2018年10月24日

言葉の「語感」について

奈良に住むようになって今年で30年目を迎えた。東京に生まれ育って29年と2ヵ月で奈良に転居したから、いよいよ関西住まいの方が長くなってしまった。言葉にせよ、食べ物にせよ、当初思っていたよりも違和感は少なく、案外すっと溶け込めたように思う。特に一番心配していた食べ物は、味付けへの抵抗感もなく、またそれまで食べていたものはこちらでもほとんど入手できたので、困ることはほとんどなかった。郷に入っては郷に従えということもあるし、そんなにこだわりのない質なのも幸いした。

その点でいうと、こだわりはなくても難しかったのはむしろ言葉だった。別に関西弁を真似しようという気もないし、普通に標準語を話していても、特に意思疎通に問題が生じることはない。新しい語彙は、使えないまでも慣れればすむことである。

しかし、関西ではごく普通のアクセントに対しては、その全部という訣ではないが、特定の一部に対してだけはどうしても違和感が残り、聞いてはわかるのだけれど、抵抗感がなかなか払拭できなかった。まして真似しようとしてもどうしてもできない。したくないのではなく、したくてもアクセントを真似できない言葉がいくつか最後まで残った。

標準語と違うアクセントでも、何度も聞いているうちに、ついこちらもそういうアクセントでしゃべっているという言葉もある。

例えば、近鉄の駅名の西大寺。標準語であれば、サイダイジは、一拍目の「サ」にアクセントがあって、 ̄ _ _ _ _となる。ところが、関西ではそうではなくて、アクセントは二拍目の「イ」にあって、_  ̄  ̄ ─ _となる。これは駅で切符(特に特急券)を買うときには必要な言葉であることもあってか、自然と_  ̄  ̄ ─ _のアクセントを使うことができるようになった。これについてはさほど苦労することなく言えるようになった。


          §           §           §


ところが、同じ地名でも、関東人からすると意外なアクセントで発音されるものがあって、これは真似をしようにも、どうにも真似ができず、困り果ててしまったものがある。

その代表的な例が谷町である。大阪の地下鉄の駅名として初めて聞いたときには、呆然としてしまった。タニマチは、標準語のアクセントなら、_  ̄ _ _のはずである。ところが、大阪の地下鉄のアナウンスで聞こえてきたのは、 ̄ _ _ _だった。これは関東人には俄には再現できないアクセントなのである。いや、俄にどころか、言えるようになるまで、20年もかかってしまった(言えると言っても、ただ自分で復唱できるというだけで、実際に人前でこのアクセントで話すことは絶対にない)。

確かに、苗字としてなら、「谷」さんは、_  ̄さんではなく、 ̄ _ さんであろう。だから、マチがついたら、 ̄ _ _ _になるのは確かに自然であるのかも知れない。今では頭では一応そう納得できるのだが、最初に聞いた際には、一体何が起こっているのか、耳を疑ったほどだった。関東人には考えられないアクセントなのである。というか、なんと言っているのか、対応する言葉さえ思い浮かばなかった。

もう1例挙げるなら、やはり地名であるが、ナガホリがある。これも地下鉄がらみのもので、路線名にもなっている地名である。関東人からすれば、タニマチと同じで、_  ̄ _ _としてしか発音できない。ところが大阪市営地下鉄のアナウンスでは、これを一拍目にアクセントを置いて、 ̄ _ _ _と発音する。これもタニマチと同じで、本当に難しかった。こうやって書いてみると、タニマチとナガホリのアクセント原理が同じであることがわかり、両方に同じ難しさを感じるのはたいへんよくわかるが、ナガホリもタニマチと同様に完全にパニクってしまったアクセントであった。


          §           §           §


地名以外では、田中という苗字にも、似たような思いを味わわされた。関東なら、タナカは_  ̄  ̄で、タナカさんと続けて言う場合なら_  ̄  ̄  ̄  ̄ となる。ところが関西では、まずタナカは_  ̄ _ となり、二拍目が強い。さん、に続く場合には、_  ̄ _ _ _となるのが一般的だろう。

このタナカさんの場合には、身近にタナカさんが何人もいたこともあってか、ごく普通に言えるようになった。このアクセントで呼びかけられるようになるまでにはちょっと抵抗のようなものは感じたけれど、じきに問題なく言えるようにはなった。

それに比べると、先程のタニマチとナガホリの場合は、抵抗があっただけでなく、このアクセントでの発音は実際に難しかった。口が回らないというか、技術的に難しいのだった。何が違うのかはわからないが、言えるようになるまでには多大の努力と練習が必要だった。馴染みのないアクセントであるのはサイダイジと何ら変わりはないのに、慣れるまでに要した時間の違いはべらぼうだった。

原因として考えられることがもしあるとすれば、身近かどうかということ以外では、音節数の違いくらいだろうか。4音節のタニマチ・ナガホリに対し、タナカの場合は3音節と短く、これが比較的容易に言えるようになった理由なのではないか。逆に言えばそのくらいしか思い付かないのである。


          §           §           §


長年慣れ親しんで身に付いてしまった語感─普通に言う言葉のニュアンスという意味ではなくて、言葉から受ける文字通りの感触、肌触りのようなもの─の呪縛は大きいのだろう。予想と異なる語感の言葉に接した時の順応性は人それぞれだろうが、どうもぼくは、それを容易には受け入れ難いたちのようだ。最近そんなふうに思うようになった。ちょっとの違いが気になる、繊細といえば繊細だが、柔軟な適応能力の欠如ということもできよう。

そしてもう一つ思い当たったことがある。それは、この普段使って来なかった非日常的な語感を味わうことへの抵抗感というのは、もしかしたら外国語がなかなか習得できないことの裏返しなのではないかということだ。あれと通底するものがあるのは確かなような気がする。

言葉に対する柔軟でない感覚、これはもう持って生まれたものとしか言いようがない。外国語が上達しないのはこんなところに原因があったのか、語学ばかりは努力してもいかんともしがたい、と妙に納得したことであった。努力が足りないことを棚に上げて、と言われてしまえばそれまでではあるが……。

ラベル:言葉 日常
posted by あきちゃん at 07:45| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年10月21日

バランス良く年を取りたい

当たり前のように思っていたことが、ふとそうではなかったことに気付く。家内が何気なく漏らした言葉にはっとしてしまった。
「今度3人の子供たちに同じ日に会えるのは、あたしのお葬式の日かも知れないわ……」 冗談じゃない! と思いながら、いやそれならこのぼくの方が先かも知れないとも思う。
子供たちが巣立って、家内と2人だけの日が始まって2年半余り。3匹のイヌに囲まれているので、まだ2人きりという実感はないし、巣立ったといっても2人はまだ学生。家から通っていないというだけに過ぎない。勤めている長女も大阪だし、末娘も京都だから、顔を見る機会は結構ある。
滅多に見ないのは神奈川にいる長男で、家から離れて7年目になり、決まった時期に帰省する訣でもないから、ことに家内は疎遠になりがちだった。それが、先日家内が久しぶりに上京した折、食事に誘ったら、渋々かも知れないけれど、珍しくともかくも顔を出してくれたらしい。
家内は息子の顔を見たくて仕方がなかっのだが、息子の方ではもう母恋しい年齢でもなく、むしろ煩わしがって、さあ何年ぶりだったのだろうか。
その日家内が帰寧したら、末娘が京都からやってくるのは前もってわかっていたのだが、ちょうど長女も偶然大阪から9月の屋久島行きのおみやげを持って来てくれて、初めに書いた家内の述懐となったのだった。
その日は実はぼくも別件で東京に出かけていて、帰りが遅かった。帰宅した時にはもう末娘とは入れ違いだったが、長女の屋久島土産の話には加わることができた。
1日に3人の子供たちの顔を見るのなんて、長女が大学に入学して奈良を離れるまでは当然のことで、気にしたこともなかった。数年後、息子がやはり大学に入って家から離れ、さて末娘はどうなることやらと思いきや、京都の大学にそのまま進学してくれた。やれやれと思っていたら、今度は通うのは大変だから京都に下宿したいと言い出して、あっという間に住まいを決めて巣立ったのが2年前の春だった。
それでも、初めにも書いたように、3匹のイヌたちがいたお蔭か、別段違和感もなく過ごしてきたのである。変わったことはといえば、家内と2人で家を空ける際に、留守番の確保に気を回さねばならなくなったことくらいで、寂しいなどという感覚は全く覚えなかった。
それが家内の一言で、ハッと目覚めさせられる思いを味わったのだった。発想の逆転というか、敢えて避けてきた角度から物事を見せつけられたというか、ああそういうことなのだと、置かれている状況を今さらのように感得する羽目に陥ったのである。

          §           §           §

翌日午前、職場でいつものようにPCに向かっていたら、妙に眼が重い。緑内障の気があって、本当は毎日目薬をささねばならないのだが、かかりつけの眼医者さんが夕方の診察をやめてしまい、行くに行けずにもう一年余りを過ごしてきてしまっていた。
そんな負い目もあって、思いがけない目の不調にこれはいけないと思い、急ぎの用事や予定もなかったので、午前中休みを取って、2駅先の眼医者さんに駈け込んだ。
いつものように視力検査をし、それから診察。こちらは開口一番随分ご無沙汰してしまったお詫びを述べ、怒られるのを覚悟していたのだが、昔は結構怖かった女医の先生が、目薬だけでも続けてくださいね、将来のためですから、と案外優しく対応してくれてやや肩透かしを食らう。
もっとも、将来のことですから、にはグキッとした。怒られるよりもあとから効いてくる言葉だ。父方も母方も、どちらの祖父も晩年は緑内障で失明している。遺伝的には、ぼくもそうなるのは目に見えていよう。
まだ正常値の範囲内ではあるが、眼圧が高めなのは確かで、用心するに越したことはない。いや、用心するべきだったのである。久しぶりですから、念のため検査をしておきましょうね、ということで、待つことしばし。
ところが、申し訳ありません、パソコンの調子が悪くて。ストを起こしてますから、また今度にしましょう、と先生。えー! 今度と言ったって、今日目薬をもらって帰ったら、早くても今度来るのは2、3ヵ月先である。
まあ、気長な病気だし、しかたないなあ、と諦めの境地で会計を待っていると、すみません、動きましたと声がかかる。ストは回避されたらしい。ちょうど、ストなんていう言葉はもはや死語に近いなぁ、と感慨に浸っていたところであった。
結果はよくなかった。左目の緑内障が進行していることを先生から申し訳なさそうに告げられた。色の濃いところ、特に赤くなっている部分は筋肉が薄くなって病気が進行しているのを示しています。この辺りから視野が狭くなっていくんですと聞き、ああやっぱりかとの思いが湧き上がってきた。なぜかこうなることがわかっていたような、そんな気がした。もう若くはないのだ。
でも、そうであるならばなおのこと、今日わかってよかった。今日診察に来られた幸運を感謝することにしなければ。そう思うと、目薬を手に勤めに戻る足取りは、けっして重くはなかった。

          §           §           §

しかしである。これは今週月曜の話だが、1週間が終わってみれば、今週も忸怩たるありさまの1週間であった。やらなければならないことが、何一つとして進まない。進まないどころか手さえつかない状況が続いている。そんな人ごとみたいなことを言ってはおられないのだが、あちこち不義理の限りを尽くしまくっていて、こんなことを書いている暇があるくらいなら、と思わないでもない。
最近特に気にかかっているのは、会議で眠気を催すことが増えたことである。別段夜眠れなくなっている訣ではなく、夜は夜でよく寝られる。というか、むしろ睡眠をへずって仕事をすることが困難になってきたのを実感する。一定の時間になると机に向かったまま眠ってしまうことが多くなった。あるいはそこまでではなくても、つい眠気を催して横になると、そのまま夜中まで寝入ってしまうのである。要は無理が利かなくなってきていて、無理をしようという精神力が減退してきているのも事実なのだろう。逆にちょっとだけでも無理をしようと思った時に限って、今度は気力が付いてゆけない。気力と体力のバランスがちぐはぐなのである。
どうも会議に限らず眠気を催さずにいられる時間が、少しずつ減ってきているような気がしてならない。物事をまともに考えられる状態の時間がどんどん少なくなってきているのではないか。それと同時にそうした思考による疲労から恢復するのに益々時間がかかるようになってきているのではないか。要は1日のうちで正気でいられる時間が徐々に減ってきていることを実感せざるを得ないのである。怖ろしいことである。
このまま減り続けていったらどうなるか。正気でいられる時間の方が少なくなっていって、最後には1日の大半を正気でない状態で過ごすことになる日が来るのだろう。それは初めは徐々に少しずつ進行するのだろうが、最後はあっという間に完了してしまうような気がする。なかなか進行しなかったアップデートの目盛りが、最後は一気に駈け上がって完了するように。もっとも、一定の割合で進行するのだとしたら、それがいつ来るのかを見通せてしまい、かえって恐怖に苛まれることになるかも知れない。
まあしかし、そういう日がいずれ来るのだということがわかっているのだとすれば、それはそれでありがたいことではないか。あとは、内臓がそれまで丈夫でいられるかどうかだけである。身体と精神と、バランス良く年をとりたいものだ。
posted by あきちゃん at 00:09| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年10月19日

時間と空間を往き来する夢─夢の記憶53─

坂を登り詰めたところの平場に立つ公民館風の平屋の建物が今日の宿。いつもその一室に泊めさせてもらい数日過ごすのが常だった。
ところが、今日に限って明かりが灯っていない。ということはカギも開いていないかも知れない。さてどうしたものか。
見ればその建物の屋根の上に人影が見える。夕暮れのはずだったが、シルエットという訣でもなく鮮明に見え、屋根の修理か何かをしているらしい。声をかけたものか迷ったけれど、どうせ話してもわかりそうにないし、事情を説明するのも面倒だ。一応裏に回ってみたりはしたものの、やはり無駄だった。
こうなったら、ここに泊まるのは諦めて、今日の宿を別に探さなければならない。ところが今日に限ってケータイを忘れてきてしまったことに気付いた。充電したままの状態が鮮明に眼に浮かぶ。これから数日ケータイなしでいったいどう過ごすというのか。PCは置いてきたから、思考のメモとして、ケータイは欠かせぬアイテムのはずだったのに。
となると、公衆電話か。電話ボックスなら電話帳があるはずだ。ならば確か学校の脇の公園の前にあったはず、と思い出し、さっき登ってきた坂を下り始める。初めには書かなかったが、東京から出かけてきたぼくは奈良にいたはずだ。なのに今書いた思考は、ぼくが生まれ育った東京の街そのものだった。
若い頃奈良に来るとよく泊まっていたホテルの電話番号を思い出せるといいのだけれど、浮かんだ番号はどうも違う気がする。これはバス会社にリムジンを予約するときの番号ではないか。
真っ直ぐ下ってから右折。そこは学校の前の並木道。ぼくの家の前から近所の小学校に向かうなつかしい道だ。確か小学校は建て直しをしていると聞いていた。ぼくはいつのまにか東京に戻っていたのである。
夜の道を西へ歩き、小学校の前にさしかかる。校舎はよくわからなかったが、校庭の傍に不思議な建物が見える。透明な構造で、いくつものカウンターのような窓口が、建物内側の南北両側に一列ずつある。それが明るく美しく透明に光っている。シースルーの建物だ。ああそうか、子どもたちは給食をここでもらうんだ、と納得する。給食もこんなことをして出してもらえたら、楽しかっただろうなぁ。
気付くといつのまにか家に戻っていて、ケータイであの公民館の代わりになる宿の空きを確認している。電話番号を探していたことなどもう記憶の彼方のようだ。さっきまで見ていたのは、現実かどうかは別として、今の小学校のはず。ぼくが宿探しをしていたのは、そのそばにあったぼくの家の2階のようだが、そこからぼくの家がなくなって久しいのに。時間と空間がごちゃごちゃになっていること甚だしいが、夢の中ではそんなことは全然気にならないらしいい。
しかも、奈良の宿を探しているはずなのに、これは銀閣寺の近くだから時間がかかるからダメとか、これはちょっと北過ぎて遠すぎるとかちょっと、などと言っていて、なかなか決まらない。検索しているのは京都の宿なのだ。そばにはなぜか母が、また始まった、仕方ないわねぇといった風情で笑っている。
ああでもないこうでもない言っているうちに、やや早めにセットした目覚ましに、現実の世界の奈良に覚醒させられることになった。こうやって時間と空間を行ったり来たりできたら愉しいだろうなと思いつつ、なんだかそれも怖ろしいような気もして、複雑な思いで目覚めた夢だった。非常に鮮明に記憶が残っていて、目覚めたあとも胡散霧消する気配の全くない夢。ここまで鮮やかで記憶が褪せない夢もあまり記憶にない。
ラベル:東京 奈良 京都
posted by あきちゃん at 23:20| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年10月06日

原田康子『挽歌』のあらすじ6─愛の行方─

(原田康子『挽歌』のあらすじ5─怯えと葛藤、旅立ち─よりつづく)
10月に入って、どこもかしこもキンモクセイの香りに満ち溢れている。ここ2,3年は早かったり遅かったりで、イレギュラーな年が続いていたけれど、今年は10月の声とともにキンモクセイという、本来の時期にピッタリ合わせて香り始めた。勤め先で窓を開けていると、2階のぼくの所にまでほのかに香ってくる。今年はまさに季節に合わせて一斉に咲き始めた、そんな感じである。
さて、原田康子さんの『挽歌』の紹介を続けたい。今日もまた1章だけ。第11章である。夜行列車で札幌に向かった怜子が、桂木さんと5日間を過ごし、また釧路に戻るまでを描く章である。

          §           §           §

第11章 3月前半頃の5日間
札幌に向かう夜行急行。4人がけの堅いボックス席だろう、横と前には怜子の弟の信彦と同じ年頃の受験生らしい3人の少年がいる。怜子はもう絵のない絵本を開こうとはしなかった。どの頁にも素朴で優美で香気ある言葉が満ちていそうで、怯えを和らげるために買って読み始めた本が、かえって怯えをもたらしそうだったから。ぼんやり不味い煙草ばかり吸い続ける怜子だった。
狩勝峠を列車が喘ぎながら登り始めた時、車窓に降りかかる雪を怜子は見る、窓に張り付く雪、怜子は峠を見たくて半分覆いをあげて硝子に頬を近づけるが、峠は濃い闇の中に呑み込まれているだけのようだった。
その闇の中、硝子に写し出される怜子の顔、その唇に雪が落ちる。闇から亡霊のように浮かび上がる怜子の顔、そして純白の雪。ハッとさせられる描写だ。なんと切ないことか。
怜子の胸に、7週間前に桂木さんも乗っていたのだという思いが間歇的に湧く。あの時も雪が降っていたのだ、さらさらした小粒の固い雪が。桂木さんも眠ってはいなかったに違いない……、
峠を超えると、列車はフルスピードで下り始める。誰からも気付かれずに自分の住む街から隔てられていくことに爽快な思いを味わいながら、怜子は朝までとうとう眠らずに過ごす。農場を取り囲むポプラの木立の見慣れぬ風景に。石狩の野の豊穣さを感じる。
車窓を雪でぐしょぐしょに濡らした列車は、午前8時に札幌に着く。怜子は不安と緊張を同時に覚え、軽く唇を噛んでホームに降り立つ。紹介が2分割になってしまったが、10章から続く怜子の札幌への夜行の旅は、列車の旅を描いた名場面として、まことに忘れ難いものがある。

          §           §           §

エトランジェの心細さと不思議な解放感を味わいながら、この都会に私の知っている人はひとりもいない、わたしの逢いに来たたったひとりの人を除いては! そう考えて、怜子は初めて桂木さんのいる町に自分がいること感じ、桂木さんが身近に生きていることを実感するのである。その実感は、そう、あの、絵のない絵本の、あの人は生きている!と言ったガンジス川のほとりの女の子の確信に通じよう。
ようやく元気を取り戻した怜子は、お昼近くヴェロニカという珈琲店に入り、やわらかい椅子に座ってココアを飲む。そして、1時過ぎ、桂木さんに電話する。確実に桂木さんがつかまる時間を待ったということだろう。受話器を握っている手が汗で濡れる。流石に怜子も緊張するのだ。わかる? 恥ずかしさからか、いきなり大きな声を出す。しかし、至って冷静な桂木さんに、びっくりさせるんだねと平静な口調で返され、急に恥ずかしくなる、君は心配するんじゃない、その声には優しさがにじむのだった。
一緒に珈琲店に入るのも、夜の道を歩くのも初めてなことに気づいて、怜子は切なくなる。桂木さんから結婚を暗示する言葉を聞き、夫人から昨夜お金を借りてきたことを思い、怯えを抱く。その一方で、そのお金を桂木さんとのことで使ってしまいたい衝動にかられる。
電車に並んでかけて旅情を覚えながら、怜子は桂木さんが結婚を望んでいることをぼんやりと考える。彼が私との結婚を考えるのは、恋からではなく思いやりに違いないと怜子は思い、少し苦しくなる、同時に結婚という言葉に訣もなく甘いものを感じる。しかし、怜子は、自分が桂木さんの求めに応じられないことを莫然と信じなければならない、と感じるのだが、これはどういうことなのだろう?
ここは、原田さんにしてはややもって回った表現で、ことに「信じなければならない」がよくわからない。「感じる」、ならよくわかる。しかし、「信じる」とは? 怜子と夫人とのことを桂木さんが知ったら、到底結婚なんかできるはずはないという、いわば強迫観念に捉えられたということなのだろうか?
夫人に自分のことをいわないでほしいという札幌へ来た二つめの目的を怜子は果たそうとする。しかし、桂木さんに、それは君の心配することではないと、はぐらかされてしまう。怜子は桂木夫人を欺き続けてきたことを考えておそろしくなる。そして桂木さんに、自分のことを夫人にしゃべったら絶交するとまで口にし、自分がどうしているのが似つかわしいかを咄嗟に悟るのだった。今のままでいいの、ママンとくみ子ちゃんと暮らしなさい、アミでいたいの。
桂木さんは返事をせずに、固く怜子を抱き接吻を繰り返す。2人の心は微妙なすれ違いを見せるが、それを大きく包み込む桂木さんの優しさに、怜子は怯えと同時に今の歓びがいつまでも続けばいいという願いで収拾が付かなくなり、泣きじゃくり出す。桂木さんは怜子の濡れた頬を両手で柔らかく挟み、子どもをなだめるようになだめる。桂木さんの包容力のある澄んだ先を見据えた視線が印象的だ。ただ、そこには彼の深淵が垣間見えるようで、一種諦観のようなものさえ感じられてしまう。愛し合う男女の機微を描いた名場面である。

          §           §           §

怜子は、毎朝電車が見えなくなるまで彼を見送り、森の中をゆっくり散歩する、桂木さんと離れがたくなっている思いを噛みしめながら、朽ち葉まみれの雪を蹴散らしながら歩く。怜子らしいなぁ、と思わず微笑まずにはいられないのだが、桂木さんと離れ難くなっているのを感じながらも、自分の明日によいしるしをみいだせない怜子は、知らない街の森の楡の朽ち葉や、芝生の赤錆びた鎖や、愛人を乗せていく電車や、それを見送る自分自身を、その時だけの者として愛しむのだった。まことに深い描写である。
そんな怜子の描写には、原田さんは自身が投影されているように思える。原田さんの分身を、原田さん自身が慈しみながら描いている。
怜子は、二、三日して旅の目的の一つを投げ出してしまう。夫人に近づいたことを知らせなければ納得させられないことがわかり、それを告げることは彼の優しさを失うことを意味する。帰ったら否応なく知るだろうと考えるとぞっとしたが、苦痛を受けるのはできるだけ先にのばしたかったのである。
そして、秘密を持っていることに怯えたり苛立ったりしながらも夜肩を抱く彼の手を払いのけられない。桂木さんの愛情を受けながら、一方で怜子は、彼の強い手が身体に回される時、かすかな疑いが閃く。わたしを抱くのは激情からばかりではなくわたしを彼から離れがたくさせるための、また彼自身わたしを愛さずにはいられなくするための一つの手段なのではないのか。しかし彼の接吻と愛撫になにも考えることができなくなって毎夜のように涙をにじませて眠ってしまうのだった。今の瞬間しか怜子は信じられなくなっているのである。

          §           §           §

札幌を発つ日曜日、怜子は桂木さんと一緒にデパートで桂木夫人やくみ子ちゃんのおみやげを買う。怜子はこのスリルを伴う買い物にすっかりくたびれてしまう。
買い物のあと、屋上に並んで手すりに凭れながら、桂木さんは言う。夏が終わったら東京に出ようと思っている、君も一緒だ、彼自身に言い聞かせているような沈潜した呟くような声で。仕事をしたいしね静かに暮らしたい。自分の設計した家に、家族が寄り添って愉しく暮らす、そして何事もない静かな生涯を終えてくれるといい。そんな桂木さんの切実な言葉に、静かになんか暮らしたくないといつものように悪態をつきながらも、怜子ははげしく心を搏たれるのだった。桂木さんの葛藤の大きさを知る言葉である。
桂木さんはけっして物事を声高に叫ぶ人ではない。余計なことは全部自分のうちに閉じ込めてしまう。原田さんの作品に登場する男性には、主人公の父親が一つのプロトタイプになっているが、桂木さんはちょっと違う。飄々とした雰囲気の代わりに、悲劇性が前面に出る。真面目なひたむきさが大きなウェイトを占めるのである。夫人との間に何があったのか、原田さんは多くは語らないけれど、少なくとも夫人とは似合いの夫婦にしか見えない。
夫人の魅力がまた半端ではない。考えようによっては、怜子よりも余程まともな女性、浮いた所の全くない、清楚そのものの人である。確かに気になるとすれば、物事をやや突き離してみる傾向があることくらいだろうか。何事にも執着しないくせに、相手次第で流される傾向がある。古瀬しかり、怜子しかり。桂木さんはとの間もそうだったのかも知れない。しかし、桂木さんの年に3ヶ月の出張が、桂木さんとの間に隙間風を吹かせるような女性とはとても思えないのである。古瀬達巳とのことは魔がさしたとしか思われない。主体性のなさといってしまえばいそれまでだが、そう、桂木夫人は誰に対しても優し過ぎるのである。
ともあれ、桂木さんも桂木夫人も、魅力的な人だ。桂木さんを愛し、桂木夫人を愛してしまう怜子の気持ちが、ぼくにもよくわかる。なぜその2人がうまくいかないのか?不条理そのものだ。

          §           §           §

さて、桂木さんの切実な言葉、それを言わせたのは、愛よりも桂木さんの心を抉っている傷ではないのかと怜子は直感する。住み心地のいい家を造りたいといった彼の言葉を思い出す、そして結婚を前提にした桂木さんに反発を感じるのである。怜子は、くちびるを噛んでその言葉を聞くのだった。そして、誰がなんと言っても逢わなかったふた月間は消せないと、怜子は悟るのだった。
もし、桂木さんの札幌行きがなかったら、怜子は素直に桂木さんの気持ちを受け入れていただろうか。桂木夫人への接近は今に始まったことではなかったはずだ。むしろ夫人の存在が怜子を桂木さんに向かわせたようにも思うし、別離の2ヶ月が、2人に(特に桂木さんに)お互いに対する自身の気持ちを整理する余裕を与えたようにも思う。
とまれ、怜子は怯えや痛みを感じながらも、もうそれには逆らわずに、夜汽車が出るまでの時間を無邪気に過ごす。もうあまり話もせず時々微笑み合いながらの食事。札幌駅に着いた時、霙が降り出す。イルミネーションを潤ませて降りしきる霙は、旅の終わりの夜の背景に相応しいと怜子は思う。桂木さんが、怜子が止めるのも聞かず二等切符を買ってくれる。斜め横にはアメリカ兵が二人。怜子は、青い柔らかいシートに桂木さんと並んで座り、何処か遠くへ知らない国へ行ってしまいたいような気がする。それは、怜子が桂木さんと自分との乖離が広がっていくのを無意識に自覚してそれに抵抗する姿であったのかも知れない。怜子の孤独は深まるのだった。22日の夕方に着くから元気でいなさい、その一週間もない短い日数にほとんど生理的な怯えを感じるのである。それは怜子が夫人に接近したことを知った桂木さんが、本当に怜子から離れていくであろう日であったから。
怜子の気持ちには、桂木さんがそれでも自分を受け入れてくれるかも知れないという甘えというか、期待は微塵もないのだ。桂木さんとしては、怜子を今の怜子のままに長い目で暖かく包み込むことで、甘えてくれることを期待しているのだが(多分それは桂木さん自身に身に付いた彼のスタイルであっても、特別にそれを意識しているわけではないのだろうが)、怜子は無邪気ないつもの行動にもかかわらず、そんなことはあり得ない、いやあってはならない、あるべきことではないと、頑なに思い込んでいるのである。それが、前述した、「信じなければならない」の言わんとするところなのだろう。
その意味では桂木さんの方がむしろ考え方は柔軟で、夫人との関係には言及することなく、東京での新たな怜子との生活を、夢としてではなく、現実として思い描いている。現実に関する限り、年齢を重ねたことによるのであろうか、怜子より桂木さんの方が遥かにロマンチストなのである。そこのところが、桂木夫人が桂木さんから離れて古瀬に惹かれてしまった理由でもあろう。桂木夫人も夢見る人である点では、怜子と共通するのであって、怜子が桂木夫人に惹かれたのもそこに理由があるのだろう。ただ、桂木夫人は醒めた夢を見る人なのである。そう考えれば、現実的なロマンチストである桂木さんと隙間風が吹くのはいたし方ないことだったと言えるのかも知れない。三者三様、その心理は複雑なのである。
札幌での5日間は、2人が愛を結実させた、結果的に最初で最後の束の間の時間であった。

          §           §           §

今週末も再び台風の来週を迎えている。それにしてもこれほど台風という台風が北上する年も珍しい。しかも、季節が深まっているのに、あとから来る25号の方が、先日の24号よりも大回りに北上してくるというのは、季節に逆行も甚だしい。韓国南部に上陸の見込みのようだが、韓国を直撃する台風はさほど多くないので、大きな被害の出ないことを祈りたい。また、その後、スピードを上げて東北北部・北海道へ向かいそうなので、洞爺丸台風のようなことにならないよう、厳重な警戒が必要だろう。
ラベル: 季節 読書 日常
posted by あきちゃん at 01:12| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする