2017年01月29日

50年ぶりのインフルエンザ

正月明けまでの暖冬が、第二週の末から一転寒冬傾向となり、ここまで約二週間、寒い日々が続いている。さすがに大寒だけのことはある。スキー場はホッとひと息ついた様子だが、来週初めにかけては少し寒さが緩み、その後は三寒四温の周期変化に移行するらしい。
降らなくても普通の気温の推移でいてくれればよいのだけれど、一時的にせよ気温が上がって雪が緩むとなかなかしんどいものがあるだろう。何事も極端に走るとろくなことはない。でも最近の天候の推移は、本当に中庸、ほどほどということを知らない。もっと均した寒さであってくれれば何も問題はないのだけれど。

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そんな急激な冷えこみが影響してか、インフルエンザが爆発的に流行し始めているという。
かくいうぼく自身、前々回に週末まで何とかもってくれたらと書いたら、休み明けこそ何とかもっていたものの、水曜日(11日)にはいよいよいけなくなって、夜に熱を計ったら8度5分。これはもう諦めを付けざるを得なくなって、木曜日朝一番でI女子の所に駈け込んだら、鼻の粘膜からサンプルを取る検査で、あっけなく、A型ですね、と診断されてしまった。あと、学校だと登校停止になりますが、お勤めの場合は休むかどうかは勤務先とご相談ください。
というわけで、もしかすると効き目が出るにはもう少し遅いかも知れませんが、という断り付きで、リレンザというぼくにとっては全く初めての薬を処方され、そのまま帰宅となった(この薬は粉を吸引して服用するしくみになっていて、これはなかなか面白かった)。本当は勤務先に立ち寄って、ケリの付いていない仕事に方向性を与えて、誰かに頼める状態にしておきたかったのだが、それもままならぬままである。
仕方なく、そのあたりは欠勤の連絡とともに帰宅して家からメールでなんとかし、自分で処理せねばならない事柄も、幸い手持ちの素材で仕上げてメールで送ることができた。まさに出勤停止というか、自宅待機の状況。夜には9度まで上がったが、この日は夜中までメールでいろいろやりとりせねばならない状況が続き、今から思えばこの辺りが今回のインフルエンザの山であった。

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ぼくの場合、今回のインフルエンザに特徴的だったのは、全身のだるさ、節々の痛みである。発熱すると腰が痛くなるのがしばしばだが、今回もそれが顕著で、ぎっくり腰状の症状が悪化し、金曜日には熱は7度台まで下がったものの、ほとんど歩けない状況にまでに立ち至ってしまった。ただ、今年は年明けからずっとなんとなく節々が痛いような状況が続いていたので、どこからがインフルエンザの症状なのかがよくわからず、あるいはこれがインフルかも、という認識を遅らせたのかも知れない(インフルの潜伏期間は2、3日とのことだから、これはこれでまた別の風邪だったのだろうか。ちなみに人混みに出かけるようなことはなかったかと聞かれたが、土曜日に京都まで電車で往復したのと、日曜日、月曜日と外食したので、そのどこかでもらってきたのだろうか)。
もっとも、成人の日の月曜日の午後には、これはただごとではないという体調になりつつあって(この段階で熱が上がりつつあったのかも知れないが、一方でもしかしたら気のせいかもという思いもなかった訣ではない。そんな自分の身体が自分自身でないような宙ぶらりんな状態であるが、それこそが体調の悪化なのかも知れない)、週末まで何とかもってくれたら、というようなことを書く事態になっていたのだから、潔く火曜日の時点で受診して休んでいればよかったのであろう(幸い勤務先にA型の蔓延は起きていないが、ぼくが翌週出勤したのと入れ替わりに1人だけA型と診断され4日休んだ人がいる。申し訣ないことだ)。
熱以外には、火曜日の段階で異常なくしゃみ・鼻水があったので鼻炎薬を飲んでしまったため、鼻の症状がどの程度だったかは厳密にはわからない。ノドは全く痛みもなく、ただ、熱が下がってきた頃に、少しだけ痰が絡んだ程度で、咳もほとんどない。だから、多分見かけだけでは、もしも熱で赤い顔をしていたというようなことがなければ(これは自分ではわからないし、多分顔色はごく普通だったと思う)、インフルエンザに罹っているとは誰にもわからなかったことだろう。
見てわかるようなひどいクシャミの人や、ゴホンゴホン咳き込んでいる人は、多分そう重篤な症状ではないのである。本人がこんなことを言うのは申し訣ないことであるけれども、これはたいへん怖ろしいことだ。普通の呼気にどの程度ウィルスが含まれて出て行くのかはわからないけれど、飛沫による感染はもしかしたら案外少ないのかも知れない。むしろ、間接的な接触感染、例えばドアの把手とか、吊革とか、そういったものをに触れた手を鼻や口にもっていくことによる感染が多いのだろうか。もしそうだとすると、マスクよりもむしろ大事なのは手洗いの励行ということになるのかも知れない。

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ともあれ、金曜日夜には熱も7度近くまで下がり、土曜日には腰の痛みはまだ残っていたものの平熱に戻り、週明け月曜日(16日)には復帰したのであった。この一週間つまり先週がまた忙しなかったのだが、それはここでは特に触れない。ともかく、これでももう充分あちこちに迷惑を掛けたのではあるが、恢復がもう1日遅かったなら、あるいは悪化がもう1日早かったなら、諸方面にさらにとんでもない迷惑をかけることになっていたに違いない。その点でいうと測ったようにインフルエンザによる自宅待機期間が設定されたという印象が強い。休まざるを得なくなったのがあの期間で本当によかった、真底そう思わずにはいられない。
ぼくが罹った頃よりもさらに全国で猛威を振るっているようである。どうかみなさまくれぐれもお気を付けください、と言いたいけれど、罹ってしまったらこれはもう人為ではいかんともしがたく、どうかくれぐれも無理をなさいませんよう、としかいいようがない。自分のことを棚に上げての話で恐縮だが、早め早めの対応が一番のようだ。
あと、考え得る手段としては、今年はもう無理だが、予防接種がある。考えてみれば、子供の頃、秋になると、一往任意ということではあったが、学校でインフルエンザの予防接種を受けさせられたものだ。間を開けて2回、それぞれ朝の保護者からの体調の報告が前提で、熱があったりして受けられなくなることもある。そうした予防接種で本当にインフルエンザに罹ってしまい40度の熱が3日続いたことがあるが、今回はそれ以来実に50年ぶりのまともなインフルエンザだったということになる。いわゆる香港カゼに罹っていたらA型は大丈夫だと高を括っていた付けが、こうして回ってきたのだった。
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2017年01月22日

淀看席、傘亭・時雨亭と京都市中の展望

京都の寺社で、観光地のそばにあるのに、なかなか行きにくいというか、足の向かないところがあるものである。ぼくにとってその代表格は黒谷の金戒光明寺だろう。南禅寺から銀閣寺へ向かういわゆる哲学の小径からも、また平安神宮からもさほど遠くはないのに、何故か自分ではここだけをめざして拝観に訪れることはなかった。
建物は立派だが比較的新しいのと、格別の寺宝なり庭なりがあるわけでないというのもその理由であるだろう。もっとも、それだけ観光ずれしていないということでもあるわけで、静かな雰囲気が味わえる隠れた名刹でもある。
それだけではない。ここは見晴らしのよい高台に立地し、しかも京を見晴らせる境内の西辺に、名席淀看席を擁する塔頭西翁院がある。実は、ここは学生時代に1度連れられて訪れたことがある。I教授の茶室のゼミで京都の茶室を回った中に含まれていた。ただ、あの時は孤篷庵忘筌・直入軒と妙喜庵待庵の印象があまりにも強烈で、まことに勿体ない話ではあるのだが、西翁院の印象は途切れ途切れでしかないのだ。

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それが、今年で51回めを迎えるという京の冬の旅の案内を見ていて、ふと西翁院の名が過ぎったのだった。初め、金戒光明寺の名を見て、ああここは行きにくいところだなあと思い、西翁院には気付かなかったのだが、金戒光明寺の名がふたつ並んでいたことに気付き、見直してみると、どこかで記憶にひっかかりのある名が見えるではないか。西翁院、そして藤村庸軒の名も見える。切れ切れの記憶を手繰り直してみる。ああ、そうだった、あの淀看席のある塔頭ではないか。
蹴上で降りて、南禅寺を横切り、南禅寺道から動物園の東側を通って天王町をめざす。途中、金戒光明寺の三重塔が遠望でき、あそこまで行けばよいのだと励みになる。天王町からは西へ向かうが、黒谷へは西から回らなければならない、東山散策と金戒光明寺拝観が両立しなかった理由の一つはここにもあったことを思い出す。
平安神宮から北に上がってきた道との交差点を北へ岡崎郵便局の方に曲がれば、黒谷の入口は近い。京都守護職の本陣になったという要塞でもある高台に上がる。でも西翁院が何処にあったか、地図ではわかるもののよく思い出せない。本坊から西へ石畳を辿ると、境内西端の、うっかりすると通り過ぎてしまいそうなところに、隠れるように西翁院はあった。

金戒光明寺西翁院.jpeg
〔金戒光明寺西翁院〕

淀看は文字通り、淀まで見晴るかせるということで、台地の際まで隣接する住宅が迫るが、生垣をうまく利用して往事の景観の復元が図られるつつあるという。今回は、本堂南庭から門を潜り、腰掛け待合、本堂西側の生垣との間を行き、そして淀看席北側の枯山水庭園を眺めてから、北側から蹲踞の前に入る。枯山水の石に見入っていると、あらぬ方角からガサゴソと音がする。見上げると、なんと小振りのシマシマ模様のネコが本堂の屋根の上を横切って行くではないか。茶室にネコという取り合わせの妙……。
内露地には、西日を避ける意味もあって長い軒が伸び、その半分近くが軒下にある。茶室は本堂と同じ高さにするために漆喰の亀腹上に建てられていて、躙り口はかなり高い位置にある。そこから中をのぞくと、3畳の狭い室内はさらに1畳分の仕切り(宗定囲)を設けて二分される。床は塗り回しで奥行きをあまり感じさせない。躙り口からのぞくだけではなかなか茶室そのものの空間を体験できたとは言えないけれど、なんとも瀟洒な茶室である。
40年近くも前にここを訪れた記憶は、残念ながらまだ充分には甦ってこないが、時が来ればそれはそれでまた浮かび上がってくることがあるだろう。一緒に説明を聞いた拝観者も数人で、静かな雰囲気を堪能できたので、孤篷庵の二の舞にならずに済んだのは幸いであった。境内での写真撮影は遠慮をということで、庭園や茶室の様子をご紹介できないのが残念だが、こんな静かな冬の旅もあるのである。
今回は金戒光明寺本坊も特別公開の対象で、西翁院よりは参拝客が多かったが、それでも静かな冬の旅を楽しめる。回遊式庭園は平成の作庭ではあるが、庭に降り立って庭歩きの愉しさを満喫でき、自分の時間を過ごせるのはありがたい。

金戒光明寺山門.jpeg
〔金戒光明寺山門〕

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〔高台寺庫裡〕

帰路は岡崎公園を南に横切って円山公園まで歩き、今回の公開対象をもう一つ訪ねた。高台寺である。さすがにここは結構な人出だったが、以前やはり冬の旅で訪れた折に比べると、特に境内東部の展望台付近で境内整備が進み、傘亭・時雨亭付近の雰囲気はなかなかだった。以前のだだっ広さがなくなり、むしろこんなに狭かったかという印象さえもった。また、そのすぐ上、境内最高所からの京都市中の展望は予想外のすばらしさであった。数日前の雪のある頃ならさらにいかばかりの景色が望めたことであろう。いわずもがなだが、開山堂から霊屋へと登る臥龍廊の道行きは文句なく素晴らしく、人出を厭わず訪れてみる価値は充分にあるだろう。

時雨亭・傘亭と京都市内.jpg
〔高台寺時雨亭・傘亭と京都市内の展望〕

高台寺から京都駅方面を望む.jpg
〔高台寺から京都駅方面を望む〕

ただ、ここから京都駅まで出るのが予想外にしんどかった。東山安井まで降って、あとはバスで一本なのだが、バスがほとんど待たずに来たにもかかわらず、途中の混雑がすざまじく、真冬にタップリ汗をかかされ、このアルバイトは正直余計であった。市バスは相変わらず急発進急停車の連続で、ホッとしている暇がないのである(京都市バスや京阪バスに比べると、奈良交通のバスの運転の品の良さ、おとなしさは、特筆に値する! ちなみに、奈良はタクシーの運転もおとなしい)。同じ座れないのでも、地下鉄の方がまだ時間も読めるので、覚悟ができる。それにひきかえバスは……。ともかく京都のバスでの移動は、今さらながらではあるが、疲れる。
posted by あきちゃん at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

イヌに起こされラーメンを食べ損ねた夢─夢の記憶41

軽ワゴンに、三人乗って帰途に就いている。さっきから、どこかで見た記憶のある場所を何度も走っている。曲がり角とか、お店や公園とか。でも、それらがどこなのか思い出せない。記憶が曖昧な上に、無性に眠くて、思い出す作業自体が滞ってしまうのだ。
そのうちに駅前の場末のようなところの店の前に、ぶつかりそうな勢いで停まった。ダメかと思ったが、間一髪セーフ。ここが目的地らしい。そこはラーメン屋で、さっきも来た店だった。入ると、右側にテーブルが一つあり、丸イスが四脚ある。手前奥の席には先客があるが、幸い他の席は空いていて、我々三人ですわることにする。メニューが何種類かあるはずだがなあと思い、注文しなければなどと考えているが、同行の二人は一向にそんな気配がない。
ぼくは向こう側の、つまりは入口が見える方の側の壁寄りに座っていて、壁を見ると、スイッチがあり、Sさんにご用の方はどうぞ、と書いてある。勤務先の同僚のSさんはこんなところにいるんだ、と訣のわからぬままに納得している。
そのうちに、注文してなかったのに、はい、お待ち! と言って、奥からラーメンが出てくる。やはりそうなんだ、特別に注文しなくても、メニューは決まってるんだから、席に着けばそれで注文したことになるんだった、とこれまた納得していた。
先客が、店主に声をかけている。ちょっと辛過ぎてダメだよ、と言っている。先客にはいつの間にか、子どもの連れがいて、父子らしい。子どもには辛過ぎるというのだろう。ぼくのところに運ばれてきているラーメンを見ると、透明なスープに、何がかかかっている。ははん、これが辛いんだな、でも、そんなことを今から言われたって交換する訣にもいかないだろうしなぁ、と思っていると、斜め向かいのぼくの連れも、辛いから変えて欲しいと言い出している。
あれあれ、辛いからこそここのラーメンはおいしいのになぁ、と思い、そんなに辛かったかなぁと、熱々のスープをひとすくい飲み、さあ麵を食べようかと箸で口に運ぼうとしたら、どこかで、ワン、ワンとイヌが吠え出した。なんだいったいと、隣の同僚の方を振り向くと、そこには同僚ではなく、家内がいて、ラーメンを食べている。
さらに犬の声がけたたましくなってきて、我が家のイヌたちが、ご飯だ! と大喜びする時の恒例行事であることが飲み込めてきた。お蔭で、ぼくはラーメンを食べ損ねてしまったが、イヌたちの目覚ましで目覚める休日があってもまあいいか。
という訣で、フウフウいって食べようとしていた熱々のラーメンの温もりをまだ感じながら、ほっこりした気分で目覚めたことであった。
帰途につく前に当然往路の話があっだはずで、どうもメンバーからみて仕事に出かけてきたらしい。目覚めた時にはまだ充分覚えていて、これともう一つのエピソードがつながっており、随分とまあ複雑な夢だなあ思ったことだけは覚えているが、細かなことを書いているうちそっちのストーリーは忘れてしまった。こういう時、どうすればよいのだろう。粗筋だけまずメモっておけばよいのか。そうすればそうしたで、今度は細部を忘れてしまうのは必定。夢の記憶を辿るのは、ほんとうに難儀なことだ。

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昨日の冷たい雨は上がったものの、時折のぞく晴れ間をよそに、午後からはとうとう時雨れてしまった。この冬初めての、本格的な寒波の到来である。犬の散歩も中止いた。
それというのも、昨日の冷たい雨に祟られたのか、どうも体調が思わしくない。朝からひどいクシャミ、半端でない身体のだるさ、そして今日はまだけっして気温は低くはないのに、猛烈な寒け。これはどうもよろしくない方向に進んでいきそうな気配がある。
そこでしかたなく一日おとなしくしていたが、夜になっても一向に改善されそうにない。こんな晩はさっさとお風呂に入って寝むに限るのだが、悲しいかな今度はなかなか風呂の順番が回ってこない。だるさは正月以来のことなので、必ずしも今日始まった訣ではないが、寒けと相俟ってこれは悪寒というやつではないだろうか。
というわけで、近年あまり経験のない経過を辿って、体調悪化が進行している。これはどのように収まりがつくのだろうか。一日短い火曜始まりとはいえ、この一週間をなんとかもたせなくては……。
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2017年01月07日

ブラームスな正月休み─付2017年のカンタータリスト

2日の晩は結局、はかばかしい夢も見ずに終わってしまった。何か夢を見た覚えはあるのだけれど、記憶に止まるほどのものではなかったらしい。
ともかく今年の正月は休んだ気がしなかった。仕事初めは一昨日だったはずなのに、気分的には一週間まるまる勤めた感じがするほど、ぐったりと疲れている。
この休みの間、ブラームスを無性に聴きたくなった。しかも4番のシンフォニーである。昔聴いたブルーノ・ヴァルターのステレオ版。あの繊細なモーツァルト風のブラームス!
ただ、あのレコードで聴き慣れたヴァルターの名演が今手許にはない。レコードの時代、ブラームスは結構よく聴いた。しかし、学生時代から四半世紀以上の間、全然聴かなかった訣ではけっしてないけれど、ブラームスのCDは数えるほどしか持っていない。
その数少ない中の筆頭は、ヴァルター・ニューヨークPOの2番だろう。これはブラームスとしては例外的な曲だし、それをこの躍動的な名演で聴こうとした理由は確かに納得できる。モーツァルトの変ロ長調のコンチェルトと一緒に入っていた、バックハウスとベームの第2ピアノ・コンチェルトも聴くには聴いたが、結構勇気が必要だった。長調の曲といっても、諦観に溢れる曲という点では、まさにブラームスだからである。クラリネット五重奏曲もしかり、ドイツ・レクイエムもしかり、である。
第4交響曲のCDは、けっしてない訣ではない。最初はムラヴィンスキーのシベリウスの7番の余白に(実際はシベリウスの方が余白なのだろうが)に入っているのを買った。もう一つはボールトの廉価で手に入った全集としてである。これはボールトに凝った際に買ったもので、ブラームスが聴きたくて買ったわけではないし、4番には滅多に手が出なかった。
今回、仕方なくといっては失礼だが、ボールトの4番を聴いて一定の渇を癒やしたのだった。しかし、この男臭いブラームスは、どうにも気分的に受け付けない部分があった。かといって、聴きたかったヴァルターの4番を無理して買うこともせぬままいるうちに、落ち込んでいるまもなくもう仕事の歯車の中に戻ってしまっていたという一週間だったのである。まあ、立ち止まっていると、ろくなことはないのである。
なお、なぜブラームスだったのかといえば、それは、F.W.シュヌアーというドイツのピアニストによる、主題と変奏曲作品18bとの出会いである(MM-2146)。これは、大江健三郎さんの「記憶して下さい。かれはこんな風にして生きて来たのです。」という講演(『「伝える言葉」プラス』朝日文庫)で紹介されている、大江光さんの感動的なエピソードに登場する曲・演奏である。弦楽六重奏曲第1番の第2楽章の主題によるピアノ曲で、このような曲とこの年になって出会えるというのは、本当にクラシックを聴いてきてよかった、また本を読んできてよかったと思える経験だった。それはまさに芋づる式の導きであって、どこか一箇所の蔓が切れていても出会えなかった可能性があることを思うと、不思議な感懐を禁じ得ない。

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ところで、教会暦によってカンタータを聴き始めてから、今年で3巡めを迎える。なかなか思うようには聴けないけれど、常に意外な発見ばかりで、ぼくのようなザル人間にとっても、まさに汲めども尽きぬといった感がある。
これまで、概ね教会暦順に入っているガーディナーのカンタータ巡礼をベース聴いてきたけれど、ついつい他の指揮者はどう演奏しているのだろうかと気になって、聴き比べを始めてしまう曲も多い。若い頃は、一つの演奏でその曲を覚えてしまうと、他の指揮者の演奏どころか同じ指揮者の違う演奏さえも受け付けなくなってしまう傾向が強かったが、年を重ねるにつれある意味相対化して聴けるようになってきたような気がする。
手許にはガーディナーの他に、リリングと鈴木雅明さんの全集がある。リリングのはカンタータのみのセット、鈴木雅明さんのは全集として出たものは高くて到底手が出ず諦めていたが、BISで10枚ずつ(最後の5つめだけは15枚セット)まとめたセットが出ていたのを、こつこつと中古も含めて結構安価で買い集め、一応全部揃うことになった。
個々のカンタータを探そうとすると、リリングの全集はBWVの番号順なので見つけやすいが、鈴木雅明さんの全集は基本が作曲年代順で、見つけるのが容易ではない。そこで、毎年同じ事をやっても能がないこともあり、今年は鈴木雅明・BCJのDISK番号も併記して、参照しやすくしてみた。
その結果わかったことは、今さらながらではあるけれども、全集と称してはいても、収録されている曲にかなりばらつきがあることである。ことに教会暦ではなく、結婚式や市参事会交代式用に作られたカンタータは、BWV200までの番号をもっていても当然ガーディナーの全集からは漏れることになるため、これまで聴く機会が巡って来なかった。鈴木雅明さんの全集ではこれらも教会カンタータとして収録してくれていて、全集のリストを作ってみると一目瞭然である。鈴木さんのを全集として通して聴くことはなかったので、それらはこれまでずっと聴き落としてきてしまったのである。
教会カンター以外の世俗カンタータ選集として、ペーター・シュライアーのものや、レオンハルトのものを既に入手してはいるものの、カンタータ巡礼を聴き始めてからはずっとお留守になっていて、必ずしも全部に親しめてきている訣ではない。誰の全集にどの曲が入っているかは、既に整理してくださっている方もあるけれど(一番網羅的で徹底しているのは、Bach Cantata Websiteのもので、2020年までの教会暦も簡単に一覧できるようになっている〈http://www.bach-cantatas.com/LCY/Lutheran-2016-2020.htm#P2〉。結局のところ、ぼくの整理などこれの一部をまとめた形に過ぎない)、これはやはり自分で整理してみないと、結局自分の身に付かない。追々取り組んでみたいと思っている。
一番最初に聴いたリリングの選集は未購入のままだし、今はコープマンはまだ食指が動かないけれど、レオンハルト・アーノンクールの全集をどうしようかと思い悩み始めている……。
というわけで、はなはだ不充分なものではあるけれど、2017年のカンタータ・リストを掲げておく。
折角なので、選集の形で入手しているヴェルナー(2564 64742-9)とロッチュ(0184212BC)のDISK番号も追記しておくこととした。

【2017年教会暦順カンタータ・リスト(全)】
(DISK番号は、ガーディナーのカンタータ巡礼のボックスセットのもの)
・2017/1/1 新年
  BWV190(ガーディナー56、鈴木21)
  BWV41(ガーディナー2、鈴木33)
  BWV16(ガーディナー2、鈴木42)
  BWV171(ガーディナー2、鈴木49)
  BWV143(ガーディナー2、鈴木5)
  BWV248/4
  BWV134a
・2017/1/6 顕現節
  BWV65(ガーディナー3、鈴木21、ヴェルナー1)
  BWV123(ガーディナー3、鈴木32)
  BWV248/6
・2017/1/8 顕現節後第一日曜
  BWV154(ガーディナー4、鈴木17)
  BWV124(ガーディナー4、鈴木32)
  BWV32(ガーディナー4、鈴木42、ヴェルナー2)
・2017/1/15 顕現節後第二日曜
  BWV155(ガーディナー5、鈴木5)
  BWV3(ガーディナー5、鈴木29)
  BWV13(ガーディナー5、鈴木42)
・2017/1/22 顕現節後第三日曜
  BWV73(ガーディナー6、鈴木17)
  BWV111(ガーディナー6、鈴木32)
  BWV72(ガーディナー6、鈴木42)
  BWV156(ガーディナー6、鈴木49)
・2017/1/29 顕現節後第四日曜
  BWV81(ガーディナー7、鈴木21)
  BWV14(ガーディナー7、鈴木54)
・2017/2/2 マリアの浄めの祝日
  BWV83(ガーディナー8、鈴木21)
  BWV125(ガーディナー8、鈴木32)
  BWV82(ガーディナー8、鈴木38・41、ヴェルナー3)
  BWV200(ガーディナー8、鈴木37、ヴェルナー19)
・2017/2/12 復活節前第九日曜(七旬節)
  BWV144(ガーディナー9、鈴木17)
  BWV92(ガーディナー9、鈴木33、ヴェルナー3)
  BWV84(ガーディナー9、鈴木41)
・2017/2/19 復活節前第八日曜(六旬節)
  BWV18(ガーディナー10、鈴木5)
  BWV181(ガーディナー10、鈴木17)
  BWV126(ガーディナー10、鈴木34)
・2017/2/26 復活節前第七日曜(五旬節)
  BWV22(ガーディナー11、鈴木8)
  BWV23(ガーディナー11、鈴木8、ヴェルナー3)
  BWV127(ガーディナー11、鈴木34)
  BWV159(ガーディナー11、鈴木49)
・2017/3/19 四旬節第三日曜
  BWV54(ガーディナー12、鈴木3)
・2017/3/25 受胎告知の祝日
  BWV1(ガーディナー12、鈴木34、ヴェルナー4、ロッチュ2)
・2017/4/9 棕櫚の日曜日
  BWV182(ガーディナー12、鈴木3、ヴェルナー4)
・2017/4/16 復活節第一日
  BWV4(ガーディナー13、鈴木1、ヴェルナー5、ロッチュ3)
  BWV31(ガーディナー13、鈴木6、ヴェルナー6、ロッチュ7)
  BWV160(ヴェルナー12)
  BWV249(ヴェルナー5)
・2017/4/17  復活節第二日
  BWV66(ガーディナー13、鈴木18、ロッチュ7)
  BWV6(ガーディナー14、鈴木36、ヴェルナー6)
・2017/4/18  復活節第三日
  BWV134(ガーディナー14、鈴木18、ロッチュ3)
  BWV145(ガーディナー14、鈴木50)
  BWV158(ガーディナー15、鈴木41)
・2017/4/23 復活節後第一日曜
  BWV67(ガーディナー15、鈴木18、ヴェルナー7)
  BWV42(ガーディナー15、鈴木36)
・2017/4/30 復活節後第二日曜
  BWV104(ガーディナー16、鈴木19、ヴェルナー6・20)
  BWV85(ガーディナー16、鈴木39、ヴェルナー7・20)
  BWV112(ガーディナー16、鈴木52)
・2017/5/7 復活節後第三日曜
  BWV12(ガーディナー17、鈴木3)
  BWV103(ガーディナー17、鈴木36、ヴェルナー7)
  BWV146(ガーディナー17、鈴木44)
・2017/5/14 復活節後第四日曜
  BWV166(ガーディナー18、鈴木19)
  BWV108(ガーディナー18、鈴木36)
・2017/5/21 復活節後第五日曜
  BWV86(ガーディナー19、鈴木19)
  BWV87(ガーディナー19、鈴木35、ヴェルナー7)
・2017/5/25 昇天節
  BWV43(ガーディナー20、鈴木44、ヴェルナー8)
  BWV37(ガーディナー20、鈴木19)
  BWV128(ガーディナー20、鈴木35)
  BWV11(ガーディナー20、ヴェルナー8)
・2017/5/28 昇天節後日曜(復活節後第六日曜)
  BWV44(ガーディナー21、鈴木20)
  BWV183(ガーディナー21。ガーディナー15の2000年4月末ドイツにて録音のものとは別の、2000年6月4日のイギリスでの録音。短期間に2度の録音を行ったことになる〉、鈴木39)
・2017/6/4 聖霊降誕節第一日
  BWV172(ガーディナー22、鈴木7、ヴェルナー4、ロッチュ2)
  BWV59(ガーディナー22、鈴木20)
  BWV74(ガーディナー22、鈴木35)
  BWV34(ガーディナー22、鈴木48、ヴェルナー8)
・2017/6/5 聖霊降誕節第二日
  BWV173(ガーディナー23、鈴木20、ロッチュ5)
  BWV68(ガーディナー23、鈴木39、ヴェルナー9、ロッチュ2)
  BWV174(ガーディナー23、鈴木50)
・2017/6/6 聖霊降誕節第三日
  BWV184(ガーディナー24、鈴木20)
  BWV175(ガーディナー24、鈴木39)
・2017/6/11 三位一体節
  BWV194(ガーディナー25、鈴木16)
  BWV176(ガーディナー25、鈴木35)
  BWV165(ガーディナー25、鈴木4)
  BWV129(ガーディナー25、鈴木45)
・2017/6/18 三位一体節後第一日曜
  BWV75(ガーディナー27、鈴木8)
  BWV39(ガーディナー27、鈴木45、ヴェルナー9)
  BWV20(ガーディナー27、鈴木22)
・2017/6/24 洗礼者ヨハネの祝日
  BWV167(ガーディナー26、鈴木9)
  BWV7(ガーディナー26、鈴木22、ヴェルナー9)
  BWV30(ガーディナー26、鈴木55、ヴェルナー10)
・2017/6/25 三位一体節後第二日曜
  BWV2(ガーディナー28、鈴木29)
  BWV76(ガーディナー28、鈴木9、ヴェルナー10)
・2017/7/2 マリアのエリザベト訪問の祝日
  BWV10(ガーディナー28、鈴木23、ヴェルナー11、ロッチュ1)
  BWV147(ガーディナー53、鈴木12、ヴェルナー12)
BWV189
・2017/7/2 三位一体節後第三日曜
  BWV21(ガーディナー29、鈴木6・12、ヴェルナー11、ロッチュ4)
  BWV135(ガーディナー29、鈴木29)
・2017/7/9 三位一体節後第四日曜
  BWV24(ガーディナー30、鈴木9)
  BWV185(ガーディナー30、鈴木4)
  BWV177(ガーディナー30、鈴木53)
・2017/7/16 三位一体節後第五日曜
  BWV93(ガーディナー31、鈴木23)
  BWV88(ガーディナー31、鈴木44)
・2017/7/23 三位一体節後第六日曜
  BWV9(ガーディナー32、鈴木53)
  BWV170(ガーディナー32、鈴木37)
・2017/7/30 三位一体節後第七日曜
  BWV186(ガーディナー33、鈴木10)
  BWV107(ガーディナー33、鈴木23)
  BWV187(ガーディナー33、鈴木45)
・2017/8/6 三位一体節後第八日曜
  BWV178(ガーディナー34、鈴木23)
  BWV136(ガーディナー34、鈴木11)
  BWV45(ガーディナー34、鈴木46)
・2017/8/13 三位一体節後第九日曜
  BWV94(ガーディナー35、鈴木22)
  BWV168(ガーディナー35、鈴木40)
  BWV105(ガーディナー35、鈴木10、ヴェルナー12)
・2017/8/20 三位一体節後第十日曜
  BWV46(ガーディナー36、鈴木11)
  BWV101(ガーディナー36、鈴木31)
  BWV102(ガーディナー36、鈴木46、ヴェルナー13)
・2017/8/27 三位一体節後第十一日曜
  BWV199(ガーディナー37、鈴木4)
  BWV179(ガーディナー37、鈴木10)
  BWV113(ガーディナー37、鈴木24)
・2017/9/3 三位一体節後第十二日曜
  BWV69a(ガーディナー38、鈴木13)
  BWV137(ガーディナー38、鈴木40、ヴェルナー13、ロッチュ4)
  BWV35(ガーディナー38、鈴木37)
・2017/9/10 三位一体節後第十三日曜
  BWV77(ガーディナー39、鈴木13)
  BWV33(ガーディナー39、鈴木24)
  BWV164(ガーディナー39、鈴木40)
・2017/9/17 三位一体節後第十四日曜
  BWV25(ガーディナー40、鈴木13)
  BWV78(ガーディナー40、鈴木25、ヴェルナー13)
  BWV17(ガーディナー40、鈴木46)
・2017/9/24 三位一体節後第十五日曜
  BWV138(ガーディナー41、鈴木11)
  BWV99(ガーディナー41、鈴木25)
  BWV51(ガーディナー41、鈴木30、ヴェルナー14・19)
  BWV100(ガーディナー41、鈴木54)
・2017/9/29 大天使ミカエルの祝日
  BWV50(ガーディナー42、鈴木13、ヴェルナー14、ロッチュ10)
  BWV130(ガーディナー42、鈴木33、ヴェルナー14)
  BWV19(ガーディナー42、鈴木46、ヴェルナー15)
  BWV149(ガーディナー42、鈴木50、ヴェルナー15)
・2017/10/1 三位一体節後第十六日曜
  BWV161(ガーディナー43、鈴木5)
  BWV95(ガーディナー43、鈴木11)
  BWV8(ガーディナー43、鈴木24、ヴェルナー14)
  BWV27(ガーディナー43、鈴木47)
・2017/10/8 三位一体節後第十七日曜
  BWV148(ガーディナー44、鈴木14)
  BWV114(ガーディナー44、鈴木25)
  BWV47(ガーディナー44、鈴木47)
・2017/10/15 三位一体節後第十八日曜
  BWV96(ガーディナー45、鈴木26)
  BWV169(ガーディナー45、鈴木37)
・2017/10/22 三位一体節後第十九日曜
  BWV48(ガーディナー46、鈴木14)
  BWV5(ガーディナー46、鈴木27)
  BWV56(ガーディナー46、鈴木41、ヴェルナー16)
・2017/10/29 三位一体節後第二十日曜
  BWV162(ガーディナー48、鈴木3)
  BWV180(ガーディナー48、鈴木26、ヴェルナー15)
  BWV49(ガーディナー48、鈴木50)
・2017/10/31 宗教改革記念日
  BWV80(ガーディナー47、鈴木27、ヴェルナー18、ロッチュ10)
  BWV79(ガーディナー47、鈴木40、ヴェルナー17、ロッチュ10)
・2017/11/5 三位一体節後第二十一日曜
  BWV109(ガーディナー49、鈴木14)
  BWV38(ガーディナー49、鈴木29)
  BWV98(ガーディナー49、鈴木48、ヴェルナー16)
  BWV188(ガーディナー49、鈴木49)
・2017/11/12 三位一体節後第二十二日曜
  BWV89(ガーディナー50、鈴木14)
  BWV115(ガーディナー50、鈴木27)
  BWV55(ガーディナー50、鈴木38)
・2017/11/19 三位一体節後第二十三日曜
  BWV163(ガーディナー51、鈴木4)
  BWV139(ガーディナー51、鈴木28)
  BWV52(ガーディナー51、鈴木38)
・2017/11/26 三位一体節後第二十四日曜
  BWV60(ガーディナー50、鈴木15)
  BWV26(ガーディナー7、鈴木28、ヴェルナー16、ロッチュ5)
・2017/12/3 待降節第一日曜
  BWV61(ガーディナー52、鈴木7、ヴェルナー1、ロッチュ8)
  BWV62(ガーディナー52、鈴木28)
  BWV36(ガーディナー52、鈴木47、ロッチュ8)
・2017/12/24 待降節第四日曜
  BWV132(ガーディナー53、鈴木7)
・2017/12/25 降誕節第一日
  BWV63(ガーディナー1、鈴木7)
  BWV191(ガーディナー1、鈴木55)
  BWV91(ガーディナー54、鈴木31)
  BWV110(ガーディナー54、鈴木43、ヴェルナー2、ロッチュ9)
BWV197a(鈴木54)
・2017/12/26 降誕節第二日
  BWV40(ガーディナー54、鈴木15、ヴェルナー1、ロッチュ9)
  BWV121(ガーディナー54、鈴木31)
  BWV57(ガーディナー55、鈴木43、ヴェルナー2)
・2017/12/27 降誕節第三日
  BWV64(ガーディナー55、鈴木13)
  BWV133(ガーディナー55、鈴木31)
  BWV151(ガーディナー55、鈴木43)
・2017/12/31  降誕節後第一日曜
  BWV152(ガーディナー56、鈴木5)
  BWV122(ガーディナー56、鈴木26)
  BWV28(ガーディナー56、鈴木39、ヴェルナー1)
2017年には該当日がないもの
 新年後第一日曜(降誕節後第二日曜)
  BWV153(ガーディナー3、鈴木17)
  BWV58(ガーディナー3、鈴木38)
  BWV248/5
 三位一体節後第二十五日曜
  BWV90(ガーディナー46、鈴木15、ヴェルナー16)
  BWV116(ガーディナー45、鈴木28)
 三位一体節後第二十六日曜
  BWV70(ガーディナー53、鈴木15、ヴェルナー17)
 三位一体節後第二十七日曜
  BWV140(ガーディナー51、鈴木52、ヴェルナー17・20、ロッチュ8)
・その他の用途及び用途未詳のもの
 悔い改めの礼拝用
  BWV131(ガーディナー31、鈴木2、ヴェルナー18)
 市参事会交代式用
  BWV 29(鈴木52、ロッチュ6)
  BWV 69(鈴木55)
  BWV 71(鈴木2、ロッチュ9)
  BWV 119(鈴木16、ヴェルナー19、ロッチュ6)
  BWV 120(鈴木48)
  BWV 193
 結婚式用
  BWV120a(鈴木51)
  BWV195(鈴木51)
  BWV196(鈴木1)
  BWV197(鈴木54)
 葬儀・追悼用
  BWV106(鈴木2、ヴェルナー19、ロッチュ7)
  BWV118
  BWV157(鈴木51)
  BWV198(ロッチュ11)
 用途未詳
  BWV97(ガーディナー19、鈴木53)
  BWV117(ガーディナー18、鈴木48)
  BWV150(ガーディナー15・ガーディナー21〈別テイク〉、ヴェルナー18、鈴木1)
  BWV192(ガーディナー47、鈴木51、ロッチュ10)
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2017年01月02日

年越しの夢─夢の記憶40

あけましておめでとうございます。備忘としてこのブログを書き始めたのは東日本大震災の直後だったから、まもなく丸六年を迎える。ふつふつとした思いの吐露が含まれていた当初に比べると、至って趣味的で個人的な内容になってしまって久しく、内心忸怩たるものがあるけれど、これからも気負わず自然にその時々の思いを綴っていければと思う。あの頃こんなことを考えていたのかと、自分でも驚くことがしばしばあって、自分的には所期の目的は果たしている訣だが、こんなものでもお読みくださる方があり、ほんの僅かでも共感してくださる部分があるとすれば、こんなにありがたくうれしいことはない。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

          §           §           §

昨年の記事を読み返すと、昨年は年賀状を年末の30日の1日で全部書いたらしい。今年は30日に書き始め、全部書き終えたのは、元旦の夜。いったい昨年はどうやって1日で書いたのだろうと思うほど、今年は筆が進まなかった。
それと裏腹なのだろうが、今年は正月休みの経過がことの外にはやい。仕事納めが終わったと思ったら、あっという間に大晦日、そしてもう仕事始めも目前である。ゆっくり休む遑もない。正月休みってこんなに短かったのか! 
息子は今年は帰らないようだが、2人の娘が帰省し、賑やかに過ごしてはいる。娘に手伝ってもらって、いつもなら1匹ずつのイヌたちの散歩を1度に済ます。本人(犬)たちも並んでの散歩が珍しいからかウキウキで、ついたり離れたりを繰り返し、まるで二頭立ての馬車のような風情で突き進む(もう1匹も一緒に行ければ世話はないのだが、姉妹たちと仲良くできないこの子だけは無理で、あとからもう一度ひとりで連れて行くことになる)。
ただ、楽しいはずなのに、どういうわけか心から楽しめずにいる自分がいる。体調が悪いという訣でもない。これほど心が低調なのは随分と久し振りな気がする。あるいは左膝の具合が思わしくないのが影響しているのだろうか。12月初めにつまづいて左膝を打った。膝を曲げるのが辛く、180度にはたためないため正座ができない。また、捻りの力が加わると痛みが走る。イスに座って膝を90度曲げた状態で仕事をしていると、立ち上がったときに膝が立たなくなって、膝の突っ張りが利かずにガクンとなることがある。普通に歩く分には全く支障がなく、山登りにも2度でかけ、そのうちに何とかなるだろうとひと月過ごしてきているが、なかなか何とかならずにいる。そんな身体の不具合が影響をしているのだろうか。それならそれで安心なのだが……。

          §           §           §

年越しの晩に夢を見た。どこか遠いところから帰って来る途中だった。乗り物に乗っていて、8時間くらいかかるらしい。ぼくは3人並んだ座席の一つにひとりで座ってウトウトしている。普通に考えたら国際線の飛行機というところだろうが、座席は向かい合うボックスになっていて、ちょうど新幹線の3人掛けの方の座席の向きを変えてボックスにしたような具合になっている。左手に窓があり、乗り物はぼくの背の方向に動いていたようだ。
ぼくはほとんど眠っている状態だが、ふっと目が覚めて前を見ると、ぼくのものだと夢の中で認識しているリュックサックが、向かいの3人掛けの座席の向かって右端の席に置いてあり、半分口を開いた状態で財布が顔を出している。向かい側の席にお客はいない。6人のボックスにぼくと、そしてぼくのリュックサックだけという様子だ。そのリュックサックの置いてある席越しに、その向こうの前の席に子どもが座っているのが見えている。ああ、あんなことをしていて、寝ている間に持っていかれたらどうするんだろう、と思いつつ、ぼくは再び眠りに落ちてしまう。
目覚めるとまもなく着陸(終点?)という状況だった。心配していた荷物も無事で、さっきのままの状態でそこにある。さあ、と降りる準備をして荷物をまとめて出口に向かう。リュック以外にいくつか手荷物があったようだ。
やはり、駅というよりは空港だ。入国審査場への流れに乗っているらしい。すると、連絡バスに乗るためか、シャトルに乗るためか、一旦集合を掛けられ、ここに並んで待つようにとのことで、一列とか二列とかいう訣でなく、ワサッという感じで待っている。一度に行けるのは30人程度だという。
いつのまにか整理券のようなものを手に持っている。藁半紙のような紙の切れ端に注意事項と数字が書いてある。50番だったような気がする。それじゃあ、定員オーヴァーで乗れないかと心配していると、この紙も持っている人は、特別待遇(何か別の言葉で印刷してあったようだが思い出せない)だから大丈夫だという。一安心して、移動を始める。
ところが、気付くと持っているのはさっきの藁半紙の番号札だけ。リュックも手荷物もない。折角無事だったリュックサックをどこに置いてきたのだろう。いや、待てよ、そうか、これから荷物を受け取りに行くんだったっけと、無理矢理自信を納得させている自分がいる一方で、そんなはずはない、何かがおかしいと不条理を感じ始めてもいる。そこで記憶は途絶えている。
記憶のある場面だけ妙に鮮明で、その前後が曖昧。そこだけ浮き上がったような夢だ。

          §           §           §

続けて元旦の晩に見た夢。初夢は2日の晩の夢をいうから、まだこれは初夢ではないはず。
奥羽線の板谷峠をローカル列車で越えたのは、45年間程前のこと。以前少し書いたことがあるが、そのまま行けば山形まで行ける急行をわざわざ福島で降り、13時過ぎのローカル線に乗り換えて、母の実家を訪れた。目的は板谷峠に、福島寄りから赤岩、板谷、峠、大沢と4つ続くスイッチバックの駅である。中でも臨時停車で長時間駅に降り立ったことがある板谷と、引き込み線がスノーシェードからさらにトンネルになっている峠の駅は印象深い。今回の夢は、その峠駅である。
どうということはない、ロカール列車に乗って峠駅に着こうとしている、ただそれだけの夢である。かつてのローカル線の旅に付き合わせた従兄弟であろうか、それとも今のぼくの子どもたちであろうか、連れに向かって訣知り顔で話しているぼくがいる。
峠の駅はスイッチバックの引き込み線がトンネルになっている不思議な駅だよ、でも今は違うんだ。どう違うのか、夢の中のぼくはにそれがわかっているらしい。
まもなく峠駅。列車はスノーシェードの中をゆるゆると進み、ポイントを通過する音を響かせながらそのまま引き込み線のトンネルに入っていく。トンネルの入口の古びた味わい。きっとこのトンネルの開削はかなり古いのだろう。ヒンヤリとした空気を感じるとまもなく、列車はギーッといって止まる。
夢の中では特に意識することはなかったけれど、夢から覚めて考えると、駅に着く前にそのまま真っ直ぐこの向きでトンネルに入っていくということは、実際に乗ったことがある下り列車ではなく、米沢から福島に向かう上り列車だったことになる。
トンネル内で停止した列車は、ゆっくり進行方向を変えてバックし始める。現実の列車なら、このまま峠駅に滑り込んでいくはずである。しかし、夢の中のぼくは、列車が新しく出来た引き込み線に入っていくのだということを知っていて、それを連れの人たちに話している。
引き込む方向が反対になるなどということは、現実にはあり得ないことなのだが、夢の中ではそれが起きている。夢の中の峠駅は、もう一度折り返した先にあることを夢の中のぼくは知っている。つまり、もう一度これまで走ってきたのと同じ方向に進んで駅に着くことになる。今は登っているのか降っているのか訣がわからなくなってくる。記憶にある峠駅の印象を、想像力によって膨らませてしまっているのかも知れない。峠駅だと思い込んでいる根拠はなんだろう。それは引き込み線のトンネルだけなのだ。
どこまでが夢で見たことで、どこからが夢から覚めた後の解釈なのか、判然としない部分があるが、実際に駅のホームに入っていった記憶がないから、到着の前に目が覚めてしまったのだろう。それだけの夢なのだが、妙な懐かしさに溢れた旅の夢だった。

          §           §           §

こうして2日も立て続けに部分的とはいえ記憶に残る夢を見てしまうと、さて本番の初夢はどうなることやら。続けて3日ということもあるかも知れないが、今晩はまああまり期待はせずに虚心に寝むことにしよう。
平城宮跡の元日の夕陽.jpeg
〔平城宮跡の2017年元日の夕陽〕
posted by あきちゃん at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする