2017年06月14日

果てなき峰を訪れる(その2・結)​

その1よりつづく)5時過ぎ起床。8時間の睡眠はいつもの倍に近いうえに、寒いほどの張りつめた大気に、昨日にも増した好天が約束されて、気持ちも軽い。
6時、昨晩と同じ旧校舎に設けられたミーティングルームで朝食。朝から充分の腹ごしらえを済ませ、7時前に出発。
7時半、昨日と同じ冷水山直下から冷水山を目指す。ここの登りは昨日味わった以上にかなりのアルバイトを強いられる。しかし、やはり一度通った道は気分的に随分短く感じる。
朝の空気に包まれた山頂に飛び出した時の爽快さは昨日に勝るとも劣らない。しかもほぼ快晴の青空に映える山脈の美しさに思わず息を呑む。ことに、逆光ではあるが、大峰主脈上で天を突く釈迦ガ岳の鋭峰は、ひときわ印象的だ。
朝の冷水山南面の大展望.jpg
〔朝の冷水山南面の大展望〕

          §           §           §

南北の大展望を存分に楽しんだら、今日は尾根を東へと辿る。幅広の自然林の尾根道は木洩れ日に溢れ、鳥たちが嬉しげに朝の挨拶を鳴き交わしている。眺望には恵まれないものの、まさに山上の楽園と呼ぶに相応しい光景が続く。ここからカヤノダン(1178mのピーク)を経て公文の崩と呼ばれる南側が大きく崩壊した地点あたりまでが、まさに果無山脈の核心、ハイライトと言ってよいと思う。
朝の清々しい空気の中を歩いたせいもあるのかも知れないけれど、それだけではないこの付近独特の雰囲気があるよう感じた。ブナの、時折老木と言っては失礼かも知れないが、それぞれに個性溢れる枝振りの風格の巨木を交えた明るい樹林帯に、快晴の空からきらきらと降り注いでくる木洩れ日を全身に浴びながら、足取りも軽く尾根道を行く。ここまでやって来て、本当によかったと心の底から思った。
同行の方の一人がふと、この「ひと」たち、夜はこの辺りを歩き回ってるんじゃあない? と言った。そうなのだ、単に静寂なだけではない、そんな生き生きとした躍動感がこの森にはあるのだ。何か命の息吹のようなもののミストの中を歩いていると言ったらよいだろうか。そんなことを考えながら、相槌を打つこともなく聞き流してしまった態で、たいへん申し訳なかったと今にして思うが、あまりに当を得たコメントで、深く頷くのがその時は精一杯だったのだった。

          §           §           §

公文の崩は、道からちょっとだけ外れるので、うっかりすると気付かずに通り過ぎてしまいそうだが、尾根のすぐ北側を通る自然林の道の尾根側が、ふっと窓のように明るくなっている。わずかに稜線に駈け上がればそこが崩壊部の頭に当たる場所だった。最初に登り着いた地点は、展望に見惚れていてその時は気付かなかったが、あとで横から見たら下が大きく抉れて、ヒヤッとさせられた。
果無の尾根上は道標がかなり整備されていて、ローマ字表記もあるのだが、それによれば、崩はツエと読むようだ。クエなら、笠捨山の近くにある蛇崩山に例があるのでわかるが(ダグエヤマも初めは全く読めなかった)、ツエは解せない。kがtに転化するとは思えないし、もしかしたらローマ字表記の誤記かも? などと疑ってしまう。
さて、ひと登りで到達する公文の崩の頭(1155.6mのピーク)は、公文の崩からは離れていて、歩いている感覚では無関係に思えるけれど、麓からは崩れの上に見えるピークということなのだろうか。公文谷に頭という山名表示もあったから、崩れのある谷の源頭ということかも知れない。
ここから東に下った鞍部が筑前タワで、その手前は北側の展望が開け、快晴の青い空に山々が映える。次の1117mのピークにはかわいそうに名がない。果てなく繰り返されるピークの登りがあるために邪険にされたのだろうか。これを越した次の鞍部にはちゃんとミョウガタワという名があって、大事にされているのと対照的だ。眺望のない越すだけ手間のピークよりは、ホッと一休みできる鞍部の方がよい‥
ここで時間的には少し早いが、腹時計的にはやや遅いくらいの昼ごはんにする。ヤマセミの郷で特別に用意してくれた弁当をいただく。
再び稜線を東へと辿り、1158mのピーク(これも名なし)を越え、緩やかに下ったあと、次なる目標のブナ平への登りにかかる。筑前タワからこのかた、この辺りずっとブナの巨木があって目を引く。ブナ平はブナを名にもつのだからさぞかしと期待も募る。
1258mピークから下る途中、一度僅かに登り返した標高1150m附近に、この下源助墓約5分と書かれた道標が置いてある。さあ、どこの源助さんやら知らないが、こんなところに葬られるなんて、あるいは行き倒れにでもなったのか知らんと、いろんな物語が浮かんでくる。でもどうやっていけばよいのだろう。
(帰宅してからよくよく地図を見ると、筑前タワの東から、地図上の道は稜線を離れ、1117m峰や1258m峰の南を巻き、ブナ平への登りにかかる手前で稜線を北に乗り越して北側の道に移れるようになっている。この道はブナ平の少し先で稜線に乗っているから、地図上ではブナ平のピークを通る道はないのである。
それはさておき、道標を信じるなら、源助墓はもしかしたらこの地図上に描かれた稜線を南側に外れて通る道沿いにあるのではなかろうか。次にいつ来れるか、いや来れるかどうかさえ危ういが、せめて源助さんの素性だけでも知りたいものだ。
話がどんどん横道にそれるが、源助さんの墓を訪ね当てた方もいられ、墓石の写真をアップしているサイトがあった。それによれば源助さんは姓は大谷、明治26年に78歳で亡くなり、十津川村の猿飼の人がこの墓を建てたものらしい。ただ、その方も源助さんの素性までは触れていられなかった。)

          §           §           §

さて、ブナ平への道は左に平坦地を見ながら、右に大きく回り込むように緩やかに登って行く。平坦地はブナ平の名に相応しく美しいブナに彩られている。ブナ平の山名板は平坦地の奥を横切ってもう少し登ったところの1 121mのピークにあったが、やはりその西に広がる平坦地こそ、リーダーが説明してくれたように、ブナ平と呼ぶに相応しかろう。
ブナ平から50m程緩やかに下ってまた登り返したピークが石地力山。1139.8mを誇る。この辺り、正直言って疲れも出てしんどかったが、それを癒してくれたのが、石地力山からの北から西にかけての大きく開けた展望だった。歩くのに精一杯で、このあと石地力山があることをすっかり忘れていて、この展望が目に飛び込んで来た時は驚いた。疲れがいっぺんに吹き飛んで行った。
ことに今日歩いて来た行程が手に取るように望めたのはうれしかった。さっき越して来たブナ平が左手前に大きく、そこから右奥へあまり起伏なく連なる山塊が延々とつづき、最奥の果無の最高峰で今日の出発点でもある冷水山に向けてせり上がってゆく。辿って来たカヤノダン、公文の崩れ、公文の崩れの頭、筑前タワ、ミョウガタワがどこに当たるかは特定できないけれど、果てなき峰をここまで歩いて来られた感慨はひとしおだった。石地力山から果無山脈を振り返る.jpg
〔石地力山から果無山脈を振り返る〕
こういう形で来た道を一望に振り返れる山はそう多くはないだろう。誇れるものかどうかは別として、人生の終わりもこんな風なのかも知れないなどともふと考えてしまう。いや、こうありたいものだ。
もっとも、今日の行程はこれから先がまだまだ長いのである。果無の名を負う地点は実はみなこの後に控えている。石地力山の次の1114mのピークが果無山、そこから下った1060mの鞍部、小辺路と合流するT字の交差点が果無峠、そしてさらにここから小辺路を下った下山地点が果無の集落である。果無山脈は、むしろ果無から始まる山並みの意味と捉えた方が良さそうだ。

          §           §           §

果無峠からの道は、いわゆる小辺路の一部で、信仰と物流の動脈として栄えた、西国三十三ヶ所を移した石仏が傍に安置された石畳の道となる。果無峠にあるのが、第十七番六波羅堂の観音様で、ここから果無集落に向けて、数が増えていく。途中には茶屋の跡や、天水だけで維持した田んぼの跡などもあって、結構疲労は溜まっているのに意外と距離を感じずに歩くことができた。しかも1ヶ所奥駈道を望める好展望の地があって、疲れをすっかり癒やしてくれる。果無集落へ下る道から大峰山系を望む(中央「山」形が釈迦ヶ岳、右手台形が笠捨山).jpg
〔果無集落へ下る道から大峰山系を望む(中央「山」形が釈迦ヶ岳、右手台形が笠捨山)〕
八経ヶ岳から釈迦ヶ岳(拡大).jpg
〔八経ヶ岳から釈迦ヶ岳(拡大)〕
南奥駈方面拡大.jpg
〔南奥駈方面(拡大)〕
ただ、その後に続く石畳の道は、山靴だと案外歩きにくい。ことに疲れの溜まっ足腰にはこたえる。これはやはり草鞋で歩くのに歩きやすいような配慮なのだろう。稜線のブナの落ち葉がカサコソいう優しい感触の道がなつかしい。
最後は三十三番までいくのかと思いきや、二十九番の松尾寺の観音様の下までバスが上がって来てくれていて、あっさりゴール。足首を捻ることもなく降りて来られてホッとする。世界遺産の碑に立ち寄るおまけもついて、こうして二日間にわたる果てなき峰の山旅は果無集落で終えたのである。十津川温泉昴の湯から見上げる果無の峰は、高くかつ大きかった。
タグ:奈良 季節
posted by あきちゃん at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

果てなき峰を訪れる(その1)

なぜ果無などという地名が生まれたのだろうか。行先がわからないくらい延々と続く山々、その先にある集落だからか、はたまたそうした山々の麓にあるからだろうか。麓の果無集落から登り切った鞍部が果無峠、そこから始まる尾根に入った最初のピークが果無山、これを皮切りに西に向けて連なる1000mから1200mの標高をもつ30㎞以上に及ぶ山々を果無山脈と呼んでいる。どれが一番元の地名なのだろうか。果無集落から果無峠までは、高野山と熊野本宮を結ぶ小辺路の一部でもあるから、それとの関係もあるかも知れない。
いずれにせよ見わたす限り山また山に囲まれたところであるには違いない。東には大峰、大台の高峰が連なるものの、それとて2000mに満たない。1000mクラスの似たような山々が延々と広がるという点では、紀伊山地はかなり特異な山塊なのかも知れない。果無山脈はその中でも核心部近くに位置し、しかも紀伊半島では珍しい東西方向に長距離続く山塊である。大台よりはむしろ海からは遠く、潮岬に突き出る紀伊半島最南端の付け根に位置するといってもよいかも知れない。奈良県の最南端、和歌山県境を東西に走るこの果無山脈を訪れた。
そんな立地であるから、果無山脈を縦走するのはなかなか困難である。距離的には健脚なら1日で充分縦走は可能なのだが、なにせ東西両端とも足の便が極端によくない。早朝に発って行ってもギリギリだろう。それも車の利用が前提だが、縦走後にどうやって車を回収するかという大問題に直面する。
となると、あとは前日というか、1日めは十津川温泉泊まりでゆっくり身体を癒やし、2日め早立ちして縦走して西端の龍神村丹生ノ川に泊まり、3日めに帰途に就くという、2泊3日がかりというのが最も現実的な選択肢であろう。とはいえ、起点の十津川温泉までが八木からバスで4時間なのはまだしもで、終点の丹生ノ川からの足はどうなのだろうか。

          §           §           §

前置き長くなったが、そんな僻遠の地にある山に、今回はバスで連れて行っていただく幸運に恵まれた。果無山脈には稜線からほど遠からぬ所に林道が通っていて、丹生ノ川と本宮を結んでいる。しかも最高峰冷水山(ひやみずやま)の直下から、冷水山に登る道が開かれている。今回はこれをフル活用して、1日めは西へ安堵山、和田の森を経て丹生ノ川へ、2日めは東へブナの森、石地力山を経て果無峠へ下って十津川へ、という分割コースで縦走を果たそうというものである。
往路は高野龍神スカイラインを利用して護摩壇山からの眺望を楽しむという贅沢なバスツアー付きで、冷水山下からの歩き出しは12時半。地図上ではわけなく見える冷水山への道は、のっけから急登でゆっくり登って30分、急にあたりが眩しく感じられるようになったと思ったら、そこは冷水山の好展望に恵まれた山頂だった。
低木と一部遮られる部分があるが、ほぼ360度と言ってよい南北両側の展望を堪能する。さっき立ち寄って来た護摩壇山のタワーが遥かな彼方に指差せる。ここで遅めの昼食を取ったら、西へ今日の縦走をスタート。心地よい木漏れ日に溢れた明るい自然林の幅の広い尾根道である。かわいらしいカサコソいうブナの葉が主体なのだろう。落葉もどこか大峰や大台とは雰囲気が違うような気がする。こういう道は何も考えずにただ歩けばよい。それだけで心の底まで洗われる思いがする。空気が乾燥しているのか、6月の梅雨前とは思えない爽やかさである。
冷水山の山頂.jpg
〔冷水山の山頂〕

          §           §           §

黒尾山を過ぎ、自然林の尾根道を充分堪能した頃、道は一旦先程登って来た林道に下りる。林道というにはもったいないほどの整備の行き届いた舗装道である。やや興醒めの感なきにしもあらずだが、まだ自然林の余韻が残っているせいか、さほど気にならずにいたが、どうもここで尾根道が途切れてしまっているのは北側から上がって来る別の林道があるからのようで、暫くはこれを歩かされることになる。
やがて道は林道から離れ、静かな尾根筋を行くことになり、まもなく樹林に覆われた安堵山に着く。あまり特徴はないが名前の通り、ホッとする小ピークである。このあと、尾根道は再び林道に出たり入ったりを繰り返しながら、林道と付かず離れずしながら辿るうち、尾根道に接した林道の北側が広く伐採された箇所に飛び出した。ひょいと林道に出て壮大な展望を満喫する。
右手奥には見慣れた釈迦ガ岳の鋭峰が鎮座し、左へ八経、弥山へと続く奥駈道がくっきりと望める。正面に大きいのは、牛廻山の山塊だろう。その向こうに展開するのは、伯母子峠、三浦峠を越えて高野山へと向かう小辺路の山並みということになろうか。左手奥には、この日周知となった護摩壇山のタワーが識別できる。稜線北側の大展望.jpg
〔稜線北側の大展望。一番奥が大峰の山塊〕
このあたりはこれまであまり馴染みのなかった山域だが、その広がりとマッシブな存在感にはただただ圧倒されるばかりで、いつまで見ていても見飽きるということがない。そしてそれを南でしっかりと受け止めているのが今立っているこの果無の山々なのである。よくぞまあここまでという思いを強くする。紀伊山地の南北の奥行きと東西の幅への認識を新たにする。

          §           §           §

ここからは軽快な尾根道歩きが続いたはずだが、あまり記憶が定かでない。好天と好展望に恵まれた山旅をもう充分満喫してしまったからか心は軽いのだが、足、ことに太腿のあたりが張って、ちょっと疲れを感じる。静寂な和田の森も1100mの標高があって、ここからの最後の下りは結構きつかった。明日の行程を思いやりながら、小森の集落を経て、ヤマセミの郷に着く。コテージ泊まりで、山行きの泊まりとしては贅沢の極みと言ってよい。ヤマセミ温泉で今日の汗を流し、冷えたビールで喉を潤しながら山の仲間の皆さんとつつく鍋は何者にも代え難き絶品であった。21時過ぎ就寝。(その2につづく)
和田の森.jpg
〔和田の森〕
芽生えたばかりのギンリョウソウ.jpg
〔稜線で見かけた芽生えたばかりのギンリョウソウ。ギンリョウソウはあちこちで見かけた。中でも、ほんとうにまだ土から顔を出したばかりのギンリョウソウは、まるで白い豆粒をばらまいたようで、一瞬何かわからなかった(写真を撮り損ねたのは残念)〕
タグ:季節 奈良
posted by あきちゃん at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

旅は道連れ、でない方がいい困ったひと

さて、次の急行はどっちホームに来るんだろうと、ちょうど特急券の販売窓口の上にある時刻表を見上げようとしていた。と、右腕に誰かが触れたような気がした。気にはなったが、見上げた動作を止めるわけにもゆかず、あ、4番線ね、と目的を果たしてから、いったいなんだろうと振り返ると、そこにはよく知ったTさんの顏があった。
久しぶりである。こんなところでまあ、とちょっと懐かしくなったが、一時にさまざまな思いが交錯する。積もる話をという思いが半分、ちょっと面倒だなという思いが半分、実際にはそう簡単には割り切れないいろんな気持ちごっちゃになって湧いて来る。
ただ、ぼく自身の常として、道行きはできることなら一人でいたいという気持ちが強い。旅は道連れとは正反対のものである。回りから隔絶されていたいという気持ちである。それは他人に囲まれておればこそのものといってもいいだろう。
そこに突然知った顔がヌッと現れたのである。きっと狼狽を隠せない顔をぼくはTさんに向けていたことだろう。いつも通勤に使っている駅でのことであるから、そこで一人の世界に入り込もうとしていた方が悪いといえば悪いのである。それに対して、そんなこと全く気にかけていないというようなTさんの大人の対応はありがたかった。

          §           §           §

しかし、である、ぼくのその後の行動はTさんにどう映っただろうか。ぼくがいたのが特急券発売窓口の前だったのがいけなかった。京都に通うTさんは特急券を買おうとしていたらしいのである。ぼくが、彼の後ろ側から失礼しようとすると、Tさんはどうぞと言って前に入るように言う。
Tさんはぼくが遠慮して彼の後ろに並び直そうとしたと思ったらしいのである。そこは特急券を買う列のようでもあったのだ。少しでも早く自分の世界に戻りたいと思っただけなのに、そのまま、じゃ、と言って言ってしまったぼくを、Tさんはどう思っただろう。
さらに悪い心配が駈けめぐり始める。もしもTさんが、ぼくが特急券を買おうとしていたと思い込んでいたのなら、急にぼくがそこから離れたのは、Tさんに出くわしたがために、特急に乗るのを止めたと感じていはしないか。それは誤解だ。
そんなことを心配するくらいなら、そんな行動を取らなければいいのに。まさにその通りなのだが、習い性なのである、こればかりはいかんともしがたい。

          §           §           §

ぼくは初めから特急に乗るつもりはなかった。2分後から出る急行で行くつもりで、ホームを確認しようしていただけだった。Tさんに会っても会わなくても、行動は同じだったはずである。
しかし、ぼくはTさんと別れ際に自分が発した言葉を思い出して唖然とした。お出かけ? と尋ねられて思わず発したぼくの言葉、これから東京です!
それは正直な発言である。嘘をついてなんになろうし、ぼくはそんなところで咄嗟に間に合わせの嘘がつけるような人間ではない。しかしそれが問題なのである。
Tさんはどう思うだろう。東京へ行く人間が、わざわざ混んだ急行になど乗るだろうか。ぼくの言葉は、ぼくが特急に乗ろうとしていたと、Tさんにそう信じ込ませるに十二分な働きをしたに違いないのだ。
さてそうであるならば、なぜぼくは特急券の窓口の列から離れたか。そう、まさにTさんと特急に乗り合わせるのを避けるために違いないのである。それはぼく自身の行動として充分あり得ることだからなおよくないのだが、今回は事実に反している。ぼくはそれをTさんに弁解する機会を永久に失ってしまった、そんな自己満足の裏返しに過ぎない考えに苛まれながら、混雑した急行の吊革に掴まりながら、京都に向かったのである。

          §           §           §

今回の場合、悩んだ挙句ではあったが、急行にしようという比較的硬い決意ががあったから、こんな強いことが書けたのだが、もしも特急て行くつもりで列に並んでいたとしたらとか、まだ悩んでいる最中だったとしたらとか、そんな場面だったらどうだっただろうか。Tさんには申し訳ないけれども、急行で行く決断を押す結果になったに違いない。それはもうぼくという一個人の個性の問題に過ぎないのである。そんな自分がほとほと情けなくなるが、それをよしとしている自分もまたどこかに見え隠れしているから、まことに厄介な話ではあるのだ。
タグ:日常
posted by あきちゃん at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

局ヶ岳に登る

待望の局ヶ岳を訪れた。以前、飯高の道の駅からその秀麗な姿を望み、いつかその山頂を極めたいと思っていた。昨年、栗ノ木岳に登り、稜線の彼方に鎮座する姿を遠望して、その思いはさらに強まった。
車は荒滝不動の少し奥まで入る。昨年、栗ノ木岳からの帰路、北に下った庄司峠を、今度は南からめざす。最初は別方向から上がってきている林道を横切るなど、なんとなく定まらない感じの道だったが、あとは暗い谷筋を登り詰め、高度差約350mをひたすら登ること約1時間、急に周囲が優しく明るい緑色に輝き始めると、じきに小さな祠のある庄司峠に飛び出した。
小休止のあと、稜線伝いに局ヶ岳をめざす。ここから局ヶ岳までの標高差は300mだけれど、道自体はしっかりしているものの、細かなアップダウンが多い上に、ことに登りには石をまじえた急傾斜の箇所が多く、結構神経を使う。数字以上の登りをこなさなければならない。

          §           §           §

40分余りで821m峰。ここで昼食。展望はないが、落ち着いた稜線で、少し手前の北側に山並みが望めるところに腰を下ろす。それまで少し汗ばむくらいだったが、気温は高くなく、休んでいる間に少しヒンヤリとしてきた。ほぼ全天が髙曇りとなってきているのも影響しているようだ。
ここから幾分北に向きを変え、さらに北へ回り込む形で942m峰をめざす。時折ミツバツツジやシロヤシオなどの花々が出迎えてくれるようになる。花はあまり期待していなかっただけに、この応接はうれしい。また、942m峰が近づくにつれ、右手(南側)の視界が開け、これから辿る稜線の先の局ヶ岳の姿を望める場所も増えてくる。尖峰の手前にいくつか段々があって、あれを一つずつ上がっていくのか、大変そうだなあと思う反面、益々登頂への期待も高まっていく。局ヶ岳を望む(842峰から少し降ったあたりから).jpg
〔局ヶ岳を望む(842峰から少し降ったあたりから)〕

局ヶ岳を望む(942m峰の手前920m付近から).jpg
〔局ヶ岳を望む(942m峰の手前920m付近から〕
局ヶ岳を望む(942m峰付近から).jpg
〔局ヶ岳を望む(942m峰付近から)〕

          §           §           §

約1時間で942m峰。いよいよ次は局ヶ岳本峰である。しかし、ここから一旦鞍部まで結構な降りとなる。最低鞍部の標高は840mあまりだから、100mも下ることになる。これに約40分。そして都合190mほどの登り返しが待っていることになる。途中シャクナゲが群生しているところを過ぎる。薄いピンクの花が美しい。もうピークは過ぎているようだったが、これまたうれしい誤算。
最低鞍部からは少なくとも2箇所のテラスはあるはずと覚悟していたが、いよいよ最後の登りかと思った登りが、実はそうではないというのを2度経験してしまった。結局45分程度かけてじっくりと登りきり、低い鳥居をくぐって局ヶ岳山頂に立つ。局ヶ岳山頂.jpg
〔局ヶ岳山頂〕
基本的に妨げる物のない360度の展望だが、手前に低木の枝や草などの障害物は結構あり、残念ながら障害物なしでの360度の展望を記録することはできない。前回登った栗ノ木岳の三角峰が、ちょうど稜線にかぶさる形でその特徴的な山容を見せてくれている。
三峰山から続く稜線を望む(局ヶ岳山頂から).jpg
〔三峰山から続く稜線を望む(局ヶ岳山頂から)〕大洞山(左)と尼ヶ岳(右)(局ヶ岳から).jpg
〔大洞山(左)と尼ヶ岳(右)(局ヶ岳山頂から)〕
伊勢方面を望む(局ヶ岳山頂から).jpg
〔伊勢方面を望む(局ヶ岳山頂から)〕
それにしても山頂東側の反射板は無粋だ。こんなものを作らなければならないのなら、いっそ稲村ヶ岳のような展望台を兼ねたものにしてくれたらどんなによかったことか。せっかくの360度の大展望が台無しだ。

          §           §           §

帰路は局ヶ岳神社へと向けてひたすら下る。70分ほどの単調な下りが続く。最初のうちこそ岩をまじえた下りがいのある部分があるものの、あとは迷うこともなく時にジクザグを繰り返しつつ高度を下げてゆく。思わずこれを登るのは辛いだろうなあと余計な心配も過ぎる。
途中マムシグサの奇怪な花が目に付く。丈の高いものばかりでなく、ほんの小さな株にも花が付いている。ただ、残念ながら一気に下る行程だったこともあって、写真を撮る機会を逸してしまった。
迎えのバスが結構な標高の所まで来てくれていて、そこからの展望もまたなかなかだった。道の駅に併設された飯高の湯まではバスだと僅かの時間。意外に凝ったさまざまな風呂が楽しく、時間の経つのも忘れて湯に浸かることを楽しんでしまう。

          §           §           §

こうしてすっかり気持ちよくなって車中の人となって船を漕いでいた訣だが、帰途、談山神社の脇を超えて盆地に下るところで見た、一瞬の信じられないような自然の光景がくっきりと心に刻みつけられている。
高曇りの空と西の地平線との間に、ほんの少しだけ雲のない隙間が空いていた。その隙間をオレンジ色に染めて今まさに二上山の双耳峰に沈もうとしている夕陽があった。隙間の幅は夕陽の直径より少し大きい程度だから、その隙間は葛城山にぶつかって消え、その輪郭のほとんどは雲に彩られていたのではないだろうか。
これを見ることができたのは、「二上山に!」 という同行の方のお一人の声に、夢の世界から現実の世界に引き戻されたお蔭である。もう一度よく見ようとしたが、次に同じ方角が視界に入ってくる場所に到達したときには、夕陽はもう粗方沈んでしまっていた。それを見ながらも、さっき見た景色は夢だったのだろうか、と思わないではいられないほどそれは一瞬の儚い景色だったが、でも確実に心に刻まれた自然の造形だった。今見え残っている夕焼けが鮮やかなのは、そうした心象を反映しているからだったのだろうか。
見ようと思って見られる光景ではないだろう。歯車がほんの少し狂っただけでも見られなかった景色に違いない。古代びとがさまざまな思いをあの山に託した気持ちが、ほんの少しだけ理解できたような気がした。
イワカガミの可憐な花たち.jpg
〔局ヶ岳山頂直下で見たイワカガミ〕
タグ:季節
posted by あきちゃん at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月17日

祖母の淹れたお茶の夢ー夢の記憶42ー

今はもうなくなった、生まれ育った実家の庭に面した縁側に佇んでいる。縁側は南に面してはいるものの、南側に高い崖があって、そこに向かって築山が築かれている。山の下には瓢簞型の池があり、池の西側の藤棚の下を潜り、築山に登る石段が設けられている。元は、江戸の旗本屋敷だったところだから、それなりの由緒があった庭かも知れないが、もう見る影もない。
池の北側東寄りには全く実のならない桃の木が、東寄りの石垣の途中には柿の木が、築山の上の東端には枇杷の木が生えていた。戦時中の名残であろうか。あるいは、聞いてみたことはなかったが、戦後ここに越してきた祖父母、ことに吝嗇の祖母のなせる技だったのかも知れない。

          §           §           §

ぼくの脇でさっきからこの庭に見入っていた外国人の女性が、ポツリと、日本の庭ですね、と言った。荒れた見る影もない庭のどこに日本らしさを見出したのか、訝しがったけれど、祖父母が建てた今ぼくらが佇む縁側のある家とともに、ある意味典型的な昭和の日本の風景だったようにも思う。それを理解してくれた女性の言葉が身にしみてうれしかった。ぼくの過ごしたこの家での時間への共感でもあったと思えたのである。
お茶でもいかがですか? ぼくは女性を居間に招じ入れた。我が家の食事部屋でもあった、家の西北の隅にあった四畳半の飾らない和室である。ここは、祖父母の寝室も兼ねていて、昼間は祖母の居間にもなっていた。
祖母が四角いお菓子を用意してくれた。香り高いほうじ茶も淹れてくれた。祖母にお茶をいただくなんてかつてなかったことだ。しみじみとありがとうを言った。何がどうということはないのだけれど、ひたすらなつかしかった。

          §           §           §

ちょっと出かけて来るからね、と言って祖母が出て行った。相変わらず忙しそうだなぁ、と思った。ひたすら静かだ。なんて贅沢な時間なのだろう、そう思っていてハッとした。祖母はとっくに亡くなっていたはずではないか! 何故そんなことに気付かなかったのか。本当に取り返しのつかないことをしてしまった、もう会えないのに、どうして引き止めなかったのか。強迫観念にぼくは次第に苛まれていったのだった。
気付くと、四畳半にいるのはぼくただ一人。さっきいただいた四角いお菓子が半分、まだ紙に包まれてお膳の上にあった。柱時計が振り子の音だけを響かせていた。
タグ:日常 記憶
posted by あきちゃん at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする