2018年01月21日

新しく見出した曲のことなど─付2018年のカンタータリスト

ついこの間年が明けたと思っていたのに、もう20日である。暦の上では今日が大寒とのことだが、今年は冬の到来が早かったので、まだ大寒?という思いもあるけれど、時間の進む速度はまさに加速度的で全く容赦がない。ただ、来週はまた、まさに大寒というべき寒波がやって来そうな気配もあって、時間の加速を辛うじて相殺してくれている、そんな感じもする。
そんなこんなで教会暦に沿って聴くはずのカンタータがついつい置いてきぼりを喰らいがちになっている。とても聴き比べている余裕などないのが実状だけれど、レオンハルトの演奏のある曲はまずレオンハルトで、ないものは基本に返って(?)ガーディナーでという感じで、どうにかひと通りだけは聴いている。

          §           §           §

変わったことと言えば、凝りもせずまた新しいカンタータ選集を入手したことくらいだろうか。シギスヴァルト・クイケンの未完のまま完結した(ことになっている)カンタータの19枚組のボックスセットである(ACC25319)。Tさんにいただいた古い録音のBWV82の暖かい演奏が忘れられなくて、レオンハルトもまだ全部聴いた訣ではないのに、ほとんど衝動買いしてしまった。
シギスヴァルト・クイケン&ラ・プティット・バンド 教会カンタータ集(ACC25319) .jpg
〔シギスヴァルト・クイケン&ラ・プティット・バンド 教会カンタータ集(ACC25319)〕

このカンタータ選集とともにもう一つ入手したクイケンの演奏がある。無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータの旧版の全集である。バッハの無伴奏ヴァイオリンといえば、個人的にはコンサートでも聴いたことのあるヘンリク・シェリングで決まりだったが、この堂々とした威厳あふれる演奏は、そう安易に聴けるものではなかった。ことにパルティータ第2番のシャコンヌはそうで、シェリングの生の圧倒的な演奏に接して以来、当時持っていたレコードも聴けなくなってしまった。
それでもCDの時代に入って、同じ演奏を入手するだけはした。しかし、10年も聴けずにいるうちに、ふとシャコンヌの旋律を耳にする機会があって、気持ちが揺れ始めた。ただそれでも、シェリングに帰るのを躊躇っていたときに、カンタータで感銘を受けたクイケンの無伴奏の高い評価を知ることになったのである。新旧2種類あるうち、敢えてBWV82と録音時期の近い旧版を選んだ。
クイケン 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲(GD77043).jpg
〔クイケン 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲(GD77043)〕

しみじみと暖かい演奏である。予想通りBWV82に近いものがあるように思う。もちろんぼくにとってシェリングの演奏が絶対的であるのに変わりはないのだけれど、この曲のイメージを一新させてくれたといってよい。何が違うのか言葉でうまく表現する術をもたないのがもどかしいが、こういう弾き方もあり得るのだ。カンタータ選集の方はまだまだこれからであるが、ますます期待が高まる。

          §           §           §

もう一つこの間に見直した曲がある(見直したなどというのは烏滸がましくて、曲がわかっていなかっただけのことである)。セバスチャン・バッハのパッサカリアとフーガハ短調BWV582である。この曲そのものは、ケンプの平均律第2巻の抜粋のあとにフランス組曲第5番が続くCDの最後に、オルガン演奏で収められていて聴いたことはあった。しかし、オルガン曲にあまり馴染みがないことと、ハ短調の暗い曲想が相俟ってか、なかなか最後まで聴き通すことができなかった。このCDはもっぱらフランス組曲ばかりを聴いてきたといってよかったのである。
きっかけは、エフゲニー・コロリオフによるバッハのトランスクリプションのCD(TACET192)で、コロリオフ夫妻によるピアノ・デュオの演奏である。コロリオフという人の演奏は、インヴェンションとシンフォニアを持っていただけだったが、偶々このCDを入手し、この演奏に感銘を受けたのである。ケンプの演奏が悪かろうはずはないので、これは偏にぼくの耳がオルガンに付いて行けなかったところに原因があるのだが、コロリオフの演奏が素晴らしいのもまた確かだろう。
コロリオフ/バッハ:編曲作品集(ACET192).jpg
〔コロリオフ/バッハ:編曲作品集(ACET192)〕

ケンプのオルガンは8小節の主題を比較的あっさりと弾いているように思うが、コロリオフは主題をタップリと思い込めてじっくりと弾く。計ってみると、ケンプは21″、コロリオフは27″である。約3割遅いのである。全体のタイムはケンプは13′15″、コロリオフは13′51″でそれほど大きな違いはないから、主題提示部分のタイムの違いは歴然である。ピアノの低音で主題がしっかりと刻み込まれるのである。それにコロリオフのピアノの音色の透明さがこの曲の曲想にマッチして限りなく美しく、また繰り返される変奏のダイナミズムという点で、オルガンよりはピアノの方がいわばメリハリが利きやすいのも、心に響いた要因の一つだろう。
コロリオフの演奏でこの曲に引き込まれた耳で、改めてケンプのオルガンを聴いてみると、なぜこの曲をこれまで受け付けなかったのか、自身の不明を恥じ入るばかりだ。自分の耳の頑固さに呆れてしまう。

