2019年06月20日

もう一つのヘ長調コンチェルト─ピーター・ゼルキンのCDを聴く─

今回は、少し前に書いたモーツアルトのピアノ・コンチェルト第19番ヘ長調の話の続きである。
若い頃聴いたヘ長調コンチェルトの定番は、ハスキル=フリッチャイ盤だった。モノラルなのは残念だったが、この曲を愛したクララ・ハスキルの思いがひしひしと伝わってくる名盤である。
当時、ベーム=ボリーニの第23番イ長調とのカップリングで出たレコードがもてはやされていた。ベームは嫌いではなかったが、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのポリーニが好きになれず、ぼくの周囲にアンチ・ポリーニが多かったこともあって、買おうという気にはなれなかった。
もちろんぼくが知らなかっただけなのかも知れないが、ヘ長調コンチェルトは、曲としてそれほど知られていた訣ではなかっただろう。だから、ベーム=ポリーニ盤が出なければ、ぼくがこの曲と出会うのはずっとあとのことになっていたに違いない。
そもそもぼくがこの曲を聴こうと思ったきっかけは、このベーム=ポリーニ盤にあるのだから、皮肉といえば皮肉だ。あの頃、モーツアルトのピアノ・コンチェルトの第20番よりも前を聴こうと思っても、全集を除くと、さほど選択肢がある訣ではなかった。今にして思えば贅沢な話だが、ゲザ=アンダの全集が廉価盤で分売されていた。ただ、全部買うなら別だが、1枚買おうと思ったら、あまりコスパのよいカップリングではなかった。有名曲ばかり組み合わせていては、販売に偏りが出てしまうだろうから、しかたのないことではあったのだろう。
とはいえ、第19番以前をしっかり聴こうとするには理想的な盤だっただろうに、当時アンダの廉価盤を推薦しているのは見たことがなかった。余談だが、この全集が今では安ければ5,000円もせずに手に入るのである。全く隔世の感とはこのことだと思う。

          §           §           §

話がなかなか本題に行き着かないが、そんなにもてはやされる曲なら、別の演奏で聴いてみようという天邪鬼根性で、ポリーニ以外の盤でとなったときに、クララ・ハスキル=フリッチャイ盤に行き当たったのである。確かこれも廉価盤だったように記憶する。
こんな不純な出会いが災いしてか、初めはハスキルの演奏でさえ心に響くことはなかったのだけれど、次第にヘ長調コンチェルトというと、このハスキル盤のイメージで固まってしまっていったのだった。若い頃最初に聞いた演奏のもつ影響の大きさは絶大だった。年を食ってからの方が、その点はずいぶんと言ってみれば融通が利くようになったと思う。
何故だろうか? 若い頃の方が、感受性が強く、一度聴いただけで曲のイメージを掴んでしまう、ということも一般論としてはあり得ようが、何せぼくのことであるから、感受性がどうのというのは烏滸がましい話だし、それ以上に年を重ねるにつれ記憶力が減退し物覚えが悪くなってきたことが要因として大きいのではないだろうか。
ポリーニについていえば、ぼくはこの人の演奏をまともに聴いたことは一度もない。技術はすごくても、機械のようで心のない演奏と言われては、聴こうという気には到底なれなかった。だからこそベームは、孫のようなこのピアニストを可愛がったのだともいう(指揮者の思う通りの色に染まるピアノになる)。
せめて自分の耳で聴いてから判断しても遅くはなかったし、そうするのが公正な態度といえるのだろうが、世評の高い演奏をいちいち聴いているほど暇はないというのが正直なところだった。みんなと同じ方向にはなびきたくない、そういう思いも強かった。
そんなこんなでだいぶん回り道をすることにはなったけれど、最終的にハスキルの演奏がこの曲のバイブルみたいなものとして記憶に留められることになったのである。ハスキルのピアノは、けっして特別なことはしていないのだが、独特な節回しに溢れた個性的なもので、聴き込むともうこれ以外にはないという気になるくらいに心をしっかりと掴んで離さない。まさにハスキル節にはまるのである。
よくハスキルのピアノはモコモコしているといわれる。内省的でこもる感じは確かにある。しかし、一旦その真綿のような優しさに包まれてしまうと、もう離れられなくなってしまう。ただ、彼女のピアノは徹底的に孤独だ。聴き手を包み込む優しさがある反面、けっして聴き手に寄り添ってきてはくれない。ツンとしているのではなく、限りなく優しいのだけれど、恥ずかしがって向こうを向いてしまう、そんな感じだ。
なので、ハスキルを聴くときは、それなりの覚悟が必要だ。勿論気楽に聴ける演奏などないのだけれど、ハスキルの場合特に受け身では聴けない演奏のように思う。初めて聴いたとき、あまり心に響いて来なかったのは、多分そんなことが影響していたのではないだろうか。

          §           §           §

さてさてこれでは前置きばかりで終わってしまう。ハスキルのことはまた改めて書くことにして主題に戻らなくては。
長らくハスキル盤のイメージから離れられなかったヘ長調コンチェルトについて、ゼルキン=セル盤によって新しい眼を見開かされたことは前に書いた。これはまさに目からウロコといってよい経験だった訣だが、それから程なくしてよもや再び同様の思いを味わわされることになろうとは、考えてもみなかった。しかも、ルドルフ・ゼルキンの息子、ピーター・ゼルキンの演奏によって!
ピーターのことは、まだレコードの時代だが、メシアンを演奏するタッシというグループを結成したことなどは知っていた。しかし、現代音楽はカラキシだったので、モーツァルトのピアノ曲やコンチェルトのレコードもあることを知っても、聴いてみようという気は起きなかった。セットだったか単売だったかは覚えていないが、10番代の協奏曲ばかりという、当時としてかなりマニアックな選曲だったことも食指が伸びなかった要因だろう。
ところが、最近SONYからボックスセットが出るという案内を偶々見つけて、これはと思うに至ったのである。父ゼルキンのモーツァルトのコンチェルトのセットも悩んだ挙句に求め、ヘ長調コンチェルトとの出会いをはじめ、かけがえのない演奏に出会えたのは前に書いた通りである。モーツァルトのコンチェルトのセットが親子とも同じレーヴェルから出るなどというのは、まずあり得ないことだろうが、子ゼルキンのコンチェルトを出していたRCAがSONYの傘下に入ったという偶然が、それを実現に導いたのである。

          §           §           §

第14番から第19番までの6曲のピアノ・コンチェルト(父ゼルキンと共演した2台のピアノのためのコンチェルトというまたとないボーナス付き)3枚と、ソナタや幻想曲など2枚のアルバム、それにタッシのクラリネット五重奏曲とピアノ五重奏曲の1枚という、全6枚組のモーツァルトのセットである。
975.jpg
〔ピーター・ゼルキン モーツァルトピアノコンチェルト集 SONY19075879582〕

届いて最初に聴いたのが、一番気になるヘ長調コンチェルトだったのはいうまでもない。3枚めのCDの後半である。音が流れ始めて、アッと唸らされてしまった。尋常でない速さである。父ゼルキンの旧盤以外は結構みな速めで、父ゼルキンもアバドとの新盤は速かったし、中でもバレンボイムの弾き振りの旧盤は、速いだけでなく、ある意味酔っ払ったようなともいえる自在なテンポの動きが独特で印象に残っていた。
しかし、子ゼルキンの速さは言語を絶していた(正確にいえば、絶しているように聞こえた)。オーケストラの前奏が終わって、ピアノが入ってくるところは、ブツブツと音を切って弾くものだから、余計に速さが強調されて聞こえてくる。
1回めはただ圧倒されて聴いているうちに終わってしまった。今のはいったいなんだったんだろう、と呆然とする思いだった。
しかし、2度めに勇気を奮い起こしてもう一度セットすると、不思議なこともあるものである、さっきはいくらなんでもと思われた速さが、全然気にならないというか、全く別の曲の様相でぼくの前に現れたのである。それはオペラ・ブッファ、まさにフィガロの音楽だった!
考えてみれば、第14番から第19番までは短期間に集中して書かれた上に、第17番のように、オペラ・ブッファそのものの音楽を体現しているような曲もある。しかもこれらの6曲は、作曲時期が近接しているだけでなく、出だしのリズムも共有していて、まさに六ツ子というに相応しいのである(これについては、「クラシック音楽徒然草」の記事「モーツァルト ピアノ協奏曲第19番ヘ長調 K.459  ひとつの頂点 2016-02-20 」〈https://blog.goo.ne.jp/amanuma14/e/50061fac25da3c56692cce957bec1162〉を参照)。
こうしてピーターの演奏で眼からウロコを落とされてしまうと、オペラ・ブッファとして聴こうとすると、なんとしても他の演奏は生ぬるく聞こえてしまう。ことに、リズムをつなげてレガート気味に主題を弾くハスキルの演奏などは、全く別の曲に思えてくるのだ。
もちろんそれはハスキルをはじめとする、つい最近深い感慨を抱かされた父ゼルキンも含めた演奏を否定するものではない。同じ楽譜から全く異なる2つの曲が立ち上がってくるということがいいたいのである。

          §           §           §

さらに驚いたことがある。ピーターの演奏がどれだけ速いのか、いくつかの演奏を数字で比べてみた。第一楽章が始まりオーケストラの主題提示が終わり、ピアノが主題を弾き始めるまでのタイムをとってみた。結果は次のとおりである。
バレンボイム旧盤 1′56″
ルドルフ・ゼルキン 2′08″
ピーター・ゼルキン 1′51″
マレイ・ペライア 2′02″
マリア・ジョアン・ピリス 2′01″
クララ・ハスキル=フリッチャイ 2′09″
ルドルフ・ゼルキン新盤 1′55″
リリー・クラウス 2′01″
確かにピーターが一番速いのは確かなのだが、速さはバレンボイムと5秒しか違わない。数字の上だけからみると、けっしてそんなに異常な速さという訣でもないのである。
遅い方もハスキルが飛び抜けてという訣ではなく、父ゼルキンの旧盤よりわずかに1秒遅いだけである。リズムや音のつなぎ方が速さのイメージに与える影響はかなり大きいのであろう。
結局最も速いものと最も遅いものの差は17秒で、この差をどうみるか。2分足らずで20秒近くだから、2割以上の違いではあるので、結構な差ではあるのかも知れないが、数字以上に印象の差異が出るものだと改めて知らされた。
まだヘ長調コンチェルト1曲を聴いただけだが、ヘ長調コンチェルトだけでも、このボックスセットを買った価値は十二分にあった。あたかも値段からいえばかつてのLPの1枚分である。父ルドルフ・ゼルキンのボックスセットと同様に、いやそれ以上に貴重かつお得な買い物だったといってよいだろう。
何気なく調べていたら、タッシが何十年かぶりに再結成され、しかも日本でコンサートを開いていたことを知った。その際にも復活することのなかった名盤がCDで容易に聴けるようなったことを心から喜びたい。
posted by あきちゃん at 02:14| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください