2017年07月16日

梅雨は明けたのだろうか?

もう梅雨は明けたのだろうか? この先の予報図にも前線は明瞭には描かれていない。今年は梅雨といえる季節があったのだろうかとさえ考えてしまう。集中豪雨は各地で頻発している。島根県南部で降り出したと思っていたら、少し間をおいて福岡・大分など起こった集中豪雨は想像を絶するものだった。あんな降り方をされたら、というような雨が実際に降るのである。しかし、雨雲の広がりが局所的で、降り方があまりに偏っている。
最近は雨雲の様子がリアルタイムで見られるようになった。どの地域でどのくらいの雨が降っているかが居ながらにしてわかるのである。南北幅はさほど広くないが東西に帯状に連なる幾筋かの積乱雲列が、僅かな南北の振幅を伴いながら、数時間同じようなところに居続ける。とはいっても雲は停滞しているのではない。雲列の中を雲の強い部分が波動となって西から東に動いていくのである。画面上でいえば、強雨を示す真っ赤な塊が次から次へと動いていくように見える。地上にいるなら、一つひとつはけっして大きくはない積乱雲の塊が、次から次へと通過していくという感じだろう。

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こんな雲列をどこかで見た記憶があると思ったら、ここまで強くはないけれど、冬の日本海側をびっしりと埋め尽くす、いわゆる筋状の雲だった。でも、雪雲の場合はもっと広範囲に広がるし、降らせ方はもっと穏やかだ。1時間に5㎝程度も降れば大雪だろう。5㎝と言えば降水量にすれば5㎜である。もしも集中豪雨のような1時間あたりの雨量が50㎜などというのが雪で降るならば(そんなことがあり得るのかどうかはわからないけれど)、とんでもないことになるだろう。
ただ、それにしても最近の集中豪雨は本当に集中的に降る。一昔前も似たような降り方をすることがあるにはあったが、今リアルタイムで観察できるような、狭い範囲だったのだろうか? イメージ的にはもう少し範囲が広いように思っていた。それとも単に雨雲レーダーで見られるようになったことによって実態がわかるようになっただけで、昔からこうだったのだろうか。

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リアルタイムで雲の様子がわかるようになったのはありがたいことだが、それを実際の防災に役立てることができなくては意味がないだろう。見てなるほどと納得しているだけではしかたがない。先週末ぼくの住んでいる辺りでも僅かの時間だが雷雨があって、雨雲が近づいてくるのは事前にキャッチできた。しかし、いよいよ降り出すとなった時、もう一度様子を見ようとしたら、電波の状態が悪くて、つながらなくなっていた。雷の影響なのか、集中的なアクセスのためかはわからないけれど、情報があってもアクセスできないのではいかんともしがたい。
それに、もしアクセスできたとしても、時間雨量100㎜などというのが降ってきたら、やれることは限られてしまうだろう。雨雲の帯から逃げられればよいが、それが難しいなら安全な建物に避難することくらいがせいぜいかも知れないが、実際にはなかなか難しかろう。それに大地は持って逃げるわけにはいかない。
集中豪雨が都会を襲わないという保証も全くない。幸い都市を集中豪雨が襲った例はあまり多くない。夏の大雷雨は東京などでもよく経験するところだが、梅雨末期の集中豪雨が都会を襲った例としては、長崎市街を襲った事例が今も記憶に新しい程度である。眼鏡橋が流されるなどの大きな被害が出たときのことである。都市を襲う水害で怖ろしいのは地下街だろう。地下街や地下鉄の排水が追いつかなくなることはあり得ないことではないだろう。

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数日前にもあちこちで集中的な雨が降った。犬山、米沢。随分広範囲だ。ただ、雨雲の様子は、福岡・大分の時とはかなり異なる。丸い雨雲が単発的に湧いている。これは前線による集中豪雨というよりは、時を選ばぬ点を除けばまさに夏の夕立だ。雨の強さは似ていても、遙かに短時間だ。やはり、前線に沿って降る雨とは区別しておくべきなのだろう。
もうこうなると、いよいよ梅雨明けの感が強まってくる。そういえば、もうセミも鳴き始めている。生き物はその点、梅雨明け宣言を信じている人間に比べると、正直というか、とても敏感だ。
梅雨のない北海道で猛暑日が続いているという。今年の夏はいったいどうなってしまうのだろうか?
ラベル:季節 日常 天気
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2017年07月02日

初めて夏を感じた日と乗り物の夢─夢の記憶44─

昨日はまさに夏を感じさせる1日だった。湿気を含んではいるが風が結構吹いていて、洗濯物はよく乾く。北上した梅雨前線に向かって吹き上げる南風で、日本海側に集中豪雨を降らせる源である。列島上で南北への振幅を繰り返す前線が、もうあと2、3週間もして下りて来なくなれば、待望の梅雨明けとなるのが例年のパターン。7月初日の昨日は、真夏の日射しがのぞく青空に黒い雲が流れ、ようやくその前兆が垣間見られた1日だった。
今年も早くも折り返し点を過ぎてしまった。ぼくの場合、例年4月から6月までの第二四半期が何に付け一番じっくりと物事に取り組める時期なのだが、ここ数年急激にその余裕がなくなってきている。折り返してからの半年の速いこと速いこと! その加速は本当に怖ろしい。今年の後半は例年になくいろんな予定が詰まっているから、覚悟はして過ごしてきたつもりだったのに、どうにもならなかった……。

昨日したことといえば、先週刈り残した生垣の剪定の続きを片付けたことくらいか。今やらなければ、このまま夏を越してしまいそうで、そうなるととても見られた状態ではなくなるのが目に見えている。しかも表側である。意を決して午後の2時間ほどをこれに充てることにした。
交替で庭に出した犬たちも、刈り込み鋏を使うぼくの傍に寝そべって手伝っているつもりでいる。そのくせ裏の遊歩道を子どもやお散歩犬が通りかかると、一目散に駈けてゆく。そしてふと気が付くと、いつの間にか自分の位置に戻って何事もなかったかのようにぼくを見上げている。散歩には連れて行ってやれなかったけれど、結構楽しんでくれていたようだ。これで生垣は見られる状態にすることができたのだが、今年は芝生の養生をしてやる暇がない。雑草が目に見えて繁茂しかけている。なんとかしなければ……。

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昨晩は見事な半月が輝いていた。昨晩見た夢。
どこかわからないターミナル駅から電車に乗ろうとしている。ここから出る私鉄のようだ。何時にどこへと、行き先は決まっていたようだ。時間にまだ余裕があったらしく、駅ビルの5階にある本屋へ行って時間を潰そうと考えた。この本屋は以前は1階にあって、こういう時に重宝したのだったが、いつの間にか5階に移ってしまい不便極まりない。夢でなく実際にこういう経験をしているようにも思うけれど、それがどこなのか思い出せない。純粋に夢の中でのこととしても、以前にも同じような経験をした記憶もある。
通路の奥に、これから行こうとしている5階に上がるエレベーター方向への入口が見えていて、ぼくはそちらに向かって歩いている。すると、左手前方から電車がやって来て、ぼくの左側を通って行く。そこは線路敷きでも何でもなくて、今歩いている通路の続き。路面電車のような感じで、その電車はぼくと反対の方向に進んで行くのである。そして、ああ4両編成の短い電車だなと思ってやり過ごそうとしていると、電車は速度を落として止まってしまった。駅での電車のやりくりが錯綜しているのかも知れない。さっき路面電車のようだと書いたが、列車の来た方向を見ると─それはぼくが行こうとしていたエレベーター入口と同じ方向─、ずっと同じ平面なのではなく、途中までは塀で仕切られていて、塀のあるところまでは線路敷きが設けられている。要するに、塀が途切れたところからこちらが、路面電車になっている訣である(この景色、どこか現実の世界で見た記憶があるのだが……)。

電車が止まったのは、ちょうどその塀が途切れるところに最後尾が引っ掛かっている位置で、ぼくは今まさにそこの地点に差し掛かろうとしていた。電車と塀の間は50㎝程。何故かぼくはそこに入って行こうとした。通路を真っ直ぐにエレベータに向かうより、線路沿いに言った方が近いとでも考えたらしい。
すると、ちょうど最後尾の車両の数メートルが塀の端の部分に止まっている電車の車掌室のドアが突然開き─塀との間はドアが塀にあたりそうになるくらいしかない─、車掌さんが下りてくるではないか。どうもこちらに向かってくるようだ。それで、近道しようとしていたらしいぼくは、いろんな意味でややこしいことになりそうだと咄嗟に判断し、その狭い部分を通り抜けることを諦めざるを得なくなった。ぼくは舌打ちして電車から離れ、塀の反対側の広い通路をエレベータに向かうことにしたのである。

そうしてエレベーターまで辿り着くと(途中の経過は全く不明。場面転換といってもよいくらい)、そこには中学生くらいの制服の女の子が2人待っていた。よくわからないが取り込み中のようで、エレベーターを出たり入ったりしている。ぼくはエレベーターを左前に見る位置に立って、彼女たちの用事が済むのを待っている。
そのエレベーターというのが変なつくりで、石組みの低い囲いがあるだけだ。たとえは悪いけれども、ちょうど墓石が立っていないお墓のようだ。景色もまさにそれで、シースルーという訣でもあるまいが、エレベーターの向こうには草原や木々が広がっているのが見える。
女の子たちの用事が済んだようで、2人もエレベーターに乗ろうとし始めた。じゃあぼくもと思ったが、エレベーターの形状がおかしいからというよりは、むしろ女の子たち遠慮する気持ちから気後れしてしまい、乗らずにやり過ごしてしまった。
本屋へ行くのを諦めたのか、あるいは階段で上ったのか、その後のことは皆目わからない。エレベーターが上がっていったのかも正直言ってわからないが、記憶のある部分は妙にリアリティーのある夢だった。
ラベル:季節 記憶 日常
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2017年06月28日

梅雨まっ最中に剪定に励む

ようやく梅雨らしくなってきたが、相変わらずシトシトという感じではなく、降るときはまとめて降ってあとはカラリという、陽性の梅雨が続いている。今週は傘マークが並んでいるが、週末以降はお日さまも顔を出していて、今後の梅雨の成り行きが心配だ。
予想天気図を見る限り前線は北上傾向で、週明けには東北南部から韓国にかけて横たわる予測になっている。その後の再南下はあるのだろうか。いずれにせよまだまだ雨は足りていない。猛暑の予報に対する覚悟はできているが、もう少し梅雨にがんばってほしい。改めてごく平穏な梅雨の経過を祈るばかりである。

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 先週末は土曜日から日曜日にかけて雨がまとまる予報だったが、日曜日の朝には雨は一旦上がり、回復するかに見えた。この日は月に一度の自治会の清掃の日で、前の晩からこの分だと中止だろうと高を括っていたら、朝目覚めると降っている気配がなく、慌ててしまった。ギリギリ間に合って、夏時間だとかで通常より30分早く8時半から始まる掃除に参加する。
 掃除自体はたいしたことはないのだが、我が家は裏が遊歩道に面しているので、その我が家側の植え込み部分の草引きがいつも大ごとである。うっかりすると半日かかってしまうこともしばしばで、年を重ねるにつれ負担に感じることが多くなってきている。今時分と秋に市の草刈りが入るし、最近は自治会でも外部に頼んで一定のことをやってくれているので、いずれはきれいになるのだが、かといっていつかわからぬものをあてにしてそれまで放っておくわけにもいかない。
隣はいつもきれいにしていられるし、遊歩道の向かい側のお宅などは、自分の家の延長としての石などを並べて花壇風に整備してあって、それはそれで如何なものかとは思うが、通行する人たちの目は、やはり雑然とした方に行ってしまうだろう。

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越してきた当座は、遊歩道の草引きを仕上げたあと、家の表と裏のプリペットの生垣の剪定、そして芝刈りと、これだけを1日かけて行うだけの充分な体力と気力があった。しかし、もう最近はそんなことは到底無理で、芝刈りは言うに及ばず、剪定も片側だけでもやれればいい方だ。
今回は、幸いにも草刈りの直後だったようで、しかも雨上がりの曇り空のもと、草引きはほとんど手間を掛けずに比較的あっさりと汗もかかずに済ますことができた。これは剪定に励まねばなるまいと、ボウボウに伸び始めているプリペットを見て覚悟を決めたのだった。
 まず家の敷地の中から刈り込み、ついで遊歩道側に回って外から刈って(生垣に裏へ抜ける戸口を設けなかったがために、裏へ回るには3件先のバス通り沿いのお宅までグルリと回ってこなければならない)、その刈り枝集めをまず済ませて家の庭に運んでおく(当然グルリとまわって。生け垣越しに放り投げ入れたい思いにいつもかられる)。遊歩道の草引きに精を出さねばならないときは、引いた草と剪定した枝をゴミ置き場に運ぶだけで疲れ果ててしまうものだが、この日は幸い草引きが簡単で済んだので、枝を合わせても70リットルのゴミ袋一つで済んでしまうという奇跡的な状況だった。

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 こうして始めた剪定だったが、そんなこちらの覚悟を嘲笑うかのように、雨粒が落ち始めた。朝の予報で雨雲が通過する時間帯がありそうなのは承知していたが、こんなに早くやって来るとは思ってもみなかった上で、結構な降りになってきた。そうはいっても刈り始めた生垣を中途半端にしておくわけにはいかない。そんな訣で、雨中に剪定を決行する羽目に陥ったのだった。一件置いたお隣からも、パチパチいう音が聞こえて切る。事情はよくわかる。
ここに家を建てた15年前に一緒に植えた生垣の一部であるのに、余程栄養の周りが違うと見えて、どうしてこうもバラバラなのかと思うくらい、刈るべき量が場所によって異なる。伸びの良くないところは、これも子孫を残さなければという生き物の習性なのか、花が咲き黒い実を付ける。元気なところはこれでもかと言わんばかりに枝を伸ばす。肥料も少しはやっているのだが、顕著な効果は現れない。

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ともかく、雨だか汗だがわからない状態になりながら、裏側の剪定を終える。さて、これでシャワーを浴びてサッパリできると思って片付けを始めようとしたら、家の中から家人が声をかけてきた。珍しくご苦労さまのひとことでもあるのかと思いきや、そこのお隣との境の伸びてる木も切っといてくれる? お願いね!
どうも家人は、雨が降り出していることさえ気付いていないらしいのだ。やれやれ、と思いながらも、どうせびしょ濡れになっているんだから、と妙な男気を出して、また剪定バサミを握ったのであった。
それから30㎝ばかりも切り縮めただろうか、この日一番目に見えて上がった成果はこの隣家との境目の木を整えたことだったようだ。そんなことを思いながら浴びたシャワーは爽快だった。
雨はそれからまもなく上がったが、表側のプリペットの剪定のことはすっかり忘れて、京都から帰宅していた末娘の買物に家人とともに付き合って、貴重な日曜の午後を費やしたのだった。
ラベル:季節 日常 天気
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2017年06月17日

夢の中で目覚めて怖しい経験をした夢─夢の記憶43─

6月ももう後半に入ろうとしているというのに、この季節とは思えない爽やかな好天が続いている。例年の今頃ならもうほぼ毎日半袖で過ごしていただろう。しかし、今年はジャケットを羽織る日々だ。日中はさすがに汗ばむ陽気になるけれど、朝晩はひんやりするほど。
ごくたまに低気圧がやって来て、ある程度まとまった降りになることはあっても、グズグズすることなくスッキリと回復する。しかもその爽やかさが持続するのだ。普通だと、初め大陸から乾いた空気を運んで来た高気圧も、日本附近を通過するうちに温暖化し、天気図上いつの間にか太平洋高気圧に変質してしまうのが常だ。そしてそんな湿気の増して来た時に、ちょっとでも寒気が流れ込みでもしようものなら、途端に大雷雨に見舞われる。夏の雷雨と違ってこの季節が怖いのは、溶けきらずに地上に届いて雹になることがあるから。
ところがこんなに冷んやりしているのに最近はそれが全くない。もうこれだけこうした陽気が続くと、これが当たり前になって、いつもがどんなだったかわからなくなってきてさえいるが、こんな年はほとんど記憶にない。空梅雨になったことは確かに何度もあった。しかし、それはたいていは夏が早々にやって来る場合だった。
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〔この季節恒例にしている人間ドックで訪れた大阪市内も爽やかな好天だった。写真は大阪城大手門と千貫櫓〕

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さて、このところ、机に向かって寝てしまい、夜中に目覚めることが多い。昨晩もそうだった。お風呂の順番を告げに来た家人が閉め忘れたのか、室の扉が閉まり切っていない。目覚めが2時くらいまでだと、それからほとんど眠ったままのような状態で、シャワーを浴びにいく。
お風呂から上がったあと、すぐに休みたいのは山々だが、このまま寝たりしようものなら、翌朝髪の毛がえらいことになる。若い頃よりは随分密度が減ったし、細くもなったので、あの絶望を味わうことはまずないとは思うが、用心するに越したことはない。朝の寝癖直しほど虚しい時間はない。
幸い体が温まると、暫くは机に向かったまま眠りに陥らずに過ごせる。それで、髪が乾くまで少しだけ仕事をするのが常だ。若い頃は机に向かって寝てしまうことなどなくて、明け方近くまで仕事をしてからまとめて寝むことができた。
しかし、今ではもうそれでは身体がもたず、さっき言ったような分割睡眠方式がもっぱらだ。風呂上がりはすぐには眠くならないというのを応用するなら、机で寝てしまう前に風呂に入ればいいようなものだが、これは風呂の順番があって、そう簡単には思うに任せられないのである。

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そうして昨晩床に就いたのは4時過ぎで、90分を単位とする睡眠のあり方からすれば、たいへん効率の悪い時間だったためもあってか、おかしな夢を見た。
どうも夢の中でも机に向かって寝てしまっていたらしく、寝起きのよくない状態で目が覚めた。右手が変に痺れている。以前これのひどいのをやってしまい、完治まで3週間近くかかった苦い経験があることを夢の中で思い出していた。
ああまたか、と思いつつ意識朦朧とした状態のまま部屋から出て、玄関を開けて外に出た。そこには小さな部屋があって、いろんなものを売っていた。コーナーごとに店番のおばさんがいる。食べ物もあれば、ちょっと小洒落たグッズもある。
ひとわたり見て回ったあと、ふと以前クリーニングに出したワイシャツをここに引き取りに来たことがあったのを思い出した。いつもはハンガー仕上げで頼むのだが、畳んだぼくのワイシャツが、5枚くらい並んでいたその時の様子がはっきりと目に浮かんでくる。
そうだ、部屋にある洗濯物を出しに来なくちゃ! それでぼくは急いで家に帰ってドアを開けて自分の部屋からクリーニングに出す洗濯物を抱え、またさっきの店に戻った。
ちゃんと出したのかどうか記憶が曖昧だが、それからぼくは引き取りに行ったわけではないのに引き取った洗濯物を抱えて、家に戻って玄関のドアを開けたらしい。家人を起こさないように用心して。
すると、明かりの消えた真っ暗な玄関を入ったところに、誰かがいた。そこだけボーッと明るい。何度も出入りしていて起こしてしまったかと、怒鳴られるのを覚悟していたら、意外にもいつまでもじーっとしていて、一言も発しない。
実際には、誰かいるのを見て一目散に部屋に駈け込んだというのが正しいので、そんな悠長な話ではなかった。持っていた洗濯物がその幽霊もどきの人に当たった感触を覚えたのも構わずに部屋に駈込んだのだった。
そうしてまた寝ようとするうちに、今の光景が急に甦ってきて、その怖ろしさに身震いしたのだった。そのまま冷や汗が噴き出るのを感じつつ、震えたまま眠りに就いたのだった。あれは誰だったのだろうか。家人だったようでもあるし、そうでなかったような気もする。

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来週の予報には、水曜以降僅かだか雨マークが顔を出している。これまでも同様の予報を見てきたが、いざ蓋を開けてみれば尽く好天に転じて来た。この爽やかさであるから裏切られたという思いは全然ないけれど、いかにせんこのまま夏を迎えたのでは、水不足が心配だ。平穏なごく普通の梅雨になってくれることを切に祈りたい。
ラベル:季節 日常
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2017年06月14日

果てなき峰を訪れる(その2・結)​

その1よりつづく)5時過ぎ起床。8時間の睡眠はいつもの倍に近いうえに、寒いほどの張りつめた大気に、昨日にも増した好天が約束されて、気持ちも軽い。
6時、昨晩と同じ旧校舎に設けられたミーティングルームで朝食。朝から充分の腹ごしらえを済ませ、7時前に出発。
7時半、昨日と同じ冷水山直下から冷水山を目指す。ここの登りは昨日味わった以上にかなりのアルバイトを強いられる。しかし、やはり一度通った道は気分的に随分短く感じる。
朝の空気に包まれた山頂に飛び出した時の爽快さは昨日に勝るとも劣らない。しかもほぼ快晴の青空に映える山脈の美しさに思わず息を呑む。ことに、逆光ではあるが、大峰主脈上で天を突く釈迦ガ岳の鋭峰は、ひときわ印象的だ。
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〔朝の冷水山南面の大展望〕

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南北の大展望を存分に楽しんだら、今日は尾根を東へと辿る。幅広の自然林の尾根道は木洩れ日に溢れ、鳥たちが嬉しげに朝の挨拶を鳴き交わしている。眺望には恵まれないものの、まさに山上の楽園と呼ぶに相応しい光景が続く。ここからカヤノダン(1178mのピーク)を経て公文の崩と呼ばれる南側が大きく崩壊した地点あたりまでが、まさに果無山脈の核心、ハイライトと言ってよいと思う。
朝の清々しい空気の中を歩いたせいもあるのかも知れないけれど、それだけではないこの付近独特の雰囲気があるよう感じた。ブナの、時折老木と言っては失礼かも知れないが、それぞれに個性溢れる枝振りの風格の巨木を交えた明るい樹林帯に、快晴の空からきらきらと降り注いでくる木洩れ日を全身に浴びながら、足取りも軽く尾根道を行く。ここまでやって来て、本当によかったと心の底から思った。
同行の方の一人がふと、この「ひと」たち、夜はこの辺りを歩き回ってるんじゃあない? と言った。そうなのだ、単に静寂なだけではない、そんな生き生きとした躍動感がこの森にはあるのだ。何か命の息吹のようなもののミストの中を歩いていると言ったらよいだろうか。そんなことを考えながら、相槌を打つこともなく聞き流してしまった態で、たいへん申し訳なかったと今にして思うが、あまりに当を得たコメントで、深く頷くのがその時は精一杯だったのだった。

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公文の崩は、道からちょっとだけ外れるので、うっかりすると気付かずに通り過ぎてしまいそうだが、尾根のすぐ北側を通る自然林の道の尾根側が、ふっと窓のように明るくなっている。わずかに稜線に駈け上がればそこが崩壊部の頭に当たる場所だった。最初に登り着いた地点は、展望に見惚れていてその時は気付かなかったが、あとで横から見たら下が大きく抉れて、ヒヤッとさせられた。
果無の尾根上は道標がかなり整備されていて、ローマ字表記もあるのだが、それによれば、崩はツエと読むようだ。クエなら、笠捨山の近くにある蛇崩山に例があるのでわかるが(ダグエヤマも初めは全く読めなかった)、ツエは解せない。kがtに転化するとは思えないし、もしかしたらローマ字表記の誤記かも? などと疑ってしまう。
さて、ひと登りで到達する公文の崩の頭(1155.6mのピーク)は、公文の崩からは離れていて、歩いている感覚では無関係に思えるけれど、麓からは崩れの上に見えるピークということなのだろうか。公文谷に頭という山名表示もあったから、崩れのある谷の源頭ということかも知れない。
ここから東に下った鞍部が筑前タワで、その手前は北側の展望が開け、快晴の青い空に山々が映える。次の1117mのピークにはかわいそうに名がない。果てなく繰り返されるピークの登りがあるために邪険にされたのだろうか。これを越した次の鞍部にはちゃんとミョウガタワという名があって、大事にされているのと対照的だ。眺望のない越すだけ手間のピークよりは、ホッと一休みできる鞍部の方がよい‥
ここで時間的には少し早いが、腹時計的にはやや遅いくらいの昼ごはんにする。ヤマセミの郷で特別に用意してくれた弁当をいただく。
再び稜線を東へと辿り、1158mのピーク(これも名なし)を越え、緩やかに下ったあと、次なる目標のブナ平への登りにかかる。筑前タワからこのかた、この辺りずっとブナの巨木があって目を引く。ブナ平はブナを名にもつのだからさぞかしと期待も募る。
1258mピークから下る途中、一度僅かに登り返した標高1150m附近に、この下源助墓約5分と書かれた道標が置いてある。さあ、どこの源助さんやら知らないが、こんなところに葬られるなんて、あるいは行き倒れにでもなったのか知らんと、いろんな物語が浮かんでくる。でもどうやっていけばよいのだろう。
(帰宅してからよくよく地図を見ると、筑前タワの東から、地図上の道は稜線を離れ、1117m峰や1258m峰の南を巻き、ブナ平への登りにかかる手前で稜線を北に乗り越して北側の道に移れるようになっている。この道はブナ平の少し先で稜線に乗っているから、地図上ではブナ平のピークを通る道はないのである。
それはさておき、道標を信じるなら、源助墓はもしかしたらこの地図上に描かれた稜線を南側に外れて通る道沿いにあるのではなかろうか。次にいつ来れるか、いや来れるかどうかさえ危ういが、せめて源助さんの素性だけでも知りたいものだ。
話がどんどん横道にそれるが、源助さんの墓を訪ね当てた方もいられ、墓石の写真をアップしているサイトがあった。それによれば源助さんは姓は大谷、明治26年に78歳で亡くなり、十津川村の猿飼の人がこの墓を建てたものらしい。ただ、その方も源助さんの素性までは触れていられなかった。)

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さて、ブナ平への道は左に平坦地を見ながら、右に大きく回り込むように緩やかに登って行く。平坦地はブナ平の名に相応しく美しいブナに彩られている。ブナ平の山名板は平坦地の奥を横切ってもう少し登ったところの1 121mのピークにあったが、やはりその西に広がる平坦地こそ、リーダーが説明してくれたように、ブナ平と呼ぶに相応しかろう。
ブナ平から50m程緩やかに下ってまた登り返したピークが石地力山。1139.8mを誇る。この辺り、正直言って疲れも出てしんどかったが、それを癒してくれたのが、石地力山からの北から西にかけての大きく開けた展望だった。歩くのに精一杯で、このあと石地力山があることをすっかり忘れていて、この展望が目に飛び込んで来た時は驚いた。疲れがいっぺんに吹き飛んで行った。
ことに今日歩いて来た行程が手に取るように望めたのはうれしかった。さっき越して来たブナ平が左手前に大きく、そこから右奥へあまり起伏なく連なる山塊が延々とつづき、最奥の果無の最高峰で今日の出発点でもある冷水山に向けてせり上がってゆく。辿って来たカヤノダン、公文の崩れ、公文の崩れの頭、筑前タワ、ミョウガタワがどこに当たるかは特定できないけれど、果てなき峰をここまで歩いて来られた感慨はひとしおだった。石地力山から果無山脈を振り返る.jpg
〔石地力山から果無山脈を振り返る〕
こういう形で来た道を一望に振り返れる山はそう多くはないだろう。誇れるものかどうかは別として、人生の終わりもこんな風なのかも知れないなどともふと考えてしまう。いや、こうありたいものだ。
もっとも、今日の行程はこれから先がまだまだ長いのである。果無の名を負う地点は実はみなこの後に控えている。石地力山の次の1114mのピークが果無山、そこから下った1060mの鞍部、小辺路と合流するT字の交差点が果無峠、そしてさらにここから小辺路を下った下山地点が果無の集落である。果無山脈は、むしろ果無から始まる山並みの意味と捉えた方が良さそうだ。

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果無峠からの道は、いわゆる小辺路の一部で、信仰と物流の動脈として栄えた、西国三十三ヶ所を移した石仏が傍に安置された石畳の道となる。果無峠にあるのが、第十七番六波羅堂の観音様で、ここから果無集落に向けて、数が増えていく。途中には茶屋の跡や、天水だけで維持した田んぼの跡などもあって、結構疲労は溜まっているのに意外と距離を感じずに歩くことができた。しかも1ヶ所奥駈道を望める好展望の地があって、疲れをすっかり癒やしてくれる。果無集落へ下る道から大峰山系を望む(中央「山」形が釈迦ヶ岳、右手台形が笠捨山).jpg
〔果無集落へ下る道から大峰山系を望む(中央「山」形が釈迦ヶ岳、右手台形が笠捨山)〕
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〔八経ヶ岳から釈迦ヶ岳(拡大)〕
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〔南奥駈方面(拡大)〕
ただ、その後に続く石畳の道は、山靴だと案外歩きにくい。ことに疲れの溜まっ足腰にはこたえる。これはやはり草鞋で歩くのに歩きやすいような配慮なのだろう。稜線のブナの落ち葉がカサコソいう優しい感触の道がなつかしい。
最後は三十三番までいくのかと思いきや、二十九番の松尾寺の観音様の下までバスが上がって来てくれていて、あっさりゴール。足首を捻ることもなく降りて来られてホッとする。世界遺産の碑に立ち寄るおまけもついて、こうして二日間にわたる果てなき峰の山旅は果無集落で終えたのである。十津川温泉昴の湯から見上げる果無の峰は、高くかつ大きかった。
ラベル:奈良 季節
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