3:30起床。昨日は昼間の報告の準備で明け方まで起きていたから、今朝の起床時刻は前日の就寝時間と同じ。時差の超越したような不規則な生活。今朝は寝坊もできないし、飛行機の中でぐっすり寝るためにも早起きはまさに三文以上の得。
雨予報だったが、昨晩少しぱらついたものの今朝は曇り。まだ暗い。タクシーでパディントン駅へ。お客さんはまだほとんどいない。チップ含め10£。近代的な駅に近代的な列車。駅を探検している余裕はなかったけれど、あのパディントン駅に来られただけでも満足。

〔早朝のパディントン駅とヒースロー・エクスプレス〕
5:40発。車内アナウンスはあるが至って静かにドアが閉まりスルスルッと発車する。途中、少しずつ明るくなり始める。車内はWi-fiがあり、ラインも入る。ホテルはWi-fiはあったがラインはダメだった。久しぶりにラインする。日本は午後、娘は掃除中とのこと。急に日本が近くなる。
ヒースローまで所要15分。22£。5:55、2•3ターミナル着。往路の地下鉄に比べたら、本当にあっという間。第5ターミナル行きのため、乗り換え10分弱待ち。第4ターミナル6:15着。同じパディントンから来る途中多くの駅に止まってきた列車らしい。
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カウンターはFとのことで、ずっと待っていたが開か気配がない。横に小さく註記の電光掲示が出ており、それで確認したらHとのこと。大慌てて並ぶが既に長蛇の列。ことに引越しかと見紛う黒人の家族が多数占領していて遅々として列が進まない。順番が来たのは7:39。いったい何分待たされたことやら……。番が来たらあとは早く、荷物検査迄含めて6分! 座席指定は搭乗口でという不思議なシステム。
7:50には搭乗口に着き、そこの担当のお姉さんに座席の指定を頼むが、座って待てという。しかたなく、8:10の搭乗開始までの間におみやげを買いに行く。
搭乗口に戻ると、もう搭乗は始まっているのに、かのお姉さんはまだ何もやってくれていない。催促すると、おもむろに重い腰を上げて漸く仕事を始める。私だって忙しいのよ、といった風情。
空港内もWi-fiがある。記名とメールアドレスの入力が必要。特別な出国手続きはなく、荷物検査だけ。日本ほど厳しいとは感じない。但し、ベルトは必ず外せと言われる。あるいはアムステルダムでEUの外に出る時に出国手続きとなるのだろうか。
8:40発KL1002 。22A。 雲がとれ、ほぼ快晴。飛行機雲が鮮やか。
9:42漸く動き出す。お客さんが揃わなかったとかで、1時間近く待ったことになる。
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10:04ヒースロー離陸。田園地帯を抜け、じきに海岸。サンドウィッチとサンドクッキー。あとからコーヒー。陸が見え始めて10:36にはもう着陸態勢というアナウンス。

〔ヒースローを飛び立つ〕

〔イギリスを離れる〕

〔アムステルダムに向けて下降する〕
アムステルダムに、アムステルダム時間で12時前に着く。ここで時差1時間を消化。
トランジットE20へ。往路と同様そのまま搭乗口に行ける。要するにEUに入る方は入国審査があるが、出る方は勝手に出て行けというスタンス。当然パスポートにも何も記録が残らないことになる。これはこれまでのアジアしか知らないものにとってはかなりショッキングな感覚である。今後イギリスがEUを抜けたら、このへんの手続きはどうなるのだろうか。
時間が結構あるので、あちこち歩き回るも、何も買わず、13:45に搭乗口に戻る。14時前に搭乗。41A窓側に座る。いつもの飛行機の感覚で窓側ラッキーと思ったが、これはとんでもない間違いだった。BCは初老の夫婦。荷物の積み込みに手間取り、動き出しは15:09。10時間45 分の予定とのこと。

〔アムステルダムから関空に向けて〕
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15:21アムステルダム離陸。
16時頃まずは紙のおしぼり、往路と同じアップルジュースとナッツ。

〔オランダの北海沿岸を飛ぶ〕
16:45ごはん。洋食はチキンのマスタード。サラダ、デザート、パン、お菓子。ちなみに和食はカツ丼。
17:00ヘルシンキ上空。その後、いつの間にか眠りに落ちる。
21:20目を覚ます。まもなくアイスクリームが出る。iphoneでゴルドベルク変奏曲をリピートで聴くことにする。

〔復路機内の夕食〕

〔サンクトペテロブルクを望む〕
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そのまままた眠ったらしく、次の目覚めは、23:12、日本時間で6:12、関空までもうあと3時間ほど。距離で2500キロと出る。
帰路はかなり南回りで、バイカル湖の南からモンゴルを横切り、北京の北、遼東半島、平壌というコースを飛んでいる。かなり明るくなってきているが夜明けはまだ。下界は厚い雲に覆われている。
6:40、そうこうしてるうちに太陽が上がってきつつある。到着は9:05とのこと。カンタータ巡礼のvol.41を聴く。BWV138も99もあまり聴いた記憶のない曲。頭痛がひどくなる(実際には両方とも昨年それなりに耳になじんだ曲だったはず。久し振りにiphoneに耳を傾けたからだろうか)。
音といい、窮屈さといい、時間といい、夜行バスとぽとんど同じだが、バスの方が充分なリクライニングがある分まだマシか。
6:49完全な夜明け。窓を閉める。隣の方が初めて席を立つ。その後、トイレを勧めてくださる。ありがたいことだ。お言葉に甘えて一番後ろのトイレに行く。そんなに差し迫ってはいなかったが、助かる。戻る時、お隣の方がいらしたので自分の席がわかったが、そうでないとこの明るさでは席を見つけるのは容易ではないだろう。
普段だと景色が見られる窓側がよいけれども、長丁場の国際線、しかも復路のような夜行に近い便の場合は、むしろ気楽に席を立てる通路側がよかったことに気付く。もっとも通路側に座ったところで。今度は窓側の人に気を使わねばならないから、結局どちらでも同じかとも考えたが、それでもやはり自分の生理的要求にすぐ対応できるない方がはるかに辛いだろうと考えを改める。

〔夜明け〕
6:59少し揺れ出す。台風12号はどうなっているだろう。それにしてもこの頭痛! あと1800㎞。iphoneの電池はまだ58%ある。
北京の北で急角度で南に旋回し、北京、天津、仁川というコースになっている。黄海に出た。北朝鮮を避けた?
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7:12、機内の明かりが灯く。到着予定時刻が9:04と、少し早まっている。
7:20おしぼりが配られる。往路と同様はだかのおしぼりをピンセットに挟んで配るのがなんとも微笑ましい。今回はかなり水気があり助かる。カンタータ巡礼のvol.40のBWV25に。頭痛ひどく生あくびばかり出る。
7:30揺れ始める。なかなか食事が来ない。到着予定9:02。さらに早まる。またさらに南のコースに曲がる。韓国をさらに南で横切りそう。外は上空まで完全に雲になっている。7:5待望の朝ごはん! あと1時間と15分。結構ギリギリのタイミングだ。食事を終える。最後のヨーグルトがフルーティで特に美味。ハッシュドポテト、スクランブル、ミートソース、パイナップル、スイカ、リンゴ、パン1個、飲み物はオレンジジュース。あまりコーヒーという気分ではない。これはぼくとしてはかなり異常。食事前に頭痛薬2錠。痛みは少し和らいだが、気持ち悪さがある。

〔帰路の航路〕
日本海に出ている。韓国から帰る時のいつも辿る、隠岐を左に見て出雲上空から入るコースのようだ。もうあと40分を切った。ケンプのMozartのPisno Concert8 9。不快感著しい。関空は曇り時々雨というが、直に淡路島がよく見える。不快感は幸い少し収まってきた。

〔淡路島を望む〕
8:58着陸。9:07駐機場着。入国手続きは早かったが、荷物がなかなか出て来ず、出られたのは9:45。10:40のリムジンの時刻まで、例のごとくスタバで時間を潰す。帰国の連絡を諸方へ。
12:00頃近鉄奈良着。家内が迎えに来てくれる。
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というわけで、アムステルダムから関空まで10時間37分ほどの飛行のうち、都合6時間近く眠っていたことになり、家に戻ったあとの午後半日に、さほどの支障が残ることもなく過ごすことができた。飛んだ時間帯が、離陸後まもなく夜になり着陸の少し前に夜が明けるという、睡眠には理想的な時間帯だったことも幸いだった。
先程も書いたように、ちょうど夜行バスのようなもので、関西からだと京都から仙台までが11時間弱くらいで時間も似たりよったりである。ぼく自身夜行バスを苦にせず結構愛用している方なので、ほとんど違和感もなく過ごすことができた。
夜行バスだと眠れたとしても(眠れないことはまずないが)降りてからの眠さは結構切実なもので(ことに朝着いて暫くしてからの午前中の時間帯、9時、10時頃)、むしろ夜行バスよりも帰路の飛行機の方があとの眠さは少なかった。起床時間こそ夜行バスと同じで結構はやかったが、そのあと9時近くまでゆっくりできたせいもあるだろう。
ただ、違っていたとすれば、起きた直後の猛烈な頭痛だろう。結局頭痛薬の服用でことなきを得たものの、あの頭痛はただものではない。夜行と同じとはいえ、そこに7時間分の時間が凝縮されていることが関係しているのかも知れない。つまり、あの頭痛と不快感こそが、時差の体験そのものだったかも知れない。
半日ゆっくり(でもなかったけれど)休み、翌日はもう朝からずっと会議づくしの一日だったが、さほどの違和感なく過ごすことができ、特段の時差の影響を感じることもなかったから、もし時差の体験と呼べるものがあったとしたら、やはりあの頭痛と不快感がそうだったといわざるを得ない。往路の退屈さに比べたら、ずいぶんとマシだったといってよいだろう。
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今回往路は寝ていく事を考えて、睡眠不足気味で搭乗したが、昼間の便で夕方着だと、あまり寝ていくと着いた直後の晩に眠れなくなる可能性がある。むしろタップリ睡眠を取った上で搭乗し、機上の昼間の時間を有効に活用することを考えた方がよかったかも知れない。一方復路は、睡眠不足状態で乗り、夜間飛行の便を夜行便として寝て過ごせたのは正解だった。もしも充分睡眠を取って乗っていたなら、きっと暗い機中で眠れないほど退屈なことはなかったに違いない。そうであるなら、降り立ったあとも睡眠不足が影響して、さらにあとあとまで時差の影響が尾を引くことになっていただろう。
そんなわけで、今回のロンドン行き、初めての長時間の時差体験だったにもかかわらず、さほどの困難もなく過ごすことできて幸いだった。何かの参考にしていただければと思い、きわめて個人的なお恥ずかしい記録ではあるけれども、書き止めておくことにした。ぼく自身も次回(がもしあるとしたら)にこの経験を生かすことができればと思う。

〔テムズ川〕