2017年09月10日

初秋の離宮を訪れる

ほぼ30年ぶりに桂離宮と修学院離宮を訪れた。前回は春で、修学院の翌日に桂、今回は初秋のまだ暑さの残る日の午前に桂、午後に修学院の掛け持ちである。
見学には原則として事前申込みが必要な施設だから、思い立って行こうとしないと行けるところではない。前回の訪問から30年も間が開いてしまった理由の一つはそれであった。
学生時代、京都によく通っていた頃には、両離宮の参観には宮内庁京都事務所に往復はがきで申し込む必要があって、結構ハードルが高かった。初めて訪れた際には、東京の宮内庁にも僅かながら申込みの枠があると聞いて、それならばと思い立って出かけることにしたのである。それでも数カ月前から日時指定での申込みだったような気がする。許可書は宮内庁まで出向いて受け取ったのではなかったか。
そして今回、時を経てネットの時代を迎え、インターネットによるオンラインでの申込みが可能になっていた。希望日時の3ヵ月の前の月の1日から、というのは多分前と同じだろう。ただ、実際に今回申込みしてみて、さほどの手間は感じなかった。同行者のリストの入力なども必要だが、データさえ事前にきちんと用意しておけば、あとは入力の手間だけである。往復はがきを書いたり、実際に申込みに出かけたりすることを思えば、格段の省力化である。
同日の申込者で所定の人数を超えると抽選になることがあるようだが、基本は先着順で、数日後に結果の通知がメールで届くのもたいへん簡便である。それに基づき許可書を打ち出して持参すればよいのである。宮内庁所管の離宮の参観がここまで便利になっているとは……。一種、感動ものであった。
しかも、ありがたいのは、オンライン限定ではないことである。従来通りのはがきや窓口での申込みも存続させていて、申込み方法による優劣はつけていない。これは一つの優れた見識であって、今回も実はオンラインでの申込みをとちった部分があって、はがきによる申込みを併用してことなきを得たのであった。

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前置きは以上である。30年ぶりに訪れた両離宮の印象を述べよう。端的に言えば、ありふれた言葉かも知れないけれど、桂離宮は瀟洒、修学院離宮は雄大、の一言に収斂しようか。桂離宮は、けっして広くはない敷地なのだが、そこに狭さを感じさせない開放的かつ洗練の極みを尽くしたつくりの庭が展開する。人工の美の極致と言ってよいかも知れない。
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〔松琴亭前から天橋立を経て書院を望む〕

これに対し、修学院離宮は点在する茶屋を結んだ開放的な構成のうえに、さらに借景を取り込んだ名実ともに広大な景色が展開する。主として上御茶屋の印象ということになるけれども、大刈り込みに象徴されるような豪放な人工美も、雄大な自然の中に溶け込んでいて、人工性が目立たない。

上御茶屋(隣雲亭から).jpg
〔上御茶屋(隣雲亭から)〕

桂離宮はそれだけで一つの独立した小宇宙といってよいだろう。一方、修学院離宮は自然の一部の風情が濃厚である。桂で思い出したのは、東京に残る江戸の名園、例えば六義園や小石川後楽園、あるいは京都の東本願寺の渉成園などであり、あれらをさらに洗練させ瀟洒にしたものといったらよいかも知れない。ある意味江戸の時代性を反映した庭といえるだろう。
それに対し、修学院離宮には江戸という時代性はあまり感じられず、むしろ時間を超越した空間という印象が強い。思い起こしたのは、大峰や台高の山々だった。桂離宮は確かに美しいし、それは絶対的なものなのかもしれないけれど、修学院離宮にはそれを超越した普遍的なものを感じずにはおられないのだ(その点でいえば、上御茶屋の江戸末に付加された千歳橋には違和感を感じる)。

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今回の参観は9月の初めの例年ならまだ残暑の時期のことで、季節的にはあまり期待をしていなかった。しかし、秋の到来の早い今年の9月初めの空気はもう秋で、ことに午前10時からの参観だった桂離宮は、清々しさを感じるほどだった。また、15時からの修学院も気温こそ上がっていたものの、茶屋どうしを結ぶ馬車道の両側のたんぼは稲刈りの真っ最中で、その鄙びた風情はこの上なく美しかった。
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〔比叡山を正面に修学院離宮へ向かう〕

上御茶屋を振り返る(遠景に比叡山).jpg
〔上御茶屋を振り返る(遠景に比叡山)〕

同行した家内は、30年前に比べると随分荒れた感じがすると言っていたけれど、夏を越したばかりの疲れと考えたい。それもまた景色の一部なのであろう。庭は、植物という生き物をその構成要素の一つとしているから、時の経過が必然的に変化をもたらす。変化するものとしての景観という考え方があるのかどうかわからないが、そこまで見通して庭を造るのか、あるいは構成要素の変化に応じて、臨機応変に手を加えていくのだろうか。あるいは、成長する庭という感じで、当初考えてもみなかった新しい庭の造形が生み出されてゆくということがあるのかも知れない。いずれにしても、公開と保存を両立させながら、景観を長期間にわたって維持してゆくのは並大抵のことではなかろう。
庭としての離宮の参観は至れり尽くせりの感があるが、建物の中から庭を見られたらどんなにいいだろうという思いはある。建物は生活空間であるから、それを真に理解するためには、その中に入ることが是非とも必要である。庭があって建物があるのではなく、建物があって庭があるのである。そのことをぼくはかつて三渓園の臨春閣(桂離宮の書院に似た雁行状の書院建築である)で思い知らされた。

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〔桂離宮といえば松琴亭のこの大胆な市松模様〕

建物を庭の構成要素の一つとしてではなく、庭もその構成要素として建物自体をじっくり味わってみたいと思うのである。保存という観点からそれはなかなか実現は難しいと思うので、例えばヴァーチャルでとかなど、工夫を凝らすのは不可能ではないだろう。そんな夢も抱きつつも、満ち足りた思いで日の傾いた修学院離宮をあとにしたのだった。
ラベル:建築 京都 季節
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2017年09月05日

夏を惜しむ余裕もなく訪れた秋と切羽詰まった夢─夢の記憶45─

先週金曜日で月が替わっていよいよ9月。朝晩めっきり涼しさが加わるようになり、日中のセミさえも、鳴いていたのだかどうかほとんど記憶がなくなるくらいになってきた。夜はもう虫の音が心地よい。東冷西暑で、関東に比べればまだ日中はかなり暑い日もあったし、湿度の高さにうんざりするようなこともあったが、それとてさほどの印象を残していない。梅雨明け宣言よりも前に本番を迎えた夏が、むしろよくここまでもったなあという感じで、なんだかあまり夏という感じがしなかった。あまり惜しんでいる暇さえなく、今年の夏はいつのまにか過ぎていこうとしている。

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何かに追われるように季節が過ぎているのと関係してか、変な夢を見た。バスに乗って移動している。家に帰ろうとしているらしい。乗り合いの公共バスのようだが、マイクロバスのような仕立てで、ぼくは運転席のすぐ隣にいた。前方の景色の記憶はあるものの、ぼくはずっと頭に布団のような物をかぶって、身を潜めていた。バスのフロントガラスの窓が、頭すれすれくらいの位置から上にあったような記憶がある。
どうしてそんな状態にあったのか。どうもいつ撃たれておかしくないような治安の地点を、バスは通り抜けようとしていたらしい。ぼくはその恰好で、早く安全な地点まで辿り着き、家に戻れることを震えながら祈っていった。
一旦信号で止まる。そこは二つの道が合流する地点のようで、以前逆方向に自分の車で走った記憶が、夢の中のぼくにはあった。家からここまで来て、今右手から合流してくる道、つまり当時の進行方向でいえば左手に道を取り、それまでなら全く安全上問題のなかったその場所が、急におかしなことになっていて、身の危険を感じつつ走り抜けたことを考えていた。
信号で止まった地点はまだ危険地帯の真っ只中にあり、早く、早くと急かされながら信号が替わるのを待っていた。この付近で銃撃された犠牲者のことが夢の中のぼくの頭をよぎった……

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眠りに就く前に、特に銃撃のニュースを見た訣でもない。なぜこんな切羽詰まったような夢を見たのだろうか。日中確かに次から次へとやって来る仕事たちに追われていたのは事実だ。しかし、ここまで不安に駆られて仕事をしていたことはない。
動きのペースという点でから記憶にあるのは、夜寝る前に犬たちの散歩に行ったことである。ずんずんリードを引く犬たちを抑えつつ、家内と二人で一人ずつを連れ、まるで二頭立ての馬車のようにPPとACを連れて行ったあと、今度は孤高でいわば気位の高いAGを、一人だけ連れてもう一周してきたのだった。
あの散歩のペースの延長というのが一番しっくりとくる。でもけっして何かに追われる切迫感はなかった。むしろ、軽快に歩いてきたつもりだったのだが、どこかに潜んでいる不安、それが夢の中で自ずと表に出てしまったのだろうか。それとも政府が煽りに煽っている危機感が、知らないうちに身体に感染し、夢の中で滲み出てきてしまったのだろうか?
週末は、日射しこそまだ夏を思わせたものの、風はもう完全に爽やかな秋の風だった。
ラベル: 季節 日常
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2017年08月30日

KINTETSU Free Wi-Fiの余計なお世話

国内にいる分にはさほどには感じないけれど、海外に出かけるとWi-Fiのある環境のありがたさがよくわかる。公共Wi-Fiが完備している観光地がいかに便利か、台湾で思い知ったのだった。初めての場所に行くのに、地図で自分の位置を見極め、目的地を探すには、Wi-Fiのあるなしは決定的だ。Wi-Fi環境のあるところで検索した結果を保存して目的地探しに備えるということを経験的に学んだのである。
確かに携帯の電波の環境は以前と比べものにならないくらい向上していて、山を歩いていてさえラインが届いて驚くほどだ。それにセキュリティーの心配はあるから、むやみやたらに個人情報を伴う通信は控えた方がよさそうだが、国内にいても、空港にせよ、ホテルにせよ、あるいはスタバのようなお店にせよ、無料で電波を使えるWi-Fi環境の効用は計り知れないものがある。しかも、一度接続すると、その次にそこを訪れた時には自動的に接続してくれるというのも便利で重宝だ。

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しかし、東京のような都会の様子はよくわからないけれど、日本の場合Wi-Fi環境はまだまだ充分には行き届いていないというのが現状のように思う。それを一番感じるのは、提供開始からまだ1年にもならない、近鉄電車の主要駅に備えられているKINTETSU Free Wi-Fiだろう。
近鉄電車は、例えば車内放送を英語・中国語・韓国語でも流したり、路線ごとに駅番号を付して駅名表示に全てこれを完備したりするなど、外国人向けのサービスに積極的に取り組んでいるのが最近よくわかる。Free Wi-Fiもその一環で、その志自体はたいへん素晴らしいと思うのだが、どうも実態が伴っておらず、改善の余地を感じてしまう。
それというのも、主要駅でのKINTETSU Free Wi-Fiの完備を知って早速登録したのはよかったけれど、近鉄奈良にせよ、大和西大寺にせよ、どうも電波が弱くてうまくつながらないことが多いのである。最初は、まあこんなものかと諦めて、さして気にも留めずにいた。

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ところが、そのうち思わぬ事態に遭遇することになった。携帯の電波での通信が駅に近づくとつながらなくなるという症状である。天気予報にせよ、ラインにせよ、フェイスブックにせよ、それまで普通につながっていたものが、通信に失敗しました、となってしまうのである。
いったい何が起きたのか初めはわからないでいた。そのうちようやく事態が飲み込めてきた。駅に近づくにつれ、KINTETSU Free Wi-Fiの環境に入るため、Wi-FiをONにしておくと、つないだことのあるKINTETSU Free Wi-Fiへの接続が自動的に試みられてしまうのである。ところが、電波が弱いものだから、Wi-Fiに接続した途端、通信不能に陥るという訣なのだった。設定で確認すると、確かにKINTETSU Free Wi-Fiにつながるにはつながっているのに、二進も三進もいかなくなっているのだ。

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こうなるともうWi-Fiは余計なお世話以外の何ものでもなく、慌ててWi-FiをOFFにしてKINTETSU Free Wi-Fiから逃げ出して、携帯の電波に切り替えるしかなくなる。それならそれで手間を掛ければ済むことではあるが、今度は切ったままにしておくと、Wi-FiがONであることが必要な、i-cloudへの写真のアップなどが滞ることになる。
あるいはぼく自身の使い方が何か間違っているのかとも思うのだが、同じような苦情はどこからも出て来ていないのだろうか。日本人の場合はまだ携帯電波の利用で済むとして、外国の方々にとってこれは致命的なことだろう。
最近は、またKINTETSU Free Wi-Fiが余計なことを始めた!、と笑って済ます(?)いわば諦めの境地にあるのだが、外国の方々の一期一会の機会を台無しにしてしまうのであれば、それは笑って済ますわけにもいくまい。もう、近鉄にはあまり期待もしていないけれど、特急の全席禁煙化も含めて、早急な改善を図っていただけたらありがたいのだが……。
ラベル:日常 鉄道
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2017年08月27日

長崎原爆忌の日の出来事をめぐって

8月最後の週末を迎えている。子どもの頃、宿題の始末に右往左往しながら、まもなく夏休みが終わるのを恨めしく思ったことがなつかしい。ただ、その一方で8月が過ぎ去ることにホッとする気持ちもあった。それは8月が、子ども心にも、戦争と結び付く季節だったからである。その思いは長じてから一層強まることとなった。
ことに8月前半を過ごすのは、精神的に辛いものがある。それは、6日の広島原爆忌、9日の長崎原爆忌、そして15日の敗戦の日と、戦争の記憶とそれに伴う数多くの犠牲者に向き合う特別の日々が続くことに起因する。勿論、そのこと自体は。日本人である以上、いや人間である以上、忘れてはならないことであり、なにがあっても正面から向き合わねばならないことである。耐え難いのは、そうした方々の犠牲によって今の平和があるというような、誰が彼らに犠牲を強いたのかを忘れたような日本国としての発言が溢れ、挙句の果てには戦争を美化する言辞までもがおおっぴらに飛び出す、そんな眼を覆い耳を塞ぎたくなるような事態に遭遇するからである。犠牲者を悼み、過去の過ちを省み、二度と戦争を起こさないよう平和を祈念する大切な日々であるのに、それを逆手に取り、戦争の犠牲になった方々への慰霊の気持ちを逆撫でするような事態が横溢するのはまことに耐え難く、いたたまれない思いを抱くのである。こうした傾向は、年々エスカレートしているように思う。

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そのような思いで毎年の8月を過ごすぼくにとって、今年8/10にネット配信された産経新聞の記事は衝撃的であった。
「長崎平和式典、祈りの場で非常識デモ 「こんな時も静かにできないか」」というタイトルで、「原爆投下から72年。長崎市は9日、犠牲者への鎮魂の祈りに包まれた。だが、平和祈念式典の会場近くでは、「政権打倒」など無関係な主張を大声で繰り返す集団がいた。慰霊の静けさを打ち破る非常識な行動に、多くの被爆者や遺族は、冷ややかな目を向けた。」という概要が掲げられ、「平和祈念式典のさなか、大音量でデモ行進を続ける集団=9日午前、長崎市松山町」というキャプションの写真が添えられていた(いつまで掲載されているかはわからないけれど、一応当該記事のURLを貼り付けておく。http://www.sankei.com/life/news/170809/lif1708090039-n1.html)。
なにげなく読んで、ストンと腑に落ちてしまいそうなところだったが、一方で妙な違和感を覚えたのだった。その後具体の記事を読み、その違和感の根源がなんなのかを考えていくと、背筋の凍る思いにかられることになった。それは、そういう集団がいたことに対してではない。それを記事にして、あたかも自らの業績であるが如くに喧伝するメディアの姿勢に対してであり、さらにそれに騙されかけた自分自身の不甲斐なさに対してである。

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人の感情面の行動に画一性を求めることは、たいへん危険なことだ。同じ感情面での反応でも、心を慰められたり、微笑ましく思ったりといった気持ちの場合、あるいは逆に不快に思ったするような場合でも、たとえ100人のうち5人だけそうは感じない人がいたとしても、誰もその人を責めたりはしないだろう。ところが、悲しみのような感情の場合には、情緒的に他人に引きずられやすいうえに、それが一つの価値観というか、規範となって受け取られやすくなるように思う。違う反応をする5人に対して、そうあるべきではないという気持ちが働くのである。
今回のデモは、政権批判としては、時と場という点でけっしてスマートな方法とはいえないかも知れない。また、その主張の是非について判断できるだけの材料を、ぼくは持ち合わせていない。しかしだからといって、デモのような一般的に認められている意思表示の方法を、人間の感情に訴えて頭から否定してしまうことには、強い恐怖を抱くのである。背筋が寒くなる思いをしたというのは、ぼく自身がそうした感情面への訴えかけによって、この記事に共感を覚えてしまいそうになったことも含めてのことだ。

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この記事に対するネットの書き込みは、ほとんどがこれを肯定するものだった。それで、ぼくが記事を読んだときに最初に覚えた一抹の違和感(逆に言えば、その一抹を除けば、ぼくもこの記事を感情的には肯定したということである)が本当にそれでよいのかどうか、自分の感じ方がおかしいだけなのではないかとさえ思ってしまった。けっしてそれが自分がおかしいからではないと納得できるまでに、上に書いて来たようなことをつらつら考えてみる必要があったという次第なのである。それが何に起因するのかを落ち着いて突き詰めてみなかったならば、感情に流されてしまいかねないところだった、そのことに気が付いたときには、ほとんど目眩がした。
この記事を書いた記者は、多分何も深く考えることなしに、感情に訴えかける記事を書いているのだと思う。多分本人は自分が何をしているのかわかっていないのだと思う(そう思いたい。逆にもし、上に書いて来たことがわかって書いているなら、それはそれで見上げたものではある)。そういうことを平気で書く人が、メディアで働いて影響力の大きな記事を書いているのである。
一方、デスクや上層部は、このことが多分わかっているのではないか。記事として稚拙であっても掲載を認めているのは、この記事が、読者の感情に訴えかけることで、政権批判への反批判のとなり得ると認めているからなのだろう(彼らにもしもそれがわかっていないのだとしたら、こんな脳天気なことはない!)

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勿論、倫理的な一般論としては、祈りを捧げる場にそぐわない行動に対する批判に一理はあると思う。ぼく自身そうした場に遭遇したならば、きっと冷ややかな目を向けたに違いないだろう(それを否定してしまうことはぼくにもできない)。
しかし、である。それを仮に認めたとしても、今回の記事のように、それははたして新聞が鬼の首を取ったかのように、声を大にして叫ぶべきことなのだろうか? 100人が100人全て同じ考えをもち、行動をとるべきだというのは、全体主義に他なるまい。それをメディアが先導してどうなるというのだろうか? 
まあ、産経の記事である。産経と読売がどんなスタンスで最近(いや昔からか?)記事を書いて来たかは、周知のことである。読売はここのところ(世論の動向に配慮してか?)やや軌道修正した感もない訣ではないけれど、産経は流石と思わずにはいられなかった。なのでまあ、こうして目くじら立てる必要は別にないのかも知れないが、そう思うこと自体が、御用新聞の思うつぼなのではないかと思い直して、たわごとを書き連ねてみた次第。慰霊の月としての8月を心静かに過ごしたい、つくづくそう思うのである。

(追記)あとから知ったことだが、昨年2016年には、式典の場で「改憲反対」を叫んだ人が連行される事態が起きていたという(http://lite-ra.com/2016/08/post-2493.html)。昨年にしてからがそうなのだった。それを思えば、会場からすこし離れた所でのデモというのは、同じ人たちかどうかはもちろんわからないけれども、その教訓に学んだ結果なのかも知れない。逮捕者が出なかったのは不幸中の幸いというべきか。
ラベル:季節 日常
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2017年08月13日

今年も山の日は釈迦ヶ岳

山の日を休日として、しかも夏休みの盆前に設けたことについては、賛否両論いろいろあるかも知れないけれど、それはここでは措くとして、今年の山の日も釈迦ヶ岳に登ることができた。
釈迦ヶ岳は、標高こそ大峰の最高峰という訣ではないけれど、その風格の点では大峰随一の秀峰の名に恥じない。その山頂に、標高差僅か500mほどのアルバイトで立つことができるのである。先日の頂仙岳と比べるならば、1,300mの高みまで送り届けてくれる林道の効用は歴然である。僅か30分ほどの森林帯の登りで稜線に出てからは、天上の楽園さながらの、笹原に描かれた抜群の展望を誇るトレールを辿るのである。少ないとはいっても500mの標高差はあり、山頂直下の200m余りは結構な傾斜があるのだが、笹に覆われた灌木の道は、良好な展望とも相俟って、道の険しさを忘れさせてくれる。天候にさえ恵まれれば、快適な山旅を楽しむことができる。
今回は天気予報がなかなか定まらず、予報によっても晴れから雨までまちまちで、随分やきもきさせられた。10時くらいから70%の雨予報を出しているところもあれば、昼まで晴れマークを出してるところもある。ただ、15時以降が雨になりそうなことだけは共通していて、夕立や雷雨は必定と覚悟を決め手の参加となった。ノロノロの台風5号が通過したあと台風一過という訣にいかず、夏の高気圧と北の高気圧の狭間が埋まらぬ状態が続いている。しかも県南部は300㎜近い降雨もあった訣だから、その後遺症も心配された。

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集合の橿原神宮前駅に着くと、昼からどころかもう雨が降っており唖然。しかも行く手の南方は暗く、カッパを着ての山行の覚悟を決めざるを得なかった。あとは運を天に任せるばかり。誰の日頃の行いがものをいうかでひとしきり盛り上がる。峠の駐車場を10時過ぎにスタートする時には幸い曇りで、このまま少しでも長くもってくれたらと、祈るような気持ちでスタート。上部にはハシゴがあったり、ロープのかかった急なところもあるが、歩き出しとしては比較的穏やかな道である。
30分余り歩いて約100m上がり、釈迦ヶ岳に向かって伸びる稜線に出る直前、ポツリと顔にあたるものがある。と思う間に、サーッと雨が強くなり始めた。ああいよいよか、案外早かったなあ、とカッパとリュックカヴァーを取り出し、準備万端整える。ところが、一瞬強くなるかと思えた雨脚がまもなく案外弱くなって、明るくさえなって来始める。それでカッパを早々にしまう人も多かったが、ぼくは相変わらず無精を決め込んでそのまま歩き出す。
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〔稜線に出て大日岳の出迎えを受ける〕
灌木の点在する笹原を緩やかに登って行くと、右手前方に大日岳の先鋒が懐かしい姿を見せ始め、気持ちの良い稜線を軽やかに登る。そのうち待望のお日さまを顔を出しまさに夏山の趣となり、たまらずカッパを脱ぐことにする。そうして標高1,618mの古田ノ森まで1時間と少し。前方の釈迦ヶ岳や大日岳だけでなく、後方の来し方の展望を交互に楽しむ小さなアップダウンを繰り返しつつ約200mを難なく稼いでお昼ごはんとなる。
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〔青空が見え始める(古田ノ森への登りで)〕

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〔古田ノ森で昼ごはん〕

釈迦ヶ岳(古田ノ森から。時折ガスがかかる).jpg
〔釈迦ヶ岳(古田ノ森から。時折ガスがかかる)〕

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〔古田ノ森から稜線を振り返る(パノラマ写真)〕

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ここからやや北東に向きを変えて、その少し先で左に回り込む感じで稜線を辿ると僅かに下りとなり、今まで傾いだ山頂部分だけをのぞかせていた釈迦ヶ岳が、その巨大な山体を南から入り込んできている谷の向こうに聳やかせているのが眼に飛び込んでくる。去年もこの地点で望んだ釈迦ヶ岳の美しさに胸を打たれたことを思い出した。できることならずっと立ち止まって見ていたい景色である。
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〔釈迦ヶ岳をめざす(古田の森の先、左へ回り込む辺りから)〕
降りきった地点から少し上がった平坦地が千丈平で、ここからがいよいよ最後の急登。深仙の宿への巻道を分け、水場を過ぎ、大日岳からの奥駈道本道に合流して僅かに行くと、古田ノ森から1時間弱で待望の釈迦ヶ岳の山頂である。道は終始快適だったが、山頂は東側がガスで展望が利かず、西側から上がってくるガスで、南北とも奥駈道を望めない状況だった。しかし、ガスの動きは結構速く、もしかしたらの期待をもって山頂で暫し待つと、初めに南側、ついで北側の展望が短時間ではあったが開け、南面は手前の大日岳から南奥駈道まで、北面は孔雀・仏生とそこから西に派生する七面山の尾根を眺望することができた。弥山・八経は残念ながら雲の中だったが、カッパを羽織ってのビショヌレの登山を覚悟でやって来た今年の釈迦ヶ岳でこれだけの展望が得られたなら、もうこれ以上何も望むことがあるだろうか。
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〔千丈平にて〕

南奥駈方面を望む(大日岳も辛うじて顔を出す).jpg
〔南奥駈方面を望む(大日岳も辛うじて顔を出す)〕

漸くガスが切れて視界が開けた奥駈道(孔雀岳・仏生ヶ岳).jpg
〔漸くガスが切れて視界が開けた奥駈道(孔雀岳・仏生ヶ岳)〕

仏生ヶ岳(右)と七面山(左)、中央奥が弥山・八経ヶ岳方面.jpg
〔仏生ヶ岳(右)と七面山(左)、中央奥が弥山・八経ヶ岳方面〕

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〔釈迦ヶ岳山頂から北側の展望(パノラマ写真)〕

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帰路も足取りは軽い。山頂直下の水場は台風直後とあって水量も豊富で、ペットボトルが僅か数秒でいっぱいになった。千畳敷、古田ノ森と逆に辿る道は、日射しはなく、振り返って仰ぐ釈迦ヶ岳も時折ガスがかかって姿を隠すけれど、このまま降られることなくすみそうだ。
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〔大日岳に別れを告げる〕
写真を撮る余裕はなかったけれど、古田ノ森から降る途中のピークを越えるとき、ほんの僅かだが、前方の景色が北面と南面がつながって180度見渡せる地点があって、往路には気付かなかった景色にハッとさせられる。同じ道の往復といっても、足下ばかりでなく前を向いて歩いているつもりでいても、往路と復路では見えるものが全く異なるのである。これは奈良の山に連れて行ってもらうようになってからの新発見である。
峠の駐車場まで山頂から正味2時間余り。振り返れば、古田ノ森と思しき山影が日に映えている。終わってみればまさに夏山を堪能できた1日だった。素晴らしい山行にいざなってくださった同行の方々に、今回も心から感謝、感謝!
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〔稜線の古田ノ森を振り返る〕
山頂直下の水場で汲んできた水で淹れた、台南の五妃美人茶の最後の一杯の、ほんのり甘くまろやかで、美味だったことといったら!
(去年と同じルートの山行でもあり、これ以上くだくだしい文章を綴るよりは、今回は写真を多めに載せることにする。)
ラベル:季節 奈良
posted by あきちゃん at 17:47| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする