2019年09月21日

初めての北アルプス(その1)

憧れの、と言ったらちょっと違うのかも知れないけれど、いつかは行きたいと畏敬の念をもって思い続けてきた槍ヶ岳に登る機会がようやくにしてめぐってきた。学生時代に一度だけ槍・穂高の縦走が実現しそうになったことがあるが、理由は忘れたが、立ち消えになってしまった。
以来30数年、実は昨年も計画があったのだが、台風がやってきて中止せざるを得なくなってしまった。満を持して捲土重来を期した今年、還暦を目の前にして、初めて北アルプスの峰々を訪れることができたのである。総勢7人(うちお1人は、都合で後から上高地から入り槍沢を遡り、槍ヶ岳直下で合流というハードスケジュール)。ガイドをしてくださった先生ほか4人の、山行をともにされたみなさまに、まずは感謝!

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行程は、穂高駅からバスで中房温泉に入り前泊、早朝に中房温泉から合戦尾根を登って燕山荘、燕岳を往復したあといわゆる表銀座を大天井岳へ辿り、大天荘で一泊、西岳を経て、東鎌尾根を辿り、ヒュッテ大槍で一泊、そして翌朝まだ暗いうちに出発して槍ヶ岳山荘から槍ヶ岳の山頂へ往復し、槍沢から、槍沢ヒュッテ、横尾、徳沢、明神、上高地へと降るルートである。
バスの時刻の関係もあって中房温泉に入ったのが14時前で、この日は温泉巡りという予期せぬおまけが付いた。温泉裏の焼山に登って、砂地に穴を掘って卵やジャガイモをふかして食べる珍しい体験もできた。温泉は14箇所もあって、とても全部は回り切れなかったが、過半数を超える8つを踏破できた。

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さて、翌朝、山行の初日である。中房温泉を出て少し下って登山口に着くと、そこはもうものすごい人出だった。朝からバスで300人登って来るらしいというのを前の晩に温泉で耳にしていたが、駐車場は既に満杯。いったいどれだけの登山客がいることだろう。昨日あれだけあったテント場はもうもぬけの殻な だというのにこうなのだ。
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〔1早朝の中房温泉〕

登り始めてまた唖然。列が途切れない。まあしかし、こうなるとついて行くしかないから、帰って楽かも知れない。はじめのうちは樹林帯が続き、しかもいきなりの急登で、結構汗をかかされる。
45分ほどで第一ベンチ、さらに45分で第二ベンチ。ともに憩うに適した平場だが、何せすごい人で、あまりゆっくりできる状況ではない。
相変わらずの樹林帯を25分くらいゆくと第三ベンチ、さらに25分でようやく展望が開ける。富士見ベンチである。当たり前と言われそうだが、本当に富士山が見えて感激する。快晴の空に山々が美しく、これから辿る稜線の展望への期待がますます高まる。
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〔2八ヶ岳と南アルプスの間に富士山〕

ここから約45分で合戦小屋。中房温泉からほぼ3時間の行程である。スイカが名物とのことだが、用心して食べなかったのが、後から考えると返す返すも残念!
15分くらい休憩のあと、ひと登りで燕山荘に向かう稜線に出る。ここから燕山荘まではまだ標高差220m余りだが、展望が開け、天上散歩の趣。いやが上にも心の昂ぶりを覚える。
まもなく槍ヶ岳が顔を出す地点があるのを教えてもらった。あとで燕山荘から辿ることになる左手の稜線の上に、右側に小槍を入れて従えた、紛うことなき槍の穂先が望める! 実際には槍ヶ岳山荘のある肩から上の穂先の部分が見えるだけなのだけれど、ここから望む槍ヶ岳の姿は、その崇高さとともに、その巨大さの印象が忘れられない。最初に見た姿が一番印象深く刻まれたということはあるにせよ、今回の山行の中で一番遠くから眺めた槍ヶ岳が最も巨大というのは意外だ。このあともっと巨大な槍の姿を何度も見ることになる訣だから、実際の大きさというより、期待ないし予想した大きさとのギャップが関係しているのかも知れない。
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〔3稜線上に初めて顔を出す槍ヶ岳〕

展望に恵まれた空中散歩を70分程で、遠景だった燕山荘に着く。ここから燕岳へ水筒だけ持って空荷で往復。花崗岩のオブジェを眺めながら山頂に向かう往路も素晴らしかったが、これから辿る縦走路への期待が募る槍ヶ岳に至る稜線を正面に見ながらの復路はさらに素敵だった。まさに天上をフワフワと散歩する感じの、爽やかで軽快な稜線歩きが楽しめた。
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〔4燕山莊をめざす〕

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〔5稜線上に大きくなる槍ヶ岳〕

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〔6燕岳をめざす〕

もちろん燕岳山頂からの360度の遮るもののない展望には、これを表現する言葉をぼくはもたない。北アルプスの山並みから少し離れて、白山、劒岳。その右には鹿島槍と白馬方面の山塊が望まれる。いられるものなら1時間でも2時間でも佇んでいたかった。
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〔7燕岳山頂と鹿島槍・白馬方面〕

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燕山荘から縦走路に入ると、グッと登山者が減るのを実感する。ここまでなら日帰りも可能だか、ここから先に踏み込むと、山上での泊が必要になる。それでもここまでとは思わなかった。それだけ静かな山旅が楽しめる訣だが、逆にそれだけの覚悟が必要なルートということでもあるのだろう。
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〔8大天井岳をめざす稜線〕

それにしてもなんと贅沢な稜線歩きだろう! 刻々と姿を変えながら少しずつ近づいてゆく槍ヶ岳を終始眺めながら歩く爽快な稜線。結構なアルバイトなのだけれど、多少の高低差など忘れてしまう。
合戦尾根の途中で上に羽織っていたものを脱いでいたが、この2,500m級の稜線歩きに入ってからは、紫外線が強烈でむしろこれでも暑いくらい。長袖Tシャツに半袖を重ねただけの夏の服装で充分。背中のリュックの中の防寒具はいったいなんだったのだろうかと思ってしまう。
35分程で蛙岩、さらに75分程で為右衛門吊岩付近を通過。相変わらず槍ヶ岳の遠望を友とするまことに贅沢な稜線歩きが続く。右手に槍の穂先から豪快に落ちてゆく北鎌尾根が大きく、その向こうに双六岳からさらに北へ延びる北アルプスの主脈が、もうため息の出るばかり美しい山容をなびかせている。槍ヶ岳の向こうから、少しずつガスが上がっ来て、時おり穂先をかすめてゆく。
一方、行く手左には、次第に大天井岳が大きく立ちはだかり始める。それとともに目指す大天荘がはっきり見えるようになってくるが、姿が大きくなってくる分だけ、次第に見上げる位置になってきて、標高差の実感を余儀なくされてくる。そして切通岩から大天荘に向けて辿る斜めの道がはっきりと見えるようになる。
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〔9いよいよ巨大になる大天井岳〕


切通岩の前後の、喜作氏レリーフやハシゴがある部分を過ぎれば、いよいよ大天井岳への斜めの道の登りである。大天井岳本体の北側をトラヴァースして大天荘のある東側の肩を目指して真っ直ぐに登る道なのだが、結構な傾斜があり、家内はここで随分とへたばってしまった。大天荘まで400mなどの道標があって励まされるのだけれど、これほど距離と実感がかけ離れて感じられたことも珍しい。大天荘に着いたのは、15時を回った頃だった。燕山荘が遥か彼方に望まれ、1日の行程の長さを改めて思う。
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〔10辿って来た稜線を振り返る(左奥に燕岳)〕

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〔11大天荘へ迎うトラヴァース道〕

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〔12大天荘と大天井岳〕

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夕刻までの間、明るいうちに大天井岳を往復する。夕食は、到着が遅かった分だけ遅くなり、19:15から。なんと今日は三交替制だ。ハンバーグか、サバの味噌煮をメインとする豪華な夕食にまさに舌鼓を打つ。芋煮が美味しく懐かしかった。20時消灯なのでやや慌ただしかったが、心地よい眠りが待っていた。明日の朝食も三交替制。2番目の4:45を目指すこととし、4:30には並べるよう、4時起床を期して目覚ましをセットする。
本当に久しぶりの山小屋の夜。2,875mの夜は更けていく(その2につづく)。
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〔13大天井岳山頂〕

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〔14大天荘の夕食〕
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2019年09月12日

ほぼ半世紀ぶりの吉野山

遅い夏休みを取って、ほぼ半世紀ぶりに吉野を訪れた。数年前に近鉄と奈良交通がタイアップして、弘法大師の道というタイトルで、5回に分けて吉野から高野山まで歩く山歩きのツアーを企画したことがある。これが人気が高く、結局参加できずに終わってしまった。今回いつもの山の会で同じコースが計画されたので、これは是が非でも参加したいと思い、忙しくて8月中には取れなかった夏休みをこの時期に取ることにした次第。去年は夏休みを取らずじまいだったので2年ぶりということになる。
弘法大師の道第1回は、吉野の金峯山寺蔵王堂から中千本、上千本を抜けて吉野水分神社へ、そして高城山を越えて金峯神社、青根ヶ峰を辿り、さらに四寸岩山を越えて、九十丁に至るコースである。弘法大師の道と銘打っているけれど、次回登る最初のピークである大天井岳までは大峰奥駈道そのものであるから、今回のコースはそっくり大峰奥駈道でもある訣である。

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奈良に来て30年を経過したというのに、宮滝まで来た記憶はあるものの、どうしたことか吉野山には一度も足を運んだことがなかった。前に吉野山を訪れたのは、EXPO70つまり大阪万博の年で、小5の夏のことである。その頃大阪・千里にいた親戚の家を足場に万博を見に行くのに合わせ、奈良・大阪・京都と回った初めての奈良訪問の一日を吉野山に充てたのである。ロープウェイで吉野山に入り、苔清水までいって徒歩で戻って来たことはよく覚えていた。7月末の暑い日で、初めて聴いたヒグラシの鳴き声が余程印象深かったのか、「涼しげに鳴くヒグラシの声」(上の句は今すぐには思い出せない)を下の句とする短歌を初めて作って、夏休みの記録に書いたのを記憶していた。
しかし、どうやってそこまで行ったのかはよく覚えていなかった。覚えていたのは、苔清水と西行庵の分岐に来て、時間や疲れの関係で、どちらか片方にしようということになって、苔清水を選んだことだけで、あとはヒグラシの鳴き声にかき消されてしまったかのようだった。

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今日残暑厳しい中をフウフウいって中千本、上千本と辿りながら、当時よくこんなところを歩いて苔清水まで行ったなぁ、と感心しながら歩いていたのだったが、金峯神社まで来たところで、景色には全然記憶を呼び覚まされる部分がなかったから、何に触発されたという訣でもないのだけれど、当時の事情が朧気ながら浮かび上がってきたのである。
そうだった、金峯神社までバスで上がってきたのである、それは青根ヶ峰行きのバスではなかっただろうか。往路の長さをどうカヴァーしたのかの謎は、こうして現地に行ってみることで、あっけなく解決をみることになった。他に降りるお客が誰もいないなか、金峯神社で降りたのではなかったか。
苔清水からロープウェイー駅まで戻る行程は暑く長かった。吉野水分神社の脇も通ったはずであるが、今日訪うてみても全く記憶が甦らなかった。竹林院、蔵王堂と駅に近い方は、景色に見覚えはなかったものの、やっと戻って来たという思いを味わった記憶だけは残っていた。後醍醐天皇陵をみてくればよかっったという後悔をあとから味わったこともうっすらと記憶の彼方から浮かび上がってきた。考えてみれば、父も母も、今のぼくの年齢よりまだずっと若かったのだ。

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今日の行程の半分以上は舗装道歩きだったから、随分と楽なはずなのだが、残暑の季節の、しかも秋の空気に押されて南下してくる前線に向かって湿った空気が流れ込んでくるのだろう、それに歩き出しの標高が低いことも手伝って、真夏よりもしんどい山歩きではあった。途中、花矢倉の展望台などから望む、初めて見る吉野山の町並みと、その向こうの金剛山、葛城山、二上山、音羽三山、龍門岳などの盆地南部の山々などの、やや霞んではいたもののまさに圧巻の展望に助けられたところは大きかっただろう。
高城山で早いお昼を済ませ、金峯神社、青根ヶ峰と辿り、その先で舗装道から分かれて奥駈道に入る。ここからが今日の山行のハイライトで、四寸岩山までの標高差400m余り、時間にして1時間半余り。最初の舗装道歩きの疲れも手伝ってとてもきつくはあったが、充実した山歩きが楽しめた。
四寸岩山は、以前、西側の柏原山から登って西から東に横切って川上村方面に降った際に登って以来の二度目の来訪である。展望にはあまり恵まれないが、静かなよいピークだ。
最後は90丁でバスに拾ってもらって、途中まで辿った舗装道を吉野に戻ったのだけれど、走れども走れども吉野は遠く、よくぞこんなに歩いたものだなぁと感心しいしい戻ったことであった。途中、何度も野生のシカに出くわし、一度などは、とても人間には登れない急傾斜を駈け上がっていくのを目撃した。大きな角が印象的な牡鹿だった。

【追記】
ラベル:奈良 記憶
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2019年08月30日

真に空気を読んで行動するために

場の雰囲気をつかめず話の流れを理解できない人を、空気が読めないと言って貶すことが多い。空気の読めない人、すなわちKYは、流れに乗れないならともかく、流れを遮ったり、違う流れを作ろうとしたり、どちらかといえば無意識にそうしてしまう人の代名詞と言ってよいかも知れない。

敢えて発言せず黙っていれば、流れはそのままに維持される。黙っているのだから、表面上は確かに空気が読めないと言われることはないだろう。しかし、それで果たして逆に空気を読めていると言えるのだろうか? それは、空気を読んだというよりは、むしろ文字通り空気に流されたというべきだろう。

確かに、場の流れに逆らう発言をするのは勇気のいることである。場の力というのは大きなもので、流れを変えるには、想像以上に大きな力が必要になる場合が多い。それを振り絞るだけの気力がなくて、つい楽な方に流されるのが常なのである。

流されるだけならまだよい。流れに威嚇された上に、それに押し潰され、物理的にも精神的にも大きな傷を負わされることもしばしばである。その消耗たるや計り知れない。それは流れに逆らおうとして受ける傷と大差ないだろう。

それならば、やるだけのことをやって傷を受けるのとどちらがよいかと問われれば、それは人それぞれだとは思う。わが身を振り返れば、同じケガなら自分の意思を示した上での方がまだ達成感は残るだろうという思いがある。その方がカッコいいだろうとか、人としてそうあるべきだという観念論というか、精神論も頭をかすめる。

しかし、アクティブに動いていた時のケガは、その力が加わって大きなケガになることも多い。それに、動くのと動かないのとどちらが楽かと問われれば、それは動かない方に決まっている。出ばってあえて打たれるのは馬鹿馬鹿しいという思いが錯綜するのである。この思いは、出ばって打たれた杭を見せられたりすれば、倍加させられる。


翻って考えると、今の日本には、どうもこの空気が蔓延し、澱んでいるように思える。勇気をもって、おかしなものはおかしいと言える雰囲気、そのための新鮮な空気が圧倒的に不足している。空気を読むのではなく、読まずに流される流れが強くなっているのではないか?

