2015年05月25日

『七つの手紙』と「死のかげの谷」の誕生

堀多恵子さん(堀辰雄夫人。2010年4月に96歳で逝去)は随筆の名手だった。手許に本がすぐ取り出せないので紹介できないのが残念だけれど、以心伝心というのか、いやそれだからこそ堀辰雄が結婚相手として選んだのかも知れないが、堀辰雄の心を自身の心としながら、しかも独自の高い境地を開き、夫の分までしなやかに生きた稀に見る女性であった。お書きになったものを通してのそうした印象は、以前金沢の室生犀星記念館でほんとうに偶然にインタビューのビデオに出逢い、ますますその思いを強くしたのだった(「金沢で出会った堀辰雄夫人」)。
その多恵子さんが堀夫人になる前の、まだ加藤多恵子さんだった時代の多恵子さんに宛てた手紙からなる、『七つの手紙』という堀辰雄の作品がある。今は品切中のようだが、新潮文庫の『かげろふの日記・曠野』の冒頭に収められている小品である。ああ、こんな手紙が書けたらなあ、そしてこんな手紙を堀からもらえた多恵子さんはほんとうに幸せだったなあと思わずにはいられない、手紙文学─そんな範疇があるのかどうか知らないけれど─の傑作である。
『七つの手紙』には、どれがどこにと特定するのは難しいけれど、堀辰雄の他の作品で出会ったことのある印象やフレーズがあちこちにちりばめられているように思う。それほど堀辰雄の作品の世界そのものがここには展開している訣だが、加えて多恵子さんに対する細やかな配慮と絶大な信頼が随所に窺える。そして何よりも貴重なのは、堀辰雄の文学が既に多恵子さんの存在によって支えられ成長していることがわかることだろう。
1937年の秋から年末にかけてのこれらの手紙が書かれた期間、堀辰雄は初め追分の油屋に、そして油屋を火災で焼け出されて軽井沢に避難したあと、川端康成の別荘を借りて冬を過ごし、執筆活動を続けていた。ここで生まれたのが『風立ちぬ』の終章となった「死のかげの谷」である。『七つの手紙』には、あとでまた触れるように『かげろふの日記』が書かれた経緯が語られていて、彼の文学の道筋が種明かしされているのだが、それ以上に注目されるのは、『風立ちぬ』を『風立ちぬ』たらしめているあの類稀な終章が生まれた経緯を作者自身が語っていることである。

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「死のかげの谷」では一人で冬を越したように描かれているが、『七つの手紙』によれば、同時に油屋を焼け出された野村英夫も一時ここに転がり込んできていた。「死のかげの谷」にはだから、小説としてのそれなりの脚色が含まれていることになる。『風立ちぬ』がけっして私小説ではないことともそれは連動している訣で、確実に言えるのは、堀辰雄が自身の経験を小説へと昇華させていっていることである。絵空事ではない、かといって全く事実そのままという訣でもない、堀辰雄自身の世界がそこには力強く構築されているのである。カトリック教会に出かけたエピソードにしてもそうである。そこで一人祈るドイツ人らしき婦人を見かけたこと、神父さんがコッテエジまで訪ねてきたことなど、「死のかげの谷」のエピソードが生の形で語られているのだけれど、そんな何気ない出来事が「死のかげの谷」でいかに文学へと昇華を遂げているか、堀辰雄の作品の秘密がそこには端なくも解き明かされているように思う。
つまり、「死のかげの谷」の私と同様に、堀辰雄自身これを書くことによって生きるよすがを見出したのであった。これは死者へのレクイエムであると同時に、過去の自身へのレクイエムでもあって、それによって私、そして堀自身が確固とした希望をつかむのである。多恵子さんの出現がそれを促したともいえる訣だが、そんな因果関係をどうのこうのというよりは、全てが必然によって結びつけられているとしか思えない。堀辰雄自身が『七つの手紙』七番めの手紙の最後で、「僕もどうやらこれで漸く一つの人生学校を卒業したのでしょうかね。」と何気なく語っているけれど、この述懐には堀の深い感懐が込められている。そしてその卒業の蔭には、多恵子さんの存在が大きかったことはいうまでもない。このことばは多恵子さんへのさりげない感謝のことばとみることができるだろう。
「死のかげの谷」で、クリスマスに呼ばれたあとの、死のかげの谷としか思えなかった谷奥の小屋への帰途、谷じゅうを掩うように雪の上に点々と散らばっている小さな明かりが、実は自分の小屋の明りであることに気付いた私は、小屋に昇りつめてから小屋の明りが谷を明るませている様子をもう一度見たいと期待して見事に裏切られてしまう。たったこれっきりなのかと知って気が抜けた思いを味わされるのである。そしてそこに自分の人生を重ね合わせてみて、大きな発見をする。ふだんこれっぱかりと思っている人生の回りの明りだって、小屋の明りと同じようにもっとたくさんあって、それが自分自身を生かしておいてくれているのではないか。一つの人生学校を卒業したと感じた、まさに感動的な瞬間である。
『七つの手紙』を読んで驚くのは、堀自身がまだ婚約者の死を完全に乗り越えてはいない段階で、『かげろふの日記』を初めとする王朝物を書き出している事実である。自身の気持ちの精算はつかなくとも、作品の世界は「常にわれわれの生(いのち)はわれわれの運命以上のものである。」(『七つの手紙』二)という主題を追求し、はやくも『風立ちぬ』の先へ先へと進んでいるのである。その意味では、「死のかげの谷」はなによりも堀辰雄自身の過去への「レクイエム」だったというべきなのかも知れない。運命以上の生(いのち)を生きる、それはまさに堀辰雄自身の生き方そのものなのだった。

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『七つの手紙』も40年前に読んだはずなのに、あまり記憶に残っていなかった。一つには『かげろふの日記・曠野』の冒頭に収められていたという事情もあるだろう。というのは、新潮文庫から出ている堀辰雄の6冊の作品集のうち、『かげろふの日記・曠野』が恐らく一番馴染みが薄かったからである。それはひとえに王朝物への共感が薄かったからに違いないのだが、まだ道綱の母のような人生の感懐を理解できる年齢ではなかったということなのだろう。『かげろふの日記』執筆中に書かれその背景がよくわかるから、『かげろふの日記・曠野』の冒頭に収録したのは新潮文庫編集者の一つの配慮なのだが、これがもし「死のかげの谷」執筆の頃に書かれたという面を重視して『風立ちぬ』に収められていたならば、それはそれで随分と印象が違ったものになっていただろう。
それにしても滞在していた追分の油屋で『かげろふの日記』を脱稿し、出版社に送付しに軽井沢に出かけた留守に、その油屋が焼けてしまったというのは何という偶然だろう。そのため『かげろふの日記』そのものは失われずに済んだのに対し、資料やノートが全て焼けてしまった次なる小説は、結果的に名作『ほととぎす』として再構成されることになったのだが、その前に「死のかげの谷」を生み出していたのである。多恵子さんとの出会い、油屋の火災と幸福の谷での冬越し、全てが必然として作用し、このかけがえのない名作が生まれたことを思うとき、神のなさることは全て時にかなって美しいという思いが、滾滾と胸に湧き上がるのである。
そして、自分自身を顧みてみると、今でこそこんなに筆無精になってしまったけれど、これまでの人生行路の中で手紙がいかに大きな役割を果たしたかを思うなら、40年前の『七つの手紙』の読書体験そのものが、まことに時にかなっていたことに思いをいたさざるを得ない。知らず識らずのうちに、こんな手紙書きたい、そんな思いを抱きつつぼくは時を過ごすようになっていったのだった。
タグ:読書 記憶
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2015年05月23日

梅雨入り前の好日

あと2週間もすれば梅雨入り。日中など初夏というより夏に近い気温の日もある。今年の特徴は、昼夜の気温差が結構大きいことで、その分体調管理にも気を遣うし、一番困るのが着るものである。朝涼しいと思って着込んでいくと日中えらい目に遭うし、薄着で行くと帰りに思わぬ気温の降下にふるえてしまうこともしばしばだ。
さて、今週水曜日(20日)の晩、途中寄るところがあって自転車で帰宅したのだが、今思えばすんでのところでびしょ濡れになるところだった。いつかも家まであと10分というところで雷雨に遭遇して酷い目にあったことがあり、その二の舞になっていたかも知れない。
夜のことなので空の色はよくわからないながら、なんだかどんよりとしておかしいなあと思いつつ勤め先を出たら、時折ポツンとあたるものがある。これはやばいと思いつつペダルをこぎながら家の方角を見ると、ひどく黒っぽく見えるではないか……。途中木の間越しに、何だか光ったように見えたが、まさかこの季節でもあることだし稲妻なんていうこともあるまいと高を括り、、家までもうすぐでもあったので、やれやれと思いつつ、何とか降られずに家路に就いたのだった。
ところがその後まもなくして降り出し、一晩結構な降りだった。翌朝はすっかり上がってよい天気だったが、驚いたのは、身が引き締まるほどの気温だったこと。雷雨のあと、一気に気温が下がったらしい。あとで調べてみたら、11℃くらいまで下がっていた。夕立というよりは、前線が通過して空気が完全に入れ替わったのだろう。聞くところでは、大阪では降り出しがもっと早く、10時前から降り始めていたという。奈良は幸い降り始めがもう少し遅かったからよかったようなものの、もう少しで濡れ鼠になるところだった。
天気図を見ると、移動性高気圧が来てはいるのだが、日本付近でそれなりに縦縞になっていて、北風に乗って寒気が流れ込んできてもおかしくない気圧配置になっている。こんなこともあるのだ。日中の気温上昇と寒気の相乗効果による雷雨だったのだ。お蔭で翌木曜日の日中も、日射しこそ強いものの、湿度が低く本当に爽やかな陽気になった。梅雨入りを前にして、思ってもみなかった好日を楽しむことができた。今週はいろいろとバタバタした一週間だったが、週後半の2日の好天は、渇ききった心を潤してくれたように思う。
今週は夢もよく見た。しかし、覚えているのは、パンにマーガリンを塗ろうとしてフタを開けたら溶けてグチャグチャになっていて、容器を逆さまにしたりしていた(それでも流れ出しては来なかった)というおかしな夢だけで、あとは全て記憶の彼方。帰宅しようとして駅まで来たところで忘れ物に気付いて取りに戻ったりした日もあったが、これは気付いて本当に好かったのであり、電車に乗る前に気付いたという意味ではむしろ感謝すべきことだし、今年は花粉症が長引くのに薬が切れかかってどうしようと思っていたら、ちょうどうまい具合にI女史のところに診察に行く時間が取れてこれまた案ずるより産むが易く済み、万事低調ながら低調なりにうまくいった一週間ではあったように思う。
前にも少し書いたけれど、この季節ありがたいのは、雑事に振り回されても時間の経過が非常にゆっくりしていることである。これが夏を過ぎると、時間の速度が倍は違う。やはし、まだ気持ちにゆとりがあることも大きいのだろう。そうはいうものの、もう今年度もはや二ヶ月が経過して、六分の一が済んでしまったが、なにはともあれ息災でいられるのは感謝以外のなにものでもない。
明日から3日間は聖霊降誕節。初夏のすばらしいカンタータが目白押しである。教会暦に沿ったカンタータの山の宝探しの旅は、未踏の高峰があとからあとから顔を出してくる感じで、いかにせん音を言葉にするのが難しく、いざ書こうとしてももどかしさばかりが先に立ってしまうが、いずれ機会をみてなにか書けたらとは思う。
今晩また一雨あったあと、来週は日中は真夏日が続く予報だが、朝晩は17℃というから、日中さえ凌げればまだ暫くは好天を満喫できそうだ。今年の梅雨はどんななのだろうか。
タグ:季節 日常
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2015年05月07日

『美しい村』の「夏」のソナタ

小説の書き出しには心に残る場面が多いけれど、堀辰雄の『美しい村』の「美しい村」に続く3つめの章にあたる「夏」は、その中でも特に印象的だと思う。石炭をば早や積み果てつとか、国境の長いトンネルを抜けるととか、親譲りの無鉄砲でとか、あるいは同じ堀辰雄の作品では死があたかも一つの季節を開いたとか、そういった特徴的な名文というのではなく、一読してその小説の世界が開けその真っ只中にいる自分を感じる、いわば小説に吸い込まれるような体験をさせてくれる描写である。「夏」の書き出しの段落は、一読して心に焼き付くほどに印象絵画風でありながら、すっきりしていて油絵のゴテゴテした感じは全くなく、高原の透き通った爽やかな陽光に満ちあふれている。私と黄いろい麦藁帽子の少女との出会いが瑞々しい筆致で綴られている。
「突然」、「とっくに花を失っている躑躅の茂みの向う」に、「一輪の向日葵が咲きでもしたかのように、何だか思いがけないようなものが、まぶしいほど、日にきらきらとかがやき出した」のである。しかも、「率直な、好奇心でいっぱいなような視線」が「私の上に置かれている」ものだから、「私にはまぶしくってそれから目をそらさずにはいられないほどに感じられ」、「やや真深にかぶった黄いろい帽子と、その鍔のかげにきらきらと光っていた特徴ある眼ざしとよりほかには、殆ど何も見覚えのない位であった。」これは私の目を通した見た極めて個人的な述懐であるのに、心象が鮮やかに具象を作り上げるのである。そうして少女が父とともに去ったあと、「そこいらへんの感じが、それまでとは何だかすっかり変わってしまってい」て、「そこいら一面には、夏らしい匂いが漂いだしているのだった。……」。
この書き出しだけでなく、「夏」には印象的な部分が多い。例えば、少女の顔、特に目に注目した描写がある。その視線や目が開いた時と閉じた時の違いが顔に及ぼす影響とか、顔がすべすべしているための私の視線の空滑りとか、あるいは皮膚の色の菫色や薔薇色への変化とか、二度と同じには見えない少女の顔の様子が丹念に描き込まれている。このうち、菫色というと、「美しい村」に引用されたハイネの詩の切れっぱしの眼の色の描写や、私が心待ちにしていた霧の晴れ間にちらっとのぞく空の色の投影を見ることができるだろう。
少女に関する描写としてはもう一つ、その耳の付け根のあたりある黒子の叙述が心に焼き付いて離れない。「何んだかそれはいま知らぬ間に私の万年筆からはねたインクの汚点(ルビはしみ)かなんかで、拭いたらすぐとれてしまいそうに思えたほどだった。」さりげないけれど、なかなかありそうでない描写である。
このほか思いつくままにいくつか挙げると、大好きなものを不意に思いがけないもののように見出したいがために、わざと目をつぶって近づいていったのに、我慢しきれなくなって随分手前で目を開けてしまうといった、誰しもがやったことのあるのような経験が、実に印象的なしかたで語られている。また、カンバスを持っていてあげようという私の好意をわざと断ったために、私に「意地わる!」といわれた少女が、「意地わるでしょ?」とさりげなく応酬する、つまり相手の好意を嬉しく思いながらわざと反対の反応を示して相手の狼狽を楽しむ、これもいわれてみれば日常よく経験するところだろうが、なかなか描写するのが難しい(これと立場を逆転させた「意地わる」が「暗い道」にあって、「夏」におけるそれと対を成している)。
また、クライマックス近くで、再び出会った画家への嫉妬から、彼女の注意をその男に向けさせないようにとわざと早口でまくし立てる私に対して何だか気がなさそうに応えるだけの彼女、橡の林を通り抜けて美しい流れに沿い出すようになっても続く気まずい沈黙、私以上にその沈黙に彼女が苦しんでいたことの発見、そういった二人の微妙な心の動きを経て私の腕の中に切なそうに身を任せる彼女、そして数分経ってから自分の腕の中に彼女がいることの歓ばしさを初めて感じ出している私。こうしたありふれた日常生活から切り取られたような何気ないけれども、繊細な場面に満ちあふれているのである。

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さて、物語の全体は、例によってアステリスクを3つ三角形に重ねた独特の記号で区切られた6つの節からなる。梗概を整理するなら、1向日葵のような少女との出会い─少女と背中合わせの生活の始まり─「美しい村」の物語を書きながら、絵具箱を提げ水車の道の方へと旅館の裏の坂道を登って行く少女を見つめる日々、2色鉛筆で描いた村の手製の地図を媒介とした少女との交流の始まり、3渓流のほとりの蝙蝠傘の枝を拡げた樅の木の下での最初の絵と、花を失った野薔薇の私へのちょっとした「復讐」、4「美しい村」の脱稿と夏の到来、少女への愛撫のデッサン、5二軒の花屋のエピソードと、画家と花売りへの私の嫉妬、6最初の抱擁と塵芥車のエピソード、といったことになるだろう。
「美しい村」が一見心の赴くままに書き綴っているように見えて実は緻密に構築されているのとは対照的に、「夏」では物語は印象的なエピソードを折り込みながら自由闊達に紡がれてゆく。「美しい村」は、副題に小遁走曲(ルビはフウグ=フーガ)とあるように、複旋律の音楽に擬すことができるだろう。そうすると、ストーリー性重視の「夏」は、いわば単旋律の音楽、例えばソナタに擬すことが可能である。昔の恋人との別れを癒やすために訪れた村で一人の少女と出会い、その少女と交流の過程で「美しい村」の物語を書き、私自身が自分から巣立っていった恋人との過去を乗り越えていく。つまり前にも触れたように、「美しい村」は実はこの少女と出会う「夏」の時間の中で書かれ、新しい恋愛とともにいわば成長してゆくわけで、両者は『美しい村』の章として並列関係にありながら、時間的には重層関係にあるという、複雑な成り立ちをしている。作品の中でその作品を書いているのである。さらにいうなら、物語を書いている時間が別にある訣だから、時間は三重に重なっていることになるだろう。
さまざまなエピソードが絡み合いながら、物語は展開していく訣だが、「夏」のソナタのなかでとりわけ異彩を放っているのが二つの花屋のエピソードだろう。白い碁盤縞のシャツを着て店の奥の方に腰かけて往来の方を眺めている寸分違わぬ老人が二軒の花屋にはいる。違うのは、そばに坐っているのが、髪の毛をくしゃくしゃにした肥っちょの女房か、痩せっぽちのすこし藪睨みの女房か、だけ。しかもこの二人の花屋の兄弟はとても仲が悪く、夏場こそ仲よさそうに互いに口を利きながら商売をしているものの、それが過ぎるとすぐ性懲りもなく喧嘩をし始め、一言も口を利かずに冬場を過ごしたりする。まさに物語のような兄弟である。
一読すると筋とは何の関係もなさそうに見える話だが、実は「水車の道」の説明になくてはならぬものだし、桜の木の根元で花畑とそれ越しに見える花屋の空色の看板を描く途中で若い画家に出会ったことが私の嫉妬を生む訣だから、「夏」のアイテムとしてとっておきともいえるものだろう。花の季節を過ぎてから花畑に咲き出す人工的に育てられた花たちに眸をみはらせておいた上で、一層の驚きのためにその眸をもっと大きくせずにはいられないとして、花屋の主人の話が語られる。この導入方法は本当に巧みで、ついつい作者の話術に乗せられてしまう。厖大な読書量を誇った堀辰雄のことだから、あるいは海外の小説かなにかのどこか(プルーストあたり? ちなみに、新潮文庫版の解説では、丸岡明さんはプルーストの影のようなものが認められるのは『風立ちぬ』からだとしている〈224頁〉が、中村真一郎さんは『聖家族』にラディゲ、『美しい村』にプルースト、『風立ちぬ』にリルケの影響をみている〈215頁〉)からヒントを得たものなのかも知れないけれど、このどこにでもありそうでなかなかないエピソードの効果は抜群である。

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そしてこのエピソードのあとにさらに控えているのが、物語の真打ちともいえる塵芥車のエピソードときている訣だから、まことに絶妙である。「夏」のソナタには、物語の進行に伴って3節めから「美しい村」のフーガの主題がさりげなく滑り込まされてくる。花を失った野薔薇の私へのいじらしい自己主張、いわば「復讐」である。新しい少女に夢中の私のジャケツに穴を開けて、その存在を忘れないでと語りかけるのである。
私にとって野薔薇は過去の恋愛の象徴であった。向日葵の少女との心の交流には、過去の恋愛からの巣立ちを必要とした。それを象徴するのが、最後の場面の塵芥車のエピソードに他ならない。塵芥車のエピソードが、間歇的な野薔薇との出会い、ひいてはそれが過去から湧き上がらせた坂道での少女たちのと出会いのパロディーであることは既に述べた。
坂道での少女たちとの出会いや、サナトリウムの裏での野薔薇との出会いの場合は、私が動いていて、間歇的に配置される少女や野薔薇は止まっている。一方、塵芥車との出会いでは、止まっているのは私であって、間歇的に配置される塵芥車が動いている。絶対的な関係は正反対でも、相対的な関係は同一である訣で、それこそがパロディーのパロディーたる所以ともいえるだろう。
野薔薇からの巣立ちを描くことによって、向日葵の少女との出会いは完成される、つまり「美しい村」のフーガの主題(野薔薇)は、「夏」のソナタにおいて終結をみるのである。そしてそれは、結果的に『風立ちぬ』の世界へとつながってゆくわけだが、『美しい村』のエピローグである「暗い道」にはまだその影は微塵もない。対象とする時は同じでも、これを回顧する『風立ちぬ』の序曲に死の予兆を垣間見ることができるのとは好対照ともいえる。「暗い道」は、『風立ちぬ』の世界へと旅立つ前の私と少女とが奏でたもっとも幸せな時間の記憶でもあったのだ。
タグ:読書
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2015年05月05日

大型連休の過ごし方─付カンタータリスト2015-2

家内と娘たち(一人暮らしの長女の同道)が今日から旅行に出かけ、犬たちと過ごす大型連休となった。
朝までの雨も日中はほとんどあがり、夕方になる前に犬たちと散歩に出かけてきた。どこもちょうどツツジが真っ盛りで、町じゅうにいろんな色が溢れている。やや湿度は高いものの降らず照らずのお散歩日和に恵まれ、犬たちの足取りも軽い。
散歩の途中で.jpg
〔イヌとの散歩の途中で〕

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2015年度に入って最初のひと月が過ぎていった。この間いくつかの大仕事に加えて東京出張あり、はたまた韓国出張ありと、慌ただしいことに変わりはなくても、例えば11月などと比べると、逃げ去って行く感じはない。充実しているかどうかはともかく、たっぷりとした量感を伴っているのである。まだ始まったばかりという気持ちの余裕によるのか、急かされる感じが少ないからかも知れない。
ぼくらが学生の頃は、今と違っておおらかな時代で、4月はほとんどガイダンス月間みたいなもので、本格的な講義はだいたい連休明けからというのが相場だった。今は半年15回というノルマがあって、連休前に3回稼ぐというのが普通だろう。この連休中だって講義を行っているところも少なくないはずだ。
仕事に就いてからの4月はさすがにそういう訣にはいかないけれども、それでも心の余裕がもてるのには変わりがない。年を取ると時間の経過が早くなるのと同じで、1年の中でも年度末が近づくに従って、同じひと月でもだんだん過ぎるのが早く感ぜられるようになってゆく。実感としては8月のお盆頃まででだいたい1年の半分というのが正直なところで、実際に残せる仕事の成果としても同じだろうと思う。お盆までにどれだけがんばれるかで、その年度の成果が決まってしまうような印象である。もちろん形として残る物は年度末に向けて増えていくのだけれど、仕事としての充実感は8月までのものにはかなわないのだ。

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この感覚は昔から変わらないと思ったら、それもそのはずである。小学生時代の各学期の印象そのままなのだった。サクラの下での始業式から、新緑の季節を経て、ひと月に及ぶ梅雨とそのあとのプール開きまで、この長い長い1学期に比べると、実際にはもっと長い2学期が意外と早く過ぎ(行事が多いのも一つの要因だろうが)、実時間の少ない3学期はあっという間に逃げて行く。高校は2学期制で秋休みさえあったからこの感覚が薄れたけれど、幼い頃の感覚は今でも身に染みついているものらしい。
そんな長い1学期にあって、4月末から5月初めにかけての大型連休は、ありがたい存在だった。新年度に入って慣らし運転がうまくいったところでのしばしの休憩、本格運転に向けての調整期間みたいなのものなのだろう。それでも昔は今のような大連休にはならず、3連休になるのも何年間に1度だったし、1日が日曜日だったりしようものなら、当時は土曜日も休みではないから、とんでもない飛び石連休(今ではもう完全に死語!)になったものだった。それを思うと、今年の土曜日から水曜日までの5連休などまさに隔世の感がある。

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そうはいっても締め切りに追われた仕事をいくつか抱えていて、けっしてのんびりとばかりしてはいられないのだが、この季節には切迫感を煽るものがないのがありがたい(日足が日に日に短くなって夕方の寒さが身に滲みるようになる頃の焦燥感といったらない)。ぼくの机の脇で、安心しきって手足を投げ出して横になっているイヌの姿を眺めていると、ついつい小事はどうでもいいような気がしてくるのだ。
イヌの姿を眺め、バッハのカンタータに耳を傾けつつ、自分で淹れたドリップコーヒーを飲みながら、ノートパソコンでの作業に向かう時間……。
イヌたちは毎年の恒例行事を済ませホッと一息、バッハのカンタータはレントの休息(?)を経て復活節このかた毎週レパートリーを増やしていっている状況、これから三位一体節が過ぎるまではいろいろな行事があって、ある意味息が抜けない。カンタータの印象なども時には記していってみたいのだが、いかんせん音を言葉にできる表現力がぼくには欠けている。コーヒーをこんなに飲むようになったのはいつからか、学生時代はもっぱら緑茶党だったから結婚後だとは思うのだが、飲んでも睡眠に影響しないのは善し悪しで、日に5、6杯は確実に飲んでいる。イヌの散歩から帰って無性にコーヒーが飲みたくなって、先日長女と花見をした日に出かけた店に、切らしたコーヒーを求めに行った。名付けて桜ブレンド。季節外れのコーヒーが胃の腑にしみわたっていった。
やや季節外れのコーヒー.jpg
〔やや季節外れのコーヒー:桜ブレンド〕

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とまあ、こんな事ばかり書いていたら本当にきりがない、そろそろ本業に戻るとするか……。最後に、これまた季節外れになったが、ガーディナーのカンタータ巡礼によって、少し遡った上でこれから暫くのカンタータリストを心覚えに掲げておこう。
・2015/4/5 復活節第一日 BWV4、BWV31
・2015/4/6 復活節第二日 BWV66(以上DISK13)、BWV6
・2015/4/7 復活節第三日 BWV134、BWV145(以上DISK14)、BWV158
・2015/4/12 復活節後第一日曜日 BWV67、BWV42(以上DISK15、BWV150を併録)
・2015/4/19 復活節後第二日曜日 BWV104、BWV85、BWV112(以上DISK16)
・2015/4/26 復活節後第三日曜日 BWV12、BWV103、BWV146(以上DISK17)
・2015/5/3 復活節後第四日曜日 BWV166、BWV108(以上DISK18、BWV117を併録)
・2015/5/10 復活節後第五日曜日 BWV86、BWV87(以上DISK19、BWV97を併録)
・2015/5/14 昇天節 BWV43、BWV37、BWV128、BWV11(以上DISK20)
・2015/5/17 昇天節後日曜日(復活節後第六日曜日) BWV44、BWV183(以上DISK21、BWV150を併録〈DISK15の2000年4月末ドイツにて録音のものとは別の、2000年6月4日のイギリスでの録音。短期間に2度の録音を行ったことになる〉)
・2015/5/24 聖霊降誕節第一日 BWV172、BWV59、BWV74、BWV34(以上DISK22)
・2015/5/25 聖霊降誕節第二日 BWV173、BWV68、BWV174(以上DISK23)
・2015/5/26 聖霊降誕節第三日 BWV184、BWV175(以上DISK24、BWV1048を併録)
・2015/5/31 三位一体節 BWV194、BWV176、BWV165、BWV129(以上DISK25)
・2015/6/7 三位一体節後第一日曜日 BWV75、BWV39、BWV20(以上DISK27)
・2015/6/14 三位一体節後第二日曜日 BWV2、BWV76(以上DISK28、BWV10・SWV386を併録)
・2015/6/21 三位一体節後第三日曜日 BWV21、BWV135(以上DISK29、BWV1044を併録)
・2015/6/24 洗礼者ヨハネの祝日 BWV167、BWV7、BWV30(以上DISK26)
・2015/6/28 三位一体節後第四日曜日 BWV24、BWV185、BWV177(以上DISK30、BWV71を併録)
・2015/7/2 マリアのエリザベト訪問の祝日 BWV10(DISK28に併録)、BWV147(DISK53に併録)
・2015/7/5 三位一体節後第五日曜日 BWV71(DISK30に併録)、BWV93、BWV88(以上DISK31、BWV131を併録)

大仏殿の横顔遠望.jpg
〔大仏殿の横顔遠望。目で見た印象はこの写真に近いけれど、写真に収めると実は手前の道路や周辺の建物のずっと奥にこの景色が望まれる。人間の眼は不思議なものである。景色の一部を切り取って読み取っているのである。なお、この写真の位置よりも近づくと、大仏殿は隠れて見えなくなっていく〕
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2015年05月03日

イヌたちの年に一度の大仕事

今日はわが家のイヌたちにとって、1年に1度の大仕事の日だった。狂犬病の予防接種とフィラリア検査のための採血、そして今回はこれに爪切りをというおまけが付いた。
Bが元気だった頃、娘にも手伝ってもらって4匹一緒に散歩がてら連れ立って歩いて出かけたこともあった。仲が良ければそれも愉しいのである。ところが、なさぬ仲という訣でもないのだけれど、AGに耳のうしろを噛まれて何針か縫った経験のあるAKをAGと一緒に連れてはいけないし、昨年AGに世紀の大喧嘩を売られて大怪我をしたPPもAGと一緒には行動させられない。AKとPPならば仲良く問題はないのだが、腰をおかしくしがちのAKをあまり昂奮させるわけにもゆかない。という訣で、結局お昼過ぎまでかかって一人ずつ車に乗せて3往復、診察券提出も含めると4往復することとあいなった。まことにややこしい3姉妹である。
動物病院に着くと、まずは体重測定。みんな最近のダイエットの効果があって、去年よりは随分落ちついている。でもジャックラッセルの標準は6キロかそこらだというから、それに比べるなら2割は重い。体重測定だけでもじっとしてくれずなかなか数字が安定しないのだが、続いて注射器が登場する段になると、もう看護婦さんに抑えていてもらわないとダメである。第一、待合室で待っているときからして、ぼくの膝の上でガタガタに震えているのだ。ここへ連れて来られたらあの痛いのが待ってると、みんなもう身体で覚えているのである。中でもPPなど、あまり震えるものだから、一旦外に散歩に出たら、順番が回ってきて呼ばれたというのに、踏ん張ってしまって必死に抵抗して中へ入ろうとしない。可哀想ではあるけれどもなんともはやいじましい光景であった。
予防接種や採血の針そのものはそれぞれほんの一瞬なので、比較的落ち着いていてくれた。たいへんだったのはそのあとの爪切りである。Bが小さかった頃、爪切りを用意して切ってやろうとしたことがある。これがまたたいへんだった。結局切らせてもらえず、わがやのイヌの爪切りは無用の長物になってしまっている。そこで、今回は動物病院で爪切りまでお願いすることにした。
確かにイヌの爪切りは、どこまで切ったらよいのかよくわからない。白い部分は切っても平気とはいうのだが、1本1本爪の色が違うのである。今日じっくり切る様子を見させてもらったが、大丈夫とはいっても中の空洞部分からそれなりに出血し、止血剤を塗りながらの作業だった。これがイヌには結構しみるらしいのである。一人で抑え、一人で切る、完全に2人がかりの作業である。家で一人で抑えて切ろうなどというのは所詮無理な話である。両手両足全部となるとこれが結構な手間で、注射よりもむしろ時間を要することになる。
丸まった状態になっているからなのだろうが、パチンと切れて飛んでいく部分と、ゴミになって下に落ちる部分とがあり、人間の爪とはだいぶん様子が違う。爪を切り揃えたもらったあとは、バリカンで肉球の周りの毛を刈ってもらい、足回りも随分すっきりした。これなら、家のフローリングの床でもいくらか歩きやすくなるだろう(ほんとうはイヌの身体にはフローリングは踏ん張りが利かないのでよくないのである)。
まあとにもかくにも無事恒例の行事を終え、フィラリアも心配ないという結果を聞いて帰って来ることができた。それぞれ今月から年末まで飲ませ続けるフィラリア予防の薬を調整してもらっての帰宅となった。往復のケージの中でも、また診察中も、今日はチビった子は一人もいなかった。イヌたちも疲れただろうし、引率のわれわれにとっても毎年のこととはいえ大仕事だったが、季節の節目の行事はいろんな意味で感慨深いものがある。汗ばむ程の陽気ではあったが、湿度が低いせいか、からりと気持ちのよい1日であった。
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〔新緑の奈良女子大学構内〕
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posted by あきちゃん at 02:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする