2018年03月26日

花の季節に伐られたサクラたちの形見として

東京のサクラがもう満開だという。奈良のサクラもようやくほころび始めてきている。今年の冬は長く厳しかった。今月に入ってからは比較的暖かな日が多くなってきたものの、それでもサクラは開花が少し遅れると思い込んでいた。冬の寒さの影響は残るだろうと思っていたのである。
ところがあに図らんや、思いの外に開花が早く、東京は史上三番目の早さだという。聞くところでは、冬がしっかりと寒く、春の気温の上昇が明瞭で、いわば天候にメリハリがあると、植物は敏感に反応して花を咲かせるのだという。暖冬が開花を早めるとばかりは言えないらしい。
北国ではウメとサクラをはじめ、春の花が一度に咲くという。今年の奈良はちょうどそんな感じで、満開になったばかりのウメ(ウメの開花はかなり遅かった)を追いかけるようにサクラが咲き始め、春を告げるコブシやモクレン、レンギョウにユキヤナギ(ユキヤナギはかなり早いような気がするが)と、それこそ色とりどりに花々が競いあっている。
わが家ではまだクリスマス・ローズも咲き残っており、春を告げるスイセンもようやく咲き揃ってきた。スイセンには冬の寒さの影響があったのか開花が遅く、またどうした訣か今年は花芽が少なくやや寂しい。ただ、そうであればなおさら、数少ない黄色のラッパ形の花を、イヌたちの危害を被ることもなく咲き誇らせているさまは可憐でもある。

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こうしてサクラの季節を迎えようとしていると、思い出したくはないけれど思い出してしまうことがある。毎年咲くのを楽しみにしているわが家の近くのサクラが何ヵ所かあるが、そのうちの最も美しかったサクラたちが、去年その花がまだ咲き終わらぬうちに、何の予告もないままに伐り倒されてしまったのである。
サクラ、ことにソメイヨシノの寿命は比較的短く、60、70年程度であるというから、あのサクラたちもそろそろ寿命に近づいていたのかも知れない。開発との共存が難しいのならそれもいたしかたないことと、気持ちを納得させようとはしたのだけれど、いかんともしがたく、ただ時間の経過によって忘れるのを待つしかなかった。しかし、サクラの季節がまた廻ってきて、どうして、という気持ちがまたふつふつと湧いてきてしまったのである。
そのサクラたちは、砂利敷きの駐車場の北側を彩る形で並んでいた。まだ見事な花を付けている時期に、それらは無残に根元から伐採されてしまった。駐車場に何か建物が建つのだろうか、せめて花の季節が終わるのを待つことはできなかったのだろうかと思ったのを覚えている。そこには何ができたか。
砂利敷きの駐車場はそのまま舗装されて駐車場になった。サクラのあった場所はどうなったか。そのままだった。駐車場に取り込まれる訣でも何でもなかったのである。そうだったのなら、なぜサクラを伐ったのか。駐車場と共存させることはできなかったのか。春に見事な花を咲かせるサクラが片側にある駐車場ではどうしていけなかったのか……。
もちろん当事者にはそれなりに理由のあることではあろう。他人の土地のサクラを花の季節だけ楽しませてもらっていた者がとやかく言える筋合いのものではない。しかし、あれだけ見事な花を毎年咲かせてきたサクラである。毎年楽しみにしてこられた方もたくさんいられるだろう。あのサクラから生きる勇気を与えてもらった人も多いに違いない。みんなに愛されてきたサクラではなかったのだろうか?

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去年は今年と違ってサクラの開花が遅かった。伐採が花のあるうちになってしまったのはあるいはそうした事情があるのかも知れない。サクラたちが伐られる少し前の去年の4月上旬のある日、少し遠出になるけれどもうちのイヌたちを交替で散歩に連れて行き、満開の花の下で写真を撮った。夕暮れ時にかかっても、満開のサクラのもとはほんのりと明るく、イヌたちも心なしか上気して、花見を楽しんでいるかのようだった。去年のサクラはことのほか美しかったが、自らの運命を知っていたのか、枝が見えないほどに鈴なりの花を付けたここのサクラの美しさは、言葉に尽くせぬほどだった。
今年はもうイヌたちにあのサクラを見せることはできない。言っても詮ないことであり、去年は敢えて書かずにおいたことではあるけれど、花の季節を迎えようとして書かずにはいられなくなってしまった。そのように愛されたサクラたちだったことを、記憶に留めておくよすがとなればと思う。
ラベル:季節 日常 奈良
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2018年03月21日

片付け下手とブログの効用─ねずみのたわごとの7年─

物持ちのよい方である。自分の行動に関わるものは、なかなか捨てることができない。旅先で入手した観光案内のちらし、駅弁の包装紙やお品書き、いただきものの能書き、そして手紙やハガキなどなど。もっとも、結構捨ててもいるのである。こちらの意思と無関係に届けられるちらしやダイレクトメールの類は端からゴミ箱行きだし、能書きは取っておいても、お菓子の箱を取っておく趣味はない。
ただ、だいぶん前にも書いた(「片付け下手の言い訳と感謝」)ことだが、基本的に片付けができない。物持ちがよいというよりも片付けが下手、いやむしろ片付けができない気質であるという方が正解かも知れない。片付けられないから、ゴミ箱行きを免れたものは整理されぬままにどんどん身の回りにたまっていく。旅行であるとか、何かの行事であるとか、一定量のまとまりのあるものは、それでひとまとめにできるからまだよいのである。しかし、単発的に手許にやって来るさまざまなアイテムは、何の脈絡もないままに積み重ねられゆく。

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もっとも、それだけならばまだマシなのである。時系列に沿って重なっているのだから、下から順に古いものから新しいものへと、明確な流れが見出される。これはこれでひとつの整理のあり方だと自負している。ところが、ここに攪乱が入ることがあるから厄介なのだ。というのは、ある程度の間隔を置いてではあるけれど、必要なものが見つからない事態が出来し、物探しが発生する。そうすると、整然と(!)積み重なっているアイテムたちの順序が乱されるのである。
通常上から順に掘り起こしていくから、掘り起こされたものたちは、元の山の隣に逆に新しいものを下にして積まれていくことになる。そして、探し物が終わったとき、この新しい山が元の山に積まれることになるから、元あった山の一部分だけ順序が逆転する訣である。これが繰り返されたらどうなるかは、火を見るより明らかであるだろう。
さらに悲惨なのは、物探しの時はたいてい次第に頭に血が上っているから、ただでは済ますされないことが多い。つまり、こんな物まで取っておくから肝心なものが出て来ないのだ!、とばかりに、山の構成要素の一部がゴミ箱に放り込まれることになる。その時は冷静に要・不要を判断して隣の山か、ゴミ箱か、行き先を決めていると思っているけれど、捨てたものに限って後日必要になることが多いのである。それを探し始めても見つからなくて、そんなはずはないと散々探し回った挙句、ふと捨てていたことを思い出し、臍を噛むのである。そうなることはわかっているのに、何度これを繰り返したか知れない。

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似たような状況が職場と家で起きている。以前なら、こうしてエントロピーが増大して極限に達すると、半年に一度とか一年に一度くらいの割合で大片付けを行って、リセットしたものだ。このリセットは物探しの必要に迫られてではなく、自らの意思で率先して要・不要の判断を実施して、極力物を捨てるのである。ところが、齢を重ねるにつれて、だんだんそれが億劫になってきて、初めは家から、そして最近では職場でもほとんど大片付けが行えなくなって久しい(ちなみにこの状況はPCの中も全く同じ。PCも時系列を基本に、その中に項目ごとにフォルダーを設けている。PCの場合はがさばらないのが不幸中の幸いだ)。
家内に言わせると、これは発達障害の症状であるという。確かにそうかも知れないと思う反面、単に怠惰なだけなのかも知れないとも思う。自分で自分の個性として認識して、ある意味で自分で言うも変だが、妙に開き直っているところもあるのだ。発達障害の症状で当てはまると思うのは、計画性のなさと、大事な事柄を後回しにしてしまいがちであることで、あとこれは年のせいかも知れないけれども、ここ数年約束事を失念してしまう苦い経験が多発していることがある。

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何にせよ無理が利かなくなってきているのは紛れもない事実だ。ストレスを溜めないのが個性のひとつだと思って開き直って生きてきたけれど、目に見えないところでストレスを抱え込んではいないかという不安が過ぎらぬでもない。定年まであと2年。少なくともその時点では職場は片付けなければならない。跡を濁さず立てるようにするには、今から周到な準備が必要だ。しかし、今のぼくにはそれを始める気力もまた時間的余裕もない。
このブログを書き始めてもうすぐ丸7年を迎える。この記事が400本目の投稿であるのも承知はしているのだが、どうもパットしない話になってしまい恐縮である。でも、それもぼくらしいのかなという気がしないでもない。時には全く記憶にないことが書いてあったりと、整理が苦手なぼくとしては、時系列に沿ってその折々の思いが書き綴られているこのブログは貴重な財産となりつつある。
ラベル:日常
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2018年03月19日

旅愁を誘う駅─中央線の結節点、塩尻─

塩尻駅、旅愁を誘う駅である。なにか心に疼くものを感じるのである。ここは中央東線と中央西線の結節点となる交通の要衝に位置する。辰野回りで南から谷間を北上し、善知鳥峠をトンネルで越えて山のへりを大きくまわり込みながら下って来る東線と、木曽路を抜けて盆地に飛び出す西線とが、左右から合わさるような形で塩尻駅で結びついている。今ではぼくが中学の頃に開通したみどり湖経由の新線もあって、線路は至ってにぎやかだ。しかし、東線と西線を相互に乗り入れる列車はなく(どんな用途かはわからないけれど、塩尻駅を頂点とする三角形の対辺にあたる位置に敷設された、中央東線と中央西線を直接つなぐ線路もあるにはある)、どちらから来た列車も、ここで合わさった線路を松本に向かって盆地を北上するのである。あたかも西に北アルプス、東に美ヶ原の台地を望む明るい松本盆地に出たのがうれしくてうれしくてたまらず勢いが余ってしまったかのように!
塩尻駅はホームが3つもあるのだが、出口は南端の跨線橋の上の1箇所のみで、けっして賑わっているようではない。街の外れに設けられた駅という感じだ。子供たちが小さかった頃、清里に夏のキャンプに連れて行ったことがある。しなのとあずさをここで乗り継ぐのだが、本当にここに列車が来るのか心配になるほど静かだった。ホームの北端には葡萄棚があって、房がふくらみ始めていた。しきりに蝉が鳴いていたような気がする。
以前書いたことがある(木曽路を鈍行で行く─列車の旅の楽しみ)が、甲府行きの帰路、逆にあずさからしなのに乗り継いで帰寧した冬の塩尻駅も印象深い。切符は松本で乗り継ぐことになっていたと思うけれど、アルプスが望めぬ暮れた盆地をただ往復するのも無駄な気がして、塩尻でひと足先に出る各駅停車に乗り換えて、行けるところまで行き、しなのに乗り継いでみることにした。
松本まで行くあずさを見送って塩尻駅のホームに降り立つ。人影も少なく、ただホームで待っているのも寒いので、椅子もある訣ではないが、跨線橋を上がって改札脇で少しの時間を過ごす。上松までは、各駅が先に着くようだ。学校帰りらしい地元の女子高生たちが乗って来る。何がおかしいのか笑いが絶えない。おじちゃん、おばちゃんも混じって、なんだか田舎の生活を切り取って来たような世界だ。地元の人たちと降り立った上松駅のホームは雪が積もっていた。暫く待ってやって来たしなのの所定の席に座る。なんだか急に見知らぬ都会に飛び込んだようなよそよそしさ。先ほどまでのローカル列車がなつかしかった。
遙か昔、高校生だったぼくは初めて夜行に乗って美ヶ原に登りに行った。辰野から川岸のまだ明けたばかりの狭い谷間を抜けていく夜行の各駅の風情は独特だった。この時の帰路松本駅から見た北アルプスの夕景のシルエットも忘れられない。その名残を心に刻んで塩尻まで走り、ここからみどり湖への登りにかかった時、これでこの盆地ともお別れだと胸に迫るものを感じたのだった。松本から塩尻まで、かつては家並みが途切れ、畑が広がっていたように思う。しかし、この冬初めて戸隠に出かけ、20年ぶりに盆地を走る電車に乗ったら、家や工場などの建物が連綿と続き、途切れる箇所を見つける方がむしろ難しかった。
ラベル: 鉄道 記憶
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2018年03月16日

新幹線の車窓の光景を撮る

ここのところ東京出張が多く、新幹線に乗る機会が増えた。去年の春、久し振りにA席に座り、思いがけなく山々がサクラに彩られる景色に遭遇した話を書いた。最近実はたいていA席である。本当はE席がベストなのだが、Eを取ろうと思うと,かなり前から入手しておかないと無理で、直前だとA席でさえ塞がっていることが多くなってきた。A席には入りにくい、出にくいというハンディはあっても、移動中の時間を有効に使ったPC作業に欠かせない電源があるという大きな魅力がある。
それともう一つはやはり車窓の景色である。北側は富士山という圧倒的な景色に恵まれている。浜名湖の光景も忘れがたいものがある。一方南側は、PC作業には日射しが邪魔になることもあって裏腹ではあるけれども、その明るい景色には抗しがたいものがある。前述のヤマザクラは予想外の収穫だった。それ以外にも南側には時にあれっと思う景色に出くわすことがある。
例えば、米原を過ぎて関ヶ原にかかる手前で、新幹線と併行して走っているかに見える線路が急に直角に向きを変えて新幹線から離れていくところがある。関ヶ原を越えると東海道線の上りと下りが離れて付設されている部分があるのも面白いが、ここはまだ複線区間で、地図で調べると近江長岡駅と柏原駅の間であることがわかった。東海道線は南から張り出す尾根の縁を辿って北に迂回する形になっていて、そのちょうど北端の平らな部分で新幹線と併走するのである。
新幹線の車窓から(近江長岡・柏原間の東海道線).jpg
〔新幹線の車窓から(近江長岡・柏原間の東海道線)〕

何とかこの不思議な光景をカメラに収めたいと思って通るたびに狙うのだけれど、いつもシャッターチャンスを逃してしまい、思っているような写真が撮れない。線路は続くよどこまでも、の感じが出ないのである。恐らくここでは少なくとも時速250㎞を越えている新幹線の中からiPhoneで撮るのには限界があるのだろう。
iPhoneのカメラは確かに高性能で、デジカメを敢えて持たなくてもという気になるのだが、基本オート撮影なので、ピントや露光合わせに時間がかかるような時、例えば近景から遠景まで含まれる景色や、動いている乗り物からの撮影の場合には、思ったときにシャッターが下りないことがよくある。被写界深度を考えてとか、露出を調整してとかいうのはいう訣にはなかなかいかないのである。富士山がうまく撮れるのは、被写体が巨大でしかも遠景であるのいう事情によるのだろう。
富士山のある夕景色.jpg
〔富士山のある夕景色〕
ラベル:日常 鉄道 東京
posted by あきちゃん at 01:33| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする