2015年12月30日

音楽を聴くことの難しさ─夢の記憶31

待ち合わせは8時半のはずだった。いつも時間ギリギリのぼくにしてはめずらしく、定刻よりも30分近くも前、8時過ぎに着いた。K君は来るだろうか? 多分来ないだろうな、と思いつつ改札を抜け、正面にある駅前のバス停に向かう。暗いところから明るい場所へ出たような記憶がある。まっすぐ階段を上がったようでもあるし、フラットだったような気もする。いずれにしても、明るさの変化が妙に記憶に残るのだが、それでいて不思議なことに雨が降っていたようにも思う。でも傘はさした覚えはない。
今日は少し早過ぎたかな、どうやって時間をつぶそうかと思って前を見ると、もう何人か来ているではないか。待ち合わせ場所のバス停には既に女性が2人来ていた。2人とも高校時代の同級生で、どういう経緯でここで待ち合わせることになったのだか脈絡がわからないのだけれど、どうもメンバーから察するに、高2の晩秋にあった修学旅行の班のメンバーようである。メンバーの1人だったF君はもう随分前に鬼籍に入ってしまったので来れる訣はないだろうが、今は札幌勤務のK君はどうだろう、と実際の彼らの動向をちゃんと夢の中でも覚えていて、あれこれ考えていた。
早いねと、2人に声をかけると、Wさんが、さっきまでK君が来てたんだけど、お母さんに呼ばれて帰っちゃった、という。新しい車が来たからとかなんとか言っていたように思うが、記憶が定かではない。彼の実家は東京だから、札幌から出て来ていたのだろうか。それにしても久しぶりにK君に会える機会を逸したのは痛恨。何も折角待ち合わせ場所まで来てくれたのだから、そんなどうでもいいようなことで(少なくともぼくにはそう思えた)、さっさと逃げるみたいに帰らなくてもいいだろうに、とちょっと愚痴をこぼす。
よく見ると、あともう1人待ち合わせ場所に集まっている。あれは誰だったのだろう? 修学旅行の班のメンバーとは違っていたように思う。それとも高1の夏の蓼科合宿の班、それとも高2の春の秋川合宿の班のメンバーだったのだろうか。夢から覚めても実際誰と同班だったかもう記憶がとろけてきてしまっている。
それはともかく、結局ぼくを含めて4人が集まって、これからさてどうしようと相談が始まった。三渓園(ということは横浜方面らしいが、駅にそんな気配はなかったし、このメンバーで出かけたこともない)は9時からだし早過ぎるなあと言っている。昔のように桜木町からバスならちょうどよい時間なのだけれど……。そもそもそれならなぜ8時半なんかに待ち合わせたのか。いったいなんのために集まったのだろう、と寝覚めたあとでは思うけれど、そんなことは夢の中では全く問題にならず、しかもそれなら今日は止めようかとなったところで、夢が終わってしまった。まあ何とも締まらない尻切れトンボの夢であった。

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そういえば、K君にはもう何年会っていないだろう。彼もぼくも、N響(NHK交響楽団)の当時6回あった毎月の定期公演のうち、唯一土曜日の14時からのマチネが恒例のCチクルス2日目の会員だった。それで、コンサートがはねたあと、渋谷へ下る道すがら、あるいは喫茶店で、あれこれ話に花を咲かせたものである。いきおい当日のコンサートや、音楽関係の話題が多かったが、友と心を許して語り合える貴重な時間であった。
学生時代のことだが、ぼくが進路の悩みを彼に打ち明けたことがある。この日のコンサートはもう行かないつもりでいたのだけれど、もしかしたら気晴らしくらいにはなるかもと思い直し、重い足を引きずって出かけたのだった(往きは原宿から歩くのが常だった)。でもそんな気持ちでコンサートに臨んでもよい聴き手になれる訣もなく、かえって落ち込んで終演を迎えたのだった。
そんなことだから、帰途のK君との会話もはずまなかったが、彼に自分の今の悩みを話してみよう、という気になったのである。話を聞いてもらうだけでもよかったのかも知れない。別にK君に相談に乗ってもらったり、アドヴァイスを受けようというつもりはなかったのだろう。でも、彼とぽつりぽつりと話しているうちに、彼なら聞いてくれるに違いないという確信、いや聞いてほしいという願いがじわじわと湧いてきたのである。
そんなぼくに彼がどう応対してくれたかは、正直言って覚えていない。温厚なK君もぼくに急にそんなことを言われても、きっと困ったに違いない。ただ、その時彼がぼくに勧めてくれたのが、森有正『生きることと考えること』(講談社現代新書)だった。森有正の著作としては平易な部類に属するのだろうが、それでもぼくには難解だった。しかし、ぼくが自身のどん底を脱する契機になった読書であったのは間違いない。
手許に森有正の「思索の源泉としての音楽」という2枚組のCD(PHILIPS25LD1005・1006。1986年?)があったのを思い出し探し出した。K君とN響に通っていた頃のものではないようで、いつどこで買ったのかも記憶はないが、彼のアドヴァイスの記憶が求めさせたものに違いない。その頃バッハはぼくには遠い存在だった。このCDをもってしてもそうで、棚の奥に死蔵されていたのはそのためだった。
改めてこのCDを聴いてみた。バッハのオルガン曲はぼくにはやはり難解だ。でも氏は言う、音楽を聴くことは弾くことよりも難しいと。氏は言語になずらえて説明している。本当に書けなければ読むことはできないし、本当に話せなければ聞くことはできない。つまり、自分きちんとできるようにならなければ、第三者の行為を理解することはできないというのである。
学生時代のぼくは、どうもこの言葉を真に受けた感があるが、要はそのくらいの覚悟をもって聴かなくては、音楽は真に理解することができないということであろう。聴くことは、本来それだけエネルギーを要する営為なのである。そうであるならば、音楽に感動するかどうかは、演奏の善し悪しよりも、むしろ聴き手がそれだけの営為を行い得たかにかかっているのではないか。感動を得られなかったとき、その演奏を責める前に、まず自分がその演奏とともに充分に燃焼し得たかどうかをこそ問うべきである。そんなことを考えさせられた30年も前の記憶が鮮やかに甦ってきたのだった。思えば随分と遠回りをしたものである。

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高校時代のクラスメートの登場する夢から思わぬ方向に話が展開してしまった。夢の記憶の紹介は調べてみると随分久しぶりで、5ヶ月ぶりになる。この間もちろん夢を見なかった訣ではないし、また鮮明な夢を見なくなっている訣でもない。記憶の残っているうちにメモっておく余裕があまりなかったということなのだろう。
まあ、記憶に残しておきたくない夢、文字通り夢見心地のよくない夢もない訣ではないが、目覚めてから夢をなぞれる程度の余裕は、物理的にも精神的にも持ち続けたいと思う。
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2015年12月24日

身から出た錆を落としてもらった話

けっしてボウっとしているつもりはないのだけれど、集中力不足というか、神経が行き届かないというか、またしても失態を演じてしまった。失敗を吹聴するのもどうかとは思うが、こうでもしておかないとまたやってしまいそうなので、顰蹙は承知で書かせていただくことにする。

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5分遅れで電車がやって来て、運良くすわれてやれやれと、ホームで電車を待っているときに出して手に持っていた文庫本を読もうかと思って、ハタと気が付いた。切符がない! 京都駅で240円切符を買って自動改札を抜け、米原方面行きの各駅停車に乗った直後のことである。
JRの切符はいつも現金で買うことが多く、今日も切符を買ったのだから、今こうして電車に乗っているということは、改札を抜けて来ているはずである。少なくともそれまでは切符はあったはずだ。買った切符をどこかにしまう習慣はなく、手に持っているのが普通だ。寝込んでしまいそうなときなどは、その間に手からすり抜けることを恐れて本などに挟むこともないではないが、こうすると挟んだことを忘れてかえってあとで探す羽目になって大騒ぎすることがあるのであまりやらない。
今日も本を読み始める前に、手に持っているはずの切符の確認を、と思っただけで、いつもなら何事もなく通り過ぎるルーティンに過ぎない。しかし、それがどこか一カ所で滞ってしまうと、その先のすべての歯車が狂ってしまうのだ。

一応身の回りも探してみる。コートのポケット、本の間、座席の下……。すわった拍子に足下に落としていたことは過去にも何回か経験があり、またあれかと思おうとしたが、あっさり否定されてしまった。どこにも切符はない。
この時考えることは二つ。どこでなくしたか。これからどうするか。どこでなくしたかは、あわよくば見つけてルーティンを復旧しようという目論見だが、早々に諦めざるを得なかった。なくした可能性があるとすれば、改札から電車に乗るまでの間に落としたか、あとは自動改札で取り忘れたかくらいしか思い付かない。そのへんの行動を思い出そうとしてはみたものの、確信をもっておさえることがどうしてもできなかった。
ただ、確実にいえるのは、どちらであったにしても、改札に戻って調べてもらう時間的な余裕はないので、この二つの可能性しかない限りにおいては、少なくともこの電車を降りるまでに失せ物が出てくる可能性はほとんどないことだ。

そう思い至ったとき、結論は自ずと見えてきた。これは改札で事情を話してもう一度240円払うしかない。無駄な出費はしたくないけれど、こればかりはもうどうしようもないと腹を括ることにした。なるようにしかならない。最善を尽くしてあとは結果を待つしかない。開き直る訣ではないけれど、焦ったところで如何ともしがたいのである。
ただ、どこから乗ったかをどうやって証明できるのだろうか? なくしたといって信じてもらえるのだろうか? いろいろな不安が脳裏を駈けめぐる。しかし、別に悪いことをしようという訣ではないのだから、これも正直に言うしかないだろう。結論が見えているのに、なかなか決心が付かない小心な自分がいかにも情けなくなる。

さて、結果はどうだったか。いい年をしてこれには感激してしまった。改札口で早速事情を話すと、「いくらの切符を買いましたか?」「240円です。」「わかりました。それなら、今度だけですよ。次からはちゃんといただきますから気を付けてくださいね。今日はいいですので、どうぞ。」改札口で対応してくれた女性職員にそう諭されてしまった。
いやまったく情けないやら恥ずかしいやら……。自分の娘くらいの年齢ではないかと思う。もしかしたら、困ったお父さんだわねぇ、とあちらも思ったかも知れない。でも受け答えといい、処理方法といい、まことに見事であった。
勿論見逃してくれたのは何よりもありがたかったけれど、たとえ見逃すにしてもマニュアル通りの応対ではああはいかないだろう。恩着せがましさを全く感じさせないところ、こちらがひたすら恐縮せずにはいられなくなるような、状況に応じた的確な対応と判断には感服してしまった。

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身から出た錆になるところだったが、すっかり錆落としをしていただき、それどころか朝から得難い経験をさせていただいた。先日に続き本当に救われた思いである。今日が充実した1日であったことは申すまでもない。
読んでいた(まだ読み終えていないけれど)文庫本がまた大収穫だった。そのことはまた改めて書くことにしたい。
タグ:鉄道 日常 京都
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2015年12月20日

寒波を友に─北京と高見山と─

冬の到来が遅れたまま12月も後半に入ったが、今週はぼく自身が寒波とともに動いた感じの一週間だった。
月曜日から水曜日までは北京出張。先週後半の北京は大気汚染が最悪の状況で、警報も発令とのことだったので覚悟して出かけたのだが、今まで何度か訪れた北京でも全くお目にかかったことがないような澄んだ青空に迎えられた3日間だった。遅れてやってきた寒波を伴う季節風が、汚れた空気を全部吹き払ってくれたのである。
現地時間では7時半過ぎくらいが日の出なのだが、まさかの北京の日の出を火曜日も水曜日もホテルの窓から望むことができた。北京の空はたいてい一色で、淀んだ灰青色か灰白色と相場が決まっていたのだが、日の出の時間帯には空には白い雲も浮かんでいて、しかもかなりの早さで動いている。
北京王府井の日の出.JPG
〔北京王府井の日の出〕

それが日中になるとさらに一点の雲もない青空、まさに快晴に転じ、ことに水曜日の青空は完璧だった。ただ、その代わり寒さは半端ではなく、最低気温は氷点下7℃だったという。風がかなり強いので体感温度は日中でも日本の真冬を遙かに下回り、口がほとんど回らないありさま。それなりの気温は予想してはいたものの、薄いコートでは如何にせんたちうちできなかった。
快晴の天壇公演祈年殿.JPG
〔快晴の天壇公園祈年殿〕

同じ日の夕方に関空に下りたって生暖かさに唖然としたのだったが、これはその日の日中はまだ日本には寒波が到来していなかったからで、翌木曜日からは北京の寒波の余波が無事(?)関西にもやって来て、しかも金曜日になると予報に反してどんよりと曇ってしまい、奈良の真冬らしい陽気になって、ブルブル震える1日となったのだった。

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そして週末を迎える。土曜日、予報はお日様が付いていたものの、結局どんよりベースの1日だった。今年の〆の山歩きで、目指すは高見山の北尾根。東西に扁平で南北が急峻な高見山本体から北に派生する尾根で、こちらは南北に扁平に伸びる。そこに高見山側から順に、天狗山、天狗岩、舩峯山、黒石山、高山などのピークが続く。そこを西の滝野から差杉峠(西杉峠)に入って逆に南下し、天狗山からV字状に折り返して桃俣に抜けるコースである。
予報は悪くなかったのだが、差杉峠を目指す途上で小雨模様となりカッパを着込むハメになる。これでは眺望は無理かと諦めて尾根を目指す。差杉峠までは植林帯の道で、思っていたよりも傾斜がある。1時間強、高低差約250mほどで登り着いた差杉峠には白いものも目に付いた。一応アイゼンは持参したのだが、まさか雪にお目にかかるとは思わなかった。
差杉峠から南に折れて尾根道に入る。初め100mほど一気に稼ぐややきつい登りがあったものの、あとは尾根上のアップダウンで、黒石山と舩峯山の間が70─100mのダウン・アップ、天狗岩と天狗山の間が50─120mのダウン・アップで、天狗山の登りが少しきつかったかなというくらいで、総じて快適な尾根歩きが楽しめた。
難所と言えば難所なのは天狗岩くらいか。高見山から北上する場合はこの岩に登ろうとはあまり思わないだろうが、今回のように北から稜線沿いに普通に歩いていると、そのまま天狗岩の絶壁の上に導かれてしまう。適当に足がかりはあるので降りて降りられないことはないもののあまりゾッとしない岩場だ。少し手前に巻き道があるのでこれを拾えばよいのだが、こちらも幅の狭い尾根の西斜面のトラヴァースで道幅も狭く、気は抜けない。
差杉峠ではまだ天候が定まらなかったが、稜線を行くうちに次第に明るさが増して、しかも眺望も利くようになっていく。昼食をとった黒石山ではまだ高見山の山頂は雲に隠れていたが、黒石山の南側の伐採地点周辺まで来る頃には、神々しいばかりの高見山を望むことができるようになった。遠目にあそこまで白ければ、稜線はかなりの積雪だろう。北の榛原方面の眺望も素晴らしく、また西側の大きく開けた谷筋の向こうには、たかすみ温泉のある集落を望むことができた。
高見山遠望.JPG
〔高見山遠望〕

三峰山を遠望.JPG
〔三峰山遠望〕

兜岳(左)と鎧岳(右)遠望.JPG
〔兜岳(左)と鎧岳(右)遠望〕

稜線は高見山に向かって次第に高度を上げていく訣だから、コース中の積雪の増加も覚悟はした。しかし、道を外れると地面が見えない状況だったが、道が埋まるほどではなく、歩く部分はほぼ落葉の散り敷いた状態。結果的に天狗山周辺までアイゼンなしでも滑ることもなく全く問題なく歩くことができた。コース中の最高地点の天狗山周辺で、僅かながら美しい霧氷が見られたのは大収穫だった。

天狗山山頂にて.JPG
〔天狗山山頂にて〕

天狗山からの冬枯れの下り道からは、今日歩いてきた黒石山から天狗山までの尾根道の横顔がよく見渡せる。中でも天狗岩北側の絶壁が三角形によく見える。天狗山から麓の高角神社までは約1時間、高度差400m余りの下りで、あとは車の通れる道をバスの待つ奥山の集落まで15分ほど歩いてゴールイン。総歩行距離は約9.3㎞。比較的楽だったのは高度差が450m余りとそれほでもなかったことによるのだろう。
天狗岩(中央)と舩崟山(手前の木の右奥のなだらかな山).JPG
〔越えてきた稜線─天狗岩(中央)と舩峯山(手前の木の右奥のなだらかな山〕

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実は、前日にあろうことか少し腰をひねってしまい、ギックリ腰気味ではあったのだが、山歩きがかえって対症療法になったようで、少なくとも山を歩いているうちは痛みを感じることなく過ごせたのは不幸中の幸いだった。
犬のシーツを替えるために中腰になったときに、ウッとなってしまったのだが、元を正せばその前の晩、ちょっと寒いからと横向きに丸くなって寝たのがよくなかったらしい。適度の高さの枕で仰向けにまっすぐ身体を延ばして寝ていればまず大丈夫なのだが、横向きに寝るといつも腰にとってろくな事がない。
こうしてまあいろいろなことがあったけれど、晩秋から厳冬までをまとめて経験できた貴重な一週間だった。
タグ: 奈良 季節
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2015年12月14日

季節のカンタータ・リスト

今年は先月末の29日が待降節第1日曜日、新しい教会暦の始まりである。ぼくの場合教会暦に沿ってバッハのカンタータを聴き始めたのは新年になってからだったので、厳密にはまだ一巡している訣ではないけれど、とにもかくにも季節に沿って聴き通して来られたことは感慨深い。
あと半月ほどになった2015年だが、今年もまた早かったのか遅かったのかよくわからない1年だったというのが正直なところ。少し大げさな言い方かも知れないものの、こうして1年を歩んで来るのに、友というか、心の拠り所になってくれたのが、バッハのカンタータであったように思う。

心に残った曲については、その都度余裕のある範囲でだが書きとめてきた。このブログでも少し詳しく紹介させていただいたこともある。また、お気に入りの曲たちはプレイリストに入れ、それだけでまとめて聴けるようにしてきた。
その際お手本にさせていただいたのは、いつもぼくがバッハのカンタータを聴く時の道標にさせていただいているNoraさんが作成された、お気に入りの春のカンタータ集である。これに倣ってぼくも夏、秋、晩秋という具合に、概ね季節で区切ってお気に入りのカンタータ集を拵えてきたのである。
もっともそうはいっても、全体的な構成など全く考えることなく、ただ気に入ったものをその都度放り込んでいっただけだから、順番も何もあったものではない稚拙なものではある。それになによりも毎週毎週新しい曲たちがやってくるので、聴き返している余裕もほとんどなかった。

幸い、新しい教会暦が始まって、待降節第一日からクリスマスまで、バッハのカンタータはほとんどない。ライプツィッヒではこの期間華美な曲の演奏が禁止されていたとのことで、セバスチャン・バッハのカンタータも基本的にこの間はお休みなのである。ヴァイマール時代はそんなことがなかったので、この期間のカンタータもあるのだが、他の用途に転用してしまって(そのへんの詳細はNoraさんの紹介に詳しい)、今この期間のカンタータとして残っているのは、待降節第4日曜日のためのBWV132の1曲だけなのである。
そこで、この期間を利用して、お気に入りのカンタータを聴き返してみることにした。プレイリストに入っているのは何らかの意味で心を打たれた曲たちばかりだから、一つひとつがみんななつかしい曲たちばかり。それぞれが今年過ごしてきた季節ごとの思い出を連れてきてくれるのである。

演奏は多くがガーディナーで、気に入った曲があると、もう1セットあるリリングの演奏や、少しずつ買い求めてきた鈴木雅明さんの演奏も聴いてみる。また、ハンス・ヨアヒム・ロッチュやフリッツ・ヴェルナーの限られた曲たちだけだが、愛惜措く能わざるセットも取り出してみる。
偶然なのだが、本当は一番最初に求めようと思っていたカール・リヒターの選集はまだ手許にない。なくならぬうちに早く買わねばと思いながらも、他の演奏を聴くのにせいいっぱいというのが実情。受難曲とセットになっている分を聴いただけでも、すばらしいのがわかりきっているから、そう慌てようという気も起きないのである(ガーディナーを聴き込んだあとで、リヒターを聴いたらどういうことになるか、ちょっと怖ろしい気がしないでもないのだが……)。
アーノンクールとレオンハルトの全集、コープマンの全集も聞いてみたいのは山々だけれど、これらはNAXOSのMusicLibraryで最初の30秒のさわりだけなら聴けるので、当面はそれで満足することにしている(前奏が長い曲だとあまり役に立たずかえってストレスが溜まるけど)。
さて、当のプレイリストだが、自分でもこれはいったいどういう脈絡があるのかしらと唖然としてしまうが、現在は以下のようなことになっている。いったいどんな曲たちがぼくは気に入っているのか、分析してみたら面白かろうとは思いつつ、まだ果たしていない。いつまでこの形を保っているのかも保証の限りではない、
パッと見てすぐわかるのは、レティタティーヴォがほとんど入っていないこと。これはひとえにぼくの耳がまだ肥えていないからだろう。デュエットが好きなことは確からしい。名曲かどうかは別として、ぼくの耳に心地よかったというだけの、素人の個人的な感懐に基づくリストだから、何の役にも立たぬ代物ではあるが、心覚えに書きとめておく。一部全然違う季節のものがま切れ込んでいたりというのはご愛敬ということで。

▼夏のカンタータ
1、BWV21、Ich hatte viel Bekümmernis第9曲コラ-ル合唱、ロッチュ、三位一体節後第3日曜日
2、BWV129、Gelobet sei der Herr, mein Gott第3曲アリア(ソプラノ、ヴァイオリンのオブリガート付き)、ガーディナー、三位一体節
3、BWV194、Höchsterwünschtes Freudenfest第1曲合唱、ガーディナー、献堂式
4、BWV129、Gelobet sei der Herr, mein Gott第5曲4声コラール、ガーディナー、三位一体節
5、BWV10、Meine Seel Erhebt Den Herren第1曲コラール合唱、鈴木雅明、マリアのエリーザベト訪問の祝日
6、BWV134、Ein Herz, das seinen Jesum lebend weiss第4曲アリア(アルトとテノールのデュエット)、ロッチュ、復活節後第3日
7、BWV88、Siehe, ich will viel Fischer aussenden第1曲アリア(バス)、リリング、三位一体節後第5日曜日
8、BWV187、Es Wartet Alles Auf Dich第1曲合唱、リリング、三位一体節後第7日曜日
9、BWV45、Es ist dir gesagt, Mensch, was gut ist第7曲4声コラール、ガーディナー、三位一体節後第8日曜日
10、BWV97、In Allen Meinen Taten第4曲アリア(テノール、ヴァイオリンのオブリガート付き)、ガーディナー、用途不詳
11、BWV94、Was Frag Ich Nach Der Welt第8曲4声コラール、ガーディナー、三位一体節後第9日曜日
12、BWV105、Herr, Gehe Nicht Ins Gericht第3曲アリア(ソプラノ)、ガーディナー、三位一体節後第9日曜日
13、BWV105、Herr, Gehe Nicht Ins Gericht第5曲アリア(テノール)、ガーディナー、三位一体節後第9日曜日
14、BWV137、Lobe Den Herren, Den Mächtigen König Der Ehren第4曲アリア(テノール)、ガーディナー、三位一体節後第12日曜日
15、BWV137、Lobe Den Herren, Den Mächtigen König Der Ehren第5曲4声コラール、ガーディナー、三位一体節後第12日曜日

▼秋のカンタータ
1、BWV33、Allein zu dir, Herr Jesu Christ第1曲コラール合唱、ガーディナー、三位一体節後第13日曜日
2、BWV33、Allein zu dir, Herr Jesu Christ第5曲アリア(テノールとバスのデュエット)、ガーディナー、三位一体節後第13日曜日
3、BWV25、Es Ist Nichts Gesundes An Meinem Leibe第1曲合唱、ガーディナー、三位一体節後第14日曜日
4、BWV78、Jesu, Der Du Meine Seele第2曲アリア(ソプラノとアルトのデュエット)、ガーディナー、三位一体節後第14日曜日
5、BWV99、Was Gott Tut, Das Ist Wohlgetan第1曲コラール合唱、ガーディナー、三位一体節後第15日曜日
6、BWV161、Komm, Du Süsse Todesstunde第1曲アリア(アルト)、ガーディナー、三位一体節後第16日曜日
7、BWV8、Liebster Gott, Wenn Werd' Ich Sterben?、第1曲コラール合唱、ガーディナー、三位一体節後第16日曜日
8、BWV161、Komm, Du Süsse Todesstunde第6曲コラール合唱、ガーディナー、三位一体節後第16日曜日
9、BWV138、Warum Betrübst Du Dich, Mein Herz?第6曲4声コラール、ガーディナー、三位一体節後第15日曜日
10、BWV8、Liebster Gott, Wenn Werd' Ich Sterben?"第6曲4声コラール、ガーディナー、三位一体節後第16日曜日
11、BWV19、Es Erhub Sich Ein Streit第5曲アリア(テノール)、ガーディナー、大天使ミカエルの祝日
12、BWV169、Gott Soll Allein Mein Herze Haben第5曲アリア(アルト、オルガンのオブリガート付き)、ガーディナー、三位一体節後第18日曜日
13、BWV95、Christus, Der Ist Mein Leben第1曲コラール合唱とレティタティーヴォ(合唱とテノール)、ガーディナー、三位一体節後第16日曜日
14、BWV47、Wer Sich Selbst Erhöhet第2曲アリア(ソプラノ、ヴァイオリンのレティタティーヴォ付き)、ガーディナー、三位一体節後第17日曜日
15、BWV99、Was Gott Tut, Das Ist Wohlgetan第6曲コラール合唱、ガーディナー、三位一体節後第15日曜日
16、BWV95、Christus, der ist mein Leben第3曲コラール(ソプラノ)、リリング、三位一体節後第16日曜日
17、BWV95、Christus, der ist mein Leben第6曲レティタティーヴォ(バス)、リリング、三位一体節後第16日曜日
18、BWV5,、Wo soll ich fliehen hin第3曲アリア(テノール、ヴィオラのレティタティーヴォ付き)、鈴木雅明、三位一体節後第19日曜日
19、BWV17、Wer Dank Opfert, Der Preiset Mich第7曲コラール合唱、ガーディナー、
三位一体節後第14日曜日

▼晩秋のカンタータ
1、BWV79、Gott, Der Herr, Ist Sonn Und Schild 第1曲コラール合唱、リリング、宗教改革記念日
2、BWV162、Ach! Ich Sehe, Itzt, Da Ich Zur Hochzeit Gehe 第1曲アリア(バス)、リリング、三位一体節後第20日曜日
3、BWV163、Ich Wollte Dir, O Gott 第4曲レティタティーヴォ(ソプラノとアルトのデュエット)、ガーディナー、三位一体節後第23日曜日
4、BWV163、Ich Wollte Dir, O Gott 第5曲アリア(ソプラノとアルトのデュエット)、ガーディナー、三位一体節後第23日曜日
5、BWV180、Schmücke Dich, O Liebe Seele、第2曲アリア(テノール)、ガーディナー、三位一体節後第20日曜日
6、BWV180、Schmücke Dich, O Liebe Seele、第5曲アリア(ソプラノ)、ガーディナー、三位一体節後第20日曜日
7、BWV38、Aus Tiefer Not Schrei Ich Zu Dir、第3曲アリア(テノール)、ガーディナー、三位一体節後第21日曜日
8、BWV140、Wachet auf, ruft uns die Stimme第6曲アリア(ソプラノとバスのデュエット)ガーディナー、三位一体節後第27日曜日
9、BWV139、Wohl Dem, Der Sich Auf Seinen Gott第1曲コラール合唱、ガーディナー、三位一体節後第23日曜日
10、BWV26、Ach Wie Fluchtig, Ach Wie Nichtig第1曲コラール合唱、鈴木雅明、三位一体節後第23日曜日
11、BWV26、Ach Wie Fluchtig, Ach Wie Nichtig、第4曲アリア(バス)、鈴木雅明、-三位一体節後第23日曜日
12、BWV116、Du Friedefurst, Herr Jesu Christ、第4曲トリオ(ソプラノ・テノール・バス)、鈴木雅明、三位一体節後第25日曜日
13、BWV163、Nur Jedem Das Seine、第3曲アリア(バス。チェロのオブリガート付き)、リリング、三位一体節後第23日曜日
14、BWV49、Ich geh' und suche mit Verlangen第6曲アリア(バス。ソプラノのコラール付き)、リリング、三位一体節後第20日曜日
15、BWV140、Wachet auf, ruft uns die Stimme第7曲4声コラール、リヒター、三位一体節後第27日曜日

これに続くもので、早速リストに加えたいものとして、待降節第1日曜日のカンタータBWV36、Schwingt freudig euch emporの第6曲コラール(テノール)と第7曲アリア(ソプラノ、ヴァイオリンのオブリガート付き)がある。
BWV36は、初めて聴いたときあまり印象に残らなかったのだが、名曲の誉れが高く、これは自分の耳がおかしいのだと思って何度も聴き込んで聴き込んでするうちに、やっとその滋味に触れることができたと思えるようになった。もうそうなると心から離れない。ことに第7曲のアリアのガーディナーの清楚な演奏は本当に美しいと思った。抑えに抑えた演奏でけっして粘る訣ではないのに、それがかえってジワジワと心に滲みてくる。途中短調に転調する部分など本当に泣けてくる。
ところがである。例によって他の指揮者はどう演奏しているかが気になってリリングを聴いて驚いた。どちらかというとガーディナーの方が快速の印象があったのだが、この曲に関しては正反対で、違う曲どころの騒ぎではなかったのである。ガーディナーは9分32秒かけて演奏している。ただ、聴いていて遅いとは感じない。淡々と静謐な音が続く。これに対し、リリングは実に6分7秒である。しかし軽快というのではなく、むしろ響きは重い。速度と演奏の厚みとは必ずしも結び付かないのである。聴き込めばリリングはリリングで曲の本質を突いた演奏だと思う。どちらもすばらしい。そんないくつも顔をもっているのは、やはりバッハの曲自体が素晴らしいからなのだろう。見る方向、光の加減によって虹色に変化するという訣である。
BWV95の第1曲ではガーディナーとリリングはちょうど正反対の関係にあったが、音楽とは本当に不思議なものである。片方しか聴かなかったら、曲の印象はどうなっただろうか。専門家なら楽譜を見てそんな曲のさまざまな顔を見透すことが可能なのに違いない。しかし、聴いた経験のない曲を楽譜から空で浮かび上がらせることなど到底及びも付かぬ身にとっては、出会いはまさに一期一会なのである。
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2015年12月13日

片山廣子『新編 燈火節』を読む

片山廣子、1878年生まれ。佐々木信綱に師事した短歌や、アイルランド文学の翻訳を松村みね子の筆名で発表。晩年には随筆で名を馳せ、『燈火節』で1954年度の日本エッセイスト・クラブ賞を受ける。1957年没。
その名を知ったのは、堀辰雄の『菜穗子』の三村夫人のモデルとしてだった。芥川龍之介との交流も知られるこの人の文章が読めると知り、早速求めて読み、いろんな意味で唸らされてしまった。
執筆時期は明示されていないが、内容からみて、多くは敗戦後数年間に書かれたものらしい。ということは著者70歳前後の著作ということになる。確かに書かれている中味から著者が相応の年齢であることは明らかなのだが、文章やそこにあらわれた感性の瑞々しさはいかばかりであろう! 少女のような、と言っては失礼かも知れないけれど、若々しくかつ知性に溢れた書きぶりは、現代の文章としても全く違和感がない。言葉の選び方の感覚にも全く古臭さを感じさせないのである。明治の文化人の知性がいかに突き抜けたものであったかを感じずにはおられない、本当にしなやかな文章である。
娘の総子(宗瑛。菜穗子のモデル)が1907年生まれで、ぼくの祖母とほぼ同世代だから、ぼくの曾祖父母世代ということになる。もちろんぼくなどとは生まれ育ちが全然違うから、世代だけでどうこういうことはできないけれど、それにしても時代を考えるなら、今読んで全く違和感を覚えないどころか、むしろ新鮮さをさえ感じるというのは驚嘆すべきことだと思う。
さて、一見淡々としているようでいて、彼女の紡ぎ出す文章には、二つの大きな体験の裏打ちがある。それは、敗戦と身近な人の死とである。諦観に溢れたというのではない。いやむしろ、いたって客観的に自己を分析する眼をもっていて、冷静に自己を見つめている。それでいて極力自分を抑えた書き方になっている。自分のことを書くのでも、存在をアピールしたりすることはけっしてない。言いたいことは結構書いているのだけれど、底には押し付けがましさが微塵もなく、あくまで謙虚な筆致を貫く。お育ちといえばそれまでだが、これは片山廣子という人間の個性でもあるのだろう。

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印象に残った作品は数多いが、その中のいくつかについて心覚えを記しておきたい。
「池を掘る」。町内に適当な空き地がないために、防火用貯水池が彼女の家の庭に掘られることになった顛末が淡々と語られる。作者は折角造った池が利用されるの見ないうちに、転居でそこを離れる。しかし、令息(作者に随筆を書くことを勧めた張本人でもある。「あとがき」)の死が強制疎開で毀されることになったその家を訪れる機会をもたらす。取り壊された建物の瓦の山を踏んで歩きながら、夕日に光る池を見、細引きで楓につながれた小さな筏や、松に交じる木々の赤い芽吹きにふるさとを感じる。そして樹のなかで鶯が鳴くのを聞く場面が最後に描かれる。何気ない描写なのだけれど、そこには作者の心の深淵が見え隠れする。
「軽井沢の夏と秋」。敗戦の直前の軽井沢で、彼女は令息のまぼろしをみる。「母さん、あのね、……ですよ」という言葉に対して返事をした自分の声で眼を開けて、令息と眼を見合わせる。数ヶ月前に亡くなったばかりの令息が、戦争はもう終わるから心配入らないと告げに来たのだった。玉音放送のあと香をたいて息子に感謝した作者は、10月末、しずかな平和な姿を見せる浅間山を見ながら荒れ果てた軽井沢を発つ。「もう一度彼が私に見える日があるかしら? もう一度會へる。たぶん私が死ぬ日のじき前に會へる。さう思ふと、私はたいへんに頼もしい気もちになった。」心を揺さぶられる文章である。
「花屋の窓」。横浜山手の花屋の窓の電気に浮き出す菊の花を詠んだ自身の経験を語り、それと同じ光景を芥川龍之介が見ていたことを知って、「夢のふるさと」とでもいうべきものを彼と共有していたことのうれしさを率直に語る。
次に紹介する2篇は、元々『燈火節』本体には収められていなくて、本書では「燈火節の周邊」として収録されたもの。初出はさらに遡るが、かえって作者の肉声を聞く思いがする。
「五月と六月」(1929年)。3つのエピソードをつないだだけの掌編だけれど、作者の心の深淵に驚かされる。会食に招いてくれた友人と丘を下る道すがら、赤く光る火星を見る。「世間の藝術家なんてものゝ生活はみんなでたらめなんですから」という友人の言葉に、「女の生活も、みんな、でたらめなんですよ」と応じ、以後二人とも無言で非常にのろい足で丘を下りる……。五月の碓氷峠の一本の細い山道、「何が通るんでせう、あの道は?」「なにか通るときもあるんです。人間にしろ、狐にしろ。……道ですから、何かが通りますよ。」作者の心は狐になって東に飛んで行く……。かつてひと夏を過ごしたことのある廃寺が震災で倒れ、翌年六月そこを訪ねた彼女は、崖の下の古井戸を覗く。そしてここなら人に見えずに死ねるなと思う。しかし、井戸縁べりの岩をすっと走る蜥蜴を見て、薄曇りの日光が自分と井戸の上にあるのに気付き、「死んだって、生きてるのと同じようにつまらない」と気付く。」「死は生と同じやうに平らで、きたなく、無駄に感じられた。」彼女はそのまま山を下りる。
「鳥の愛」(1923年)。飼っていた鳥や犬の健康に一喜一憂しながら彼女は思う。「愛しさへしなければ、別れの悲しみもないだらう。」「なぜ神樣は鳥にまであのやうな悲しい愛をお與へになったものか。」そして思いは人間に上に注がれる。「野の鳥と籠の鳥をまもつて下さる神樣、どうぞ人間も、苦しんでいる人も悦んでいる人も守って下さい、どこにゐても。」悲痛な祈りである。
彼女の思いとは別に考えさせられることがある。もしも彼女がいうように、「愛しさへしなければ、別れの悲しみもない」のなら、別れの悲しさを感じるとしたら、それは別れる相手を愛していたということなのだ。
「徒歩」。この作品はぼくにとって特に愛着を感じる風景が描かれていて印象深い。永田町二丁目に住んでいた彼女は、神田小川町の佐々木信綱先生の所まで往きは人力で行き、帰りは歩いて帰る。時には神保町で本屋をのぞき、九段坂を登ってお堀端、つまり千鳥ヶ淵を通って半蔵門、そして恐らく三宅坂で右折して隼町に抜け永田町の家に戻る。お堀を一周する訣である。しかもこの結構な道のりを下駄で歩いたという。
麹町から隼町に抜ける道はぼくらにとっても遠出の道だったし、今ではなくなってしまったが、かつて永田町小学校というのがあって、行事などで何度か行ったことがある。もちろんそれよりも随分前の様子が描かれているのだけれども、ぼくの子どもの頃とそう大きな変化のない光景が描かれている。土地に根ざした描写には言いようのない愛着を感じてしまう。
最後に、末尾に附された、梨木香歩さんの解説「「狂熱」の行方─片山廣子の場合」は読み応えがある。最後まで最良の読書経験ができる1冊である。原文の香りを生かす旧字旧仮名を採用しているのもうれしい。瀟洒な装幀がさらに本としての品格を高めている。
(『新編 燈火節』月曜社、2007年12月刊、四六判並製カヴァー装304頁)
『新編 燈火節』のカヴァー.jpg
〔『新編 燈火節』のカヴァー〕
タグ:読書 記憶
posted by あきちゃん at 03:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする