2018年04月28日

春の伊勢三山堀坂山・観音岳

伊勢三山と呼ばれる山の一つ、松阪の堀坂山から観音岳を周回するコースを訪れた。白猪山に一昨年の正月局ヶ岳に昨年初夏と登ってきて、伊勢三山としては締めということになる。いつもの山の会としては最も東といってよいフィールドである。
2時間半ほどバスに揺られて行き着いた松阪森林公園から歩き始める。車道を少し登ると、左へ上がる舗装道があり、これを辿る。植林帯を行く結構な傾斜の道を約30分、道が二手に分かれるところから、その間の尾根に取り付く。堀坂山への入口との明示があり、道はわかりやすい。
ここから、堀坂山から東に伸びる尾根に向けて300m余り、一気に高度をかせぐ。木の根の出た急傾斜の道で、硬い林道歩きで結構へたばっていた身にはこたえる。この季節にまさかと思っていたほどの汗をかかされる。もらっていた地図をよく見ると、大汗坂と書いてある。そういう名だとすれば言い得て妙だ。
ここは雲母坂という名があるらしい。実際に歩いてみて納得した。というのも、へたばりつつ下ばかり見て登っていると、時折キラリと光るものが目に飛び込んでくる。アルミ箔かビニールの破片が捨てられているのだろうか、とややげんなりしていると、大きな透明に光る塊もあるではないか。そう、キラキラ光るのは、雲母だったのだ。塊は石英。風化した花崗岩の成分が散らばっているのである。よく見れば、足下の岩も大半が花崗岩だ。まさに雲母坂である。

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さて、登り着いたピークは510mほどの標高で、ここからは明るい尾根道を上り下りしながら少しずつ高度をかせぐようになる。岩も交え、痩せ尾根もありと、変化に富んだ面白い尾根歩きが楽しめる。今回の山歩きのハイライトのひとつといっていいだろう。
「雲母谷の高」という山名板がかかる2つ目のピークを越し、なおも徐々に細い稜線を登りつめて行く。この東西方向の尾根の最後は、90度方向を違えたこれまた細い南北の尾根に取り付く感じになっていて、取り付き部を斜めに右(北)に駈け上がる形で尾根に上がり、左(南)に戻るように進む。地図にスイッチバックと書いてある意味が実際に歩いてみてやっとわかった。
この南北方向の尾根はわずかで、まもなく正面の丸いピークを右に旋回して巻き、再び東西方向の尾根に乗る。 振り返ると、巻いたピークは見晴らしの良さそうな岩の重なりで、多分あれが堀坂山の雌岳と言われるピークだったのだろう。ほんのわずかなことだから、行かなかったのはちょっと残念な気がする。
ここから堀坂山の頂まではまだあと少し。細い尾根をしばらく平らに歩いたあと、いよいよ最後の100m余りの登りにとりかかる。ここまで、森林公園駐車場に結構な台数駐まっていたのに、下ってくる人に2、3人会っただけだったが、山頂直下でお弁当を広げているグループに出会った。それなりに登っている人はいたのだ。さあもうほんのわずかで山頂だ。

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待望の堀坂山の山頂は、ほぼ360度の展望が得られる。ことに、東側の松阪から伊勢方面の開けた眺めがことに素晴らしい。ただ、真ん中に石碑(正面に「奉書写大乗妙典」と刻んであってとあって、転読札のお化けみたいなものだが、実際に写経が行われているのだろうか。側面には、「一切衆生抜苦与楽身心堅固二世」云々と刻んであった)や堀坂大権現が鎮座しているので、ぐるっと回らなくてはならない。日差しがかなり強く、勿体なくはあるけれど、眺望をやや犠牲にして日影を選んで昼食をとる。
堀坂山から局ヶ岳と白猪山方面を望む.jpg
〔堀坂山から局ヶ岳(中央最奥)と白猪山方面(その手前)を望む〕
さて、山頂からは西に下るのだが、堀坂大権現があるためなんだか方角がわからなくなる。抉れたような道を少し行くと、観音さんがあるという。左へ巻き道もあったが、見えていることもあり、折角なので、少しだけよじ登って拝みに行く。
一見真新しそうなブロンズの仏像で、背後に銘文があって、「延宝八天」とある。なんと、17世紀、1680年である。350年近くも前のものだった。よく見ると台座にかけてびっしりと銘文がある。じっくり読んだら面白そうだが、時間もないので、写真で我慢する。意外と言ったら失礼だが、見かけ以上に深い信仰の山なのである。
写真によって読むと、「延宝八庚申天/六月朔日/奉納鋳造発坂山大権現御本地大日如来/国分寺/伊勢寺村/庄屋/家坂太良兵衛/念仏講中」などと読め、念仏講の構成員の名前がずらっと書いてあるようだ。「堀坂」が「発坂」と表記してあるのが面白い。「ほっさか」、という読みがここから確認できる訣である。

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いよいよ下りである。先ほど分かれた巻道と案外先で合流した後、初めは結構急な下りが続く。時折右手の木の間からさっき極めた堀坂山の優しい頂きが望まれる。少し傾斜が緩んだあたりに、山頂近くの大日さんによく似たブロンズの仏像が鎮座していた。休憩せずに通り過ぎたから詳細はわからないが、もしかしたら銘文があったのかも知れない。
約280m余りを下り切って堀坂峠の車道に飛び出す直前に鳥居があった。堀坂大権現の入口ということだろうか。だとすれば、昔からこちらが正面だったのだろうか。堀坂峠を越えたところには与原という開けた集落があるし、さらにその奥には、峠にも看板が出ていたが、飯福田寺という役行者が開いたとされる行場、伊勢山上がある。堀坂山に大権現が鎮座するのは、あるいはそんなつながりもあるのかも知れない。
さて、堀坂峠からは再び登り返しとなる。観音岳まで180m余りだが、ひとたび下りに慣れた身体にはかなりこたえる。言ってみれば、別々の山を二つ登るようなものなので、尾根に出るまでの標高差はわずか100m余りに過ぎないけれど、堀坂山への登り以上にしんどかった。
救いは、徐々に高度を上げるにつれ、堀坂山が顔をのぞかせてくれるようになったこと。先程の下りの時はまだその足下という感じだったが、そこはもう別の山に登っているという趣きであることもあって、左右に両手を広げた山塊として望めるので、立派なこと限りない。登ってきた山をこうして眺めながら歩める山行はそう多くはないだろう。周回コースならではの贅沢である。
堀坂山を望む(観音岳の稜線から).jpg
〔堀坂山を望む(観音岳の稜線から)〕

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観音岳の尾根筋に出てからも、細かなアップダウンが続き、7回程だというが、この小さなピークも数に入れてくれてだろうか、などと思いながらも、右手に相変わらず堀坂山の山並みを望みながら行く道は、疲れに比して足取りも軽い。最後はあっけなく観音岳の頂に飛び出した。東から南にかけての眺望に優れ、今日の起点でありこれから下ってゆく終点でもある森林公園がすぐ足下に望まれる。
観音岳から伊勢平野を望む.jpg
〔観音岳から伊勢平野を望む〕
しばし展望を満喫したあと、少し稜線を東に辿った地点で、もう今日は諦めていた花に邂逅した。淡い黄色のヒカゲツツジである。実は、この季節の堀坂山の売りの一つが、このヒカゲツツジだったのだが、ここまで全くお目にかかれずに歩いてきたのだった。それがもう稜線は終わりという地点に来て、思いがけず巡り会えて感激した。
観音岳山頂近くで邂逅したヒカゲツツジ.jpg
〔観音岳山頂近くで邂逅したヒカゲツツジ〕
よく見ると、地面に散り敷く方が多いくらい。もう花の季節を過ぎようとしているのだった。サクラばかりかツツジも追随して季節の進みが速いのだ。ここではもう一つ思いがけない花に出会えた。ヒカゲツツジの根本にひっそりと咲いたイワカガミである。前に一度だけお目にかかったことがあるだけの花だ。まさか、ヒカゲツツジとセットで咲いているなんて!
ヒカゲツツジの下のイワカガミ.jpg
〔ヒカゲツツジの下のイワカガミ〕
ヒカゲツツジに出会った地点は、ちょうど山頂を構成するピークの東端で、花たちの少し先には、デコっとした屋根付きの石碑風のものがあったものの、パッと見る限り文字は認められなかった。観音岳は、山名からして信仰の山なのに、およそそういう雰囲気からは程遠い感じがする。堀坂山も仏像の鎮座するまさに信仰の山ではあるのだが、参道にあたる堀坂峠からの道も、仏像を除けばさほど信仰の趣はなくて、森林公園からの東尾根は、至って明るく開放的な山道だった。

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さて、今日最後の下りである。観音岳は松坂森林公園な裏山のような位置にあり、さまざまなルートが設定されている。山頂に来るまでにも、いろんな名の付いたコースが分岐しているのに出会った。森林公園を起点として、観音岳だけで周遊コースを組むのも可能だろう。今日はここから尾根伝いに下ることもできるが、今回はヒカゲツツジのところからわずかに戻り、北に急な斜面を一気に下り、谷筋を辿るコースをとる。
最初の標高差100程は、かなりの確率で傾斜を一気に下る。登るのは手強そうなところだ。
傾斜が緩んで尾根筋に出ると、左側が谷筋になり、次第にこの谷沿いに下るようになる。そして小滝を眺めながらこの谷を渡って反対側の尾根を下ると、大滝から流れ落ちて来る流れと、小滝からの流れの合流点に至る。ここまで来ればあとは流れの左岸の高みを行き、最後にもう一度流れを右岸に渡れば、今日の起点のすぐ上の舗装道路に飛び出す。森林公園はもう指呼の間だ。
時計は4時を少し回ったところ。休憩を含め約6時間、距離にして9㎞余り、標高差は625mの充実した山旅となった。帰路は、姫石の湯で汗を流す。去年展望には恵まれなかったが見事な芍薬の花の応接を受けた学能堂山と、円頂が印象的な大洞山(こちらは未踏)の夕景が印象的だった。
【追記】
ラベル: 季節
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2018年04月25日

あぶり出しのように甦った夢─夢の記憶49

どこか外国にいるらしい。中国のような感じだが、先方に知った顔はいない。室内ではなく、建物のそばの広い空間に面したところ、学校の運動場の校舎脇といった雰囲気の場所に立ち、暖かな陽の光を浴びながら、歓談している。先方、当方合わせて10数人はいただろうか。
どうもそれは別れの挨拶の場面だったらしく、じゃあそろそろとなって、迎えに来る車を待つ場所に移動する。バス通りのような片側一車線の舗装道路の脇に立って待っている。左側通行だったのをよく覚えている。
しばらくして、我々が待っていた、その乗物だと確信する車─但しそれがどんな車だったか全く覚えていない─と、よくホテルなどで送迎用に使うようなマイクロバス─それもなぜがほとんど満員─がやって来た。我々は何故がそのマイクロバスの方に案内される。
こんな満員のバスにどうやって乗るんだろうと半信半疑のまま、乗ったのだったかどうだったかわからぬうちに、記憶は次の場面に飛んでいる。さっき立っていた校舎脇の運動場の端のようなところから、遠く飛行場を遠望していた。
運動場の向こうの端に、ちょうど鉄道の線路と駅のような構造物がある。向かって右端にその駅舎風のものがあり、そこは鉄路の終点といった趣きを濃厚に漂わせている。
しかし、それを見ているぼくは、そこが空港だと思い込んでいて、随分珍しい形状の空港だなぁ、と感心している。ロケットが発射するように、飛行機がここからは左向きに離陸して行くんだなと納得している。そういえば、飛行機が駐まつているのが見えたような気もする。
夢はここまでである。実際に見た夢はもっと複雑に入り組んだ筋があったのだが、記憶の彼方である。ただ、いつもと違って不思議なのは、目覚めた時には忘れていたのに、少し経ってから思い出したことである。
たいていの夢は、起きる直前が一番鮮明で、目覚めととも水に流れるように溶け出していってしまう。しかし、今回の夢は、まるであぶり出しのように起床して顔を洗っている間に甦ってきた。目覚めた時にはもう記憶から飛んでいたということかも知れないが、それなら普通は後から甦ってきたりはしない。久方ぶりの夢の記憶は、滅多にない経験だった。
ラベル:日常
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2018年04月14日

春の名残のヤマザクラ

4月上旬があっという間に過ぎ去り、もう折返し点が近づいている。何という速さだろうか。それにひきかえ月が替わるとともに出始めた風邪の症状が、悪化しないで済んではいるものの、いつまでもぐずぐずとしてスッキリとは恢復せぬままでいる。
天気はダイナミックな周期変化を繰り返しているが、寒暖の差が著しく、また朝晩の気温差も大きい。日中汗ばむ陽気で上着を脱いでいると、夕方の冷え込みに思わぬしっぺ返しを喰らう。
ソメイヨシノはとうに葉桜になり、続いてはヤマザクラの季節。しかし、今年はどうもヤマザクラがパッとしなかった。葉も一緒に芽吹くのでソメイヨシノに比べたら目立たないのは仕方ないとしても、今年はいつにも増して地味な気がする。咲いたのだかどうかさえわからないままなのだ。
近所のバス通りの街路樹の間に1本だけ植わっているヤマザクラがある。去年も紹介したけれど(2017/4/23今年のサクラの美しさについて)、いつからあるのか記憶が定かでなく、まだ背丈の低かった頃は、街路樹のプラタナスが芽吹いている間はその間に埋もれてその存在するわからなかった。それが冬枯れでかつ剪定された街路樹の列に様子の違う気が1本だけあるのに気付き、さらにこれがプラタナスの遅い芽吹きをよそに、白といってもよいごく薄いピンクの花を付けるに及んで、ようやくヤマザクラであることを知ったのだった。
このヤマザクラは、毎秋強く刈り込まれるプラタナスと違って一切剪定されずに放っておかれているので、最近では、街路樹から抜きん出た姿を示すようになってきた。それが見事な花を付けるのである。バス停までの道行きに植わっていることもあって、毎年ほころび始めるの楽しみにしていたのだった。
ところが、今年はちょうどその時期にたまたま車で通勤する日が続いてしまい、気が付いたらもう大方のヤマザクラも葉ザクラになりかけてしまっていた。それで、ほぼ一週間ぶりにバスで通勤した先日の朝、半ば後悔しつつ半信半疑でバス停に向かったら、幸いにもまだ見事な花を咲かせている姿を見せてくれたのだった。去年よりは一週間早いけれども、散らずに咲き誇っていてくれた姿は、可憐でかつ堂々としていて美しかった。

街路樹のなかのヤマザクラ.jpg
〔街路樹の中のヤマザクラ。去年とほぼ同じアングル。実物はもっと白っぽかったと思う─去年の写真の方が実物に近い色合いのように思う─けれど、曇ってるせいか、ピンクが濃く写っている。このあと雨が降り出している。今年もそろそろ見納めかも知れない〕

街路樹の中のヤマザクラ2.jpg
〔反対側から道路を挟んで撮った写真。上の写真と同じ日の朝の様子。淡い青空をバックにしているが、これも去年よりは色が濃いように思われる〕
ラベル:日常 季節
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2018年04月08日

無為に過ごした木の芽時の1日

午前中用事を一つこなして帰宅したあと、イヌたちを交替で庭で遊ばせ、少しだけお気に入りのおもちゃで遊ぶのに付き合う。昼ごはんを簡単にパンで済ませると、まだ風邪で本調子でないこともあるようだが、もう眠くなる。朝がいつもと同じ時間だったうえに、午前中は花が粗方散った後の花冷えの外仕事だったためか消耗が著しく、すぐにウトウトし始めてしまう。こんな事ではいけないと思いつつ、比較的楽にできる作文仕事を一つ。
しかし、気の赴くままに筆を走らせると、原稿用紙4枚以上の分量になってしまい、これを3枚弱まで切り詰めるのに頭を悩ませる。2/3にするのは容易なことではない。個別には大事な情報であっても、話の筋には関係のないものは思い切って刈り込む決断をしないととても収まらない。要らない情報をあれもこれもと盛り込むと、筋が錯綜して論旨が明瞭でなくなってしまうのである(このブログの記事のように!)。
コーヒーを淹れる。犬たちを交替させるのに足を洗ってやる。他にもやるべきことがいくつかあるのに、なかなかそれをやろうという気にならない。さっきの作文だって、結局そのやるべき事を後回しにするための方便だったに過ぎないのではないか? 自己嫌悪に陥るものの、どうしてもそれに着手することができぬまま、午後を無為に過ごしてしまった。
夕食はカレーにする。昨晩、夕食後、妙に体調がおかしくなって、少しのつもりで横になったらそのまま寝てしまい、気付いたら12時を回っていた。胸焼けもせず、痛みもなく、吐き気がある訣でもない。それなのにこの上のない不快感。どこがどうなっているのかよくわからぬまま、取り敢えずは胃薬をのみ、念のため整腸剤も服用したあとのことではあるけれど……。
今晩も昨日と似たような食事だったが、今日は何とか持ちこたえた。これはありがたいと思ったものの、それでもやるべきことをやる気持ちになれない。これではまるで木の芽時の病ではないのか。齢を重ねてここ数年サクラを心から美しいと思えるようになったが、若いときはいつも春が憂鬱だったのを思い出した。サクラが嫌いだったのではなかったのだ。単に春になると気持ちが不安定になっていたたに過ぎないのではないか。そんなことに今になってようやっと気付いたのである。
時ならぬ寒さに、遊び終えたイヌたちを家に入れたあと、暖房をつけることになった。本を読んでも文章を追えない。すぐに目が脱落してしまう。音楽を聴こうとすると、気が付けばいつのまにかもう別の曲が鳴っている。毎週見ているドラマを見るともなく見、再び机に向かうものの、結局そうした結果、認めた文章がこれ、という訣だ。
まあこういう日もある。明日やればよい。そう思って寝ても、明日やれる保証がないのが最近の傾向。昨日までの咳き込みもなくなって、やっと恢復してきているから、むやみに風邪のせいにもできない。自分のだらしなさが全てなのである。最近こんな気持ちに陥って二進も三進もいかなくなることが増えてきたような気がする。
明日は明日でまたやらねばならないことが山程ある。今日持ち越したことが明日やれるという保証は今のぼくには全くない。
とまあここまで書いて、結局投稿せずに寝てしまった文章である。自らの戒め(そうなるかどうかもあやしいけれど)のために、今日の仕事はまずこの記事の投稿から始めよう。もう朝も10時を回ってしまった……
ラベル:日常 季節
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2018年04月05日

季節の進み行きに翻弄される

満開のサクラに彩られた年度末、年度初めを迎えた。今年はどこもかしこもサクラ、サクラ。こんなにたくさんのサクラがあったのかと驚くほどだった。サクラの数が変わる訣はないから、一斉に咲き揃ったということなのだろう。まさに春爛漫の週末だった。
先々週の土曜日はまだ蕾が堅そうな感じだったが。その後先週初めにかけて急激にほころび始め、折しもの好天に恵まれてほぼ一週間花見日和が続くこととなった。雨が降らず風も吹かず、日中はそこそこ気温は上がるものの、朝晩は適度に冷え込む。そんな気象条件が功を奏してか、一斉にほころんだサクラが10日近くもの間咲き誇っていた。
週が明けて、さすがに散り始めたものの、雨が降らなかったから、はらはら、さらさらという感じで、至って清潔で美しく散り敷いている。しかも穏やかな陽気で風に舞うこともない。サクラの花が生を全うしようとしている、ちょうどそんな感じがする花の終わりである。
ここのところ例によって寝付きはたいへんよいのだが、明け方に変に早く目が覚めることが多い。2時に床に就いて5時とか、3時で4時半とか、いう具合である。しまった、寝過ごしたか!、目覚ましをかけたのに、と思って慌てて時計を見ると、まだそんな時間なのである。幸いなのは、それから再び睡眠に戻れず起床時刻まで鬱々とする、というようなことが全然ないことだけれど。

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週明けとともに新年度を迎えて2日めの晩、鼻の奥に違和感を覚えた。そのまま就寝までの間にあれよあれよという間に悪化し、一昨夜はひと晩のどの痛みに苦しんだ。先週末あたりから異常な鼻水に悩まされ、花粉がきついのだとばかり思い込んでいたのだけれど、どうもそうではなかったようだ。花粉症の薬が効かず、昨日は一日中鼻水とクシャミに悩まされ、おまけに時折悪寒もする。花冷えとは程遠い五月の陽気にもかかわらず、しかもこんな年度初め早々に風邪を引くとは我ながら情けない。
仕方なくまたI女史の所に駈け込んで薬を処方していただき、そして今日、のどの痛みはかなりおさまってきたものの、鼻水・くしゃみは相変わらずで、花粉症がきついと会う人には説明しているけれど、その実これは明らかに風邪である。熱は出ないが、だるさはひとしおで、気持ちを張りつめていないと、ヘナヘナと倒れ込んでしまいそうな状況で一日を過ごした。
おまけに、夜に入ってポツポツと来て、急激に冷え込んできた感じがする。予報では寒の戻りとのことで、北日本では雪も予想されているらしい。サクラはもうかなり散って葉ザクラの様相、季節は行きつ戻りつしながらではあるものの、着実に進行している。
ああそれにしても、厳しく長かった冬を風邪ひとつひかず潜り抜けてきたというのに、年度初め早々の風邪とは! サクラも一斉に咲き誇った割には、いや一斉に咲き誇ってしまったからというべきか、今年はあまり美しいという感懐を抱かずに過ごしてしまった。
サクラを愛でている精神的余裕がなかったことも一因だが、それほどに昨年のサクラは美しかった。それにつけてもその最中に伐り倒されてしまったサクラの無念を改めて思うのである。季節の進み行きに翻弄され続けている年度初めである。
最期のサクラたち(昨年4月9日).jpg
〔最期のサクラたち(昨年4月9日。昨年は今年より10日もサクラの季節が遅かった)〕
ラベル: 季節 日常
posted by あきちゃん at 00:19| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする