2019年02月25日

夢の芽生えについて─夢の記憶57─

自分で実際に見ているようでもあり、テレビのドキュメンタリー番組のようでもある。島のような周りを海で囲まれた場所(いや、海が近いというだけで、場所を特定できるような状況ではなかったかも知れない)で、何か食事の準備が行われるらしい。儀式ばったことではなく、ごく普通の日常的なもてなし料理のような気がする。
それには多量の湯が必要なのだという。それを海を越えて運ばなければならない。その湯を運ぶ場面を見ながら、そのもてなしを受けるための料金が結構高額なのは、そんな手間暇がかかることが影響しているらしいと、納得していた。

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で、その湯をどうやって運ぶか? たらいのような、しかし丸くはなく、長い方の辺が1m、短い方の辺が70㎝くらいある四角い木箱のお化けのような容器に湯をたたえ、これを海面に浮べて運ぶのである。
その様子を、船の舷側から直角に突き出した撮影装置からの映像のように見ていた。船の脇の海中を、その湯の入った四角いハコを縦長に持った人が、何かに乗せているのだろうか、船と平行に向こうからゆっくりとやって来て、手前に通り過ぎてゆく。どうも水の中を歩いているらしく、これは大変だと感心している。
湯は冷めないのか、こぼれないのか、あるいは海水が混じったりしないのか、などと心配に思った記憶はあるが、全てOKなのである。そもそも周りが海水だというのはどうしてわかるのだろう。

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そうこうするうちに、夏だけは別の運び方をするのです、といって説明が始まり、遊園地の池の乗り物によくある、アヒルの形の足踏みの2人乗りのボートのようなものがやって来て、目の下を通り過ぎてゆく。えらく軽快にピチャピチャしながら。
でも今思えば、湯はあのアヒルのボートのどこに積んでいたんだろう? 積み方の説明があったような気もするが、思い出せない。まあ、夢だからそんなことはどうでもいいのだけれど。足踏みのペダルを軽快に回しているのがよく見えたのが印象に残っている。
夏はこうやって湯を運べるので、他の季節に比べて随分楽なのです。確かにそうだろうな、これならかなり簡単だ。そう思って、その説明に夏の値段の安さを納得していたのである。
いったいあの多量の湯で何を作ったというのだろう。麺でも茹でたのだろうか? 四角いハコのイメージは、カステラのスギの木箱のようでもあり、香り高いヒノキのお風呂のようでもある。考えれば考えるほど辻褄の合わない夢ではあるが、夢とは所詮そういうものなのである。

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なぜこんな夢を見るのだろう? 前日が山歩きで、帰りに温泉に寄った。湯を運ぶというのは、まさにその影響だろう。浴槽は木製ではなかったけれど、スギの植林帯が大半だったし、花粉も飛び始めて薬を飲まないときつくなってきているのも関係しているかもしれない。
しかし、なぜ海なのか? 考えられることとしては、前の日に寄った温泉には、珍しくプールが付属していた、そんなことが、深層で影響しているのかも知れない。
夢の要素はいったいどこから浮かび上がってくるのか? 今回の夢などはこうして見当がつくから、まだ単純なというか、かわいい方の部類かも知れない。脈絡もなく突拍子もないと自分では思われることが、実は自分の深層心理を炙り出してしまうというようなことは充分あり得るだろう。意識せぬまま知らず識らずのうちに少しずつ蓄積したものが、じわーっと滲み出してくるような何か得体の知れない感じ、今蒔かれたタネがいつ芽生えてくるかわからない、そんな怖ろしさが夢にはある。
ラベル: 日常
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2019年02月22日

マリアの浄めの祝日のカンタータBWV82の聴き比べ(その4)

一昨年3回にわたってBWV82の聴き比べについて記す機会があった。今年も2月3日のこの祝日がめぐってきたけれど、じっくり聴かぬまま過ごしてしまっていた。しかし、ふとしたことからここ数日耳を傾けることができ、聴き比べ以後に入手した演奏で、まだ聴き比べの対象にしていない重要な演奏が残っていたことに気付いた、カール・リヒターの選集と、アーノンクールとレオンハルトの全集である。
前者は、言わでもがなの演奏なのだけれど、これまで何故か取り立てて聴く機会がないまま過ごしてきてしまっており、後者は、レオンハルト担当ではなかったこともあって、聴き逃してしまっていた。
聴いてみてまず思ったのは、どうしてこれらの演奏をちゃんと聴いてこなかったのだろうという後悔の念だったが、そこはやはり前向きに考えることにして、いまこうしてこれらの演奏に出会えた幸せをかみしめているところである。聴いた印象を以前からの要領で記しておく。

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11、リヒター(B:フィッシャー・ディースカウ)
8′10″, 1′43″, 9′44″, 1′11″, 3′47″
最初のアリアはゆったりと噛みしめるように進む。オーボエはバスとともにオーケストラの前に出た感じで主役を務める。バスとオーボエのためのコンチェルトといった趣がある。
レチタティーヴォはバスの語りかけがとにかくうまい。情感豊かで感動的だ。レチタティーヴォというとサッと聴き飛ばしてしまうことが多いが、途中からにアリオーソを挟むこともあってか、レチタティーヴォの魅力に気づかせてくれた貴重な演奏だ。
中間のアリアは、優しく包み込むようなバスの雄弁な歌を弦がしっかりと支え、時折聞こえてくるオルガンの響きも美しい。中間で短調に転じるあたり、走り出しそうになりながら、しっかりと抑えながら前進するは微妙なバランス、早いのだがゆっくりなのだがわからないニュアンス。遠くまで見晴るかす景色が開いたり閉じたりする感じ。そして、ごく自然に音楽に浸りこませてくれるなつかしさがある。やはりバスのうまさは際立つ。
続くレチタティーヴォもバスの独壇場。
終曲は、速めだが走り出さない。バスの語りのうまさがここでも生きている。
バスはリリング版と同じディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウで、指揮者の方向性も似通っているが、実はリヒター版は1968年の録音で、リリング版より15年も早い。フィッシャー・ディースカウの若々しいが溢れんばかりの魅力に満ちた素直な歌声が限りなく美しい。リリング版の壮年期に入った歌声とどちらを取るかは、好き好きというか、その時の気分次第だろう。これほどの演奏を聞き分けられるなんて、なんと贅沢なことであろう!
【峻冽】

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12、アーノンクール(B:フッテンホッファー)
6′47″, 0′57″, 8′47″, 0′42″, 3′26″
最初のアリアは比較的目立つオーボエに乗ってバスが美しく歌う。かなり速く、切迫感を感じさせる。オーボエがやや崩れた行書風の演奏を聴かせるので、その印象が一層強まる。
レチタティーヴォも引き続き速く、バスは雄弁で誠実な印象。最後はテンポを落としてアリアを導く。
中間のアリアはつんのめるような速めのテンポで始まる。しかもくぐもったボワーンとした響きに、あれっとなる。調べてみると、これはオーボエ・ダ・カッチャというオーボエよりもむしろホルンの親戚のような楽器で、これがヴァイオリンのパートを受け持っているらしい。
しかも、始まってまもなく、最初の小節の終わりで変ホ長調のレからドに下がるとき、なぜか楽譜にないレの八分音符が繰り返されてドに下がるのである。3連符になって次の休符が短くなるわけである。こんなのは他の演奏では聴いたことがなく、石にけつまづく感じでとてもユニークだ。同じことが、続く第5小節で、ドからレに上がる時にも起き、楽譜にないドの八分音符が1つ余分に繰り返される。この音型は何度も登場し、大抵はこの一音多い形で演奏されるが、ふつうに2連符で弾かれるところもあり、区別はよくわからなかった。
バスは声量を下げふっと入ってくるニュアンスが美しい。時折テンポを落とし足元を確かめながら進むところもあるが、中間部は一転次第に加速して駈けぬける。しかし、長調に戻ると、夢から覚めたように元のテンポに帰る。テンポの揺れが大きく、意外性に飛んだアリアだ。フェルマータの間合いにもハッとさせられる。全体のタイムとしては、聴き比べた中では最速の8分台で終わっている。テンポの揺れが大きいから、速い部分は数字に現れる以上に快速である。
二つめのレチタティーヴォも相変わらず速いが、終曲を見据えてぐっと絞った感じで進んでゆく。
終曲はテンポを上げ、キビキビとしたリズムで進むが、優しく節度ある構えの演奏で、訴えかけるものが強い。最後は一陣の風が駆け抜けたかのようにふっと終わる。
【秀麗】

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もう一つの演奏があったことに気付いた。BWV1の演奏で目からウロコの思いを味わったエリック・ミルンズとモントリオール・バロックの演奏である。BWV147・BWV82との組み合わせで、聴いていたはずなのだが、超有名曲に挟まれた真ん中に置かれていたためか、特別の印象を抱いた記憶が残っていない。そこで今回改めて集中的に聴いてみることにした。

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13、エリック・ミルンズ(B:ステファン・マクラウド)
7′04″, 1′07″, 10′00″, 0′50″, 3′30″
アリアはオーボエのしっとりと落ち着いた響きに導かれて淡々と進む。響きからいうと、普通のオーボエではなく、これもオーボエ・ダ・カッチャかも知れない。音色のせいもあってか、節回しがとても滑らかで、耳に心地よい。
レチタティーヴォもさらりと力まずに歌われる。それを支える低音の響きが美しい。
続くアリアもごくあっさりと始まる。各楽器が、バスも含めてそれぞれに存在感を示しながら、誰一人出しゃばらずアットホームな雰囲気を醸し出す。素朴で穏やかな音楽が淡々と進行する。なぜだろう、ふと中世の町角を思い浮かべてしまう。朴訥な感じなのだが、まさに洗練の極みなのだ。最後は優しく閉じられる。
レチタティーヴォは、神への強い問いかけで始まるが、まもなくそれを恥じるかのように穏やかさを取り戻す。楽器たちがバスをしっかりと支える合奏のスタイルは不変だ。
最後のアリアは快速である。バスがやや引いた位置から聞こえてくる感じがして、楽器たちがみんなでバスと一緒に歌い始める。みんなが主人公の演奏だ。
【純朴】

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実はもう一つ是非聴いてみたいと思っている演奏がある。イギリスの名歌手、ジャット・ベイカーが歌うアルト版のBWV82である。だいぶ前に註文したところ、品切れでキャンセルされてしまい、それっきりになってしまっている。ネット配信で買えるようになってはいるようだが、CDだと2枚組のこの演奏は昔のLP並みの値段が付けられているので、少し躊躇っているところだ。指揮はユーディ・メニューインである。
それともう一つ。普段あまり気にせず聴いているのだが、BWV82の「我は満ち足れり」の意味を川端純四郎先生の対訳(http://www.kantate.info/cantata_kawabata-82.pdf)で見てみたら、満ち足りた気持ちで神のみもとに行けるというもので、要は死の歓びを歌うものなのである。これはかなり意外なものであった。ただ、音楽と引き比べてみると、そう単純ではない。
「私は満ち足りています、……今や私の望みは、今日にでも喜びのうちにこの世を去ることです。」(以下、カギ括弧内はいずれも川端純四郎先生の上記の対訳による)と、満ち足りた気持ちを歌う最初のアリアが沈んだ短調であり、「私は私の死を喜び迎えよう。ああ、今日にでもそうなれば!」と、苦難から解放され死を歓び迎える気持ち歌う最後のアリアもかなり切羽詰まった深刻な短調で歌われる。これに対し、「まどろめ、疲れた目よ、おだやかに浄福のうちに閉じるがよい。」と歌う中間のアリアは、優しい長調である。恐らくこれは、死を恐れる人間の正直な気持ちと、死はけっして恐れるべきものではないという、神の立場からの祝福、語りかけとを歌い分けているのであろう。
中間のレチタティーボも、死に対する人間の恐れと憧れとをかなり率直に歌っている。ことに、「私の神よ、その美しい今はいつ来るのですか」と問いかける2つ目のレチタティーボは率直な問いかけを神に対して行っている。満ち足りた死にしては、最後が短調で終わっているのは意外な気がしないでもないが、勇気を奮い起こして死に立ち向かっていこうと鼓舞している、そんな感じなのであろう。
いずれにしても、音楽が全てだと強がってみても、歌詞を見ながら内容に即して聴いてみるとまた発見があるものと、いまさらのように当然のことを実感させられたのであった。
ラベル:バッハ 音楽 CD
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2019年02月13日

原田康子『挽歌』のあらすじ13─再開とその意味、新たな旅立ちへ2─

原田康子『挽歌』のあらすじ12─再開とその意味、新たな旅立ちへ1─よりつづく)
第16章 夏そして8月最後の土曜日(つづき)
桂木さんは本館と別館の真ん中あたりの地点の林道にジープを入れた。2人は湖の少し手前で車を降りる。蝉の鳴く森の中に明るい木洩れ日が縞のように落ち、樹液が強く匂う。槲の大木の根元にならんで腰を下ろした。
桂木さんはタバコをくわえ、怜子にも差し出す。そして、眼を細めて湖の方を見つめるのだった。純白のモーターボートが飛沫を上げて一隻走る。この森のひそやかさを少し怖れ、少し笑いながら怜子は言った。わたしね、そのうちメトロポリスに行くかも知れない。そうだってね、という彼のこたえに怜子はすっかり愕く。パパが教えたのね? お父さん心配そうだった。平気よ、と怜子は笑い、父がわたしの東京行きを少しも喜んでいないことをはっきり悟るのだった。可哀想な父は、わたしと桂木さんの結婚にかすかな期待をかけていたかも知れない。君には無理じゃないのか、桂木さんは怜子の変形した左の肱に目を落とす。怜子は、平気、と強い声で言い、パパ11月にお嫁さんをもらうのよ。わたしもうどこにいたっておんなしことだわ。ぼくも東京に行く。ひょっとすると外国に行くかも知れない。桂木さんは、怜子の矢継ぎ早の質問に中央アジアの小国をあげた。何時行くの? 怜子はこの思いがけない話に衝撃を受けて、稚げな声でおずおずと訊ねた。ぼくが行くかどうかはまだはっきりしない、と桂木さんは穏やかに答える。自分に関係ないことを告げるように淡々とした口調で。怜子は彼が確実に外国に行ってしまうような気がした。建築家として有利に仕事ができる首都よりも、羊の群れている亜熱帯の国で一人で仕事がしたいのかも知れない。静かに暮らしたいと札幌のデパートの屋上で言った彼の言葉を思い出した。彼は今その願いを失い、単身外国に行くことを願っている。怜子はあやうく涙をこぼしそうになった。しかしそのままきつく樹間をみつめるのだった。
赤い野葡萄の蔓がかすかに風になる森の奧を小さな獣が毛並みを光らせながら走っていく。縞栗鼠だった。帰って来るんでしょ?、リスが見えなくなってから低い声で訊いた。いいわね、ハギア・ソフィアも見られるわ。私も行きたい。もし行けたらわたしは涙を流しながら祭壇の前に額づくだろう、怜子はそう思い、ついてこうかな、とおどけながら言う。桂木さんはそれには応えずに、お父さんに聞いていたしね。二、三度アイリスで見かけたんだが。そう言い澱むと、初めて苦痛を湛えた眼で怜子を見据えた。怜子はたじろいで彼の傍からからだを離した。怜子は彼の言葉と痛みを滲ませた眼差しに、自分への愛を見た。それを見た瞬間、月日がもたらしたと信じた平静さが他愛なくくずれかかるのを感じるのだった。そして、今夜同じホテルを取ったことを告げた。それを知らせずに帰るなど、くだらない感傷か思わせぶりなふるまいでしかないだろうし。自分が言わなくても根本さんに教えられるだろう。じゃ一緒に食事しようか、ぼくの部屋で。怜子は咄嗟に、桂木さんは外国に行きわたしもこの土地を離れるのだから、今夜同じ食卓を囲んでなぜ悪いと考えた。桂木さんに惹かれる怜子自身へのいい訣である。
しかしこの時突然、桂木夫人のデス・マスクが鮮やかに甦った。怜子は蒼くなり、5月の日から確かに堕落している自分を憎んだ。
精悍さが戻った桂木さんの横顔に蒼白くなりながらなおはげしくひかれた。少し遅くなるが待っていなさい。いくぶん強いるような彼の口調に思わず子どものように頷く怜子だった。

          §           §           §

2人の微妙な会話がなんとも切ない。それぞれの気持ちが痛いくらいに浮き彫りになる。2人が4ヶ月をどう過ごしたかが見えるようだ。別れを決意した怜子と、怜子に一途な思いを抱き続ける桂木さん。しかし、桂木さんは、いつでも怜子を受け入れる用意はあるのだが、けっして無理を通そうとはしないのである。書かれてはいないが、桂木さんにとっても夫人の死は乗り越えられないものとなっていたのだろう。2人が再出発することがあり得たのかどうか。最初に読んだときは、そんな風に読んでしまったのだが、繰り返し読むうちに、原田さんはそんなつもりで、この後日譚ともいうべき章を書いたのではないのではないかと思うようになってきた。よく縒りを戻すというけれど、怜子と桂木さんには戻すべき縒りなど初めから存在しないのである。それほどに2人の気持ちはしっかりと結び合っている。それなのに、夫人がいなくなった今となっては、2人はもう結ばれ得ないのだ。
ではなぜ、こんな酷な体験をさせるのだろうか。そんな疑問が次には湧くのだったが、確かに辛いかもしれないけれど、それはこれからそれぞれの道を歩んで行こうとしている2人への餞とは考えられないだろうか。新たな出発にあたっての餞別、祝福である。
ただ、原田さんはあまりはっきりとは書いていないのでよくわからないのだが、桂木さんの気持ちはどうだったのだろうか。東京ならまだしも、中央アジアにまで怜子が付いて来てくれることへの期待はあったのだろうか。無理にでも怜子をさらっていくだけの気持ちがあったようには思えないのである。

          §           §           §

桂木さんにジープ送られて怜子はホテルに戻った。車の中で怜子は温和しくし、桂木さんと過ごす夕食を挟んだホテルでの時間を考え続けた。怜子は今すぐにでも桂木さんの胸の中に顔を埋めたい衝動を感じた。その衝動を彼と一室に向かい合って耐えきれる自信はなかった、辛うじてそれを抑え続けても、ふいに彼が自分を抱き寄せでもしたら、その腕を払いのけるのは不可能だろう。怜子はそんなことを思い続けたが、桂木夫人のデス・マスクは怜子の心に貼り付いたままだった。しかし、それでも怜子は桂木さんとの夜の食事の約束を取り消すことはできなかった。
そんな自分を見て、怜子は自分の明日を漠然と見た気がした。自分が桂木さんに魅かれ桂木さんを慕い続ける限り、夫人の白い顔はわたしの眼から離れないに違いない。わたしと桂木さんが一緒にいても離れた土地にいても、それは同じことかも知れない。むしろ桂木さんの傍にいればいるだけわたしの痛みは濃いのかも知れないのだ。
それはそうなのである。痛みは桂木さんへの愛に他ならないのであるから。でも、ここのところの「むしろ」だけはよくわからない。桂木さんと離れていても桂木夫人の白い顔がつきまとう、それはよくわかる。桂木さんのそばにいれば無論のこと、離れていたら忘れそうなものなのに、離れていてもつきまとう、という訣である。
ただ、痛みすなわち愛は、当然のことながら桂木さんのそばにいれば、つまり桂木さんとの距離が減れば減るほど濃くなるはずである。言い換えれば、桂木さんとの距離にそれは反比例するのである。「桂木さんの傍にいればいるだけわたしの痛みは濃い」のは至極当然のことであって、「むしろ」ではないであろう。この一文は文脈からいって、桂木さんと離れていても夫人の影が消えない理由として挿入されているはずである。それならば、桂木さんからの距離が遠くなっても、痛みすなわち愛が減らない、減るはずなのに減らない、という内容であるべきだろう。
桂木夫人の白い顔を思い出す度合は、桂木さんへの愛の濃さと比例するのであるから、桂木さんのとの距離が遠くなれば、痛みすなわち愛が減り、夫人のことも忘れるはずである。それなのにそうならずに、桂木さんとの距離が離れても痛みすなわち愛が減らず、従って夫人の白い顔に付きまとわれてしまう、という筋であるべきだろう。
くだくだと書いたけれど、要するに、もしも「むしろ」を生かすなら、桂木さんのそばから離れれば離れるだけ痛みが強くなる、とあるべきなのではないか。
「むしろ桂木さんの傍にいればいるだけわたしの痛みは濃いのかも知れないのだ。」ではなく、「むしろ桂木さんの傍から離れれば離れるだけわたしの痛みは濃いのかも知れないのだ。」としたいところだがどうだろうか。原田さんに楯突くつもりは毛頭ないけれど、何度読み返してもすっといかないので、敢えて少し突っ込んだところを書いてみた。

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ジープがホテルの前に着いた時、怜子はすっかり疲れ心に悲しみがあふれていた。ホテルの車寄せをぼんやり眺めてから、4、50m離れた白樺の林のなかにいるみみずく座の仲間を見付けた。あの連中よ、車から降りて怜子は桂木さんに笑いながら教えた。わたしを待ってんのよ、一緒に帰らないことを断らなくちゃね。桂木さんは口許に微笑を浮かべて怜子の仲間たちを見る、久田君もいるの?、いるわ。じゃあ、桂木さんは怜子に優しげな視線を注ぎ、ギアを入れて遠ざかって行った。
怜子はホテルの前に突っ立って、車を見送った。夜にホテルで逢おうとしていながら、怜子は自分を愛おしげに見た桂木さんがもう帰ってこないことをなお願わずにはいられなかった、そう願うと、怜子の眼に、あるイマージュが閃いた、桂木さんの運転するジープが遠のいていく道は、針葉樹の森に囲まれた道ではなく、羊の群れと、駱駝の隊列と、石油の送油管と、回教寺院の石の丸屋根と、ひねこびた蘇鉄のしげみと、ベールを纏った遊牧民の女たちが散らばる砂漠と岩山の続く道だ。太陽が空しいほど明るく輝き、聖者たちの血を吸った河が流れている土地の乾いた道だ。
怜子は唇を噛み、その想像が一刻も早く現実になることを願ったのである。怜子は少し髪をゆすり、林に向かって歩き出した。彼らのくちずさむ歌が夕靄のなかにしみいるように流れていた。怜子は靴ずれの足を引きずりながら彼らに近づいて行った。すると、須山さんが飛び上がって手を振った。

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これが『挽歌』の幕切れである。みみずく座の彼らと行動を仲間たち近付いてゆく怜子に対する須山さんの反応で終わるのである。怜子が再び彼らと行動を共にする場面は敢えて描かれていない。中途半端な終わり方だという見方もあるかも知れない。ぼくも初めは文庫本の残された厚さを見やりながら、最後をどうまとめるのだろうかとやや不安になりながら読み進めたものだった、
しかし、この幕切れは、意外感はあるかもしれないけれど、やはり鮮やかというしかない。桂木さんが帰って来るのならば、自分がここを去ればいいんだ。そんな単純なことにどうして今まで気が付かなかったんだろうか。怜子の心にもう迷いはなかったのである。
2人が縒りを戻す可能性がなかったとはいえないだろう。読者は、ぼくむ含めてそこに手に汗握る訣である。しかし、結果的にかも知れないけれど、この恋の終わりの恋は、2人に対する餞としての役割を果たすことになったのである。
最後の場面で、原田さんは怜子の行動を明確には描いていない。怜子は一緒に帰ったのか、それとも再び桂木さんと時間を共にしたのか? ふとそんな問いを立ててみたくさえなる。原田さんが結論を読者に委ねたという見方である。でも、何度も読み返すうち、怜子が須山さんや久田幹雄たちと一緒に帰ったのは確かだと思えるようになった。それは現場から戻って怜子がいないことを知るであろう桂木さんのことを考えると、あまりにも切ない。しかし、桂木さんはどこかそうなることを知っていたような気がしてならない。知っていて怜子の意思を尊重する桂木さんの優しさ! もはや自己犠牲といってもよいかも知れないが、でも桂木さんとはそういう人なのだ。
身勝手な怜子、優し過ぎる桂木さん、そういう評価もあり得るだろうし、むしろそれが一般的かも知れない。しかし。ぼくは原田さんの描いたあるがままの2人をそのまま受け入れたい。粗筋の紹介の形で2人の心の軌跡をトレースしてきてそれをようやく終えようとしている今、それほどに2人がぼくは愛おしく、ぼくの心の中でしっかりと生き始めている。2人の旅立ちを祝福したい思いに駆られている。原田さんも恐らくはそういう意識でこの幕切れを描いたのではないだろうか。

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この稿の最初は、昨年5月26日付けとなっている(原田康子『挽歌』のあらすじ1)。それからもう8ヵ月近くになろうとしているし、まさか13回にもなるとは思っていなかった。感慨もまた一入である。
調べてみると、これのもとになった原稿が一応に形になったのは、ファイルの日付からいうと、2015年のちょうど今頃のことだった。2回目までそうしていたように、初めは各章の節の切れ目にA、B、C……と記号を付け、プロットを辿るだけのごく簡単なものだったが、章を追うたびに特に第9章以降はことに細かくなってゆき、最後は書き初めに比べると数倍の密度になるようになってしまった。
堀辰雄の小説について書いた時のようなつもりで始めたのだったが、詩のように凝縮された堀辰雄の世界に比べると、原田さんの世界は言葉の量に圧倒されてしまう感じが強く、しかも一つひとつの言葉が詩と同じようにみな生命をもって輝いていて、どれもこれも拾わずにはいられなくなって、こういう結果になってしまうのである。
世に出てから60年にもなるのに、繰り返し読めば読むほどに、登場人物がますます生き生きと存在感を増してくる。それは時代を超越した普遍的な人間を描いているからに他なるまい。挽歌はそんな稀有な小説である。(終)
ラベル:読書
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2019年02月04日

原田康子『挽歌』のあらすじ12─再会とその意味、新たな旅立ちへ1─

原田康子『挽歌』のあらすじ11─恋の終わりの恋─よりつづく)
第16章 夏そして8月最後の土曜日
桂木夫人の死から三月、夏も終わろうとしていた。怜子は桂木さんと偶然にも会わなかった。桂木さんが自分に逢うまいとしているのかも知れないと感じていた。怜子の心の裡には悲しみが石のように沈んでいそうだったが、もうそれをおもてに出そうとはしなかった。
生活は一年前に戻っていた。変わったことといえば、怜子の父が谷岡夫人との結婚を決めたらしいことと、怜子自身がアイリスにときたま手伝いに行くようになったことくらい。怜子はお客の布地を選んだりデザインを取ることが面白くなっていた。
谷岡夫人は初めのうち喜んでいないようだったが、次第に安心し始め、東京の服飾研究所にも世話してくれた。新婚早々は怜子を遠ざけ、将来の助手を得るという一挙両得(怜子の観察は流石に鋭い)の夫人の申し出はありがたかった。豪華な夜会服を作れるようになって、女の素肌にタフタを巻き付けて布地にはさみを入れる快感を早く知りたいと怜子は思った。しかしデザイナアになりたいという野心はなかった。
みみずく座の仕事にも戻り、ギニョオルの練習を始め、戸村美術工藝社の工房で公演の準備を進めていた。人形の衣裳を作るのが怜子の仕事で、稚い日のメルヘンを現実の衣裳に移すこと愉しんでいた。戸村さんや須山さんは怜子の器用さに愕き、戸村さんには、怜ちゃんにも女らしい才能が備わっていたんだとさえいわれる。指先に器用さが潜んでいたことは、怜子自身にとっても発見だった。
7月下旬からみみずく座の公演旅行が始まっていた。人形と移動舞台とキャンプ用のテントをもって、深い渓間やヤチの彼方の奥地の部落を回る。子どもたちの食い入るような眼。例年にはない晴れた暑い日が続いた。この春学芸大学に入った須山さんがひどく元気にみんなをリードした。
何処かで休むと、久田幹夫はコンテでスケッチを始める。白鳥を題材にした3点の作品が新人賞を受けた。繊細な線がさらに繊細ななりに鋭さを増し、色調は非情な美しさを加え始めていた。久田は黙しがちで、だまって森や山や空を見る。そして悲しみを潜めた激しい眼差しを一瞬怜子に注ぐ。怜子が明るく笑い返すと彼も笑い、何事もなかった頃のように2人で話し始める。
久田はさりげなく古瀬達巳が東京の大学に帰ったことを怜子に告げた。怜子もさりげなく古瀬達巳の名を聞き、渓のふちに咲いているカンゾウの花をむしって捨てた。怜子は公演旅行を無心に愉しんだ。全てが愛おしかった。靴擦れさえ少しもつらくなかった。そこには桂木夫人の死を乗り越えた怜子の姿があった。その点むしろ久田幹夫の方が受けた傷がまだ癒えていなかったのだが、それも時間の問題だろう。久田の傷を癒せるのは、怜子をおいて他には誰もいないし、怜子ならばそれをやりおおせるだろう。

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8月下旬、最後の公演に阿寒国立公園に出かけた。出発の日、怜子の心はかすかに疼いた。悲しみを殺し続けてきた怜子も、桂木さんとK温泉に行った日を思い出さないではいられなかったからである。
8月の最後の土曜日の午後、S部落で公演をした。次の目的地のカルデラ湖の近くの部落に行くには、Kまで汽車を利用しなければならない。
高原の道を元気に歩いて1時間ほど経った頃、トラックが近づいて来た。住友建設の社名とマークが書かれたトラックに愕く。戸村さんがK迄乗せてもらう交渉をするのを聞きながら、怜子は怖ろしくぼんやりと車体の文字を見つめていた。
このトラックの行き先を考え、そこに桂木さんがいるかも知れないと思うと、怜子は軽い眩暈のようなものを覚えた。窪地の通りを素足で逃げ出して以来、桂木さんに繋がりのあるものに接したのはこれが初めてであることに気付く。
トラックに乗せてもらい、Kが近づくにつれ心の動揺が大きくなる。そんな自分が怜子は情けなかった。わたしの恋は終わったはずである。でもそう考えても顔が火照り動悸が速くなるのをどうすることもできない怜子だった。
30分後、土耳古玉のような真っ青な空に緩く烟を噴き上げるアトサヌプリの麓にさしかかった。怜子の裡に、その噴煙に怯えたクリスマス・イーヴのさまざまな時刻が鮮明に甦ってきた。
K温泉市街でトラックを降りる。トラックが針葉樹の森影に消えてから、怜子はふいに仲間と別行動を取る気になる。
お願いがあるんだけどな、ここに残りのたいわ、なんだか具合悪い。しかたねえなと戸村さんが久田幹夫の顔をうかがうと、いいさと久田が低い声で言う。怜子は久田を真っ直ぐ見つめた。久田も住友建設の名を見なかったはずはないし、彼が住友建設と桂木さんの関係を知らないはずはない。久田にも一抹の危惧があった。彼は怜子の気持ちが痛いほどわかるのだ。

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怜子はゆっくり温泉町の通りを歩き出し、市街の外れにあるホテルに向かった。別行動を取るといっても、どうするつもりなのか自分でもわからなかった。だからゆっくりとなのである。ただ、自分が休むとしたら、8ヶ月前に古城のように見えたそのホテルしかないように思った。
フロントには根本さんがいた。お元気?と聞かれ、どきっとして、咄嗟にお部屋いっぱい?と聞く。根本さんは全く怪しむことなく、普通に接してくれる。桂木さんいらしているのよ。怜子は息をつめ、次には身体の中の力が抜けていくような安心感を感じた。桂木さんがここから僅か3キロ先の湖岸にいる、夜は帰って来る、逢おうと思えばいくらでも逢える! ようやくこのときになって、桂木さんに逢えることを期待しながらこのホテルまで来た自分に怜子は気付いたのだった。
うろたえている自分を隠すようにふざけ気味に、ロビイのエトランジェ、アメリカ人?と聞いて、その場を取り繕う。根本さんはカナダの方です、と落ち着いて答える。終わったはずの恋に突き動かされるのを怜子はどうすることもできないのだった。ずっと悲しみを押し殺して耐えてきたのである。そのくらいのご褒美があってもいいではないか。でも、怜子はそれに耐えられるだろうか?
怜子は3階の小さな和室に案内された。窓を全部開け、ブラウスのスナップを外して畳の上に寝転ぶ。驟雨のごとく鳴く蝉、絶え間ないクラクション、遠くからのかすかな音楽。怜子は桂木さんに逢おうとしている自分自身の心を見つめていた。客観的に自分を見つめるだけの余裕が怜子にはあったのである。それは桂木さんとの恋が彼女に与えたものだった。
わたしが彼に遭うことは、わたし自身の誓いを破ることになる。でも、わたしの誓いとはなんなのか。桂木さんの愛を受けてはならないということではないのか。4ヶ月の間彼を避け通したのは、逢えば崩れるに違いないわたし自身を恐れたからだと怜子は思う。でも今は違う。月日がわたしに平静をもたらし、もう彼と逢ってもさほど動揺しないだろう。でも、それはもしかしたら、桂木さんに逢いたがっている自分のずるいごまかしではないかとも感じるのだった。それでもなお彼と逢いたいという思いを捨てることができなかったのである。なんと健気な、と思わずにはいられない。

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冷たいピーチジュースを飲み、2時近くなってから工事場に行くと断ってホテルを出た。表に出ると、怜子の逡巡は不思議なほど軽くなった。晩夏の午後の陽がその腕を灼いた。湖をわたってくる風が爽やかにしみるのだった。
しかし、三分の二ほど歩いたところで、靴擦れが痛くてビーチサンダルを脱いでしまう。みみずく座の仲間たちと一緒の時は平気だったのに。気もそぞろな怜子の様子をよく表す描写だ。この章のはじめの靴擦れの描写が伏線になっている訣である。また、裸足は桂木家からの逃亡から続くモティーフでもある。作者の細かな心配りを感じる。
さて、サンダルを脱いだ怜子は、片手にサンダルを提げて工事場に着く。ちょっと立ち止まって蝉の声の落ちる敷地に入ると、今朝乗ってきたトラックには古い材が積み上げられ、見慣れたオリーブ色のジープが椴松の木陰に駐車してあった。桂木さんは1階と2階の中途の踊り場にいた、グレイのズボンに薄茶色のワイシャツの袖をまくり上げ、踊り場で男と話していた。怜子の動悸はいくぶん速くなる。しかしためらわずに建物に近づき、階段の下から踊り場に手を振った。そして、上を見上げたまま手を振り続けた。
桂木さんは一瞬硝子に片手をかけゆっくり降りて来る。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくり大股の緩い足取りで近づいて来た。怜子のからだはさすがに固くなる。桂木さんは一瞬やや鋭い眼差しで怜子をみつめた。また跣だねとサンダルに目を止めてちょっと笑う。スマートな建物ね、なかも素敵なんでしょ?、さあ若い人たちの利用を目的として建てたんでね。無造作な説明聴きながら、まじまじと彼をみつめる怜子であった。桂木さんは一見4ヶ月前と少しも変わっていない。しかし、怜子はそこに鋭利というよりもまだ硬質の精悍さを見た。それは彼が仕事だけを目標に生き始めたことを物語っているようだった。
怜子の胸にようやく痛みが湧いてきた。そして痛みを覚えながら硬い鋭さを滲ませている彼に、ほとんど賛嘆の眼差しで見惚れていたのだった。そのことに気付いて怜子はひどくうろたえ、素足の土を払いサンダルを突っかけた。今日来たの? 怜子は、ギニュオルを知ってる? といって、ここまで来たいきさつを知らせた。桂木さんは怜子をジープのそばまで連れて行った。

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『挽歌』のあらすじ紹介も、残りあと僅かになってきた。一気に最後まで書いてしまってもよいのだけれど、思いのほかの長さになったのと、まだ終わってしまいたくはないという思いが交錯して、先へ進めなくなってしまった。中途半端になってしまったが、今回はこれで終わらせていただくことにしたい。(つづく)
ラベル:読書
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2019年02月02日

イチゴのパンとモーツァルトのコンチェルト

元々甘いものには目がなくて、パンを選ぶのにも、おかず系のパンよりは菓子パンに手が伸びる方の口だ。弁当がないときの昼ごはんはパンですませてしまうことが多いが、おかず系のパンを選ぶのは、10回に1回あるかないかの頻度だろう。甘いパンを2つというのが一番普通の選択で、そのうち一つはたいてい何かのクリームが入っているパンかデニッシュ系であることが多い。
パン屋さんのパンを買いに行く時間があればよいのだけれど、通勤時間に開いているところはあまりなくて、かといって昼にわざわざ買いに出るのも億劫で、たいていは近鉄の駅構内のファミマで買っていくことになってしまう。コンビニのパンというとお決まりのものしかないのが普通な中で、ファミマのパンだけは種類も豊富。しかもいろいろと工夫を凝らした新手のパンが結構な頻度で投入され、ついつい何か目新しいものはないかと楽しみにしてしまう。

そんなものの一つに、年末に発売されて以来まさにはまってしまっているパンがある。「サックリとしたイチゴジャムとチーズクリームのパン」という商品である。
ファミマのサックリとしたいちごジャムとチーズクリームのパン.jpg
〔ファミマのサックリとしたいちごジャムとチーズクリームのパン〕


ゼリーのような食感のイチゴジャムと、酸味のあるレアチーズ風の白いチーズクリームを挟んだパンに、ザクッとしたイチゴクッキーを細かくしたようなトッピングを施し、さらにホワイトチョコをライン状にあしらっている。パンも普通のパンよりはむしろケーキに近いが辛うじてパンにとどまっているという感じが絶妙。しかも、トッピングの乗せ方も少し凝っていて、側面中程まですっぽりかぶるような感じでしっかりと乗せてあって、パンとの一体感が強いので、かじったときの食感がすごく新鮮だ。程よい甘さの食感も爽やかで、しつこさを全く感じない。味だけではなく、程よい大きさの丸い形のかわいらしさも印象的で、その中にこれだけの要素をギュッと詰め込んでいるのが高評価につながっているのだと思う。
年末に初めて食して以来、見つけるたびに買っている始末。数日食べないと妙に寂しい感じを抱くほどになってしまった。元々、気に入ると同じものを食べ続ける習性があるのだけれども、ここまで続くことは滅多にない。実は一緒に並んでいるイチゴ系のパンがあと2種類あって、一つは「エクレアみたいなパン(いちご&ホイップ)」、もう一つは「いちごのクロワッサン」というもので、これらも結構いけるのだけれど(特に前者。イチゴジャムとチーズクリームのパンがなければこちらにはまっていたに違いない)、イチゴジャムとチーズクリームのパンはやはり別格というしかない。税込み145円というのは値段は菓子パンの中ではやや高めだが、満足感からすれば充分なコスパというべきだろう。
先日など3、4日店頭で見かけない日が続いて(乗車駅・降車駅のファミマのどちらにもなかった)、もう販売終了かと臍を噛む思いを味わったのだが、その後また見かけるようになってホッと安堵したのも束の間、今度は週末を迎えてしまった。一週間の過ぎるのが何とはやいことか。ファミマの店舗は近鉄駅構内以外には少ないので、週明けが待ち遠しい(!?)。

§           §           §

モーツァルトのピアノ・コンチェルトといえば、20番以降が話題になることが多く、それはそこに名曲中の名曲というべき曲が集中しているからいたしかたないことではあるのだけれど、だからといって、10番台のコンチェルトの価値が損なわれるものではない。11番(K.413)であっても四百番台の番号をもつ円熟期の曲であることを思い起こせば、それは納得のいくことであろう。
シンフォニーで後期6曲の入口にあたる35番ハフナー・シンフォニーはK.385、36番リンツ・シンフォニーはK.425である。ピアノ・コンチェルトの11番、12番、13番がこの間にあたり、次の38番プラハ・シンフォニーが少し飛んでK.504であるから、リンツとプラハの間には、実に14番から25番までの12曲のピアノ・コンチェルトが所狭しと位置しているのである。
これらは1784年から1786年までの3年間に集中して作曲されている。単に番号が10番台だからというだけで、軽く見られているとしたら、それはこれらのピアノ・コンチェルトにとっては不当な扱いというしかない。いわゆる後期6大シンフォニーの前半3曲に対応する時期のものなのである。後半3曲に対応する時期のピアノ・コンチェルトはニ長調K.537だけであるから(変ロ長調K.595は晩年スタイルに入ったさらにあとの時期のもの)、14番から25番まで12曲こそが、豊穣の時期のピアノ・コンチェルトというべきなのだろう。
しかし、19番までと20番以降とでは、録音の数がはっきりと違い、コンサートで聴く機会にしてもそうである。ぼく自身は19番までも比較的よく聴いてきた方だとは思うが、それでもあまり積極的には聴いてこなかった曲がいくつかある。へ長調K.459もその一つである。ハスキルの名盤もあるのにどうしてだろう。いや、ハスキルの名盤をもってしてもあまり心に響かなかったというべきなのかも知れない。それは、この曲との最初の出会いに関わっているように思う。
K.459を最初に聴いたのは、晩年に異常な人気を誇った(もちろん偉大な指揮者ではあったけれども、アンチ・カラヤンと高齢のアーティストへの憧憬が絡んだ商業ベースの宣伝は、今にして思えばやはり異常だったと思う)カール・ベームが当時人気絶頂だったマウリツィオ・ポリーニと組んで入れたレコードであった。当時ぼくの回りにはポリーニを評価しない人が多く、なんでまたベームがよりによってポリーニと、という思いが強かった。まあ、今にして思えば、これはベームを聴くべき演奏だったのだと思うが、根が天邪鬼なものだから、いっぺんに食指がK.459から離れてしまったのである。
ハスキルが響かなかったのも、そんなこの曲との最初の出会いが不幸な形であったことと深く影響しているのかも知れない。カップリングされていたイ長調K.488がそうならなかったのは、この曲は既にカザドシュとセルの演奏でイメージができあがってしまっていたからである。なんと頭の固いことよ、と思うのだけれど、何度か書いても来たことだが、最初の出会い、つまり第一印象が心に刻むものの大きさを改めて思い知るのである。

前置きが長くなったが、こんな事を書くのは、最近ある演奏を聴いたことで、この曲が頭から離れなくなってしまったからである。ようやくにしてK.459に開眼したというべき状況なのである。イチゴジャムとチーズクリームのパンに凝り始めたのとほぼ並行しての出来事であり、同様に現在進行形である
その演奏とは、ルドルフ・ゼルキンがジョージ・セルのバックで入れたステレオ初期の演奏である(Sony Classical *cl* 88985468092 DISK2。元々のカップリングはK.466)。ゼルキンのK.459には晩年のアバドとの演奏もあって、それは聴いていたのに、あまり印象に残った記憶がなかった。それなのにどうしてこの演奏が心に止まることになったのか。
ゼルキン・モーツァルトピアノ協奏曲集.jpg
〔ゼルキンとセルの協演になるK.459を含むSONYのゼルキン・モーツァルトピアノ。コンチェルト集〕

正直言って、うまくは説明できないが、印象に残ったところを一つだけ挙げるとすれば、第一楽章のオーケストラの導入が終わって最初にピアノが入ってくる第一主題の出だしに、あれ?と思ったことだろう。タータッタターター、タ、タ、タというたいへん印象的なリズムが刻まれるのだが、ここは最初の一音からリズミカルに目立つ感じで入ってくるのが普通だ。ところが、満を持してピアノの音を待っていると、一瞬あっと肩透かしを食らうのである。いったい何が起きたのだろうと耳を疑ううちに、リズムが自然と湧き上がってきて、演奏が進んでいく。なんだか魔法を掛けられたような得もいわれぬ感じを味わうのである。すぐあとで次にこのリズムが現れるときには普通に弾かれているから、これはまさに一度きり、一期一会なのである。
これにはオーケストラを担当するのセルの清潔なリズムも大きく寄与しているように思う。曲想とリズムとテンポがピタリとマッチしているのだろう。ゼルキンもすごいし、バックを支えているセルもまたすごい。感動的な箇所をもう一つだけ挙げるならば、第一楽章の展開部が終わって主題が戻ってくるところで、たゆたう調性に躊躇いがちにテンポを落とし、行く手が定まるとみるや溢れる歓びを隠しきれないように駈け出してピアノの再現につなげていくところの絶妙なコントロールなど、聴いていて泣けてくる思いすらする。この曲が20番台のコンチェルトに勝るとも劣らない、まさにモーツァルトというべき名曲であることに、いまさらのように気付かせてくれた演奏であった。まさに巨匠の「協演」と呼ぶに相応しい超弩級の名演であろう。
そうなると、晩年のゼルキンの演奏はどうだったかと聴き直してみたくなるのが人情で、早速久し振りにアバドとの演奏に耳を傾けてみた。正直言って驚いた。ゼルキン晩年のアバドとの協奏曲集は、ゆったりめのテンポの演奏が多く、ゼルキンの技術的な問題とも関係しているといわれることあるようだし、ぼく自身若い頃に聴いた時は、聴いていて疲れる思いを味わったこともある。その後何度か聴き返すうちに、それが全くの誤りであって、自分の耳の不明を恥じることになったが、K.459については何故か別段の印象はなかったのである。

さて、何に驚いたかといえば、晩年のアバドとの演奏の方が圧倒的に快速なのである。いや、セルとの演奏に慣れてから聴いたものだからかも知れないが、これはもうどう考えても速すぎるのではないかというくらいのテンポなのだ。このテンポがゼルキンのものなのか、アバドのものなのかはよくわからない。しかし、普通に考えたら、アバドがゼルキンに合わせているとしか考えられないだろう。
これはよい意味で晩年のゼルキンのモーツァルトのコンチェルトに対する評価を根本的に改めるに益する大きな発見だった。ゼルキン晩年のモーツァルトは改めて本気でもう一度聴き直さなければならない。また、翻って考えるならば、一般的には清潔なリズムで颯爽としたテンポの印象が強いセルが、ゼルキンとゆったりとしたテンポで演奏していたのは、不思議といえば不思議なことである。しかも参考までにタイムを記すと、
ゼルキン・セル  Ⅰ13′26″、Ⅱ8′01″、Ⅲ7′41″
ゼルキン・アバド Ⅰ12′40、Ⅱ8′13″、Ⅲ7′34″
のようで、第三楽章もアバド盤の方が僅かに速いが、第二楽章はセル盤の方が僅かに速く、結局大幅に異なるのは第一楽章だけなのである。ますますもって不思議なことになっているのだ。
音楽とは、演奏とは、本当に不思議なものである。考えてみれば、K.459のCDは他にもいろいろもっている。クララ・ハスキル、マリア=ジョアン・ピリス、ゲザ・アンダ、リリー・クラウス、マレイ・ペライア、考えてみれば結構あった。しかし、くだんのマウリツィオ・ポリーニはどうだったかは、CDがあったかどうかさえ記憶が怪しい。ともあれこれらのCDを総動員して、K.459を聴き直してみようと思う。
イチゴジャムとチーズクリームのパンといい、K.459といい、この性格は一生直りそうにない。

【追記】
posted by あきちゃん at 15:27| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする