2016年07月24日

シャクナゲの稜線を辿る

去年の晩秋に訪れた大台を再訪する機会が意外に早くやってきた。心配していた天気も、天気図上では変則的な形だが一応梅雨が明けて、ほぼ快晴に恵まれた。しかも適度に風があって、さほど汗もかかずに夏の大台を楽しむことができた。それに大台の最高峰日出ヶ岳直下まで一気に運び上げてくれるドライブウェイの効果はやはり大きい。前回の地池高もそうだったが、目的地の山頂の方が大台の駐車場と比べてさえ標高が低いので、山登りならぬ山降りとなる。その分帰途が結構な登りになるが、それでも高が知れたものだから、気分的にも随分と楽である。
今回の目的地は西谷高という、日出ヶ岳から北に張り出す尾根の突端に位置する標高1,461mのピークである。日出ヶ岳から大杉谷方面をめざす階段状の道を一端東へ、そして北へと下り、その道を右に分ける形で、地図上には道の描かれていない尾根に分け入る。シャクナゲを交えた原生林に囲まれた静かな尾根道である。
かつては登山道があったのかも知れないが、今ではそこそこの踏み跡はあるものの、シャクナゲが繁茂し、時折行く手を阻まれる。ボーとしていると尾根を外してしまいかねない。また周辺はヒグマ(申し訳ありません。ツキノワグマの間違いでした。訂正します〈2016/7/25〉追記)の生息地でもあり、なかなか単独で来られる場所ではない。いつもの山歩きの会で連れて行っていただけたからこそ楽しめた山旅である。

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さて、大台へ向かうときは、往路の車中で早起きした分の睡眠を取り戻したりしている余裕はない。それというのも、伯母ヶ峰のトンネルの手前でドライブウェイへの道に入り、七曲がり八曲がりを繰り返して尾根に取り付き、稜線をトンネルで越えると、大峰主脈の大展望が待ってくれているからである。車中なので、ビューポイントをつかむのはなかなか難しいけれど、前回は帰路に堪能した大峰の大展望を、今回は往路に順光で満喫できた。もうこうなると、あとの山旅の成功は約束されたようなものである。
駐車場から日出ヶ岳までは2㎞弱で、最後は階段状の登りが結構きついのだが、汗もほとんどかくことなく、ほとんど勢いで難なく登ってしまえた。予想通りの大展望である。海から雲が湧き上がって太平洋を望むことは叶わなかったものの、ほかは雲ひとつないといってよい好天で、まさに360度の景色を楽しむことができた。
日出ヶ岳はいったい何年ぶりだろうか。前回の展望は記憶にないし、たとえ展望を得られたとしても、当時はまだ奈良の山々のことをほとんど知らなかったので、今ほどの感動をもって眺めることはなかっただろう。ここ数年大峰の山々を訪れるようになって大台方面を遠望する機会が増えるにつれ、あそこから大峰を眺めてみたいという気持ちに駆られるようになってきていたので、ことに感慨も一入だった。
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〔日出ヶ岳から大峰主脈を望む〕

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日出ヶ岳からは階段状に丁寧に整備された道を一気に降る。帰りが思いやられる下りだ。入口に、こちらは大杉谷、大台は戻れ、という主旨の大きな看板があり、こんな好天の日に見るとちょっと微笑ましくもあるけれど、確かにガスに巻かれた日はこれくらいはっきり書いておかないと方向を見失うだろうなあと妙に納得してしまう。
階段が一段落し、大杉谷方面の道である旨の看板のある付近から、北へシャクナゲの繁茂する尾根に入る。いよいよ西谷高へ向かう尾根筋である。明瞭な分岐があるわけではなく、その先の稜線も道自体が不明瞭で通れそうな所を尾根伝いに辿るという感じだ。尾根そのものも比較的幅があるので、方向を見失わないようにするのが結構難しい。
シャクナゲのブッシュといっていいような原生林帯を徐々に降ってゆく。花の時期はさぞかし見事だっただろうなあと、花のない今の季節に歩いても溜息の出るようなシャクナゲの群生が続く。
ただ、地図で見ると同じような稜線に見えるが、実際に歩いてみると随分変化に富んだ尾根道だ。傾斜も尾根幅も植生も一様ではない。変わらないのはどこもあまり人の入った気配のない大自然が続いていることで、自分が一体今どこを歩いているかさえ忘れてしまっていることに気付く瞬間がある。
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〔シャクナゲの間をゆく〕

地理院地図に1,526mの記載のあるピークを過ぎると、尾根筋はやや東に振れるが、ここから暫くは、地図からは想像もつかないような痩せ尾根となる。地図では露岩でない分だけ実際の幅よりも広く描かれているのかも知れない。原生林の中なのでさほど高度感が出ないのは幸いだが、数十㎝の幅で両側が思い切り切れ落ちているような稜線を渡ってゆく。まるで、戸隠の蟻の戸渡りの練習のようだと家内は言う。
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〔西谷高へ向かう稜線〕

ここを越すと、今度はそれまでの痩せ尾根がウソのような、恰幅の好い尾根となり、優しく歩く者を包み込んでくれる美しい道が続く。バイケイソウの咲き残りがところどころにポツンポツンと突っ立っているのが印象的だ。
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〔稜線から西谷高を望む〕

石の累々と堆積した斜面が見えてきて、ここをひと登りすると横に延びる尾根上に飛び出し、少し許り左へ歩むと、そこが西谷高の山頂だった。数人も立つといっぱいになってしまうほどの狭い静かな山頂で、標高は1,461m。手前に少し小広い休むのに適当なところがあり、ここで昼食を取る。
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〔西谷高直下を登る〕


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帰途は往路を忠実に辿る。とはいっても、やはり道を選んで辿ることになるので、少し許りのぶれはある。だから、往復とはいっても、全く違う道を歩いているのとたいして変わらない。方向が変われば景色も全然違い、往路に気付かなかった山並みが目に飛び込んできたりする。
1,526mのピークの真北、尾根筋からやや西にはずれ所にあるピークもその一つ。地図上でも岩場が描かれているが、北から歩いてくると、結構な存在感で迫ってくる。大杉谷方面からの稜線との合流点の一つ手前にある東に延びる尾根もそうである。こうした尾根筋から飛び出すコブのようなピークがシャクナゲの間から見え隠れするのである。しかも見えては隠れ、隠れては見えするので、さっきと同じものだか新手のものだか、微妙に見え方も変わっているのでなかなか咄嗟には判断できない。そこがまた面白さでもある。
いよいよ日出ヶ岳のドームがちらちらと見え始め、あの階段が近づいてくる。登るしかないと腹を括り、呼吸を整えて一歩ずつ確実に階段を踏みしめて行く。すると、意外や意外思いの外あっけなく山頂に到達してしまった。この距離感覚は不思議なものである。往路の先が見えない降りに比べれば、登りとはいえ先の見通しの付いている場合は感覚的に楽なのだろう。比較的足がよく上がったのも幸いだった。
日出ヶ岳では大峰の稜線の絶景を再び堪能する。南部の方はかなり雲が沸き立っているが、それでも結構動きがあり、少し待つと見えなかった稜線が顔を出してくれる。こんな光景はいつまで見ていても見飽きないものである。日出ヶ岳から駐車場までの道のりは、先が見えていてさえ長かったが、今日のこの山旅の収穫を糧に、何とか無事辿り終えることができた。
前人未踏のといっては大袈裟だが、ヒグマ(これもツキノワグマです〈追記〉)の生息するというあの稜線に群生するシャクナゲが、いつまでもひっそりと咲き続けることを祈るばかりだ。
タグ: 奈良
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2016年07月19日

映画の中にいる夢─夢の記憶36

乗り物に乗って出発しようとしている。横の席にも誰かが座っている。電車か、バスか、飛行機か、その辺はよくわからない。前後に座席があったのかどうかも確かでない。
左手の目線よりやや下がった位置に、シャッターの閉まったお店が見える。なんの店だったのだろう。よくわからないけれども、食べ物屋ではなく、コンビニでもなく、小洒落た雑貨を扱う店だったような気がする。この店が流行ってたくさんのお客が来ていた時の記憶が微かにあった。
それだけではない。それ以前の記憶もあった。何代にもわたって歴史を刻んできている店なのである。店自体が変わったのか、世代替わりで模様替えをしただけなのか、その辺はわかっていたのだが、今や記憶が全く残っていない。ともかくも、そうした歴史を具に見てきた記憶だけが鮮明にあった。
そして、今まさに出発しようとするにあたり、その盛衰をまのあたりに示してくれるシャッターの光景に、ひどく心を揺さぶられている自分がいた。そのことをぼくは隣に座っている人に、家内であったか、娘であったか、はたまた赤の他人であったのか、そんなことは度外視してでも語らずにはいられなかった。ああ、この景色はつらいですね、でもこれだからこそ、なにもかもよくわかるのですね……。
乗り物がどこか目的地に向かって動き出す。そこに着いたとき、きっと感極まるだろうなという予感はあった。しかし、乗り物が動き出して、閉まっているシャッターを見て、そこに歴史を感じてしまったとき、いつの間にかもう頬を涙が伝い始めていた。まさか目的地までの行程を辿る前にこうなるとは、夢にも思わなかった。
ただ、不思議なことがあるものだ。止めどもなく溢れてくる熱いものという感覚があるのに、それが伝い始めるや、頬にはヒヤリとしたものを感じたのである。熱い物を冷たく感じるほどに、ぼくは上気していたのだろうか。

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こうして書いてしまうと長くもなるけれど、実際にはこれはほんの一瞬の出来事だったに過ぎないような気がする。この先は多分目的に着かないうちにプツンと切れてしまったのだろう。しかしここに至るまでには実際には長い長い物語があったはずなのだ。この一瞬を感じていた瞬間には、それはまだ確かに記憶の中に生きていた。なのにもうそれは全く跡方もなくなってしまっている。
おかしな夢である。でもこうして振り返ってみて、ああこれはと納得してしまった。これは映画に違いない。時の流れの中で同じ場所の変化が映し出されているのを感情移入して見ているうちに、自分自身がその映画の中に入って動き始めているのだ。二次元の映像空間がいつのまにか三次元空間となって自分を包み込んでしまっていた、そんな感じである。
こんなことは考えてみたことさえなかったけれど、こうして理屈を付けようと思えばそれなりの説明ができる。映画を見る時には、そうやって映画の中に入り込んでいるのである。映画館で見る映画と家でDVDで見る映画との根本的な違いは、きっとここにあるのだろう。夢を見て妙に納得してしまったことであった。
でもあの映画はなんだったのだろう。要するにクライマックスを見ていたらしいのだが、考えてみれば主人公はどこにも見当たらなかった。もしかして、乗り物に乗って出発しようとしているぼくたち自身がその映画の主人公だったということなのか? 最初からそうだったのか、乗り移ってしまったのか、ダブっているのか……。少なくとも自分を客観的に眺めてはいなかった。自分はあくまで主観的な存在だった。自分は見ているのであり、けっして見られてはいなかった。ああ、またわからなくなってきてしまった。所詮夢は夢なのだけれど……。
でも、こんな夢を見るというのも、「冬冬(トントン)の夏休み」と「恋恋風塵」を見たからに違いない。印象的な場面がふと忘れた頃にあとから甦る映画だと家内が言っていたけれど、今日のような夢を見るのもそれと無関係ではないようだ。侯考賢監督の映像の力というべきなのだろう。
タグ: 日常 映画
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2016年07月16日

「冬冬の夏休み」を見る

侯孝賢監督の「冬冬の夏休み」という台湾映画を見た。1984年制作というから、まだ台湾が長い戒厳令下にあった時代の作品である。台湾という「国」のことをこれまであまりに知らなさ過ぎたことには恥じ入るばかりだが、それはさておき、映画として純粋に感動した作品であった。
一つひとつの場面が少しずつオーヴァーラップしているかのように、まるで去りがたくしているかのように流れて行く。ゆったりとした大きな流れに自然に身を任せていられるのである。画面の遷移がすごく優しい。映画というと即頭痛というくらい、ぼくは最近の映画の画面の動きに付いていけず、それで映画というとついつい構えてしまうのだけれど、この映画に関する限りそんな心配は杞憂だった。
けっして声高に叫んだりはしないが、脳裏に場面の一つひとつがしっかりと刻み込まれてゆく。いや、刻み込まれるというよりも、焼き付いてゆくという方が当たっているかも知れない。心の奥深い部分、いわば琴線に触れる何かを感じる映画である。あとから、ふっと場面が甦ってくる。
感動的なシーンには事欠かないが、中でも忘れられないのは、冬冬の妹の婷婷が寒子と呼ばれる精神を病んだ若い女性に母を感じるようになるきっかけになった、あまりにも劇的な場面だ。冬冬の遊び仲間の子どもたちも、この不思議な女性に親しみを覚えつつ、あいつぶつんだ、と遠ざけている。
ある日、冬冬と仲間の子どもたちが、一緒に遊びたくてそのあとを追ってくる婷婷を追い払おうとする。ひるまずにあとを追いかけて来る婷婷に手を焼いた冬冬たちは、暫く立ち止まって相談の体を装った上で、一斉に駈けだして線路を横断し婷婷を振り払おうとする。その前から、低いアングルで壁のような鉄路が映し出されていて、それをまたいで走り去ろうとする冬冬たちの後ろ姿が描かれる。一瞬もしかして婷婷が兄たちを追いかけて行きはしないかという不安が過ぎる。でもそんな姿はない。ああなにも起きなかったんだと安心する。あの鉄の壁は線路ではなかったのかもしれない、とふっと息を抜いた瞬間、警笛が鳴り響く。線路の間に倒れている婷婷。あ、と思うまもなくひらりとそこに飛び込んで婷婷を抱きかかえ線路脇に避けたのは、あの寒子だった。
警笛を鳴らした列車が行き過ぎたあと、婷婷を負ぶった寒子は、何事もなかったかのように、線路に散らばっている婷婷のぬいぐるみや、寒子自身の持ち物をおもむろに拾い上げ、雷鳴が聞こえ雨滴が落ち始めた線路を、トレードマークの傘をさして歩き始める。覚束ない足取りでありながら、なんと自信に溢れた歩みだろう。婷婷降りろと叫びながらあとを追いかけて来る冬冬たちを尻目に、寒子は負ぶった婷婷を無事家まで送り届けて満足げに去って行く。この時寒子は、小鳥取りの子を宿していたはずなのである。大きく心が揺さぶられる場面である(この時門前でずぶ濡れになって迎える白い犬のいたいけな姿がまたなんともいえない。この視線は本当に独特だ)。
基本画面とその現場の音に物を言わせる映画で、音楽は付いていない。ただ、一つだけ、冬冬がお祖父さん一緒に手回しの古い蓄音機でSPレコードに耳を傾けるシーンがあり、その音楽がそのまま冬冬と仲間たちの遊びの場面に連なって行き、寒子がこの映画で最初に登場する場面を導いて消えて行く。いわば音のオーヴァーラップである。
SPの音は当然よくない。しかし流れるのは素朴で雄大な音楽である。冬冬たちの童心と彼らを取り囲むの大らかな自然の描いて余すところがない。あとから解説を読むと、偶々撮影した家にあった蓄音機とレコードをかけたに過ぎないというのだが、これがまるでこのシーンのために作られた曲であるかのように、ずばりこのシーンにマッチしているのである。スッペの詩人と農夫の序曲である。
クライマックスがまた感動的である。弱った小鳥を見つけた婷婷は、誰にも相手にされなくて、仕方なく寒子に相談する。死んでしまったその小鳥を見て嗚咽した寒子は、その小鳥を抱いて木に登る。天に返そうとしたのだろうか。ところが、あっと思った瞬間、彼女は木の高いところから落ちてしまう。この場面は、見ていて動顛し、息を飲んでしまった。
麻酔から覚めない娘(冬冬の母)を案じて台北に向かおうとしていた冬冬の祖父母は駅から呼び戻され、寒子の治療にあたる。そのため冬冬の母のところには行けなくなってしまう。冬冬と婷婷は母の容態を案じて電話を待つが、落ち着かない婷婷は、母を案じまた寒子に母の姿を重ね合わせてその傍らでぬいぐるみを抱いて添い寝をする。翌朝目覚めた寒子が傍らにあどけなく眠る婷婷を見つけ、その髪をそっと撫でてやる。子を失ってしまった寒子の母性が哀れにも美しく、心に滲みるシーンである。冬冬と婷婷の母は、その晩危機を脱し、夏休み終える二人は台北に帰ることになる。彼らにはまだこの先いろんな事が待ち受けているだろうけれど、希望を抱かせる結末にほっとさせられる。
医師である祖父は冬冬に、親は子どもの一生を見ることはできないと語る。そこには冬冬の叔父の祖父から見れば情けない姿が焼き移されているのだが、厳格な祖父も心ではそんな息子を許している。冬冬はそんな祖父の言葉をどんな気持ちで受け止めただろうか。
全編を通じて台湾の鉄道が印象的に取り扱われている。台湾のどこか日本の田舎を思わせる懐かしい風景の中で展開していく映画だけれど、台湾を描くという範疇を遙かに超えたもの、それこそ人の魂の奥深くに触れるものを、子どもの感性から淡々とかつ力強く描き切った傑作だと思った。
侯考賢監督の「冬冬の夏休み」と「恋恋風塵」.JPG
〔同じ侯考賢監督の「冬冬の夏休み」と「恋恋風塵」を2本続けてみた。「恋恋風塵」もまた、美しくも悲しい恋の物語である。どちらも列車が映画の中で大きな役割を果たしている。同じ役者さんが両方で全然異なるキャラで登場したりしていて、その辺も監督の個性なのだろう。神戸元町映画館での上映は7月22日まで。〕
posted by あきちゃん at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2016年07月10日

空間のねじれた夢─夢の記憶35

記憶が消えかけてきているのでどこまで辿れるかはわからないけれど、今朝見た夢をともかく書き止めておこう。こんな夢である。
なぜかぼくが講義をしている。相手は大学生のようだ。何をしゃべっていたかは覚えていないが、眠たそうな子もいれば、興味をもって聴いてくれている子もいる。本来もう1時間続けて講義するべきところを、ぼくの都合で次の時間を空けて、次の次の時間(3時間目だと認識していた)に続きを講義することになっているらしい。理由はよくわからない。夢の中ではそれなりの理屈があったように思う。
そのことを学生に謝っていると、もう講義時間の終了時刻が迫ってきているらしく、なんだかさっきから教室がざわつき始めている。まもなく、ひと通りの話を終えるのとほぼ同時に、終了のチャイムが鳴ったらしい。ともかく一端引き上げよう。何が入っているのかわからない紙袋、それも比較的しっかりしたものを手にぶら下げて、教室から控え室に戻る。どうもそれをそこに置いたらしい。
講義をしていた教室は3階にあり、そのあと空き時間を過ごそうとエレベーターで図書室に向かっている。図書室は1階にあるらしい。ところがここで忘れ物してきたことに気付く。さっき控え室に置いてきた荷物が本当は必要だったようだ。そこでまたエレベーターに乗り、控え室にとって返そうとする。控え室は何階にあったのだろうか。教室と同じ3階だった記憶はないし、図書室とは階が違うから1階ではないし、あとから書くように2階でもない。
何階かはわからないのだがともかく控え室に辿り着く。ところが、あるはずの荷物がない。さて困ったと思い返すと、もしかして2階に置いてきたかも、と思い当たる。早速2階に向かう。向かったのは2階のどこかの部屋のはずだが、目の前にあるのは純和風の瀟洒な一軒家だった。これは漱石の旧居だということが夢の中のぼくにはわかっている。
そうだここに違いないと確信し、その家に上がり、首尾よくめざす荷物、つまり紙袋を携えてその漱石の旧居をあとにする。入る時には気付かなかったが、家の入口には立派な冠木門があり、そこを潜って表、つまりは2階の廊下だが、そこに出ると、道路との間には澄んだ水の流れがあり、小さな石橋が架かっている。家の前に清流が流れているのである。それをみて、ああやはりここは漱石の家だと納得している自分がいる。そして荷物をここに置いてきたという当たり前のこと(そう思っていたが、なぜ当たり前なのかは全くわからない)にどうして気が付かなかったんだろう、と自分の迂闊さを省みているぼくがいた。
和風の旅館ならば、こんな構造の部屋があってもおかしくないかも知れない。しかし、ぼくが見ていたのは屋根を持った1軒の家だった。前後の夢と確かに時間的には連続しているのに、空間が全く連続しない。といって、異次元へ飛んだ覚えもなく、2階だといって何も不思議に思っていない。空間がねじれているのかも知れない。
3時間目の講義がどうなったかはわからない。夢はこれでお終いである。そのまま目覚めたのだったか、夢自体が終わってしまったのかも定かではない。夢としては比較的鮮明な夢だったような印象があり、直後に夢を脳裏にプリントする努力をした記憶もある。起きたらすぐ書き止めなくては思ったことも忘れ、バスに乗ったらメモ帳にと思ったことも忘れ、今こうしてようやく書き止めている。いったい見た夢のどれだけのことを書けているのか、またどれだけ正確なのか、その辺も検証する手段があったらなと思う。夢を復元しようとすること自体が無謀な、ある意味新たな創造作業なのであろうか。

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先週末から今週半ばにかけて、梅雨が明けたかと思えるような猛暑に見舞われたが、さすがにまだ7月上旬で、再び梅雨空が戻って来た。今頃になってやっと発生した台風1号が絡んでいるようだ。半年間台風にエネルギーを吸い上げられることなく過ごしてきた海域からタップリ栄養を蓄えて、900ヘクトパスカルまで猛発達したこの台風は、一路台湾をめざすという感じで西北西進を続け、台湾を横断した。台湾に大きな被害をもたらしたのではないかと懸念される。5月に行ってきたところであるだけになおさら心配だ。知っている土地と知らない土地とでは、何というか思い入れが全然変わってくる。高雄から列車で5時間かけて花蓮まで、景色を見ながら列車の旅を満喫しただけだが、どうか大きな被害のないことを切に祈るばかりだ。
中国大陸に再上陸して弱まるとはいえ、台風でなくなって熱帯低気圧、さらには普通の温帯低気圧になって、来週初めに今度は日本に雨ももたらすことになるだろう。そのあとの予想天気図を見ると、意外にも太平洋高気圧は南に後退し、本州南岸に長々と前線が横たわっている。その北にも大きな低圧帯が東西に横たわっていて、前線はその南の縁に描かれている。この低圧帯を北から抑えているのがオホーツク海の高気圧である。
大規模なエルニーニョが終わってラニーニャが発生する夏は猛暑になるといい、2010年の例が引き合いに出されている。先週の7月早々の猛暑に遭遇してこれはもしやこのまま猛暑に突入もありか、と思わないでもなかったけれど、これでは猛暑どころか冷夏になりかねない天気図だ。今年の夏はいったいどうなるのだろうか。
posted by あきちゃん at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする