2018年05月29日

旅の友はいつも

1日にコーヒーを何杯飲むだろうか? カフェインが全然効かない人なので、寝る前に飲んでも眠れなくなる心配はない。基本はホットである。アイスコーヒーは夏の暑い最中とか、余程の時でないとまず飲まない。アイスはあとを引いてよくないのである。

外出先でコーヒーを飲むこともよくあるが、店で飲む場合は、たいていスタバである。普通の喫茶店に入ることもない訣ではないが、当たればいいけれども、外れの可能性を天秤にかけた時、まあ一定のクオリティの期待できるスタバを選んでしまう。それに、スタバだとタバコの煙に燻される心配がないというより現実的な要請もある。

店以外、例えば列車での移動や会議に持っていくような場合に愛用しているのは、タリーズのBARISTAS BLACKというアルミボトルの製品である。390㎖の大きいのがあればベストである。実はこのコーヒーを販売しているのは、おーいお茶を出している伊藤園なのだが、TULLYSを前面に出した点が大成功の要因だろう。実際ぼく自身それに気付いたのはだいぶんあとになってからで、別におーいお茶が嫌いな訣ではないけれど、伊藤園のコーヒーという謳い文句だったとしたら、最初に手を出していたか、やや怪しい。

このTULLYS BARISTAS BLACKというブラックは、本当にいける。いつ飲んでも飽きのこない良質のコーヒーが楽しめる。これを口にするのはたいてい常温でなのだが、常温でも充分味わい深いのである。喉の渇きも充分に癒される。

缶コーヒーも随分色々飲んだ。自動販売機だと選択の余地のないのが常だが、そういう時でも仕方なくあるものを飲んだ。そして随分と後悔した。結局、次もまた飲みたいと思う製品にはまず巡り会わなかった。

これがコーヒーか、と疑いたくなるような製品が多過ぎるのだ。微糖でも甘みのあるものはまずダメ。甘いものには目がないのに、である。しかし、ブラックにも満足のゆくコーヒーはほとんどない。

そんななかで、TULLYS BARISTAS BLACKは別だった。他がダメなことはもちろんなのだが、ずば抜けていた。それで今では、余程のことがない限りこのをTULLYS BARISTAS BLACK探すことにしている。これならば、外れる心配は皆無なのである。結果、持ち歩くならTULLYS BARISTAS BLACKというのが決まりになった。ぼくの定番になったのである。

幸い、TULLYS BARISTAS BLACKは、どこの店でもお目にかかれた。同好の士は結構いられるらしい。ところが最近このTULLYS BARISTAS BLACKを置いてない店が結構あるのだ。買うのは普通は駅のコンビニだが、何故かコカコーラ系の缶コーヒーが幅を利かせて、TULLYS BARISTAS BLACKが駆逐されてしまっている場合に遭遇するのである。置いている店でも、コカコーラ系の商品の影に隠れている場合が多い。どう見てもコカコーラの陰謀としか思われない状況なのである。

けっしてコカコーラが嫌いなわけではない。しかし、コーヒーに関する限り、コカコーラの製品はいただけない。

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という訣で、今回の東京行きも新幹線の旅の友は、TULLYS BARISTAS BLACKだった。京都駅でも置いているところ、いないところが分かれているので、まず確実にあるとわかっているコンビニをめざす。それから予約済みの切符を引き換えて改札に向かう。これ、結構タイトで、ある意味スリルもあるのだが、うまくいって車中でボトルを開ける時の快感は何物にも代え難い。

TULLYS BARISTAS BLACKにしてよかったと、しみじみと思うのである。

ちなみに、新幹線の場合、特に品川からの帰りにはスタバのコーヒーを買って持ち込むこともある。あまり余裕のない時もあるが、たいてい何とかなる。スコーンとかクッキーの一つでも付ければ、充分京都までの腹の足しになる。

それにいつも感心するのは、注文を受ける際に列車の時刻を聞いてくれることである。何気ないことだが、これにはいつも感心する。

ただ、これのできるのは、品川駅がぽとんど唯一で、一度京都駅で試みたことがあるが、改札から離れていて、いろいろとしんどかった。品川駅の改札内のスタバは慧眼である。

最後に話をTULLYS BARISTAS BLACKの戻すと、これにはラテもあって、これも結構いけるのだが、いかにせん揃えてくれているところが少ない。で、たいていはいつもブラックとなる。TULLYS BARISTAS BLACKがないと、ぼくの旅は始まらないのである。


                                  §                                 §                                    §


という訣で、今回は、PCを持たずに来た出張先からの、初めてスマホによる投稿である。さて、うまくいくかどうか。

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2018年05月26日

原田康子『挽歌』のあらすじ1

最近読書が滞りがちで、随分かかって大江健三郎さんの『同時代ゲーム』を読み終えたところだが、なかなか感想を書けそうにない。読んですぐに読後感をさらさらと書ける小説とそうでない小説があって、『同時代ゲーム』はそうでない方のようだ。
その違いはあくまで小説そのものに理由があるのであって、作者によるのではない。例えば、5年前くらいまでに集中的に読んだ原田康子さんの場合にも、最初に読んで気に入って何度も読み返した『挽歌』の読後感を実はまだ書けずにいる。その後に読んだ『病める丘』を紹介する中で(『病める丘』を読む)、比較の意味で随分『挽歌』を取り上げたにもかかわらず、である。
書こうと試みなかった訣ではなかったのだ。必ずしも小説とぼくの相性という訣ではなくて、思い入れがある分書けなかったと言ってよいのかも知れない。この間ファイルの探し物をしていたら、折々書き散らしてきたものの中に、『挽歌』の筋書きを抜き出した文章を見つけた(けっしてわすれていた訣ではないのだが)。
そういえばこんなものを書いていたなぁ、となつかしくなった、このまま眠らせておくのも勿体ない気がしてきた。感想を書くための下準備であって、章ごとに時間をおさえ、節ごとに筋書きを並べた、ただそれだけのものである。オリジナルな部分がある訣ではなく、ただ自分で注意したいと思ったところをゴチックにした程度である。しかも初めは骨格のみをメモっていったのだったが、そのうち文章そのものを抜き書きするようなことになっていって、最終的には結構な分量になってしまった。
本当はこれに基づいて感想を記すべきなのだが、どうもそんな余裕はなさそうだ。しかし、今読み返してみると、それなりの愛着は感じるし、自分自身の記録にはなるだろう。またもしかしたら、これを見て原作を読みたいと思ってくださる方が出るかも知れない。
こんなものを載せるのもいかがかという気もしないではないけれど、新本で買える唯一の原田さんの作品になってしまっている『挽歌』を是非多くの方に読んでいただきたいと思うし、できることならそれを手がかりに、原田さんの豊穣な世界に分け入ってもらえる契機にしていただけたらという思いもある。自己満足と言われてしまえばそれまでだが、気の向くときに何回かに分けて載せていきたいと思う。

          §           §           §

原田康子『挽歌』のあらすじ(その1 第1章から第3章まで)
第1章 秋分の日

Aなんのお祭りなのだろう……
鳴り続ける旗、町のざわめき、家からタバコを買いに出たわたし、祝日や曜日に無関心、4人の家族、父の書斎、100円紙幣、ばあやとのやりとり

B煙草を買う、花屋の車、お彼岸に気付く、死者たちのお祭り、わたしの服装、黄色い風船、旗の音が蘇る、青い風船、わたしだけのお祭り、求婚を受ける日

C夢を食べて生きるわたし、父のもってくるお見合いの話、わたしの不自由な左手のせい、肱が痛み出した頃、女学校から帰っての家事、水汲み、肱の疼き、教室で失神、ウエストがクラスで一番細い怜ちゃん、市橋先生に背負われて病院へ、そのまま入院、7年前の粉雪の日、先生に肩を抱かれる、先生の涙が頬を伝って落ちる、わたしのためにいつまでも泣いてくれればいい、その考えに気付き驚き悲しくなる

D父のもってくる縁談今まで2度、ゆうべの縁談、籐いすをキシキシさせる父、お寺の息子、父とふざける、宗派など父にはどうでもいいこと、恋人は16人、心配はしたくないという父、誰からも心配などして欲しくないわたし、ちょっと悲しくなる、父の頭髪、若さと財産と妻を代償にもらった白髪、まだ女に無関心ではなさそうな父、パパがお嫁さんをもらったらわたしも嫁に行く、ゆうべのかすかな風音は秋の深さを告げる音のようでもあった

Eわたしのお祭りの終わり、旗の鳴るかわりに雑草と楢の葉のざわめき、丘の上の草原、緑色のバット、煙草に火を付ける、一人だと思い楽しくて気取ったポーズ、近くにいる二人の人影、女の子と父親、ネリ、ネリ、仔犬とゴムマリ、ピースの青い箱、舌打ちして草の中に横になる、そんなことはわたしにとってどうでもいいことなのだ、女の子と声と美しい頬、波の音、それと楢の葉のざわめきを消す女の子の声、わたしをめがけてくるゴムマリ、マリを拾って後ろに隠す、仔犬に掌を噛まれる、女の子の悲鳴、男との邂逅、女の子のドレスよりも赤い血、効かない左手に気付きどうにかしてほしいというわたし、傷口をハンカチで縛る、犬は嫌いじゃないと嘘をつく、小父さんとよびかける、噛みついたお詫びにもう1匹をあげる、うなづく、逡巡しながら男の家に向かう、窪地の住宅街、30坪ほどの平屋、凹凸の多い灰色の建物、屋根の濃いオリーブ色、桂木といいます、物干し台の女、ママン、痛むかと聞かれて右手を乱暴に振るわたし

F地の底から涌く霧、仔犬とマリを抱いた女の子を抱いて帰って行く男、仔犬なんかもらいに行くものか、彼らの生活に憧れた自分に腹を立てるわたし、噛まれた傷口ではなく左肘が疼く、冬の匂い

第2章 秋分の日のあと、10月にはいってまもなく、公演まで2週間もないある日
A癒りの悪い傷、ばあやに手当をしてもらう、わたしと信彦がばあやをからかう、傷の手当てを受けるのが楽しい、ロマネスクな出来事を思い返す気分、結局仔犬をもらいに行かず、父娘に憧れたわたしを腹立たしいと思い続けたわけではない、かえって桂木家に行ってみたくなる、みみずく座の講演準備が始まり桂木家に行くことも仔犬を飼うことも面倒になる、わたしはみみずく座の24人の座員のうちの4人の美術部の1人、気心の合う愉しさ、お芝居をしようという人たちの雰囲気を愛する

B10月に入って秋の公演のための最初の集会、高台の崖際に建つ市民会館5号室、最年長の戸村さんを驚かす、高校3年生の須山さん、幼なじみの久田幹夫が美術部のチーフ、手の悪い私を二年前にわたしをみみずく座に誘う、死んだ母と久田の母(薬剤師)が函館のミッション系女学校のクラスメート、退院後久田薬局に薬をもらいに行く、久田幹夫がわたしの家に遊びに来た5年生の頃の思い出、久田にわたしの小さな部屋で絵を描いてもらう、青みがかった桃色のものがいっぱいに広がる薔薇の絵、今は芸大受験で三浪中、絵よりも絵を描くあるいは絵のことを考えている彼に引かれる、そんなときはひどく素っ気ない、わたしを労る気配を見せる時わたしは悲しくなる、悪い腕のことを考えて感傷的になる、感傷はわたしを愧じる、自分を愧じるだけでなく久田が無性に憎らしくなる

C古い大道具を調べに会館の物置へ、真っ暗で見当が付かないのをいいことに切り上げ、日中暇のある久田とわたしが翌日調べることに、わたし達は黙りがちにゆっくり歩く、高台から見下ろす星の少ない薄赤く染まった夜空、長い坂を降ってダフネへ、山荘風だが中は装飾がなく戸村さんの描いた色気のないカレイの油絵、客の少ないのはひどく生臭く嫌な匂いのするカレイの絵のせいだと言ったわたし、五十近いダフネの主人、戸村さんがわたしの今度の見合いの相手を尋ねる、お坊さん、フイフイ教のね、久田がわたしの右手の包帯に気付く、唇を動かしかけたが惜しくなって話すのを止める

D翌日からみみずく座の仕事、昼間は暇で信彦(弟)のサキソホーンを鳴らしてみたりする、ある日葡萄をもいでいて書斎の窓を開けた父に誘われる、小遣いをもらって一緒に家を出る、滅多にないので父の並んで歩くのが少し楽しい、事務所を売った、山も売ったよ、兵藤家の来歴、祖父達のフロンティアスピリットはわたしにも父にも信彦にもない、かわりに工場を買って小さな事務所を借りることにした、わたしに力づけて欲しかった父、わたしの言葉に父の眼がいつもより明るく輝く、洋服屋「アイリス」に寄る、からだの線の美しい四十前後の女主人、おまえにも服を作ってやると言われる、いらないというが困惑した父を見て高いのでなくちゃいや、どうせ贅沢するなら完璧に無意味な贅沢がいい、父から事務所が向かいの住友ビルの3階と聞く

E店先に出る、建物を眺める、父が山林を売ったのはいい服を着て居心地のいい事務所で仕事をしたいからではないかと思われてくる、建物の前にオリーブ色のジープが1台、道路を濡らして徐走する撒水車、それらの光景に奇妙な苛立ちを覚える、ジープの運転台にあのテリヤの飼い主が、わたしの手を噛んだことを思い出させてやりたくなる、別の青年にきびきびと的確に指図する様子、瞬間の驚きが消えないまま新鮮な感動にかわって心の中に拡がり出す

Fその夜市民会館へ、ポスターを描く、7時過ぎに予定したように仕事をやめて切符を売りに行く、切符を売ることを口実に桂木家へ行ってみたくなったわたし、理由もナシには訪ねてはいけない、口実ができてほっとして嬉しくなる、昼間の爽やかな感動の余韻、講演の方へ行くバス、疲れた乗客の中でわたしだけが若くて元気、入院していた病院の窓を見てふいに孤独な気持ちになる、三等病室のつめたそうな明かりが蘇る、バスの振動にそっと左肘を押さえる、7時過ぎを選んだ理由、おセンチな甘い想像、桂木家への憧れ、想像がそのまま現実になることを願う

G公園の入口でバスを降りる、窪地の方へ行く暗い通り、電蓄の音楽や海の音、動悸が速くなる、わたしの向かって行く方に歩く2人の後姿、どちらが先かわからないが思わず立ち止まる、「なぜ黙ってるんだ。言えないのか」、怒りを含んだ声、久田幹夫を思い出しすぐ忘れる、女の低い笑い声、楽しさは勿論悲しみも苦しみもはじらいもあきらめさえこもっていない、無感動な声に立ちすくみ小刻みに震える、どこかの玄関のあく音、桂木家のブランコをゆする、桂木さんだけでもいてくれればよい、ディーゼルカーの音・犬の吠え声、玄関をあける、赤い靴を見ていくらか落ち着く、卵色のセーターにあらいチェック模様のフレアスカートの若い女、おばさまならいる、あき子おばさまったら!、形の良いすらりとした体を青みがかった灰色のワンピースで包んだ女がやっと出てくる、光沢のある髪に縁取られた顎の細い顔はやや蒼白ざめていた、犬のことを説明しようとしたが彼のいないことを知って情けなくなってやめる、お待ちになったらという思いがけない優しさ、お上がりになりませんか?、低い笑い声、右手の黒いスエードの手袋、挨拶もせずに飛び出す、わたしの足はよろめいているよう、ブランコをギイギイ揺すって飛び出す、不気味でそれでいて悲しみのこもったような鉄の音、今は夜だからだと納得させる

第3章 晩秋の公演(11月3日)の前後
Aわたしが挨拶もせずに飛び出した理由、路上の女と桂木夫人が同一人、夫人が夫ではない青年と一緒でしかも彼に詰られていたことになるとわかってくる、証拠はない、そう考えたのは貞潔な人妻を願ったからではない、貞潔でも不貞でもどうでもよいそんな無関係な女にショックを受けたことが腹立たしかった、なんの証拠もないことに驚きそれを笑い証拠のなさを証明しようとするわたし、直感が間違いでなければよいという気持ち、夫でない男に問い詰められていた方が面白いという不謹慎な気持ち、同一人であることを願っている自分に気付くと今度はいよいよ同じ女ではないと思えてくる、彼女の夫から受けた爽やかな感動、異様な笑い声の女が桂木さんの夫人とは思えない、どっちにしろわたしとは関係ない、公演に向けた忙しさが衝撃を消すのに役立つ、公演前4、5日の忙しさ、疲れても忙しい方がわたしには愉しい

B公演の2日前博物館に久田幹夫と海猫の剥製を借りに行く、鴎であろうが海猫であろうがわたしにはどうでもよい、不気味な一種の死骸を借りに行くことが面白い、打ち上げられたボート、雨にくるくると舞うバスケットボールのゴールの網、孤独な感じのネットに季節が冬に移ってしまったことを感じる、急に疲れを感じる、雨のせい?、最高級のパンプスならば不気味さを深めるのに、風蓮湖で捕獲された白鳥の剥製に見入る、羽根布団をほしがった小さなわたし、重い白鳥を抱いて歩いたらさぞ愉しいであろうに、ボール箱に入れなければ透けて見えて綺麗なのに、雨が霙に、悪寒が走る、めまい、久田幹夫が手でわたしの肩を押さえる、雪の像がはっきり見え出す、博物館に戻るのは死体置き場のようでいや、沼の岸の食堂へ、市橋先生に肩を抱かれたことを思い出す、男に抱えられるのは病人になる時ばかりではないか

C堅い木の椅子に座って顔を見合わせて笑う、久田幹夫に背を抱えられたことが羞かしくなる、彼の腕の形が彫りつけられたような感触、奇妙な戸惑い、これまでは小さな感情の起伏が続く慢性疾患のようなものたちのよくないもの、一度だって彼に抱きかかえられたいなどと思ったことはない、貧血以外の理由はないのだが抱きかかえられたことには間違いない、面映ゆくなって片手で頬を押さえてうつむく、白鳥の剥製についてのとりとめもない話題、久田幹夫の顔に浮かぶ気遣わしさ・苦痛・惑い、わたしはたじろぎを感じる、からだのことをいうとわたしが不機嫌になるのを知っていてなお私を気遣う久田幹夫、いつかも蒼白い顔をしてた、桂木家を訪れた日のことを言われおどろいて彼を見つめるわたし

D心の動揺を気取られまいとしたのに久田はそれに気付きかつ忘れていない、わたしは久田が顔の青さを気に止めていたことにこだわりを感じる、しかし彼もわたしがショックをうけたことまではわからなかっただろう、別な疑いが涌く、久田幹夫が私の体を気遣うのはわたしを愛しているからかも知れない、久田幹夫にはわたし以外に付き合っている女性はいないしわたしに好意をもっている、わたしと慢性疾患的な物であったはず、ふいに気持ちが変わったとしたらわたしの貧血のせいか、わたしだって奇妙な戸惑いを感じたのだから、しかしまもなく久田幹夫はやはり以前のままの彼であるような気がし始めた、公演の打ち上げで4人で小さな焼鳥屋へ、真夜中もし久田がわたしを愛し始めたなら一人でわたしを送りたがるだろう、そんなそぶりは全然見せず滑稽に思えてくる、やはりわたしたちが急性疾患に罹るはずはないに決まっている、それにわたしの恋は自分を愧じねばならないようなひねくれたものではなく王者のように豪華でなければならない、しかしそう考えると隙間風のような冷たい思いがよぎる、それがまた癪にさわる、明日から病気になるからよろしく(つづく)
ラベル:読書
posted by あきちゃん at 18:01| Comment(4) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年05月24日

大峰の隠れた名峰七面山を訪れる(上)

天辻峠を越え、阪本から猿谷ダム沿いに走り、大塔の郵便局のところから東へ入る。唐笠山の起点殿野の集落の入口だ。この奥がどこに通じているのか考えてみたことはなかったが、名まえだけは聞いたことがある高野辻を越え、七面山への入口、篠原方面へ向かう。以前篠原へは大塔夢の湯のある宇井からの道が本来だったが、最近はむしろこちらがメインだという。
高野辻から下り着いた篠原は、山の南斜面に立地する比較的大きな集落である。ここからさらに奥へ、マイクロバスがやっという道をひたすら清流に沿って遡る。一体どこへ向かっているんだろうかと、自分の座標を見失いそうになる、そんな静謐な澄んだ世界が眼前に展開していく。
車の入れる最奥から七面山登山口まで、退屈な長い長い林道歩きが続くのを覚悟はしていたのだけれど、そこは時間が止まってしまっているかのような想像を越えた世界、退屈とは縁も所縁もない異次元空間だった。ヒトのやることなど、所詮無益に過ぎない……

          §           §           §

バスを降りて最初にしたこと、それは靴紐を締め直すことではなくて、山靴を脱いで素足になることだった。目の前には今まで遡って来た渓流。元はここを車が渡っていたはずなのだが、そこは今や川幅いっぱいに水が流れる渓流の中で、堰状のところを徒渉するのである。
初めはビニール袋を履いて渡ろうとした。しかし、流れの中程の地点までは行けたが、そこから先は深くて無理。潔く裸足になるしかなかった。しかし、堰のコンクリートを張った部分は、ヌルヌルして滑るし、玉石のある川底は痛いのなんのって! それに尋常でない冷たさ。しかも山靴を入れたビニール袋を右手に持っての歩行はバランスも悪く、重心を崩して何度も倒れそうになる。水に浸かりそうになりながら、辛うじて濡れずに渡り終えた時は、冷や汗タラタラだった。
暫くはこの川沿いに行くが、一旦右岸に渡ってすぐ左岸に戻る箇所があって、その戻る箇所がまた完全に水に浸かった状態。なんとか靴底の側面にとどまる深さだったので、ビチャビチャやる感じで渡りきった。ここは思いの外に足元が安定していて助かった。
ここから道は枝谷の奥へと左岸を大きく回り込んだ後、本谷の高みに沿って谷奥へ向かう。ところが枝谷に沿って回り込み始めたあたりに1箇所完全に道が崩落してしまっているところがあり、元々の道路擁壁の上を迂回しなくてはならない。コンクリートの路盤がブラブラしている部分もあって、なかなか凄まじい状態だ。でもよく考えてみれば不思議な話で、山側の擁壁は完全に残っているのだから、ちょうど道の足元から下だけが崩落したことになる。いや全く一難去ってまた一難とはこのことかという林道である。帰りが思いやられる。

          §           §           §

枝谷はこの先で二股に分かれ、両方を順に渡る。水は流れているが、ここはどうということなく渡れる幅だ。東側の谷はすぐ上が見事な滝になっている。西側も滝状をなすが、上の堰堤が間近に見えるので、景色としてはよくない。
こうして舟ノ川に南から合流する支流を渡るための迂回をやっと終えると、暫くは舟ノ川の本谷の左岸の上部を平行に進み。そのうち道は今度はジグザグに高さを稼ぐようになる。
道、と書いたが、元は立派な林道、しかもしっかりしたコンクリート舗装の道だったはずなのに、もう二、三十年は手が入っていないのだろう、荒れに荒れていて、崩落した石の堆積が半端ではないところも多いし、倒れてきた木の下を潜るところもある。苔むしたところ、枯れ葉の積もったところも多くて、林道歩きの割には足に優しい。が、思いの外に時間がかかる。なんだかこう自然に帰りつつあると言おうか、自然の脅威が襲いつつあると言おうかこ、多人数と歩いているからいいようなものの、それこそ何かに吸い込まれてしまいそうな感じが漂う。
ただ、荒れに荒れてとはいっても、裏寂れというのではなくて、圧倒的に自然の生気がみなぎっているのである。あちこちに崩落した岩石が無造作に散らばっているジグザグ道の曲がり角に、ふとどう見ても自然の技とは思えない石の堆積がある。大きな岩の上に拳大くらいの石がたくさん積んである。林道歩きに飽きた登山者の休憩時の仕業だろうか。
堰堤で補強された同じ谷筋を何度も横切るつづら折れが終わって、再び暫く舟ノ川の谷筋に沿って水平に歩く。視界がひらけて谷筋の最奥が望める地点がある。奥駈の稜線にゆったりと突き上げる舟ノ川の姿は雄大そのもの。その左端をしっかりと支えるなだらかな三角は、奥駈の明星ヶ岳だろう。ということは、あの後ろには、弥山と大峰の最高峰八経ヶ岳が鎮座しているばずだ。
林道歩きにそろそろ飽きかけてきた頃、ようやく七面山登山口に着く。ここまで1時間50分ほど。距離にしたら4㎞弱しかないのだが、障害物競争のようなもので、それらを一つひとつ多人数で越えるのにはやはりそれなりの時間を費やす。
到着の直前、思わぬプレゼントがあった。道端に咲くヤマシャクヤク、そしてウスギヨウラクである。ヤマシャクヤクはたった一輪だけお椀のような量感のある白い花びら(付け根だけ刷毛で描いたようにちょっとだけ紫のアクセントがある)に、黄色い雄蘂と先端が紫の雌蕊をもつ。一輪だけのヤマシャクヤク.JPG
〔一輪だけのヤマシャクヤク〕
ウスギヨウラクもひと枝だけだが、4つほどの細長い釣鐘のような、先端が淡い紫色の花が、柔らかに開きかけていた。知らなければ気付かずに通り過ぎてしまっただろう花たちに会えたのは、同行者があればこそである。もちろん、それらの名まえにしてからが、山ノ花に詳しい同行の先人の導きによるのだ。
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〔風にそよぐウスギヨウラクの花〕

          §           §           §

さて、ここからがいよいよ山道で、1,075m余りから、1,330mの尾根までの直登である。45分ほどで、250m余りをかせぐ。この日の行程では一番きつい登りだった。周りは相当の年数を経たヒノキの植林帯。林道を通した頃の仕事ではないかという。ところどころに想像を絶する太さの朽ちかけた切株がある。多分元は樹齢千年規模のヒノキの森だったのだろう。台湾の阿里山を思い出す。
登り着いた尾根は、奥駈道から七面山に派生した尾根の先にあたり、植林帯から気持ちのよいブナの優しい自然林へと、一気に雰囲気が変わる。
ここから先1,397m峰に登った後は、岩や木の根の出た痩せ尾根歩きが続く。木の根の間に大きな穴があったりして気を抜けないが、アケボノツツジがところどころに満開の花をつけ、シャクナゲも真っ赤な蕾と少しピンク味を帯びた花を見せてくれている。そして木の間がくれに北にはいよいよ大きくなってきた奥駈道、南にはこれから行く槍ノ尾の頭が丸い姿が顔を出している。道としては結構しんどく油断できないが、見る者を飽きさせない景色が続き、カメラの準備に手が離せない。
七面山に向けての長い登りが始まる直前でお昼。いくらか見通しのきく気持ちの良い場所だが、日陰を探して腰を下ろそうとしたら、マムシらしき蛇がとぐろを巻いているのに出くわしてしまった。丁重に挨拶を交わして(?)その場から離れ、別の場所に移動する。実物を見るのは生まれて初めて。赤い舌をチョロチョロやっているのが見えたが、動き出す気配はなく、帰路にのぞいてみた時も、また同じ場所にじっと陣取っていた。

          §           §           §

さて、お腹が一杯になってからの登りは辛いが、そんなことを言ってはおられない。というのは、時折左手に谷底まで続く崩落の細い筋の刻まれた明星ヶ岳に続く奥駈道が、さらに雄大に望まれるのである。景色が遮られているところでも、シャクナゲの赤い花が密やかに咲いていたりする。ますます撮影ポイントには事欠かないのだ。
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〔ほころび始めたシャクナゲ(つぼみは真紅に近い。西峰への最後の登り始め付近)〕
それと、はるばる奥駈道の深山までやってきたことを実感させてくれる音に出会った。ツツドリのポポ、ポポ、というつぶやきである。キツツキの類はしょっちゅうではないにしても、結構耳にすることがある。しかし、ツツドリはこれまでテープでしか聞いたことがなかった。
なんと形容したらよいのだろうか。地の底、と言おうか、この自分を取り囲んでいる空間の中から湧き上がってくる、いやそれとも違う。上がって来るのではなく、空間から浸み出して来ると言った方が相応しいかもしれない。ただ、それもけしてジワーッというのではなく、コロンと飛び出して来る感じである。しかもこう、腹の底に軽やかに響き渡るのである。今自分がどこにいるのかも忘れて聴き入ってしまった。
ふと我に帰ると、足元は相変わらず不安定で、傾斜も増して来る。このイメージは、鉄山の山頂の直前のあの感じによく似ている。岩角と木の根、それにシャクナゲ、このセットは、大峰の代表的なアイテムと言っていいだろう。((下)につづく)2,シャクナゲの花(開くと濃いピンク色に。七面山西峰への最後の登り道で).jpg
〔シャクナゲの花(開くと濃いピンク色に。七面山西峰への最後の登り道で)〕
ラベル: 季節 奈良
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2018年05月19日

バッハの現存最古のカンタータBWV150を聴く

今年は5月13日だった昇天節後日曜日(復活節後第6日曜日)のカンタータは、BWV44とBWV183の2曲。ガーディナーのカンタータ巡礼では、21枚目のCDに収められている(SDG-144)。このCDにはもう1曲BWV150という用途不詳(Bach Cantatas Websiteでは悔い改めの礼拝用に分類している)のカンタータが収録されている。暗い音調の曲であまり取っつきがよくないため、これまであまり聴き込んだことはなかったのだけれど、特別有名な曲という訣でもないのにカンタータ巡礼においてガーディナーはなぜかこの曲の2回演奏していて、両方ともカンタータ巡礼のCDに収められているという特異な曲である。
そのあたりの事情はぼくには全く不明とせざるを得ないが、調べてみるといろいろ複雑な曲であるらしい。
別テイクのBWV150を収めるSDG131(左)とSDG144(右).jpg
〔別テイクのBWV150を収めるSDG131(左)とSDG144(右)〕

          §           §           §

BWV150について調べることになったそもそもの始まりは、この日のカンタータを自分用に整理した2018年の教会暦に沿ったカンタータリスト調べていて、大きなミスに気付いたことにある。ぼくは次のように書いたのだが、お恥ずかしいことだが、これは大間違いだった。

・2018/5/13 昇天節後日曜(復活節後第六日曜)
  BWV44(ガーディナー21、鈴木20、リヒター10、クイケン9)
  BWV183(ガーディナー21。ガーディナー15の2000年4月末ドイツにて録音のものとは別の、2000年6月4日のイギリスでの録音。短期間に2度の録音を行ったことになる〉、鈴木39)

これだとBWV183を二度演奏していることになっているが、ガーディナー15(SDG-131)を見てもBWV183は収められていない。そうこうするうちに、下記のBWV183についてのこととして書いている説明は、正しくはBWV150に関するものだったことがわかった。
何故こんな間違いをしでかしてしまったのか。これまで毎年掲載してきたカンタータリストを順に遡ってみると、2017年はこれと全く同文で、同じ誤りを犯していた。
ところが、2016年のリストはつぎのようになっていた。

・2015/5/17 昇天節後日曜(復活節後第六日曜)
  BWV44
  BWV183(以上、DISK21。BWV150を併録〈DISK15の2000年4月末ドイツにて録音のものとは別の、2000年6月4日のイギリスでの録音。短期間に2度の録音を行ったことになる〉)

つまり、誤りの理由は簡単で、ガーディナーのカンタータ巡礼だけでなく、他の演奏(この場合は鈴木雅明・BCJ)を加えて2017年版を作成する際に、「BWV150を併録」という部分をすっかり落としてしまったのである。まずは、長年誤りに気付かずにいたことをお詫びしておきたい。正しくは次のようにあるべきである。

・2018/5/13 昇天節後日曜(復活節後第六日曜)
  BWV44(ガーディナー21、鈴木20、リヒター10、クイケン9)
  BWV183(ガーディナー21〈ガーディナー21にはBWV150を併録。ガーディナー15の2000年4月末ドイツにて録音のものとは別の、2000年6月4日のイギリスでの録音。短期間に2度の録音を行ったことになる〉、鈴木39)

あるいは、ガーディナー15の方には併録情報を省いているし、末尾の用途未詳のリストには加えているのであるから、ガーディナー21にも敢えて書く必要はなかったのかも知れない。

          §           §           §

というわけで、ミスに気付くことになってしまったが、その過程で、この曲がかなり古風な作風で、バッハの現存するものでは最も古い時期に作曲されたカンタータであることがわかった。BWV150の概要については、葛の葉さんのホームページ「バッハの教会カンタータを聞く」の説明がたいへんわかりやすい。
葛の葉さんによると、BWV150を演奏するにあたっては、ピッチの設定がかなりややこしいのだという。コープマンと鈴木雅明・BCJに比べると、レオンハルトはピッチを低く設定しているのだという。現代に一般的なピッチに比べると、前者は半音高く、後者は半音低く、前者と後者とでは約全音の開きがあることになる。
葛の葉さんはガーディナーの演奏については触れていられないが、もしかしてそうしたピッチの違いが2度演奏を行ったことと関係するのかと思って、ガーディナー15と21の演奏を聴き比べてみたが、全く高さは同じで、鈴木雅明・BCJと一緒だった。ちなみにリリングも全く同じ音程だった。2つのテイクを収録した理由は、結局振り出しに戻ってしまったけれど、お蔭でこの曲を何度も聴く機会が与えられたのは幸いだった。
全体に暗い曲調だが、唯一第5曲のアルト・テノール・バスの三重唱のアリアだけは、優しく明るい長調の曲で癒やされる。その気分は第6曲にも受け継がれるが、次第に暗さを帯びていき、第7曲のシャコンヌの形式によるという合唱に入る。真偽の程はわからないけれど、このBWV150最終曲のシャコンヌに感激したことが、第4番のシンフォニーの最終楽章をプラームスがあのような古風な形式で作曲した契機になっているというエピソ-ドもあるのだという。詳細やこのエピソードの問題については、ほーほさんの「ブラームスの交響曲第4番第四楽章 ~パッサカリア、シャコンヌとの関連~」に詳しい。
ラベル:CD 音楽 バッハ
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2018年05月13日

伊賀の静かな山へ─油日岳周遊─

連休の1日、伊賀盆地東端にある油日岳を訪れた。全く初めの山域だが、先だって島ヶ原のやぶっちゃの湯に出かけた時、この方面が案外近いことを再認識し、以前山の会で登り損ねたこの山に出かけてみようと思い立った次第。幸い、山と渓谷社の『三重県の山』で行程の概要はつかめる。それによればアップダウンのあるスリリングなコースと紹介されていて、全工程で3時間25分と比較的コンパクトでもあって、家内と2人でのんびりと山行を楽しむにはちょうどよさそうだ。

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朝7時20分に出発。このくらいならばさほど無理せずに出かけられる時間である。木津川大橋を渡り、163号線をひたすら東へ。伊賀盆地への下りに入ると、正面に目指す油日岳のギザギザが大きく見えた。東には霊山のどっしりとした姿。その間にやや低いけれども特徴のある先鋒が見える。あれは錫杖ヶ岳だろうか。
不思議なもので、盆地に下り切って平地を走り始めると、さっきあれほどの大きさで目に飛び込んできた山々が、実際にはさっきよりも随分近づいているはずなのに、かえって遠ざかって小さく見える。途中、コンビニで昼食を補充し、コーヒーを飲んだあと、一路油日岳の麓の余野公園をめざす。
上柘植ICからの道を、ICとは反対方向に左に曲がって関西線を渡り、さらに草津線を渡ってその線路沿いに北上するとまもなく、余野公園の入口である。右折して、車もまだまばらな駐車場からさらに公園北側の園路を東に走り、公園南側から来る道に出て左折。あとは木陰で、時折コントラストのきつい対向の難しそうな一本道を、所々にある穴に注意しながらひたすら走ると、やがて8:40に奥余野の駐車場に着く。
ここまで家から80分余り。一台だけ先行車がいたが、ガラガラでやや拍子抜けの感がある。清潔なお手洗いがあり、身支度を調える。森林整備の案内板には標高336.3mとあるが、地図では325mほどである。

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9時過ぎ、お手洗い脇から東海自然歩道の広い道を登り始める。瀬音の響く道はまもなく細くなって山道らしくなる。歩きやすい道だが、傾斜はそこそこあり、幅の狭い部分もあって結構汗をかかされる。案内板によれば、坎霞渓というのらしい。谷音が次第に弱まってなおも谷筋を登り詰めると、やがて明るいゾロ峠に飛び出す。ここまで30分余り。しばし休憩を取る。標高559mで、ここまでで、谷筋230m余りも登ったことになる。
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〔1ゾロゾロ峠への道(明るいところが峠)〕

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〔2ゾロゾロ峠〕

ゾロ峠とはどういう意味なのだろうか。案内板にはぞろぞろ峠と書いてあるものもあった。ぞろ目のゾロか、はたまた何かがゾロゾロ出て来るのか、他にあまり聞いたことのない地名だ。
ぞろ峠からは左へ少し大回りに尾根に取り付く感じで10分余り登り詰めると、南側が展望の良い尾根に飛び出す。錫杖ヶ岳かと思われる尖った特徴のある山塊が手近に望め、完璧な快晴に映えるスカイラインが美しい。この付近から結構風が出始めて、木立の中ではあるのだけれど涼しく感じるほどで、再び上に一枚着ていくことにする。
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〔3倉部山への気持ちのよい尾根道〕

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〔4錫杖ヶ岳(左奥の三角形)と経ヶ峰(中央最奥)〕

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痩せた部分もあるけれど、楽しい尾根歩きが続き、少しだけ高度を稼ぐと、もう倉部山。南北の細長い690mほどの気持ちのよいピーク。
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〔5倉部山の山頂〕
このあたりヤマツツジの赤い花が見事で見とれながら行くと、足下に白い花が落ちているではないか。近くにはそれらしい木はないけれどなあ、さて、と付近を見上げてみると、新緑に埋もれてしまって目立たなかったのだけれど、ひっそりと白い花を付けている木がある。この花はどこかで見た記憶がある、そう、丸い5枚の葉が特徴のこの木はシロヤシオに違いない。大峰で教えてもらった花である。まさかこんなところでお目にかかるとは思わなかった。1本見つけてしまうと、ヤマツツジほどではないけれども、結構あちこちに咲いているのがわかった。木立を抜ける風にそよいでなかなか焦点が定まらず、いい写真を撮るのは難しかったが、こうして気の向くまま目の向くまま、思ったところで思っただけの時間を取れるのは、個人の山行ならではのことだ。とはいえ、個人で歩いているだけでは、珍しい草木もそれと知らずに通り過ぎてしまうことも多く、それぞれに利点はあるものなのである。
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〔6シロヤシオの見事な花(倉部山と・不鳥越峠の間)〕

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〔7シロヤシオとヤマツツジと〕

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〔8シロヤシオの花〕

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〔9ヤマツツジの花〕

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〔10満開のシロヤシオ〕
細長いピークの木立でヤマツツジとシロヤシオの花を満喫したあと、次のピークの三国岳の間の鞍部に下りきる少し手前に、今日これから回る山々を一部にできる地点があった。正面には頭をちょうど兜のようにスパッと切った感じのユーモラスな印象の三国山を望み、その右手には那須ヶ原山への凸凹の稜線、左手にはこれから踏んでいく予定の忍者岳、加茂岳、油日岳のこれまた凸凹の山稜が見渡せる。
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〔11鳥不越峠の手前より錫杖ヶ岳を望む〕

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〔12鳥不越峠の手前より三国岳を望む〕

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下りきった鞍部が鳥不越峠。左前に油日岳が大きく、その左に甲賀方面の展望が素晴らしい。
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〔13不鳥越峠より甲賀方面を望む〕
ここから三国岳へは、岩をまじえた結構な傾斜の登りとなる。途中、左斜面の下方にシャクナゲらしい濃いピンクの大輪の花を見つけたほか、登って行く岩のそこここに、イワカガミの咲いているのにお目にかかった。最初、たまたま足下に、先日堀坂山で見たのよりはやや色の薄い花を3つほど見かけたのだったが、そのつもりで足下を見ていると、それこそあちらにこちらにも群生といってもよいくらいに特徴的な葉があることがわかった。そしてところどころに可憐な花を咲かせているのである。快晴の好展望に恵まれ、思いがけなくシロヤシオに出会い、そしてイワカガミの群生を目にし、もうこれだけでもここまで出かけてきたかいはあったと思う。
イワカガミに囲まれて漸く登り着いたところが三国岳で、北側の鈴鹿方面の展望が開けている。693mほどのピークである。案内板は690m)。ここで那須ヶ原山から続くいわば鈴鹿の主脈に出会うことになる。ここからは鈴鹿山脈の西のはずれに向かって歩むことになる。那須ヶ原山へは片道1時間半ほどという。機会があったら是非今度また縦走してみたい。
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〔14三国岳付近のイワカガミ〕

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三国岳は東西に細長いピークだが、最高点は西端にあって、今登ってきた南側もこれから向かう油日岳への周回コースの西側も、いずれもスパッと急傾斜に落ちている。中でも西側は急で、初めは相変わらずイワカガミがあちこちにかたまって生えているザラザラの滑りやすい急斜面をあちこちつかまりながら降りてゆくことになる。
ここの降りについて、案内書にはこのコース中の最難関との説明があって、確かに歩きにくくはあるけれど、地図で見る限りそれほど鞍部まで高度差がある訣でもなさそうだし(地図ではせいぜい20m)、そこまでたいへんかなあと思いながら下り始めたが、傾斜も増す上に大きな岩もあってこれはやはりなかなかな降りだと認識を改める。最後はそれこそ穴の底に降りるような感じで岩の積み重なりを急降下し、望油峠に降り立った。
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〔15望油峠への下り(下から見上げる)〕
望油峠、さてどう読むのか。俄にはこれといった相応しい読みが思い浮かばない。そもそもなぜ油なのか。ひょっとして油日岳のこと? しかしここからは次なるピークの忍者岳が邪魔をしていて油日岳は望めない。いまだに謎である。
望油峠急降下の途中で、今朝余野公園から駐車場までの道で追い越し、駐車場で追いつかれ、恐らくまっすぐ三馬谷方面へ向かったと思われる男の人とすれ違った。油日岳を廻って来られたのかどうかは定かではないけれど、結構なペースに違いない。

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望油峠から再び穴から這い出すように急傾斜の滑りやすい道を30mほど一気に上がる。道は次第に左にカーヴするようになり、右手に油日岳への尾根筋の道を分けると、すぐに忍者岳のあまり見晴らしのよくないピークに到着する。標高は案内板によると728m(地理院地図だと720m余り)。今日の最高地点である。命名は最近のものといい、甲賀の忍者に関わるのだとは思うが、謂われはよくわからない。
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〔16忍者岳の山頂〕
ここで今日お2人目の登山者と出会う。忍者岳は行き止まりでここの真っ直ぐ下らないようにだけは気を付けなくてはと思っていたその尾根を登ってくる方がいられたのである。もっとも駐車場の所を真っ直ぐ林道を辿り、そのまま正面の尾根を上がればここに到着するはずである。それでも頂部は比較的平らだけれど、その周りはストンと落ちているのでかなりたいへんだったはずだ。こちらがこれから油日岳へ行くところだと言ったら、道を間違えたみたいだと言っていられたけれど、そんなに息が上がっている風ではなかったので、もしかしたら一応のトレールはあるのかも知れない。
さて、件の方を忍者岳の残したまま、一足先に油日岳を目指して少しバックして、再び鞍部めがけて25mあまりを一気に下り、そしてまた20m余りを一気に登る。キレット状の場所だ。こにもまたイワカガミの群生が見られた。登り切ったところからの尾根道は痩せた箇所もあって、結構緊張させられる。来し方や鈴鹿方面の展望の良い地点も多く、凸凹はあるがそれほど苦にはならずに歩ける。
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〔17鈴鹿主脈方面を望む(忍者岳の北より)〕

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〔18来し方を振り返る(忍者岳北のピークより三国岳方面)〕

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〔19痩せ尾根の通過(忍者岳・加茂岳間)〕
その細長いピークの真ん中辺り、パットしない高まりに加茂岳の導標があった。その西の700mほどのピークからは再び30m位下って鞍部に降りる。ここから地図にはない油日神社へ導く導標がある。この辺りだったかと思うけれど、小学生らしい男の子と女の子を連れたお父さんとすれ違う。子どもの声が聞こえてあれっと思い、まさかと思っていたら、本当に子どもたちが現れて驚いた。これから先結構たいへんだろうになあと思う。

          §           §           §

細長く続く鞍部から最後の登りを上がるとそこはもう油日岳(693m)だった。12時半くらいの到着。神社の脇でお昼にする。30分ほど休憩する。見晴らしはあまり良くないけれど比較的明るい山頂である。神社の手前に三馬渓方面への導標を確認する。神社の左側には「岳大明神という大きな標注があり、「油日荒魂神/相殿罔象女神」とあった。油日荒魂神は油日神社の祭神で、油の火の神、ミズハノメの神は灌漑用水や井戸の神とのことである。
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〔20油日岳の山頂〕

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〔21油日岳山頂の岳大明神〕
山頂から北西側へ一段降りたところに小屋があって、参籠のための施設、兼避難小屋とのことだが、その前が比較的開けていて見晴らしが良さそうなので、また戻って来なくてはならないけれども折角なので少し降りてみる。これが大正解だった。
甲賀方面が一望のもとで、それだけではなく、左は上野の盆地から、右は東近江方面が一望のもと。遠方には見覚えのある三角錐が遠望されるではないか。三上山である。ということは、その遙か向こうに霞んでいる高い山々は、比良山系に違いない。不思議な角度で展望が利くものと感心する。ちょうど琵琶湖の東岸の湖岸線に平行に視界が展開しているのである。
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〔22油日岳から琵琶湖方面を望む〕

23三上山と遠く比良山系を望む.jpg
〔23三上山と遠く比良山系を望む〕

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〔24油日岳からのパノラマ(伊賀盆地から琵琶湖方面)〕
残念、鈴鹿の山々は無理かと思って諦めようとしたら、さらに少し降ればもしかしてと期待を抱かせる雰囲気だったので、頑張って下ってみると……、これまた大正解だった。鎌ヶ岳、御在所岳、そしてぬっと大きな図体の山は、地図で見ると雨乞岳だろうか、木々が邪魔をして、これらの山々を一度に見るのは難しいけれど、少しずつ位置をずらせばそれぞれを展望することができる。ほんのちょっとのことで、随分と見え方が違ってくるものだ。これも時間に余裕があればこそのことである。
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〔25油日岳直下から鈴鹿方面を望む〕

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名残惜しいが再び山頂の神社前に戻り、三馬渓方面の案内に従って、尾根を西に下る。じきに尾根通しに下る道から左へ谷に降りる道が分岐し、今日はこちらを選ぶ。道は谷筋に向かって一気に下る急傾斜な道で、まもなく瀬音が聞こえてくるようになり、降り立ったところには、谷筋に沿って遡ると、忍者岳・加茂岳に至るとの導標がある。
ここからは沢に沿って下るようになり、左から合わさる谷筋と一緒になったあとは、何度か沢を渡り返す。水量の多い季節だとちょっと難渋するかも知れない。一箇所だけハシゴのかかるところがあるが、どうということなく通過できる。沢から離れて高巻きする箇所もあり、そういうところは滝があって、何段にも連続する滝が美しいが、一度に全体を眺めるのは難しい。三馬谷滝はこれらの総体をいうのだろう。
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滝を過ぎると、渓谷歩きも先が見えてきて、まもなく休憩所があり、舗装道に飛び出す。今朝車を駐めた駐車場のさらにドン付きにあたり、駐車場にあったのと同じ保全林整備の際の大きな看板があり、下ってきた道が三馬谷渓谷入口、左から合わさる道が三国岳、不鳥越峠方面への導標がある。ここから舗装道をのんびり15分も下って今日の山行を終えた。
山では3組5人、ほかに駐車場の手前でバーベキューをやっている家族連れがひと組いただけ。下ってくると、連休中の余野公園の駐車場はさすがに満杯で、結構賑わっていたが、山旅としては至って静かな1日だった。
〔26三馬谷滝〕

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折角だからということで少し走って、甲賀市の油日神社に立ち寄る。本当は余野公園から見る油日岳が素晴らしいのだが(案内書の載っている写真は多分そうだろう)、結構な人出のなかわざわざ降りる気もせずに走り出した。幸い油日神社への途中、絶好とまではいかないものの、結構きれいに油日岳が望める地点があった。
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〔27油日神社へ向かう道からの油日岳遠望〕
さて、行き着いた油日神社がまた静かで、参拝客が数組いるだけ。至ってのんびりとした神社だったが、回廊を伴う白木の素朴な楼門(1566年)と拝殿(桃山時代)・本殿(1493年)の建物は壮観で(いずれも重要文化財)、見応えがあった。普通に南を向いた建物で、南東方向にある油日岳とはいったいどういう関係になるのかよくわからない。神社から油日岳が望めるという訣でもない。神社の参道の南の道路から東に望めたのは、あれはむしろ那須ヶ原山ではないだろうか。
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〔28油日神社楼門と回廊(内側から)〕
帰途はやぶっちゃの湯で汗を流してくるつもりで、着替えの用意までしていたのだけれど、まだ15時を少しまわったところで、今から帰れば日の長い今なら明るいうちにワンコたちの散歩にも行けるということで、今日は温泉は割愛。南山城村の道の駅で、先日美味を堪能した抹茶とサクラのソフロクリームをいただくだけにして、比較的コンパクトでありながら、変化に富んで楽しかった行程を振り返りつつ、一路163をワンコたちの待つわが家へと向かったのだった。
【追記】
ラベル: 季節
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