          §           §           §

少し出遅れたが、今年もまた教会暦順のカンタータ一覧を整理し、心覚えとしておくこととする(レオンハルトやクイケンの演奏も加えた)。
【2018年教会暦順カンタータ・リスト】
・2018/1/1 新年
  BWV190(ガーディナー56、鈴木21、ビラー2)
  BWV41(ガーディナー2、鈴木33)
  BWV16(ガーディナー2、鈴木42、レオンハルト5、クイケン3)
  BWV171(ガーディナー2、鈴木49、リヒター2)
  BWV143(ガーディナー2、鈴木5、レオンハルト44)
  BWV248/4
  BWV134a
・2018/1/6 顕現節
  BWV65(ガーディナー3、鈴木21、ヴェルナー1、ビラー3、リヒター3、クイケン3)
  BWV123(ガーディナー3、鈴木32)
  BWV248/6
・2018/1/7 顕現節後第一日曜
  BWV154(ガーディナー4、鈴木17、クイケン3)
  BWV124(ガーディナー4、鈴木32、リヒター3)
  BWV32(ガーディナー4、鈴木42、ヴェルナー2)
・2018/1/14 顕現節後第二日曜
  BWV155(ガーディナー5、鈴木5)
  BWV3(ガーディナー5、鈴木29、ビラー3)
  BWV13(ガーディナー5、鈴木42、レオンハルト5、リヒター3、クイケン4)
・2018/1/21 顕現節後第三日曜
  BWV73(ガーディナー6、鈴木17、レオンハルト22、クイケン4)
  BWV111(ガーディナー6、鈴木32、リヒター4)
  BWV72(ガーディナー6、鈴木42、ビラー3)
  BWV156(ガーディナー6、鈴木49)
・2018/1/28 復活節前第九日曜(七旬節)
  BWV144(ガーディナー9、鈴木17、レオンハルト44、クイケン4)
  BWV92(ガーディナー9、鈴木33、ヴェルナー3、レオンハルト28、リヒター5)
  BWV84(ガーディナー9、鈴木41)
・2018/2/2 マリアの浄めの祝日
  BWV83(ガーディナー8、鈴木21)
  BWV125(ガーディナー8、鈴木32、ビラー9)
  BWV82(ガーディナー8、鈴木38・41、ヴェルナー3、リヒター4、クイケン14)
  BWV200(ガーディナー8、鈴木37、ヴェルナー19)
・2018/2/4 復活節前第八日曜(六旬節)
  BWV18(ガーディナー10、鈴木5、クイケン5)
  BWV181(ガーディナー10、鈴木17、レオンハルト54)
  BWV126(ガーディナー10、鈴木34、レオンハルト39、リヒター5)
・2018/2/11 復活節前第七日曜(五旬節)
  BWV22(ガーディナー11、鈴木8、レオンハルト8、ビラー4)
  BWV23(ガーディナー11、鈴木8、ヴェルナー3、レオンハルト8、ビラー4、リヒター5、クイケン5)
  BWV127(ガーディナー11、鈴木34、レオンハルト39)
  BWV159(ガーディナー11、鈴木49、レオンハルト48)
・2018/3/4 四旬節第三日曜
  BWV54(ガーディナー12、鈴木3、レオンハルト17、クイケン6)
・2018/3/25 受胎告知の祝日
  BWV1(ガーディナー12、鈴木34、ヴェルナー4、ロッチュ2、ビラー9、リヒター6、クイケン5)
・2018/3/25 棕櫚の日曜日
  BWV182(ガーディナー12、鈴木3、ヴェルナー4、ビラー4、リヒター6、クイケン6)
・2018/4/1 復活節第一日
  BWV4(ガーディナー13、鈴木1、ヴェルナー5、ロッチュ3、ビラー5、リヒター7)
  BWV31(ガーディナー13、鈴木6、ヴェルナー6、ロッチュ7、ビラー5)
  BWV160(ヴェルナー12)
  BWV249(ヴェルナー5、クイケン7)
・2018/4/2 復活節第二日
  BWV66(ガーディナー13、鈴木18、ロッチュ7、レオンハルト20)
  BWV6(ガーディナー14、鈴木36、ヴェルナー6、リヒター7、クイケン7)
・2018/4/3 復活節第三日
  BWV134(ガーディナー14、鈴木18、ロッチュ3、レオンハルト42、クイケン6)
  BWV145(ガーディナー14、鈴木50)
  BWV158(ガーディナー15、鈴木41、レオンハルト48、リヒター7)
・2018/4/8 復活節後第一日曜
  BWV67(ガーディナー15、鈴木18、ヴェルナー7、レオンハルト21、ビラー5、リヒター7、クイケン8)
  BWV42(ガーディナー15、鈴木36)
・2018/4/15 復活節後第二日曜
  BWV104(ガーディナー16、鈴木19、ヴェルナー6・20、リヒター8)
  BWV85(ガーディナー16、鈴木39、ヴェルナー7・20、クイケン8)
  BWV112(ガーディナー16、鈴木52)
・2018/4/22 復活節後第三日曜
  BWV12(ガーディナー17、鈴木3、レオンハルト4、リヒター8、クイケン8)
  BWV103(ガーディナー17、鈴木36、ヴェルナー7、レオンハルト32)
  BWV146(ガーディナー17、鈴木44)
・2018/4/29 復活節後第四日曜
  BWV166(ガーディナー18、鈴木19、レオンハルト49)
  BWV108(ガーディナー18、鈴木36。リヒター9、クイケン9)
・2018/5/6 復活節後第五日曜
  BWV86(ガーディナー19、鈴木19、クイケン9)
  BWV87(ガーディナー19、鈴木35、ヴェルナー7、リヒター9)
・2018/5/10 昇天節
  BWV43(ガーディナー20、鈴木44、ヴェルナー8、ビラー6)
  BWV37(ガーディナー20、鈴木19、ビラー6)
  BWV128(ガーディナー20、鈴木35、レオンハルト40、ビラー6)
  BWV11(ガーディナー20、ヴェルナー8、リヒター10、クイケン9)
・2018/5/13 昇天節後日曜(復活節後第六日曜)
  BWV44(ガーディナー21、鈴木20、リヒター10、クイケン9)
  BWV183(ガーディナー21。ガーディナー15の2000年4月末ドイツにて録音のものとは別の、2000年6月4日のイギリスでの録音。短期間に2度の録音を行ったことになる〉、鈴木39)
・2018/5/20 聖霊降誕節第一日
  BWV172(ガーディナー22、鈴木7、ヴェルナー4、ロッチュ2、レオンハルト51、ビラー7)
  BWV59(ガーディナー22、鈴木20)
  BWV74(ガーディナー22、鈴木35、レオンハルト23、ビラー7)
  BWV34(ガーディナー22、鈴木48、ヴェルナー8、ビラー7、リヒター10、クイケン10)
・2018/5/21 聖霊降誕節第二日
  BWV173(ガーディナー23、鈴木20、ロッチュ5、クイケン10)
  BWV68(ガーディナー23、鈴木39、ヴェルナー9、ロッチュ2、リヒター11)
  BWV174(ガーディナー23、鈴木50)
・2018/5/22 聖霊降誕節第三日
  BWV184(ガーディナー24、鈴木20、レオンハルト55、クイケン10)
  BWV175(ガーディナー24、鈴木39、リヒター11)
・2018/5/27 三位一体節
  BWV194(ガーディナー25、鈴木16、ビラー8)
  BWV176(ガーディナー25、鈴木35)
  BWV165(ガーディナー25、鈴木4、レオンハルト49)
  BWV129(ガーディナー25、鈴木45、レオンハルト40、リヒター11、クイケン10)
・2018/6/3 三位一体節後第一日曜
  BWV75(ガーディナー27、鈴木8、レオンハルト23、ビラー8)
  BWV39(ガーディナー27、鈴木45、ヴェルナー9、レオンハルト13、リヒター12)
  BWV20(ガーディナー27、鈴木22、クイケン11)
・2018/6/10 三位一体節後第二日曜
  BWV2(ガーディナー28、鈴木29、クイケン11)
  BWV76(ガーディナー28、鈴木9、ヴェルナー10、リヒター12)
・2018/6/17 三位一体節後第三日曜
  BWV21(ガーディナー29、鈴木6・12、ヴェルナー11、ロッチュ4、リヒター13)
  BWV135(ガーディナー29、鈴木29、レオンハルト42、リヒター12、クイケン12)
・2018/6/24 洗礼者ヨハネの祝日
  BWV167(ガーディナー26、鈴木9)
  BWV7(ガーディナー26、鈴木22、ヴェルナー9、レオンハルト3)
  BWV30(ガーディナー26、鈴木55、ヴェルナー10、リヒター14)
・2018/6/24 三位一体節後第四日曜
  BWV24(ガーディナー30、鈴木9、リヒター13)
  BWV185(ガーディナー30、鈴木4)
  BWV177(ガーディナー30、鈴木53、クイケン12)
・2018/7/1 三位一体節後第五日曜
  BWV93(ガーディナー31、鈴木23、リヒター14、クイケン12)
  BWV88(ガーディナー31、鈴木44、レオンハルト27)
・2018/7/2 マリアのエリザベト訪問の祝日
  BWV10(ガーディナー28、鈴木23、ヴェルナー11、ロッチュ1、レオンハルト4、リヒター15、クイケン11)
  BWV147(ガーディナー53、鈴木12、ヴェルナー12、、ビラー9、リヒター15)
BWV189
・2018/7/8 三位一体節後第六日曜
  BWV9(ガーディナー32、鈴木53、レオンハルト3、リヒター16、クイケン13)
  BWV170(ガーディナー32、鈴木37、レオンハルト51)
・2018/7/15 三位一体節後第七日曜
  BWV186(ガーディナー33、鈴木10、クイケン13)
  BWV107(ガーディナー33、鈴木23、レオンハルト33)
  BWV187(ガーディナー33、鈴木45、レオンハルト56、リヒター16)
・2018/7/22 三位一体節後第八日曜
  BWV178(ガーディナー34、鈴木23、リヒター16、クイケン14)
  BWV136(ガーディナー34、鈴木11)
  BWV45(ガーディナー34、鈴木46、レオンハルト15、リヒター17)
・2018/7/29 三位一体節後第九日曜
  BWV94(ガーディナー35、鈴木22)
  BWV168(ガーディナー35、鈴木40、クイケン13)
  BWV105(ガーディナー35、鈴木10、ヴェルナー12、リヒター17)
・2018/8/5 三位一体節後第十日曜
  BWV46(ガーディナー36、鈴木11、レオンハルト15)
  BWV101(ガーディナー36、鈴木31)
  BWV102(ガーディナー36、鈴木46、ヴェルナー13、リヒター17、クイケン14)
・2018/8/12 三位一体節後第十一日曜
  BWV199(ガーディナー37、鈴木4、リヒター18)
  BWV179(ガーディナー37、鈴木10、リヒター18、クイケン15)
  BWV113(ガーディナー37、鈴木24、レオンハルト35)
・2018/8/19 三位一体節後第十二日曜
  BWV69a(ガーディナー38、鈴木13)
  BWV137(ガーディナー38、鈴木40、ヴェルナー13、ロッチュ4、リヒター18)
  BWV35(ガーディナー38、鈴木37、クイケン15)
・2018/8/26 三位一体節後第十三日曜
  BWV77(ガーディナー39、鈴木13、レオンハルト24)
  BWV33(ガーディナー39、鈴木24、レオンハルト11、リヒター19)
  BWV164(ガーディナー39、鈴木40、レオンハルト49、クイケン15)
・2018/9/2 三位一体節後第十四日曜
  BWV25(ガーディナー40、鈴木13)
  BWV78(ガーディナー40、鈴木25、ヴェルナー13、リヒター19)
  BWV17(ガーディナー40、鈴木46、リヒター19、クイケン15)
・2018/9/9 三位一体節後第十五日曜
  BWV138(ガーディナー41、鈴木11、クイケン16)
  BWV99(ガーディナー41、鈴木25)
  BWV51(ガーディナー41、鈴木30、ヴェルナー14・19、レオンハルト16、リヒター20)
  BWV100(ガーディナー41、鈴木54、レオンハルト31、リヒター20)
・2018/9/16 三位一体節後第十六日曜
  BWV161(ガーディナー43、鈴木5)
  BWV95(ガーディナー43、鈴木11)
  BWV8(ガーディナー43、鈴木24、ヴェルナー14、レオンハルト3、リヒター21)
  BWV27(ガーディナー43、鈴木47、リヒター20、クイケン16)
・2018/9/23 三位一体節後第十七日曜
  BWV148(ガーディナー44、鈴木14、リヒター21)
  BWV114(ガーディナー44、鈴木25、レオンハルト35)
  BWV47(ガーディナー44、鈴木47、クイケン16)
・2018/9/29 大天使ミカエルの祝日
  BWV50(ガーディナー42、鈴木13、ヴェルナー14、ロッチュ10、ビラー10)
  BWV130(ガーディナー42、鈴木33、ヴェルナー14、リヒター26)
  BWV19(ガーディナー42、鈴木46、ヴェルナー15、ビラー10)
  BWV149(ガーディナー42、鈴木50、ヴェルナー15、レオンハルト45)
・2018/9/30 三位一体節後第十八日曜
  BWV96(ガーディナー45、鈴木26、リヒター22、クイケン16)
  BWV169(ガーディナー45、鈴木37)
・2018/10/7 三位一体節後第十九日曜
  BWV48(ガーディナー46、鈴木14)
  BWV5(ガーディナー46、鈴木27、リヒター22)
  BWV56(ガーディナー46、鈴木41、ヴェルナー16、レオンハルト17、リヒター¥、クイケン17)
・2018/10/14 三位一体節後第二十日曜
  BWV162(ガーディナー48、鈴木3)
  BWV180(ガーディナー48、鈴木26、ヴェルナー15、レオンハルト54、リヒター23、クイケン17)
  BWV49(ガーディナー48、鈴木50)
・2018/10/21 三位一体節後第二十一日曜
  BWV109(ガーディナー49、鈴木14)
  BWV38(ガーディナー49、鈴木29、リヒター23)
  BWV98(ガーディナー49、鈴木48、ヴェルナー16、レオンハルト30、クイケン17)
  BWV188(ガーディナー49、鈴木49)
・2018/10/28 三位一体節後第二十二日曜
  BWV89(ガーディナー50、鈴木14、レオンハルト27)
  BWV115(ガーディナー50、鈴木27、リヒター24)
  BWV55(ガーディナー50、鈴木38、レオンハルト17、リヒター23、クイケン17)
・2018/10/31 宗教改革記念日
  BWV80(ガーディナー47、鈴木27、ヴェルナー18、ロッチュ10、ビラー10、リヒター26)
  BWV79(ガーディナー47、鈴木40、ヴェルナー17、ロッチュ10、レオンハルト25、ビラー10)
・2018/11/4 三位一体節後第二十三日曜
  BWV163(ガーディナー51、鈴木4)
  BWV139(ガーディナー51、鈴木28、リヒター24)
  BWV52(ガーディナー51、鈴木38、レオンハルト17、クイケン18)
・2018/11/11 三位一体節後第二十四日曜
  BWV60(ガーディナー50、鈴木15、リヒター24、クイケン18)
  BWV26(ガーディナー7、鈴木28、ヴェルナー16、ロッチュ5、リヒター24)
・2018/11/18 三位一体節後第二十五日曜
  BWV90(ガーディナー46、鈴木15、ヴェルナー16、レオンハルト27)
  BWV116(ガーディナー45、鈴木28、リヒター25、クイケン18)
・2018/11/25 三位一体節後第二十六日曜
  BWV70(ガーディナー53、鈴木15、ヴェルナー17、リヒター25、クイケン19)
・2018/12/2 待降節第一日曜
  BWV61(ガーディナー52、鈴木7、ヴェルナー1、ロッチュ8、ビラー1、リヒター1、クイケン1)
  BWV62(ガーディナー52、鈴木28、ビラー1、クイケン1)
  BWV36(ガーディナー52、鈴木47、ロッチュ8、ビラー1、クイケン1)
・2018/12/23 待降節第四日曜
  BWV132(ガーディナー53、鈴木7、レオンハルト41、リヒター1、クイケン1)
・2018/12/25 降誕節第一日
  BWV63(ガーディナー1、鈴木7、ビラー2、リヒター1)
  BWV191(ガーディナー1、鈴木55)
  BWV91(ガーディナー54、鈴木31、レオンハルト28、クイケン2)
  BWV110(ガーディナー54、鈴木43、ヴェルナー2、ロッチュ9、ビラー2)
BWV197a(鈴木54)
・2018/12/26 降誕節第二日
  BWV40(ガーディナー54、鈴木15、ヴェルナー1、ロッチュ9、レオンハルト13)
  BWV121(ガーディナー54、鈴木31、リヒター2)
  BWV57(ガーディナー55、鈴木43、ヴェルナー2、クイケン2)
・2018/12/27 降誕節第三日
  BWV64(ガーディナー55、鈴木13、リヒター2)
  BWV133(ガーディナー55、鈴木31、レオンハルト41)
  BWV151(ガーディナー55、鈴木43、レオンハルト46、クイケン2)
・2018/12/30 降誕節後第一日曜
  BWV152(ガーディナー56、鈴木5)
  BWV122(ガーディナー56、鈴木26、クイケン2)
  BWV28(ガーディナー56、鈴木39、ヴェルナー1、リヒター2)
2018年には該当日がないもの
 新年後第一日曜(降誕節後第二日曜)
  BWV153(ガーディナー3、鈴木17、クイケン3)
  BWV58(ガーディナー3、鈴木38、リヒター3)
  BWV248/5
 顕現節後第四日曜
  BWV81(ガーディナー7、鈴木21、リヒター4、クイケン4)
  BWV14(ガーディナー7、鈴木54、レオンハルト5) 
 三位一体節後第二十七日曜
  BWV140(ガーディナー51、鈴木52、ヴェルナー17・20、ロッチュ8、リヒター25、クイケン18)
・その他の用途及び用途未詳のもの
 悔い改めの礼拝用
  BWV131(ガーディナー31、鈴木2、ヴェルナー18)
 市参事会交代式用
  BWV 29(鈴木52、ロッチュ6)
  BWV 69(鈴木55)
  BWV 71(鈴木2、ロッチュ9)
  BWV 119(鈴木16、ヴェルナー19、ロッチュ6)
  BWV 120(鈴木48)
  BWV 193
 結婚式用
  BWV120a(鈴木51)
  BWV195(鈴木51、レオンハルト58)
  BWV196(鈴木1)
  BWV197(鈴木54、レオンハルト59)
 葬儀・追悼用
  BWV106(鈴木2、ヴェルナー19、ロッチュ7、レオンハルト33、リヒター26)
  BWV118
  BWV157(鈴木51、レオンハルト47)
  BWV198(ロッチュ11、レオンハルト60)
 用途未詳
  BWV97(ガーディナー19、鈴木53)
  BWV117(ガーディナー18、鈴木48、レオンハルト36)
  BWV150(ガーディナー15・ガーディナー21〈別テイク〉、ヴェルナー18、鈴木1、レオンハルト46)
  BWV192(ガーディナー47、鈴木51、ロッチュ10)
posted by あきちゃん at 00:57| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年01月09日

2018年の登り初めは十津川の静かな山へ

今年の登り初めは、十津川村のブナ山と三里山。当初の予定日は悪天が予想されたため、1日繰り上げての山行となった。お蔭で寒さは一入であったものの、好天に恵まれた山歩きを楽しめた。
ブナ山といってもご存じの方は少ないのではあるまいか。帰りに寄った大塔夢の湯で、今日はどちらの山へ、と聞かれて、ブナ山と答えたのだが、どうもあまり芳しい返事は返ってこなかった。
ブナ山は風屋ダムの北側に聳える標高1119.5mの、言ってみればローカルな藪山である。ダムの南岸を画す法主尾山とダムを挟んで向かい合う位置にあるのが、高時山とブナ山で、今回は北側の高津集落を起点に、ブナ山・三里山の中間にある烏峠を経て、まずその東のブナ山へ、続いて西の三里山を往復した。
烏峠の導標.jpg
〔烏峠の導標〕

標高や山の風格からいえば、三里山は尾根筋の西端にある最後のピークといった感じで、ブナ山のそれとは比較にならないけれど、静かな頂としては出かけて損はない。烏峠からそう時間はかからないし、僅かだが木の間越しに西の山々を望める。
これに対し、ブナ山からの展望は、普段の季節なら多分木々に遮られほとんど絶望的であっただろう。しかし、木々が葉を落としているこの季節、枝越しに辛うじてという感じではあるが、雪を頂く大峰の山並みを望むことができた。今の季節ならではのプレミアムである。
木の間越しに頂仙岳・八経ヶ岳・釈迦ヶ岳を望む(ブナ山の頂から).jpg
〔木の間越しに頂仙岳・八経ヶ岳・釈迦ヶ岳を望む(ブナ山の頂から)〕

それに今回は、今年の寒さのせいもあるだろうが、烏峠のためのガラガラの所を横切る辺りで初めて見られた積雪が、烏峠から稜線を東に向かうにつれて次第に増えるようになり、そう、10㎝程度はあっただろうか、往路はなんとか普通に登れたけれど、帰路は安全のため躊躇うことなくアイゼンを付けての歩行となった。本当に久し振りのアイゼンでの雪山歩きとなったのだった。
雪の稜線.jpg
〔雪のブナ山への稜線〕

ブナ山の頂で八経ヶ岳や釈迦ヶ岳をカメラに収めたあと、昼食をすませ、アイゼンを付けた。取り付け方をおさらいしてくればよかったのだが、まさかこうなるとは思っていなかったので(忘れずに持って行ってよかった)、少々慌ててしまった。でも何とか無事装着できてホッとしたのも束の間、手指の感覚がほとんどなくなっているではないか。
手袋を外してアイゼンの取り付けに専念するあまり、寒さを気遣うことなくいたものだから、冷えてしまったものらしい。急遽厚い手袋に代えたものの、指の感覚が戻るまでには復路歩き出してから30分近くもかかってしまった。これには本当に慌ててしまった。全く迂闊なことである。
散り敷く落ち葉の上に積もった積雪にアイゼンの爪が気持ちよく食い込んで、ザックザックと小気味よい音を立てる。でも、積雪がごく僅かなものだから、よく見ていると、足を着いた部分の雪がそっくり足の形のままに落ち葉から離れてアイゼンにくっついてくる。復路はもう落葉がむき出しになっているところもあったが、そんな時、わざと道脇の雪の中に足を置いて雪の感触を確かめながら歩く。それがアイゼンを付けていればこその楽しみでもある。
そんな訣で、ほどほどの雪があると、血が騒ぐという訣でもないのだろうけれど、冬の山歩きは一段と楽しさを増す。一部植林も交えつつだが、優しい自然林が迎えてくれる静かな山歩きを楽しめた今年の登り初めだった。
ラベル:奈良 季節
posted by あきちゃん at 02:07| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年01月06日

さしたる感慨もなく過ごした正月

年を越したという格別の感慨もないまま、2018年の正月も早くも6日を迎えた。到来の早かった寒さは、相変わらず厳しいままだが、この季節にしては比較的小刻みに気圧の谷が通過して雨をもたらす。その後ろからはお決まりのように強い寒気がやって来る。低気圧が寒気を引き込むというよりは、むしろ寒気南下の前触れの雨のような感じさえする。
年賀状は結局29日から書き始めて、30日の夜には書き終えた。投函は大晦日になってしまったから、申し訣ないことに元旦には届かなかっただろう。しかも今年は、余白のひと言を断念せざるを得なかった。基本はワープロソフトで作った写真入りの原稿の印刷だが、例年余白にひと言だけ書き添えるように心がけてきた。しかし、今回は諦めることに抵抗する気力も湧いてこなかったというのが正直なところで、後ろめたさはあったけれど、何事につけ徹底することができなくなってきている気力の低下が、年賀状にも及んだという訣だ。気持ちに身体が付いていけないのではなくて、身体はまだなんとかなる(少なくともそう思ってはいる)のに、それを牽引する気持ちが萎えてしまうのである。

          §           §           §

30日に娘2人が帰寧し(息子は今年も奈良には戻らず、元旦に東京の母の所に出かけたようだ)、晦日に1日早い年越し蕎麦をいただいた。2年続けた高畑の吟松ではなく、東大寺近くの喜多原という店で、ここの蕎麦をいただくのは、昨年だったか、年を越してから冷たい雨の降る日に出かけて以来のこと。前回正月明けにもかかわらず結構並んだので、11時の開店の30分前にはと思っていたのに、結局なんやかやで準備が整わず、着いたのが11時少し前。ただ、幸い列はなくて開店を少し待つだけで一番乗りすることができた。天ざるにニシンを付けて年越し蕎麦とする。淡い緑色に光る透明感のある蕎麦である。確か、北海道のそば粉を使っていると聞いた。あっさりめのダシのソバつゆが心地よい。
喜多原の天ざるをいただく.jpg
〔喜多原の天ざるをいただく〕

一旦家に戻ってAGを車に乗せ、恒例の年末詣に春日大社へ向かう。高畑の駐車場に車を駐め、アセビの道を春日大社に向かう。行き違うほとんどいない静かな道も、若宮まで来ると一気に賑やかになって、本殿近くまで来ると鹿ともどもそこそこの参拝客で賑わっていた。じっとしていないAGの番を交替でしながら、年末詣をすませる。以前は仕事納めの日の午後からというのが恒例だったが、仕事納めも夕方まで勤務というのが普通になって、晦日か大晦日というのが多くなった。3本ある祢宜の道を辿って、というのは、吟松で年越し蕎麦をいただくようになってからのことのはずだから、まだせいぜい3回めだろう。春日さんを通り越して二月堂まで往復したこともあったが、あれはあるいは年を越してからのことだったか。セミの音に聞きながらの暑い季節だったような気もする。少なくともアセビの季節ではない。
高畑の風景.jpg
〔高畑の風景〕

          §           §           §

年明けも雑煮と簡単なおせちををいただいたくらいで、取り立てて正月気分に浸るわけでもない三が日を過ごした。2日の晩には下の娘が、3日朝には上の娘がそれぞれ奈良を離れ、早くも家内と3匹のワンコたちとだけの生活に戻る。4日から出勤だったが、今年は暦通りだと正月休みが短くなるので、年始の行事を成人の日開けにするということで、4日・5日と年休を取って長期の正月休みにした人も多かった。いわば本格始動は来週からという次第で、なんだかありがたいのだかありがたくないのだかよくわからない、何とも中途半端な2日間を過ごしたのだった。
期待した初夢も記憶に残らず、今年は不本意ながら取り立てて記事にすることもできなかった。週が明けて時が動き出したなら、そのまま年度末まで一気に加速していってしまいそうで怖ろしい。誰かこの時の歯車の回転を、せめて正常の速度にまで緩めてもらえないだろうか……。

          §           §           §

そんなありきたりの正月を挽回すべく(?)、年末に鴻ノ池にできたスタバに寄ってみた。去年のサクラの季節に訪れたとき、池の周囲の回遊道路を閉鎖して整備をしていたのだが、池北側の駐車場だったところに待望のスタバが開いたのである。この近くでは、西大寺、高の原イオンモール、JR奈良の旧駅舎に続く4件めである。駐車場も広いのだが、開店直後から年末年始、ずっといっぱいでとても近づける状態ではなかった。法蓮中町から上がっていくと、池越しに眺める夜景が幻想的でさえあって、機会を狙っていた。
昨晩家内と通りかかったら、うまい具合に駐車場に空きがあって、ちょうど夕食もまだだったので、軽めの夕食にしてしまった(デザート付き)。外見だけでなく、中も開放的なつくりが心地よい。店内から池越しに眺める夜景もまた美しかったが、あとから池側のテラスに出てみると、池を眺めながらひと休みできる空間がいろいろに工夫されていて、昼間は昼間で楽しめそうである。このあたりは少し旧ドリームランド寄りにあるフジエダコーヒーにもよくお世話になっているけれども、個性のあるスタバができて、散歩圏内でもあり出かける楽しみがまた増えた。1300年祭で見かけた移動販売車の繁盛ぶりを思うと、近奈良周辺(ことに奈良公園)にもコンビニばかり乱立させるのではなくて(某セブンイレブンはこの近辺にいったい何軒あるのやら…… 県庁にまであるのはもはや余計でしかない)、景観にマッチしたスタバ(タリーズでもいいけれど)をつくれば随分と流行ると思うのだけれどもなぁ……
鴻ノ池のスタバの夜.jpg
〔鴻ノ池のスタバの夜〕
ラベル:季節 日常 奈良
posted by あきちゃん at 17:40| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年12月29日

音楽と読書と日々の営みと─年末に思う─

2017年もいつの間にかもう残りあと僅かになってしまった。とても振り返ってみる余裕などないのだけれど、せめてその気にだけでもなっておかないと、ずるずると人生の終わり迄このまま走ってしまいそうな予感。
そもそも経験したその時点においては、強い感動を呼び起こしたことは多かったはずなのに、月日の進み行きだけでなく、記憶が上書きされる速度もまた、年齢を重ねるにつれ加速度的に速くなってきている。ほとんど夢と同じことで、意識的にメモしておくなどしないと、風化して砂粒と化し、どこかへ飛んでいって行って跡方も留めなくなってしまうのである。
現実に体験したことならば、まだ写真という手段もある。しかし、悲しいことに、写真を見てさえ俄には思い出せないという場合が増えてきている。生涯に2度とないような感動を味わったとその時思っているようなことでさえも、そんな経験をしたことを思い出さずにいるのである。すぐに忘れてしまうようなそれだけの経験に過ぎなかったのではないか、感動したという幻影に酔いしれていただけなのではないか、と自己反省してみるのだが、正直のところはよくわからない。
本を読んでいてでさえ似たようなことが起こる。ジーンとくるような場面を読み進め、場面が転換していくうちに、ほんのちょっと前に読んだその感動の場面に関する記憶がすっかり飛んでしまっているのである。読んでいる刹那刹那を追いかけるのに精一杯で、読んだ端から忘却していってしまっている。

          §           §           §

音楽を聴いていてでさえそうである。そもそもひとが音楽を聴くというのがどういう営為であるのか充分には説明できないけれど、次から次へと流れていく音を単独で捉えているのではないはずである。音のつながりを一定の単位毎にメロディーとして認識し、それが頭の片隅のどこかに残っているうちに、次の音が重ねられてゆき、一定のまとまりがメロディーとして認識される。その微妙な時間を超えた横のつながりと、同時に鳴らされる音の縦のつながり、両者の複雑な関係によって音楽はひとの頭の中で理解されていくのだろう。もちろんそんな分析的な聴き方を一々やっている訣ではなく、それを一瞬にうちにこなし、その一瞬一瞬の積み重ねを音楽として聴いている、いや聴いているつもりになっているというのだと思う。
縦の音でも聴く気になって聴かないと聞こえて来ない音がある。でも縦の音はまだ注意して聴こうとすればある程度は聴くことができる。しかし、横の音は注意していても、記憶から消えてしまっているのでは如何ともしがたい。音の横の流れは音楽が続く限り続いていく訣だから、立ち止まって思い出そうとしている余裕はない。それをやっていたのでは、もう音楽を聴くことはできない。
読書ならば、時間さえあれば、なかなかすぐに目的の箇所に辿り着けないということはよく経験することではあるけれども、それでも元の頁を繰って、気になった箇所まで何度でも戻って読み返すことができる。しかし、音楽ではそれはできない(再生音楽であっても、単に繰り返せるだけであって、音の流れを止めて分析することは、楽譜を見ながら脳裏に音を鳴らすことのできない素人には実現不可能だろう)。

          §           §           §

日々の営みのありようは、まさにこの音楽のあり方そのものなのである。そうであるならば、毎日を過ごすことに精一杯で、日々の出来事をじっくり味わう余裕もないまま、記憶から消え去って行くのに任せている今のぼくのように、もし日々の営為がそのように変化してきているのならば、音楽を聴くという営みにおいても同じことが起きているのではないか…
若いときは、現実に今鳴っている音を聴きながら、無意識のうちに直前までの音の流れを自然に頭の片隅に置きながら、かつ次に鳴る音を予想しながら聴くことができた。今では現実になっている音を追いかけるのに精一杯になっているだけなのではないか。音楽を聴くことにさえ、そんな余裕のない状況が出来しているのではないか。それが老化というものなのではないか…… いやはや、あらゆる営みに余裕がなくなってきているということなのだった。

          §           §           §

今年の記憶、どこまで思い出せるだろうか?
文字通り果てしなく延びる果無山脈の山旅。台南と台中、そして少しだけど台北も堪能した家内との2度の台湾行き。例年になく美しかったサクラ、それなのに葉桜になるのも待たずに無残に切り倒されてしまった般若寺裏のサクラたち。新幹線から見たヤマザクラに美しく彩られた東近江の山々。真夏の慶州南山の石仏巡り。母を迎えて家族で出かけた初秋の修学院離宮・桂離宮と夜の川床料理。母が念願を果たした三輪山。懲りずに買ってしまったレオンハルト=アーノンクールのカンタータ全集。台風の余韻を残した稲村ヶ岳。大峰山系の大展望を堪能した大台ヶ原コブシ峰。夜中に列車で到着した韓国モッポ駅の得も言われぬ終着駅の懐かし風情。近づく雷雲と競争しながら歩いた真夏の平城宮跡……。このブログで書いたものもあればそうでないものもあるけれど、とりとめもなく廻り灯籠のように駈け巡る思い出たちに囲まれながら、もうあと残り少なくなった2017年に思いを馳せる。もうそろそろ年賀状を書き出さないと間に合わなくなってしまう……。
ラベル:日常 音楽 読書
posted by あきちゃん at 18:07| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年12月25日

山と忘年会に連なる夢─夢の記憶48─

自宅に帰る道が不通になっているらしく、バスが運休でさあどうしようと思っていたら、山の会のマイクロバスで近く迄送っていただけるという。ありがたいことで、方向の同じ10人余りがみんなでお言葉に甘えることにした。
途中崖崩れの脇を通り、これは酷い、これなら仕方がないなぁと思った覚えがあるが、そこは難なく通り越していたから、近辺の雨の降りが凄かったことを納得したということなのだろうか。
行けるところまで行ってバスを降り、そこからは歩きとなる。バスはあそこからどうやって戻ったんだろうか。とてもUターンのスペースなどなかったはずなのに、と夢の中で心配になっていた。
道は左が大きく抉られていて、どうも普段なら水があるようだ。その際に道は続いているが、次第に桟道のような趣になって、手足の置き場を確かめながらの歩行となる。ぼくはやったことはないけれど、まるでボルタリングのようだ。
左下は垂直の断崖で、水はなく底が見えるが、なぜか、今は干潮なので水がないからこうして通れるんだということを、夢の中のぼくは了解している。今手足をかけているところは、満潮時には水没するのだ。そこまで考えて送り届けてくれたのらしい。
前を行く人はぼくより一段高いところをへずって行っているけれど、ぼく自身は自らの直感を信じて自分で一番行きやすいところを横へ横へと移動して行く。高さの恐怖感は夢の中のせいかほとんどない。
そのうちに上の方に平場が見えてきた。あそこまで上がれば随分楽になりそうだ。一気に上がると、そこは手すりの付いた舗装道で、一瞬何が何だかわならなくなる。でもまあ、これで安心して家まで行き着ける。
無事家に着いてから、あ、失敗した、息子の学校道具を持って帰って来るのを忘れた! どうして息子の学校道具なのかは全然脈絡も何もないのだけれど、教科書を今持って帰ってきておいたら、万事好都合だったのらしい。
でもまたあの桟道を今度は逆に戻るのかと頭を抱えたが、どうしたことだからもう次の瞬間には、学校にいた。ただ、どうやって息子の教室に行ったものやら。仕方なく闇雲に中に入って行くと、一瞬正解と思いきや、そこはなんだか複雑な構造のお手洗いで、失敗だった。
しかし、息子の学校道具を持って帰れたのかどうかは定かでないまま、夢は次の場面に早くも移ってしまった。残念ながら起き抜けには鮮明に意識していたその中身は、今はもう記憶な彼方に行ってしまった。

          §           §           §

よくわからない夢だったけれど、ひとつわかっているのは、どうして山の会のマイクロバスが登場したか。というのは、昨晩はその山の会の忘年会だったからである。初めは昼間の山行きにも参加して夜は忘年会のはずだったのだが、昼間仕事が入って山行きは断念せざるを得なくなった。
でも、昨年の忘年会の楽しかったのが忘れられなくて、忘年会だけでもいいですか、と尋ねたら、ありがたいことに勿論いいですよという答えをいただき、仕事を終えてから忘年会に駈け付けることにしたのである。和気藹々とはああいうことかというお手本のような会で、帰りの電車など、小学生の遠足かというような有様ではあったが、志をいつにする人たちが集まるとああいうことになるのだろう。夢は、昼間行けなかった山行きも含めての展開ということなのである。
息子の登場は予想もしなかったことだが、本人が出て来ないところがいかにも彼らしく、こないだ正月も帰らないと行ってよこしたから、こちらが逆に顔を見たくなったという事なのかも知れない。
ラベル: 日常
posted by あきちゃん at 02:09| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする