2017年03月30日

ヒバンダーラ再訪

同じ山頂を二度極めた経験は実はそれほど多くない。東京の山でも、遠足で通った高尾山とか、御岳山、大岳山、高水三山などポピュラーな山を除けば、御前山も三頭山も川苔山も鷹ノ巣山も六ツ石山も七ツ石山も実は一度しか登ったことがないし、あとほかに、二度登ったところといえば、八ヶ岳の赤岳、横岳、硫黄岳、天狗岳があるくらい。奈良の山では大台ヶ原の日出ヶ岳、大峰山系では稲村ヶ岳と和佐又山、それに少し地味なところで天和山くらいなものであろうか。
今回訪れたヒバンダーラも普通はなかなか一人では2回は登らない山だと思う。連れて行っていただけばこその再訪ではあったが、一も二もなく参加したのはやはり一度めの印象が強かったからである。機会があれば是非もう一度という思いが強かったのである。
釈迦ヶ岳を源流とする旭川が西に流れて十津川に合流する地点の南北に、向かい合うように聳える二つの山。北側がホウソ砂(北)、そして南側が今回再訪したヒバンダーラ(南)、別名、栂野山である。

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前回の記録では、「ヒバンダーラ」と表記したが、山頂の山名板には、「ビバンダーラ」と「ビバンラーダ」が共存している。アイヌ語に由来するともいうその名の由来はよくわからない。ヒとビ、どちらが本来なのかもはっきりしないが、ピとビ、つまりPの音とBの音ならば、日本語では明確に区別するが、他の言語では明瞭な区別がない場合があり、例えば韓国の釜山は、日本ではプサンと呼ぶのが通例だが、韓国ではBUSANとBで表記する。ペキンも中国ではBEIJINである。BとPの区別はどうでもよかった訣だ。ヒバンダーラとビバンダーラはHとBなので、これとは無関係かも知れないが、ピパンダーラとビバンダーラならもしかしたら混同が起き得るかも知れない、などと考えてしまう(似たような関係に、GとKがある。韓国の金浦空港は、日本ではKIMPOだが、韓国GIMPOである)。まあ、言語学の知識に乏しいので、もうこれ以上はいかんともしがたく、「ラーダ」は「ダーラ」の誤記だと思うが、「ヒ」と「ビ」は取り敢えず謎のままとしておくしかない。
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〔ヒバンダーラ山頂の山名板〕

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さて、前置きが長くなったが、ヒバンダーラは里山というには高く険しく、深山というには人懐こく、十津川の渓谷から一気に立ち上がる。食事や休憩を含めても5時間ほどの往復の行程だが、再訪してみて改めてその深い味わいに魅せられた。前回が2月半ば、今回は3月下旬ということで少し時期がずれるが、いずれも冬枯れの季節で、そうであればこそという面もあろう。
というのもこの山の魅力の一つが、大峰奥駈道、なかんずく釈迦ヶ岳の展望にあるからである。もう一つの魅力である優しい自然林が活気を呈している季節には、それ自体が釈迦ヶ岳の展望を妨げてしまうであろうことは想像に難くない。落葉の季節ならばこその展望なのである。前回、帰路に遠望して魅せられた釈迦ヶ岳に、ちょうど半年後の昨年8月に登る機会を与えられ、そのちょうどまた半年後の今回、再びその眺望の地を訪れたというのは、偶然とは思えないものを感じてしまう。

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昨年よりは春に近いというのに、昨年にも増して白く輝く釈迦ヶ岳の神々しい姿を遠望した写真を昨年撮った写真と比べてみて驚いた。明らかに同じ木が写っているではないか! 全く同じ場所での撮影だったのである。偶然にしては余りにでき過ぎている。
木の間に釈迦ヶ岳を望む.JPG
〔木の間に釈迦ヶ岳を望む〕(ちなみに、去年の写真は、こちら。記事は、こちら
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〔弥山・八経方面を望む〕
稜線に出てから西へ辿る優しい自然林も健在だった。山頂こそ展望には恵まれないが、この僅かではあるが、導標はおろかテープもない自然林の稜線歩きの愉しさは、何物にも代え難い。往きは振り返り振り返りしながら次第に北の方から順に顔を出してくる奥駈道を確認しながら、また帰りは正面の木の間に白い稜線が見え隠れするのを仰ぎながら歩く。眺望の利く場所は限られているけれど、白く輝く尾根道を少しでも眼で辿れる場所を見つけた時は、みんなでそれこそ飛び上がらんばかりに喜び合いながら、順番にシャッターを切る。ずっと景色に恵まれた稜線を歩くのがすばらしいのは勿論だけれども、こうして木の間越しの眺望を探しながら歩くのもまた楽しく、展望に優れた場所を見つけた時の驚きと喜びはまたひとしおのものがある。ビバンダーラから戻る稜線の自然林.JPG
〔ヒバンダーラから戻る稜線の自然林〕


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ヒバンダーラへの中谷集落からの道のさらにもう一つの魅力は、稜線に出る直前の直登にある。巻道もあるのだけれど、適当に切り残された切り株につかまりながら、ほとんど四つん這いになって登っていく感じの急傾斜の直登はなかなか他の山では味わえないものである。幸いそれほど高度感は出ないし、ほとんどが土なので落石を心配をすることもなく、ひたすら高度を稼いでゆける。その箇所に至るまでの道も、基本は急な登りだが、適度にインターバルがあって、右手に時折ヒバンダーラの丸い頂を望みながら高度を稼いでゆくのがたいへん心地よい。
今回は春がもうすぐそこまで、という季節だったので、さらにうれしいおまけが付いた。麓の中谷集落は、既に盛期は過ぎたとはいえ白梅、紅梅の花盛りだったのに加え、春ならではの贈り物がそこここに芽を出していて、一瞬目を疑った。少しだけいただいて帰り、当日の晩の味噌汁に、ふきのとうのほろ苦い初春の香りを添えたのだった。
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〔ヒバンダーラを振り返る〕
ラベル: 奈良
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2017年03月26日

春の足音を聴く

昼過ぎに犬たちと交替で散歩に行った頃は、雨を呼ぶ風が結構吹いてはいたけれど、まだ薄日も射していた。しかし、3周目に入る頃には近づいてくる雨雲に急かされる感じの行程となり、今はもう弱い雨が降ったり止んだりしている。多分降り始めるだろうなと思い、夕方などといわず早々に出かけて来て正解だった。犬たちも満足して今は気持ちよさそうに疲れを癒やしている。
来週末にはもう4月を迎えるというのに、今年はお水取りが終わってからもいつまでもどこかしらいじいじとした寒さが続いている。朝晩は相変わらず冷えこみが厳しく、吹く風も冷たい。しかし、犬たちと散歩をしていて、スリットガラス越しのような太陽が望めている間は、ダウンを羽織っていると少し暑さを感じるくらいで、日射しは明らかにもう本格的な春の到来が間近であることを告げていた。

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〔ほころび始めたユキヤナギ〕
道端は、他にも春を実感させるものに溢れていた。先週末にも見ていたことだが、ユキヤナギがもう本格的な開花寸前といった趣である。二週間ほど前に、あの細い棒のような枝に、綿か何かのようなものが付着しているなと思ったら、それは一部開き始めた花だった。場所は異なるけれど、当時住んでいた町のユキヤナギが満開の坂道の様子を、学校に入ったばかりの長女が連絡帳に描いていた頃がなつかしく思い出される。花を付けた枝を道を塞ぐように伸ばすユキヤナギの間を、自転車に乗った長女がよたよたと駈け降りて来る……。先週はまだ、ほとんど変化がなかったのに、さっき見ると、綿が付着したような段階から遙かに開花が進み、枝が花で重く垂れ下がるようになるのも間近のようだった。
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〔満開の沈丁花〕
満開の沈丁花にも出会った。ぼくの育った家の玄関先には、通路の両側に沈丁花の株があって、毎年初春の玄関先を彩ってくれていた。そう、彩るというのは不正確かも知れない。濃いピンクのつぼみから、白い清楚な花を固まって咲かせる沈丁花の花は、花そのものよりも、その優しい香りで玄関先を包み込んでいるのだった。春を告げる沈丁花の花に、東京の春先の雪がかぶさる情景も何度か見たように思う。ぼくにとってはごくありふれたこの初春の花である沈丁花、最近はほとんどお目にかかることがなかった。それがたまたま散歩道の脇の公園に、たったひと株だけ花を付けているのに、においに導かれて出会ったのである。旧知の花に再会したような喜びで、東京で過ごした頃を思い出してしまった。
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〔ふくらみ始めたサクラのつぼみ〕
サクラのつぼみも、先週までの堅い木の色から、薄いピンク色を滲ませ始めていた。あと少しの日射と春の陽気に恵まれれば、ほころび始めるまでもうあと少しの辛抱といったところだろう。年々開花が早くなってきているので、今年は例年に比べると少し遅いくらいだけれど、文字通り入学式を祝う花が見られるかも知れない。

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〔今年も花を付けた水仙〕
家の庭にも確実に春が訪れていた。鉢植えの水仙である。今年で何年目になるだろうか。特に世話もしていないのに、毎年花を付けてくれている。以前、おいしそうだなぁと、花を眺めているわが家のイヌを紹介したことがある(「『菜穂子』断章2─いざ、生きめやも」)が、強いていえば、イヌから守ってやっているくらいが世話といえば世話であろうか。そう、あと、夏の間の休眠期間に一度だけ、庭を駈け回るイヌたちにひっくり返されたことがあった。土がぶちまけられて球根も何もあったものでない状態になってしまったが、何とか拾い集めて植え直した。そのかいあってか、別段支障なく花を付け続けてくれているのである(「春眠から覚めて思うこと」)。小さいが可憐というよりは濃い黄色のかなり自己主張の強い花なので、イヌたちもちょうど鼻先で気になると見える。ちょうど先週出張中に花が開き、イヌの実害から免れるべく、家内が庭から玄関先に鉢を移してくれていたので、今年も無事花を楽しむことができている。
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〔プリペットの足下で花を付けたクリスマス・ローズ〕
庭で毎年春を告げてくれる花に、クリスマス・ローズがある。初めは前の家にいた自分にひと株分けていただいて鉢植えしていたものを、ここに越してきてから株が太るに従って鉢から庭に下ろすうちに、種がこぼれるのだろうか、いつの間にか庭のあちこちに新しい株が芽生えて花を付けるようになった。これとは別に、新しい種類の株を分けてもらったのも順次庭に植えているので、庭のあちらこちらで、いろいろなクリスマス・ローズが春先に一斉に花を咲かせているのである。なぜ「クリスマス」なのに春告げの花なのかはよくわからないが、わが家の春を彩る大切な花になっている。幸い、イヌたちもクリスマス・ローズの花を食したりしようという気はいまのところないようだ。イヌたちが庭のあちこちに種を運ぶメッセンジャーとして一役を果たしているような気がしないでもないのだけれど……。

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外の地面には水溜まりができ始めている。天気は周期変化に入っているけれども、明日・明後日は寒気が入ってなかなか三寒四温というわけにはいかないようだ。再来週から気温は平年並みに戻るという予報なので、もうあと僅かの辛抱というところだ。本格的な春の到来が待ち遠しいところだが、春が足踏みしている分、逆にその訪れをじっくりと味わうのもまたよいものだ。開花後の気温が低めだと花のもちがいいともいう。
せめて気持ちだけでも、近づいてくる春の足音に心ゆくまで耳を傾けたいと思う。穏やかな年度末の一週間を迎えたいものである。
ラベル: 日常 季節
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2017年03月22日

旧古河庭園を訪ねる

東京には名園が多いけれど、多くは江戸の大名庭園に由来し、離宮や役所の敷地、あるいは政財界の著名人の屋敷として利用され、それがさらに公有地化されたた結果、今に伝来したものである。
六義園や小石川後楽園はその代表格だろう。その六義園のすぐそば、本郷通りを北へ下り、再び登り返すあたりにある旧古河庭園は、純粋に明治、大正期に造られた庭である。元は陸奥宗三が別邸として購入した土地だったが、次男が古河財閥の養子に入ったため、古川家の所有となり、今の名がある。古河財閥といっても、今では足尾鉱毒事件の当事者として以外には、あまり知られぬ存在だろう。
最寄駅でいうと、京浜東北線の上中里か、山手線の駒込で、田端で分かれ西と北西に腕を広げた両線のちょうど中間にあたる。近くの中里に。父の従兄弟(いとこ)住んでいて、たまに訪ねて行って再従兄弟(はとこ)たちと遊ぶ機会があると、古河庭園でも行って来たらとよく言われたものだった。だから、名まえは親しいものだったが、結局出かける機会はなく過ごしてまった。まあ、今にして思えば、子供が出かけてもさして面白いところではなかっただろう。

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そんな旧古河庭園に、最近思い立って行って来た。あまり期待せずに行ったのだが、これがうれしい誤算で、だいぶん復元的な整備をしているのかも知れないが、ゆっくり情緒に浸れる素晴らしい庭だった(そうした印象は、続けて訪ねた六義園との比較でさらに裏打ちされた部分があるかも知れない。もちろん六義園は六義園で深い感銘を受けたのだが、そのことはまた機会を改めることとする)。
まず目に飛び込んでくるのは、石の外壁を持つどっしりとした洋館の側面である。整備前は蔦の絡まるお化け屋敷的な様相だったらしいが、今では古河庭園のシンボルとして、落ち着いた風情を醸し出している。手前の芝生越しに眺める横顔が美しい。そして左手に正面に回れば、階段状に作られた洋風のバラ園を備えた姿が、なんと言おうか、瀟洒で明るく、チャーミングでさえある。バラには全くほど遠い季節ではあったが、枝だけのバラもそれはそれで趣がある。バラが満開になったなら、この庭はちょっと華やかすぎるかも知れない、とそんな心配さえしてしまう。
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〔バラ園から洋館を望む〕
この洋館は武蔵野台地に刻まれた台地の縁に立っていて、バラ園は谷に向かうその傾斜地にある。谷の一段低くなった敷地を利用して、洋館とは全く趣の違う和風の回遊式庭園が設けられている。小川治兵衛という人の作だそうである。谷に向かって突き出る展望台からは、右手に洋館からバラ園まで、左手に日本庭園が望まれ、それらが違和感なく一体となって見る者を包み込んでくれる。椅子の腰を下ろし、しばし至福の時を過ごしたのだった。
展望台から洋館を望む.JPG
〔展望台から洋館を望む〕

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けっして広い庭ではないのだが、かえって隅々まで歩き回るにはちょうどよい大きさである。一筆書きで歩こうと思ってうまくいかなくて、同じ所を何度も通過したとしても、距離は高が知れているのである。その中に渓谷や滝などさまざまな要素が詰め込まれていて、見飽きるということがない。ショートカットして洋館に戻って来ようと思えば、敷地南面に東を向いて開く裏門(染井門)から敷地の南、西を廻って洋館に至る馬車道を辿ればよい。
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〔心字池と雪見灯籠〕
庭のあちこちに灯籠が置かれ、それぞれに説明が附されている。途中で番号が付いていることが気になって、行きつ戻りつしながら番号順に辿ってみると、一つどうしても見つからないのがある。見落としているとしたら心残りなので、帰りに受付で聞いてみると、東日本大震災で一基倒壊したのがあったはずだとのこと。そういえば、灯籠の部品かも知れない石が置いてあるところあった。
豪快な崩石積み.JPG
〔豪快な崩石積み〕
敷地の南東隅に食い込むように大きなマンションが建っていた。庭園を望む抜群のロケーションではあるのだが、もしかしてここは元々は敷地の一部だったのではあるまいか。考えさせられることではあるが、これは何を言ってもいたしかたあるまい。
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〔名残の梅林〕

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帰路駒込駅へと辿る際、横丁を少し入って裏門の染井門を訪ねた。公園の奥に封鎖される形で、大きな門が佇んでいた。馬車の入れる入口である、方角からいってもこちらの方が都心に近いはずである。ということは、かつてはこちらの方がこの邸宅の正門だったのではないか、そんな気さえしてくる。やや登りになった庭園の馬車で歩むと、敷地の一番奥の台地上の洋館の車寄せに辿り着く。いきなり洋館の横顔が飛び込んでくるよりも、ロマンティックではないか。
染井門(馬車道への入口にあたる).JPG
〔染井門(馬車道への入口にあたる)〕
残念だったのは、洋館の内部は予約がないと観覧できなかったことである。しかも時間と人数を限ったものであるとのこと。いつか是非機会を見て訪ねてみたいものである。建物から見ると庭の印象はまた大きく変わるかも知れないし、ことに2階から望んだらどんな風に見えるか、さらなる庭の真価が隠されているようにも思うのである。
心字池から洋館を望む.JPG
〔心字池から洋館を望む〕
ラベル:東京
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2017年03月21日

いろんな列車に出会う

鉄道にはそこそこ思い入れはある。列車に乗ってさえいればいくらでも時間を過ごせる。見るのも乗るのも好き。窓から景色を見ながらボーッと過ごす極上の時間。通勤の電車は読書タイムか居眠りかの二者択一になってしまうことが多いけれど、本当は景色を見ていたい。何も考えずにただひたすら景色を楽しむ時間を忘れてから、もう随分と時が経ってしまった。
鉄道ではあっても、新幹線の景色は楽しめない。勿論、景色がよくない訣ではない。やはり速度が速すぎるのである。動体視力が良かった子供の頃はまだよかった。通過駅の駅名が全く読めなくなったらもうお終いだ。それで新幹線に乗るときは窓側の席を取り、PC持参で仕事に励むというのが常になってしまった。さらにどうせ景色を見られないなら眠る時間に充てた方が効率的という訣で、どこでも眠れるのをよいことに、夜行バスを愛用するようにもなってしまった。
そうはいっても、元々鉄道は好きだから、日々の通勤に電車に乗れるのはありがたい。いつもと少しだけ時間がずれたりすると、思わぬものに出会えたりする。この間も、西大寺駅で、「しまかぜ」に会った。回送だったようで、暫くホームに止まり、車庫に向かって走り出していった。
しまかぜに出会う(近鉄大和西大寺駅にて).JPG
〔「しまかぜ」に出会う(近鉄大和西大寺駅にて)〕
やって来たときは、おぅ、しまかぜ!と思ったものの、別段のアクションは起こさなかった。しかし、発車間際になって、またいつ会えるかもわからないという思いが強くなって、iPhoneのカメラを立ち上げてパシャッと1枚収めたのだった。一期一会、つぎまたいつ会えるかもわからない。あとで後悔することだけはしたくない。
ケータイを持つようになる前は、こんなことはまず無理だった。どんな偶然に恵まれようと、デジカメ持参という偶然が重なることはまずなかったからで、その点ケータイのカメラはありがたい。ただ、場合によっては立ち上げるのに時間を要したりするし、それに何と言っても相手はそれなりの速度のあるものだから、オートシャッターの悲しさで、ピントがうまく決まらず、シャッターが下りないことがある。このしまかぜの場合は何とか視界から抜けていく前にシャッターが下りてくれたものの、何だかちょっと間の抜けた写真になってしまった。もっともそこは偶然の産物で、反対側に新型特急が止まっていて、しまかぜのいなくなったあとを埋めてくれていた。
日々の通勤にしてからがこうであるから、出張などで列車で初めての所へ出かけたりする機会があったりしようものなら、もうそれだけで気持ちが昂揚するのである。別にカメラに収めたからといってどうという写真が撮れるわけではない。被写体としてはありふれたものでしかない。それなのに鉄道というのは本当に不思議な被写体である。童心に返るといえばそうなのかもしれない。
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〔たぬき列車(信楽高原鉄道貴生川駅にて〕)
半世紀も前、プラレールで遊んだ日のことがなつかしい。そうだった、プラレールだけではなかった。ノートに鉛筆で蜿蜒と架空の路線の線路を描く。ターミナル駅から二つの方向に伸びる路線。トンネルあり、鉄橋あり、また駅にはたくさんのポイントがあって線路は複雑な構造となる。それを何度もめくっては、その都度異なる線路を走ったつもりになって、悦に入っていたものだった。
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〔多摩川線で復活したレトロなツートンカラーの電車〔東急多摩川線蒲田駅にて〕)
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2017年03月12日

音楽を聴くこと─マーラーの9番を耳にして─

付けっぱなしのテレビから、突然聞き覚えのある懐かしいメロディーが流れてきた。それはマーラーの9番の最終楽章で、画面にはトブラッハの駅舎が映し出されている。今はイタリアに属する南チロルの田舎町で、「ドッビアーコ」とイタリア語で表記されてらしい。映像は、アルプスの麓の伸びやかな風景、そしてマーラーの作曲小屋へと続く。
9番の最終楽章は、諦観の色濃い音楽で、最後は、死するが如く、という演奏註記が付けられ、静かに幕を閉じる。見るともなく見、聴くともなく聴いていたその放送に、ぼくは釘付けになってしまった。戦慄をさえ覚えたのだった。

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マーラーの9番。もう何年聴いていなかっただろう。初めはブルーノ・ヴァルター晩年のステレオ版で聴き、その後、同じヴァルターがヴィーン・フィルを振った1938年の歴史的なライヴ版を愛聴した。バーンスタインが来日して振った生演奏を経験することができたのも、逆説的ではあるけれど、今となっては幸福な思い出である。
マーラーのシンフォニーは、どれもそうしょっちゅう聴ける曲ではない。ことに9番はその中でも特別の曲といってよいだろう。ベートーヴェンやシューベルト、それにブルックナーも9番が最後のシンフォニーになったため、実際には独唱付きのシンフォニーであるのに、あえてシンフォニーの名を与えなかったという「大地の歌」に次ぐ曲である。それにもかかわらず、続く10番が未完に終わり、結果的にマーラー最後のシンフォニーになってしまったという曰くが付く。
とかく分裂的で感情過多のマーラーのシンフォニーも、7番の最終楽章の狂喜乱舞を最後に、8番の千人の交響曲と、大地の歌のアルトの歌う楽章、ことに最終楽章の沈潜を経て、9番はある意味突き抜けた、単純化された(ように見える)表現に到達する。神々しいとさえいえる音楽だと思う。まずは最初のアダージョで心情が吐露され、中間部のレントラーとロンド・ブルレスケでそれまでの動的な面が回顧・集約され、そのあと再び奏されるのが最後の死するが如くのアダージョである。
若い頃には第4楽章を聴いても、それほどのシンパシーは抱かなかった。ところがどうだろう。テレビから聞こえてきたメロディーの、何と懐かしさに溢れていることか! 若杉弘さんが指揮する大地の歌を聴き、惜別の第6楽章が、けっして人生への別れを歌った諦めの音楽ではなく、良きにつけ悪しきにつけ、人生を肯定する音楽であることを確信したことがあった(この時のことは、簡単に書いたことがある)が、この9番の最終楽章も、むしろ過ぎ去ろうとする人生への飽くなき憧れを歌っていることを、この何気なく流れ出たメロディーに感じたのだった。
第3交響曲の最終楽章をぼくは殊の外愛するが、あの憧れに満ちたいつまでも浸っていたいと思わせる一筆書きのような音楽から、さらに贅肉をそぎ落とし尽くしたギリギリの表現を、流れてきた9番の最終楽章に感じたである。マーラーの音楽がこんな曲だったとは! まさに一撃を食らう思いがした。誰の演奏だかもわからないし、短くアレンジして編曲したもので、その演奏というよりも、9番という曲自体に共感したといった方が的確かも知れない。
若い頃は、バーンスタインの粘っこい表現が好きだったが、最近は年のせいか粘らず淡々と進んでいく演奏に魅かれることが多くなった。第3についていえば、ガリー・ベルティーニがN響を振るのを昔聴いたことがあった。比較的速いテンポで淡々と進むものすごく清潔で、ある意味淡泊でもある演奏という印象が残っている。バーンスタインを規範としてマーラーに親しんでいた当時のぼくにとって、そんなベルティーニの演奏は違和感を抱かずにはいられないものだった。特に、期待していた最終楽章は、粘らずに清潔に歌い上げていくものであったから、感動的な演奏ではあったが、曲にどっぷりと浸るということができずに終わってしまったのである。今にして思えば勿体ないことをしたものと思う。ぼくもまだまだ若かったとしか言いようがない。あの演奏を今もう一度聴いてみたいと真底思う。

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以前、「音楽とのめぐりあい」として少し書いたことがあるけれど、曲に対する固定観念が、若い頃どうしてあれほどきつかったのか。最初に聴いた演奏でその曲に対する標準的な見方が決まってしまい、それ以外の演奏を受け付けなくなってしまうというのは、何と融通の利かぬ狭い料簡だろう。第一印象が全て、という訣だった。
例えば、モーツァルトでは、40番と41番は最初に聴いたのがブルーノ・ヴァルターだったが、リンツとプラーハはカール・ベームだった。それで、ヴァルターのリンツとプラハにはなかなか馴染めなかった。それにヴァルター盤のプラーハには、第1楽章の序奏の最初の和音と次の和音の間に、あろうことか盤面の傷があって、聴く気をそがれてしまうというおまけまで付いた。
演奏の違いへの拒否感は、同じ指揮者の演奏でもそうだった。レコードと生演奏で異なるテンポ、解釈で演奏することがあるなど、思いも寄らなかったのである。それはヴォルフガング・サヴァリッシュのシューマンの4番の体験である。
N響の定期会員になってまもなくのこと、4月の定期の演目にシューマンの4番が上がっていて、それまで聴いたことのなかったこの曲を、サヴァリッシュがドレスデン国立管弦楽団を振った1番とカップリングされた、当時まだ発売されて間もなかったと思うレコードを買って聴き込み、定期演奏会に備えたのである。このレコードは今でも名演として名高く、全集をCDで入手でき(輸入盤でなんと当時のLPのレギュラー版1枚分にも満たない値で買える!)、ことに4番は名演だと思う。ルカ教会での録音の深々とした広がりをもった響きが印象的で、この曲を聴くと北八ヶ岳の苔に覆われた倒木を伝い歩く森がいつも脳裏に浮かぶ。
サヴァリッシュという指揮者は、あとからわかったことだが、理知的な風貌に反して、といっては失礼かも知れないけれど、実演になると実に素晴らしく燃える人である。指揮姿もけっしてスマートではなく、垢抜けない。両足をやや開き気味にドッシリと構えて指揮台に立ち、なりふり構わず、という感じの躍動的な指揮をする。演奏もレコードで聴くある意味整ったスマートな演奏とは似ても似つかぬ、ダイナミックな表現をとることがある。
思えばこの時のシューマンの4番の実演がまさにそれで、速いテンポで颯爽と駈け抜けるレコードで聴き慣れた表現とは違い、分厚くどこかゴツゴツとした重厚な演奏だったと記憶している。頭に刻み込んで臨んだレコードの演奏とはまるで異なるその実演の手触りに、ぼくは正直言って失望したのだった。考えてみれば当たり前のことではある。所詮レコードはレコードなのである。レコードと同じ演奏しかできない指揮者は逆に信用できない。その意味でこの時のサヴァリッシュのシューマンの4番は、きっとまさに一期一会の演奏だったのだろうが、それを受け止めるだけの素地がぼくにはなかったのである。

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そもそも同じ演奏を何度も繰り返し聴くというのが、音楽の本質とは懸け離れた営為なのかも知れない。一度限りのものと自覚して音に耳を傾け、演奏者とともに作り上げる意識が、音楽を聴く─体験する─ためには必要なのではないか。もちろん真に優れた演奏は、そうした聴き手の営為を自然に導いてくれるものなのだとは思うけれど、聴き手の側もそれを意識した、そうした演奏者との共同作業こそが、音楽を聴くことの本質なのではないかと感じるのである。
それにしても、何気なく耳に飛び込んできたマーラーの9番の演奏に戦慄を覚えたのは、得難い体験だった。聴こうと思ってCDに耳を傾けても、またコンサートに臨んでも、こうした経験は必ずしも得られるとは限らない。音楽を聴くということは、真実に不思議な営みである。

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3.11から丸6年が経過した。被災された方々や被災地の様子を見るにつけ、あの経験からこの国はいったい何を学んだのか、復興に向かう僅かの面だけを見せられて安堵しているに過ぎないのではないかという危惧を抱かずにはいられない。開けてしまったパンドラの箱の中味をそれまで知らずにきたものが、フタを開けた意味を考える機会を3.11によって与えられたにもかかわらず、それでもなおその意味を理解しようとしない、あるいはその理解を敢えて理解しなかったことにしようとする、目先の便益にのみ目を奪われた今の日本の姿には、背筋が寒くなる思いがする。
ブログを始めた頃にも書いたことだが、今の営為が将来を編み出すひと針ひと針になっていることを充分知った上で、信じて生きるのが、今の自分にできる最善のことだと思うしかない。日々の営為に負われるばかりで、6年の間にぼくの得たことはまことに乏しいけれど、振り返り振り返りしながらでも、前を見据えて生きていけたらと思っている。
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