2018年06月26日

電車に乗り損ねた夢─夢の記憶50─

自転車に乗って駅まで向かわなくてはならない。時間も迫ってきていたらしい。少し遠いけれど隣の駅まで行けば、急行も停まる。でも、距離があるのと、途中に登りがあるので、それほど急いで急行で行かなくても、まだ各駅停車でなんとかなるだろう。そう考えて最寄駅へと走る。
線路に沿って、これから乗って行くはずの方向とは反対に、少し戻る感じに走ると、駅が見えてくる。最寄駅には各駅停車しか停まらない。各駅停車は一本逃すと20分は待たなくてはならない。いいタイミング着けるといいのだけど……
ガードをくぐって線路の南側に回り、南口を目指す。自転車をどこに置こうか思案していた記憶も微かにあるが、駅が近づくと、もうそんなことはどうでもよくなっている。夢とはまことに都合の良い身勝手なものだ。
向こうから電車がやってくるのが見える。しめた! 徐々にスピードを落としで向かって来るのがわかる。この駅に停まる各駅停車に違いない。よし、間に合った、と思って改札に向かう。でもちょっとギリギリだ。急がねば!
ところが、南口の前に着いてみると、改札のシャッターが降りているではないか。そして何か貼り紙が……。その文面を読む前に、たちどころに記憶が甦ってきた。ひと月ほど前、南口改札は、利用客が減っただかで、閉鎖するというのだ。
ああ、こんなことなら、姑息なことを考えずに、真っ直ぐ北口に向かえばよかった。でももう遅い。電車はもう視界にも入っては来ず、ぼく自身がそれからどうしたかも全くわからない。ただ、画面が急にフェードアウトして、目の前が真っ白になっただけだった。

          §           §           §

この夢、実は前にかなり長い前段があったのである。駅へ向かうよりも前に、直接の脈絡はないが(思い出せないのだから確証はないが、そんな気がする)、複雑な話があった。しかし、いくら考えても思い出せない。この後段にしてからが、目覚めた当座は全く記憶が飛んでいたのだ。
ところが、起きてすぐ洗面など朝の支度をしていてふと、何かほぞを噛む思いを味わって舌打ちした瞬間に、その悔しい思いに導かれるかのように、夢の後段の結末のみがフラッシュアップしてきたのである。
普段そんなに物事を根にもつタイプではないと自認しているくらいで、夢を思い出すきっかけはもうとっくに忘れてしまっているくらいなのだけれど、夢で電車に乗り損ねたことが余程悔しい、というよりか、むしろ精神的に応えていたとみえる。次々と前段の直前までの経緯が浮かび上がってきたのだった。
夢であるから必ずしも現実の世界とは結びつかなくてもよいのだが、夢を見ている最中には、急行停車駅は、近鉄奈良線の学園前駅、各駅しか停まらない駅は菖蒲池駅が念頭にあった記憶がある。
しかし、風景は全般にのどかな畑が多かったし、駅の様子も似ていない。南口はガードをくぐったままの高さで線路より一段低かった。ガード部分の橋脚のレンガ積みをよく覚えている。一方北口は、夢では行っていないはずだが、明るく開けた線路と同じ平面にあったのが記憶にある。
前段を思い出したいのにとっかかりがない。それさえ見つかれば、芋づる式に手繰り寄せられそうに思うけれど、この雲をつかむような空虚な感じ、辛いものがある。50回めの記念すべき(!?)夢の記憶の割には、締まらない話になってしまった。いかにもぼくの夢の記憶らしいといえばそんな気がする。
ラベル:日常
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2018年06月23日

平城宮跡から望む盆地南部の山々

山に登る楽しみの一つが、眺望であることは疑いのない事実だろう。悪天なら悪天でまた山の楽しさはあり、元々眺望のない山にもそれぞれに好さはあるものだが、眺望がありかつ好天に恵まれるなら、山の楽しみは倍加される。加えて、それぞれの山の同定ができれば、その楽しさはさらに深まるというものである。
ところが、実際に眺望を前にして地図とにらめっこをしても、自信をもってあれがどこの山、これがどこの山と、という具合に山の名を決めていくのはなかなか容易なことではない。
一つでも決め手になる山があれば、そこを基準に左右にいわば芋づる式に同定できそうなものだが、実際にはそれとても結構難易度は高いのである。山を凝視してしまうせいか、離れて見える山でも、地図上では案外近くに隣り合っていることもある。2点が決まれば何とか辛うじて同定は進むことになるが、山の奥行きの感覚をつかむためのもう1点が特定できるとなおいいのだが、実際にはそう簡単にはいかない。

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平城宮跡から、空気の澄んだ日ならば大和盆地南部の山々を望めることは、前にも紹介した。必ずしも季節に関わりはないものの、なかなかよいコンディションの日にはめぐり会えないものだが、先日たまたま夕方一条通りを車で通りかかって、内裏のあたりから南に透明なシルエットが浮かび上がっているのに遭遇した。快晴というわけではなく、空が白っぽかったにもかかわらず、山の輪郭がはっきり見えるのである。まだ日暮れには間があったので、早速自転車を走らせて、眺望をカメラに収めに行った。
平城宮跡内裏付近からの大和盆地南部の山々の眺望.jpg
〔平城宮跡内裏付近からの大和盆地南部の山々の眺望〕

一番高く見える牛の背中のような山は、大峰の最高峰八経ヶ岳の手前の弥山に違いない。その左のギザギザは、稲村ヶ岳かその南のバリゴヤノ頭かと見当を付ける。そうすると、その左には山上ヶ岳が見えているはずである。行者還岳や大普賢岳は見えるだろうか。地理院地図をあれこれ眺め回しても微妙である。大天井岳は手前に重なっているのだろうか。厄介なのは弥山より右手の西に位置する美しい稜線を構成する山々である。美しい弧を描く吊り尾根が見え、いつも気になっているのだが(この吊り尾根は秋篠川添いからもはっきりの視認できる)、金剛山の大きな高まりが始まるまでの間の山々の同定は、とても地図だけを頼りにしていたのでは捗りそうにない。キーになるこれという山が決められないのである。昨年登った果無山脈などが視界に入ってくるのかどうかも気になるところだ。しかし、考えてみれば、天辻峠を南に越えれば、川はみな南に流れるのである。分水嶺の向こう側の山々がそう簡単に見えるとしたら変な話である。

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結局一旦は同定を諦めざる得なかったのだが、最近の技術の進歩はめざましいものがあり、実際の景色に当てはめると、山名を表示してくれるアプリがあることは教えてもらったことがある。もしかしたら、地図上での山名同定のアプリがないかどうか、せめて見える山、見えない山だけでも教えてくれるものがないかと思って、アップルストアで探してみた。
予想は的中、まさに考えていた通りのことをやってくれるアプリにめぐり会ったのである。それは「地形を感じる地図アプリ スーパー地形」というアプリの「パノラマ展望図」という機能である。任意の地点を選択して、対地高度、描画距離、高さ強調を設定して、起動すると、ほぼ瞬時にその地点からの360度の展望と、ここがこのアプリのこの機能のすごいところなのだが、主要な山名を表示してくれるのである。表示されている山名をタップすると、今度はその山からの展望にたちどころに移動するという離れ業もやってのけてくれる。
これはこのアプリの機能の実はごく一部に過ぎなくて、他の機能はまだ一切試していないけれども、これだけでもぼくにとっては充分価値のあるアプリである。取り敢えず3日間は無料で使え、「パノラマ展望図」はそれを過ぎると制限される機能に入ってしまっているけれども、960円払えばこの機能を期限なしで入手することができる。本当にすごい時代になったものである。

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このアプリを使って、平城宮第二次大極殿の基壇からの見える山々の眺望を確かめてみた。弥山は予想通りであった。その右肩に明星ヶ岳が顔を出しているようだ。弥山の左のギザギザは稲村ヶ岳で、バリゴヤノ頭は見えているようだが奥に低くしか現れないことになっている。山上ヶ岳はほぼ予想通りだったが、そのさらに左に大普賢岳が位置しているのには驚いた。山上ヶ岳の真裏に重なっているかと考えていたのだが、予想外の結果だった。
弥山の右手の三角が頂仙岳であるのも確認できたが、その先の金剛山・葛城山に連なる遠方の山々については、吊り尾根上に見えていた右側が天和山、そこから西(右)へ天狗倉山、高城山、白石山、白六山、唐笠山、乗鞍岳、伯母子岳、荒神岳、七霞山、陣ヶ峰などと続いて、金剛・葛城の巨大な高まりが始まっていた。ちょうど大峰から高野山に連なる山塊である。天和山や唐笠山、荒神岳、七霞山はその頂をきわめたことのあるなつかしい山たちである。
いやもうなんといおうか、こうしてIphone上のアプリによって、一つの頂上をきわめたくらいの感動を味わったのである。第二次大極殿基壇から撮った眺望に山名を加えてみたもの、及び復元された第一次大極殿の南、復元工事の始まりつつある大極殿院南門の前から撮影した大峰主脈方面の写真に同様に山名を加えてみたものを載せておく。いずれも「スーパー地形」の「パノラマ展望図」機能の成果に基づいて検討した結果である。なお、試みにこれらがどの辺りに位置する山なのかを、地理院地図に星印を加えて表示してみたものも載せておく。直線距離で平城宮跡から弥山までは、概ね60㎞弱である。
第二次大極殿の基壇から盆地南部の山々を望む2.jpg
〔平城宮跡第二次大極殿の基壇から盆地南部の山々を望む〕

平城宮第一次大極殿院南門前から大峰山要部を望む.jpg
〔平城宮第一次大極殿院南門前から大峰山要部を望む〕

平城宮跡から望める主な大峰方面の山々.jpg
〔平城宮跡から望める主な大峰方面の山々〈地理院地図による〉〕
ラベル: 奈良
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2018年06月16日

原田康子『挽歌』のあらすじ2

前回書いた第3章の、博物館へ久田幹生と海猫を借りに行く場面、とても印象的である。風蓮湖で捕獲された白鳥の剥製に見入る様子はこのあとの伏線ともなっている。雨に霙が混じり始める中、ボール箱に入った剥製をかかえて帰る玲子は悪寒を感じ、沼の岸の食堂で久田と休む。天候の荒れる中、久田の微妙な心の交流がせつない。印象的な場面が多い挽歌の中でも、ぼくが特に好きなプロットの一つだ。
ぼくはこの場面を読むと、全くとりとめもないことだが、静岡県藤枝市の蓮花寺池の畔にある藤枝市郷土博物館へ向かった時のことを思い出す。晩秋の冷たい雨の、人っ子一人いない、無人の白鳥形のボートが風邪でギコギコ鳴っている湖畔を、博物館に向かってカサを斜めにしながら歩いた印象と重なるのである。共通するのは湖と博物館と晩秋の雨と、ただそれだけの似ても似つかぬ場所のはずだが、イメージとはこうしてできあがるものであるらしい。

          §           §           §

さて、今回は続く第4章と第5章を紹介することとする。玲子は時折自分の心の動きを自分で解説してみせる。行きつ戻りつしながら、夢を現実に引き寄せていくのである。

第4章 公演後の11月・12月
A予告通り熱を出す、桂木さんに再び会ってみたくなる、窪地の暗い通りで見た男女の姿が蘇る、しかし桂木家には行く気になれない、一度衝撃を受けた玄関はあけられない、勤め先へ行くしかない、住友建設に勤めているのではないか、10日めに熱が下がる、アイリスに仮縫いに、順を追うよりいきなりドレスを作る方が何だか面白い、ネックレスをするあたりからメリヤスのシャツがのぞいていて舌を出す、優雅で清楚で物思わしげなわたし、住友ビルを眺めるがジープは見えない、マダムの甘いアルトの声にわたしはいらいらする

B住友建設の前の廊下を行きつ戻りつする、悲しくなる、わたしを忘れているかも知れない男を探そうとしていると考え唇を噛む、振り向きざまに桂木設計事務所に気付く、中をのぞこうとする、開けてくれるのを期待するが人がいなくて落胆―桂木さんに声をかけられる、間違いないか確かめるように彼を不躾に見つめる、ふっと笑う、彼も、おじさんの家忘れてしまったと嘘をつく、兵藤を名乗っても思い出した気配なし、夫人が告げないはずはないのに、異様に無感動な笑いが蘇る、やはり男と一緒に歩いていたのは桂木夫人だ!、そんなことを考えるのは破廉恥だとゆっくり頭を振る、いくらか若くみえる彼、言葉にも親しみがこもる、通りかかって偶々寄ったと再び嘘をつく、下の食堂でご馳走しようか、犬に噛み付かれた右手を出そうとして羞ずかしくなって思わず握りしめる、食欲はなかったがこのまま帰ってしまうのもつまらない、お腹がすいてないと言って蝦のコキールを頼む、左手が悪くてナイフとフォークが使えないのを知られないように、一度見かけたことがあるの、運転のことから戦争が話題に、街が襲撃された夜の空の色を思い出す、この世の週末のような凄まじい美しさ、アンコールワットに行った話、家の話題に、くみ子ちゃん元気?、ママンも?、彼が表情を変えたかどうかはわからない、そう聞いた自分を愧じる、うろたえて目を伏せる、また来ていい?、建築が好きだと言った自分の言葉に安心する、終始笑ったような顔でわたしを見続ける桂木さん、わたしの裡にある幼いずるさを見破られた気がする

C11月中に2回、12月に3回桂木さんのオフィスへ、5度目は不在、5回だけにとどめた、愉しいから、オフィスも桂木さんも気に入る、大人の落ち着きを持つ桂木さん、彼と向かい合うと自分が稚さなくみえる、それは癪にさわり背伸びしようとしたが一方で必要以上に稚くして甘えたい気もあった、12月10日過ぎに訪ねた時珍しく大型雑誌を読んでいる桂木さん、仕事について語り出す桂木さん、人が愉しく住みやすい家、建物を使う人を中心にした設計、彼は本当に人が愉しく生活できる建物をつくりたいと考えているのかという疑問がわく、私の家はお化け屋敷、おじさんの家は?、彼の妻が若い男と遇っているなら住み心地の良い家をなどというのはとんだ喜劇だ、自分の好奇心に抵抗を感じつつもそれを抑えられない、愉しく快適に暮らしているんでしょうというわたしの問に友子のことを答える桂木さん、いらいらしていうわたし、愉しいかどうか聞いているのよ、3階の兵藤さんのお嬢さんかといって答えをはぐらかす、曇った窓にいたずら書き、隣の建物との隙間に降っている雪が曇りを消された窓から見える、窓の明かりに照らし出されて軽く速くきらめきながら落ちる、いじわるなぜ教えてくれないの?、自分の意地悪さを充分意識しながら薄笑いするわたし、桂木さんの警戒するような眼、ほんの一瞬で元の穏やかな表情に戻る

第5章 クリスマス1週間前・23日そしてクリスマス・イーヴ
Aクリスマス1週間前、ダフネのクリスマス・トリーの飾り付けを手伝う(3年前からの仕事)、ふとっちょのダフネのおじさん、お下げ髪のウェイトレスの少女、クリスマスの前後でトリーを飾る時が一番愉しい、童話的な優しい気分が好き、この愉しさを与えてくれるイエスにちょっぴり親しみを感じる、子どもの頃のクリスマスの思い出、母の歌声、ひどく懶げな声、母は何を考えて歌ったのか、ただ雪が綺麗だから?、23日の晩に壁を塗ってという依頼、ホワイト・クリスマスをかけようとする、桂木夫人と古瀬(まだそうとは知らない)が入ってくる、桂木夫人に姿を隠さねばならない謂われはないのに胸苦しいような動悸、電蓄の陰ににしゃがみこむ、乳房のあたりを押さえこそり二人をうかがい出す、夫人はひどく優しげな微笑、隠れる怜子を不審がるダフネの主人、ホワイト・クリスマスをハミングでくちずさむ、あの晩桂木夫人がこの青年に詰られていたことを確信する、想像が的中したことをこっそり喜び出す、コーヒーを運びあの晩彼女の夫の約束があると言って訪ねたことを思い出させようとする、思い出した様子がない、青年の唇の脇のかなり目立つ黒子に気付く、整った顔立ちに頽廃的な趣を添える、軽くいなされた感じ、今度は隠れずに眺め続ける、葡萄酒色の水の底での懶い対峙、官能的でそのくせ金属的な冷たさの潜んでいそうなパントマイムを桂木さんにもみせてやりたくなる、2人が店を出て行くのに合わせて電蓄のそばから離れる

B後を追うように店を出て桂木さんの事務所に告げに行こうとする、桂木夫人の度胸に感心する、いやらしいとは思わない、彼女と青年を見たことがなんとなく愉しい、桂木さんに家のことを聞いた意地の悪さを後悔する、しかし婦人と青年を見てしまったわたしは後悔したことを悔やむ、奥さんが逢い引きしているのに住み心地のいい家を建てるなど滑稽だ、年の瀬の慌ただしい街を浮き浮きしながら住友ビルに向かう、階段を駆け上がり桂木さんの事務所のノブに手をかけふいにその冷たい金属のノブから手を離す、ようやく自分のしようとしていることに抵抗を感じる、わたしは彼に何を告げようとしているのか、桂木夫人と青年の関係は間違いのない事実、わたしには爽やかな感じのする桂木さんが住友ビルに仕事場をもっているということも間違いのない事実、私の裡に広がる混乱、苦痛とも快感ともつかぬ奇妙な疼き、そのような疼きになれないわたしは怯えて土間の前を離れる、3階の父のオフィスに向かって階段を上る、建物の気配が急によそよそしくなる

C桂木さんのオフィスに行けなくなったわたし、桂木さんの顔を見れば奥さんのこと思いだしなにか大変なことを言い出しそう、何日か経ってもオフィスの前で感じた疼きが残っていて不安、桂木さんのオフィスに行けなくなったことが大切な愉しみを奪われたように癪に障る、23日ダフネの壁塗り、久田幹夫を誘っていく、公演後初めて会うので何となく愉しい、25日にはデコレーションケーキを切らせてあげようとダフネの主人、久田幹夫が24日の晩ダフネの2階を予約、クリスマスの予定のないわたしも都合の悪いはずがない、黄色いレモンの輪切りの浮いたホットウイスキーをご馳走になり礼金をもらって表へ、黒子のある男とすれちがってびっくりする、胸苦しくなり和やかな気分を忘れる、久田幹夫を誘ってアゲーンという酒場へ、桂木さんが居合わせているの気付く、嬉しくなっったがここに入った原因を思い出して怯える、久田幹夫をおいて挨拶に行く、女の泥棒は珍しいと紹介、酔っている桂木さんは凡庸なサラリーマンにみえ鋭利な爽やかさは感じられない、そんな桂木さんに失望、わたしのことより奥さんのこと心配しなさいと心の中で悪態れる、桂木さんがひどく間抜けに見える、ずっと感じてきた苦痛がこの上もなくばからしく感じられる、久田幹夫の所に帰る、無感動な様子、久田にノートの頁を1枚もらって手紙を書く、急いで家に帰るよう・私はあなたに好意を持っているので不幸せになるのを好みません、桂木さんい届けた後の動悸、桂木さんは一瞬眼を走らせただけで店を出る

D彼の反応を知りたくなる、アゲーンを飛び出し桂木さんをつける、趣味の悪い好奇心は怪我の元だ、親切で手紙を書いたのよ、笑いながら書いたものらしいな、桂木さんはそれほど酔っていない、平静さを失わない様子にうろたえる、わたしの恋を無駄にするの?、いい言葉教えようか小父さん?、C、O、C、U、言ってしまった自分の言葉に足を停めるのと同時に桂木さんは私の肩に両手をかける、蒼白めて無表情でけっして酔っていない顔、蒼くなったが低い声でそのまま怒ることないわ……、怯えながら何か言いかけようとするわたしを桂木さんは乱暴に引き寄せ唇を塞ぐ、目眩がし身体が固くなり小刻みに震え出す、わたしを暫く抱いていた桂木さんは突き放すようにわたしを離す、帰りなさいとひどく低い声、顔をみつめながら緩く頭を振って離れる、一度も振り返らず河岸の通りを歩く、毛糸の手袋をはめた手で唇をこする、立ち止まったら倒れる、骨のきしむような苦痛、桂木さんがわたしにキスしたのはわたしが驕慢にもコキュという言葉を使ったからだと莫然と信じた、愛のためでも欲情のためでもない、これまでは私を愛おしんでいたかも知れないしわたしも憧れたり甘えたりしていたかも知れないがもう事務所には行けない、涙をにじませる、久田幹夫のことを思い出したがもう考えることができない

E翌日夕方目を覚ます、頭の中は空っぽ、何か変わったまねをしたくてシフォンベルベットのドレスを着る、お出掛けですかとばあやに聞かれ出掛ける気になる、叱責が最大の忠誠という自負にまどわされてしかることの意地悪な楽しみに気付かないばあや、ばあやの声に落ち着き相手の悪意を知ってようやく対等に地位につけて安心する、信彦をはさんだ絶妙の会話、うつむきがちにゆっくり街をうろつく、アンバランス格好に満足、その方がきもちにぴったりする、街を行く母子に桂木さんの娘を思い出す、街路灯を一斉に付けた彼に嫉妬する、住友ビルのまえにいる、夕べ河岸で捉えられた痛みが甦ったがビルに入る、桂木さんになにかを言わなければならない、でも何を言うかはわたしにもわからない

Fいつもと変わらぬ桂木さんに安心し緊張する、桂木さんに本を見せてもらう、笑いかけないだけでいつも違った様子がない、夕べわたしを抱きしめた手で狂いのない図面を描く桂木さん、不思議な気がして平静な桂木さんに驚く、落ち着いているのは彼が若くないせいか、夕べのことを忘れているのではないかという疑いが生じるが納得できない、接吻したことなどなんでもないのではないかという疑いもおかしく思われる、桂木さんはそんな軽薄な男ではない、わたしが彼を馬鹿にしたからだ接吻したのでありもうそのことに触れるつもりはないと思う、そう考えると苦痛が甦って安心する、微塵の同様もない彼が忌々しく思われ始める、トルコの回教寺院ハギア・ソフィアの写真、芝生の上に寝転んでみたい、平素よりも深い感動にふるえ涙ぐむ、でもその感動が苦痛によってもたらされたことに気付かねばならなかった、初めて見る桂木さんの背広姿、別人のように見え始める、ちゃんと生活の秩序に繋がっている男、わたしは勝手に彼に馴染んでいただけ、黙って帰り仕度を始める桂木さん、黙って別れるのも素っ気ない謝罪も我慢がならない、それを避けるためにはわたしが何か言わねばならない、爪を噛んでわたしあやまりに来たんです、この言葉だけをいうために事務所に来たという思い、この言葉が心の張りを破り頬を涙で濡らす、顔も覆わず声も立てず涙で顔を汚したまま桂木さんをみつめる、桂木さんの顔に苦そうな笑いが広がる、わたしが憎いでしょう?、今夜君を連れ出そうと考えていた、ジープに乗せて攫っていく、ぼくと一緒に行くか自分で決めなさい、唐突な申し出にすっかり狼狽する、徐々に高くなる街のざわめき、わたしの心は決まっていた、わたしは彼と行かねばならぬ……

G住友建設のあのオリーブ色のジープ、アイリスの店先でジープを見たこととその夜急に彼に遭いたくなって桂木家に行ったことを思い出す、不思議な気持ちになってアイリスの店を見る、促されてぼんやりレザーを貼った冷たいシートにすわる、想い出す、星のない夜空に突っ立つ煙突が不気味に映る、振り返って薄赤い街の夜空を見る、全てを飲み込んだクリスマス・イーヴの街の夜空が遠ざかる、遁走をという言葉を思い浮かべ身体のなかに爽やかな痛みが広がる、少しの不安も感じていない自分の心の不思議に気付く、行き先を想像できたがどこに行ってもいいように思った、桂木さんの眉間にかすかな縦皺、仕事で何回も通った道という桂木さんの言葉を疑わず、骨を組み合わせたトンネルを走っているような感じ、雪が降っても大丈夫、それ以上訊かず目的地も理由も、桂木さんは何を考えているのか、薄色の煙るような眼をした彼の妻のことも横のわたしのことも考えていないような気がする、一切の文明あらゆる人々と隔絶された一本の国道のみを見つめているそれだけ、私の告げ口がなくても妻に若い愛人が居ることを桂木さんはよく知っていたに違いないことをわたしは唐突に理解する、桂木さんと初めてあった日の柔和とも冷ややかともつかぬつかぬ眼差しと同じ表情、鮮烈な痛みが走る、疼きは左腕の関節にも甦る、唇が震え歯がカチカチと音を立てて鳴る、ふと桂木さんへの愛を感じる、痛みは愛そのものではないか、目的地も訊かずにジープに乗ったのは彼を愛しているからではないのか、喘ぎながら登る、もうじきカーヴにかかる、ジープ右手できつくシートにしがみつく、唇の震えに耐えたいためだった(つづく)
ラベル:読書
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2018年06月10日

自己の存在の耐えられない軽さ

相変わらず目先のことに追われる日々が続いている。楽観的と言われればそうなのかも知れないし、自分でも極力そう思おうとはしてるのだけれど、実情は楽観も何も、何事につけぶっつけでやらざるを得ないというのが正直なところ。致命的なボロが出ないのがせめてもの救いで、いつか痛い目に遭うに違いないと心のどこかで思ってはいる。

しかしながら、それもけっしてそうなったらどうしようという切迫感はなく、妙にふわふわとした感じがつきまとう。傍目にはそれが結構悲壮に見えるらしく、大変だねぇと同情してくださる方もいられるのだが、心配してくださる方があるのはうれしくはあるけれども、当人はそれほどにこたえている訣でもないのである。

それに、多分、本当に痛い目にあったとしても、さしてこたえたりはしないに違いないのである。だから、逆に何か大きな仕事を無事終えられても、達成感というか、安堵感というか、要は感情の起伏が生じない。自分には赤い血が流れていないのではないかと、ふと疑ってしまう。

以前は、人前でにこやかにしているのが苦手だった。わざと苦虫を噛み潰したような顔をすることも多かった。特に子どもの頃、そうだった(何とまあ可愛くない子どもだろう!)。世の波に揉まれる中で、取り敢えずは人並みの応対はできるようになりはしたけれど、1人になったあとその反動が来るようになった。

そして今や、それすらなくなってしまったのを感じる。人生に達観したというのとは少し違うと思うけれど、どうでもいいことにかかずらわっていてもしょうがないという気持ちが年を追うごとに高まってきた。

そんなある意味で刹那的になってきている自分に嫌気がさしてきたという面もありはするが、それさえも、なるようにしかならないから、と、考えることすら放棄するのが常態化している昨今だ。

自己の存在の耐えられない軽さ、頼りなさ。どこかで聞いたことのあるような台詞だけれど、このふわふわ感に包まれて、それに苛まれているくらいでなら、まだ救いようがあるものを、それをただボーっと見ている自分を眺めている自分がいる。何重にも映っている鏡を見ているようで、どれが実態なのかもわからぬままに。

いつか書いたことがあるような気がするけれど、学生時代進路に悩んでいた時、自分が感情というものを失っているように思えたことがあった。物事に心を動かされることがなくなっているのではないかという恐怖に捉われたのである。

今思うに、恐怖に捉えられていたのだから、何の心配もないのだ。それは感情が生きている証拠だから。それでもその時は、偶々聴いたN響のコンサートで、涙を流すほど感動し、自分がまだ感動する心が残っていたことに安堵したのを記憶している。

今はどうだろうか?音楽に、山に、小説に、心から感動した、みたいなことを臆面もなく書いてきているけれど、もしかしてそれは錯覚に過ぎない? けっしてウソは書いてきてないつもりなのだけれど、感動した気になってるだけじゃないかと言われたら、俄かには反論できないものを感じずにはいられないのである。

ラベル:日常
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2018年06月07日

今は秘境の明神平からヒキウス平へ

東吉野村の再奥にそれはある。明神平、あっけらかんと開けた、台高の主脈に位置する天上の別天地。
台高は、大台ケ原から池木屋山を経て延々と高見山に至る、奈良県の東を限る秘境の山脈。高見山から直角に東に折れ三峰山、局ヶ岳に至る縦走路へは何度か足を運んだけれど、台高の主脈はまだ数えるほどしか訪れていない。
5年ほど前、赤ゾレ山というこの主脈にある穏やかな峰に連れて行ってもらった(初めての台高山脈-赤ゾレ山からと木梶山へ)。その時、明神平に続く稜線をほんの少しだけ辿った。大峰奥駈南部のあの笹原の広がる天上の楽園を思わせるしっとりと雰囲気が素敵で、このまま尾根道を辿りたいと思ったのを覚えている。この時は、台高の稜線歩きはほんの少しだけで、まもなく稜線を北へ外れて木梶山へ向かったのだが、こちらの尾根もまた素晴らしく、横に長く稜線を伸ばす高見山の姿とともに深い印象を刻んだ山旅だった。
その後しばらくこの地域はご無沙汰だったが、昨年の冬の終わりに、コサグラからコウベエ矢塚という東吉野の山に連れて行っていただいた(東吉野村のコサグラとコウベエ矢塚に登る)。この時の収穫は、雪を抱いているらしい明神平を遠望できたことで、右手に延びる薊岳への尾根と、左手に延びる国見山への尾根の雄大な起伏に感激し、いつか明神平からあれらの山の頂を踏みたいという気持ちを新たにしたのだった。

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念願叶っての今回の山旅は、大股林道から沢沿いを登り詰めて明神平に至り、その後は明神岳から三重県側へ向かい、檜塚奥峰と檜塚を望むヒキウス平まで往復するというもの。
明神平までの往路2時間、復路1時間半は結構しんどかったけれど、ロープを伝っての徒渉も3箇所あって谷筋を遡る面白さはあるし、谷筋再奥には明神滝が待ってくれている。それに谷筋のことゆえ日差しが遮られるのはこの季節としてはありがたいし、吹き抜ける風が心地よい。歩き出しから明神平までは600m余りの標高差があるのだが、あまりそれを感じさせない。
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〔明神滝(帰路)〕

明神滝を過ぎて源頭に近づくと展望も開けてくる。谷も南側の薊岳のがひときわ鮮やかだ。
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〔明神平の手前から薊岳を望む〕

明神平の山荘脇で少し早目の昼食。山上の別天地では、三角屋根の山荘もうまく景色に馴染んでいる。どこか北八ツの麦草峠の縮小版といった趣である。北の国見岳と南のこれから登る明神岳に挟まれた平原は、冬は雪原になるのだろう。
帰路に聞いた話では、ここはかつてスキー場だったのだそうだ。そのリフトの残骸という鉄骨も教えてもらった。そういえば、地理院地図には、かなり大きな建物がもう一つ描かれている。
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〔明神平から国見岳方面を望む〕

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〔明神平から三ツ塚・前山方面を見る(リフトの残骸も見える)〕


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帰ってから調べたところでは、明神平には1964年から1969年まで5年間だけスキー場があったという。あの谷筋をまさかスキーを担いで?、と思ったら、案の定、身一つで登りレンタルスキーで滑るのが定番だったという。
地理院地図に描かれている、南にに突起のある凸型の大きな建物の正体もわかった。スキー客を当て込んだ国見山荘というロッジとのこと。帰路その脇を通ったのでわかったが、その跡は今では明神岳がきれいに望まれる平坦な芝地になっていた。往時は300人収容というから、かなり賑わったことだろう。
リフトはところでどっち向きにかかっていたのだろう。さほど広いスペースは見当たらないが、地図では明神岳に向かい、薊岳への分岐があるあたりに明神平の記載があるから、やはり北向きだろうか? そういうつもりで明神平の景色を思い返してみると、確かに、人工的に開けたというか、垢抜けた印象があったようにも思う。
でも、今ではそんな歴史もほとんどかき消され、知らずにやって来た者には、山上の別天地の印象しか与えないのだ。もしかしてもう少しここがスキー場として流行っていたら、明神平までの林道が延びていたかも知れない。そんなことにならなくて本当によかったと思う。そうしたら檜塚もヒキウス平もスキー場になっていたかも知れないのだ。
あと一つ、ちょっと気になる情報も書かれていた。地理院地図にまだ記載があるくらいだからそんなに前のことではないはずだが、ロッジは最後、取り壊されたのではなく、火災で焼失したのだという。しかも3人の犠牲者を出して…… 事情はよくわからないが、何かいわくありげではある。
そんなことを知ってしまうと、なんだかちょっと山上の別天地とばかりも言っていられなくなる。ぼくらくらいの世代であれば、明神平で実際に滑ったという経験のある方もいられるに違いない。50年とは長いようで短い時間だとつくづく思う。

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明神平からヒキウス平の往復は、実際に歩いている時はほとんど時間を感じなかったのに、あとで調べてみるとおよそ3時間もかかった。さほどの距離ではないのに、山上の別天地で過ごす時間ならではのことなのだろう。ちょうど浦島太郎の竜宮城みたいなものかもと思う。
今日の最高地点明神岳の山頂は、尾根状の通過点の感じで深山の趣きには程遠く、あまり特徴がなかったが、この辺りの尾根からは大峰奥駈道が遠望できたのは幸いだった。大普賢岳の一目でそれとわかる岩峰群が見事だった。
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〔明神岳付近から大峰奥駈道を望む〕

明神岳の先で台高の稜線から離れて左(東)へ檜塚方面に踏み出して100mあまり一気に下ると、そこはもう傾斜の少ない明るく開けた自然林が連なり、心地よい別世界の趣きとなる。道はなだらかな島状のピークを適当につないでいく感じで穏やかに延び、どこをどう通っても行けてしまいそうだ。
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〔バイケイ草の群落〕

判官平と名付けられたピークを過ぎて、次の地理院地図の1,394m峰の檜塚奥峰への道標で直角に右手(南)に折れ、いよいよヒキウス平へ向かう。その手前で何組かとすれ違ったのは、きっと檜塚奥峰、檜塚へ行った帰りだろう。まさか案内書にもまた現地に道標もないヒキウス平への帰りではないだろう。
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〔檜塚奥峰とヒキウス平の分岐〕

とはいえ道は比較的しっかりしていて歩きやすく、しかも嬉しかったのは、台高の稜線を離れてからは諦めていた大峰奥駈道の山々に再開したことだ。一目でわかる大普賢岳、その右手奥に重なるように見える図体のでかい山は弥山、それらの左手奥にたかく見えるのは、仏生、孔雀の高まりだろう。そうとすればその次のピークは、少し印象が異なるが、釈迦ヶ岳に違いない。
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〔ヒキウス平の手前のピーク付近から大峰奥駈道方面を望む〕


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ヒキウス平はここから案外近かった。何という世界あろう。土がボコボコと細かく盛り上がっているのは、霜柱のなせる技なのだろう。ところどころに赤い5枚葉のかわいい芽吹きがある。道行でめま満開のはなを楽しませてくれたシロヤシオの赤ちゃんなのだと教えてもらった。ヒトが足を踏む入れるべき場所ではないような気がして、ちょっと申し訳なかった。
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〔シロヤシオの赤ちゃん(ヒキウス平にて)〕

顔を上げれば、北と西には遮るものがなく、檜塚と檜塚奥峰の優しい峰に向かい合える。間に谷を挟んでいるのだが、ヒョイと行けてしまえそうなそんな近さだ。点々と白く光っているのは、石だろうか、切り株だろうか。見方によっては、人が思い思いに息んでいるようにも見える。
東は木々の切れ目から迷岳や、古ガ丸山かと思われる山々が遠望できる。檜塚との谷の方へとシロヤシオの赤ちゃんに注意しながら踏み出せば、台高の主脈から東に続く三峰山から栗ノ木岳、局ヶ岳に至る稜線らしき尾根筋も望める。ただ、時間の関係もあって、残念ながら山名の同定には至らなかった。いつまでも留まれる留まっていたい山頂だった。
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〔ヒキウス平から檜塚奥峰(左)と檜塚(右)〕

ヒキウス平から檜塚奥峰(左)と檜塚(右)を望む.jpg
〔ヒキウス平から檜塚奥峰(左)と檜塚(右)を望むパノラマ〕

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〔ヒキウス平から檜塚〕

ふと思ったのは、これに似た景色にどこかでお目にかかったことがあるような…… よくよく考えてみて思ったのは、大台の地池高から眺めたテンネンコウシ高の尾根の眺めである。あちらの方がもっとダイナミックで秘境っぽい雰囲気が強いが、箱庭的にまとまった風景にはどこか通じるものがあるように思う。あちらでは、後にテンネンコウシ高側から地池高方面を眺める機会を持てた。是非今度は檜塚の稜線からヒキウス平を見に来なくては!

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帰路は忠実に往路を辿るだけとはいえ、書いておきたいことはいろいろあるけれど、これだけはという一つだけにしておこう。それは、5月に三峰山に登った時に出会ったボーダーコリーに、また会えたことだ。三重の山を回っているという話だったが、三重と言っても広い上に、同じ日に同じ山に登る偶然が二度続くことがあり得るだろうか? 思わぬ邂逅に感謝せずにはいられなかった。
場所は、判官平から少し戻ったあたりの平坦なところ。前回同様のいでたちで自分の荷物を自分で背負った健気なワンコに思わず、がんばれ! と声をかけずにはいられなかった。この日はどこまで行ったのだろう。一緒に檜塚までお伴してあげたい気分だった。
またいつかどこかの山で会えるだろうか?
そして思ったのは、ひょっとしてうちのワンコたちを連れて山に登るのもありだろうか、ということだった。3姉妹のおかあさんは、今から8年前の春に二上山に登ったことがあった。子どもたちを連れて、とは考えてみたこともなかったけれど、それにもうおかあさんの生きた年齢をとっくに越えてしまった3姉妹ではあるけれど、ちょっと考えてみるだけの価値はありそうだ。
でも、いざとなると、さてどの子を連れて登るか。その選択は随分と悩ましい……。
ラベル:季節 奈良
posted by あきちゃん at 22:30| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする