2016年05月31日

5月の記憶のかけらたち

5月最後の週が明けた。今週にはもう6月の声を聞くというのに、連休明けにひいた風邪がまだ完全には抜けずにいる。最初はひたすら節々のだるさとわずかの喉の痛み、そして恐らく少々発熱が主な症状だったが、そのあと鼻づまりと喉の炎症と咳、そしてさらなる発熱と続き、声を出すのがしんどくなった。朝起き抜けには声が全く出せず、少し時間が経ってようやく発声が可能にはなるものの、鼻づまりがひどい上に無理に声を出そうとすると咳がとまらなくなる。
風邪の底は連休明けの週の金・土・日あたりだった。次の週も鼻づまり加えて痰が切れなくなり喉が重い状況が続く。気管支は何ともないので呼吸は楽なのだが、近年味わったことのないくらいの鼻声状態が続く。鼻声はが恢復せぬまま先週に入り、漸く少しずつ痰が切れるようになってきたが、鼻声は軽くなってはきたものの、まだ完全には普通の声に戻れずにいる。
風邪かなと思ったのが9日の月曜日の夕方だったっから、もうかれこれ3週間になる。ここまでしつこい風邪は珍しく、また症状やその進行過程もこれまで経験のなかったものだった。症状は、気管に来ない分ぼくにとっては風邪としてはまだ良心的な部類といえばそうなのだが、あとから思うとこじらせたというよりはむしろ何にも増してしつこかったというのが一番の印象だ。
こういうときはまた仕事も錯綜するもので、締め切り仕事に追われて過ごしたのもこの5月の特徴だった。ひと山越したとはいってもまだ先には登らねばならない峰々が控えている。まだまだ気は抜けないけれども、何とかひと息ついてこの週末を迎えることができたのは幸いだった。

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思い出してみればこの5月はいろいろなことがあった。しかし、まだほとんどなにひとつ書きとめていない。記憶から消えてしまわないうちに書き残しておきたいという気持ちはある。時が経てば経つほど記憶は幾何級数的に減っていく。初めのうちなら写真を見て記憶を呼び戻すこともできるが、そのうちに写真を見てもそれが何の写真だかさえわからなくなってしまう。できるだけ早いうちに文字にしておくことに越したことはないのである。
一方、時の経過のなかで、記憶は純化され結晶していく。消えてしまうことは忘れてもいいような些末なことなのであって、忘却作用によって逆に真に残るべき記憶が磨き出されてゆく。勿論それはそれでよい。真に残るべき価値のある記憶だけが精選されてしかるべきだというという考え方は一面では正しいだろう。
しかし、普通なら記憶に留められないような、忘れ去られても何の不思議のないかけらたちによってこそ、記憶の色調は整えられているのではないか。残ったものだけ見ていたのでは、なぜそれがそんな風な色をしているのか説明が難しいことが多い。キャンバスを染めあげたうえで、自身は儚く消えて行った記憶のかけらたち。まだ純化される前の混然とした状態をそのまま書きとめておくことができたらなあと思うけれど、本気でそれをやろうと思ったら、実際に経過した時間以上の手間暇がかかることになるのだろう。

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というわけで、今月の記憶はもう随分時が経過してしまっていることもあって、取り敢えず写真だけにすることにする。一つ目は台湾の阿里山の奥、祝山の展望台から台湾の最高峰、玉山(4,000mに僅かに満たないが)を望む日の出の光景。ご来光というわけにはいかなかったが、雨のつもりでいたので、荘厳な玉山を遠望できただけでも感無量だった。
祝山から玉山を望む朝の光景.jpg
〔祝山から玉山を望む朝の光景〕

二つ目は大峰山系の南奥駈の始まりにあたる太古の辻から大日岳を望む朝の光景。前鬼からのとても1,500m程度とは思えないアルペンムード溢れたきつい登りの果てに展開するクマザサの草原は、行者還岳・弥山間の一の垰や、鉄山山頂直下の草原に通じるものを感じ、まさに天上の楽園というに相応しい。
太古の辻から大日岳を望む朝の光景.jpg
〔太古の辻から大日岳を望む朝の光景〕

三つ目は大峰と大台の双方を望める竜口尾根の又剱山から大峰山系(大普賢岳から笠捨山まで)を望む午前の光景。夕方からは雨の予報で曇りべースかと思いきや、意外にも朝から青空に恵まれ眺望が開ける。天気が崩れる寸前の美しさ。
又剱山に向かう道から大峰山系を望む午前の光景.jpg
〔又剱山に向かう道から大峰山系を望む午前の光景〕

それぞれの記憶を彩るかけらたちがいつまで元気でいてくれるかはわからないけれど、追々機会をみてまたそれらについても、書きためて紹介していければと思う。なお、今回の写真はいずれもiPhoneのパノラマ撮影によるものである。
タグ:奈良 記憶
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2016年05月15日

右回りに回る夢─夢の記憶34─とこじらせた風邪

これはもう随分前に見た夢である。4月前半のことだっただろうか。
誰だったかわからないが、友人数人とある宿に泊まった。かなり古びた、しかしがっしりとした造りの和室。友人たちは食事に行ったのか、部屋にはぼくだけしかいない。
服をハンガーにかけそのまま鴨居にかけようとすると、ハンガーかけがいくつか鴨居に設えてあるのに気付く。ああこんな所にも、と細かな気遣いに感心する。
だいぶん暖かくなってきたなと感じ、ふとファンヒーターが付けっ放しになっている音に気付き、スイッチを押して止める。
食事に行こうと部屋を出、廊下のかどを直角に右に曲がろうとすると、角の素通しの腰高のガラスのはまった扉越しに、お風呂がみえる。昨日いつでも自由にどうぞと言われていたお風呂はこれだったのかと納得する。
湯気の気配はなく、小さな四角い箱のような湯船が据えてあるのが見える。部屋の広さの割に湯船がずいぶん小さい。と、死角になっている奥に誰かがいる気配を感じて、覗いているのも憚れて、廊下の先を急ぐ。
すると、左手にもう一つやはり素通しのガラスのはまった扉がある。女湯の暖簾がかかっているのを見て、さっきのが女性ではなかったらしいことがわかってホッとする。
廊下を再び右に曲がると、正面左手が明るくなっていて、多くの人がくつろいでいる。どうも大部屋のようで、山小屋のような雑魚寝の空間らしい。まだ起きたばかりらしい人もいる。そうか、自分たちは特別の部屋を用意してもらっていたんだ、と感謝の気持ちでいっぱいになる。
大勢の人がいるこの空間は、廊下との間に仕切りがないようで、廊下から雛段上に二段のスペースが作られていて、ちょうどサウナのような感じと言ったらいいだろうか。畳敷きで、各段とも畳が長辺の幅で一列にびっしりと敷き詰められているのである。それが突き当たりで右に折れて鉤の手に続いている。廊下も従ってそれなりに右に90度曲がる。
その先はまた元の暗い廊下で、ぼくはまたそこをどこに向かってだかわからないまま、歩いて行く。このまま行ったら一周して元の所に戻っても不思議はないのだが……
さて、いったいどこまで夢を見て目覚めたのか、それすらよくわからないのに、妙に鮮明な夢だった。ただ、宿に着く前に長い前段があったような印象があり、それがスコンと記憶から抜け落ちているのがなんだかとても気持ち悪い。建物の中をぐるぐると回る感じの夢は前にも見たことがある気がする。ただ、あの時は宿ではなくて、お寺の本堂だったように思う。回り方は今回と同じ時計回りだった。

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今年の連休は、思い切って飛び石の間を年休で埋め、10連休とした。しかし、慣れないことをしたせいか、連休明けの一週間が辛かった。月曜こそ普通に過ごせたものの、月曜夜から体調に異変を来たし(といっても風邪の症状だが)、火曜日は1日じゅう喉の異常と節々のだるさを我慢しながら過ごし、これはどうみてもおかしいと思い、夕方I女史のところに駈け込んだ。その時の診断では少し喉が赤い程度でどうということはなさそうで、薬を新たにもらって様子をみることとなる。
水・木とだるさは少し収まり、特に風邪声というわけでもなくこのまま恢復するかと思っていたが、どうもすっきりしない。週末にかけて用事が立て込んでいたので、木曜晩に再度I女史を訪ね、万一に備え少し強い薬を出していただいた。これでもう何とか乗り切れるだろうと思ったのが甘かった。
金曜朝、声が出しにくいうえに、ものすごい鼻詰まりである。日中は少し恢復したものの、声が出しにくく風邪声状態が続く。土曜日もしかり。気だるさが増し頭痛もする。そして今日日曜日。昨日ほどの風邪声ではないが、声は出しにくい。思うに金曜この方相応の発熱もあったのではないかと思う(測っても仕方ないので測りもしないが。測って熱があったりすると、かえって発熱してしまう口なので)。少しはマシな方向に向かっているものと信じたいが、いただいた薬もほぼ尽きかけていて、これは明日またI女史を頼るしかないだろう。
少々の喉の痛み、節々のだるさと頭痛、恐らく少々の発熱、そのあと鼻づまり、さらなる喉の炎症と咳、そしてさらなる発熱、という風に進行する風邪のようである。食欲は発熱による影響を除くと特に落ちもせず、またおなかは全く影響ない。喉に関していうと、ぼくのように無理をしなければ、ここまで声が出なくなったりすることはなかったのかも知れない。
というわけで、近年になく風邪をこじらせてしまった感のある連休明けの一週間となった。ただ、けっして連休のツケが回ってきたとは思うまい。連休中めずらしくのんびりできたからこそ(いやこれをのんびりできたとはいわないのかも知れないが)、このしんどい一週間をどうにかこうにかここまで乗り越えて来られたのだと、そう思うことにしよう。
タグ: 日常
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2016年05月02日

幻の鉄道に思いをいたす山旅─天川経由で唐笠山を訪れる─

西吉野の大塔町は、今は五條市に入っているが、元は大塔村といったところで、五條市街方面からだと天辻峠の急峻な山道を越えていかねばならず、あまり一体性を感じられない。むしろ南の十津川村との方が地形的にも連続性がある。それもそのはずで、天辻峠を分水嶺としてここから南は熊野川水系であり、なかなかイメージがわかないのだが、大塔は十津川の上流にあたるのである。大台ヶ原から伯母が峰、大普賢岳、山上ヶ岳、大天井岳とつながる熊野川水系北限の分水嶺が、西に延びて天辻峠へと至っている訣で、これは地図を見てやっと納得できた。大峰や台高の山々を目指して奈良県を南に移動すると、南へ行けば行くほど奥へ入っていくイメージができあがっていて、実際の印象もそうなのだけれど、水系から言うと実はそうではないのである。
今さらのようにこんなことに思いを強くしたのは、国道168号線の通行止めの影響で、大塔に行くのに思わぬ大回りを余儀なくされたからであった。天辻峠を越えて星の国をあとにし、猿谷ダムに下りきったところが阪本で、今回目指したのはそこから南下して猿谷ダムの堰堤を過ぎ、大塔村役場(今は大塔支所)のある辻堂から東に折れて少し行ったところの殿野という集落である。その北に聳える唐笠山が今回目的とした山である。天辻峠からよく見えるというのだが、これまで何度も通っているのにそういうつもりで眺めたことがなかった。残念ながら今回も。迂回を余儀なくされたため、目で見て確かめることはできなかった。

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殿野の集落からは初めは緩やかな舗装道を行く。途中水溜まりが真っ黒で、藻でもわいているのかと思ったら、これがなんとオタマジャクシの集団。山際から湧き出る水の流れがあるとはいえ、水がなくなったらどうするんだろうという心配と、何でこんなところにという疑問。森の中で産んだ卵が流れてきたとも思えないし……。
舗装道は集落の水道施設で行き止まりで、ここから右手に山道に入る。傾斜はそれほどでもないが、斜面に付けられた道幅が狭くて神経を使う。やっと広くなって安心しても石が多くて歩きにくい。
ひと登りすると鉄塔の下から見晴らしが開けて気持ちのよい広場状のところに出る。ここでは思わぬ季節のものの収穫があった。ひと休みの後、次の鉄塔を目指すが、山腹を回り込みながら徐々に高度を上げて行く道だが、谷筋を渡るところがいずれも崩落気味で道が悪く、ロープを張ってあるところもあるもののちょっと緊張させられる。まもなく飛び出す第二鉄塔の下も見晴らしがよいが、最初の所に比べると随分狭い。
第一鉄塔(奥)と第二鉄塔(手前).jpg
〔第一鉄塔(奥)と第二鉄塔(手前)〕

ここからが道のあるようなないような急な登りとなって尾根を目指す。ジクザクに道が付けられてはいるが登りにくい。これはぼく自身の癖なのか、道自体の癖なのかよくわからないが、斜面に向かって左に向かって上がり右に折り返すときはさほどに感じないのだが、右に向かって上がり左に折り返すと時には、右に向かっていた道がそのまま斜面になって折れ曲がっていて、たいへんに歩きにくい。
ここを登り切ると尾根上に出ることになるのだが、あろうことかその手前で大きな排水管が道を横切りその先には大きな倒木があって通れない。それで仕方なく排水管沿いに右手無理矢理登ると突如林道に飛び出した。聞けば高野辻から延びてくる林道だという。ここのすぐ先で行き止まりなのだが、この工事に伴って山道を潰してそのままになっていたのだった。困ったものである。反対方向からくると、林道には出られても、今回登ってきた下に降りる道を見つけるのは容易ではないだろう。
さて、やや憤慨しながら林道を横切ってここも無理に少しよじ登ると、今度は本当に尾根筋に出る。暫く行くと、東側が広く伐採された地点に出る。大峰の山々まで見晴るかすことのできる大展望が暫く続く最高の地点である。林道工事に対する憤慨もころりと忘れてしまうような見晴らしである。あとで調べてわかったことだが、ここは天川から阪本に抜ける途中にある山西という集落からの谷筋を登り詰めたところで、国土地理院の25,000分の1地形図には道が描かれている。だだっ広いけれども山西と殿野をつなぐ峠越えの鞍部にあたることがわかる。
この最高の場所でお昼ご飯を食べる。弥山・八経は頂部分を雲の中に隠していて出て来ようとしないが、稲村ヶ岳・山上ヶ岳は、時折稜線を見せてくれ、大日山のとんがったピークがよくわかる。稲村の右には手前の尾根に下部は隠されているが、バリゴヤの頭の特徴的なギザギザが顔を出している。弥山の手前には、和田の発電所の所から鉄塔沿いに冬に二度登った天和山から滝山に至る尾根が明瞭に指させる。
頂を隠しているときには雲の色の加減かと思ったが、雲が上がったときによく見ると、稲村の斜面がうっすらと白くなっているのに気付いた。もう大型連休だというのに雪化粧しているのである。時ならぬ寒波で天気図は縦縞模様で、北海道東部では積雪をみているというから、さもありなんではあるけれども、まさかこの季節に雪化粧した大峰を見られるとは思わなかった。弥山・八経は一度も顔を出さなかったが、結構な積雪になっているのではないだろうか。
大峰奥駈道を望む伐採地からのパノラマ.jpg
〔大峰奥駈道を望む伐採地からのパノラマ〕

山上ヶ岳・稲村ヶ岳・バリゴヤの頭を望む.jpg
〔山上ヶ岳・稲村ヶ岳・バリゴヤの頭を望む〕

弥山・八経ヶ岳方面を望む(手前に天和山・滝山).jpg
〔弥山・八経ヶ岳方面を望む(手前に天和山・滝山)〕

腹ごしらえのあとは、暫くは平坦な尾根を行くと、唐笠山に向けて最後の直登が始まる。100mほどの高低差で短時間ではあるけれども、今回の山行きの中では傾斜的にはここが一番きつかった。山頂は東西に長く、西端に近い地点に三角点がある。まだ完全には芽吹いていない広葉樹の木立の隙間からわずかだが展望もある。ただ、山頂に飛び出した途端に北風が強まり、長居できる状態ではなかった。今まで南から登ってきていたために、冬型もどきの強い風がちょうどうまいこと遮られていたのだった。
帰路は往路を忠実に辿ることになるが、第二鉄塔に下るところは元々道が明瞭ではないところでもあり、ジクザクをショートカットして直に下った方がむしろ歩きやすい。全体に復路は思いの外あっけなく感じたのはどうしてだろうか。

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今回の山旅の収穫として、大峰の大展望は勿論なのだが、それにもまして奈良県南部の山々のつながりを意識しながら、全体として眺める感覚の大切さを知ったことが大きい。天辻峠を越えられなかったことの不幸中の幸いともいうべきか。迂闊なことだが、天和山の登山口の和田発電所が天川から大塔に抜ける道沿いにあることを意識したことすらなかったのである。最初に大塔は十津川の上流だと書いたけれど、そのさらに上流にあるのが他ならぬ天川なのである。
調べてみたら、今回の天辻峠の通行止めは、奈良県道路管理課の報道資料によると、天辻峠よりもずっと北の西野トンネルの北側で4月14日に発生しているようだ。写真も添付されていて、すさまじい量の土砂が法面から流れ出して道路を覆ってさらに谷に流れ出している。片側交互通行での復旧まででも2ヵ月くらいかかるという。その間通れなくなっていた旧道を急遽復旧し迂回路として確保する予定という。また、大塔町内に入った小代という所でも4月22日に落石が確認され、片側交互通行になっていたらしい。こちらはもう復旧しているようだが、いずれにしても天辻峠越えは、168号線の中でも屈指の難所ということのようである。
こちらも調べていて知ったのだが、五条から阪本までは旧国鉄の鉄道敷設がかなりの所まで実現しつつあったのだった。五新線という五条と新宮を結ぶ路線の計画があり、戦前から徐々に北から線路の路盤やトンネル・橋脚などの工事が進められていたらしい。そういえば、特徴的な赤い橋桁の橋が、国道と併行して残っているのを見た記憶がある(宗川橋梁というらしい)。天辻峠本体を越える全長5㎞のトンネルも完成しており、これにつなぐ高度を稼ぐための全長2㎞を越えるループトンネルも計画されていたという。最後に建設された西野トンネルの竣工は1980年だったというのだから、ますますもって驚く。本当についこの間(ぼくにとっては)のことなのである。
開通したところで赤字になるとわかりきっている路線の工事など、今なら採算優先で真っ先に切り捨てられても当然と言えるのだけれど、夢を追いかけるようなそんな工事を進めることができたなんて、ある意味余裕のある時代だったのだなあ、と感慨も一入である。そういう時代がよかったとは敢えて言うまい。しかし、もしもこの鉄道がたとえ阪本までにしても開通していたとしたら、奈良県南部の様子は、いやもしかすると奈良県自体が今とはまた随分違うものになっていただろうなと、さまざまな妄想が膨らむのである。唐笠山はハイキングで賑わっていたかも知れない、いやもっと開発されてしまっていたかも、谷瀬の吊り橋はどうなっていただろう、大峰や熊野古道は世界遺産になっていたかどうか……。
なお、五新線の建設とその後に題材をとった映画に、河瀬直美さんの「萌の朱雀」という作品がある。映画を見ると頭痛がするという致命的な(?)症状が出るため、映画は余程のことがないと見ない。それでこの映画の存在は知っていたが、残念ながらまだ見たことがない。でも、舞台が舞台である。これは是非何か方法を考えなければと思った次第。
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