2017年10月29日

再び台風北上

先週の21号から一週間、再び日曜日をめざして台風が北上している。前回の21号ほどの勢力ではないけれども、台風は台風である。侮ってはいけない。今度の台風22号は、21号と比べると西寄りに沖縄本島、奄美大島を暴風圏に巻き込みながらゆっくり北上し、今後は東寄りに向きを変えて本州南岸すれすれに速度を上げて進む予報である。ちょっと北よりに進めば直撃もあり得る、雨風ともに注意が必要だ。
21号台風が通過した晩、東京にいた。翌日午後東京で用事があったので、夜半から未明に東日本への上陸が予想される台風の影響で朝新幹線が止まるのに備え、夜のうちに上京することにしたのである。結果的に、新幹線は朝から問題なく動いたが、久し振りに台風の夜を過ごすことになった。
そして一週間後の日曜日の明日、今度も台風がやってくる東京にいる。実はここひと月ほど上京の機会が相次ぎ、9月半ばからほぼ毎週で5回目になってしまった。そのうち3回が荒天、いずれも台風である。9月の台風18号の時は、途中で新幹線が止まり、あわや奈良まで辿り使えないかという事態にもなった。元々雨男であるが、ここまではよくよくのことである。まあしかし、明日はどうなるかまだわからないけれども、ここまで4回の上京を大過なく済ませてこられたはありがたいことである。
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〔増水する多摩川(20171023)〕

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〔雨に煙る三上山(新幹線の車窓から。171028)〕

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9月・10月の錯綜は尋常ではなかった。東京行きが続く中、9月末には遅い夏休みを取って台湾に出かけ(繰り言に過ぎないのはわかっているが、休暇を真の意味の休暇にするためには、その前後に大きなしわ寄せが発生する)、10月中旬には韓国出張も挟まり、ほぼ2ヵ月の間、山にも行かれなかった。よくぞまあここまで辿り着けたものとの思いが強い。
全てが終わった訣では勿論ない。ひと山越えただけに過ぎないのはわかっている。このまま定年を迎えるあと2年と少しの間、突っ走ることになりそうな気配だ。今回の上京は、先輩の還暦記念のパーティーだが、自分自身がいったいどんな還暦を迎えることになるのか、考えている余裕はとてもないだろうな、と思う。還暦の誕生日からひと月足らずで定年を迎える身であるから、退職してから還暦を迎えていたことに気付くのが関の山だろう。気が付いたら過ぎていたということになるのだろうな。
ともあれ、台風22号、雨は勿論のこと、予測コースの北寄りを海岸沿いに通過するなら、風の方も注意が必要だ。どうか平穏に通り過ぎてくれることを切に祈りたい。
ラベル:季節 日常 天気
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2017年10月20日

台風北上

先日、前線が日本列島にへばりついてはいるものの、台風がないからまだマシ、という趣旨のことを書いたばかりだが、その台風が発生してしまった。しかも、非常に危険な位置である。過去に多きな被害をもたらした台風によく似ている。1958年の狩野川台風(1958年の台風第22号)である。東京に日降水量400㎜になろうかという、未曾有の大雨をもたらした台風である。発生後少し西に動いたあと、急に鎌首をもたげるように向きを北に変え、真っ直ぐ日本列島をめざして北上した得意なコースの台風だった。
大型の台風は、偏西風の影響をあまり受けずに自力で北上する傾向が強いという。狩野川台風がまさにその典型だった。ただ、この台風の場合幸いだったのは、前線に食いついて北上したため雨はものすごかったが、前線によって風はかえって弱められ、東京などでは雨だけものすごい、風の被害はさほどでもなかったという。上陸時の気圧もそれほど低くなく、典型的な雨台風の様相を呈していた。狩野川台風の名は、犠牲者を多数出した狩野川の大洪水による。
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〔狩野川台風(5822)の経路(気象庁HPによる)〕

これに対し、その翌1959年の伊勢湾台風(1959年の台風15号)は、コースは普通に抛物線を描いており、台風のコースとしては標準的である。ただ、上陸時の勢力が930ヘクトパスカルと並外れて強かった。また発生位置と北上し始めた位置、それに上陸位置と、全てが悪い方に重なってしまった。ことに伊勢湾には危険半円の南風が吹き荒れ、気圧の低さも相俟って大規模な高潮が発生し、5000人に及ぶ犠牲者が出てしまった。
伊勢湾台風(5915)の経路(気象庁のHPによる).jpg
〔伊勢湾台風(5915)の経路(気象庁のHPによる)〕

今回の台風21号はこれらの台風に比べると、130°E付近を北上し始めているから、位置はかなり西に偏っている。狩野川台風は135°E付近を北上したから、それよりは5°西に偏っている。9月末だったから、この位置で関東直撃となったのである。もし今のこの10月下旬に入ろうとしている時点で135°Eを北上したならば、偏西風の影響がより強く表れるから、恐らく日本列島を直撃はせずに房総半島をかすめて東に抜けるだろう。ところが、あろうことか、そ分を見越したかのように、西に偏した位置を北上し始めているのである。一月遅い分が、このために帳消しになってしまいかねないのである。
北上を初めて気圧が下がり始め、今日は970ヘクトパスカルを示している。まだ14°Nであるから、これから加速度的に発達を続けるだろう。明日明後日でどこまで気圧を下げるかが、まずは今後のこの台風の影響を見据える上でのキーポイントだろう。30°Nラインを越える時点で970ヘクトパスカル程度まで中心気圧を上げているならばよいが、この時点950ヘクトパスカルを割っているようだと、正直いってやばい。万一そうなったら、あとは10月という晩秋に近い時期であることと、加速せずに北上することとに、台風を弱める効果を期待するしかなくなってしまうだろう。ここ一両日が勝負である。
(この文章は10月18日夜に書いた。20日0時の時点で、位置は17°30’N、130°00’E、965ヘクトパスカルで、相変わらずゆっくりと北上を続けている。まださほどでもないが……)

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よりにもよって今度の日曜は選挙である。日本の将来を決めてしめかねない大事な選挙である。それを台風なんぞに吹き飛ばされてはたまらない。今の首相は余程悪運が強いのかはたまた……。いずれにしても、何年かに一度の意思表示の機会を台風などに奪われてはたまらない。将来に禍根を残さないためにも、雨が降ろうが嵐が来ようが、選挙には行く覚悟である。
なんとしても9条は守らなければならない。曲がりなりにも先の敗戦から70年間、日本が戦争をしないで来られたのは、他にもさまざまな要素はあるけれど、なによりもまず9条あればこそである。先だってNHKのニュースで、9条をどうしたらよいと思うかと問われ、長い間変えていないから改憲すべきだと答える人のインタビューが映し出されていた。臆測するに、この人は他にもきっと何か理由を挙げていたと思う(思いたい)。それを、長い間変えていないから変えると、いう論理にすり替えて報道するNHKは、そもそもこの質問からして初めに改憲ありきの姿勢なのである。
子孫たちに人殺しをさせたるようなことがあってはならない。一個人の殺人が厳しく断罪される(死刑が妥当かどうかは別に議論が必要であるけれども、罪に問われることだけは当然過ぎる事実である)のに、どうして国をあげての殺人(戦争)を容認する方向に舵を切ろうとするのか。いろんな問題点はあるにせよ、とにもかくにも70年、日本は平和憲法のもと、表だった戦争はせずに過ごしてくることができたのである。9条にノーベル平和賞をという話題が出た(なぜか今年は聞こえてこなかったけれど……)が、素直に肯ける話である。
戦争の犠牲者があって初めて今の繁栄がある、これほどに犠牲者の心を踏みにじる言葉はない。今の繁栄を得るためには犠牲も仕方なかったのだ、という論理のすり替えが、容易に行えるからだ。犠牲になった方々が望んでいるのは、神として祭り上げられることではないはずである。犠牲者を二度と出さないように進んでいく、平和を維持する努力をするのでなければ、犠牲になった方々は永遠に報われないだろう。9条改憲は、戦争の犠牲者をないがしろにする行為と言わざるを得ないと思う。
台風の北上から思わぬ話に展開してしまった。台風にもそこのところはわかってもらいたいなぁ……。わかっていて北上してきていると思いたいが……。
ラベル:季節 日常 天気
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2017年10月15日

父に耳を見てもらった夢と季節の不順な進み行き─夢の記憶46─

先日惜別したはずのあの香りが、また漂いはじめている。しかもかなり強烈に。再度開花したのか、咲きそびれていたのが、もはや季節外れでしかない暑さに開花を思い出したのか。
キンモクセイといえば、10月の声を届ける花として心に焼きついていたのに、ここ数年、変に早かったり遅かったり、また今年のように繰り返し咲いてみたりと、どうも落ち着きがない。これもひとえに、季節の進み行きが安定していないからだろうか。植物の方も、どうしてよいかわからぬまま、天候に合わせて正直に営みを繰り返しているようだ。

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前日(話の筋からいって、金曜日だったはずである)体調が悪くて早めに帰宅した。残りは明日また、出勤してやればいいやと思った記憶がある。
翌朝目覚める。気分は悪くない。広い部屋の片隅に敷いた布団に寝ている。温泉の脱衣場のような、扉のない棚が並んでいるのが頭上に見える。
起き上がって着替えていると、どこにいたのか父が、大丈夫か、と声をかけてきた。ウン、もう、と返事していると、徐ろに父が、どれどれ、耳を見せてご覧と言いながら、ぼくの左耳に指を入れてきた。
父だけでなく、他の誰にもそんなことをされた経験はないから、一瞬ギョッとしたが、心配してくれている父の優しさが身にしみて、そのままじっとしていたら、じき父が、もう大丈夫そうだ、と言った。よくはわからないが、そんな健康の見立て方があったのかも知れない、と納得していた。

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階下に降りると、親戚が大勢集まっていて賑やかだ。食事の準備を始めているらしい。メニューをいろいろ聞かされたように思うが記憶がない。ただ、そのメニューに必要な肉や野菜をはじめとする材料を、近くまで買い出しに行く役割を仰せつかることになった。
自転車でスーパーに行こうと、家を出て左に向かう。景色からみて、27歳まで過ごした都心の家に違いない。だとすれば、そっちに行ってもあるのはガソリンスタンドだけ。店などない。どうも、夢は相変わらず辻褄が合わない。
ペダルをこぎながら、もう勤めに出ていなければらならない時間のはずなのに! こんなことしてる場合じゃないよ! と、焦っている。一方で、いや、待てよ、バカだなぁ、今日は土曜日じゃないか、という嘲笑が聞こえる。
曜日の感覚がおかしくなった経験を今週の週中にしたばかりだったことを思い出す。身体がうごかないのである。起き上がってはいるのに、土曜日のつもりで動こうとはしない自分の身体に、今日が平日であることを納得させて朝の支度を始めるのに、随分とまあ手間取ったことであった。こころとからだが別物であるというのは、こういうことなのだろうか?

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さて、無事食材を仕入れられたかどうかわからないが、家に戻り、従兄弟たちと談笑しながら、舌鼓を打っている。いろいろと美味しいもの食べた記憶があるが、具体的になにを食べたかはさっぱり思い出せない。父がその場にいたかどうかも定かではない。
記憶にあるのは、その時見ていたテレビのニュース。見るともなく見ていると、大学時代の先輩Kさんの名まえがテロップに出た。年齢は26と書いてある。そんなはずはない。もう一度確認しようと思う間もなく、テロップは消えてしまった。見間違えかな。そんなことはともかく、いったいどうしたんだろうと訝しがっていると、あろうことか襲撃されたという。勤め先の関係で狙われたのだろうか? でも、もう定年を迎えられていたはずたけれど‥ 怪我ですんだのかどうか、その辺の言及がなく、もどかしい。
画面では、黒塗りの車が左からやって来て、ドアが開く様子が映し出されている。中から、Kさんが降りてくる。記憶にある姿よりも、むしろ幾分若返っているように見える。ふさふさした髪が印象的だ。
アナウンサーが、Kさんの名を読み上げている。56歳と言っている。さっきのはやっぱり見間違えだったんだ、と思ったが、そんなはずもないのだ。56では今のぼくより若いではないか。ま、夢はいつでもそんなものだ。
すると今度は黒の三揃をビシっと身にまとった、恰幅がよく人品優れた男性が現われ、やにわに懐から銃を取り出すと、こちらに向かって一発打った。それでもあたりはしんと静まり返っている。
打たれたのは、ニュースが言っているようにKさんなのか、テレビを見ている自分なのか、何がどうなっているのか、さっぱりわからないまま、夢の記憶はそこから遠去かっていってしまった。
あと2ヶ月もすれば、父が亡くなって、もうまる8年になる。

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真夏日が去ったあと、今度はどんよりした毎日が続いている。秋雨というには遅く、むしろ晩秋に時折見かける気圧配置、サザンカ梅雨といわれるものに近い。
しかし、サザンカ梅雨ならば、関東に北東気流が流れ込んで2、3日ぐずつく程度のことが多いけれども、今回のは太平洋側全般で範囲が広い。しかも予報を見ると、一週間先まで傘マークばかりが並んでいて、いつ明けるとも知れない。
こういう時に台風が北上してくると、行く手を塞がれて二進も三進もいかなくなり、長雨が続いて雨量がまとまることが多い。今のところ台風はあるものの、北上の気配はないのが幸いだ。それほどに、一時的にせよ太平洋高気圧が強いということか。偏西風の蛇行が著しいのかも知れない。
周期変化で、ひと雨ごとに秋が深まって行く、ごく当たり前の季節の進み行きが普通だった頃が懐かしい。あの風情はもう望めないのだろうか?
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2017年10月10日

物語のナラティヴの問題─『燃えあがる緑の木』三部作から─

語り手が誰であるのかが物語にとっていかに重要な要素であるか、朧気ながらではあるけれどもそれを実感させてくれるのが、大江健三郎さんの小説の一つの大きな特徴といってよい。そういう物が本当にあるのかどうかは別として、一つの客観的な事実が、ナラティヴの違いによって全く異なるものに見えてくる。大江さんの厖大な作品の多くは、一つの対象をさまざまなナラティヴによって、さまざまな角度から光を当てていく、言ってみれば相当にしつこく一つの対象に向き合ったものといってよいかも知れない。
大江さんの小説には、大江さん自身を思わせる一人称の語りのものが多いけれども、それはあくまでナラティヴの一形態であって、けっして私小説という訣ではない。そうではあるけれども、大江さん個人の体験に強く裏打ちされているために、極めて現実性をもったフィクションになっている。その印象がとても強いものだから、のちに登場する長江古義人ものの三人称のナラティヴは、どこか飄々としたある意味諧謔味さえ感じさせるものとなっている。

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その中間に位置するのが、一人称でありながら大江さん自身とは一線を画した自我である、サッチャンの語りで進められる『燃えあがる緑の木』三部作である。少し前に、マーラーの3番が登場する小説として、その第二部を中心に紹介し、第三部を読み終えたらまたなにか書けるかも知れないと思っていたのだが、結局また第一部から読み返し始めている。
その折りにも書いたことだがサッチャンという語り手を登場させることで、物語の奥行きがグッと深くなっている。彼女は単なる語り手ではない。新しいギー兄さんとともにこの小説の主人公となっている。サッチャンなくしてこの小説のストーリーは成り立たないのである。
サッチャンの語り口は誰かに似ていると思っていたら、ディケンズの荒涼館のエスタだ!青木雄造・小池滋訳の筑摩文庫版で読んだ『荒涼館』がなつかしく思い出された。そういえば、『荒涼館』も作者ディケンズの地の文と、エスタの手記という二つの観点からの叙述が交錯しながら展開する物語であった。

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サッチャンは、大江さんの分身であるK伯父さんの勧めで、新しいギー兄さんの燃えあがる緑の木の教会の物語を書き始める。K伯父さんは、われわれの現実に生きる物語は、それを書き記しておかなければ、それを生きなかったと同じことになる。言い張りたいことを中心に書き続けることが大事で、それを生き直すことでサッチャン自身の自己治療にもなる、という。
物語は時を追って語られるけれども、時としてそれを書いている時点でのサッチャンが顔を出すことがある。さまざまな書き直しを経て、今の書き方を選んだのだという言明もある。これは何を意味するのか。時折、ふっとサッチャンの冷めた眼を感じる。教会の設立を決意した第一部末尾でのサッチャンの述懐に、「私は甘美なうわ言を言っていたのだった……」とあるのが重くのしかかる。
先のギー兄さんの物語である『懐かしい年への手紙』は、大江さんの分身である僕(Kちゃん)の語りでギー兄さんとの交流が語られていた。『燃えあがる緑の木』では、僕(Kちゃん)はK伯父さんとして登場人物の一人となり、替わりに『懐かしい年への手紙』にはいなかった(若者の一人としてギー兄さんを見ていた)サッチャンという人物を設定して新しいギー兄さんの物語を語らせている。イエスの物語を福音書として語るマルコやマタイと同じ役割を担わせるのである。

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面白いのは、そうした複雑な語り口の中で、大江さん自身の本音が、思わぬ形で語られることである。思わぬ形と書いたけれど、恐らく大江さん自身にとっては物語の展開とも合わせた周到な計画の上でのことで、驚くには当たらないのだと思う。大江さん自身の作品の引用とも相俟って、物語に不思議な広がりを与えてくれている。
例えば第一部では、ザッカリーの口を借りて、K伯父さんが東京へ出て帰って四国の森に帰ってこないで今も小説を書き続けている理由が語られる。オーバーの伝承への近づき方として、そこに語られるものを全て信じ込んで信仰するようにさえして伝承を丸ごと自分のうちに蘇らせるのが一つのあり方で、それが私(ザッカリー)にはできないが、Kさんにもそれができないからじゃあないか。ザッカリーの口を借りてはいるが、大江さん自身が小説を書く理由についての大切な言明である。
また、K伯父さんの知恵として、経験が大切、いや大切かどうかでさえなくて、経験するほかないことがある、経験したことに意味があることがある、それより他には意味のあることはないとすらいえるかも知れない、という考え方がアサさんの口から語られ、そしてさらにそれはヒカリさんと永年一緒に生きてくることで勝ち得た知恵だろうと、アサさんはいう。アサさんの口を通して、大江さん自身の感懐がふと漏らされるのである。
第二部では、総領事の口を借りたり、地の文でサッチャンの筆を借りたりして、K伯父さんの作品の批評という形で、大江さんの自己批評が登場する。そうかと思えば、総領事の用意したコピーによって、K伯父さんが大江さんの作品である『懐かしい年への手紙』の末尾を、自作として朗読する場面がある。かなりナルシスティックともいえる光景だが、屈折した心理の綾が見え隠れする。

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登場人物として秀逸なのはK伯父さんの妹、アサさんである。地元の校長夫人として人間関係を熟知し、一歩引いた眼で物事を観察する名手である。先程のK伯父さん評もそうだが、オーバーについても実に辛辣というか覚めたというか、的確な見立てをしている。オーバーのもとで魂のことを始めたギー兄さんが、オーバーに新しいギー兄さんとして認められ、鷹の奇跡に至る過程、それが全て火葬されたくないオーバーの仕組んだ最後の芝居であったという観察、アサさんにかかると、オーバーは劫を得た古狸ということにさえなってしまうのである。
ここでアサさんが本気でそう思っていたかどうかが問題なのではない。一面的な見方に固執することなく、正反対の見方を忘れないことの重要性を提示することによって、逆にK伯父さんがサッチャンにアドヴァイスしたような言い張ることの逆説的な意義─書かれた記録は、一面的な言い張りが含まれている可能性が高いことを常に頭に置いて読まなければならないこと─を教えてくれるのである。そして何よりも、そうした見方を変えれば物語の根本を打ち砕いてしまいかねない正反対の言明を敢えて加えることによって、物語は言い知れぬ深みと厚みを増している。

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物語の本筋については、複雑な筋書きを一朝一夕に分析できるものではないし、『懐かしい年への手紙』との連続性の検討や比較も行わなければならない。それに何よりも、主題は大江さんの小説を一貫して貫いているのである。さらに前後の多くの作品を通じてそれに取り組むだけの時間も能力も今のぼくにはない。
そこで、一番印象に残った言葉だけ挙げておくと、それは新しいギー兄さんの最初の説教の言葉、「一瞬よりはいくらか長く続く間」。生きたしるしとして刻まれているのは、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景。そうであるならば、できるだけ、その一瞬よりはいくらか長く続く間、に集中するように努めればよい! 死んだあとと同じように、生まれて来る前にも同じように自分のいない永遠の時があったはず。ならば、永遠に対抗できるのは瞬間でしかない。その永遠に限られた生を生きねばならないわれわれが対抗するには、一瞬よりはいくらか長く続く間に経験した光景を頼りにするしかない。タマシイが帰ってゆく森では、その一瞬よりはいくらか長く続く間を感じるのは容易て、それを永遠と比べることができるはず……。
山に登って心が休まるのは、あるいはこの一瞬よりはいくらか長く続く間を感じ取れるからではないかと、ふと思った。それは山には人のタマシイが帰ってゆく場所があるからではないか。特定のどこかでなくても、タマシイを休ませる共通の働きが、森にはあるのだろう。自然林の与える安らぎがそれなのかも知れない。植林帯では得られない何かを、自然林がもっていると感じるのはそのためだろうか。
物語では、そうした安らぎを森に与えらた経験があったことをサッチャンは懐かしく思い出す。そして、転換について語る順番が訪れたとサッチャンは悟り、静かにそれを語り出すのである。深々とした情趣を感じる印象的な語り口で、場面が転換する。
ラベル: 読書
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2017年10月02日

夏を送る「京の夏の旅」

残暑という残暑を感じぬまま、かといって秋という風情でもない日々を過ごすうち、いつのまにやらもう10月。今年ももう4分の3が過ぎて行ってしまった。夏でもなく秋でもないと感じる理由の一つには、夏掛けだけでは寝めないくらいに朝晩はかなり気温が下がって、出勤には上着を羽織ってちょうどよいのに、日中は打って変わって汗ばむ陽気で冷房がないといかんともしがたいという、昼夜の気温差の大きさがあるようだ。
この季節、例年どうだったかが俄には思い出せないのだけれど、今年は9月中旬以降この季節の主役であるはずの台風が幸いにも全く音沙汰なくて、ずっと好天が続いているのがこの温度差の要因のようだ。確かに普段の年ならば、残暑のあと秋雨が続くようになり、朝晩の気温は夏とたいして変わりないのに、日中の気温があまり上がらなくなって夏の終わりを意識する。そして、それが終わると満を持していよいよ爽やかな秋晴れの季節を迎えるという流れだったように思う。

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そんな夏であったが、昨日9月30日まで、京都では夏の恒例の行事が行われていた、「京の夏の旅」である。「京の冬の旅」に比べると、今ひとつポピュラーではない気がするけれど、今年でもう42回目を数えるのだという。冬の旅は今年は51回目だったので、そこそこ実績はある。しかし、公開される施設の数も少なく、また冬に比べて有名どころが少ないこともあって、今ひとつ食指が動かないというのが正直なところではあった。今年は、大政奉還150年という観点で、「近代の名建築」や「眺望」「庭園の美」をテーマに7箇所の通常非公開の施設が公開されていた。
今年夏の旅をやっていることに気付いたのは、9月初めに修学院離宮と桂離宮を訪れた時だった。午前中の桂から午後の修学院へ移動する過程で、出町までタクシーに乗る機会があり、その運転手さんが三井の別邸を公開するようになったという話を聞いたのである。あとで調べてみると、「京の夏の旅」の一環であったことがわかり(ただ残念ながら、旧三井家下鴨別邸の夏の旅としての特別公開は、8月で終わってしまっていた)、下鴨神社や上賀茂神社でも特別公開が行われていることがわかった。

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京の夏の旅の最終日となる9月最後の日、限られた時間ではあったが、今回公開されている施設のうちから2箇所、大雲院の祇園閣と、数年前初めて訪れて鮮烈な印象が残る渉成園をめぐることにした。
大雲院の祇園閣は昭和の建築で、祇園祭の鉾をモチーフにしたという楼閣建物である。大倉財閥の創始者である大倉喜八郎が建築家の伊東忠太に設計を依頼して建てたものという。比較的新しい建築ながら、なんといっても高層の建物であるから、眺望のよいことは文句なしで、ぼく自身この眺望のよさという触れ込みに惹かれて訪れたというのが正直なところだった。
さて、実際に訪れてみて、そもそもこれを名建築といえるのかというと、なかなかけったいな建物というのが偽らざる感想であって、疑問符が付かないわけではないけれど、類例のない建築として一見の価値は充分にある。それに眺望は全く期待を裏切らなかった。ことに東山から比叡山に及ぶ東側の眺望はいつまで見ていても飽きない。修理中の知恩院本堂や、霊山寺の観音さん、あるいは東山の一郭を切り開いた広大な墓地も見える。西側は京都の町中で、京都タワーも遠望できる。
しかし、いただけなかったのは、この眺望を写真に収めるのが許されていなかったこと。西側はともかく、東側の光景は是非とも記録しておきたかった。有形文化財ならば保存の観点から写真禁止ということもありえなくはない(博物館などでは、ことに公共機関所有物の場合は、フラッシュさえ焚かなければ直接の影響はないため、許可するのが世の趨勢である)。観光寺院ではないから、眺望を広めて拝観者を集める必要がないため、景観にも権利を主張するということなのだろうか(通常拝観を認めている寺院で庭園の撮影を禁止しているところもあるが)。写真が撮れなかったことは、印象点として大きなマイナス要素となった。
大雲寺祇園閣.JPG
〔大雲寺祇園閣〕

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そんなやや複雑な感情のまま、東山安井まで歩き、市バスで烏丸七条まで行き、渉成園をめざした。前回の訪問は、調べてみたら2012年の正月のことだった。ついこの間のようなつもりでいたのだけれど、もう5年も経っていることに唖然とする。寒中の前回に対し、初秋の今回、午後であるのは前回と変わらないが、今回の方が季節のせいもあってかなり日が高い。それになんといっても見学者の数が桁違いである。
初めは特別公開の蘆菴だけ見て帰るつもりでいたので、まず他の建物や庭には目もくれず、二階建ての茶室蘆菴をめざす。ここの建物は全て再建である(蘆菴は1957年)けれども、それぞれに趣があって好ましい。建物は外から見ていただけではだめで、やはり中に入ってみなければその真価はわからないと思う。今回は2階にまで上がらせていただけるという。取るものも取りあえずという感じである。
下で簡単な説明を伺い、2階に上がる。四畳半の東と南の二方向に大きな肘掛け窓があり、北側に円窓をもつ、開放的な煎茶席である。夏用の席という説明だった。東側には個性的な楼閣である傍花閣が、南側には三渓園の臨春閣を思わせる閬風亭が眼下に望める。2階に上がっている見学者はちょうどあまり多くなかったので、立ったり座ったり、位置も変えてさまざまな場所、視点での風景を存分に楽しむことができた。中でも、南側から前に円窓と右手に傍花閣を望む角度が印象深かった。
眺望は名残惜しかったが、1階に下りると、狭い空間をびっしりと埋める見学者が説明に聞き入っていた。よいときに上がっていたものである。閬風亭前に出て、やはり左へ戻り、結局渉成園全体を回ることにした。侵雪橋が整備工事中で渡れないため、檜皮葺の屋根をもつ回棹廊から中島に渡り、同じ道を戻る。西欧人の家族とすれちがう。ここへ来た5年前のことを思いながら、奈良へ戻る人となった。
渉成園閬風亭(左)と蘆菴(右奥).JPG

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そして今日、もう暫く週末は全部つぶれる予定なので、伸び放題伸びた生垣の剪定に精を出した。今日を逃すといつになるか見当も付かない。消耗したが、今年2度目の剪定を無事終えることができた。これでなんとか年を越せるだろう。庭と建物をゆっくり見ることができたお蔭かも知れない(10月1日記す)。
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