはないのだけれど、菜穂子の強烈な個性に翻弄されているという点でこの2人は共通している。2人とも菜穂子の回りを衛星のように回転させられているのだが、吸い寄せられそうでいて、近づくと磁石の同極どうしのように反発してはね返されてしまう。菜穂子の母三村夫人に魅かれつつも、それを振り切るように中国に渡り北京で客死してしまった作家森於菟彦、それとちょうど同じことを、都築明も黒川圭介も、菜穂子の回りで演じ始めている。二度だけだが、都築明と黒川圭介の邂逅(といっても言葉を交わすわけではなく、明が圭介を一方的に認識しているに過ぎないが)も用意されている。
都築明には多分に堀辰雄自身が写し出されているように思う。それは、信州への無謀な旅に破れ半病人のようになってO村の牡丹屋へ向かう彼が、停車場からの道すがら枝の網目の向こうに幼い頃死んだ母の老けた姿を見る場面に端的に表れていよう。それはまことに切々として痛々しいばかりである。そして都築明の姿には、もう一人、建築家ということに象徴されているように、立原道造が投影されているのも明らかだろう。夭折した詩人の姿を自己に重ね合わせている趣がある。
堀辰雄自身の投影は、恐らく黒川圭介にも認めることができる。寡婦となった母とつつましく生活してきた彼の生活環境には、大森の高台という設定になってはいるけれども、東京の下町で過ごした堀辰雄自身の幼少時代の生活が色濃く投影されている。堀自身は黒川圭介のようには母と過ごすことがなかったわけで、肯定的に描かれている訣ではけっしてないけれども、一種そこには羨望のようなものがあるように思う。こうした生活すら堀辰雄は経験できなかったのである。
さらにそういう目で見ていると、『菜穂子』の登場人物たちは、菜穂子自身を含めてみな堀辰雄自身の分身であるように思えてくる。作者自身が「楡の家・菜穂子・ふるさとびと・のノオト」で書いているように、大雪をついて上京するエピソードは、作者自身の療養所での経験に基づくものだった。自分自身の分身に、複数の影を重ね合わせて人物を描いていく手法といえそうなのだが、これは『菜穂子』の随所に現われている。それは過去と現在の自分であったり、自己と他者であったりさまざまであるが、複数の像の重ね合わせとして、自分の姿を捉えようとしている。他人からみれば一つの像しか結ばないものが、光の三原色が重なると白になるように、実は複雑な要素から成り立っているのである。菜穂子が高原の牧場を散歩していて見つけた半分だけ立ち枯れした木がそれを端的に象徴している。
このことは既に『楡の家』第二部で、「そんなふうにだれの目にもはっきりそう見えるその人の姿だけがこの世に実在しているのではないか。……そのほかの姿、ことにこの手帳に描かれてあるような私の悲劇的な姿なんぞはほんの気まぐれな仮象に過ぎないのだ。」と三村夫人に述懐させているのだけれど、結局自己にとってはこの仮象に過ぎない架空の姿こそが重要なのであって、複数の仮象の間を行きつ戻りつしている自分は認識できても、それが他人からどのように見られているか、どのような像を結んでいるかは自己には永遠にわからない。そしてひとは時に仮象の中に埋もれてしまい、仮象への回帰を希求し、実在している像の存在を失念してしまうのである……。

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菜穂子の仮象への潜在的な願望、それは母三村夫人譲りのものだった。菜穂子はそれに必死に抵抗を試みる。母とは違う自分をそこに求めようとする。そうであるからこそ、他人が理解できないような結婚をし、母との同化に気付いたとき、母の残した日記を楡の木の下に埋めることによってそれに抵抗しようとしたのだった(『楡の家』菜穂子の追記の末尾)。それは生への不安からの逃避であるとともに、母と同一なるものへの抵抗でもあったのである。
生への不安からの逃避のための平凡な結婚生活、菜穂子は最初のうちこそそれで心の平安を得ることができた。しかし、捨てたはずの過去の自分への回帰の願望を抑えきれなくなる。自己を佯(いつわ)ってまでよそよそしい結婚生活に堪えていく気力がなくなったのではなく、理由がなくなってしまった、と説明されている。それは、三村夫人の死を境に再び生の不安に取り憑かれるようになって、結婚生活によってその不安を解消することができなくなったことに始まる。つまり結婚生活が避難所としての意味をもたなくなって、生への不安を解消しようとして捨てたはずの過去へ、菜穂子は再び回帰してゆく願望を抑えきれなくなるのである。
病を得た菜穂子は、こうして高原での療養生活に入り、一旦はそこで生き生きとした自分を取り戻した気になることができた。三村夫人であればそれで満足できたかも知れない。しかし、菜穂子が母と違うのは、それは既に三村夫人が気付いていたことではあるけれども、菜穂子が理性で物事を考える性分であり、架空の姿が本当の自分ではないのではないかと見つめ直す冷めた理性をもっていたことである。生き生きと甦れば甦るほど、それが自分が願っていた過去の姿と違うのではないかという不安に怯え始めるのである。自分自身だと信じ込んでいたものがいつのまにか空虚なものになっていたりするのではないか……。自分を取り巻き始めた重苦しいもの、それが再び生じ始めた生への不安の兆しなのだということを、菜穂子は白いスウェタアの青年の許嫁である若い娘の突然の恢復と死に出会い、理解し始めるのだった。(続く)
タグ:読書
posted by あきちゃん at 02:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする