2015年04月23日

「美しい村」の物語を読む2

(承前)前述のように、「美しい村」の物語は、「夏」の時間の中で執筆が進められている。そして「夏」で明らかにされていることだが、「美しい村」を描いている時、私は既に新しい少女(『風立ちぬ』の節子にあたる)との出会いを経験し、立ち去りがたい思いで未だ高原の村に過ごしているのであり、結末は多分にフィクション性を帯びてくるのが面白いところだ。
見方を変えるなら、野薔薇の開花によって過去の思い出を蘇らされてもなお、「美しい村」の物語をまとめあげることができたのは、「夏」に描かれている黄色い麦藁帽子の少女との新たな出会いがあればこそなのだった。こうした物語の重層性は、『風立ちぬ』における「風立ちぬ」と「冬」との間にも見られるところで(「風立ちぬ」は「冬」の時間の中で書かれている)、これらの「組曲」の構造を考えるキーになる要素の一つであろう。
『美しい村』と『風立ちぬ』はそれぞれ独立した作品(組曲)であるから、そうした見方は適切ではないのかも知れないが、両者は密接なつながりや重なりをもっている。例えば、『風立ちぬ』の「序曲」におけるあの著名な秋風が立つ場面は、『美しい村』の「夏」の時間の中で起きたエピソードである。その意味では、『美しい村』の「夏」は、むしろ『風立ちぬ』への前奏曲になっている感すらある。
『風立ちぬ』だけ読むと、「序曲」と「春」以降がどうもしっくりとつながらない印象をもつ。秋風が立つ場面を死の予兆と捉えるのは勿論不可能ではないし、「春」以降との対比が、かえって『風立ちぬ』の死のモティーフを際立たせてくれるという側面も確かにあるとは思う。しかし、どうもぼくはそこに断絶を感ぜずにはおられない。時間の共有ということは抜きにしても、『風立ちぬ』の「序曲」は『美しい村』の「夏」の延長に位置付けてみたくなるのである。
そう考えると、『美しい村』と『風立ちぬ』は、二つの独立した組曲というよりも、連続した作品として捉えるのがよいのではないかとも思えてくる。堀辰雄自身がその辺をどう考えていたか、またどう評価されてきたのかはわからないけれど、両者を構成する各章のタイトルの命名から見ても(「序曲」、季節名の章(『美しい村』では「夏」、『風立ちぬ』では「春」と「冬」)、全体のタイトルと同名の章、そしてエピローグ)、作者自身が両者を一体のものとして捉えようとしていたのがみえてこよう。そう考えれば、「序曲」と「春」の断絶もそう気にならなくなるであろう。

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ところで、『美しい村』において、「美しい村」の均整の取れた構成美と対照的なのが、プロローグの「序曲」とエピローグの「暗い道」である。
このうち「暗い道」は、別離した少女とのニアミスを題材にしたエピソードで、「美しい村」全体のエピローグとしてまこと心憎いばかりの佳品である。独立した小品としても充分読める優れた短編であると思う。これらは40年近く前に初めて読んだときから大好きな部分なのだが、今回読み直してみてその思いをさらに強くした。位置付け的にも『風立ちぬ』の「死のかげの谷」に相当する部分とみることができる。
ただ、全体のバランスからいうと、「暗い道」にはかなり微妙なものがある。むしろ「夏」の一部とみた方が、「夏」としても分量的に「春」に匹敵したものとなってちょうどよいように思う。そもそも「夏」自体が、「春」に比べると著しく自由な構成で、新しい少女との出会いに関わるエピソードを瑞々しい筆致で自由に書き連ねていっている趣がある。仲のよくない兄弟の花屋のエピソ-ドや、アカシアの道で次々と出会った塵芥車のことなど、一種の諧謔味すら加わっている。本来「暗い道」はその塵芥車の話のあとに続くエピソードの一つに過ぎない。それを敢えて全体のバランスを崩してまでここで章を分かって「暗い道」として別立てにすることによって、このエピソードは「夏」のトリとしての位置から『美しい村』全体のエピローグへと格上げされることになった訣である。
もっとも、この点は別の見方も可能かも知れない。ここで着目したいのは、「暗い道」を別立てにすることによって「夏」のトリとなった塵芥車のエピソードのもつ意味である。最初の一台でさえ驚きだった塵芥車が、そのあと小一時間ばかりの間にほとんど十台ぐらいやって来るのである。私はその都度立ち上がって道をあけてやらねばならなかった。これはどこかで聞いたことのあるシチュエーションではないだろうか。そう、これは明らかにサナトリウムの裏手の道での、私と野薔薇との間歇的な出会い(ということはすなわち数年前の坂道における少女たちとの出会いのでもある訣だが)のパロディーなのではないか。向日葵のような少女との出会いによって、私はもはや野薔薇がいっぱいに花をつけていたことを思い出しても少しも感動を覚えなくなっていた。これまでの避暑地の思い出はもうゴミに等しい物になっていたのであって、野薔薇、言い換えればそれに象徴される序曲の手紙の宛先であるかつての恋人との訣別、というよりむしろそれからの「私」の巣立ちを象徴するのが、塵芥車だったのである。
その意味で「暗い道」は明らかに「夏」とは別次元の物語ということになるのだろう。その意味で、新しい少女との出会いによって思いもよらぬ結末にはなったけれども、『美しい村』のエピローグに相応しいエピソードとなったのである。

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「暗い道」の最後の場面で、坂道で足を滑らせて坂の中途に転がっている少女を花ざかりの灌木(野薔薇!)に見立てている部分がある。野薔薇によって少女たちのことを思い出した「美しい村」の物語を閉じるに相応しい描写といえるだろうが、過去の思い出に関わる野薔薇を冷静に思い浮かべられるだけの余裕が生まれてきているのである。物語はこのあとさらに、「夏」に登場した足の悪い花売りが、どうしてまたあぶなっかしい坂道をわざわざ昇り降りするのだろうといぶかしく思うところで閉じられるのだが、この意外で謎をかけるような結末は、まことに絶妙である。
あえて読み解くなら、そこにはこの花売りへの嫉妬が暗示されているのだろう。少女がこの花売りをモデルに絵を描きたいと告げたときに覚えた軽い嫉妬は、2階の窓から同じこの裏の坂を昇って行く姿を目撃してそれが足の悪い若い男だと知って氷解していたのだったが、足を滑らせた少女に花盛りの野薔薇を思い浮かべた私は、自分にとっては勝手の知れた草深いこの坂道が案外歩きづらいことを改めて思い返し始めたに違いない。少女がいつも絵を描きに行くときに通る歩きにくいこの坂道を、足の悪い花売りはわざと選んで昇っていっているのではないか、そんな疑心暗鬼がよぎったのではないか。そんなちょっとした心の揺らぎは、『美しい村』全体のエピローグに深い絶妙な余韻を与えている。
これに比べると、「序曲」はプロロ-グとして完璧過ぎるくらい完璧である。その失恋した少女への手紙のいじらしいばかりの瑞々しい筆致は、読んでいて恥ずかしくなるくらいだが、知らず知らずのうちにこの文章が自分の書くものにうつってきていて赤面した記憶がある。
話がいつのまにか『美しい村』全体に及んでしまったが、その中でこそ「美しい村」の物語の構成美は一層明確に見えてくるだろう。「暗い道」で閉じられる深い余韻を残した『美しい村』全体の読後感は忘れがたいものだけれど、完成された作品として取り出してみたときの「美しい村」の物語の魅力には、まこと抗しがたいものがある。

おまけ:「美しい村」のテキストについて
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2015年04月18日

「美しい村」の物語を読む1

堀辰雄の『美しい村』は、その名の通り美しい名作である。全体は、「序曲」「美しい村」「夏」「暗い道」の4部からなっていて、これは「序曲」や「小遁走曲」(「美しい村」の副題)といった命名が端的に示しているように、音楽の「組曲」を意識した構成になっている。ただ、特徴的なのは、それらが均等のバランスで構成されている訣ではないことだろう。『美しい村』という組曲の中に、組曲全体と同じタイトルをもつ「美しい村」という楽曲があるのだ。これはむしろ、楽曲のタイトルが組曲全体のタイトルになったという方が正しいのかも知れないけれど、「美しい村」が物語全体の中核を構成していることは間違いない。これだけ取り出しても、一つの完結した物語として充分成り立ち得るだろう。そこで、『美しい村』の中の章の一つであるこの「美しい村」について、少し考えてみたい。

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「美しい村」の物語について、これに続く「夏」の中で作者自身が解説している部分がある。すなわち、「そんな季節はずれの、すっからかんとした高原で出会ったことを、それからそれへと書いていったもの」であるという。確かに題材こそそれからそれへと集めていった趣であるのは間違いないけれど、ただ漫然と並べているわけではない。作者の言葉を借りれば、それは「構想しつつある物語の中へそのままエピソオドとして溶け込んで来」るのあり、それによって「自分からともすれば逃げて行ってしまいそうになる物語の主題を少しずつ発展させてい」ったのだという(いずれも岩波文庫版28頁)。しかし、そんなに都合よく素材が飛び込んで来るはずはないのである。恐らく作者の想像を絶する努力によって、それら自身が自ら嵌まり込んできたような印象をもつくらいごく自然に、そうであらねばならないと思われる形で再構成され、物語としてまとめ上げられているのである。
『美しい村』全体のバランスが比較的緩やかであるのに比べると、その中核をなす「美しい村」の物語は、「それからそれへと書いていった」とは到底思えぬ程にがっしりとした構造をもっている。一文一文はセンテンスがたいへんに長く、思考の過程に沿ってたゆたう趣が濃いのだが、それらが実は太い骨組みの中に配置されているのには驚かされる。これは堀辰雄の文学の特徴といってよいだろうし、そのがっしりとした骨組みがあればこそ、彼の文学がこれほど生命を保ち、受け継がれてきたのだろうと思う。病気を抱えつ48歳まで太く生き抜いた堀辰雄の生そのもののような趣といっても過言ではない。

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物語は、3つのアステリスクを三角形に重ねた堀辰雄独特の記号によって区切られた7つの部分から構成されている。「あるいは 小遁走曲」という副題を与えられていることからもわかるように、作者のイメージとしては、いくつかの主題がとつおいつしながら絡み合って進行していく物語と捉えられているのだろう。
7つの部分の主題をざっと整理すると概ね次のようになろうか。
1老嬢の家との再会、少女のヴィラの見慣れぬ白い柵への驚き、2野薔薇との最初の出会い、3物語の主題としての二人の老嬢、4子供たちの領分との交流、5、物語の主題の探求、6野薔薇の開花、5白い柵のヴィラでの爺やとの会話、老嬢の家からの旅立ち
すなわち、老嬢の家・白い柵のヴィラ→野薔薇→物語の主題→子供たちの領分→物語の主題→野薔薇→白い柵ヴィラ・老嬢の家、という順番で主題が移り変わっていく。それは完全な対称形を成している。
「私」は初め、いわば少女に対する失恋を癒やすために、その物語をまとめようと高原の村にやって来た。しかし、過去の思い出の心地よい応接に心の恢復を見出し、ことにレエノルズ博士のエピソ-ドを交えた開花前の野薔薇との出会いを契機に、当初の失恋の物語をまとめるのをやめて、新しい物語の主題を模索し始める。それが冒頭に描かれた打ち棄てられた家にかつて住んでいた二人の老嬢の物語であり、婦人を故郷に帰し一人で高原に住み続けているレエノルズ博士の物語であり、木樵とその気のおかしくなった妻と彼らの娘の物語の3つなのだった。物語が先に進まないもどかしさは、霧の中の散歩とバッハの遁走曲にたとえられている。
しかし、当初考えていた物語の主題を忘れさせてくれた野薔薇との出会いが、その開花によってかえってその思い出を浮かび上がらせてしまうことになる。間歇的な野薔薇と出会い、それがもたらした音楽のリズムが、坂道での少女たちとの出会いそのものを蘇らせるのである。
結局私は、白い柵に象徴される全てのものの変容と時を超えた変化をあるがままに受け入れ、事物の変化に自分の変化をも意識するようになる。その一方で、変容しないもの、純粋な者へのあこがれが強まってくる。その象徴が太古から変化しない「巨人の椅子」であり、峠の子供たちが見せてくれた「子供の領分」なのだった。そして、一切のもののなかに取り囲まれて過ごす幸福を味わいながら、物語は未完のまま、そこからの飛翔、旅立ちを決意するのである。

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「美しい村」のもっとも重要なアイテムは何かと問われたら、それは野薔薇であると誰もが認めるに違いない。しかし、意外に重要な役割を果たしているのが子供であり、そして木樵と気のおかしくなった妻とその娘のエピソードのように思われてならない。純粋で変化しないものへの憧れがあるように思う。とくにそれを感じるのは、先程少し触れたような全体構成の中で、このエピソ-ドこそが7つの章の4番め、つまり対称性をもつ物語の中心に位置するからである。
それともう一つたいへん気になるのは、結末で村からの旅立ちを決意する場面における山鳩の登場である。それだけならどうということはないようにも思うけれど、山鳩はここのほかにもう1カ所に登場していて、それが実は同じ4番めの章、すなわち峠の子供たちに案内されて白い橋まで降ってきた経験が記された部分なのである。つまり、娘が氷倉に影に隠れたあとで聞こえてきた異様な叫びについて、それは木樵の気のおかしくなった妻の叫び声なのだろうが、耳にこびりつく得体の知れないアクセントだと表現するだけでなく、林の中で山鳩でも啼いたのだろうか、とさりげなく描写しているのである。物語の中心に登場するのと同じ山鳩が、村からの旅立ちを促す役割を果たしているのは、けっして偶然とは思えない。この山鳩もそうだが、総じて物語の中心に位置するこの木樵と気のおかしくなった妻とその娘のエピソ-ド、そして子供の領分について、重要なのは多分確かなのだという見通しはついてきたものの、なおその意味づけを私自身まだ充分には説明できないでいる。(つづく)

「美しい村」のあらすじ
おまけとして「美しい村」のあらすじを私なりに心覚えとして整理してみたものを付けておきます。
タグ:読書
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2015年04月09日

苦言と具体─言葉の感覚

言葉に対する感覚は人それぞれで、不断何気なく使っている言葉でも、こちらの意志と別のニュアンスで伝わってしまうこともあるのではないだろうか。8割方の感覚が共通でも、残りの2割で別のニュアンスを帯びているというようなことがきっとあるに違いない。そうした微妙に重なり合う部分を使ってお互いの意思疎通を図っている、そんな危なっかしい部分が人間の言葉による意思疎通にはあるように思う。
そうはいっても、こういう使い方はないだろう、それはおかしい、と思わずにはいられない使い方に身近に接することがよくある。自分自身の感覚の許容範囲を超えた使い方である。勿論ぼく自身の感覚にしたところで、それはぼくの育ったさまざまな環境や付き合ってきた人々、あるいは読んだ書物などによって形成されてきたものであろうから、それが正しいとか間違っているとかは一概に判断できないものではあるけれど、この使い方は許しがたい、常識的に見ておかしいだろうと感じてしまう場合が多々あるのである。言葉とは本来変化していくものであるから、正しいか間違っているかで判断できるものではないとはわかってはいても、やはり気持ち悪さを感じて、個人的に悲憤慷慨したくもなる、
例えば、最近特に気になっているものに、「苦言を呈する」がある。以前はそう頻繁に聞く言葉ではなかったけれど、最近この言葉を聞く、見る機会が特に増えたように感じる。しかも濫用といえるくらい安易に使い過ぎているように思う。単に苦情を言う、文句を言う、非難する、批判する、あるいはそこまで強いニュアンスはなくても、好ましくないと指摘する、いやだと言う、などなど、ほとんど小言を言うと言った程度のそんな比較的軽いニュアンスで使われている場合が多いのではないだろうか。苦言を呈する者と呈される者の上下関係はほとんど問題にされず、両者の住む世界も問題にされていない。
しかし、そもそも苦言を呈することができるのは、少なくともぼく自身の個人的な感覚では、それなりに経験を積んで人で意見する立場にあると誰もが認めうるような人、学識経験者や一芸に秀でた人のみであって、そうした人々が大所高所から未熟な者に対して意見をする、アドヴァイスする、というような感覚の言葉として、繰り返すが少なくともぼく自身は理解してきた。苦言を呈することができる人というのは、やはりご意見番的な人、その人に言われたら聞かない訣にはいかないと誰もが納得できるような人、だと思ってきた。
ところが最近のニュース、ことにネットのニュースでは「苦言を呈する」、あるいは「苦言」という言葉があまりに乱発されているという印象を禁じ得ない。同僚に苦言を呈してみたり、誤解を怖れずに言うなら、こんな人に果たして苦言を呈する資格があるのかと思うような人の「苦言」がニュースを賑わしているのである。良薬は口に苦いものであるべきで、しかるべきタイミングでしかるべき人から発せられて初めて効くものである。敢えて言うなら、ヴァラエティまがいのニュースショーで、物知り顔で苦言を呈した気になっている似而非文化人がいかに多いことか。芸能人どうしで苦言を呈し合うなど、まして何をか況んやである。苦言も安くなったもの、まさに暴落である。その一方で、真に苦言を呈することができる、あるいは呈してきたキャスターやコメンテーターが、いともあっさりと降板させられる、怖ろしい世の中になったものである。
話がやや横道に逸れた感があるけれど、こんなぼくの発言なども、恐らく現代的な感覚では苦言と捉えられてしまいかねないのかも知れないが、こんなものはあくまで感想、つぶやきに過ぎないのであって、苦言などという範疇で捉えるべき大それた物言いなどではけっしてないのである。苦言とは、本来もっと重みをもつものだったはず、というのがぼくの感じた違和感の原因なのだろう。
もう一つは、「具体」という言葉。これは聞いているとどうも役人言葉のように思える。具体に考えるとか、具体の話とかなんとか、これはどう考えても「具体的」というべきものだと、ぼく自身の生きてきた世界では理解してきたところだ。ところが、「的」を省くのが格好良さそうに聞こえるからなのだろうか、「具体に」が連発される。
確かに、「的」の濫用という傾向がないわけではない。「わたくし的」にはそう思うとかなんとか、「わたしはそう思う」でよいものに、「的」を付けて、言葉を柔らかくしたような錯覚に陥っていることがよくある。ぼく自身も使うことがない訣ではない。
しかし、だからといって、本来あるはずの「具体的」の「的」まで取ってよいというものではない。頭の中だけでなく、実体があるものとして、というのが、「具体的」なのであって、けっして「具体に」ではどうもこうもできるものではない。それは対になる反対語の「抽象的」に置き換えてみれば一目瞭然であろう。「抽象に」考える、「抽象の」話では、それこそ何をどうすればよいのか全くわからず、抽象的な話になってしまい、具体像が見えてこないだろう。
使われ方に違和感をもった言葉は、ほかにもいろいろある。最初に書いたように、ひとそれぞれの部分が多々あってその共通部分をうまく使って人間は生活しているのだと思う。同じ人でも年齢を重ねるうちに、また生活環境によっても変化していく場合もあるに違いない。住む場所が変わって新しい地域のアクセントやイントネーションにすぐ馴染む人もいれば、ほとんど影響を受けない人もいる。上手に使い分ける人もいるだろう。
以上は主に会話を念頭に書いてきたが、これは別に会話だけに限ったことではない。書き言葉についても同じであって、小説を読んでいてもあれっと思うことがある。なかなかそれをメモる努力まではしてこなかったので、すぐにあれこれとは思いつかないけれど、今と違う感覚だなあと感じる経験である。
言語学にはきっとこうしたことを研究している分野もあるのだと思う。しかし、素人的(!)にもそれらも含めて言葉の使い方に関する些細な経験(感覚)を気がつき次第書き止めていってみたら、案外面白いのではないかと思い、こんなことを書き綴ってみた訣である。
タグ:日常 言葉
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2015年04月06日

夢に寝て記憶が飛ぶ夢─夢の記憶28

おかしな夢だなと思い、忘れないうちにと思っているうちに記録することを忘れてしまっていた。起きた当座よりも随分記憶が飛んでしまっているに違いなく、なかなか思い出せないが、ともかくも覚えている限りを書き止めておこう。
鮮烈な、夢の中での目覚めだった。何か乗り物に乗っている。バスのような動きなのだが、車内のしつらいはどうも電車のように見える。ぼくはその時目が覚めて、今自分が乗り物に乗っていることに気付いたのである。夢の中で眠る前、明日朝7時の電車(あるいはバス)に乗って出かけないと何かに間に合わない、そう考えて先の乗り継ぎの予定まできちんとおさえて目覚ましをかけ、そして床に就いたことを覚えている。それなのに今乗り物に乗っているのはどうしたことか。今ぼくは何をしているのか。昨日立てた予定はどうなってしまったのだろう。そんなことを立て続けに思い巡らした。
もしも予定通りに動けているのだとしたら、もしも朝ちゃんと目覚めたあといつのまにか準備をし、そして予定したこの乗りものに乗れたのだとしたら、身体はここにあるからいいとして、荷物はいったいどうなってしまったのだろう。そう思ってあたりを見回すと、遠出するときにいつも持って行く「コロコロ」がそばにちゃんとあるではないか。やっぱり覚えていないだけで、寝ぼけながらもちゃんと準備をして予定通りの行動をしていたのさろうか。あり得ないことではない、でももしそうだとしたら、その間の行動の記憶が全くないのはどうしてなのだろう。こんなことはいまだかつてなかったことなのに……。そうぼくは自問し始めていた。
その時乗り物は停車していた。電車に乗っていると思っていたが、やはり景色はどうもバスのようで、バス停に掲示してある時刻表を止まっている車内から眺めている。1日に3、4本しか便がないことがわかる。最初は覚えておけばいいやと思い、あとになっていややっぱり書いておいた方がと思い直し、筆記用具を探すが見つからない。どうも今ここで降りてどこかへに別の用事を済ませに出かけ、再度ここから乗車することを考えていたらしい。
その細かな行動予定も夢の中ではちゃんと描かれていたのだが全く思い出せない。覚えているのは、時間の見込みを立て間に合うかどうか考えようとするのに、どうしても計算がうまくできなくて、結論が出せなくて焦っていたこと。時刻表を見ているくらいだから、乗り物は停車してはずである。時刻表を見るためにだけ止まっていてもらうのは申し訳ないと思い、もしも降りるのなら早くしないと、と気ばかり急いてくる……。
前の晩、荷物の用意をして、目覚ましを掛けて寝たのはどうも実家のようだった。しかし、いつのまにか乗り物に乗っていた顛末を夢の中で母に話していた記憶がある。実家から出発したはずなのに、出先に母がいるわけはないではないかと自問し(ということはその場面を通り越した後でのことなのだろうが)、どちらかが母ではなく家内ではなかったのかと、問うている自分がいたことが夢の記憶としてある。夢の中で既にどうも辻褄が合わないことを認識していたらしい。でもそれが夢の可能性があるとは少しも考え及ばず、ただひたすらおかしいおかしいと反芻していた。
でも、あれはもしかして今朝目覚めた後のことなのだろうか、いやそんなことはない、やはり夢の中での自問自答だった。

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昨日、午後から長女が花見を兼ねてカメラを抱えてやってきて1泊していった。新大宮から佐保川沿いのサクラを愛でてJRの踏切を越え、船橋通りからの道を左折して川を渡り、大仏鉄道記念公園の所から春日野荘東側の興福院参道のサクラ並木まで。旧ドリームランド近くのコーヒー店で落ち合ってひと息みしたあと、家路に就きがてら、一緒に般若寺のサクラを見に行った。日に日に伸びる日足にだまされてそんなに遅い時間とは思っていなかったのに、もう17時を回る時間になっていて、拝観時間はとうに過ぎてしまっていた。それで外から眺めるだけではあったが、朝見に行ったバス通り側からの大仏殿を入れた眺めとは反対側から、もう一度同じサクラを遠望することができた。
般若寺のサクラ.jpg
〔般若寺のサクラ遠望〕

般若寺のサクラ(裏側).jpg
〔般若寺のサクラ─バス通り側から─。但しピンぼけです〕

先程娘を駅まで送り届けるとき昨日写真を撮りに行ったバス停を見たら、一面に薄桃色の絨毯が浮かび上がりそれはそれは見事な光景だった。
モンブラン.jpg
〔娘と食べたモンブラン─下半分はスポンジ─。汗ばむ陽気に娘はアイスコーヒーだった〕
タグ: 奈良
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2015年04月04日

『菜穂子』断章3─その描写のいとおしさ

満開のサクラは昨日の雨を持ちこたえてくれたけれど、夕方にはもうポツポツと来始め、明日はまた雨。一週間先まで晴れマークは見当たらない。その意味で土曜日の今日は、青空にこそ恵まれなかったものの、お花見日和の一日だった。とはいっても今日の奈良は、春を通り越して夏日を記録(最高気温25.1℃)。歩いていると汗ばむ程の陽気となった。
今年のサクラは天候にはあまり恵まれないけれどひときわ鮮やかに思う。毎年同じように咲いているようでいて、咲き方は年によって随分違うと思う。開花後に寒い日が続くと花は長持ちするというけれど、美しさという点ではどうだろう。むしろ気温が上がってぱあっと咲いてしまった方が、花にも力強さが現われるのかも知れない。その分だけ花の命自体は短くなるのだろうが、散り際の良さがサクラの身上であるならば、好き嫌いは別として、それはそれでよいのだろう。
最寄りのバス停から少し行った先に、サクラがまとめて植えられているバス停がある。この季節、通勤途上そこに近づくと、思わず車窓から見惚れてしまう程の美しさである。「さくらの花の散る下に 小さな屋根の駅がある 白い花びらは散りかかり……」(阪本越郎「花ふぶき」)のバス停版といってもいいくらいの景色だと思う。毎年何とかこの風景をカメラに収めたいと思いつつ、通勤にカメラを持っていくことなどないし、かといってこのご時世だから、乗ってくるお客さんがたくさんいるところにバスの中からケータイを構えるのも気が引け、これまで宿願を果たせずにいた。
それで今年のサクラももう見納めかと気付いた今日、思い立ってそのバス停まで自転車で走り、ちょうど誰も待っているお客さんがいないそのバス停の満開のサクラを、道路の反対側からカメラに収めてきた。撮ってしまえばどうということのない写真であるし、ふだん思っている美しさの十分の一ほども表現されていない。それでも今日しかできないと思ったことを今日実現できた歓びは大きかった。ぼくの心の中で、きっとあのサクラは永遠に咲き続けることだろう。
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〔バス停の満開のサクラ〕

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〔バス停のサクラの花と幹〕

さて、前置きが長くなったが、菜穗子断章の完結編を記すこととする。現在の眼で見直すなら、『風立ちぬ』や『美しい村』はどのように読めるだろうか?

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(承前)最初に少し触れたように、複数の影を重ね合わせて人物を描いていく描き方、ちょうど何枚ものスライドを重ね合わせていくような重層的な描き方は『菜穂子』の大きな特徴といってよいと思う。それは客観的に重ねていく場合もあるし、登場人物の視点に立って重ねていく場合もある。それは登場人物自身の視線が過去を含めていろいろな画像に遷移していくこともあれば、登場人物を見つめる他人の視線がさまざまに変化していくこともあるけれど、文中の言葉を借りれば、要するに「眼差しの交錯」が一つのキーワードになると思う。
例えば黒川圭介の場合。高原の療養所で嵐の一夜を明かして東京に戻ろうとするとき、いよいよ孤独の相を帯びだした妻菜穂子のこと、そのそばでまるで自分以外のものになったような気持ちで一夜を明かしたゆうべの自分自身のこと、大森の家でまんじりともしないで自分を待ち続けていたであろう母のことだのを次々に思い浮かべる。そして現在と現在思い出しつつある過去の感覚が絡まり合って、自分が二重に感ぜられてくる。空を見つめる今の自分自身の目つきが、昨日見た瀕死の患者の無気味な目つきになったり、いつも自分がそれから顔をそらせずにはいられない菜穂子の虚けたような眼差しになったり、それらが変に交錯していくのを感じているのである(第十二章)。
都築明の場合。半病人のようになってO駅に降り立ちO村の牡丹屋に向かうとき、背中を曲げて元気なく歩いている現在の自分と、自転車に乗って頬を火照らせて息を切らしている少年の自分が交錯し始める。そこにさらに「見てて。ほら、両手を放してる……」」と背後から自転車に乗って少年の日の自分に向かって叫んでいる菜穂子がよみがえってくる。
また、牡丹屋に身を託して病苦と闘う日々、旅中のさまざまな姿を脳裏に甦らせる。冬の旅を続ける自分の空虚な姿が次から次へとふいと目の前に現われてはしばらくそのままためらっている……。
菜穂子の場合。何かの変事を期待して封を切った姑の手紙に失望して返事を認めるとき、夫のうち沈んだ姿を思い描きながら、そんな眼つきで見つめるとすぐ夫がそれから目を外らせてしまう、あの見据えるような眼差しをしている自分に気が付く。そしてそこに「そんな眼つきでおれを見ないでくれないか」そう夫がたまらなくなったように言った豪雨に閉じ込められた日の不安そうだった夫の様子が浮かんできて、今度はそれに対しその嵐の中でと同じような無気味な思い出し笑いを浮かべている菜穂子がいる……。
ここに挙げたのは必ずしも最適なものばかりではないけれども、こうした眼差しの交錯は、最終的にそれぞれ一つの像へと焦点を結んでいくことになる。

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それにしても『菜穂子』における堀辰雄の文章は本当に美しい。美文だというのではない。しっかりと筋の通った文章が生き生きと躍動しているのである。個々の文だけではなく、文章のリズム感、流れが最高に息づいているのである。挙げれば切りがないのだが、蛇足ながらいくつか挙げてみる。
「その赭しい少年の日々は、七つのとき両親を失くした明を引きとって育ててくれた独身者の叔母の小さな別荘のあった信州のO村と、そこで過ごした数回の夏休みと、その村の隣人であった三村家の人々、──ことに彼と同じ年の菜穂子とがその中心になっていた。」(二。156頁〈岩波文庫版による。以下同じ〉)
「O村での静かなすこし気の遠くなるような生活が始まった。」(四。164頁)
「一日は他の日のように徐かに過ぎて行った。」(六。174頁)
「冬空を過った一つの鳥かげのように、自分の前をちらりと通りすぎただけでそのまま消え去るかと見えた一人の旅びと、──その不安そうな姿が時の立つにつれていよいよ深くなる痕跡を菜穂子の上に印したのだった。」(十八。222頁)
この最後に挙げた文章は十八章の冒頭部分で、菜穂子のこのあとの行動のキーになる文章だと思うが、実は十七章末尾から、章を分かってひと呼吸置いて始まる流れが途轍もなくすばらしい。思わず何度も何度も読み返してしまう。内容、文章、リズム、全てにおいて完璧である。総じて『菜穂子』は贅肉を切り落としたような書きっぷりで、淡々とした印象を受けるけれども、実はものすごく骨太である。読者をぐいぐい引っ張り込んでゆく(ちょうど菜穂子に吸い寄せられる都築明や黒川圭介のように……)。しかし、ごつごつした感じは全くなく、いたってスマートにみえるところが不思議である。
「雪は烈しく降り続いていた。」(22章)
「雪は東京にも烈しく降っていた。」(23章)
言わでもがなのことではあるけれど、導入の巧みさは堀辰雄の文章の特徴でもある。それは『風立ちぬ』の「それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、……」にしてもそうだし、初期の名作『聖家族』の「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」に既に典型的に現れていよう。
あと、章ごとの絵のような完結した美しさも特筆に値する。画像を積み重ねていくような感じはここから来ているのだろう。場面場面の積み重ねによる印象的な描き方である。どれを選ぶか、むしろ選ばないのが心苦しいのだけれど、一章:銀座の人混みでの明と菜穂子のすれちがい、十四章:明と圭介─荻窪駅のプラットフォームにて、十七章:高原療養所での明と菜穂子の邂逅、二十章:明と母の面影、二十二章:菜穂子の上京の決心、二十四章:菜穂子の旅立ち、などの章はそれぞれ一幅の絵のような章である。『楡の家』第二部の三村夫人と菜穂子の葛藤の場面に勝るとも劣らない名場面が陸続と登場するのである。
それともう一つ、物語の舞台となっている土地が、信濃追分と富士見という、八ヶ岳を挟んで北と南に位置する二つの村であることが、(特にぼくにとっては)『菜穂子』の大きな魅力になっていることは間違いない。八ヶ岳の裾野を登り詰めて行く、中央線の今はなきスウィッチ・バックの描写や、荻窪駅で通過する列車に思いを託す場面など、それこそぼくの琴線に触れるような箇所が次から次へと現れる。中でも印象的なのは、O駅へと喘ぐように登ってゆく汽罐車の音である。最初は明の初めてのO村での静養の日々、暮れ近くに林の中でその印象深い音を聞いて、何とも言えず人懐かしく思う(これは2度めの時の回想の形で現れる)。2度目には冬の旅の帰途、ほとんど半病人ようになった明自身を乗せてO村に運んでゆく。3度めにはそれを牡丹屋で病苦と闘っている明が聞き、彼の前にためらっている旅中のさまざまな自分の姿を跡方もなく追い散らして、最後にそれが穉い頃死に別れた母の顔を思い出した時のときめきを伴って、頭上に樺の枝を見上げていた自分の姿だけを残していく。実に3度も繰り返し繰り返し登場するのである……。もう繰り返すことはしないけれど、雪の東京に至っては、もうなにをか言わんやという思いすら抱く。人物像とともに、そうした空間・時間の舞台装置が、ぼくにとって『菜穂子』をより愛おしいものにしているのを告白しなければならない。

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釈迢空の弔歌(『文芸』第10巻第8号・1953年8月号).jpg
〔釈迢空の弔歌と掲載誌(『文芸』第10巻第8号・堀辰雄追悼号・1953年8月)の表紙。最近偶然入手したもの〕
菜穂子の後 なほ大作のありけりと そらごとをだに我に聞かせよ─釈迢空(折口信夫)が堀辰雄の死を悼んで詠んだ弔歌である(『文藝』第10巻第8号、1953年8月。堀辰雄の逝去は1953年5月28日)。ぼくが最初に読んだ角川文庫版の『菜穂子・楡の家』のカヴァー見返しの解説にもこの歌は引用してあった。「『菜穂子』のあとに、さらに大作があったと、たとえウソでもいいから私に聞かせてほしい」とは、けっして直接的に『菜穂子』を激賞しているというわけではない。『菜穂子』の次に当然書かれるはずだった大作を残さぬまま他界してしまった堀辰雄への心の底から絞り出すような悔やみの言葉である。それはとりもなおさず、『菜穂子』が次なる大作を予感させる作品だったことを前提とした述懐であった。
『楡の家』第一部となった「物語の女」を序曲として『菜穂子』が書かれ、それらを結ぶ「目覚め」が『楡の家』第二部となった。そしてこれらが『菜穂子』として刊行された。そして堀辰雄が書こうとした壮大なロマンの、それは序曲となっていくべきもののはずだった。釈迢空の弔歌の意図はそこにあるのだろう。それは『菜穂子』を最高峰とするところの堀辰雄の文学、そして堀辰雄そのひとへの最大の讃辞となっているのである。『菜穂子』は完結した作品として高い完成度を保っているけれど、加えてより大きなものの一部であることを予感させる、広がりをもっているのである。『菜穂子』に未完の印象を受けるとするならば、それはそうした無限の広がりへの予感のなせるわざなのである。『菜穂子』が堀辰雄の文学の最高の高みであり、「大作」であることは疑いのない事実だろう。(完)
posted by あきちゃん at 21:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする