2019年11月30日

バッハのカンタータBWV109の聴き比べ

前回少しだけ頭出しした三位一体節後第二十一日曜のカンタータBWV109を聴き比べた結果を書くことにする。今年は11月10日だったので、もうだいぶ過ぎてしまって季節外れの感満載である。

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BWV109《われ信ず、尊き主よ、信仰なきわれを助けたまえ》Ich glaube, lieber Herr, hilf meinem Unglauben は、1723年10月17日の三位一体節後第21日曜日のために作曲されたもので、次の6曲からなる。
第1曲 大合唱
第2曲 テノールのレチタティーヴォ
第3 曲 テノールのアリア
第4曲 アルトのレチタティーヴォ
第5曲 アルトのアリア
第6曲 合唱コラール
今回聴いたのは、ヘルムート・リリング、ニコラウス・アーノンクール、鈴木雅明・BCJ、それにサー・ジョン・エリオット・ガーディナーの4つの演奏である。

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リリング
1 6’53” 速い やや抑え気味ながら、次第に前のめりに突き進んでゆくリリングの典型。ソプラノは出だしから合唱。
2 1’52” 遅い 丁寧に優しく語りかけながら、次第に緊迫感が高まる。メリハリの効いた演奏である。
3 5’33” 速い レチタティーヴォで抑えていたものが爆発する感じで、たたみかけるような緊迫感に溢れ、炸裂する低弦の執拗な繰り返しと不協和音が印象的。低弦に浮き上がるチェンバロも不気味に響く。
4 0’51” 遅い 嵐が去った後の安らぎを感じる。
5 5’42” 遅い オーボエの優しく賑やかな響きが懐かしい。
6 4’30” 遅い 分厚い合唱がしっとりと歌う説得力あるコラール。充実感が半端でない。

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アーノンクール
1 6’59”速い ひなびた感じの金管が印象的。ソプラノはボーイソプラノで合唱で入る。素朴なイメージが強く、タイムほどの速さは感じない。
2 1’27” テノールの優しい語りかけ。ふっと力を抜く感じがなんとも言えない。
3 6’40”遅い レチタティーヴォの気分のままに、一歩一歩確かめるように進む弦と、極めて真面目なテノールの歌が心に残る。
4 0’27” 速め アルトの優しい語りかけが美しく、ホッとする。
5 5’50” 遅い オーボエのどこか懐かしい響きに気持ちを癒される。テノールのアリアと同じように、ゆったりとした情感がなんとも言えない。
6 4’19” リズムを強調しながら歩む。素朴な金管、優しいテノール合唱、

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鈴木雅明・BCJ
1 7’50” 遅い じっくりと歌う大合唱。透き通った響きがたいへん美しい。ソプラノは独唱から入る。清楚かつ艶やかな響きが素晴らしい。
2 1’26” チェンバロに乗って優しく語りかける。
3 6’54” 遅い チェンバロの伴奏に乗って歌う美声のテノールが見事。
4 0’32” はっと目が覚めたようなアルト。まだ、速くはないが、次のアリアへのタメを効かせている感じ。
5 4’46”最も速い 今まで抑えていたものが、弾けた印象。やはりチェンバロが美しくアルトを彩る。
6 3’21” 速い ものすごく速い。今まで抑えていたものが完全に弾けて疾走する。チェンバロの細かな動きにあおられるようだ。なぜそんなに急ぐのかとは思うけれど、これはこれで一つの壮麗で立派な音楽になっている。全体として、緩から急へという大きな流れで筋が通っている。

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ガーディナー
1 8’43” 最も遅い 鈴木・BCJよりもさらにゆったりと流れる音楽。どことなく物憂さも漂う。ソプラノは独唱。比較的低く落ち着いた声質なので、雰囲気にあっている。
2 1’25” 颯爽とした小気味よい演奏。
3 6’02” クリアに駈け抜ける印象。声高に叫ぶ事はないが、メリハリの効いた語りかけのうまさに納得させられる。
4 0’33” アルトの素朴な語りかけに何かホッとする場面転換。
5 5’12” オーボエの掛け合いのオブリガートが美しい清楚なアリア。
6 3’22” 速い 鈴木・BCJとほぼ同じタイムだが、それほど速い感じはしない。清楚な透明感のあるコラール。

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リリングは、大合唱とテノール・アリアまでが速く、アルト・アリアとコラールが遅くなる傾向である。急→緩であるが、テノールのレチタティーボはテンポを落としてアリアに備えており、変化がダイナミックである。
アーノンクールは、大合唱だけが速く、テノール・アリア以降が遅くなる傾向である。
全体としてはリリングと同じ急→緩の流れだが、転換点の訪れが早くなっている
これに対し、鈴木・BCJとガーディナーは全く逆で、緩→急という流れになっている。
鈴木・BCJは、大合唱とテノール・アリアまでが遅く、アルト・アリアとコラールが速くくなる傾向で、ちょうどリリングと正反対である。ただ、全体としての緩→急という大きな流れがことに顕著に描かれているように思う。
ガーディナーは、大合唱が遅く、テノール・アリア以降が速くなる緩→急という傾向である。ちょうどアーノンクールと正反対である。
鈴木・BCJとガーディナーで転換点が異なるのは、リリング、アーノンクールの場合とよく似ている。
4つの演奏がそれぞれ全く緩急のパターンが異なり、偶然かも知れないが、パターン分けを網羅しているのが面白い。全体の印象を端的にまとめると、次のようなことになろうか。

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リリング:情熱的。真摯で情感に溢れ振幅の大きさが印象的な演奏。ロマンティックな、ときに荒削りに感じることもあるリリングらしいさに溢れている。
アーノンクール:純朴。素朴ななつかしさに溢れる演奏。意外性に富んだ指揮者だが、はまったときのすばらしさは何物にも代え難いものがある。
鈴木雅明・BCJ:端正。グイグイ引っ張ってゆく力強さも感じる演奏。整った演奏という印象が強いが、意外と芯に強いものを感じることが多い。
ガーディナー:淡麗。颯爽として現代的な美しさに溢れる演奏。スポーツカーで疾走するイメージが強いが、ものすごく粘るときがままあり、BWV109の第一曲はそのよい例だ。

というわけで、それぞれに傾向は異なるがみな魅力的で、甲乙付けがたい名演奏揃いといってよい。これはもう曲自体のすばらしさ以外なにものでもないだろう。
ラベル:バッハ 音楽 CD
posted by あきちゃん at 23:08| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2019年11月18日

晩秋の週末を家で過ごす

晩秋というより初冬という方が相応しい陽気になってきた。まだ本州までは本格的な寒波はやってこないが、北海道には完全な縦縞模様が現れ、既に本州の真冬よりもに気温が下がっているのではないだろうか。
今回は珍しく週末を家で過ごした。といっても、寝て過ごす余裕はなくて、結局ずっと家に持ち帰った仕事をしてしまった。それと、来週はまた週末不在なので、夏前に(だったと思う)一度やったきりで伸び放題伸びてしまっている生垣のプリペットの剪定に覚悟を決めて取り組むことにした。
毎月月末の日曜日に自治会の掃除があり、裏の遊歩道の雑草引きに半日を費やし、初夏と夏の終わり頃の2度は少なくとも生垣の剪定を行うのが常だった。加えて庭の芝生の芝刈りを、さらにもう少しの頻度でやってきたものだった。
今にして思えば、よくまあそれだけの時間的余裕があったものだと思うし、それにもまして体力、そして精神力が付いていったものだと感心してしまう。ここ数年は剪定も滞りがちで、1日で表と裏とをまとめて仕上げるのが辛くなってきた。
今日も結局裏の遊歩道側だけ、それもざっと切り揃える程度で終わりにせざるを得なかった。もう少し頑張ればきれいに仕上げられるはずだし、表の玄関側の方が距離は短いのだから、合わせて済ませてしまえばよいのだけれど、裏のゴミの始末をし終えたときには、もう表の剪定に取りかかる気力が失せてしまっていた。
今年は自治会の掃除のある月末の日曜日に家にいることがほとんどなくて、申し訣ないことだがパスさせていただくことが多かった。遊歩道の雑草の草刈りは、最近自治会で外注してくれるようになったので、あまり無理せずによくなり、これは本当に助かっているが、その結果余裕ができた分以上に体力と気力が落ちているものだから、結局しんどさだけが増えている気がしてしまう。
芝生の手入れも、以前なら春芝が芽吹く前から雑草引きに精を出し、夏も真夏などは2、3週間に1度は芝刈り機を転がしていたものだった。今年は雑草引きも中途半端にしかできなかったし、芝刈りは結局一度もやらずにここまで来てしまった。何とか冬枯れになる前に整えておかないととは思うのだが、さて、余裕があるかどうか。
年を取るというのはこういうことなのかも知れないなぁ、とふと感懐に浸ってしまう。山歩きをしている限りにおいては、体力の方はまだそこそこあると思うのだが、あまり乗り気でないことに自分自身を叱咤激励して取り組むという精神力というか、気力が枯渇しているのを認めざるを得ない。疲れたという感じはそれほどないのに、なにか自分自身の限界を感じてしまうのだ。

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カンタータは相変わらず出遅れ気味でなかなか聴く時間がとれない。その中では、最近耳に付いている曲に、三位一体節後第21日曜日(今年は11月10日)のカンタータBWV109「われ信ず、尊き主よ、信仰なきわれを助けたまえ」(Ich glaube, lieber Herr, hilf meinem Unglauben)がある。1723年の第1年巻のカンタータで、比較的地味な印象だが、ここ数日寝る前にいろいろな演奏を聴いていると、かなり劇的なカンタータで、テノールのレチタティーボとアリア、アルトのレチタティーボとアリアが続く構成も面白く、そしてなによりも最初の合唱が素晴らしいと思えるようになってきた。
演奏はあまり種類がなくて、手許にあるのは、ガーディナー、リリング、鈴木雅明・BCJ、それにアーノンクールだけである。しかも、アーノンクール版は、先日のBWV5と同様に、同じCDに入っている曲が全てアーノンクールの演奏であるため、取り込みをパスしてしまっていた。しかし、BWV5の例もあるので、虚心に聴いてみようと思う。今晩の眠りの友という訣である。結果は、また改めて整理してご報告することにしたい。
posted by あきちゃん at 02:02| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2019年11月16日

電車を降り損ないそうになった話

今日の京都からの帰り途、ちょっと奮発して特急で戻ってきたら、危うく降り損なうところだった。気付くとどう見ても地下ホームである。座標軸を見失ってどこにいるのかわからず、高の原でも西大寺でもないなぁと思案に暮れ、そのうち清掃作業の人が回ってきたのを見て、唖然としてしまった。近鉄奈良についてもう暫く経っていたのだった。
前にも疲労感を覚えて特急になったものの、西大寺で寝過ごして八木まで連れて行かれる羽目に陥ったことがある。それに比べれば、目的地まで運んでもらえたのだからまだマシではあるが、西大寺に停まったのさえ知らずに寝込んでいたのには我ながら呆れる。今日で8月後半からの忙しさにようやく一区切りが付いたので、そんなホッとした気持ちが影響したのかも知れない。

忙しいといっても、好きな仕事をやっているのだから、文句を言えた義理ではないのは重々承知しているけれど、もう少し考えて仕事を入れておくべきだった。よく身体をがもったものだと思う。それというのも、年度末でいよいよ定年を迎えるので、今回断ったらまず頼まれることもないだろうという仕事ばかりであるから、まあこれまでの総仕上げのような気持ちで、あちこちの頼まれ仕事をみんな引き受けてきたのだった。来月にまたいくつか控えてはいるけれど、少しの間ホッとしていられる余裕があるのがうれしい。
もちろん別の仕事がいろいろ控えているのには変わりないけれど、順番にこなせばいい仕事と、事前に準備をして臨まなければならない仕事とでは、心理的負担がだいぶん違う。台風の襲来が一段落したあとは、比較的温暖な天候が続いていたのはありがたかった。寒い時期だったらなかなかこうはいかなかっただろう。

この間、東京出張が5回、3泊4日の北京行きと、2泊3日のソウル行きが1回あって、私用だが米子までの日帰りもあった。出張の往復の移動時間は結構仕事に使えるのだが、ここのところは睡眠時間になることもしばしばだった。
もっとも、そのなかにあっても月2回のペースで山には登っているし、9月にとった夏休みには、初めて北アルプスの経験した。そんな余裕があるくらいなら、身体を休めたらいいのに、と言われてしまいそうだが、それを削って身体を休めよう、時間を作ろうという気はさらさらない。むしろ、山登りの楽しみがあればこそ、仕事も乗り切れるのである。定年まであと4ヵ月半余りの日々を走り抜けるためには、これを切り詰めるわけにはいかない。

でも、いざ定年を迎えて、こうした緊張がはじけたら、いったいどんな日々が待っているのだろうかと、ふと心配になる。まあ、そのときはその時である。先のことまで考えている余裕はない。それまでの毎日毎日を1日ずつ生き抜いていくしかない。たまには電車で寝過ごす日があってもいいんではないかな。
ラベル:日常
posted by あきちゃん at 20:34| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2019年11月15日

共感する言葉─平野啓一郎さんの小説から─

「全体人は、常に予告されながら生きている。(中略)世界と人とは、却って常に予告に蝕まれている。この瞬間が、予告に仕えているのである。
 しかし、盲人の世界は、手許しかない。世界は決して予告されない。(中略)
 未来は決して侵蝕しない。その刹那、世界と人との交わりは、絶対的な筈である。
 (中略)予告される未来を持たない一個の絶対の瞬間。独り肉体によってのみ、行為によってのみ、導かれるその瞬間。畢竟、その瞬間にこそ、否、その瞬間に於てのみ、自分は真に自然と一つたり得るのではあるまいか(以下略)」(『一月物語』新潮文庫、259-260頁)
 「二度と会うことも、連絡することもない人は、死ぬ遙か以前から、実は死んでいるも同然なのではないだろうか? ただその「死」という言葉を、聞くかどうかの違いだけで。…… (『空白を満たしなさい(上)』講談社文庫、79頁)

いずれも平野啓一郎さんの小説のなかの言葉である。最初の言葉は、今まで全く考えたこともなかった視点に目を瞠らされたもの。見るという行為が、未来と予め知ってしまうことだとは、これまで考えたことさえなかった。視覚によって予告された世界を生きることが本当に幸せなのかどうか。盲人がその一瞬一瞬を生きていることに憧れる主人公井原真柝の言葉である。
二つめの言葉は、日頃自分が漠然と感じていたことを、同じように意識している人がいたと知り、心からの共感を覚えたもの。生き返った主人公土屋徹生の言葉である。こういうことだったんだと、自分の思いを言葉にしてくれた平野さんに、感謝! 感謝! 

平野啓一郎という作家の小説を読むのは、今読んでいる『空白を満たしなさい』でまだ3作目である。『マチネの終わりに』が評判で、早く読んでみたいのは山々だが、まあ慌てずにじっくり取り組んでいこうと思う。
一作ごとにスタイルを変える作家とのこと。最初に読んだデビュー作『日蝕』と同じ1冊に収められている『一月物語』も、豊富な語彙と古風な言い回しは共通するが、内容もスタイルも全く異なっていた。特に、能のスタイルを地で行っている感じの後者のもつ得も言われぬ雰囲気にはすっかり魅了されてしまった。
今読んでいる途中の『空白を満たしなさい』は一転わかりやすい言葉でグイグイ引っ張っていくスタイルの小説。知らずに読んだらとても同じ作者の作品とは思わないだろう。

平野さんの本を読んでみようという気になったのは、何を隠そうその的確な政治的発言に魅了されたからである。節度ある言葉で本質を突く指摘はただものではない。どんな小説を書く人なんだろう、という興味が先にあったのだが、やはりただものではなかった。厖大な読書量と学識に裏打ちされた、しかしそれがけっして鼻につかない芯のある文章。文はひとなりとはよくいったものだが、今まで読んだだけでもこれだけさまざまな書きぶりを取れる人間性の広がりにはまことに驚嘆させられる。こんな出会いもあるのだ。
ラベル:読書 言葉
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2019年11月03日

バッハのカンタータBWV5の聴き比べ

J.S.バッハのカンタータWo soll ich fliehen hin 《われはいずこにか逃れゆくべき》BWV 5は、三位一体節後第19日曜日(今年は10月27日)用のカンタータの一曲である。295年前の1724年10月15日の初演された第2年巻のコラール・カンタータで、コラールはヨハン・ヘルマンの手になるもの。以下のような7曲から構成されている。
 ①第1曲コラール合唱、ソプラノに定旋律。
 ②第2曲レチタティーヴォ(バス)
 ③第3曲アリア(テノール)、ヴィオラのオブリガート付き。
 ④第4曲レチタティーヴォ(アルト)、オーボエのコラール付き。
 ⑤第5曲アリア(バス)、トランペットのオブリガート付き。
 ⑥第6曲レチタティーヴォ(ソプラノ)
 ⑦第7曲4声コラール
第1曲が暗い印象なので、取っつきにくい曲ではあるが、第3曲のテノール、第5曲のバスの2曲の男声アリアの魅力は何物にも代え難いものがある。
今年もガーディナーのカンタータ巡礼を聴いていてスルーしそうになったのだけれど、流れ出した第3曲に魅せられてしまい、手許にあるいくつかの演奏を聴き比べてみることにした。それぞれまず演奏タイムを記してから、聴いた印象を書き止めておく。

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ガーディナー ①4′08″、②1′05″、③6′57″、④1′17″、⑤6′24″、⑥0′58″、⑦0′58″
ガーディナーの演奏は、しっとりと落ち着いていて、しみじみとした味わいがある。トランペットの活躍するバスのアリアは、歯切れ良く比較的快速に進むが、やはりどこか抑えた表現が基調にある。

リリング ①4′00″、②1′10″、③5′43″、④1′38″、⑤5′47″、⑥1′07″、⑦1′00″
リリングの演奏は、ガーディナーとは正反対で、突き進む時のリリングの面目躍如の印象が強い。ことにテノールのアリアの快速さが際立つ。ヴィオラのオブリガートとチェンバロの刻むリズムも印象的である。また、バスのアリアも聴いた中では一番速く、前のめりに突進していく演奏になっている。

リヒター ①4′27″、②1′21″、③6′46″、④1′42″、⑤6′10″、⑥1′02″、⑦1′10″
リヒターの演奏は、ガーディナーより幾分速い感じだが、全体的に分厚い印象が濃い。また、独唱が際立つのも特徴。しかし、テノールのアリアのシュライアーは他の演奏と比べるとメリハリが利きすぎていて、独唱の歌い出しからして違和感を覚えた。バスのアリアはトランペットが大活躍する。また、フィッシャー・ディースカウがうますぎて、やや鼻につかないでもない。テンポはリリングほどではないがかなり速く聞こえる。

鈴木雅明・BCJ ①3′40″、②1′08″、③6′26″、④1′30″、⑤6′31″、⑥0′52″、⑦0′59″
鈴木雅明・BCJの演奏は、典雅にまとまった、しかし芯の強いものである。全体に響きがとても美しい。テノールのアリアは比較的速いが、模範的な演奏といってよいだろう。バスのアリアはガーディナーよりは速いが、落ち着いた演奏だ。リヒターのようには目立たないが、トランペットの妙技が要所要所をしっかりと締めている。

アーノンクール ①3′54″、②1′02″、③6′37″、④1′46″、⑤7′49″、⑥0′47″、⑦0′58″
最後聴いたアーノンクールの演奏は、ある意味たいへん意外なものだった。実は、アーノンクールのBWV5を聴こうと思って初めて、ぼくはアーノンクールのBWV5が収められた全集2枚目のCDをiPhoneに入れていないことに気付いたのである。このCDに入っているBWV4からBWV6まではいずれもアーノンクールの演奏で、レオンハルトの担当した曲が入っていない。そのため、これまで迂闊にもiPhoneに入れ損ねていたのである。それで慌てて取り込んで、あまり期待せずに聴いたというのが正直なところだった。
こんなことを言うとアーノンクールに失礼かも知れないけれど、4種類の演奏を聴いたあとで聴いたこの演奏は、ぼくにとって最もしっくりくるものだった。第1曲の合唱コラールは、速めのテンポで颯爽と進む。スタッカート風にリズムを明瞭に刻んで進むので、実際のテンポ以上にその印象は強まる気がする。
第3曲のテノールのアリアは、ヴィオラのオブリガートが印象的だ。テンポはガーディナー、リヒターと鈴木雅明・BCJの中間で、要は中庸のテンポなのだが、素晴らしいのはテノール(クルト・エクヴィルツ)だ。力むことなくごく自然にたゆたいながら進む。最初の歌い出しからして違うのだ。それに声の振幅がなんとも美しく、意識的にそうしているのかどうかはよくわかないが、時折ふっと声が裏返るその微妙なニュアンスがたまらなくいとおしい。リヒターの演奏のシュライアーはもちろんうまいのだが、ある意味うま過ぎる。さらりとなにげないようでいて、万感のニュアンスを込めたこんな歌い方は本当にすてきだと思う。
このなにげなさは第5曲のバスのアリアにも通じる。テンポは極端に遅い。リリングに比べると3割5分増しである。トランペットが最初はぎこちなく投げやりにさえ聞こえるが、この素朴なニュアンスが逆に徐々に心に滲みてくるのだ。そこはかとない情感は、他の演奏からはうかがえない独特のものだ。
どちらかというと奇を衒う面ばかりがうかがえる、そう思い込んでいたアーノンクールの演奏に、全体としてこれだけ魅かれるとは思わなかった。思い込みとは怖ろしいものである。どの演奏にも、もっと謙虚に耳を傾けなくてはいけない、そう改めて痛感させられたのだった。

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過去の記事を調べていて、3年前にも同じ三位一体節後第19日曜日用のカンタータであるBWV48について聴き比べをしていたのに気付いた(「魔法の拍子─BWV48のテノールのアリア」(http://akcertravel.seesaa.net/article/442666926.html))。いずれも地味な印象が強い曲だが、その中にきら星のように輝く曲が潜んでいる。それらに出会えたのは偶然と言えば偶然だが、不思議な縁を感じずにはいられない。過去に聴き比べの記事を書いたことをすら忘れてしまっているようないい加減な聴き手であるから、何を言っても詮無いことではあるけれども、

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権力を持った者が権力者になってはいけない、という趣旨の言葉を最近どこかで読んだ。まさにその通りである。権力を握るとその人の本性が現れる、これも言い得て妙だと実感した。これは必ずしも政治のレヴェルのことだけではなく、日常生活レヴェルでも力全般に当てはまることだと思うし、実際思い当たる節もあるけれど、ことに昨今の政治状況は目に余る。まさに目を覆いたくなるばかりだか、かといって目を覆ってばかりいてはいけない。英語の民間試験導入の暴挙に対して、若い人たちが自ら声を上げ、それを実践して見せてくれた。疑獄事件に発展してしかるべきことをあからさまに続ける厚顔無恥な犯罪者集団まがいの人たちとその取り巻きから、まっとうな政治を取り戻さなくてはならない。
posted by あきちゃん at 13:47| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする