2019年04月26日

梨木香歩さんの『海うそ』を読む(その6)

梨木香歩さんの『海うそ』を読む(その5)よりつづく)
沼耳─呼原 オニヤブソテツ/ツマベニチョウ 良信の防塁
翌朝、梶井君が多めに炊いた米を、秋野は握り飯にし、蕗の葉に包み昼の弁当にした。ウンキの漂う照葉樹林を行くうちに、大型の白い蝶が連れ立って乱舞しているのに遭遇する。次第に濃くなってくる海の匂いに、この島の山と海の距離の近さを思う。ヤギが、人に対して無関心な、ごく自然な、ある意味傍若無人な姿で闊歩している。やがて水平線が見え始め、11時過ぎ、良信の防塁に着く。
松林の影の崩れかけた石積みに沿って梶井君と感嘆しながら歩いた。石は温かみがあって、見ていて不思議に落ち着いた気分になる。一様でいてそうではなく、気細い時もあったのか、良信自身も気付かなかった何かを示す崩れた箇所もあるが、でももう執念としか思えない石積みに彼を突き動かしたものは何か、尾ノ崎湾の湾沿いにあった良信の石切り場を見て思う。何に対する防塁であったのか?
海うそに対して? 秋野はふと思う。山根さんのお父さん、善照さんが書き付けているような蜃気楼に、何かを見たのだろうか。しかし、梶井君にその話をすると、意外にも彼にとって海はさほど親しいものではなかったらしい。春の節句によもぎ餅と粟餅を持って潮干狩りに行く対象でしかなかったのである。
振り向くと、紫雲山が予想しなかった優しくなだらかな姿を現わしていた。男は15歳になると海の水と山の水で体を浄めてから紫雲山に登る。そして山頂近くに咲くヤマシャクナゲを折ってきて村のお堂に供えるのだという。梶井君によると、彼の集落では、それを好きな娘にあげる習わしもあるらしい。梶井君自身もそれを共有したかどうかを問うと、照れ具合が微笑ましくて、思わず笑みをこぼす秋野であった。
しかし、そんな優しい情感をかき消すかのように、林の方から、笛で虚しく死人の魂寄せでもしているようなアオバトの物悲しい声が響く。ここがかつてモノミミのいた島であることに念を押すような一文で本章は閉じられるのである。それまでのほのぼのとした描写が、一瞬の夢、束の間の間奏曲であったことを、読者は次章へ絶妙なつなぎであるこの文章によって思い知らさせるのである。

本章に登場する生き物たち
ネズミ/コノハヅク/アカショウビン/カラ類/シダ類/野蒜/蕗/アカガシ/ツマベニチョウ/アサギマダラ/シャリンバイ/ヤギ/松/オニヤプソテツ/アシカ/ヤマシャクナゲ/アオバト

目前に迫って来た10連休を思うと気が滅入る。初めのうちは期待もあったけれど、新年度に入って折角かかり始めたエンジンを急停止させられるのはやはりしんどい。
それに新天皇即位とそれに伴う改元一色になるのが目に見えている。天皇の代替わりを結果的に最大限政治利用している今の政府と、そのお先棒を担いで憚る所のないマスコミにはもううんざりだ。

それならば静かに山を歩くしかないかと思いきや、連休の中ほどにはズラリと雨マークが並んでいるではないか。人出が集中しそうだ。もうこうなったらわが家のワンコ達のノコノコする姿を見ながら読書に励むしかないのかも知れない。まあ、それはそれで貴重な時間にはなりそうで、ワンコたちの喜ぶ顔が見えるようだ。

遅れていて心配していたバス通りのヤマザクラが、無事開花してくれた。でも、折角開いてくれたというのに春の嵐が吹き荒れて、あっという間に葉桜になり行こうとしている。1週間と持たなかった。
明るいうちにカメラに収められず、仕方なく夜桜となった。背景が暗いせいかほとんど白にしか見えないが、別の日の朝バス停に急ぐ途中に見上げた時には、どんよりした曇り空を背景に、ほんわりと華やかなピンク色が鮮やかで、これが同じサクラかと驚いてしまった。
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多かれ少なかれ相対的な見方しかできないものだなぁと、今さらながら本質を見極めることの難しさを思い知ったのだった。そもそも絶対的なものなどあるのかという諦めに似た気分もあるけれど、せめてその存在を信じて生きてゆきたいものだと思う。

今朝の渋滞は半端でなかった。普段ならはやければ15分で行くところが3倍近くかかった。これも10連休を目前にしているからなのだろう。こんなところにも影響が出ていることを、沖縄の民意さえ踏む潰している人たちが顧みるはずもないのだけれど……
ラベル: 読書 日常
posted by あきちゃん at 21:36| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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