2019年04月18日

梨木香歩さんの『海うそ』を読む(その4)

梨木香歩さんの『海うそ』を読む(その3)よりつづく)
森肩─耳鳥 芭蕉/キクガシラコウモリ 耳取洞窟
秋野は、山根氏が快く閲覧を許してくれた文箱の書類の読解に没頭し、紫雲山法興寺の歴史を繙いていった。もちろん小説の中の架空のことではあるが、紫雲山法興寺は役の行者が活躍するよりも前の、天智天皇の時代に開かれたという。書かれていたのは堂宇の説明だけではなかった。修験者が命名したさまざまな場所の謂れが細かく記録されていた。
廃仏毀釈の荒波に飲み込まれて遅島をあとにした、山根氏の父善照さんの言うにいわれぬ思い。今書き残して置かなければ自分の過去が全て消されてしまうという怖れ。それは、ひいては自分という存在そのものの否定にもつながりかねないのである。

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恵仁岩のいわれについての話題への応対から、山根氏も何か過去を背負っていそうな雰囲気を秋野は感じ取る。奇跡的だと思いませんかと、いう山根氏の言葉に秋野は自分自身を重ねてハッとするのである。
不思議な表現がある。つつましく抱えている空虚を、醸成し得る有機的なものであるかのごとくに注意深く見守る、どういうことだろうか。内的な虚脱感、打ちひしがれた思い、それを客観的に観察する。それができたなら、それはもはや空虚ではないのではないか。そうやって秋野はこの遅島で、精神の危機を乗り越えたのかも知れない。
各自が空虚を抱えて悶々とする内的な思いを、内圧から互いに吐露して傷を舐め合うことも可能だったはずだ。しかし、そうせずに、耐えるというような気負いもなく、ごく自然に互いを労わりながらも各自の思いを注意深く見守るように過ごせた沈黙の夜々こそが奇跡的ではなかったかと秋野は思うのだった。あの独特の夜々の沈黙。それが後年の自分のトーンのようなものを形作ったことを秋野は顧みる。そこには紛れもなくこれを述懐している時点での秋野が、何気なく顔を出している。物語に流れる時間とは別の時間が流れていることを読者は気付かされるのである。

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このあと山根さんのところに茶を届けに来た梶井君に思いがけず再開し、秋野は山根氏の勧めで、梶井君に島の踏査の案内を頼むことになる。そしてまずは耳取洞窟を目指すことになる。
語感から、みみとりは鳥の名かと単純に思い込んでいた秋野は、梶井君に耳なし芳一のイメージを聞かされ、自分の思慮のなさに唖然とする。波音には平家落人の伝説もあるのだという。秋野は梶井君の家で見た何かを祀っていたあとを思い出し、この島にかつていた、ものみみの存在に思い至るのである。
それぞれに過去を背負ってはいるものの、少ない登場人物がみな善意の人物であり、今を精一杯生きている。お互いの過去を気遣いながら、ごく自然に信頼関係を醸成していく。それはけっして側で見ているほど生易しいものではないだろうが、ぼくにはそれがなんとも羨ましい。かけがえのない時間が滔々と流れているのを感じる。秋野も過去を振り返って、今それを心から実感しているのである。

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翌日を準備に当てたあと、翌々日梶井君と笠取峠で待ち合わせて、秋野は耳取洞窟を目指す。山がないと生きられないと言った梶井君と黙々と歩く。
朝食は、山根さんのところで書生のようなことをやっている岩本氏が用意してくれた握り飯を2人で黙って食べる。それは固くて妙に力強く実直な食べ応えのある握り飯だった。本人その人から受ける印象よりも、その人が作り出したものの方が、その本質を示していることがある、と秋野はいう。本人の思いがそこに凝集するからなのだろう。これは秋野の口を借りた梨木さん自身の述懐といってもよいかも知れない。
秋野は梶井君に導かれて山を歩いた。秋野にとって、植物が光に導かれて伸びるように、梶井君こそが導きの光だった。そんな植物の悲しさ、それはその時の秋の自身の姿だった。語り手の秋野は、今それを感慨をもって顧みているのである。
さて、耳取洞窟は、草原の端に、芭蕉の大木がまるで入口の番人のように立つところだった。中に入ると、その圧倒的な静けさが迫って来る。秋野は辺りの気配が自分に集中して吸い込まれていくような感覚を味わう。そして次の瞬間、地の底を這うような声を聞いたような気がしてぞっとし、耐えられなくなって、秋野は梶井君を促して外に出たのだった。真っ黒な闇が口を開けて見つめているようで、秋野は後ろを振り返ることができなかった。

この章に登場する生き物たち
シイタケ/キジ/セミ/シダ類/芭蕉/キクガシラコウモリ
珍しくこの章は登場する生き物が少ない。むしろこの章はヒトが主体であるというべきか。(つづく)

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今年は雪がなかなか融けないと、戸隠の宿の方が書いておられた。奈良の南部でさえ4月に入ってから何度も降雪を見ているというのだからさもありなんと思う。サクラも葉桜になってはきているものの、まだ新芽も遠慮しがちで、咲き残っている花が結構目立つ。バス通りの並木に1本混じっているヤマザクラもまだ開く気配がない。今日も午後から予想外の冷たい雨になってしまった。明日からはようやく少しずつ気温が上がり始めるだろうという。
季節の進みをあまり実感できない今年の春ではあるけれど、今年は復活祭(イースター)が4月21日からと遅いので、まさにそれに合わせているかのような感もある。ちなみに昨年は4月1日からだった。その分、カンタータ以外の曲を聴く余裕がたっぷりあって、思いがけない曲に出会ったりもしている。これについてはまた機会を改めて書いてみることにしたい。
ラベル:読書 日常
posted by あきちゃん at 00:07| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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