2017年05月30日

旅は道連れ、でない方がいい困ったひと

さて、次の急行はどっちホームに来るんだろうと、ちょうど特急券の販売窓口の上にある時刻表を見上げようとしていた。と、右腕に誰かが触れたような気がした。気にはなったが、見上げた動作を止めるわけにもゆかず、あ、4番線ね、と目的を果たしてから、いったいなんだろうと振り返ると、そこにはよく知ったTさんの顏があった。
久しぶりである。こんなところでまあ、とちょっと懐かしくなったが、一時にさまざまな思いが交錯する。積もる話をという思いが半分、ちょっと面倒だなという思いが半分、実際にはそう簡単には割り切れないいろんな気持ちごっちゃになって湧いて来る。
ただ、ぼく自身の常として、道行きはできることなら一人でいたいという気持ちが強い。旅は道連れとは正反対のものである。回りから隔絶されていたいという気持ちである。それは他人に囲まれておればこそのものといってもいいだろう。
そこに突然知った顔がヌッと現れたのである。きっと狼狽を隠せない顔をぼくはTさんに向けていたことだろう。いつも通勤に使っている駅でのことであるから、そこで一人の世界に入り込もうとしていた方が悪いといえば悪いのである。それに対して、そんなこと全く気にかけていないというようなTさんの大人の対応はありがたかった。

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しかし、である、ぼくのその後の行動はTさんにどう映っただろうか。ぼくがいたのが特急券発売窓口の前だったのがいけなかった。京都に通うTさんは特急券を買おうとしていたらしいのである。ぼくが、彼の後ろ側から失礼しようとすると、Tさんはどうぞと言って前に入るように言う。
Tさんはぼくが遠慮して彼の後ろに並び直そうとしたと思ったらしいのである。そこは特急券を買う列のようでもあったのだ。少しでも早く自分の世界に戻りたいと思っただけなのに、そのまま、じゃ、と言って言ってしまったぼくを、Tさんはどう思っただろう。
さらに悪い心配が駈けめぐり始める。もしもTさんが、ぼくが特急券を買おうとしていたと思い込んでいたのなら、急にぼくがそこから離れたのは、Tさんに出くわしたがために、特急に乗るのを止めたと感じていはしないか。それは誤解だ。
そんなことを心配するくらいなら、そんな行動を取らなければいいのに。まさにその通りなのだが、習い性なのである、こればかりはいかんともしがたい。

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ぼくは初めから特急に乗るつもりはなかった。2分後から出る急行で行くつもりで、ホームを確認しようしていただけだった。Tさんに会っても会わなくても、行動は同じだったはずである。
しかし、ぼくはTさんと別れ際に自分が発した言葉を思い出して唖然とした。お出かけ? と尋ねられて思わず発したぼくの言葉、これから東京です!
それは正直な発言である。嘘をついてなんになろうし、ぼくはそんなところで咄嗟に間に合わせの嘘がつけるような人間ではない。しかしそれが問題なのである。
Tさんはどう思うだろう。東京へ行く人間が、わざわざ混んだ急行になど乗るだろうか。ぼくの言葉は、ぼくが特急に乗ろうとしていたと、Tさんにそう信じ込ませるに十二分な働きをしたに違いないのだ。
さてそうであるならば、なぜぼくは特急券の窓口の列から離れたか。そう、まさにTさんと特急に乗り合わせるのを避けるために違いないのである。それはぼく自身の行動として充分あり得ることだからなおよくないのだが、今回は事実に反している。ぼくはそれをTさんに弁解する機会を永久に失ってしまった、そんな自己満足の裏返しに過ぎない考えに苛まれながら、混雑した急行の吊革に掴まりながら、京都に向かったのである。

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今回の場合、悩んだ挙句ではあったが、急行にしようという比較的硬い決意ががあったから、こんな強いことが書けたのだが、もしも特急て行くつもりで列に並んでいたとしたらとか、まだ悩んでいる最中だったとしたらとか、そんな場面だったらどうだっただろうか。Tさんには申し訳ないけれども、急行で行く決断を押す結果になったに違いない。それはもうぼくという一個人の個性の問題に過ぎないのである。そんな自分がほとほと情けなくなるが、それをよしとしている自分もまたどこかに見え隠れしているから、まことに厄介な話ではあるのだ。
ラベル:日常
posted by あきちゃん at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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