それはけっして場に同調しているのではないが、結果的に消極的ながら同意したと見做されることになるだろう。敢えて流れに逆らわない、流れるままに任せるのは、無責任ともいえる態度なのではないか。

真に空気を読み、清濁を見極め、正義に従ってモノをいう勇気が、今ほど必要なことはない。流れに棹さすだけが、空気を読める人のなすべきことではないはずなのである。

もっとも空気を読めても、次の行動に移すのはけっして容易なことではない。そもそも相手は正義がなんたるか、その感覚が麻痺している連中である(目先の利益、あるいは偏執的かつ偏狭で自己中心的な信念に凝り固まって正義が見えなくなっているのであって、正義を知らないとは思いたくないが)。しかし、そのひと押しを躊躇っていてはならないだろう。

ためらいの結果が何をもたらすかは、歴史が証明している。歴史を美化するのみで、それを直視しないことから起きる悲劇を、我々は何度も学んできたはずなのだ。歴史に学ばないものは、歴史に滅ぼされる。歴史とは、流れとそれに抗う人々の織り成すタペストリのようなものなのか知れない。

人文系の科学に対する圧力は日増しに強くなっている。彼らにとって、学問的に有用であるかどうかは関係ないと言ってもよい。権力に役立たない、というよりその維持に邪魔な学問は不要なのである。そこまで考えての政策とは見えないのも確かで、そちらの方面の専門家を称する人々が、驚くほど幼稚、というかあっけらかんとしているのもまた周知の事実だ。

しかし、逆に理詰でないからこそなおさら、気付いた時にはもう遅い。筋道を通して論破するのは簡単なのだが、まず議論の土俵に乗らない。乗れば論破されるのはわかっているからである。そして、土俵に乗ったとしても、まともに噛み合う議論せず、はぐらかしに終始する。たとえ論破されてもその結果を直視せず、自己に都合のよいように解釈する。上から下までこうした事態が蔓延している。でも、理詰に論じることを諦めてはいけない。それはまさに思う壺だろう。

歴史を学ぶことそのものが、今大きな危機を迎えているのは紛れもない事実だ。過去を美化するだけの歴史なら、それは単なる物語に過ぎず、学問の体をなさない。歴史を学ぶことは、時代の空気の読み方を知ることにも通じる。本当の意味で空気が読め、そして行動できる人になりたいものだ。

posted by あきちゃん at 10:28| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2019年08月27日

不快だった夏もあと僅か

8月もあと1週間、もう2学期が始まっている学校もあるという。冬の長い母の田舎の学校は確かにそうだった。夏休みに遊びに行くと(それは母の貴重な里帰りの機会だったのだ!)、今日から学校と言って、従兄弟たちと遊んでもらえなくなってしょげたことを思い出す。でも今は、学校自体に余裕がなくなって、都会の学校でも9月開始が常識という訣ではなくなってきているのらしい。
今年の夏は、ひところ冷夏の予想もあったが、結果的にはそこそこ暑い夏だった。7月の終わりから本格的な暑さが到来し、連日の熱中症の記事がマスコミを賑わわせた。しかし、それも束の間、日本付近は熱帯の低圧帯に入り、台風の通り道になった。紀伊半島などの南東斜面に大雨をもたらすコースで心配したが、さほど大きな被害は報じられず、ホッとした。
台風のあと、まだ夏がしっかりしている時には、すぐ太平洋高気圧に抑えられてしまうのだが、今年はそうではなかった。明瞭な秋の高気圧がやってきている訣ではないが、日本付近に前線が眉毛のように描かれる日々が続く。晴れ間も結構出て、日中は暑さも大概だが、毎日夕立がやってくる。そのあとは、さっと暑さも収まる。1日の天気変化だけ見ていると、典型的な晩夏である。

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思い返すと、今年の夏は、暑さの割には不快な夏であった。参議院議員選挙は辛うじて野党が踏ん張ってくれて、最悪の事態への直結は免れたものの、その後の与党の暴走は目に余る。ゴルフ三昧の首相、御用マスコミ、似非学者、さらにはN国などという訣のわからぬ政治集団も跋扈し、さながら魑魅魍魎の世界の感がある。挙げ句の果てには、使い途もない余った遺伝子組み換えトウモロコシを押し付けられてくる始末。世界じゅうの物笑いの種もいいところだ。
この首相とて前はここまでバカ丸出しではなかったと思うのだが、元から本質は変わっていないと思うので、手の施しようがない。それに引き換え情けないのは、そのお先棒を担いで憚らないテレビ・新聞。サンケイ・読売は端から問題外だが、良心的な報道をして来たはずの、毎日・朝日までもが右へ倣えしてしまう、こんなことが起きるとは夢にも思わなかった。まさに忖度が跋扈する、上の立場の人ほど責任を取らない世界。いったいいつから日本はこんな下卑た国に成り下がったのか? いつか来た道は、こんなふうな歩みだっのか? 無責任体制の成れの果てに国民が犠牲を強いられたのではたまったものではない。大丈夫と高を括っていたことが、いとも簡単にほずれてしまう。

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しかし、気がついた時にはもう手遅れ、などと諦めてしまっていては相手の思うツボだ。越えてはいけない一線を平気で越える発言をする人々とそれを何とも思わない人々。当たり前のことを当たり前に言える社会はどこへ行ってしまおうとしているのか? 基本的人権などなくてもよいなどという、300年前からやって来たような人間が政治を担う社会。全員がそうだとは言わない。しかし、そうした前時代的な人間の存在を放っておくのはそれを認めているのと同義だ。どう見ても知的な集団とは思えない幼稚な政治屋に、この国は今勝手な方向に導かれようとしている。
歯車など元々ないのだろうが、タガが外れたようなこんな無惨な社会にしてしまった責任が、今のアベ政治にあることは誰が見ても疑いようがない。これが美しい国だとは聞いて呆れる。結局ツケは全て国民が負わされるのである。そうなってからではもう遅い。もういい加減に気付かなくては。命を奪われても、いや、仕方のないことだと諦めて、あの世へ旅立ちかねないほどにお人好しばかりになってしまったのだろうか? 幼稚さに惑わされて、その陰に隠された牙、狡猾さに注意を怠ってはならない。GSOMIA破棄は想定外だと政府は嘯くけれど、そうやって韓国側の対応を避難して嫌韓を煽る計算づくの反応ではないかという見方が必ずしも穿ちすぎとは思えないのである。こんな不快さは残暑とともにもう願い下げにしたい。
ラベル:日常 季節
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2019年08月18日

残暑の季節に出会った晩秋の音楽

FM放送などでふと耳にして、どこかで聴いた覚えのあるなつかしい曲なのに、俄には誰の何という曲かわからなくて、ホゾを噛まされることがよくある。曲の終わりに「ただいまのは……」とアナウンスしてくれるかも知れないという淡い期待も打ち砕かれて、もうそうなるとあとは記憶から遠離るのを待つしかない。たいていはそういう結末を迎える。先日も同じようなことがあって、ああまた今度もかと初めから諦めていて、実際もう半ば忘れかけていた。ところが、偶然というのか必然というのか、その曲に巡り会えるという稀有なことが起こったのである。
いつもイヤホンで音楽を聴きながら寝るのだが、いつもは数曲聴くか聴かないかで寝就いてしまうのが常なのに、その時はめずらしくCDの終わりまでいってしまった。半ば眠ったような状態のまま、iPhoneで次のアルバムを探そうとした。なぜそのアルバムを選んだのか、その時の心の動きは自分でも明らかにできないのだが、ともかくそのアルバムの、しかも初めからではなく、特定の1曲を選んだのだった。そのアルバムを選んだのも偶然、その中の途中にあるその曲を選んだのはさらに偶然……。
温が木が静かに流れ出す。すぐにはあの曲だとは気付かなかった。しかし、なつかしさが徐々に満ち溢れてくる。ああ、諦めていたあの曲だ! 心が満たされてくるのがわかる。ああ、あの曲に違いない、このあいだのあの曲だ。ラジオから流れてくるのを聴いた時と同じ心の満たされる体験を、半分寝ながらではあるけれど味わっていた。そのままぐっすりと寝に就いたのだった……。

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その曲は、ブラームスの間奏曲イ長調。作品118の6つの小品の、2曲めに収められた5分たらずの曲である。感情をうちに秘めながら、それを抑えて静かに展開する。中間部で短調に移行し一瞬思いを吐露しそうになりながら、長調との間を行きつ戻りつしながらそれをそっと抑えて、何事もなかったかのように終結の長調に戻る。
今回、この間奏曲にイ長調に出会ったCDは、フリードリッヒ・ヴィルヘルム・シュヌアーの弾くブラームス・ピアノ作品集である(MM2146)。大江健三郎さんの本で知り、主題と変奏曲ニ短調作品18をめあてに求めたものである。曲が曲だけに、そうしょっちゅう耳を傾けてるような曲ではないし、作品118と作品119の小品集が一緒に収められているのはわかっていたが、一通り聴いたあとは、あまり食指は伸びないアルバムだった。
最初に聴いたのが誰の演奏だったのかはもう覚えていないけれど、このブラームス晩年の小品集が珠玉のような作品であることは記憶していた。猛暑の季節になぜこの晩秋そのものの音楽を聴きたくなったのかは定かでないが、半分眠った状態の神経が、ひとときの安らぎを求めたとしかいいようがないだろう。
フリードリッヒ・ヴィルヘルム・シュヌアー.ブラームス・ピアノ作品集(MM2146).jpg
〔フリードリッヒ・ヴィルヘルム・シュヌアー、ブラームス・ピアノ作品集(MM2146)〕

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不思議なのは、けっして2曲目のこの間奏曲イ長調を意図して選んで聴こうとした訣ではなかったことである。シュヌアーのCDに晩年の小品集が入っていることは覚えていたから、それを聴きながら癒やされて寝たいと漠然と考えたものらしい。ところが、並んでいる曲名をタップする際に、「6つのピアノ小品作品118間奏曲」、と書かれた行が第1曲であるのに、次の行の「間奏曲」と書かれただけの第2曲に先に目が行ってしまったらしい。寝ぼけ眼で選曲したために、まさに運命の作品118-2と出会うことになったのだった。
1曲の違いだから、118-1を選んでいたとしても、次に118-2は出て来る訣だから、遅かれ早かれ耳にしていた可能性はあるのだけれど、そこまで目覚めていたという保証は全くない。2曲めが流れ出す前に寝てしまっていた可能性が高いのではないかと思う。この曲を聴くために、まるで曲に導かれるがままに、無意識のうちに操作していた、そんな風にしか考えられないのである。
FMで耳にして、曲名を明かさぬままそれが消えてしまったとき、誰の曲だろうかと考え、シューマン、ブラームスは真っ先に候補に上った。しかし、あまり聴いたことのないドビュッシーの前奏曲とかの可能性はないのかとかと考えたとき、ああもうこれは探し当てられる可能性は限りなく小さいなと、諦めてしまっていたのだった。それがこんなふうに解決を見ようとは!

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ブラームスの音楽は、一言でいえば晩秋の音楽である。気持ちの昂揚しているときに聴く音楽ではないだろう。常に愛聴するような音楽でもない。しかし、ふと、聴きたくなるときが必ずある、そういう音楽である。暗いのは確かだろう。それを諦観と呼ぶとすれば確かにそうなのだが、それはけっして諦めではない。確固たる信念に支えられた、先を見据えた思い、それは一つの境地といってよいものだろう。
繰り返すが、毎日耳にしたいと思う曲ではない。しかし、この曲を存在を知っていることが、人生のさまざまな場面で必ずや何かしらの意義をもつであろうことを確信できるのだ。バッハやモーツァルトのもつ普遍性とは異質といえようが、ともに人類の至宝であるのは敢えていうまでもあるまい。
ラベル:音楽 CD 季節
posted by あきちゃん at 12:01| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする