2015年08月28日

「風立ちぬ」を読む3─『風立ちぬ』断章5

今年は夏を惜しむ気にもならないほど、駆け足で秋が訪れようとしている。夏を迎える季節なら、台風が夏の高気圧を強める効果をもたらすこともある。今年の夏の到来はまさにそうで、冷夏の予想が一転猛暑となった。しかし、南の空気を呼び込むのなら、同じように秋の空気だって呼び入れるはずで、アベック台風が夏をもたらしたのと同じように、今度はやはりアベック台風が秋をもたらしつつある。
このうち、石垣島を直撃し、平均風速45mの風を2時間にわたって吹かせた台風15号の威力はすさまじかった。車が吹き飛ばされて横転するような風はちょっと想像も付かない。秋を呼び込むという点では、関東の南東を北東に進んだ台風16号の影響も大きかった。台風から遠く離れた三重県の大雨は、この台風がもたらした冷たい空気と、台風15号に向かって流れ込む暖かな空気がぶつかって発生したのだろう。まさに季節のせめぎ合いの産物である。もう秋雨の季節を目の前にしている風情がある。惜しむまもなく今年の夏は逝ってしまった。

          §           §           §

またしてもだいぶん間が空いてしまったが、以下は、「風立ちぬ」を読む、の完結編である。『風立ちぬ』はけっして一つの季節の物語ではなく、晩夏の「序曲」、「春」、春から秋までの「風立ちぬ」、「冬」、そして再度の冬の「死のかげの谷」という連作なのだが、「序曲」の印象が強烈なためか、ぼくにはどうしても晩夏のイメージが焼き付いている。まさに今のこの季節の物語なのである。
(承前)
Ⅶ 少女(岩波文庫116-118頁、新潮文庫136-139頁)
季節だけが初夏から真夏へ、そして急に夏が衰えて秋へと進む中、時間が止まったように淡々と続いていた生活に、大きな転機が訪れる。それは十月のとある日、節子の父がサナトリウムを訪れたことに端を発するという、なんとも皮肉な巡り合わせによるものだった。
節子にとって、父は特別の存在だった。それはもう私にはいかんともしがたい摂理のようなもので、むしろ父を含めて支配する者全てに従順な節子の姿を描くことによって、私は父に対するいわば嫉妬をようやく抑えることができたのだった(「序曲」)。
そんな父の前での節子が、私にはまるで見知らない薔薇色の少女のように見える。父の前だと節子はついぞ見かけたこともないような若い娘になる(「序曲」)。少女らしい赫きが蘇るのが認められるのである。私がちょっと気を利かせて中座している間、節子は父のもってきてくれたいわば宝箱を、ベットの上いっぱいに広げている。そんな様子を私に見つけられた節子のあどけない表情を、悪戯を見つけられた少女のよう、と表現している。私にまるで見知らない薔薇色の少女のようだとからかわれた節子が、「知らないわ」と両手で顔を隠してはにかむ光景は、何とも切ない。

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Ⅷ 鱗雲(岩波文庫119-122頁、新潮文庫139-143頁)
父が2日滞在して帰って行く出発の前、父と私は二人きりで話す時間をもつ。父が何とか自分自身を納得させて帰ろうと努力する姿が痛々しい。サナトリウムでの今の淡々とした山の孤独によって育まれている幸福な(と思っている)生活を続けたい私は、二人分の費用負担をしてくれている父に遠慮を感じつつも、冬までの滞在を認めてもらう。二人は無言のまま丘の上から西の空に拡がり始めた無数の鱗のような雲─それは天候の悪化を告げる雲である─を見上げ続けるのである。
停車場まで父を見送ってサナトリウムに戻ると、節子はこれまでに一度もしたことのないような咳にむせっていた。少し血痰を出した節子は、この日を境に大きく体調を悪化させていく。

          §           §           §

Ⅸ 日覆(岩波文庫122-126頁、新潮文庫143-148頁)
病室の窓にすっかり黄色い日覆が卸され絶対安静の日が続く中、私は大きな不安に苛まれ始める。節子のいじらしい気持ちを知れば知るほど、幸福と思ってきたものが本当にそうなのかという命題に突き当たるのである。
幸い危険な状態は一週間ばかりで脱して日覆は取り除かれ、何事もなかったかのように元の生活が戻ってくる。肉体的にだけでなく、精神的にも襲いかかっているように見えた危機は、少なくとも私たち自身には事もなげに切り抜けられたようにみえたのだったが……。
ある晩、私は今の生活を小説に描いてみたいという決心を節子に語る。皆がもう行き止まりだと思っているようなところから始まっているようなこの生活が、真に幸福なものであることを確かめるべく、それを形を成したものに置き換えていきたい。湧き上がる小説のイデエを追い廻して自身の不安を追い払いながら、私は自身の思いを節子に語るのだった。
「風立ちぬ」自身がその成り立ちの瞬間を語る印象的な場面である。

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Ⅹ 秋(岩波文庫126-132頁、新潮文庫148-154頁)
早朝から足の向くまま森から森へとさまよい続けた私は森を出る。そして、そこに八ヶ岳の雄大な姿を背景に箱庭のように展開する山麓の光景の中に、いくつもの赤い屋根を翼のように広げたサナトリウムの小さな姿を視野に入れた刹那、憑きものが落ちたようにこれまでの生活を客観的に眺めることができるようになった。そしてその奇妙な日ごと日ごとを異常にパセティックな物語に置き換え始めていた。生そのもののように果てしがない物語は、いつもまにかそれ自身でもって生き始め、ともすれば一所に停滞しがちな私を置き去りにしながら、勝手に展開していくのである。そしてそれはいつのまにか病める女主人公のもの悲しい死を作為し始めているのだった……。
そんな物語の結末に待ち伏せを受けた私は、夢から覚めたように恐怖と羞恥に襲われ、急いで節子のもとへと山径を駈け下るのである。病人と共に愉しむように味わっている生の快楽、私たちを幸福にさせてくれると信じているものが本当に信じるにたるものなのかどうか? 前節で立てた命題に答えるべく、誰もがもう行き止まりだと思っているよう所なから始まる生の愉しさを確実なものに置き換えようとした結果見えてきたもの─節子の死─に恐怖を抱き愕然とした私は、自分の身勝手が節子をそんなところに追いやろうとしているのではないかという羞恥に捉われ、命題そのものへの信頼が揺らぐのを感じてどうしようもなくなるのである。
そうした恐怖と羞恥から私を救ったのは、他ならぬ節子だった。自分の気まぐれが節子を不幸への道連れにしているのではないかという思いから、今の生活に満足しているかと思わず上ずった声で節子に尋ねてしまった私に対し、節子はこう確信に満ちて語るのである。「そんなことを仰しゃるのがあなたのきまぐれなの。」そして今の生活への思いを、節子は切々と語り始めるのである。
一度だって家に帰りたいなどと思ったことはない、あなたが側にいてくれなかったらどうなっていたかわからない、もちろん不安はある、でもいつかあなたは仰しゃったではないか、私たちのいまの生活、ずっとあとになって思い出したら、どんなに美しいだろうって……。
節子の、いや『風立ちぬ』全体でも最長の台詞である。最後はだんだん嗄れたような声になりながら(打ち明けにくいことを無理に言い出そうとするときの節子の特徴だとされる。節子もそこまで本心をさらすのはやはり恥ずかしいのである)、身から振り絞るかのように語られる節子の言葉は、真に感動的である。
節子はあの初夏の日の夕暮れの思いを、じっと胸にしまって生きてきたのだった。それを聞いて胸がいっぱいになりだした私は、そんな感動を節子に見られるのを恐れでもするかのように、そっとバルコンに出てゆく。そして、あの初夏の日の夕方のそれに似た、しかしそれとは全然違う秋の午前の光、もっと冷たくもっと深味のある光を帯びた光景に、あの時の幸福に似た、しかしもっともっと胸をしめつけられるような見知らない感動で一ぱいになるのを感じながら、私はその風景にしみじみと見入り出す。「おれの仕事の間、頭から足のさきまで幸福になっていてもらいたいんだ。」という私の思いに、節子は身をもって応えてくれていたのだった。私が節子によって浄化される瞬間である。互いに一抹の恥じらいを抱きつつ、お互いの気持ちを痛いほどわかりあう二人の姿は、面と向かって抱き合うことができないだけになおさら心を打つ。

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こうして「風立ちぬ」の筋を辿ってくると、その構成・展開が意外なほどに淡々としていることに気付く。死という伴奏を伴って、節子と私の悲しいほどに美しい二重唱が奏でられてゆく。その中で大きく聳えているのが、ⅣとⅩにおける残照の風景である。それは「序曲」においてススキの生い茂った草原の一本の白樺の木蔭から二人で見た晩夏の、そして私が一人で見た秋の夕刻の光景の反映である。いわば風立ちぬの原風景、言い換えれば主題といってもよいだろう。
それともう一つ忘れられないのはⅩ冒頭に描かれた、八ヶ岳を背景とした箱庭のような山麓の風景である。この世の活動などもうどうでもいいというと語弊があるが、額縁の外から人間の活動を眺めているような、誤解を恐れず敢えて言うなら、神の眼から人間世界を見たらこんなふうに見えるのかも知れないなと思わせるような風景である。衛星から地球を見下ろせば地球が一つの景色として見えるのは当たり前だろう。そうではなくて、地上にいながら今いる地上を客観的に見下ろせる(少なくともそう思わせる)景色なのである。
ぼくは残念ながら堀辰雄がここで描いたような、八ヶ岳を南西方向から眺めるこの光景は見たことがないが、思い浮かぶのは、40年近く前にもなるある晩秋の一日、清里から霜柱を踏みつつ飯森山に登りつめる途上で足下に展開し始めた赤岳を盟主とするあの八ヶ岳の光景である。ぼくにとっての、このいわば八ヶ岳の原風景が、Ⅹ冒頭と微妙に交錯するのである。
さて、当初の「風立ちぬ」はこれで幕を閉じていた訣である。その終わり近くでは、もはや3人称による叙述は限界に達しており、私は半ば堀辰雄その人であり、節子には矢野綾子の姿が二重写しになってきている。この日を境に、小説仕立ての叙述は終わり、日記風のより主観的な記述による「冬」が始まることになる(この辺りの事情については、以前「『風立ちぬ』における「とき」の重層構造」で少し考えてみたことがあるので、ご参照ください)。
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2015年08月21日

夏を顧みる

今夏は台風が連れてきた予想外の猛暑に見舞われたが、原爆忌と敗戦の日を過ぎ、そろそろつくつくぼうしが優勢になるかと思われた途端、再び発生した2つの台風とともに、季節は思いの外早く推移しようとしている。出端をくじかれたつくつくぼうしには気の毒だ。耳を澄ませば、虫の音も聞こえてくる。来週にかけて台風の動きが心配だ。
今年は長女がお盆休み(長女が、という話で、ぼく自身は盆休みはなし)をわが家で過ごしていった。お盆中に長女は誕生日を迎え、そしてBの命日(今年で丸二年)を迎える。特別のことは何もやらないけれども、静かにBを思い出す……、といきたいところだが、Bの忘れ形見の3姉妹はそれぞれに個性的な毎日を送っていて、まあ賑やかな命日であった。もう自分が犬であることを忘れてるのではないかというくらい甘えん坊のAC、気は優しくて力持ちを地で行っているくせに、散歩が終わりに近づいて家に近づくとどういうわけか足が鈍り、地面にぺたっと座り込んでしまい、どうしても動こうとしなくなるPP、1人だとお利口なのに、何でも自分を基準に考え他人(犬)にもそれを押し付けて喧嘩になるものだから、もはや2人の姉妹と一緒に過ごすことのできなくなった孤高の犬AG。サイドボードの上からは、Bがそんな3姉妹をそっと見守ってくれている。耳のピンと立ったひとめでそれとわかるかわいらしい包みをそこから動かしてどこかに納めてしまう気には到底なれない。

          §           §           §

家内の仕事がつんでいたこともあって、先月末からわが家にしては随分とまあ外食が続いた。まあ、たまにはこういうことがあってもいい。7月後半には奈良町のオモヤでフレンチ(これは家内の慰労会で、家内と2人。町家を改造した不思議な雰囲気のお店。食事はかなり凝ったもので見た目にもたのしい。イス席で食べられるのはうれしい)、8月に入って、くら寿司(ちょっと行かずにいるうちに進化が著しい。特に、注文品が専用のレーンで超高速で届き、しかも注文者の前でピタリと止まるのには正直驚いた。これは下の娘も入れて3人)、京都の四条からちょっと北に行ったところにある烏丸通りの西側に面して建つ古い洋館を改装して期間限定で営業しているディーン&デルーカのカフェでディナー(これは家内と2人。小学生くらいの娘が平気で立ち歩いて食事をするのを注意すらしない2組の若い母娘ずれの隣席の客を割り引いても、雰囲気も料理も最高だった)、先日は高の原のイオンに最近開店したセカンドハウスでパスタ(これはさらに長女が加わって4人。これは家内の奢り)、そして長女が大阪に戻る晩には、三条通り(奈良)のインド料理のお店MANNA糧でカレー(この日は末娘は抜き。香辛料が鼻につかず、辛さも辛めを頼んだ割には意外とマイルドなカレーで美味。しかもナンがほのかに甘くて香ばしく、ついついおかわりをしてしまい、久しぶりに食べ過ぎてしまった)という具合で…… いやいやまだあった、東向のベトナム料理の店コムゴンで、フォーも食べたっけ(これは家内と2人。これはあとから家内にひどくおいしそうに食べていたと言われた)。あと石山寺に校倉聖教の特別展を見に行った(最終日の日曜日に駈け込み)帰途、ちょっと足をのばしてHOTORI*CAFEという最近できた(?)お店でお茶もしたのだった。これがまた珍しく至極まったりとしたひとときだった。
HOTORI*CAFE のカフェプレート.JPG
〔HOTORI*CAFE のカフェプレート〕
夏の風物詩あさがお(HOTORI*CAFEにて).JPG
〔夏の風物詩あさがお(HOTORI*CAFEにて)〕

考えてみればひと月くらいの間に、ずいぶんとまあいろいろ食べ歩いたことになる。そのぶん家であんまり食べてないということでもあるのだけれど、土用の丑の前の日には奮発してウナギを買って帰りもしたっけ。胃の調子が悪くなる日が多く、珍しく胃薬を多用する日々だったが、こうして冷静に思い出してみると、要は普段食べ慣れないものをいろいろ食べ過ぎた結果なのかも知れない。
というわけで、まだ8月下旬が残っているというのに、早くも行く夏を顧みてしまう気分の週末である。
タグ: 季節 日常
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2015年08月14日

カンタータを聴く楽しみ─付2015年教会暦順カンタータリスト改訂版

汲めども尽きぬ、というけれど、まさにバッハのカンタータのためにあるような言葉に思われてならない。細々と教会暦順にカンタータを聴き出して8ヶ月を迎える。一聴心に響く曲もあれば、何度も何度も繰り返して聞くうちにじわっと胸に滲み入ってくる曲もある。原則一週間で次の曲へと進んでいく訣だから、良さのわからぬままに時のかなたに消えていってしまったものもある。あれ、これどこかで聴いたことがあるけれど、と妙に懐かしさを覚える曲があって、例えばBWV10の第1曲など、これはモーツァルトのレクイエムじゃないかと思ったりするが、時代を考えるならそんなことをはあり得るはずもなく、むしろ逆にモーツァルトが参考にしたのか、ということになる。また、カンタータどうしで、これはどこかで聴いたことがあるような、というメロディーやリズムの親近性を感じる場合もあるけれど、数回聴き込むうちに、そうしたことはもうどうでもよくなってきて、あくまでその曲にしか聞こえなくなってくる。もう完全にバッハ先生の術中にはまってしまった感じがする。パロディという手法もある訣で、よく似た曲は当然あるのだけれど、仮に見かけ(聴きかけ?)が似ていたとしても、全く新しいを生命を吹き込んで曲を生まれ変わらせ、もうそうでなくてはならないと思わせる腕のさえは本当にいかばかりだろう。逆に似たような節回しであっても似てると感じさせないアレンジの妙を楽しむ、そしてそうした親和性を見つけ出すことが、曲を聴く楽しみの一つにさえなってくるのだから、不思議なものである。そもそもこれとあれが似てると感じるというのはどういうことなのだろう? なにか客観的にいえることなのだろうか? そうした感覚を言葉で伝えるのは難しく、うまく表現できないもどかしさを感じてしまうのである。
そんななか、わざと同じメロディーを使うことによって曲への親近性を高める手法として、コラールの使用がある。ことに1724年から25年にかけてのいわゆる第二年巻のカンタータは、それぞれ全編にわたって一つのコラールが定旋律としてちりばめられたコラール・カンタータで、この年のカンタータ群はコラール・カンタータ年巻とも呼ばれている。
最近の経験では、三位一体節後第八日曜のカンタータの一つBWV45は1726年の作で後期に属するカンタータだが、何気なく聴いていてその最後に聴き慣れたメロディが登場してハッとするとともに、じんわりと心が満たされてくるのを感じたのだった。三位一体節のカンタータBWV129の末尾を飾るあのなつかしいメロディではないか! BWV129の第5曲はトランペットを含む器楽合奏付きの典雅な行進曲風にアレンジされた4声コラール。これに対し、BWV45の第7曲は至極地味に歌われる4声コラールだけれど、素朴な響きが何とも美しい。
コラールのメロディがこんな現れ方をするんだと感心して一週間を過ごし、翌週の三位一体節後第九日曜のカンタータを迎えたら、最初のカンタータBWV94のフルートの軽やかな囀りで始まった第1曲が、あれもしかしてと思いきや、まもなく同じコラールのメロディの冒頭がソプラノ合唱によって歌われ出すではないか! このBWV94は1726年のものだが、Gelobet sei der Herr (主に讃美あれ。ヨハン・オレアーリウス 1665年)を、くだんのDie Wollust dieser Welt(この世の快楽は)のメロディーで歌うコラール・カンタータなのである。全編にDie Wollust dieser Weltのメロディが流れる、まさに夢のようなカンタータだったのである。
実は旋律は同じでも、BWV129-5とBWV45-7とではコラールの歌詞は別である。葛の葉さんの労作「教会カンタータとコラール」(http://www.kantate.info/choral-cantata.htm)によると、バッハの楽曲のうちDie Wollust dieser Welt(この世の快楽は)のメロディで歌われるコラール(歌詞)には5種類のものがあるという。
このメロディDie Wollust dieser Welt(この世の快楽は)には、元々は別のコラールの歌詞があったのだがまもなく歌われなくなり、普通はコラールO Gott, du frommer Gott(おお神よ、汝義なる神よ)のメロディとしてよく知られていて、BWV45-7ではこのコラール(歌詞)が歌われている。一方、BWV129-5の歌詞はGelobet sei der Herr(主に讃美あれ)、またコラール・カンタータBWV94の歌詞はWas frag ich nach der Welt(われいかで世のことを問わん)で、それぞれ歌詞は異なるのだった。さしずめ「ある歌詞にある旋律が組み合わされたもの」(川端純四郎氏の『バッハのコラールを歌う』による)というコラールの面目躍如といったところだろう。
葛の葉さんのご紹介によると、バッハの楽曲でDie Wollust dieser Welt(この世の快楽は)のメロディーで歌われる5種類のコラール(歌詞)のうち、BWV45-7の歌詞のO Gott, du frommer Got(おお神よ、汝義なる神よ)のコラールともう一つのコラールは、Die Wollust dieser Welt(この世の快楽は)のメロディ以外のメロディでも歌われているというのだから、コラールの歌詞と旋律はほとんど網の目のように関係が結ばれているといっても過言ではない。しかも、O Gott, du frommer Got(おお神よ、汝義なる神よ)はメロディが3つもあって、地域によって歌われるメロディが異なっていて、バッハの住んでいたザクセン地方では、別のメロディ(BWV24-6のメロディ)が一般的だったというから、ますますややこしい(前記の川端純四郎氏の著書のうち、コラール「まことの神」の項による)。O Gott, du frommer Got(おお神よ、汝義なる神よ)はメロディという場合は、こちらが主ということになる(葛の葉さんの「教会カンタータとコラール」)。(以上を「続きを読む」で自分なりに心覚えに整理してみましたのでご参照ください。)
実態がわかればどうということはないのだろうけれど、メロディに個別の呼び名があればわかりやすいのだろうが、メロディを呼ぶときにもそれに元々付いていたと考えられるコラールの歌詞の名称でよぶものだから、頭で考えてわかったつもりになっていても、ちょっと油断をするとすぐ訣がわからなくなってしまう……。
というわけで、なつかしさいっぱいで聴き始めたBWV94だったのだが、最後の締めくくりの第8曲で、またしても心を揺り動かされることになった。例によってまずはガーディナーのカンタータ巡礼で聴いているわけだが(この三位一体節後第9日曜のBWV94、BWV168、BWV105の3曲をを集めたDISK35は、元々ドイツ・グラモフォンからリリースされていた2000年収録のCD4枚の1枚で、2000年8月に録音、同10月にDgArchiv463590として発売されたものである)、Die Wollust dieser Welt(この世の快楽は)のメロディが繰り返されて2度目に登場するときの、さりげなく重ねられたオルガンの響きによって縁取られた単なる繰り返しではない調べがもうこの世のものとも思われず、グッときてしまったのだった。あとで確認したのだが、リリングも鈴木雅明さんもこんなことはやっておらず、ガーディナー独自の見識のようである。まさに一期一会という感じの演奏なのである。

          §           §           §

さて、これまで3回に分けてカンタータ・リストを載せてきたが、あろうことか3回目の途中で、錯誤があって、重複とずれが発生していることに今頃になって気付いた。そこで誤りを直した上で、全体の統一を図りもう少し見やすくした上で、自分の心覚えもかねて、2015年分の教会暦順のカンタータ・リストをまとめて掲げておくことにする。それでもなお、誤記が多々あるのではないかと危惧するが、どうかその点をご容赦いただきたい。

【2015年教会暦順カンタータリスト(全)】
(DISK番号は、ガーディナーのカンタータ巡礼のボックスセットのもの)
・2015/1/1 新年
  BWV190(DISK56に併録)
  BWV41
  BWV16
  BWV171
  BWV143(以上、DISK2)
・2015/1/4 新年後第一日曜
  BWV153
  BWV58(以上、DISK3)
・2015/1/6 顕現節
  BWV65
  BWV123(以上、DISK3)
・2015/1/11 顕現節後第一日曜
  BWV154
  BWV124
  BWV32(以上、DISK4)
・2015/1/18 顕現節後第二日曜
  BWV155
  BWV3
  BWV13(以上、DISK5)
・2015/1/25 顕現節後第三日曜
  BWV73
  BWV111
  BWV72
  BWV156(以上、DISK6)
・2015/2/1 復活節前第九日曜(七旬節)
  BWV144
  BWV92
  BWV84(以上、DISK9)
・2015/2/2 マリアの浄めの祝日
  BWV83
  BWV125
  BWV82
  BWV200(以上、DISK8)
・2015/2/8 復活節前第八日曜(六旬節)
  BWV18
  BWV181
  BWV126(以上、DISK10)
・2015/2/15 復活節前第七日曜(五旬節)
  BWV22
  BWV23
  BWV127
  BWV159(以上、DISK11)
・2015/3/8 四旬節第三日曜
  BWV54(DISK12)
・2015/3/25 受胎告知の祝日
  BWV1(DISK12)
・2015/3/29 棕櫚の日曜日
  BWV182(DISK12)
・2015/4/5 復活節第一日
  BWV4
  BWV31(以上、DISK13)
・2015/4/6  復活節第二日
  BWV66(DISK13)
  BWV6(DISK14)
・2015/4/7  復活節第三日
  BWV134
  BWV145(以上、DISK14)
  BWV158(DISK15に併録)
・2015/4/12 復活節後第一日曜
  BWV67
  BWV42(以上、DISK15。復活節第三日のBWV158、用途未詳のBWV150を併録)
・2015/4/19 復活節後第二日曜
  BWV104
  BWV85
  BWV112(以上、DISK16)
・2015/4/26 復活節後第三日曜
  BWV12
  BWV103
  BWV146(以上、DISK17)
・2015/5/3 復活節後第四日曜
  BWV166
  BWV108(以上、DISK18。用途未詳のBWV117を併録)
・2015/5/10 復活節後第五日曜
  BWV86
  BWV87(以上、DISK19。BWV97を併録)
・2015/5/14 昇天節
  BWV43
  BWV37
  BWV128
  BWV11(以上、DISK20)
・2015/5/17 昇天節後日曜(復活節後第六日曜)
  BWV44
  BWV183(以上、DISK21。BWV150を併録〈DISK15の2000年4月末ドイツにて録音のものとは別の、2000年6月4日のイギリスでの録音。短期間に2度の録音を行ったことになる〉)
・2015/5/24 聖霊降誕節第一日
  BWV172
  BWV59
  BWV74
  BWV34(以上、DISK22)
・2015/5/25 聖霊降誕節第二日
  BWV173
  BWV68
  BWV174(以上、DISK23)
・2015/5/26 聖霊降誕節第三日
  BWV184
  BWV175(以上、DISK24。BWV1048を併録)
・2015/5/31 三位一体節
  BWV194
  BWV176
  BWV165
  BWV129(以上、DISK25)
・2015/6/7 三位一体節後第一日曜
  BWV75
  BWV39
  BWV20(以上、DISK27)
・2015/6/14 三位一体節後第二日曜
  BWV2
  BWV76(以上、DISK28。マリアのエリザベト訪問の祝日のBWV10、SWV386を併録)
・2015/6/21 三位一体節後第三日曜
  BWV21
  BWV135(以上、DISK29。BWV1044を併録)
・2015/6/24 洗礼者ヨハネの祝日
  BWV167
  BWV7
  BWV30(以上、DISK26)
・2015/6/28 三位一体節後第四日曜
  BWV24
  BWV185
  BWV177(以上、DISK30。三位一体節後第五日曜のBWV71を併録)
・2015/7/2 マリアのエリザベト訪問の祝日
  BWV10(DISK28に併録)
  BWV147(DISK53に併録)
・2015/7/5 三位一体節後第五日曜
  BWV88(DISK30に併録)
  BWV93
  BWV88(以上、DISK31。悔い改めの礼拝用のBWV131を併録)
・2015/7/12 三位一体節後第六日曜
  BWV9
  BWV170(以上、DISK32)
・2015/7/19 三位一体節後第七日曜
  BWV186
  BWV107
  BWV187(以上、DISK33)
・2015/7/26 三位一体節後第八日曜
  BWV178
  BWV136
  BWV45(以上、DISK34)
・2015/8/2 三位一体節後第九日曜
  BWV94
  BWV168
  BWV105(以上、DISK35)
・2015/8/9 三位一体節後第十日曜
  BWV46
  BWV101
  BWV102(以上、DISK36)
・2015/8/16 三位一体節後第十一日曜
  BWV199
  BWV179
  BWV113(以上、DISK37)
・2015/8/23 三位一体節後第十二日曜
  BWV69a
  BWV137
  BWV35(以上、DISK38)
・2015/8/30 三位一体節後第十三日曜
  BWV77
  BWV33
  BWV164(以上、DISK39)
・2015/9/6 三位一体節後第十四日曜
  BWV25
  BWV78
  BWV17(以上、DISK40)
・2015/9/13 三位一体節後第十五日曜
  BWV138
  BWV99
  BWV51
  BWV100(以上、DISK41)
・2015/9/20 三位一体節後第十六日曜
  BWV161
  BWV95
  BWV8
  BWV27(以上、DISK43)
・2015/9/27 三位一体節後第十七日曜
  BWV148
  BWV114
  BWV47(以上、DISK44。モテットBWV226を併録)
・2015/9/29 大天使ミカエルの祝日
  BWV50
  BWV130
  BWV19
  BWV149(以上、DISK42)
・2015/10/4 三位一体節後第十八日曜
  BWV96
  BWV169(以上、DISK45。三位一体節後第二十五日曜のBWV116、モテット BWV668を併録)
・2015/10/11 三位一体節後第十九日曜
  BWV48
  BWV5
  BWV56(以上、DISK46。三位一体節後第二十五日曜のBWV90を併録)
・2015/10/18 三位一体節後第二十日曜
  BWV162
  BWV180
  BWV49(以上、DISK48)
・2015/10/25 三位一体節後第二十一日曜
  BWV109
  BWV38
  BWV98
  BWV188(以上、DISK49)
・2015/10/31 宗教改革記念日
  BWV80
  BWV79(以上、DISK47。用途未詳のBWV192を併録)
・2015/11/1 三位一体節後第二十二日曜
  BWV89
  BWV115
  BWV55(以上、DISK50。三位一体節後第二十四日曜のBWV60を併録)
・2015/11/8 三位一体節後第二十三日曜
  BWV163
  BWV139
  BWV52(以上、DISK51。三位一体節後第二十七日曜のBWV140を併録)
・2015/11/15 三位一体節後第二十四日曜
  BWV60(DISK50に併録)
  BWV26(DISK7に併録)
・2015/11/22 三位一体節後第二十五日曜
  BWV90(DISK46に併録)
  BWV116(DISK45に併録)
・2015/11/29 待降節第一日曜
  BWV61
  BWV62
  BWV36(以上、DISK52)
・2015/12/20 待降節第四日曜
  BWV132(DISK53。三位一体節後第二十六日曜のBWV70、マリアのエリザベト訪問の祝日のBWV147を併録)
・2015/12/25 降誕節第一日
  BWV63
  BWV191(以上、DISK1)
  BWV91
  BWV110(以上、DISK54)
・2015/12/26 降誕節第二日
  BWV40
  BWV121(以上、DISK54)
  BWV57(DISK55に併録)
・2015/12/27 降誕節第三日
  BWV64
  BWV133
  BWV151(以上、DISK55。降誕節第二日のBWV57を併録)
・2015年には該当日がないもの
 顕現節後第四日曜
  BWV81
  BWV14(以上、DISK7。三位一体節後第24日曜のBWV26、モテットBWV227を併録)
 三位一体節後第二十六日曜
  BWV70(DISK53に併録)
 三位一体節後第二十七日曜
  BWV140(DISK51に併録)
 降誕節後第一日曜
  BWV152
  BWV122
  BWV28(以上、DISK56)
・その他の用途及び用途未詳のもの
 悔い改めの礼拝用
  BWV131(DISK31に併録)
 用途未詳
  BWV97(DISK19に併録)
 BWV117(DISK18に併録)
 BWV150(DISK15とDISK21に併録〈別テイク〉)
  BWV192(DISK47に併録)

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2015年08月08日

真夏の南奥駈、転法輪岳に登る

久方ぶりの山行き、しかも盛夏とあって、覚悟はしていたものの思っていた以上にしごかれた1日だった。でもそれだけ充実感のある山が楽しめた。
東京からだと、1,000mクラスの山なら奥多摩を初め登る山に事欠かない。しかし、真夏にそれらの山々に登るなど考えてみたこともなかった。真夏の山といえば八ヶ岳とかアルプスとか、あるいはそこまでではなくともせめて2,000m越える程度の高さがないと暑さを防ぎようがない、と決めてかかっていたようなところがある。それで東京近郊の山ならシーズンは春と秋、のちに雪のある冬も出かけるようになったけれど、真夏に登ったことは一度もなかった。
それが数年前の8月後半に稲村ヶ岳(1,726m)に登り、1,000mクラスの山でも真夏が意外によいことを知った。もちろんたっぷり汗はかかされる。しかし、自然林の多い大峰の山々では、真夏の炎天下に放り出される箇所はさほど多くなく、たとえ下界が35度だったとしても、30度に達することはまずないだろう。それにやはり何といっても、雄大な自然を味わうのに、季節を選ぶ必要はなかったのである。

          §           §           §

今回の目的地は、南奥駈道の転法輪岳。川上村から和佐又のトンネルを抜けて上北山村、さらに和歌山県境の下北山村の池原まで行き、ここから林道を車の入れる終点まで行く。先日の台風の際には大雨による落石がひどかったというが、ありがたいことにそれも通行に支障がないように片付けられている。途中、隠れ滝や、北側に谷を挟んで聳える岩峰群─石ヤ塔─を眺めつつ、一気に高度をかせぐ。通行止めのゲートのところで既に750mに達している。
いよいよスタート。南奥駈の稜線までこの林道を辿ること約5㎞。この間に約300mの比高がある。0.5㎞おきに表示があって残りの行程がわかるのだが、その2㎞ポストから4㎞ポストあたりまで、単調な上に結構傾斜のある林道歩きはきつかった。体長を整えつつとは思いながら、3ヶ月以上のブランクはやはり大きい。
4㎞ポストあたりから傾斜がほとんどなくなって、稜線の東側に併行してトラヴァースする感じに鞍部を目指す。左上に奥駈道が見える。ここを攀じ登りたいね、との冗談も飛び出すうちに、ほどなく林道の乗越部に着く。右にやや降れば、待経の宿。立派に改装され、1泊2000円で利用できるようになっている。聞けば南奥駈道は、山岳会の方々がボランティアで丹念な整備をしてくださっていて、奥駈道全体でも特に安定しているのだという。小屋の整備も同じ皆さんの尽力とのこと、世界遺産がこうした善意によって初めて支えられているというのは、またいろいろと考えさせられる。
乗越まで戻って、入口へ10mという看板を見てわずかに西側へ越すと、奥駈に取り付く階段状の道があり、いよいよ稜線歩きが始まる。ここのすぐ上で、南奥駈の雄峰笠捨山の独特の姿を遠望できる。鉄塔が見えるのは、かつて訪れたことのある行仙岳だろう。めざす転法輪岳は、手前の山並みに隠れて見えないようだ。
南奥駈道への入口.jpg
〔南奥駈道への入口〕

笠捨山の遠望(中央右より奥の双耳峰).jpg
〔笠捨山の遠望(中央右より奥の双耳峰)〕

左側の眼下に登ってきた林道を見やりつつわずかにゆくと、まもなく千年ヒノキの巨木の足下に辿り着く。上部は恐らく雷などにやられて傷んでいるようで、幹の太さの割に高さはさほどではないけれど、これだけの巨木はめったにお目にかかれない。ヒノキではないが別のもう1本の木と寄り添うように立ち、西側に倒れないようワイヤで固定してある。千年ヒノキの根方で、少し早い昼食をとる。
千年ヒノキ.jpg
〔千年ヒノキ〕

ここからは短い上下を繰り返しながら少しずつ高度を上げてゆく。自然林に抱かれた快適な稜線歩きが続く。右手に時折山並みが望める。転法輪岳はまだ隠れていて見えないが、帰路に確かめたところだと、もう少し行くと、手前の山並みの上に山頂が顔を出すようになり、その後は馬の鞍型に二段になった特徴的な山容が時折木々の間から望めるようになる。道が徐々に右にカーヴするようになるあたりが一番よく望めるようだ。
稜線は特に痩せたところもなく、まことに快適な道だが、平治の宿を過ぎ、馬の鞍状になった転法輪岳本体のへ登りは長くきつかった。登れど登れど傾斜が緩まない。いい加減いやになった時分にようやく傾斜が緩むが、その後再び傾斜が戻ってきて、最後のもうひとがんばりでやっと山頂に到達する。
大きな錫杖が立てかけてある転法輪岳の山頂は。木々が多く展望には恵まれないけれど、憩うにはよい、こびろい頂である。転法輪岳、1281m。南奥駈の奥まったところにあり地味ではあるが、文字通り滋味あふれる名峰といってよいだろう。
転法輪岳の山頂.jpg
〔転法輪岳の山頂〕

帰りは往路を戻る。往きに写真を撮りそこねた転法輪岳の展望の利く箇所を振り返り振り返りしながら探して歩く。また、直径1mはあるであろう大樹が、中がすっかり腐り落ち、回りの皮1枚になって残っている不思議な光景、これを是非写真におさめようと思い、どの当たりだったかと気を付けながら歩く。真夏のことなので、花には恵まれなかったが、ところどころにきのこが顔を出し、ベニテングタケの鮮やかというか毒々しげな丸い頭が見えたりもする。
転法輪岳を振り返る.jpg
〔転法輪岳を振り返る〕

朽ち木.jpg
〔朽ち木〕

平治の宿から待経の宿まで20分という看板があったが、あれはどうみてもおかしくて、40分から50分はかかる。反対に転法輪岳まで30分というのはあっているから、どうなってしまったのだろうか。まあ、そんなことをあげつらってもしかたない。同じ道とはいえ、方向が異なればまた印象は全然変わってくる。往きに見えなかった景色が見えてくる。待経の宿からの林道歩きも、遠雷に急かされながらだったせいもあってか、思っていたほどのこともなく、16時前にはバスの待つゲートに辿り着く。そして最後は夏休み中らしくこどもたちの団体で賑わうきなりの湯でゆっくりと汗を流し、思いの外早い帰着となった。電車の中から郡山の花火を遠望するおまけも付いて、真夏の山旅を終えることができた。
全体を振り返ると、林道歩きの10㎞の占める割合は半端ではなかったけれど、その後の奥駈道の充実がそれを補って余りある行程だった。あれほど簡単に南奥駈の核心に到達できるというわけだから、林道歩きもがんばれるというものだ。まあもっとも、それもゲートまで車で入れたからこそのことであって、そうでなければとても日帰りで足を運べる山域ではない。その意味では、比較的手軽に南奥駈の奥深さを味わわせてくれるという点では、この林道の効能は計り知れないということになるのだろう。
尾根道にて.jpg
〔南奥駈の尾根道にて〕

石ヤ塔の夕景色.jpg
〔石ヤ塔の夕景色〕
タグ: 季節 奈良
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2015年08月06日

真価が問われる8月

安保関連法案、いわゆる戦争法案に反対している若者の団体の至極まっとうな活動を批判した自民党の某議員のツイッターが炎上しているという。某議員曰く、「「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろう」。いったいどんなお年寄りの発言かと思いきや、30代半ばの若い議員だというから驚いた。いやはや全く、開いた口が塞がらないとはこのことだとしかいいようがない。
戦争に行きたくない、人殺しがしたくないなどとつべこべ言ってないで、お国のために戦って死んでこい、この人はそう言いたいのだろうか。滅私奉公至上主義、まさかそんなことはないよね、本気でそんなことを思っているわけじゃないよね、と疑ってあげたくなるのだが、悲しいかなこの人、どうも本気であるらしい(自分が最初に死にに行く気があるのかないのかは定かでないけれど)。

          §           §           §

この手の言葉、実はぼく自身すごく身近に感じて育ったのである。30台後半から40代前半の子育ての時代を戦争のさなかに過ごし、東京大空襲で命を落としてもおかしくはなかたほどの、いわば戦争の犠牲者であるはずのなのに、ぼくの祖父母の天皇制讃美、大政翼賛的考え方は死ぬまで変わらなかった。それはほとんど宗教といってもよかった。くだんの議員はいったいどんな環境で育ったのだろうか。ぼくのような祖父母のもとで育てば、そしてぼくのようはひねくれ者でなく素直な性格の持ち主ならば、こういうことになるのだろうか。それとも所属政党のボスのいうことはまさに天の声、なにがあっても正しいと思い込んでいるのだろうか。この人、マスコミをやっつけろという発言が飛び出して物議をかもした勉強会のメンバーでもあるというからさもありなんではあるのだけれど、本気でそんなことを信じ込んでいる若者がいるというのはほんとうに怖ろしい。
それにしても笑ってしまったのは、「利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろう。」という部分だ。ぼくの祖父母ような戦争讃美で過ごした世代の、過去への郷愁に基づく発言ならばまだ理解できる。戦後教育すら知らない世代がこんな発言をするというのは、いったいどういう神経の持ち主なのだろうか。この人きっと余程素直な性格なのだろう。批判的な物の見方は皆無、いわれると何でもその通りと思ってしまい、自分で者を考えようとしない。そうなのである、言うなればまさにこの人自身がゆとり教育の被害者の世代なのである。

          §           §           §

言っていいことと悪いことの区別が付かない、自分の発言がどういう結果をもたらすかの見極めもなく思いつくままにしゃべってしまう、もう既にいろんな方が指摘していられるけれど、要は幼稚なのである。こんな議員を選んだ方も選んだ方だが(それは今は言っても仕方がない)、何よりもこんな人を候補者に立てた自民党も自民党だ。こんな理屈にもならないことを、信念をもって(そう見える。それだけは、ある意味でえらいとは思う)発信できるとは、驚きを通り越して、唯々呆れるしかない。
マスコミをやっつけろ発言もそうだったが、今回の戦争否定は利己的だ発言は、次第に苦境に立たされつつある首相を援護するつもりで確信的に発信しているふうがある。自分が言っていることがどういう意味なのかも理解せずに、ただ歓心を買うためだけの売名行為にしか思えない。それでもって党や首相が迷惑を被るかも知れないということすらわかっていない。幼稚を通り越して、本当におめでたいとしかいいようがない。
しかも彼らの共通の特徴として、批判されて居直る、聞く耳を持たないという、幼児特有の反応を存分に発揮している。その点でいえば、辞任はする気はないらしいが、ひたすら誤りたおしている某首相補佐官の方が、幾分かは成長した対応といえるのかもしれない。まあ、程度の問題ではあるけれど。

          §           §           §

火消しに躍起になる(そうも見えないけれど……)自民党の上層部は気の毒といえば気の毒かも知れないけれども、火のないところに煙は立たない。なぜそんな発言が飛び出すか、そこのところをよく考えなければならない。結局そんな発言を生み出すような雰囲気があるということなのだろう。
老獪な政治家たちは、実際にはそう思っているとしてもそんなことはおくびにも出さない。しかし、そんな抑制を利かす訓練もない人たちがわんさと議員になっているのである。そんな人たちを議員にしてしまったのは彼らなのだ。いやむしろ、若手をそんな議員に育て上げてしまったのも彼らなのである。
その意味で、今回の一連の出来事は、ある意味で自民党上層部の本音を、敢えて言えば首相の本音を図らずも代弁してしまってくれたのである。幼稚な議員を育てた短絡的な指導者の実態が、そこには見事に現れている。苦言を呈することで自分は関係ありませんみたいなことを言っている人もいるけれど、そんなことはけっしてあり得ない。そこのところをよく見極めなければならないだろう。
朱に交われば赤くなる。類は友を呼ぶ。基本は、首相=総裁の姿勢が伝染しているに過ぎないのだ。首相が取り戻そうと躍起になっているのが昭和10年代の日本だという指摘もあったが、なるほど言い得て妙だと思った。そんなことは既にわかっていたことではあるが、首相のファッショ的体質が見事に露呈してきた感じだ。

          §           §           §

いよいよ、1年のうちで過去をかえりみるのに最も適した季節を迎える。歴史を学ぶのは、過去を讃美するためではなく、未来を構築するためのはずである。けっして傲岸に「顧みる」で視点であってはならず、謙虚に「省みる」姿勢が求められている。瀬戸内寂聴さんの言葉を借りるなら、正しい戦争があるはずはない。国家という大義による殺人が許されてはならない。
ぼくでさえ、身内に戦争の犠牲者がいる。七人姉妹の母の唯一の男の兄弟だった兄は、ボルネオで亡くなった。動物園の園長になりたいといっていたという父の進路を変えたのも戦争だった。敗戦がもう少し遅ければ、父も戦地に送り込まれていたに違いない。辛うじて死を免れた父だったが、新制高校の第1期に戻った父は、希望とは別の道を歩むことになる。
過去を美化する視点からはけっして未来は生まれない。いろんな意味で私たちの真価が問われる8月が、徐々に動き始めているのを感じる。
タグ:日常 季節
posted by あきちゃん at 03:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする