2016年11月23日

父と見たニコライ堂の記憶と再生

先日、毎年文化の日前後に行われる京都の非公開文化財特別公開の折に京都ハリストス正教会を拝観してから、昔父と見たニコライ堂をまた見てみたいという思いが募ってきた。ちょうど所用で東京に出かけ、最初はそんなつもりはなかったのだが、ここからなら無理はないと思うに至り、ほんの僅かの時間を縫ってニコライ堂まで足を伸ばしてみることにした。
父と見たといっても、中に入った訣ではない。父ならではの史跡めぐりというか、町歩きのなかで、たまたま通りかかったというのが正確なところだろう。しかし、その特異なドームが子どもながらにぼくの心に焼き付いたのだった。巨大な丸いドームが2つ並んでいたような記憶があり、緑青の吹いた屋根が印象に残っている。もう半世紀も前のことである。
父の町歩きには写真が付きもので、1日歩いて35㎜フィルム36枚撮りのもの1本というのが普通だったように思う。翌日朝母が写真屋に持っていくと、たいてい夕方には現像とサービス版の焼き付けが終わっていて、父が帰宅する頃にはもう家に写真があるという寸法である。
父は結構な凝り性だったから、これをアルバムにメモを書き込みながら貼っていく。簡単なイラストなども得意だった父のアルバムは、見るからに楽しいものだった(今でも遺品の中にある)。ニコライ堂の写真もそうしてアルバムに貼られてあったから、ぼくの心に焼き付いていたニコライ堂は、実際に父と見たそれだったか、あるいは父のアルバムで見たそれだったか、実は定かでない部分がある。写真はまだモノクロだったから、強烈な緑青色の印象は実物でしかあり得ないけれど、くすんだモノクロのニコライ堂の記憶もぼくの頭の中に確実にある。現実が写真によって膨らんでいっていたのかも知れない。
ぼくの記憶の中にあるニコライ堂は途轍もなく巨大な建物だった。あるいは巨大な建物に育っていたといった方がいいのかも知れない。その印象が強烈にあったからであろうか、先日見た京都ハリストス正教会は、なんだかおもちゃのような、ミニチュアを見ているような感じを受けたのだった。

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さて、日曜日のまだ人通りの少ない早朝のニコライ堂は、こぢんまりと端座しているという感じで建っていた。ニコライ堂は、東がお茶の水の聖橋から小川町に下る大通りに、また北がこの通りから西に入る道に面している。今回は神保町から駿河台下に大きくカーヴする道の錦華小学校の方に入っていくところを斜めにまっすぐ上がるショートカットを抜け、駿河台下からお茶の水に上がる道を横切って行ったので、聖橋に上がる坂道の西側、つまりニコライ堂のある方の側を登っていたことになる。周辺には見慣れぬ高層のビル群が林立する。主婦の友とか、YWCAとかがあったのはこのあたりのはずだったが……。
目指すはニコライ堂だが、なかなかそれらしい景色が見えてこない。あんな巨大なものが見えないはずはないと訝しがりながら行くと、道が大きく左にカーヴして聖橋に行き着く手前西側に、ニコライ堂は建っていた。高い石垣の上にあるせいか、ドームはあまり目立たない。しかもドームは一つだ。父と見たあの2つのドームはどこにいってしまったのだろうか。
そのままニコライ堂の北東の角を左に折れる。そこには、ニコライ堂の正門があった。朝日を浴びてちょうど逆光の中、教会らしい落ち着いた雰囲気の建物が悠然と端座していた。ここは全く記憶がない。しかし、こちらから見ると、西側の鐘楼の小さなドームが見えるため、ドームが二つといえないこともない。でも父とこちら側に渡って来た記憶はない。それにドームは巨大なものが二つという印象で焼き付いている。
北西側から見た逆光のニコライ堂.jpg
〔北西側から見た逆光のニコライ堂〕

父と見たと思われる道路の反対側に渡ってみる。道路には中央分離帯があって、容易には渡れない。それで少し坂を下ったところにある信号を東側に渡り、聖橋の方に少し坂を登って、昔見たであろう位置に立ってみた。しかし、ここから見てもやはり明瞭なドームは一つだった。それに木がかなり多くなっていて、こちら側からだと、建物自体の景色がかなり限定的になってしまう。
建物が変わるとは考えられないから、二つの巨大なドームというのは、ぼくの頭の中で育て上げられた印象に過ぎなかったのだろうか。また、石垣の上にある印象もない。あるいは父と北側に回ったのだろうか。しかし、道路をニコライ堂側に渡った記憶は全くないのだ。
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〔道路の反対側の北東側から見たニコライ堂〕

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そうなのだ、父と見たニコライ堂は、ぼくの思い出の中で育て上げられていたニコライ堂なのだろう。まさに父と見たぼくのニコライ堂なのである。別に見せようと思った訣ではなく、偶然に通りがかっただけのことに過ぎない景色が、半世紀を経てぼくの心の中になお生き生きと息づいてきていたのだった。
現実のニコライ堂を見て果たしてそれでよかったのかという一抹の疑念を感じない訣ではないけれども、現実を見ることで心象風景はまた新たな形で蘇ったのである。父もそれで納得してくれているような気がする。
月が替わればまもなく、父が召されてから満七年の日を迎えることになる。そして年が明ければ、ぼくが家内と結婚した時の父の、ようやく平穏な生活を迎えるようになった晩年といってもよい年齢に達することになる。
ラベル:記憶 東京 建築
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2016年11月21日

晩秋の風邪の一週間

今週はまさにだましだましという感じで一週間を過ごしてきた。明日からまた新しい週が始まるが、9月以来の眼前に聳えていた大きな山を越えたという実感がある。もちろん、この先にもまだまだ高峰は控えている。今まで越えてきた峰よりも高さは高い。けれど、質からいっても量からいっても、真の山は今週だったに違いないと思う。
元々こうなるのは目に見えていた。全部自分で呼び込んだものだからである。しかし、そういう時に限って、これまで万全であった体調に狂いが生じるのである。まだまだ未熟な証拠である。
月曜日の夕方、あ!これはやばいという感じがノドにあり、帰り掛けに薬局に飛び込んで、葛根湯液を買って帰った。しかし、月曜の晩は一晩不快感に苛まれ、やや熱っぽい状態で夜を明かすことになった。いつもはよく効くアズノールの舐めるタイプのうがい薬も一時の効果しかない。
そして火曜日午前も改善の兆しが見られなかったので、腹を決めて昼にいつものI女史のところに駈け込んで風邪薬を処方してもらい、水曜日は何とか悪化せずに済んでいるという状況だった。週末も予定が立て混んでいて、風邪など引いている場合ではないというのが実情で、せめてこのまま悪化せずにいられたら万々歳なのだが、と祈る気持ちで過ごした一週間をだった。
週の後半は妙に気温が上がり、汗をかいたりしたのがよくなかったのか、木曜日にはまた体調が下降線を辿っている気がした。これはダメかと覚悟したが、幸い金曜日には持ち直し、土曜日の雨で一日家で過ごしたのが効いたように思う(天気が良ければ土曜日は山の予定だった。行けなくなったのは残念極まりないけれども、これは不幸中の幸いと言うべきか)。

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今年は木々の色付きが今ひとつという印象があり、和佐又山でもそうだったが、ことに赤のモミジ系の発色がよくない。赤というより茶色に近い。それであまり期待せずにいたのだが、今週、イチョウの黄葉のあまりの見事さに心を打たれた。場所は東大寺西大門跡。奈良時代、平城宮から二条大路を東へ辿ったドン付きで、東大寺の本来の正門だったところ。そこに1本のイチョウがすっくと聳える。
なんだか鮮やかな黄色い塊と思いつつ西からバス通りに出てそれが黄葉したイチョウの巨木だと気付いた。明るい澄んだ青空をバックにしているからなお映えるのだろう。こんな見事なイチョウは、数年前平城宮跡で見て以来のこと。あれは何本かの集まりだったが、これはたった1本。しかし1本だけでもう充分だ。不思議なことに東大寺境内のイチョウはまだここまで黄色くなっていないものが多かった。なぜここだけなのかよくわからないが、あるいは日当たりの良さが関係しているのだろうか。
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〔東大寺西大門跡のイチョウ〕

色彩のハーモニーに脱帽したのは、正倉院の南側の池。紅葉の赤、イチョウの黄色が池に映り、背景に文字通りの青空、遠景に東大寺大仏殿の大屋根、近景に優しく揺れるススキの穂、そして点景として動くものがある。奈良公園のシカである。ああ、もうこれ以上ないくらいにお膳立てが揃っている。近寄ってみれば、けっしてきれいな池というわけではないのである。干上がって泥が見えているところもある。しかし、そんなことはもうどうでもいいくらいに、互いが互いを補い合って、1+1が5にも10にもなる景色を生み出している。心底美しいと思った。
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〔正倉院前の絵のような晩秋の景色〕


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ところで、わが家のモミジは、今年は色付きが早かったが、ここへきて比較的暖かいものだから、色付きがなかなか全体に回らず、まだ一部は緑のままいる。この様子だと、例年通り、12月に入って落ち葉掃除に勤しむことになりそうな気配がする。
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〔色付き始めたわが家のモミジ〕

家の周辺ではバス通りのプラタナスが今年は思う存分に大きな葉を落とし始めている。これほど盛大に落葉することはなかったように思う。勿論毎年葉を落としてはいるのだが、例年これほどに感じなかったのは、何にせよ虫に食われて、落とすべき葉がさほどの量残っていないという影響があるのだろう。その点今年はほとんど無傷で落葉を迎えており、見事である。その分落ちたあとの掃除はどうするのだろうと心配になる。周期的に雨が降ると、それこそ濡れ落ち葉になって無残な結末を迎えるのだが、やや雨が少ないのもプラタナスの落ち葉の量が異常に多いと感じる理由の一つかも知れない。
昨日の土曜日、夜中の結構な降り具合では一日降るかと諦めていたら、昼前にはほとんど上がり、乾き始めている。それで、PPとAGの散歩に出かけた。紅葉狩りである。2人ともプラタナスの大きな葉っぱをがさごそさせて歩けるので大喜び。本当は家の近くの小さなイチョウの黄色を見せたくて連れ出したのだが、そういえばイヌには色彩はわからないのだった。でもたとえモノクロの世界であったとしても、美しいものは美しい。
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〔犬たちと歩いたご近所の通りの秋景色〕

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そして今、東京に向かう新幹線の中でこれを書き止めている。もう随分遅い時間なのに、京都駅の混雑はすさまじかった。今週は水曜日が勤労感謝の日でお休み。週中以降グッと冷え込むらしい。いよいよ晩秋の気配が色濃くなってきた。
身体はいまだ本調子ではない。ノドの違和感は残るし、金曜日以来、今度は鼻水とクシャミが止まらない。こういうときは市販の鼻炎薬が結構効くので買いに行ったら、いつもの薬が見当たらない。しかたなく代わりに買って帰ったのが、花粉用のアレルギー専用の薬で、何とかなるだろうと思ったら、これが全然効かない。仕方なく再度薬局で何とかいつもの薬を見付け出して買い直し、半日に一度飲み続けているところだ。効いてくるのと、効きが抜けていくのがよくわかる薬である。さっきも切れてきたのがわかり、仕方なくコーヒーを求めて流し込んだところ。いつまで飲み続けることになるのかはわからない。I女史にもらった5日分の薬もまもなく切れる。奈良に戻ったら、火曜日にまた長時間待たされるのを覚悟して出かけるしかないかも知れない。
それでもこうして一週間を何とか辛うじて乗り切らせてもらい、しかも心から美しいと思える光景に出会わせてもらったことに心から感謝したい。
ラベル:日常 奈良 季節
posted by あきちゃん at 03:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2016年11月13日

大普賢岳の山麓から和佐又山を廻る

​和佐又山は盃を伏せたような形の優しい山である。山頂は北側の展望にすぐれ、大普賢岳のゴツゴツした山容が手に取るように望める。山頂直下には和佐又山ヒュッテがあり、ここまでは車も入れるから、周辺の山行の恰好の基地となる。その北側の斜面には冬はスキー場が設けられ、雪遊びにはもってこいし、冬山入門にもうってつけのフィールドだろう。歩くなら、分水嶺となっている伯母峰の長いトンネルを抜けたところの林道入口からすぐ取り付き、伯母峰から大普賢岳に続く尾根のすぐそばをきたから大廻りに辿る山道コース、林道を少し西に上がった所からそのまま谷を登り詰めた後、南へ斜面を上がる谷筋コースの二つがあり、変化に富んだ道に恵まれている。先を急ぐのでないなら、じっくり山を味わいながら登る和佐又山はまた格別だ。ぼく自身は谷筋コースを辿ったことが2度あり、雪に埋もれた和佐又山ヒュッテで、あつあつの豚汁をいただいたあの懐かし日のこと忘れられない。
大普賢岳が目的であれば、和佐又山ヒュッテまで車で入れば、日帰りの往復山行が充分可能で、変化に富んだ山歩きが楽しめる。また、和佐又山ヒュッテを朝発てば、大普賢岳から南西へ奥駈道の国見岳、七曜岳の頂を踏み、無双洞、底なし井戸を経て山腹を和佐又山のコルまで辿る周回コースも組める。是非実現したいとかねてより思っていた道である。

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先日機会があって、このコースそのものではないが、無双洞から和佐又山のコルまでの道を歩くことができた。今回は山麓だけ単独で歩き、大普賢岳はパスした訣だが、これほどまで素晴らしい道とは思っていなかった。このコースでは、水太林道を車で奥まで入れるのが大きい。
優しい自然林の谷筋を登り詰めて行く。途中右に谷筋が分かれるが、一旦右の谷筋に入ったあと、高巻きに左の谷筋を行くようになる。今年は色付きがあまりよくないが、紅葉もまあ見頃といっていい。
だいたい30分弱で水簾の滝に着く。迸るような清冽な滝である。その秘密は滝の奥にあった。右側から滝の裏側に上がるとわかるが、水簾の滝は、滝には違いないが、いわば傾斜のきつい瀬なのである。岩走る、といった感じである。
そして標識も何もないが、その水源地が無双洞なのだった。まさに、水を迸り出している洞穴、といっても人は屈んでかろうじて入れるかどうかというくらいで、横向きの自噴する井戸と言ったらよかろうか。水が吹き出ているという感じだ。
水簾の滝上部(中央上が無双洞).jpg
〈水簾の滝上部(中央上が無双洞)〉

ここを奥に登り詰めると奥駈道に出られるが、今日は少し戻って和佐又山を目指す。山腹を絡む優しい趣の道とばかり思い込んでいたが、そういう部分もありはしたが、さすが大普賢岳の山腹だけのことはあると思わせる、いい意味で野趣にあふれた変化に富み、想像していた以上に素晴らしいをコースだった。

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暫くは水平に山腹を辿り、無双洞に向かう際に見送った谷を越えるとまもなく、前方にかなりの傾斜の岩場が見えてくる。ちょうど降りてくるグループがあり、岩場のイメージがよくわかる。ここは岩登り前の一休みにはもってこいだが、岩場からの落石には注意がいる。
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〈岩場への取り付き〉

さて、肝心の岩場は適度に手掛かり足掛かりがあり、思っていたほど登りにくくはなかったが、一箇所ほとんど垂直に岩を登らねばならないところがあり、ちょっと緊張する。
地図で見ると、斜面の一角に取り付いて等高線と直角の方向に高度を稼ぐように見えるが、実際に登って振り返ると、谷筋に取り付いているように感じる。上から振り返ると、岩場を下る、の看板はあったが、ここを下るとしたら、ルート探しが結構難しいだろうと思う。
ただ、晩秋の谷筋の岩場の風情は何ものにも代えがたい。一種荘厳でもある。大勢で来ているからよいが、一人だったら、この風景に飲み込まれてしまいそうな、そんな怖ろしさも感じる。
登り切って少し水平に動いた辺りに、このコースの二つ目のハイライト、底なし井戸がある。勿論人工のものではなく、井戸状の丸い岩の隙間なのだが、いったいどれだけ深さがあるやらも知れない。水が溜まっているわけではなさそうで、巨大な岩の裂け目なのだろう。道から離れた、といっても底なし井戸に行く方が真っ直ぐなので、正規の道に戻るのに一瞬とまどうが、底なし井戸は一段下がったところにあるので、底を覗きに降りるにも少し勇気が必要だ。
底無し井戸.jpg
〈底無し井戸〉

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ここまでスタートから2時間弱、距離の割になかなか手強いというか、充実した道だ。単なる山腹の道ではない。大普賢岳からの帰りに周回するだけではもったいない。単独ででも来てほんとうによかったと思う。
わずかだが、青空も見え始めた。午前は少し雲が出る予報だったが、思いの外雲が厚く、木々の冴えない色付きがますますパッとしなかっただけに、ようやくの感がある。風も出始めた。和佐又山に着くまでにはこの雲を吹き払ってくれるだろうか。
底なし井戸からは、一転して穏やかな山道となる。このコントラストがすばらしい。しかし、優しいだけではない、どこか奥深さというか懐の深さを感じる風景だ。さらに言えば、厳粛さをさえ感じてしまう。
幾分登り気味に山腹を辿る。振り返れば、雲間から小普賢や日本岳のどこかユーモラスでさえある岩峰が見え隠れする。ふと、妙に白く明るくなっている森が見える。あれはなんだろう?
その明るさの先を目で辿る。あ、青空がある。ちょうど天の底なし井戸のように、そこだけポンと丸く雲があいている。こちらからは見えないが、あの白いところには、あの井戸のような雲の隙間から、太陽が光を注いでいるのだ。神々しい光景だった。
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〈笙の窟・日本岳方面を見上げる〉

まもなく主脈に直登する新道を分ける。穏やかな道が続くが、何回か岩の堆積を越す部分がある。谷筋に沿って岩が流れ下って来た跡だろう。かなりローカルだが、神野山の鍋倉渓のようだ。
そして時折なぜこんなところにこんな、と思わず声を上げたくなる巨大な岩が横たわっていたりもする。日本岳から数々の窟を経て、小普賢、大普賢へと続く岩峰を思うと、ああそうなのだと納得がゆく。岩の堆積も巨大な岩塊も、あれらの岩峰の行き着いた姿なのだ。
行く手に和佐又山の三角錐が見え始めると、底なし井戸から昼食休憩を含めて2時間ほどで、なつかしい和佐又山のコルに出る。あのなつかしさはいったいどこから来るのだろう?

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コルから和佐又山を往復する。風が出始め、ときおり青空ものぞくようになってはいたが、なかなか雲が取れない。もうあと1、2時間もすれば、と思うと、残念。結局、山頂からも大普賢岳の本峰は望めなかった。けれど、和佐又山はもう4度目になるが、秋は初めてで、たとえ大普賢岳が見えなくても、充分山を満喫できたことに感謝しよう。
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〈和佐又山からガスに煙る大普賢岳を望む〉

さていよいよ山頂をあとにする。今日は山道コースを下る。これまで歩いて和佐又山ヒュッテまで来た時はいずれも谷筋コースだったから、初めての山道コースには期待もあった。まずは石碑のところまで下って、まさに山の字の大普賢岳のを遠望を楽しむ。揺れるススキの穂越しの山影が美しい。
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〈和佐又山ヒュッテ上から大普賢岳方面を望む〉

ここから和佐又山ヒュッテへの尾根道から分かれ、北へ自然林を行く。時折陽が入ると、辺りの景色が一変する。茶色く色付き悪く見えていたハウチワカエデが、途端に深紅に輝き始めるのだ、太陽の光の荘厳なマジック。
道は次第に本峰の南側斜面を水平に辿るようになる。尾根筋はまだかなり高いが、だんだん尾根が降りてきて、伯母峰への尾根通しの道を分け、さらにひたすら自然林の中を歩む。
ところが、突然景色が褪せたと思ったら、いつの間にか植林帯に入っていた。足元はぐっと歩きやすくなるものの、自然林に比べると薄暗い。まだ、2時半かそこらだというのに、もう夕方かと見紛うばかり。しかもすぐ自然林に抜けるのかと思いきや、植林帯が延々と続く。そのあまりの単調さに思わず眠気を催す始末、今まで自然林を満喫してきただけに、これは本当にこたえる。
誰かが、山道コースを称して、無駄に長いと言っていた。まさに言い得て妙、その通りだった。とは言え、終わりのない道はない。国道の車の音がどこからともなく聞こえてくるようになると、再び自然林が復活し、なかなかいい雰囲気となる。中でも、最後に伯母峰トンネル口に下るところは秀逸だった。
実はこの道は、一旦和佐又トンネルの東側に大廻りしているのである。それ程に遠回りでもある訣だが、国道は初め、行く手左前方に見えてくる。一瞬方角がわからなくなるが、そのうち国道を見失い、道はなおやや登り気味に続く。この間に、山道コースはトンネルの上を直角に横切っているのである。
道はその先でやおら急激な九十九折となって、林道を少し西に入ったところのバス停の脇に一気に下ってゆく。滑りやすいなかなか大変な道だ。伯母峰のトンネルは今地図上に見えているもののほかに、何代かにわたるトンネルがあるらしいから、山道コースとの関係は一様でないかも知れないけれど、このやや不自然な取付きからすると、トンネル工事で道が付け替えられているというようなことがあったのかも知れない。
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〈和佐又山山道コースから大普賢岳を望む〉

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和佐又山のコルの下の石碑のところを出たのが13:45、和佐又林道入口のバス停に降り着いたのが16:15、約2時間半の行程ということになる。終わりよければ全て良し、途中の人工林も眠りながらでも歩ける歩き易い道ということで、今日の行程の一つのアクセントと考えよう。登れば登ったで山道コースもまたいいアルバイトになるだろう。谷筋の道と組み合わせて往復のも面白いだろう。
とまれ、和佐又山からの大普賢岳の大展望に恵まれなかったのだけはやはり心残りだが、晩秋の一日を大普賢岳の足元で過ごせたのは幸せだった。
ラベル:季節 奈良
posted by あきちゃん at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする