2018年07月27日

大普賢岳の山懐、無双洞から七曜岳へ

大普賢岳周辺は、大峰奥駈道の山々の中でも、とりわけ魅力的な山域である。どこからでもそれとわかる大普賢、小普賢、日本岳の3つの天を突く峰々。ちょっと形は変わるが、それは奈良市内からでも望むことができる。近づけばまた、和佐又山という、それ自身が穏やかで魅力的な大展望台を近くに擁している。その意味では、すごくオープンな山という印象が強い。
しかし、一歩その懐に入ると、イメージは一変する。底知れぬ山深さがあるのである。森自体の深さ、そして険しさ、それは岩峰のあけっぴろげの明るさとはまさに裏腹の感がある。そうした変化に富んだ山域であり、かつそれを周回するコースを組めるのも、この地域の大きな魅力となっている。
和佐又山ヒュッテを起点にすれば、笙の窟経由で大普賢岳の頂を踏み、奥駈道を国見岳、七曜岳と縦走し、そこから無双洞へ下り、底なし井戸を経由して、山麓を和佐又山ヒュッテへと戻る、そうした一筆書きが描けるのである。
ただ、このコースは8時間はかかるロングランで、和佐又山ヒュッテに一泊するか、早朝着の必要があり、まだ敢行するには至っていない。たまたま一昨年の秋、水太林道経由で無双洞に入り、山麓を和佐又山ヒュッテ、そして山回りで和佐又トンネルに下るコースに連れて行っていただく機会があり、大普賢岳山麓の奥深さに魅せられたのだった。
水太林道は、先程の一筆書きの途中に、比較的容易に取り付けるたいへん重宝な林道である。今回は無双洞から、前回とは反対に、奥駈道を目指すコースを辿った。周回の下りに使うことが多いコースで、その険しさはある程度覚悟はしていたが、真夏の時期でもあり、想像以上にしごかれることになった。

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まずは水太林道に難所が待ち受けていた。林道というには立派な舗装道で快適に登り始めたと思いきや、右手の山側からの倒木に道を塞がれてしまったのである。根元から折れているようだが、容易に引っ張り下ろせるものではなかった。
仕方なく無双洞への入口まで歩くことになった。距離にして3㎞余り、標高差で200mはあろうか。だいぶん登ったところで、偶々地元の方が通りかかって枝を切ってくださったお蔭で通り抜けて来ることができたマイクロバスに拾ってもらえたが、結局時間的にも体力的にも、この間の浪費は痛かった。
林道から山道に入ってからも、前回来た時とはまるで印象が違った。谷筋に上がる道が乾いているせいか意外に歩きにくい。左岸の斜面を行く道は、斜めっていて、ザラザラの足元のバランスを崩しやすく、こんなところで、と思うくらい難渋する。
道は一旦右手から合流する沢沿いに上がった後、左手の本流との間の尾根に駈け上がり、水平に水簾の滝と無双洞への流れ(水太沢の本流)の左岸に移ってゆく。この尾根へ上がるところが、短時間ではあったが、こんなにきつかったかと思うほどの登りでしんどかった。
ほどなく左手に水簾の滝が見えてくる。前回よりもかなり水量が多い。この滝は足場があまり良くないし、滝と言っても実際には無双洞の上から続く長い瀬の一部なので、なかなかうまい写真は撮りにくい。
水簾の滝.jpg
〔水簾の滝〕

無双洞は、名まえだけでは何のことかさっぱりわからないけれど、文字通り百聞は一見にしかず、水太の谷のすぐ脇に位置する洞窟状の岩の割れ目で、そこから物凄い勢いで水が噴き出しているのである。いってみれば横向きの自噴井戸といった趣である。時間があれば、中をのぞいてみたい気もしたけれど、足下が悪いし先も急ぐので、またの機会に譲ることにする。
水簾の滝の上の水太谷の流れ。右上が無双洞で、ここから湧き出る水が合流する。.jpg
〔水簾の滝の上の水太谷の流れ。右上が無双洞で、ここから湧き出る水が合流する。〕

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〔無双洞のアップ〕

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さて、ここからがこのコースて一番きつい部分である。七曜岳から東に延びる尾根に向かって、落石に注意しながらひたすら高度を上げてゆく。傾斜という点では、このあとの奥駈道に出る直前の方がむしろきつかったかも知れないが、登りにくさ、単調さという点では、この登りの方がはるかにこたえる。帰路、よくこんなところを登ったなぁ、とつくづく思ったものだ。
尾根に出ると、一旦傾斜は緩むが、次第にまた急激に高度を上げるようになる。右手の木の間越しに僅かに大普賢、小普賢を望める地点があるのがせめてもの救い。
木の間越しに大普賢・小普賢・日本岳.jpg
〔木の間越しに大普賢・小普賢・日本岳〕

そのうち、大岩が顔を出すようになると、傾斜はさらに増してくるが、変化に富んでいて気が紛れるのと、稜線も近づいて来てもうあと少しという期待からか、足取りは逆に軽くなってくる。
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〔岩稜帯に入れば奥駈道も近い〕

どうやってこんな大きな岩がここに運ばれて来たんだろうと思わずにはいられない不思議な岩たちの間を、時折ハシゴも交えて縫うようになおも登り詰めて行くと、いつのまにかあの懐かしい大峰の山上を彩る笹原が周りに広がるようになる。
サラサラとさやぐ笹原のなつかしさは、ほんとうに何ものにも代え難い。最初に味わったのは、行者還岳だったか弥山だったかに向かう時に突然飛び出した、あの一の垰のこの世のものとは思われない、まさに山上の別天地と呼ぶに相応しい衝撃的な景色だった。まさかこんな世界がこの山上に広がっているとは!
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〔奥駈道の笹原〕

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鬱蒼とした谷から木漏れ日の尾根へ、そしてシャクナゲの岩稜帯から優しい天上の笹原へ、この変化に富んだ道行きは、大峰では何度も経験したことのあるなつかしいコントラストだ。最近では七面山が記憶に新しいが、小仲坊から辿った釈迦ヶ岳への道が一番似ているかも知れない。
奥駈道へは、いつもそうなのだが、案外あっけなくひょっこりという感じで飛び出すことが多いものだが、今回もそうだった。七曜岳直下といってよい位置だ。笹原と優しい自然林が広がる奥駈道沿いで、木の間越しの大普賢の眺望を楽しみながらの贅沢な昼ごはんのあと、待望の七曜岳へと向かう。
七曜岳の山頂は岩の堆積で、数人でいっぱいになってしまう。かつては大普賢、小普賢、日本岳の三峰の眺望がほしいままだったそうだ。今では木が伸びて、大普賢は石の上に立って辛うじて望める程度になっているが、小普賢、日本岳の豪快な眺望は以前のままだ。
七曜岳から大普賢は木が伸びてこの程度しか見えない.jpg
〔七曜岳から大普賢は木が伸びてこの程度しか見えない〕

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〔七曜岳から小普賢〕

振り返れば西にはバリゴヤの頭が手に取るように見え、左には弥山、八経、右には稲村が大きい。折しも待ってくれていたかのように、今まであった薄雲が取れて青空が広がり、夏の雲がぽっかり浮かぶ。ここまで来た甲斐はあった。
七曜岳から弥山を望む。左肩に八経ヶ岳、右に頂仙岳、手前に鉄山。.jpg
〔七曜岳から弥山を望む。左肩に八経ヶ岳、右に頂仙岳、手前に鉄山。〕

七曜岳からバリゴヤの頭(左)と稲村ヶ岳(右).jpg
〔七曜岳からバリゴヤの頭(左)と稲村ヶ岳(右)〕

予定では、七曜岳から奥駈道を北に国見岳まで辿ったうえで戻る予定だったが、往路のアクシデントもあって思わぬ時間を喰ってしまい、七曜岳までで引き返すことになった。しかし、この景色が見られたならもう何も悔いはない。また来ればよい。

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帰路は、さっきも思わず書いてしまったけれど、下りならまだしも(下りでも結構きつい!)、よく登ったなぁ、と感心しながらの下りだった。しかも、行きには下ばかりみていてさほどには感じなかった大岩のスケールに、圧倒されてしまった。
それと緊張したのは、はしごの下り。4箇所ほどだが、いつもな下りも前向きに降りることが多いものだが、今回だけは滑りやすいのと、支えの確保、それに何よりも往路の結構な消耗とで、素直に後ろ向きに降りることにした。それでもあまり傾斜のないはしごが1つあってそれがかえって怖く、ほとんど四つん這い状態で降りる羽目になった。岩が終われば終わったで、今度は石を落とさないよう細心の注意を払う必要のある急傾斜のザラザラの嫌な下りが続き、全く気が抜けない。
七曜岳からの尾根の末端付近。ここから無双洞へ一気に下る。.jpg
〔七曜岳からの尾根の末端付近。ここから無双洞へ一気に下る。〕

そんな具合だから、結構時間がかかっているわりには早く降って来れた。その分思った以上に体の負担は大きかったようだが、歩いたという充実感もまた一入で、最高の山旅を存分に味わえた1日だった。
和佐又山ヒュッテを起点にした周回コースはまだ完結しないが、未完の大普賢岳から七曜岳までの部分を含めて、いつか必ず踏破したいという思いを新たにしつつ、上北山温泉で汗を流し、帰途についたのだった。
ラベル:季節 奈良
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2018年07月24日

夢の記録のしかた─夢の記憶51─

青森を訪れているらしい。仕事で年数回訪れていた頃からすると、本当に久し振りだと感じている。そのあと10年近く前に1度呼ばれて訪れたあと、もう1回来る機会があり、そして今度だと数えている(もう1回は、夢の中でのカウントで、事実に反するけれと、そう確信していた)。
台湾によくあるような(そう夢の中で思っていた)ロータリーをぐるっと回っている。駅前から、ロータリーを左回りに回っている。横断部分がロータリーからかなり離れた地点にあって、かなり大回りを強いられているらしい。ひどく遠回りして目的の所へ向かいつつある。
ここはさっきも通ったのに、今度はさらに大回りしてしまった。車は全然通らない。夜更けの感じがする。道添いの店ももうシャッターを閉じている(ここにあったはずの店のことをよく覚えていたということだけを記憶していて、その店がもう閉まっているなあと思って、何故か安心したのを記憶している)。今夜のに乗って(列車? 飛行機? わからない)また戻らねばならない。どこに? 家に?
青森にいると思っているのだけれど、韓国にいるような気もしている。だのにロ-タリー自体は台湾だと意識していたのを記憶している。なぜだろう?
いつのまにか、先輩のOさんの家にいる。居間に大きな机があり、そこにたくさんの本や資料が山積みになっている。ロータリーからどうやってそこに行ったのか、途中経過があったはずだが全く記憶がない。
ある本を手にとってパラパラとめくっている。研究書のようだし、回想録のようでもある。Oさんの前任者だったTさんの回想らしきものが、左頁の終わりの数行から始まっている。「直出羽城跡」という遺跡から資料が2点見つかって、それをTさんが調査した、といった思い出話が書いてある。きちんと読んだ訣ではないけれど、なぜかそんなことが書いてあることがわかる。Oさんもその事実を共有していて、さっきからそのことについてぼくも一緒に考えているところだったようだ。
その手前で前の文章が終わっていて、そこに括弧書きで執筆者名が書いている。そこにTさんの名前を見たような。でもそこにあったのなら、その次に始まる文章の執筆者ではあり得ないのに、そんなことには頭が回っていない。聞いたことがない名なので、「直出羽城」の文字を何度か夢の中で確かめ、「直」で間違いないことを確認したのを明確に覚えている。
ぼくの左側にOさんがいる。改めて一緒にその記述を見ている。そこにもう一人の別のO先生が入ってくる。彼と会うのも本当に暫くぶりだ。お元気でしたか、と声を掛けられる。彼も一緒に仕事をしに来たのらしい。
ああF君(ぼくの大学の同級生さんで、Oさんを中心にみんなで一緒にやった仕事の、事務局的な立場だった)は気の毒に! なんでこんな記事があることに一緒に仕事をしていたときに気付かなかったのか。気付きそうなものなのに、残念! と口からついて出る(別にF君のせいではないのに、要はこの資料が漏れてしまったことが悔しいのである)。Oさんもそう思っているのがわかる。もう一人のOさんもそう感じているらしい(もう一人のOさんは、ぼくがOさんやF君たちと一緒にやった仕事には直接はタッチしていなかったので、この場に登場した理由はよくわからない)。
その記述のもとになったものを調べに、いやそうではない、その仕事で作った本に、本当に「直出羽城」の記述がなかったか、もしかして書いたのを忘れているだけで、実際には取り上げていたりはしないかを調べに、だったと思う。Oさんが自室に本を探して確認に行ってくださる。すぐに確認しておこうとしたのらしい。
Oさんが先に行き、後から追いかける。右手前に坪庭がある。かなり上部から日が差し込んでいるのがわかるが、相当上からの光で、壁にあたる部分は暗くてよく見えない。真ん中だけ、石が枯山水のように並べてあるのがわかる。さすがOさんの家はスゴイなあと感心している。
Oさんはどこだろうと、そこから左へふすま、いや障子をあけると、そこにも廊下がある、その左側にそって居室が並び、廊下はその先で右に折れていてその奥側にも部屋があり、Oさんはそこに入っていこうとしていた。廊下に囲まれた右側にも坪庭がある。さっき見た坪庭よりも広くかつ明るくて、そこに向けて部屋からのあかりが薄く漏れて庭を美しく照らしている。
Oさんはその坪庭の向こう側にあたるへやで本を探しているらしいが、どうも見つからなくて困っているらしい。Oさんにしてあの仕事の成果の本がすぐには出て来ないのだ。多分掲載はされていないだろうなという予感がしている。
うっすらと輝くように明るい坪庭の様子が妙に印象に残っている、そしてもう一人のO先生のいつもと違って妙に優しそうな顔も。

          §           §           §

ふっと目を覚ましたのが夜中の12時40分。いつものパターンで、22時過ぎに訪れる睡魔に勝てずにイスに座って机に向かったまま寝てしまっていたのだった。まだお風呂に入れる時間だ。そう思って、まだ起きているらしい家内の所をのぞくと、家内は何かを食べながらまだテレビを見ていた。妙に夢の記憶が生々しくて、メモってみようとしてこれを書いた。
粗方書き終えてから、再度PCで時間を確かめると、23時10分過ぎ。さっきは22時を24時と見誤ったのだろうか? でも、考えてみれば24時という表記はあり得ないのだ。目覚めたつもりで、まだ夢を見続けていたのだろうか。
断片となった記憶も、接点がわかる限り上記の記述に書き加えた。夜更けのイメージや、韓国と感じていた記憶、「直」の字を再度確認したことなどがそれにあたる。
どこに収まるべき記憶か、明確にそこ、とは言えないものもある気はする。こうして記述してしまえばひとかたまりだけれど、最初からこういうイメージで夢の記憶が固まっている訣ではないのだ。
記憶を掬い掬いしながら(救い救いかも知れない)必要なところにくっつけていく。そばに持って行くと、正解に近いと自然にはまっていくあの感じである。
そうしてできあがった記憶の集合体がこの文章だ。少しその成り立ちについても書いてみた。今までの夢の記憶も、基本的に同じような方法で記録したものである。一度で形が固まる訣ではない。
それにしても不思議な夢だった。まだ記憶が鮮明に残っている。

以上は昨晩見た夢、厳密にいえば、寝る前の居眠りの最中に見た夢について、寝る前に記録したものである。なぜかはわからないけれど、記憶の鮮明さは今でもさほど褪せてはいない。
ラベル:
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2018年07月21日

レオンハルトに導かれたBWV9の聴き比べ

グスタフ・レオンハルト、古楽演奏のパイオニアだった人である。ニコラウス・アーノンクールと分担して完成させたバッハのカンタータ全集を入手し、折に触れて聴き比べている。その演奏はなかなか一筋縄ではいかないけれど、ある意味で意外性のあるものである。
ある意味でというのは、初めはあれっと思ってしまう演奏を何度も聴き込むうちに、これはそうなんだ、こうでなければならなかったんだと、深く納得してしまうという経験を何度もさせられたからである。理屈でどうのこうのというのではなくて、理屈抜きの説得力をもつ演奏なのである。
別に声高に叫び出す訣でもないし、特別なことをする訣でもない。ごく淡々としたなかに、なにかこうじわっと溢れ出してくるというか、滲み出してくるというか、そういうものが感じられる演奏であって、結果的にそれは意外でも何でもなくなるのである。
突っ走って欲しいところ、じっくり感情を込めて欲しいところで、突き放した、そんなことわしゃ知らん、みたいな、わざと素っ気なく聞こえる演奏をする。例えば、BWV129の3曲目の短調のアリア。BWV129の最初の曲の出だしも妙にのろい。最後のコラールの遅さ!
BWV184の2曲目の二重唱なども、妙に引っかかる演奏である。ある意味、歯切れの悪さ。しかしである、これはわざと立ち止まり、立ち止まりしながら、チラ、チラッとあたりを伺いながら行くあの感じ。その心はと言えば、駆け抜けてしまえばもうあとには戻れない、少しでも時間の進みを遅くしたいという意識。今のこの時間がいずれ終わることを知っていて、それを慈しむというか、惜しむというか、そんなに慌ててどうするんだという、ある意味泰然というか、超然というか、突き抜けた感覚があるのである。
BWV172やBWV34も同じ。そんなにムキにならなくてもいいんだよと、噛んで含めるようなところがある。その点比較であるが、ガーディナーは正直、リリングは逆に一筋縄では行かない真の意味での意外性がある(リリングは時として、突っ走ってしまう場合があって、それはそれでぞくぞくさせられることが多い)。意外性と言えば、アーノンクールはさらに顕著であるが、ただアーノンクールの場合には、その意外性がややもすれば超個性的で、悪く言えば独りよがりに陥っている嫌いがあるように思う。

          §           §           §

最近聴いた曲で少し聴き比べをしてみた。BWV9「われらに救いの来たれるは(救いは私たちにもたらされた)」、今年は7月8日だった三位一体節後第六日曜のカンタータである。1732年から1735年頃に作曲されたといわれるコラールカンタータである。その作曲の経緯が面白く、コラールカンタータが集中して作られた1724年から1725年にかけての日曜日のうち、コラールカンタータが欠落している日曜日がいくつかあって、三位一体節後第六日曜にあたる1724年7月16日もその一つであるという。理由は、妻のアンナ・マグダレーナとともにケーテンの宮廷に招かれてライプチヒを留守にしていたからとのこと。そのためバッハは後年これらの欠落を埋める努力をしようとしていて、BWV9もその結果生まれたもので、偶然が重なった結果やや時期外れの時期に生まれたコラールカンタータということになる(以上は、川端純四郎さんの遺作、バッハ・コラール辞典009Es ist das Heil uns kommen her による)。
聴いたのは、ガーディナー(2000年)、リリング(1984年)、鈴木雅明(2012年)、レオンハルト(1971年)、リヒター(1975・76・77年)、クイケン(2012年)の6種類である。曲ごとに感想を書きとめておく。

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BWV9
第1曲 合唱
ガーディナー 4′49″ 爽やかな美しい演奏。ただ、 一瞬のためらいというか、一抹の不安というか、単純に前に進まないものを感じる。初めに音の空白があり、実際には4′45″程度。
リリング 5′13″ 優しく落ち着いた足取りの序奏。
鈴木雅明 4′40″快速でメリハリの効いた演奏。ガーディナー以上に颯爽とした推進力がある。チェンバロも良く聞こえる。
レオンハルト 4′57″ やや速めのテンポだが、一歩一歩慈しむように美しく歌い上げる。合唱の隅々まで奥行きのある響き。
リヒター 5′15″ タイム的には一番遅いのだが、リズムがはっきりしていて分厚いせいか、案外速さを感じる。
クイケン 4′47″タイムほどには速い印象はない。それよりも透明で暖かく素朴な響きが美しい。各声部と楽器が良く聞こえる。ことにフルートの一音一音を切った玉を転がすような響きが、さほど音量はないけれども効果的。

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第2曲 バスのレチタティーボ
ガーディナー 1′05″
リリング 1′14″
鈴木雅明 1′10″
レオンハルト 1′15″
リヒター 1′49″
クイケン 1′17″
ガーディナーは流れ重視の語りかけが印象的。リリング厳しくメリハリの効いた語り。鈴木雅明は劇的な感じ、チェンバロが目立つ。レオンハルトは、雄弁なバスが美しく語りかけてくる。クイケンは雄弁だが抑えた語りかけが印象的。これらに比べると、リヒターだけはまるで別世界(以上は、4・6のレチタティーボを含めた感想)。

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第3曲 テノールのアリア
ガーディナー 7′57″粘りに粘る時のガーディナーの典型。レオンハルトと同じ方向なのは珍しい。第1曲で僅かに感じていたものが爆発する感じ。深沈とした趣の中で、テノールが切々と語りかける。
リリング 3′48″厳しい時のリリング。容赦なく突き進む。リヒターばりの演奏。最初の合唱からは信じられない演奏。
鈴木雅明 4′02″ 弦とチェンバロに乗ってテノールが厳しくリズミカルに歌いかける。流れるような美しさのある演奏。
レオンハルト 7′22″これはもう別の曲。纏綿と、しかしいささかも粘らずに進む。弦の鄙びた音色が味わい深い。テノールの絶唱も印象的。
リヒター 3′58″厳しく凛とした演奏。分厚く鋭角的な弦が疾走する。
クイケン 5′29″ タイム的にはレオンハルト・ガーディナーと、リリング・リヒターのちょうど中間に位置する。素朴だが切々としたヴァイオリンとテノールの、適度に速さのある掛け合いが美しい。
こんなにも差が出る曲があるのだ!

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第4曲 バスのレチタティーボ
ガーディナー 1′14″
リリング 1′17″
鈴木雅明 1′16″
レオンハルト 1′17″
リヒター 1′48″
クイケン 1′13″

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第5曲 ソプラノとアルトのデュエットアリア
ガーディナー 5′20″快速で爽やかな、歯切れのよい流麗な演奏。
リリング 6′30″ ソプラノとアルトの掛け合いが見事。チェンバロが響き、充実したカノン。
鈴木雅明 5′10″ガーディナーをさらに快速、直線的にしたような演奏。声が楽器よりも前に出た感じで、ことにソプラノが目立つ。
レオンハルト 7′26″ゆったりと優雅に、ボーイソプラノが美しく、一音ずつかみしめるような心に語りかけるような音楽が胸を打つ。
リヒター 5′47″ソプラノとアルトに加え、フルートとオーボエと掛け合いが味わい深い。ことに転調部の美しさは比類がない。
クイケン 7′06″ レオンハルトに次ぐタイム。遅い印象はない。流れはよく、ことに管楽器の掛け合いのしっとりとした温和で慈しむような響きが印象的。いつまでも終わってほしくないと感じさせられる演奏。

          §           §           §

第6曲 バスのレチタティーボ
ガーディナー 1′16″
リリング 1′23″
鈴木雅明 1′21″
レオンハルト 1′24″
リヒター 2′00″
クイケン 1′24″

          §           §           §

第7曲 コラール合唱
ガーディナー 1′06″ 切れ目毎にふっと息をつきながら優しく閉じる、
リリング 1′13″ ゆったりと充実した響きで締めくくる。
鈴木雅明 1′23″テンポは早い。50″で終わっているのに、あとに30″の余白あり。
レオンハルト 1′05″ 足取りを確かめるように優しく閉じる。
リヒター 1′17″ オルガンを含む分厚い合唱で高らかに歌い上げる。
クイケン 1′00″ 淡々と区切る感じの演奏。室内楽のようなアットホームな響き。
ほとんど差が出ない中では、鈴木雅明・BCJの快速がやや目立つ。

          §           §           §

一つのコラールを元に展開するコラール・カンタータであることに加え、合唱・アリアが、バスのレチタティーボと交互に連なるなど、きわめて整った形式をとるのに対し、音楽そのものはきわめて自由でかつ美しく、宗教曲らしからぬ雰囲気に満ち溢れている。
聴き比べたのはわずか6種類の演奏に過ぎないけれど、①第3曲のテノールのアリアの同じ曲とは思えないような対極の演奏、すなわち、レオンハルト、ガーディナーの緩に対し、リリング、リヒター、鈴木雅明の急の対比、そしてその中間をいくクイケンの存在、②第5曲のデュエット・アリアでは、今度はレオンハルト、クイケンの緩に対し、ガーディナー、リヒター、鈴木雅明の急の対比、そしてその中間のリリングの存在、③レチタティーボでは、緩のリヒターと、その他の5人の急の対比。といった具合で、それぞれに個性的な演奏が揃っている。
ただ、一括りにしてしまったけれども、例えば、テノールのアリアの同じ緩の演奏でも、音を切り一歩一歩確かながら歩む感じで諦念に溢れた詠歎のレオンハルトと、音を繋げて引きずり気味に悲嘆に暮れる感じのガーディナーとでは、本質的に違うものを感じる。また、同じくテノールのアリアで同じ急のタイプの演奏であっても、清潔なヴァイオリン独奏のオブリガートが印象的なリリングに対し、合奏でこれを分厚く演奏するリヒターはまことに壮麗極まりなく、曲の印象がまるで違う。リヒターはテノールを引き立たせるためか、テノールが登場するところでは弦の音量をグッと落とすなど、合唱に大きくメリハリをつける。
リリングとリヒターは方向性は似ている部分があって、例えば最初の合唱のゆったりとしたテンポも似ているけれど、デュエット・アリアが全然違うのもまた面白い。最初の出だしはそんなに違わないのに、随分タイムが異なるのはどうしてか。リヒターはテンポアップするが、リリングは逆にテンポを落とし気味にじっくり歩んでいくようだ。
そんな中で鈴木雅明さんは中庸を行く非常に端正な演奏で、安心して聴いていられる。また、クイケンは他のどの演奏とも違う素朴さ、というか人なつこさに満ち溢れている。どれが一番いいとはなかなか決め難いものがあり、こうなるともうこれはどう演奏してもいいという訣で、曲そのものが凄いんだろうなというところに帰結するのである。

          §           §           §

最後にそれぞれの演奏を、敢えてひとことで集約してみるならば、次のようなことになろうか。
ガーディナー 清澄
リリング 清明
鈴木雅明 端正
レオンハルト 典雅
リヒター 端麗
クイケン 温雅
以前BWV82でも同じようなことをやってみたことがあるけれど、比べてみるとどうだろうか。なかなかカンタータ全体を一括りにするのは難儀だなあ、というのが実感である。
ラベル:CD バッハ 音楽
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2018年07月15日

原田康子『挽歌』のあらすじ3

原田康子さんの『挽歌』について、章ごとに粗筋を紹介してきた(前回)が、これまで通りのやり方で書いていったら途方もない分量になってしまう(実際に、なっている)。そこで今回は、節ごとに筋を忠実に追いかけるのは諦め、章立てのみを活かしながら、粗筋を紹介していくことに改めたい。この方がいくらかでも、読書感想文めいた記述に近づけられよう。

          §           §           §

6章 クリスマスイブの夜からクリスマスの翌日まで
不安、しかしそれは桂木さんと二人だけで過ごす夜のためではない。彼を好きなのだから。桂木さんの優しさに懐かしささえ覚えるが、笑う彼の眼にかすかな翳が走る。愛ではない何かを、そこに怜子は感じ取るのである。
不思議な夜、途方もなく静かな夜を、触れ合わずに二人並んで過ごす桂木さんと怜子。戦時中のビルマでの桂木さんの体験の話の余韻に浸る。自分の求めたものにより、怒り、悲しむ野猿を妬んだという桂木さん。自分が原因でないことに煩わされる自分を、しかもそれをなんとでも言い訳できる自分が桂木さんは虚しくなる。怜子は遠くのものを見つめるような桂木さんの眼の色に胸を突かれる。
私に傷口を掻き回されたやり切れなさを忘れたいがために、私を連れて来たのではないか。とすれば、それは彼が桂木夫人を愛しているからではないのか。そう考えると自分の役割がひどく滑稽に見えて来て、怜子は自分が腹だたしくなる。思考を巡らせながら自分の深みにはまり込んで行く。不安が不安を呼び、考えれば考えるほど自分の中に、文字通りキリキリといじけ込んで行く。
次第に苦しさが言葉の中にこじれた形で突き上げてきて、怜子はその不安、苛立ちを桂木さんにぶつけてしまう。ママンのせいでしょ、と言った自分の言葉に怜子は心の均衡を失う。桂木さんの眉のあたりに浮かんだ苦渋の気配が怜子の胸を刺すが歯止めが効かない。髪を撫でる桂木さんの手を邪険に外し、さらに烈しくそれを搏つと、突然水音が途絶え、悲しみが脹れ満ちる。
桂木さんの烈しい声に、張りつめていた気持ちが緩みかけるが、その時ふいに桂木夫人の懶げな微笑たたえた切れの長い眼に見つめられているような気がして、怯えに取り憑かれる。ほかのことみんな忘れて! わたしのことだけ考えて! と言って怜子は急速にくずおれていく。

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7章 年が明けそして1月18日桂木さんが札幌へ発つ日
桂木さんの心を知ることへの恐れ、自分の心を知ることへの恐れ、自分の気持ちを反芻して半ば恐れ、半ば安心している。怜子は獏でいたいのである。自分の愛が─そう言い切っているのは大事だが─浮わついなものではないことを、古瀬達巳に会った時に桂木さんとの出会いを話すのを躊躇った自分の気持ちを振り返ることで確認して安心する。しかし、古瀬達巳と夫人のことを知ることを愉しんでいる自分を見つけ、怜子はまた不安にもなる。
桂木さんを傷つけるのではないか。桂木さんの気持ちを知ってしまう不安もある。桂木さんが自分を愛していることを怜子は信じようとする。しかし、愛しているとしても、それはひたむきな愛ではなく単なる愛おしさに過ぎない、怜子はそう思い込んでいた。そうでないことを信じたいから、彼の本心を知ってしまうことへの恐れが生まれるのである。自分の気持ちは納得できても、桂木さんの気持ちまでは、はかれない。
美しい桂木夫人への嫉妬もある。しかも古瀬達巳との逢引きを見てしまった怜子は、それを桂木さんに知らせることで、桂木さんが傷つくのを防ごうとしているつもりながら、それを伝えることに、一種サディスティックな快感も味わっている。そもそも二人の関係はそこから始まったのだった。
父と怜子との絶妙な会話。説教かと思い覚悟すると、おずおずと谷岡夫人からの贈り物を差し出す父。父が脛に傷をもつことを知り、立場が逆転する。しかし、父に当分お説教されることもないとわかると、不思議な淋しさが身体を突き抜ける。父にかまってもらうこと、桂木さんとのことを知ってもらいたい気持ちが怜子にはある。
かまってほしい、桂木さんにも会いたい。しかし、何か話しがしたいらしい桂木さんに対し、すっかり気持ちをこじらせる。獏として夢を食べていたい、現実に引き戻されたくない。桂木さんの本当の気持ちを知ってしまうことを恐れているのである。しかし、その一方で、知りたいという気持ちもあるから、あまのじゃく、と桂木さんにも言われてしまう。

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8章 桂木さんが発って一週間後の夜
桂木さんの心を知る不安、恐れ、会社に行っても彼に会えないという途方もない寂しさ。それを忘れようとしてではなく、それが自然に怜子をダフネに通わせる。
父との何気ない会話の中で、なぜ桂木さんが自分を抱いたのか、不安が怜子を思考の錐を回転させてしまい、自ずとその答えを導き出してしまう。自分で自分を追い込んでしまう怜子のいつものパターンである。愛おしさの源が、虚しさにあることを自然に悟ってしまい唖然となる怜子。
舞台装置が絶妙である。停電した父の書斎。ストーブの火影と父のパイプの火が、父の白髪をうす赤く染め、ひどく美しいと思う。父が届けてくれた桂木さんの写真集のハギア・ソフィアが、薪の火で大きく揺れる。それが劫火に焼かれるような気がし、身体がふるえる。
父との会話が不安をうごがし難いものとして、怜子を脅かし始める。桂木さんは虚しさからわたしを抱いたという想いにとりつかれた怜子は、悲しさと苛立ちからさらに不安を色濃いものに染め上げてゆく。
不安から抜け出すたったひとつの道として怜子が選んだのは、桂木夫人と古瀬達巳に会ってもたらされるはずの愉しさ。それと不安をすりかえようとするのだった。不安とそれを乗り越えるための愉しさの交錯の中で、獏であり続けようとする怜子は、考えれば考えるだけ思考の深みにはまりこんでゆく。夢が現実を動かし、その現実がまた玲子の夢を育むのである。
桂木さんにひかれる怜子の気持ちを押したのは、桂木夫人の美しさだったかも知れない。それは次第に嫉妬から愛へと変わってゆくのも確かである。古瀬と逢い引きを続ける夫人のことを桂木さんに告げたことが物語の展開を促したのも確かである。しかし、その根源はといえば、それはやはり桂木さんに引かれる玲子自身の愛にあるのだと思う。
また、桂木さんの立場に立ったとき、彼は夫人と古瀬との関係を知っていて、それをいかんともしがたくいるのである。怜子が考えるように、桂木さんは夫人を愛していたのであろう。そうであるからこそ、怜子をも愛してしまうのである。桂木さんの気持ちの底には虚しさが巣くっている。夫人とのことは彼自身の責任ではどうすることもできないけれども、怜子とのことは自分の意思で責任を果たすことができる。
桂木さんの怜子や夫人への愛だけではない。同時に描かれる久田幹生の怜子への愛、怜子の父の谷岡夫人への愛、そして古瀬達巳の桂木夫人への愛でさえも、『挽歌』の中の男たちの愛はまことに純粋である。それらの中にあって、怜子の桂木さんや桂木夫人への愛は奔放ではあるけれども、純粋さという点では全く引けを取らない。怜子の純粋さ、夢を食べる漠としての心の動きこそが、この物語の原動力となっているのである。

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それにしても、昨日、今日となんたる暑さだろうか。40℃も目前である。平熱が少し高めのぼくにとってでさえ、体温を軽く超えた熱風が吹いてくる。その感触は尋常ではない。なにかこう、なにもかにも諦めてしまいたくなるような暑さ、というより熱さである。
やはり、チベット高気圧の関わりが大きいらしい。それもあるからなのか。気温が高過ぎるからなのか、日中の湿度はそれほどでもなく、カラッとした暑さと言えば、そうには違いない。ジトーッとしたベタ付く気持ち悪さはあまり感じない。
あと、不思議なことだが、セミの声があまり聞こえてこない。先週の大雨の影響で、土の中から出て来ようとしていたセミが出て来られなくなってしまったのだろうか。セミにとっても過ごしにくいほどの暑さ、ということなのだろうか。
気が付けば、予報がこの先猛暑日が連続することにどんどん変わっていっている。再び台風がらみの天候も予想されているようだが、この太平洋高気圧とチベット高気圧の強力なタッグを解消してくれるきっかけは、いったいどこからもたらされ得るのだろうか。
今日はあとから考えてみると、あれこそ熱中症かと思われる気持ち悪さを自覚してしまった。年を重ねるにつれ、暑さ自体はそれほどいやではなくなってきつつあるので、なんとか身体をだましだまししながら、この難局を乗り越えていくしかない。
ラベル:日常 季節 読書
posted by あきちゃん at 23:30| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年07月10日

梅雨と夏の狭間の豪雨

梅雨末期が集中豪雨の起きやすい時期であるのは常識として知ってはいたけれど、今回の豪雨はそれを遙かに超える規模だった。西日本豪雨という呼び方もされているように、広島・岡山・山口・愛媛などを中心に、九州から中部までの広い範囲で、しかも長期間にわたって連続した、まさに未曾有の雨だった。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられたみなさまのご冥福を心からお祈りしたい。災害の全貌はいまだに明らかになっておらず、情報が集まり始める中で、被害は徐々に拡大していきつつあるけれども、願わくばこれ以上拡大することのないことを。それだけを切に祈りたいと思う。
なぜこんな大雨が降ったのか。台風7号が九州の西を北上し、対馬海峡から日本海に入る。当然南からの湿った空気を列島に引っ張り込む。台風が梅雨前線を引っ張り上げて梅雨が明けることもあるのだけれど、今回は全く逆で、ほとんど梅雨明けかと思わせていた列島に、温帯低気圧化して伴うようになった前線が徐々に南下し、梅雨前線として復活して列島を串刺しするようになってしまったのである。
梅雨末期の集中豪雨というと、たいていは都道府県単位程度の規模であることが多かった。七夕に日本海を進んだ台風に向かって吹き込む南風で、静岡に豪雨が降ったことがあった(1974年)。また、長崎で眼鏡橋が流出する豪雨が朝方の短時間で降ったこともあった(1982年)。谷崎潤一郎の『細雪』に描かれた阪神水害(1938年)も、大阪・神戸地域を中心とするものだった。
それら比べると、今回は範囲が遙かに広く、しかも一定方向に雨雲が動いていったというのでは必ずしもなくて、あちこちで同時多発的に豪雨が発生している。これではいかんともしがたい。予報は比較的早い段階から歴史的な豪雨になる可能性を伝え、警鐘を鳴らしていた。その点はかなりの精度であったと思う。しかし、どの地域でということになると、これだけ広範囲であっては、実際に降り出してみてからでないと、なかなか自分のこととして実感できなかったのではないか。
また、事前に予測でき得たとしても、できることと言えば、ただ避難することでしかないだろう。ハザードマップなどで予測されていた最大の浸水深さに匹敵する規模だったと、予測の正しさが立証されたとしても、そうなったときのための対策を事前に取れるのでなければ、折角の予測も宝の持ち腐れでしかない。
50年に一度、100年に一度のための対策を今すぐに全て実行に移すのは現実問題として難しいという側面があるのはわからないではない。しかし、それが現実に起きているのを目の前にすると、そんな悠長なことは言っておられない。折角予測ができたのである。当たり前のことだと思うけれども、それを想定内のこととして受け入れ、そのレヴェルの災害への対策を講じていくことこそが、亡くなられた方々の尊い命を無駄にしない唯一の方途だと思うのである。
今日はここ数日の豪雨がウソのような夏空が広がっていた。この一週間の梅雨空は一体何だったのか。一週間前、思わずもう少し梅雨のままでいてほしいと書いてしまったけれど、まさかこんな豪雨になるとは思いも寄らなかった。最近の天気は何故こうも極端に走るのだろうか。ほどほどの温和な天候が続くということがないのである。
世の中の風潮にしてからがそうなのだからと、言ってしまったのでは身も蓋もないけれど、問われるべきが巨悪が曖昧なまま放置され、どうでも好い重箱の隅ばかりが突かれ続けるのは、もういい加減どうにかならないものだろうか。昔は自然災害が起きると、為政者は自身の政治の至らなさであるとして身を正したものなのだが、そんな気はサラサラなさそうだなぁ……
ラベル:季節 日常
posted by あきちゃん at 00:44| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする