2019年02月25日

夢の芽生えについて─夢の記憶57─

自分で実際に見ているようでもあり、テレビのドキュメンタリー番組のようでもある。島のような周りを海で囲まれた場所(いや、海が近いというだけで、場所を特定できるような状況ではなかったかも知れない)で、何か食事の準備が行われるらしい。儀式ばったことではなく、ごく普通の日常的なもてなし料理のような気がする。
それには多量の湯が必要なのだという。それを海を越えて運ばなければならない。その湯を運ぶ場面を見ながら、そのもてなしを受けるための料金が結構高額なのは、そんな手間暇がかかることが影響しているらしいと、納得していた。

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で、その湯をどうやって運ぶか? たらいのような、しかし丸くはなく、長い方の辺が1m、短い方の辺が70㎝くらいある四角い木箱のお化けのような容器に湯をたたえ、これを海面に浮べて運ぶのである。
その様子を、船の舷側から直角に突き出した撮影装置からの映像のように見ていた。船の脇の海中を、その湯の入った四角いハコを縦長に持った人が、何かに乗せているのだろうか、船と平行に向こうからゆっくりとやって来て、手前に通り過ぎてゆく。どうも水の中を歩いているらしく、これは大変だと感心している。
湯は冷めないのか、こぼれないのか、あるいは海水が混じったりしないのか、などと心配に思った記憶はあるが、全てOKなのである。そもそも周りが海水だというのはどうしてわかるのだろう。

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そうこうするうちに、夏だけは別の運び方をするのです、といって説明が始まり、遊園地の池の乗り物によくある、アヒルの形の足踏みの2人乗りのボートのようなものがやって来て、目の下を通り過ぎてゆく。えらく軽快にピチャピチャしながら。
でも今思えば、湯はあのアヒルのボートのどこに積んでいたんだろう? 積み方の説明があったような気もするが、思い出せない。まあ、夢だからそんなことはどうでもいいのだけれど。足踏みのペダルを軽快に回しているのがよく見えたのが印象に残っている。
夏はこうやって湯を運べるので、他の季節に比べて随分楽なのです。確かにそうだろうな、これならかなり簡単だ。そう思って、その説明に夏の値段の安さを納得していたのである。
いったいあの多量の湯で何を作ったというのだろう。麺でも茹でたのだろうか? 四角いハコのイメージは、カステラのスギの木箱のようでもあり、香り高いヒノキのお風呂のようでもある。考えれば考えるほど辻褄の合わない夢ではあるが、夢とは所詮そういうものなのである。

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なぜこんな夢を見るのだろう? 前日が山歩きで、帰りに温泉に寄った。湯を運ぶというのは、まさにその影響だろう。浴槽は木製ではなかったけれど、スギの植林帯が大半だったし、花粉も飛び始めて薬を飲まないときつくなってきているのも関係しているかもしれない。
しかし、なぜ海なのか? 考えられることとしては、前の日に寄った温泉には、珍しくプールが付属していた、そんなことが、深層で影響しているのかも知れない。
夢の要素はいったいどこから浮かび上がってくるのか? 今回の夢などはこうして見当がつくから、まだ単純なというか、かわいい方の部類かも知れない。脈絡もなく突拍子もないと自分では思われることが、実は自分の深層心理を炙り出してしまうというようなことは充分あり得るだろう。意識せぬまま知らず識らずのうちに少しずつ蓄積したものが、じわーっと滲み出してくるような何か得体の知れない感じ、今蒔かれたタネがいつ芽生えてくるかわからない、そんな怖ろしさが夢にはある。
ラベル: 日常
posted by あきちゃん at 21:39| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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