2013年10月24日

深まる秋に思うこと

見本のようなコースを辿って次々と北上の機会を狙う台風。26号が秋の空気を引き入れてくれたかと思ったのに、また夏の高気圧が息を吹き返す。先週末に27号のコースを見た時にはゾッとした。急速に発達し始める兆候も見え、室戸や伊勢湾クラスの台風となって日本にやって来そうな気配を示し始めたからだ。たいへんなことになりそうな予感がしたのである。
だが、その後の週末以降の動きを見ていると、幸いなことに少し様子が変わってきた。920ヘクトパスカルまで下がった中心気圧が少し上がり始め、目もぼやけ始めている。また台風としての規模もさほど大きくならない。それに相変わらず動きが遅い。これなら大丈夫かも知れない、こうしてグズグズしている間にごく普通の台風に弱まってくれるのではないか……。
発生から一週間くらいの壮年期にかかる頃の台風が一番怖い。伊勢湾台風がその典型的な例だ。18号や26号はその傾向が強かった。あのようなスピードをもっていたら、とんでもないことになっていただろう。いくら海水温が高いとはいっても、やはりそこは10月の台風ということか。
おまけに続けて28号が発生して影響し合い始めている。藤原の効果などという懐かしい言葉さえ飛び出す。でもどう考えても10月のこの時期に話題になる言葉ではない。8月頃に日本の回りを3つも4つも台風がウロウロしたことがあったけれど、そんな頃に相応しい現象だ。そしていつのまにか28号の方が小粒ながら猛烈に発達している。こちらは小笠原が危ない。早くに東にむかってそれてくれないものか。
27号の方は相変わらずのノロノロで、徐々に弱まっては来ている。今日など雨の予報だったのに晴れ間さえ出る始末。まあしかし、まだまだ油断はならない。弱まったところで台風は台風である。明日から明後日にかけてが再接近である。前線が絡むと直接近付かなくても思わぬ大雨が降る。万全の体勢で襲来に備えなければならない。

          §          §          §

朝同じ時刻のバスに乗っても、途中の道の状況によって駅に着く時間が微妙にずれるから、乗る電車もそれに応じて1、2本は前後する。それなのに不思議なことに、下車駅について階段を降り始めると、決まってぼくのすぐ前を降りていく特徴的な短く刈り込んだごま塩頭に出会うのである。ぼくと似たような年代の人だと思うが、正面から見たことがないので、どんな方なのかはわからない。でも階段を下り始めてその頭に出会うと、なぜかほっとする。いつも決まって出会う常連さん、ぼくが勝手に決めているだけなのだけれど、背筋を伸ばして真っ直ぐに降りていくいつも変わらないその姿は、一日の始まりに大きな安堵感を与えてくれるのである。この方がどこから乗ってくるのかいまだにわからない。見かけるのはいつもぼくが階段を下りかけた時、一足先に数段下を降りて行かれるのを目にするのだから。
学生時代、毎日同じ電車に乗り合わせる子がいた。どこの学校かも知らない。お互い(かどうかは勿論わからないけれど)気になりつつも、別に声をかけるわけでもない。でもその子がいるというだけで、なぜかうれしくなる。そんなことがあったのををふと思い出してしまう。たまに顔を見ない日があったりすると、一日どうも落ち着かない。忘れ物か何かをして1本乗り遅れただけなのかも知れない。でも、もしかしたら熱でも出して休んでいるのだろうか。1日気をもんだ翌日、何もなかったようにいつも通りの姿を見かける。あんなに心配したのにと、ちょっと憾みがましいことも言ってみたくなる。でもなぜか爽やかな1日が約束される。
また、駅までの道すがら、いつも朝顔を合わせる近所のおばさんがいた。最初はちょっと恥ずかしかったが、顔見知りでもあり、ある日勇気を出して、おはようございますを言った。恥ずかしげに通り過ぎようとすると、にこやかに挨拶を返してくれたではないか。挨拶がこんなに気持ちのよいことなのか。その次の日からそのおばさんの家の前を通るのが楽しくなった。自分が心を開けばちゃんとそれが返ってくる。当たり前のことである。でもその発見はぼくにとっては大発見なのだった。そんな初々しい年頃だったこともあったのだ。
ごま塩頭のおじさんに会って改札口を出る。すると、今度はいつも電車を眺めている男の子をよく見かける。高校生くらいの年齢らしいが、養護学級の生徒だろうか、ひたすら電車を見つめている。この子に最初に気付いたのは、突然声をあげて走っていくのを見かけたときだった。それはその子が電車を見て叫んだ喜びの声だったのだ。純真なまなざしで電車を見つめているその子を見ていると、心の中が洗われるような感じがする。自分の心にある不純なもの、汚れたものが、ちょうど炙り出されるように浮き上がってくる。自分ではわからない自分を映し出す鏡になってくれるのだ。他人と向かい合うことでしか見えてこない自分。絶対的な自分をもてない者ゆえの悲しさか。
オリオンの三つ星が真東から昇ること、それが縦に並んで水平線から顔を出すことは知っていた。そしてそれを何度も見たことがあるのに、迂闊であった。三つ星が水平線から顔を出す時、かのベテルギウスとリゲルがどんな位置関係にあるか。三つ星を挟んで左側(北側)にベテルギウス、右側(南側)にリゲルがちょうど一直線に対置するのである。両一等星を従えて垂直に昇る三つ星の雄姿に唖然とさせられたのだった。しかし、それもほんの一瞬のこと、まもなく東の空から涌き上がったらしい雲に包まれて星影を見失ってしまった。
このあいだ金木犀の香りを楽しんだばかりというのに、もう月末である。時間の推移についていけなくなっている自分を感じる。そういえば数日前、再び金木犀の香りをかいだような気がしたのは、幻に過ぎなかったのだろうか?
タグ:記憶 日常 天気
posted by あきちゃん at 22:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
オリオンの姿を目にすると、冬の訪れを予感します。我が家は東の方角が隣家でふさがれていて、一等星を両翼に従えて昇る三ツ星を見たことは、今までありませんでした。この冬はどこかでその姿をこの目で確かめたいものです。
金木犀はここ数日また開花しています。夜道を歩いていて不意に香りが漂ってきて、見上げるとちょうど樹の下でした。それ以来気を付けてみていると、確かにオレンジ色の花をまたつけています。
秋の訪れに二度も出逢ったような、不思議な気持ちがしました。
Posted by 聖母の鏡 at 2013年10月27日 14:38
聖母の鏡さん、コメントいただきありがとうございます。最初ぼく自身信じられなくて、家に帰ってから星座早見(なつかしい言葉です。今ではパソコン上で動くよくできたフリーのソフトもあります)で確認して初めて納得しました。それで驚きをそのままに文章にしてしまった次第です。三つ星が縦に真っ直ぐ並んで、しかも真東から昇ることは、教わった記憶がありますが、その時ベテルギウスとリゲルがどこにいるかまでは言われませんでした。自分の目で見て知ったのではないところが都会育ちの悲しさです。
おっしゃる通り、オリオンほど季節の到来を知らせてくれる星座はありませんね。秋には明るい星が少ないのも影響しているのかも知れません。北斗七星のひしゃくの向きも季節の指標になりますが、やはりちょうど南天の見やすい位置を東から西に駆け抜けるオリオンにはかないません。
金木犀、やはりそうでしたか。幻ではなかったのですね。ありがとうございます! 安心しました。10月初めに例年よりさほど遅れずに開花して、今年は猛暑だったにもかかわらずすごいなあと思っていたのですが、いつもなら数日で根元にあのオレンジ色の花が一斉に散り敷くのに、今年は見なかったような気がします。開花直後に真夏日が戻ってきたために、咲ききることができずにいたのでしょうか。
正倉院展も始まって、晩秋に向けて奈良はいよいよ美しさを増してゆきます。
Posted by あきちゃん at 2013年10月27日 22:23
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