2017年07月17日

奈良少年刑務所─美しい刑務所─を訪れる

奈良少年刑務所の公開に出かけてきた。奈良少年刑務所が優れた近代建築であることは、案内所などにも紹介されていたし、何よりも地元の施設であるので以前から知ってはいたが、現役の施設でもありなかなか見学の機会は与えられなかった。毎年矯正展が行われていてそうした機会に訪れることも不可能ではなかったが、縁がなく過ごしてきてしまった。
そうこうするうちに、最近俄に動きが慌ただしくなってきていた。今年の3月末で廃庁の発表があったのがちょうど去年の今頃のこと、リノベーションによる再生に向けた動きが始まっているが、今回の公開がそれに先立つ現状での最後の公開の機会と聞いた。
刑務所入口の前は何度も通ったことがある。美しい塔をもつ表門から、端正なと言ってもよい前庭越しに庁舎が望め、そこには刑務所からイメージされる暗さは全く感じられなかった。レンガ造りを基本とする建物は凜とした品格を滲ませていて、その建物が担うべき機能を果たすのに最善の施設を造ろうという建築家の意気込みが切々と伝わってくるのだった。
今回実際に施設内を見学させていただいて、外から見て抱いてきた思いが間違いでなかったこと、考えていた以上に素晴らしい建築であることを実感することができた。三ヶ月前までは刑務所として機能していたとはいえ、108年に及ぶその役割を負え、今はいわばもぬけの殻となっている訣だが、実際に機能していた折りの様子が、そこここに立ち上がってくるのである。
建物というのは、使っていて初めて生きる。保存したところで、側だけ残しただけでは、建物として死んだも同然だとぼくは思う。その点でいうと、今度見た刑務所は、受刑者を収容するという本来の用途は終えていたけれども、刑務所の建物として職員の方々が充分な手入れを行って今回の公開に備えられたということなのであろう。受刑者がいたときと恐らく寸分違わぬ状態で万全な管理をして守ってきていられるのだと思う。この気品は一朝一夕にして生まれるものではない。

          §           §           §

庁舎の建物(北東から).jpg
〔庁舎の建物(北東から)〕
東向きに開いた庁舎の正面から入りそのまま真っ直ぐ進むと、放射状に伸びる5棟ある舎房の結節点にある監視所に着く。ここから右(第一寮)、斜め45度右(第二寮)、正面(第三寮)、斜め45度左(第四寮)、左(第五寮)と5方向に2層の舎房が展開する。2階の廊下は真ん中が吹き抜けなっており、天井にも明かり取りの窓が開いているから、中は比較的明るい。日中はかなりの暑さだったが、舎房の中は案外気温は高くない。通路を挟んで両側に約30ずつ、それが1階と2階に展開しており、各寮に120ずつ程度の舎房があることになる。第四寮までは独房、第五寮のみが複数収容するようになっていた。定員は696名だが、多いときは800名ほどが収容されていたという。各室の扉板は分厚い元のままの木の板で、扉には監視用ののぞき窓と、食事の出し入れ用の小窓が設けられている。部屋は三畳程度の板敷きで、畳が敷かれていたという。洋式のお手洗いと洗面台が付く簡素な部屋だが、テレビなどを見られるようになっていたらしい。
監視所2階舎監の結節点.jpg
〔監視所2階舎監の結節点〕
第一寮1階(北から).jpg
〔第一寮1階(北から)〕
刑務所という特別の用途をもつ建物ではあるけれど、極めて機能的に作られている。建物の美しさはその反映といってよいだろう。江戸の監獄から明治の刑務所への、日本の近代化の証として作られた5つの刑務所のうち、ほぼ完全な形を留める唯一の施設として、重要文化財にも指定された。今回、本来の機能は失うものの、形を替えて保存されることになった訣である。それはそれで喜ばしいことと思うけれど、建物本来の機能を完全に失わないうちに、今回見学できたのは幸いなことであった。
第五寮の外観(西側).jpg
〔第五寮の外観(西側)〕
庁舎正面から始まった見学ルートは、最終的に刑務所内のほとんど全ての施設を廻って表門に戻ってくるようにうまく組み立てられていて、たっぷり1時間半を要した。庁舎脇には地元の植村牧場の協力で、飲み物やソフトクリームの販売も行われていて、暑さと知的興奮とで消耗した身体をゆっくり癒やすことができた。普段見慣れない方向からの奈良の景色も鮮やかで、夏の日の充実した午後をさらに印象づけるものとなった。特に、ソフトクリームを食べながら見た、西日を浴びて輝きを増す表門と若草山の風景は、ここが刑務所の敷地であることを忘れさせるほど新鮮だった。
奈良少年刑務所表門と若草山.jpg
〔奈良少年刑務所表門と若草山〕

          §           §           §

108年もの間現役として機能してきたこと自体が、機能性を重視した極めて優れた設計であったことの証といってよいだろう。ただ、建物のとしての美しさに賛嘆するだけで本当によいのかどうか、ここで交錯したさまざまな人生を思うと、極めて複雑な思いが飛来してくるのである。ここで行われた更正教育からは、寮美千子さんが編集した詩集のような、優れた成果も生まれてきていた。文化財として残すだけでなく、それがどのように機能していたか、そこで交錯した人間の営みを伝えていくのでなければ、ただ側だけ残したところで何ほどの意味もなくなってしまうだろう。建物を残す真の意味は、そこで繰り広げられた人間の営みを残すことにこそあるのではないかと思うのである。
建物内の一々については充分な知識もないので、ここで紹介できないのが残念だが、まだこの建物が本来の機能を有しているときに撮影された貴重な写真に基づく写真集が刊行されている(寮美千子編、上條道夫写真『写真集 美しい刑務所 明治の名煉瓦建築 奈良少年刑務所』西日本出版社、2016年11月刊)。この施設に関わったさまざまな立場の人々の文章も収める立体的な編集がなされた優れた本である。寮美千子さん編の受刑者の詩集『空が青いから白をえらんだのです─奈良少年刑務所詩集─』(新潮文庫)ともども、心が洗われる思いであり、この建物の素顔とそれが見つめてきた人間の営みを見つめるための貴重な証言として、かけがえのない書物だと思う。
タグ:奈良 建築
posted by あきちゃん at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

梅雨は明けたのだろうか?

もう梅雨は明けたのだろうか? この先の予報図にも前線は明瞭には描かれていない。今年は梅雨といえる季節があったのだろうかとさえ考えてしまう。集中豪雨は各地で頻発している。島根県南部で降り出したと思っていたら、少し間をおいて福岡・大分など起こった集中豪雨は想像を絶するものだった。あんな降り方をされたら、というような雨が実際に降るのである。しかし、雨雲の広がりが局所的で、降り方があまりに偏っている。
最近は雨雲の様子がリアルタイムで見られるようになった。どの地域でどのくらいの雨が降っているかが居ながらにしてわかるのである。南北幅はさほど広くないが東西に帯状に連なる幾筋かの積乱雲列が、僅かな南北の振幅を伴いながら、数時間同じようなところに居続ける。とはいっても雲は停滞しているのではない。雲列の中を雲の強い部分が波動となって西から東に動いていくのである。画面上でいえば、強雨を示す真っ赤な塊が次から次へと動いていくように見える。地上にいるなら、一つひとつはけっして大きくはない積乱雲の塊が、次から次へと通過していくという感じだろう。

          §           §           §

こんな雲列をどこかで見た記憶があると思ったら、ここまで強くはないけれど、冬の日本海側をびっしりと埋め尽くす、いわゆる筋状の雲だった。でも、雪雲の場合はもっと広範囲に広がるし、降らせ方はもっと穏やかだ。1時間に5㎝程度も降れば大雪だろう。5㎝と言えば降水量にすれば5㎜である。もしも集中豪雨のような1時間あたりの雨量が50㎜などというのが雪で降るならば(そんなことがあり得るのかどうかはわからないけれど)、とんでもないことになるだろう。
ただ、それにしても最近の集中豪雨は本当に集中的に降る。一昔前も似たような降り方をすることがあるにはあったが、今リアルタイムで観察できるような、狭い範囲だったのだろうか? イメージ的にはもう少し範囲が広いように思っていた。それとも単に雨雲レーダーで見られるようになったことによって実態がわかるようになっただけで、昔からこうだったのだろうか。

          §           §           §

リアルタイムで雲の様子がわかるようになったのはありがたいことだが、それを実際の防災に役立てることができなくては意味がないだろう。見てなるほどと納得しているだけではしかたがない。先週末ぼくの住んでいる辺りでも僅かの時間だが雷雨があって、雨雲が近づいてくるのは事前にキャッチできた。しかし、いよいよ降り出すとなった時、もう一度様子を見ようとしたら、電波の状態が悪くて、つながらなくなっていた。雷の影響なのか、集中的なアクセスのためかはわからないけれど、情報があってもアクセスできないのではいかんともしがたい。
それに、もしアクセスできたとしても、時間雨量100㎜などというのが降ってきたら、やれることは限られてしまうだろう。雨雲の帯から逃げられればよいが、それが難しいなら安全な建物に避難することくらいがせいぜいかも知れないが、実際にはなかなか難しかろう。それに大地は持って逃げるわけにはいかない。
集中豪雨が都会を襲わないという保証も全くない。幸い都市を集中豪雨が襲った例はあまり多くない。夏の大雷雨は東京などでもよく経験するところだが、梅雨末期の集中豪雨が都会を襲った例としては、長崎市街を襲った事例が今も記憶に新しい程度である。眼鏡橋が流されるなどの大きな被害が出たときのことである。都市を襲う水害で怖ろしいのは地下街だろう。地下街や地下鉄の排水が追いつかなくなることはあり得ないことではないだろう。

          §           §           §

数日前にもあちこちで集中的な雨が降った。犬山、米沢。随分広範囲だ。ただ、雨雲の様子は、福岡・大分の時とはかなり異なる。丸い雨雲が単発的に湧いている。これは前線による集中豪雨というよりは、時を選ばぬ点を除けばまさに夏の夕立だ。雨の強さは似ていても、遙かに短時間だ。やはり、前線に沿って降る雨とは区別しておくべきなのだろう。
もうこうなると、いよいよ梅雨明けの感が強まってくる。そういえば、もうセミも鳴き始めている。生き物はその点、梅雨明け宣言を信じている人間に比べると、正直というか、とても敏感だ。
梅雨のない北海道で猛暑日が続いているという。今年の夏はいったいどうなってしまうのだろうか?
タグ:季節 日常 天気
posted by あきちゃん at 03:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年07月02日

初めて夏を感じた日と乗り物の夢─夢の記憶44─

昨日はまさに夏を感じさせる1日だった。湿気を含んではいるが風が結構吹いていて、洗濯物はよく乾く。北上した梅雨前線に向かって吹き上げる南風で、日本海側に集中豪雨を降らせる源である。列島上で南北への振幅を繰り返す前線が、もうあと2、3週間もして下りて来なくなれば、待望の梅雨明けとなるのが例年のパターン。7月初日の昨日は、真夏の日射しがのぞく青空に黒い雲が流れ、ようやくその前兆が垣間見られた1日だった。
今年も早くも折り返し点を過ぎてしまった。ぼくの場合、例年4月から6月までの第二四半期が何に付け一番じっくりと物事に取り組める時期なのだが、ここ数年急激にその余裕がなくなってきている。折り返してからの半年の速いこと速いこと! その加速は本当に怖ろしい。今年の後半は例年になくいろんな予定が詰まっているから、覚悟はして過ごしてきたつもりだったのに、どうにもならなかった……。

昨日したことといえば、先週刈り残した生垣の剪定の続きを片付けたことくらいか。今やらなければ、このまま夏を越してしまいそうで、そうなるととても見られた状態ではなくなるのが目に見えている。しかも表側である。意を決して午後の2時間ほどをこれに充てることにした。
交替で庭に出した犬たちも、刈り込み鋏を使うぼくの傍に寝そべって手伝っているつもりでいる。そのくせ裏の遊歩道を子どもやお散歩犬が通りかかると、一目散に駈けてゆく。そしてふと気が付くと、いつの間にか自分の位置に戻って何事もなかったかのようにぼくを見上げている。散歩には連れて行ってやれなかったけれど、結構楽しんでくれていたようだ。これで生垣は見られる状態にすることができたのだが、今年は芝生の養生をしてやる暇がない。雑草が目に見えて繁茂しかけている。なんとかしなければ……。

          §           §           §

昨晩は見事な半月が輝いていた。昨晩見た夢。
どこかわからないターミナル駅から電車に乗ろうとしている。ここから出る私鉄のようだ。何時にどこへと、行き先は決まっていたようだ。時間にまだ余裕があったらしく、駅ビルの5階にある本屋へ行って時間を潰そうと考えた。この本屋は以前は1階にあって、こういう時に重宝したのだったが、いつの間にか5階に移ってしまい不便極まりない。夢でなく実際にこういう経験をしているようにも思うけれど、それがどこなのか思い出せない。純粋に夢の中でのこととしても、以前にも同じような経験をした記憶もある。
通路の奥に、これから行こうとしている5階に上がるエレベーター方向への入口が見えていて、ぼくはそちらに向かって歩いている。すると、左手前方から電車がやって来て、ぼくの左側を通って行く。そこは線路敷きでも何でもなくて、今歩いている通路の続き。路面電車のような感じで、その電車はぼくと反対の方向に進んで行くのである。そして、ああ4両編成の短い電車だなと思ってやり過ごそうとしていると、電車は速度を落として止まってしまった。駅での電車のやりくりが錯綜しているのかも知れない。さっき路面電車のようだと書いたが、列車の来た方向を見ると─それはぼくが行こうとしていたエレベーター入口と同じ方向─、ずっと同じ平面なのではなく、途中までは塀で仕切られていて、塀のあるところまでは線路敷きが設けられている。要するに、塀が途切れたところからこちらが、路面電車になっている訣である(この景色、どこか現実の世界で見た記憶があるのだが……)。

電車が止まったのは、ちょうどその塀が途切れるところに最後尾が引っ掛かっている位置で、ぼくは今まさにそこの地点に差し掛かろうとしていた。電車と塀の間は50㎝程。何故かぼくはそこに入って行こうとした。通路を真っ直ぐにエレベータに向かうより、線路沿いに言った方が近いとでも考えたらしい。
すると、ちょうど最後尾の車両の数メートルが塀の端の部分に止まっている電車の車掌室のドアが突然開き─塀との間はドアが塀にあたりそうになるくらいしかない─、車掌さんが下りてくるではないか。どうもこちらに向かってくるようだ。それで、近道しようとしていたらしいぼくは、いろんな意味でややこしいことになりそうだと咄嗟に判断し、その狭い部分を通り抜けることを諦めざるを得なくなった。ぼくは舌打ちして電車から離れ、塀の反対側の広い通路をエレベータに向かうことにしたのである。

そうしてエレベーターまで辿り着くと(途中の経過は全く不明。場面転換といってもよいくらい)、そこには中学生くらいの制服の女の子が2人待っていた。よくわからないが取り込み中のようで、エレベーターを出たり入ったりしている。ぼくはエレベーターを左前に見る位置に立って、彼女たちの用事が済むのを待っている。
そのエレベーターというのが変なつくりで、石組みの低い囲いがあるだけだ。たとえは悪いけれども、ちょうど墓石が立っていないお墓のようだ。景色もまさにそれで、シースルーという訣でもあるまいが、エレベーターの向こうには草原や木々が広がっているのが見える。
女の子たちの用事が済んだようで、2人もエレベーターに乗ろうとし始めた。じゃあぼくもと思ったが、エレベーターの形状がおかしいからというよりは、むしろ女の子たち遠慮する気持ちから気後れしてしまい、乗らずにやり過ごしてしまった。
本屋へ行くのを諦めたのか、あるいは階段で上ったのか、その後のことは皆目わからない。エレベーターが上がっていったのかも正直言ってわからないが、記憶のある部分は妙にリアリティーのある夢だった。
posted by あきちゃん at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする