2015年04月04日

『菜穂子』断章3─その描写のいとおしさ

満開のサクラは昨日の雨を持ちこたえてくれたけれど、夕方にはもうポツポツと来始め、明日はまた雨。一週間先まで晴れマークは見当たらない。その意味で土曜日の今日は、青空にこそ恵まれなかったものの、お花見日和の一日だった。とはいっても今日の奈良は、春を通り越して夏日を記録(最高気温25.1℃)。歩いていると汗ばむ程の陽気となった。
今年のサクラは天候にはあまり恵まれないけれどひときわ鮮やかに思う。毎年同じように咲いているようでいて、咲き方は年によって随分違うと思う。開花後に寒い日が続くと花は長持ちするというけれど、美しさという点ではどうだろう。むしろ気温が上がってぱあっと咲いてしまった方が、花にも力強さが現われるのかも知れない。その分だけ花の命自体は短くなるのだろうが、散り際の良さがサクラの身上であるならば、好き嫌いは別として、それはそれでよいのだろう。
最寄りのバス停から少し行った先に、サクラがまとめて植えられているバス停がある。この季節、通勤途上そこに近づくと、思わず車窓から見惚れてしまう程の美しさである。「さくらの花の散る下に 小さな屋根の駅がある 白い花びらは散りかかり……」(阪本越郎「花ふぶき」)のバス停版といってもいいくらいの景色だと思う。毎年何とかこの風景をカメラに収めたいと思いつつ、通勤にカメラを持っていくことなどないし、かといってこのご時世だから、乗ってくるお客さんがたくさんいるところにバスの中からケータイを構えるのも気が引け、これまで宿願を果たせずにいた。
それで今年のサクラももう見納めかと気付いた今日、思い立ってそのバス停まで自転車で走り、ちょうど誰も待っているお客さんがいないそのバス停の満開のサクラを、道路の反対側からカメラに収めてきた。撮ってしまえばどうということのない写真であるし、ふだん思っている美しさの十分の一ほども表現されていない。それでも今日しかできないと思ったことを今日実現できた歓びは大きかった。ぼくの心の中で、きっとあのサクラは永遠に咲き続けることだろう。
バス停の満開のサクラ.jpg
〔バス停の満開のサクラ〕

バス停のサクラの花と幹.jpg
〔バス停のサクラの花と幹〕

さて、前置きが長くなったが、菜穗子断章の完結編を記すこととする。現在の眼で見直すなら、『風立ちぬ』や『美しい村』はどのように読めるだろうか?

          §           §           §

(承前)最初に少し触れたように、複数の影を重ね合わせて人物を描いていく描き方、ちょうど何枚ものスライドを重ね合わせていくような重層的な描き方は『菜穂子』の大きな特徴といってよいと思う。それは客観的に重ねていく場合もあるし、登場人物の視点に立って重ねていく場合もある。それは登場人物自身の視線が過去を含めていろいろな画像に遷移していくこともあれば、登場人物を見つめる他人の視線がさまざまに変化していくこともあるけれど、文中の言葉を借りれば、要するに「眼差しの交錯」が一つのキーワードになると思う。
例えば黒川圭介の場合。高原の療養所で嵐の一夜を明かして東京に戻ろうとするとき、いよいよ孤独の相を帯びだした妻菜穂子のこと、そのそばでまるで自分以外のものになったような気持ちで一夜を明かしたゆうべの自分自身のこと、大森の家でまんじりともしないで自分を待ち続けていたであろう母のことだのを次々に思い浮かべる。そして現在と現在思い出しつつある過去の感覚が絡まり合って、自分が二重に感ぜられてくる。空を見つめる今の自分自身の目つきが、昨日見た瀕死の患者の無気味な目つきになったり、いつも自分がそれから顔をそらせずにはいられない菜穂子の虚けたような眼差しになったり、それらが変に交錯していくのを感じているのである(第十二章)。
都築明の場合。半病人のようになってO駅に降り立ちO村の牡丹屋に向かうとき、背中を曲げて元気なく歩いている現在の自分と、自転車に乗って頬を火照らせて息を切らしている少年の自分が交錯し始める。そこにさらに「見てて。ほら、両手を放してる……」」と背後から自転車に乗って少年の日の自分に向かって叫んでいる菜穂子がよみがえってくる。
また、牡丹屋に身を託して病苦と闘う日々、旅中のさまざまな姿を脳裏に甦らせる。冬の旅を続ける自分の空虚な姿が次から次へとふいと目の前に現われてはしばらくそのままためらっている……。
菜穂子の場合。何かの変事を期待して封を切った姑の手紙に失望して返事を認めるとき、夫のうち沈んだ姿を思い描きながら、そんな眼つきで見つめるとすぐ夫がそれから目を外らせてしまう、あの見据えるような眼差しをしている自分に気が付く。そしてそこに「そんな眼つきでおれを見ないでくれないか」そう夫がたまらなくなったように言った豪雨に閉じ込められた日の不安そうだった夫の様子が浮かんできて、今度はそれに対しその嵐の中でと同じような無気味な思い出し笑いを浮かべている菜穂子がいる……。
ここに挙げたのは必ずしも最適なものばかりではないけれども、こうした眼差しの交錯は、最終的にそれぞれ一つの像へと焦点を結んでいくことになる。

          §           §           §

それにしても『菜穂子』における堀辰雄の文章は本当に美しい。美文だというのではない。しっかりと筋の通った文章が生き生きと躍動しているのである。個々の文だけではなく、文章のリズム感、流れが最高に息づいているのである。挙げれば切りがないのだが、蛇足ながらいくつか挙げてみる。
「その赭しい少年の日々は、七つのとき両親を失くした明を引きとって育ててくれた独身者の叔母の小さな別荘のあった信州のO村と、そこで過ごした数回の夏休みと、その村の隣人であった三村家の人々、──ことに彼と同じ年の菜穂子とがその中心になっていた。」(二。156頁〈岩波文庫版による。以下同じ〉)
「O村での静かなすこし気の遠くなるような生活が始まった。」(四。164頁)
「一日は他の日のように徐かに過ぎて行った。」(六。174頁)
「冬空を過った一つの鳥かげのように、自分の前をちらりと通りすぎただけでそのまま消え去るかと見えた一人の旅びと、──その不安そうな姿が時の立つにつれていよいよ深くなる痕跡を菜穂子の上に印したのだった。」(十八。222頁)
この最後に挙げた文章は十八章の冒頭部分で、菜穂子のこのあとの行動のキーになる文章だと思うが、実は十七章末尾から、章を分かってひと呼吸置いて始まる流れが途轍もなくすばらしい。思わず何度も何度も読み返してしまう。内容、文章、リズム、全てにおいて完璧である。総じて『菜穂子』は贅肉を切り落としたような書きっぷりで、淡々とした印象を受けるけれども、実はものすごく骨太である。読者をぐいぐい引っ張り込んでゆく(ちょうど菜穂子に吸い寄せられる都築明や黒川圭介のように……)。しかし、ごつごつした感じは全くなく、いたってスマートにみえるところが不思議である。
「雪は烈しく降り続いていた。」(22章)
「雪は東京にも烈しく降っていた。」(23章)
言わでもがなのことではあるけれど、導入の巧みさは堀辰雄の文章の特徴でもある。それは『風立ちぬ』の「それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、……」にしてもそうだし、初期の名作『聖家族』の「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」に既に典型的に現れていよう。
あと、章ごとの絵のような完結した美しさも特筆に値する。画像を積み重ねていくような感じはここから来ているのだろう。場面場面の積み重ねによる印象的な描き方である。どれを選ぶか、むしろ選ばないのが心苦しいのだけれど、一章:銀座の人混みでの明と菜穂子のすれちがい、十四章:明と圭介─荻窪駅のプラットフォームにて、十七章:高原療養所での明と菜穂子の邂逅、二十章:明と母の面影、二十二章:菜穂子の上京の決心、二十四章:菜穂子の旅立ち、などの章はそれぞれ一幅の絵のような章である。『楡の家』第二部の三村夫人と菜穂子の葛藤の場面に勝るとも劣らない名場面が陸続と登場するのである。
それともう一つ、物語の舞台となっている土地が、信濃追分と富士見という、八ヶ岳を挟んで北と南に位置する二つの村であることが、(特にぼくにとっては)『菜穂子』の大きな魅力になっていることは間違いない。八ヶ岳の裾野を登り詰めて行く、中央線の今はなきスウィッチ・バックの描写や、荻窪駅で通過する列車に思いを託す場面など、それこそぼくの琴線に触れるような箇所が次から次へと現れる。中でも印象的なのは、O駅へと喘ぐように登ってゆく汽罐車の音である。最初は明の初めてのO村での静養の日々、暮れ近くに林の中でその印象深い音を聞いて、何とも言えず人懐かしく思う(これは2度めの時の回想の形で現れる)。2度目には冬の旅の帰途、ほとんど半病人ようになった明自身を乗せてO村に運んでゆく。3度めにはそれを牡丹屋で病苦と闘っている明が聞き、彼の前にためらっている旅中のさまざまな自分の姿を跡方もなく追い散らして、最後にそれが穉い頃死に別れた母の顔を思い出した時のときめきを伴って、頭上に樺の枝を見上げていた自分の姿だけを残していく。実に3度も繰り返し繰り返し登場するのである……。もう繰り返すことはしないけれど、雪の東京に至っては、もうなにをか言わんやという思いすら抱く。人物像とともに、そうした空間・時間の舞台装置が、ぼくにとって『菜穂子』をより愛おしいものにしているのを告白しなければならない。

          §           §           §

釈迢空の弔歌(『文芸』第10巻第8号・1953年8月号).jpg
〔釈迢空の弔歌と掲載誌(『文芸』第10巻第8号・堀辰雄追悼号・1953年8月)の表紙。最近偶然入手したもの〕
菜穂子の後 なほ大作のありけりと そらごとをだに我に聞かせよ─釈迢空(折口信夫)が堀辰雄の死を悼んで詠んだ弔歌である(『文藝』第10巻第8号、1953年8月。堀辰雄の逝去は1953年5月28日)。ぼくが最初に読んだ角川文庫版の『菜穂子・楡の家』のカヴァー見返しの解説にもこの歌は引用してあった。「『菜穂子』のあとに、さらに大作があったと、たとえウソでもいいから私に聞かせてほしい」とは、けっして直接的に『菜穂子』を激賞しているというわけではない。『菜穂子』の次に当然書かれるはずだった大作を残さぬまま他界してしまった堀辰雄への心の底から絞り出すような悔やみの言葉である。それはとりもなおさず、『菜穂子』が次なる大作を予感させる作品だったことを前提とした述懐であった。
『楡の家』第一部となった「物語の女」を序曲として『菜穂子』が書かれ、それらを結ぶ「目覚め」が『楡の家』第二部となった。そしてこれらが『菜穂子』として刊行された。そして堀辰雄が書こうとした壮大なロマンの、それは序曲となっていくべきもののはずだった。釈迢空の弔歌の意図はそこにあるのだろう。それは『菜穂子』を最高峰とするところの堀辰雄の文学、そして堀辰雄そのひとへの最大の讃辞となっているのである。『菜穂子』は完結した作品として高い完成度を保っているけれど、加えてより大きなものの一部であることを予感させる、広がりをもっているのである。『菜穂子』に未完の印象を受けるとするならば、それはそうした無限の広がりへの予感のなせるわざなのである。『菜穂子』が堀辰雄の文学の最高の高みであり、「大作」であることは疑いのない事実だろう。(完)
posted by あきちゃん at 21:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
映画風立ちぬを見て、堀辰雄を読みたいと思ったのですが、そのうち忘れてしまいました。
こちらを読んでまた、ぜひ堀辰雄を読みたいと思いました。

写真の桜のバス停、写真に収めたくなる、懐かしい感じのいい風景だと思いました。
また時々訪れさせていただきます。
Posted by 通りすがりですが at 2015年07月21日 01:05
「通りすがりですが」さん、こんにちは! 

こんなブログにお立ち寄りいただき、またコメントを頂戴し、ありがとうございました。桜のバス停の写真、気に入っていただけて、うれしいです。

ぼくも宮崎駿監督の作品、大好きです。特に、宮崎監督が風立ちぬを作られた意図には。強い共感を覚えす。でも、おかしいですね、風立ちぬだけはまだ見られていないのです。自分のうちにある堀辰雄の世界を大事にしたい、という思いが強過ぎるのかも知れません。

そんな思い込みのようなことしか書けなくて申し訳ありませんが、よろしかったらまたどうぞお越しください。お待ちしています。
Posted by あきちゃん at 2015年07月21日 22:30
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