2018年05月26日

原田康子『挽歌』のあらすじ1

最近読書が滞りがちで、随分かかって大江健三郎さんの『同時代ゲーム』を読み終えたところだが、なかなか感想を書けそうにない。読んですぐに読後感をさらさらと書ける小説とそうでない小説があって、『同時代ゲーム』はそうでない方のようだ。
その違いはあくまで小説そのものに理由があるのであって、作者によるのではない。例えば、5年前くらいまでに集中的に読んだ原田康子さんの場合にも、最初に読んで気に入って何度も読み返した『挽歌』の読後感を実はまだ書けずにいる。その後に読んだ『病める丘』を紹介する中で(『病める丘』を読む)、比較の意味で随分『挽歌』を取り上げたにもかかわらず、である。
書こうと試みなかった訣ではなかったのだ。必ずしも小説とぼくの相性という訣ではなくて、思い入れがある分書けなかったと言ってよいのかも知れない。この間ファイルの探し物をしていたら、折々書き散らしてきたものの中に、『挽歌』の筋書きを抜き出した文章を見つけた(けっしてわすれていた訣ではないのだが)。
そういえばこんなものを書いていたなぁ、となつかしくなった、このまま眠らせておくのも勿体ない気がしてきた。感想を書くための下準備であって、章ごとに時間をおさえ、節ごとに筋書きを並べた、ただそれだけのものである。オリジナルな部分がある訣ではなく、ただ自分で注意したいと思ったところをゴチックにした程度である。しかも初めは骨格のみをメモっていったのだったが、そのうち文章そのものを抜き書きするようなことになっていって、最終的には結構な分量になってしまった。
本当はこれに基づいて感想を記すべきなのだが、どうもそんな余裕はなさそうだ。しかし、今読み返してみると、それなりの愛着は感じるし、自分自身の記録にはなるだろう。またもしかしたら、これを見て原作を読みたいと思ってくださる方が出るかも知れない。
こんなものを載せるのもいかがかという気もしないではないけれど、新本で買える唯一の原田さんの作品になってしまっている『挽歌』を是非多くの方に読んでいただきたいと思うし、できることならそれを手がかりに、原田さんの豊穣な世界に分け入ってもらえる契機にしていただけたらという思いもある。自己満足と言われてしまえばそれまでだが、気の向くときに何回かに分けて載せていきたいと思う。

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原田康子『挽歌』のあらすじ(その1 第1章から第3章まで)
第1章 秋分の日

Aなんのお祭りなのだろう……
鳴り続ける旗、町のざわめき、家からタバコを買いに出たわたし、祝日や曜日に無関心、4人の家族、父の書斎、100円紙幣、ばあやとのやりとり

B煙草を買う、花屋の車、お彼岸に気付く、死者たちのお祭り、わたしの服装、黄色い風船、旗の音が蘇る、青い風船、わたしだけのお祭り、求婚を受ける日

C夢を食べて生きるわたし、父のもってくるお見合いの話、わたしの不自由な左手のせい、肱が痛み出した頃、女学校から帰っての家事、水汲み、肱の疼き、教室で失神、ウエストがクラスで一番細い怜ちゃん、市橋先生に背負われて病院へ、そのまま入院、7年前の粉雪の日、先生に肩を抱かれる、先生の涙が頬を伝って落ちる、わたしのためにいつまでも泣いてくれればいい、その考えに気付き驚き悲しくなる

D父のもってくる縁談今まで2度、ゆうべの縁談、籐いすをキシキシさせる父、お寺の息子、父とふざける、宗派など父にはどうでもいいこと、恋人は16人、心配はしたくないという父、誰からも心配などして欲しくないわたし、ちょっと悲しくなる、父の頭髪、若さと財産と妻を代償にもらった白髪、まだ女に無関心ではなさそうな父、パパがお嫁さんをもらったらわたしも嫁に行く、ゆうべのかすかな風音は秋の深さを告げる音のようでもあった

Eわたしのお祭りの終わり、旗の鳴るかわりに雑草と楢の葉のざわめき、丘の上の草原、緑色のバット、煙草に火を付ける、一人だと思い楽しくて気取ったポーズ、近くにいる二人の人影、女の子と父親、ネリ、ネリ、仔犬とゴムマリ、ピースの青い箱、舌打ちして草の中に横になる、そんなことはわたしにとってどうでもいいことなのだ、女の子と声と美しい頬、波の音、それと楢の葉のざわめきを消す女の子の声、わたしをめがけてくるゴムマリ、マリを拾って後ろに隠す、仔犬に掌を噛まれる、女の子の悲鳴、男との邂逅、女の子のドレスよりも赤い血、効かない左手に気付きどうにかしてほしいというわたし、傷口をハンカチで縛る、犬は嫌いじゃないと嘘をつく、小父さんとよびかける、噛みついたお詫びにもう1匹をあげる、うなづく、逡巡しながら男の家に向かう、窪地の住宅街、30坪ほどの平屋、凹凸の多い灰色の建物、屋根の濃いオリーブ色、桂木といいます、物干し台の女、ママン、痛むかと聞かれて右手を乱暴に振るわたし

F地の底から涌く霧、仔犬とマリを抱いた女の子を抱いて帰って行く男、仔犬なんかもらいに行くものか、彼らの生活に憧れた自分に腹を立てるわたし、噛まれた傷口ではなく左肘が疼く、冬の匂い

第2章 秋分の日のあと、10月にはいってまもなく、公演まで2週間もないある日
A癒りの悪い傷、ばあやに手当をしてもらう、わたしと信彦がばあやをからかう、傷の手当てを受けるのが楽しい、ロマネスクな出来事を思い返す気分、結局仔犬をもらいに行かず、父娘に憧れたわたしを腹立たしいと思い続けたわけではない、かえって桂木家に行ってみたくなる、みみずく座の講演準備が始まり桂木家に行くことも仔犬を飼うことも面倒になる、わたしはみみずく座の24人の座員のうちの4人の美術部の1人、気心の合う愉しさ、お芝居をしようという人たちの雰囲気を愛する

B10月に入って秋の公演のための最初の集会、高台の崖際に建つ市民会館5号室、最年長の戸村さんを驚かす、高校3年生の須山さん、幼なじみの久田幹夫が美術部のチーフ、手の悪い私を二年前にわたしをみみずく座に誘う、死んだ母と久田の母(薬剤師)が函館のミッション系女学校のクラスメート、退院後久田薬局に薬をもらいに行く、久田幹夫がわたしの家に遊びに来た5年生の頃の思い出、久田にわたしの小さな部屋で絵を描いてもらう、青みがかった桃色のものがいっぱいに広がる薔薇の絵、今は芸大受験で三浪中、絵よりも絵を描くあるいは絵のことを考えている彼に引かれる、そんなときはひどく素っ気ない、わたしを労る気配を見せる時わたしは悲しくなる、悪い腕のことを考えて感傷的になる、感傷はわたしを愧じる、自分を愧じるだけでなく久田が無性に憎らしくなる

C古い大道具を調べに会館の物置へ、真っ暗で見当が付かないのをいいことに切り上げ、日中暇のある久田とわたしが翌日調べることに、わたし達は黙りがちにゆっくり歩く、高台から見下ろす星の少ない薄赤く染まった夜空、長い坂を降ってダフネへ、山荘風だが中は装飾がなく戸村さんの描いた色気のないカレイの油絵、客の少ないのはひどく生臭く嫌な匂いのするカレイの絵のせいだと言ったわたし、五十近いダフネの主人、戸村さんがわたしの今度の見合いの相手を尋ねる、お坊さん、フイフイ教のね、久田がわたしの右手の包帯に気付く、唇を動かしかけたが惜しくなって話すのを止める

D翌日からみみずく座の仕事、昼間は暇で信彦(弟)のサキソホーンを鳴らしてみたりする、ある日葡萄をもいでいて書斎の窓を開けた父に誘われる、小遣いをもらって一緒に家を出る、滅多にないので父の並んで歩くのが少し楽しい、事務所を売った、山も売ったよ、兵藤家の来歴、祖父達のフロンティアスピリットはわたしにも父にも信彦にもない、かわりに工場を買って小さな事務所を借りることにした、わたしに力づけて欲しかった父、わたしの言葉に父の眼がいつもより明るく輝く、洋服屋「アイリス」に寄る、からだの線の美しい四十前後の女主人、おまえにも服を作ってやると言われる、いらないというが困惑した父を見て高いのでなくちゃいや、どうせ贅沢するなら完璧に無意味な贅沢がいい、父から事務所が向かいの住友ビルの3階と聞く

E店先に出る、建物を眺める、父が山林を売ったのはいい服を着て居心地のいい事務所で仕事をしたいからではないかと思われてくる、建物の前にオリーブ色のジープが1台、道路を濡らして徐走する撒水車、それらの光景に奇妙な苛立ちを覚える、ジープの運転台にあのテリヤの飼い主が、わたしの手を噛んだことを思い出させてやりたくなる、別の青年にきびきびと的確に指図する様子、瞬間の驚きが消えないまま新鮮な感動にかわって心の中に拡がり出す

Fその夜市民会館へ、ポスターを描く、7時過ぎに予定したように仕事をやめて切符を売りに行く、切符を売ることを口実に桂木家へ行ってみたくなったわたし、理由もナシには訪ねてはいけない、口実ができてほっとして嬉しくなる、昼間の爽やかな感動の余韻、講演の方へ行くバス、疲れた乗客の中でわたしだけが若くて元気、入院していた病院の窓を見てふいに孤独な気持ちになる、三等病室のつめたそうな明かりが蘇る、バスの振動にそっと左肘を押さえる、7時過ぎを選んだ理由、おセンチな甘い想像、桂木家への憧れ、想像がそのまま現実になることを願う

G公園の入口でバスを降りる、窪地の方へ行く暗い通り、電蓄の音楽や海の音、動悸が速くなる、わたしの向かって行く方に歩く2人の後姿、どちらが先かわからないが思わず立ち止まる、「なぜ黙ってるんだ。言えないのか」、怒りを含んだ声、久田幹夫を思い出しすぐ忘れる、女の低い笑い声、楽しさは勿論悲しみも苦しみもはじらいもあきらめさえこもっていない、無感動な声に立ちすくみ小刻みに震える、どこかの玄関のあく音、桂木家のブランコをゆする、桂木さんだけでもいてくれればよい、ディーゼルカーの音・犬の吠え声、玄関をあける、赤い靴を見ていくらか落ち着く、卵色のセーターにあらいチェック模様のフレアスカートの若い女、おばさまならいる、あき子おばさまったら!、形の良いすらりとした体を青みがかった灰色のワンピースで包んだ女がやっと出てくる、光沢のある髪に縁取られた顎の細い顔はやや蒼白ざめていた、犬のことを説明しようとしたが彼のいないことを知って情けなくなってやめる、お待ちになったらという思いがけない優しさ、お上がりになりませんか?、低い笑い声、右手の黒いスエードの手袋、挨拶もせずに飛び出す、わたしの足はよろめいているよう、ブランコをギイギイ揺すって飛び出す、不気味でそれでいて悲しみのこもったような鉄の音、今は夜だからだと納得させる

第3章 晩秋の公演(11月3日)の前後
Aわたしが挨拶もせずに飛び出した理由、路上の女と桂木夫人が同一人、夫人が夫ではない青年と一緒でしかも彼に詰られていたことになるとわかってくる、証拠はない、そう考えたのは貞潔な人妻を願ったからではない、貞潔でも不貞でもどうでもよいそんな無関係な女にショックを受けたことが腹立たしかった、なんの証拠もないことに驚きそれを笑い証拠のなさを証明しようとするわたし、直感が間違いでなければよいという気持ち、夫でない男に問い詰められていた方が面白いという不謹慎な気持ち、同一人であることを願っている自分に気付くと今度はいよいよ同じ女ではないと思えてくる、彼女の夫から受けた爽やかな感動、異様な笑い声の女が桂木さんの夫人とは思えない、どっちにしろわたしとは関係ない、公演に向けた忙しさが衝撃を消すのに役立つ、公演前4、5日の忙しさ、疲れても忙しい方がわたしには愉しい

B公演の2日前博物館に久田幹夫と海猫の剥製を借りに行く、鴎であろうが海猫であろうがわたしにはどうでもよい、不気味な一種の死骸を借りに行くことが面白い、打ち上げられたボート、雨にくるくると舞うバスケットボールのゴールの網、孤独な感じのネットに季節が冬に移ってしまったことを感じる、急に疲れを感じる、雨のせい?、最高級のパンプスならば不気味さを深めるのに、風蓮湖で捕獲された白鳥の剥製に見入る、羽根布団をほしがった小さなわたし、重い白鳥を抱いて歩いたらさぞ愉しいであろうに、ボール箱に入れなければ透けて見えて綺麗なのに、雨が霙に、悪寒が走る、めまい、久田幹夫が手でわたしの肩を押さえる、雪の像がはっきり見え出す、博物館に戻るのは死体置き場のようでいや、沼の岸の食堂へ、市橋先生に肩を抱かれたことを思い出す、男に抱えられるのは病人になる時ばかりではないか

C堅い木の椅子に座って顔を見合わせて笑う、久田幹夫に背を抱えられたことが羞かしくなる、彼の腕の形が彫りつけられたような感触、奇妙な戸惑い、これまでは小さな感情の起伏が続く慢性疾患のようなものたちのよくないもの、一度だって彼に抱きかかえられたいなどと思ったことはない、貧血以外の理由はないのだが抱きかかえられたことには間違いない、面映ゆくなって片手で頬を押さえてうつむく、白鳥の剥製についてのとりとめもない話題、久田幹夫の顔に浮かぶ気遣わしさ・苦痛・惑い、わたしはたじろぎを感じる、からだのことをいうとわたしが不機嫌になるのを知っていてなお私を気遣う久田幹夫、いつかも蒼白い顔をしてた、桂木家を訪れた日のことを言われおどろいて彼を見つめるわたし

D心の動揺を気取られまいとしたのに久田はそれに気付きかつ忘れていない、わたしは久田が顔の青さを気に止めていたことにこだわりを感じる、しかし彼もわたしがショックをうけたことまではわからなかっただろう、別な疑いが涌く、久田幹夫が私の体を気遣うのはわたしを愛しているからかも知れない、久田幹夫にはわたし以外に付き合っている女性はいないしわたしに好意をもっている、わたしと慢性疾患的な物であったはず、ふいに気持ちが変わったとしたらわたしの貧血のせいか、わたしだって奇妙な戸惑いを感じたのだから、しかしまもなく久田幹夫はやはり以前のままの彼であるような気がし始めた、公演の打ち上げで4人で小さな焼鳥屋へ、真夜中もし久田がわたしを愛し始めたなら一人でわたしを送りたがるだろう、そんなそぶりは全然見せず滑稽に思えてくる、やはりわたしたちが急性疾患に罹るはずはないに決まっている、それにわたしの恋は自分を愧じねばならないようなひねくれたものではなく王者のように豪華でなければならない、しかしそう考えると隙間風のような冷たい思いがよぎる、それがまた癪にさわる、明日から病気になるからよろしく(つづく)
ラベル:読書
posted by あきちゃん at 18:01| Comment(4) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本当にお久しぶりです。初めてお訪ねした時は、きっと原田康子の名前で検索した時だったかもしれません。40年以上にわたって偏愛し続ける作家です。原田さんが描く男性になんとも心惹かれての長い年月だった気がします。今夜は夜遅くたまたま覗いてなので、ゆっくり目も通していません。また来ます。おやすみなさい。
Posted by 聖母の鏡 at 2018年05月30日 01:17
聖母の鏡さん、お訪ねくださりありがとうございます。本当にお久しぶりです! お名まえなつかしく、またうれしく拝見いたしました。ぼく自身、原田康子さんを集中的に読んでから、もう随分経ってしまいましたけれど、確実に心の中のある部分を占める存在になっていて、今回のような記事になりました。原田さんは、年甲斐もなく登場人物に恋してみたり、自分自身と重ね合わせてみたりと、特別な読書体験のできる作家です。お読みいただくの恥ずかしいようなことですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by あきちゃん at 2018年05月31日 01:15
ご無沙汰しています。今日家の思わぬところで「挽歌」を見つけました。ピアノの脇の楽譜用の本棚…
早速読み始めましたが、まだ怜子の手をネリが噛むところまでもいけていません。
しかし、若いころ読み飛ばしていた冒頭の暗喩に満ちた描写に引き込まれました。「この晴れ切った真昼に街中の物音が途絶え、ただ幾千の、幾万の旗だけがひそかに鳴りつづけているような気がした。」
葬列の幡が浮かんでくるのは、ちょっと深読みかもしれませんが。
Posted by 聖母の鏡 at 2019年05月11日 00:01
聖母の鏡さん、いつもありがとうございます。お持ちの「挽歌」、見つかって、ほんとうによかったです!。
その存在を忘れていたものに、ひょっとした拍子に、思いもよらぬところでめぐりあうことはぼくもたまにあって、そんな時はちょっと得をしたような気持ちになるものです。しかし、探そうと思っているものは、無心でいないとなかなか見つからないですものね。
冒頭のひらめく旗の叙述についの聖母の鏡さんの鋭い読み、唸らされました。実際には賑やかな音がしているのだけれど、それを受け止めている怜子の心象風景としては、旗だけが鳴り続けている。ちょうど音を通さないガラス越しに眺めているような感じです。少し後で、古代の王から求婚を受けるという、夢見る怜子の面目躍如の叙述が続きますが、この日がお彼岸という死者のまつり(怜子自身がそう言っています)であるのは示唆的です。でもそうなると、怜子はこの地の文をいったいいつの時点で書いているのか…… 
そんな理屈はともかくとして、考えれば考えるほど深い深い叙述です。ご教示ありがとうございます!
Posted by あきちゃん at 2019年05月12日 18:11
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